「とある魔術」を推してるにわかアニヲタに「けんぷファー」の素晴らしさを教えるスレ

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151 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
「ハーレムアニメ」に対して要求されるのはいつでも女だ。女、女、女。ハッキリ言って女以外の要素に割く時間は無駄だ。
そんなことをしている暇があったらかわいい女を出すべきなのだ。

と言って、女ばかりを画面に映せばそれで終わりかというと、それは間違いなのだ。
真っ暗な画面の中を裸の女が歩き回っている、という画面はホラーにしかなりえない。
女を出すとすれば、女が生きる舞台世界、女が何者であるかというキャラクター設定といったものは不可欠になってくる。
「女以外の要素は時間の無駄」と言い切りながらも、女を生かすための設定や舞台背景がやはり重要であることは、認めなければいけない。

そういうわけで多くの「女しか見所のない」と言われるアニメにも、それなりの設定がありキャラクターの造形があり話の筋がある。
しかし、ここで見誤ってはいけないのは、設定とか話の筋とかいったものは全て女のキャラを立てるための「おまけ」に過ぎないということだ。
確かに必須の要素だとは言った。だが、設定や話の筋が女の出番を食ってしまうのは絶対にいけない。そのようなことをしたら
何のために女をバカみたいにだして糞シリアス作品としての質を落としているのかわけがわからない。
あくまで主役は女で、設定や話は脇役であり舞台装置でありおかずなのだ。

そういう観点で見てみると、多くの「ハーレムアニメ」はこの原則を守れていない。
最近の作品だといちばんうしろの大魔王なんか全くダメで、ああなってしまうと作品の方向性というものが見えてこない。
別にテーマに貴賎があるわけではない。女のおっぱいが乱舞していようが、そこに何らかの質が認められればそれは良い作品なのだ。
だが、テーマがあっちこっちに分裂して何がなんだかわからなくなっちゃったらそれは完全な駄作だ。まったき糞アニメと言って良い。
女をバカみたいに出しておきながら、女の出番を殺してどうでもいい説教を始める。そんな中途半端はノーサンキュー。
自分達の売りとは何かを良く考えなければいけない。