京都公安のマイクロ波使用について

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385名無しピーポ君
>>377さん

通常の判断力を持っていれば・・・・判断するのが妥当であろう。 ◇・・・・
という意味が明快には理解しがたいが。


この場合でも、上げているそれらの事実から人は全く何も想像出来ないことでは
無いでしょう。何も想像でき無いと言うなら、それこそ私には考えられないこと
です。何事かを想像して御覧なさい。事実を一方的に無いものと思い込むならば
そこで問題解決の手は完全に行き止まり。

又判断力のほかに色々な事実を知らなければ判断し得ないこともあるでしょう。
世間では未だ多くは本当の事を知らない人が多いト思われるのだが。もし判断が
必要とされる場合には、通常にはそうした問題が実際にあると知った上で、その
時に始めてあらゆる可能性を考慮して判断される事になるものでしょう。通常の
判断時に必要な要件として、体験したとされている事実以外にも他に如何に多く
を知っているかという事です。むしろ色々な層の人がいるわけですから、数多く
の一般人の判断の方が最っと多様になるか、或いは最っと現実に符合したそれこ
そ常識の範囲の判断になることを予想します。

それは例えば、あそこで列挙した中にある、或る一人の人間のたった一つの体験
事実を第三者として知り得ただけでは、流石の私でさえ、直ぐにそれを事実であ
ると信じる事はしなかったただろうというのと同じです。最っと色々な事実と社
会情況を知り得て、初めて現実的な判断が出来るものだと考えます。

このことは体験者自身の体験事実についても言えることです。一つ二つ、或いは、
一度二度の体験では恐らく何も気づくことができないことなのですから。其れが
様々な情況で幾度も繰り返させる体験にやがて何事かに自分で気づき始めるので
す。

まずこの2cahnで簡単にですが体験した事実を提示しているのは、そういう
事情もあるということです。一般人の中でここを訪れている一部の人にのみ体験
事実を知らせているということなのです。ここで判断されたことがすぐ社会一般
の意見と同じという風には見ていません。