介護のプロでさえ絶望し、母を殺す老人介護の今後 【他人事じゃねーぞ】

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看護師はなぜ、老母の首絞めたのか 孤独の淵で「殺して」
 リンゴ畑に面する白い2階建ての一軒家の寝室で、カミソリの刃を自分の手首と首にあてた。
ベッドには母親の遺体が横たわっていた。
 心中、のつもりだった。意識が薄れた後は覚えていない。

 今年1月、青森県弘前市で、介護する82歳の母親の首を絞めたのは北野原陽子被告(58)。
看護師で、介護老人保健施設の療養部長だった。「介護のプロがなぜ」。当時の新聞に、そんな問いかけが並んだ。

 その理由を探りたくて、雪の中、勾留(こうりゅう)先を訪ねた。
面会して便箋(びんせん)と封筒を託すと、まもなく手紙が記者の元に届き始めた。

 〈どうして私1人が生き残ったんだろう〉

 乱れ気味の文字。母親との長かった時間を駆け足でたどるように、書き急いだ跡がみられた。

 30年ほど前に離婚して、実家に2人の子を連れて帰った。昼間は病院に勤め、夜は正看護師になるための学校に通った。
子どもの世話は母親に頼んだ。途中で老人介護の道に転じ、専門家として看護の学校で非常勤で教えたこともある。

 〈母がいたから、私も仕事と学校、そして母親とできたと思う〉

 父親は病死。子どもは大人になって独立した。だから、母親と2人暮らしだった。
(続きは以下ソースで)
http://www.asahi.com/national/update/0331/TKY200803310359.html
2 番組の途中ですがアフィ禁止です(珠河):2008/04/01(火) 13:44:55 ID:y20cbr1d0
69:番組の途中ですが名無しです2006/09/05(火) 22:24:54 ID:fhxaand30
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
3 番組の途中ですがアフィ禁止です(もんじゃ):2008/04/01(火) 14:36:59 ID:zy+wcIPy0
ここなんかもう親定年になった人間多いんじゃないかしら
どうだ無職共
4 番組の途中ですがアフィ禁止です(しうまい)
ひええええええええええ