ロシア最後の皇帝の子どもたちのうち、行方不明とされていた2人は
1918年に家族と共に処刑されていた事実が新たな証拠によって明らかになった。
1世紀近くにわたって世界から注目されてきた事件がついに解決の時を迎えた。
疑いようのないその証拠によると、ロシア中央部の都市エカテリンブルグの墓地で
2007年に見つかった男の子と女の子の遺体は、ロマノフ朝の皇太子アレクセイとその姉のものだという。
2人の遺体は共同墓地から数キロ離れた場所に一緒に埋められていた。
この共同墓地では1991年、2人の姉妹3人と両親である皇帝ニコライ2世、
皇后アレクサンドラの遺骨が発見されている。
研究を率いたマイケル・コブル氏によると、3種類の方法でDNAを分析した結果、
2人の遺体がロマノフ家と無関係である確率は“約4兆3000億分の1”だという。
同氏はアメリカ東部メリーランド州ロックビルにあるアメリカ軍DNA鑑定研究所(AFDIL)で研究部門の責任者を務めている。
ロマノフ朝は300年にわたって続き、1917年のロシア革命でその幕を閉じた。
10月革命後、ニコライ2世一家はウラル地方のエカテリンブルグに移され監禁された。
実権を掌握したレーニン率いるボリシェビキは、皇帝一家の支持者による救出を恐れて処刑隊を差し向け、
1918年7月17日、ニコライ2世と家族全員および4人の従者を殺害した。
共同墓地に埋められていた遺体については、DNA鑑定で一家のものと確認されていたが、
2人だけがなぜか別の場所に埋葬されていたため、
一家とは関係のない子どもではないかという憶測を呼んだ。
コブル氏によると、「もしかしたら誰かが生き残り、ロシアを脱出したかもしれないという
ロマンティックな考えが広まった」という
つづく