ベビンネを3匹飼っている。
経験値狩りに遭ったらしい母親の死体の傍でチィチィ泣いていたので、まとめて拾ったのだ。
時々つついたり転がしたりはしたが、それなりに可愛がっていたつもりでいた。
ある日、高性能のポケリンガルが発売されたと聞き、面白半分で買ってみた。
ベビンネ達が俺の事をどう思っているのか、聞いてみようと思ったのだ。
帰ってみると、俺の姿を見た途端、3匹のベビンネは寄り添ってケージの隅のほうに逃れた。
今日はつねったり触覚を引っ張ったりして、ちょっとやり過ぎたか。怯えるのも止むを得まい。
購入したヘッドセット式のポケリンガルを装着し、スイッチを入れると合成音声が聞こえてきた。
「おねがい、いじめないで、もうゆるして、おそとにだして」
対象のポケモンの年齢も判別できるのか、ちゃんと子供の声になっている。なかなかの優れ物だ。
だが、外に出たいという言葉には少々ショックだった。
今日はちょっと虫の居所が悪かったのは確かだが、日頃可愛がっていたのはすっかり忘れ、
出て行きたいとまで言われるとは思ってもみなかった。
「なるほど、外に出たいのか」
俺がポケリンガルのマイク越しに話しかけると、自分達の理解できる言葉でしゃべった事に驚いたようだが、
話が通じるとわかって、必死で訴えかけてきた。
「おねがい、おそとにでたいよう!」「もう、いたいのやだ!」「だして!だして!」
ベビンネ達は口々に懇願してきた。しばし考えた後、俺は返事をする。
「いいだろう、自由にしてやる。だがお前ら、巣を作ったり餌を獲ったりできるのか?
それに外には俺よりもはるかに怖い肉食ポケモンもいるんだぞ、お前らなんか一口で食われるぞ」
「えさくらい、かんたんだよ!」「できるよ!できるもん!」「こわくないもん、だからだしてぇ!」
俺は苦笑した。とにかくここから出られれば何とかなると思っているらしい。
だったらお手並み拝見といこうじゃないか。お前らが独力で生きていけるかどうかな。
「わかったわかった。さあ、どこにでも行きな。後で戻ってきたいって言っても知らんぞ」
俺は部屋のドアを開け、ケージの柵も持ち上げてやる。ベビンネ達の顔が、ぱあっと輝く。
「チィチィチィチィ!!」
俺の気が変わらない内にと、ベビンネ達は転がるように部屋の外へと駆け出した。
だがそこで立ちすくむ。この部屋は2階だ。地上に降りるには、当然階段を下りなくてはいけない。
しかしベビンネ達の体躯からすれば、階段の一段一段が身長の倍近くある非常な高さであり、
その全容は断崖絶壁に等しい。
階段越しに地上をそっと覗き込み、ベビンネ達の足はガクガク震えている。
「こわいよ、こわいよ」「でもおりなきゃ」「たかいよ、いやだよ」
おろおろしているベビンネ達に、俺はニヤニヤしながら声をかけた。
「どうした、怖いんなら戻ってきてもいいんだぞ」
からかう声に多少迷ったようだが、俺のところに戻るよりはましだと腹を括ったらしい。
「チ、チィィ!」
おっかなびっくり、そろりそろりと階段にぶら下がりながら降りようとするが、
いくら足をばたつかせようとも、2段目にすら足が届くわけがなく、宙ぶらりんでもがくだけだ。
3匹そろって宙ぶらりんになって足をパタパタさせる姿に、俺は思わず吹き出した。
「おいおい、もっと頑張れよ。そんなんじゃ地上に着く前に日が暮れちまうぞ」
そんな俺の声に焦りを感じたのが、1匹が手を放して2段目に着地しようとした。
「チィッ!!」
だがその体は、階段の2段目でバウンドするとそのまま地上まで転がって行った。
「チビャァーッ!!」
その声にビクッとしたはずみに、残りの2匹も手を滑らせ、同様に階段落ちしてゆく。
「チヒィィィ!!」「チィィーーーッ!!」
3匹ともころころ転がって地上にべちゃっと叩き付けられ、ピクピク痙攣しているが、
さすがにタフさと生命力が売り物のタブンネらしく、息はあるようだ。
その一部始終を見守りつつ、俺は笑いを堪えるのを苦労していた。先が思いやられるな。
「チィィ…」
痛む体をさすりつつ、3匹のベビンネはよちよち歩き始めた。俺もその後を追う。
それに気づいたらしく、ベビンネ達は振り向いて俺を睨む。
「ついてこないでよ!」「またいじわるするきでしょ!」「くるな、あっちいけ!」
解放された途端に強気になっている。現金なものだ。しかしその程度では腹は立たない。
「心配するな、何もしないよ。お前らがどういう巣を作るのか興味があってな」
「うるさい、あっちいけ!」「おしえないよ!」「しっしっ!」
悪態を突かれても、俺はニヤニヤしつつ、少し距離をとりながらベビンネ達の後を付いていった。
しばらく歩いて、ベビンネ達は近くの公園にたどりついた。手頃な草むらと、近くに小さな小川がある。どうやらここが気に入ったようだ。
「ここがいいよ、おうちつくろうよ」「おうちおうち!」「はやくつくろ!」
ベビンネ達は雑草をむしって、巣らしきものを作り始めた。なかなか微笑ましい。
しばらくすると、ごちゃごちゃと雑草を寄せ集めただけの、巣と呼べるかどうかも怪しい代物ができあがった。
それでもベビンネ達にとっては立派な『我が家』が完成したつもりなのだろう。歓声が上がった。
「やったー!できたー!」「おうちおうち!」「ぼくたちのおうちだー!」
会心の出来らしい巣の中でキャッキャとはしゃぐベビンネ達だったが、たちまち厳しい現実がやってきた。
一陣の強い風が吹き、巣を形成していた雑草の大半が、あっという間に吹き飛ばされてしまったのだ。
「チィチィチィ!?」
大慌てで、吹き飛んだ雑草を拾おうと追いかけるベビンネ達。俺はそれを眺めつつ、苦笑しながら公園を後にした。
こんなのは序の口だ。この後、どんな試練が訪れることやら。
月曜日。
出勤する途中に、元飼い主としての親心と、野次馬根性もあって、ベビンネ達の様子を見に行った。
3匹のベビンネは身を寄せ合ってチィチィと心細そうに鳴いていたので、
カバンからポケリンガルを取り出し、装着して何を話しているのか聞いてみる。
「おなかすいたよ」「えさってどうやってとるの?」「わかんないよう」
案の定だ。俺は基本的に、飯だけはちゃんと与えていた。
俺に拾われる前は、おそらくママンネの母乳しか飲んでいないはず。こいつらが自力で餌を獲る術など知るはずがないのだ。
「どうした、餌くらい簡単に獲れるとか言ってなかったか?」
俺の声に3匹はビクッとしながら振り向いた。声の主が俺だと知って嫌そうな顔をする。
「こないでよ!」「めっ!きたら、めっ!」「おなかすいてないもん!」
小さいなりに意地はあるらしく、俺に対して精一杯虚勢を張ってみせる。可愛いものだ。
「やれやれ、嫌われたもんだな。じゃあこれはいらないな」
俺はポケットからオボンの実を出してみせた。時々、これを絞ったジュースを与えていたものだ。
ベビンネ達はゴクリと唾を飲み込んだ。どうしようかと迷っていたが、せっかく手にした自由の方が大事と見えて
「い、いらないよ!」「おなかすいてないもんね!」「おなかいっぱいいっぱい!」
などと、無理をして俺の誘いを突っぱねた。なかなかの根性だ。
「そうか、残念だな」
ポケットにオボンの実をしまい、踵を返して立ち去ろうとすると、
「チィ…!」
と背後で声がした。やはり空腹には勝てず、俺を呼び止めようとしたのだろう。
だが聞こえないふりをしてそのまま歩き、ベビンネ達から見えない木の陰に隠れて、様子を伺ってみた。
「いっちゃった…」「いいよ、あんなやつからもらわなくても!」「ぼくたちでごはんさがそうよ!」
空腹で力の入らないベビンネ達は、ふらふらとおぼつかない足取りで巣を這い出ると、餌を探しに行った。
だがおそらく何も見つかるまい。ベビンネの足では遠くまで探しにはいけないだろうし、
この公園近辺には食べられる木の実などなかったはずだ。さて、どうするのかな。
火曜日。
今朝も公園に立ち寄った。巣は空だったので辺りを見ると、小川で水を飲んでいる姿を見つけた。
ポケリンガルを取り出し、ベビンネ達に見つからないよう忍び寄って耳を澄ませてみる。
「おなかすいたよう」「がまんしなきゃ、がまん」「きょうこそはなにかみつけようね」
予想通り、昨日は何も食料が見つからなかったらしく、水で飢えをしのいでいるようだ。
だが水だけで幼いベビンネがそう長く持つ訳がない。早く食糧問題を解決しないと死んじまうぞ。
生憎、俺は救いの手を差し伸べる気などないからな。俺の家から出て行くことを選んだのはお前らなのだ。
最後まで自分の力で生き抜いてもらおうか。
会社の帰りにまた覗いてみる。3匹ともだいぶ参っているようで、巣の中でぐったりしていた。
でも俺が近づくと気づいたらしく、弱いところを見せまいとまた空元気を振り絞った。
「なにしにきたの、かえれ!」「ぼくたちおなかいっぱいでひるねしてたの!」「あー、おなかいっぱい」
「はいはい、わかったわかった」
俺は笑いながら公園を後にした。まだ意地を張れるのは大したものだが、命を縮めるだけなのにな。
水曜日。
今朝はだいぶ様子が違った。いつも3匹そろって行動していたのに1匹姿が見えない。
さらに巣の中の1匹は左腕がなくなっており、片割れがその無残な傷跡をペロペロ舐めている。
チィチィと泣いているその有様を見て、何が起こったのか想像がついた。手厳しい野生の洗礼が来たのだ。
「おい、1匹いないな。それにその腕はどうした?」
「たべられちゃった…そらからきたこわいやつに」「ぼくのうで、とられちゃった。いたいよ、いたいよう」
やっぱりか。この辺りは時々ムクホークが出没するらしいから、そいつにやられたに違いない。
1匹は食われ、こいつは左腕をもぎ取られたというわけだ。命があっただけ有難いというものだろう。
「たすけて」「もうかえりたい」
ベビンネ達は目に涙を一杯に溜め、すがりつくような視線を俺に投げかけている。
あれだけ突っ張っていた威勢の良さはもう欠片も見えない。飢えと、死の恐怖でついに心が折れたのだ。
しかし俺は無言でその場を離れた。「チィィ…!」という悲痛な声が背後から聞こえてくる。
今更帰りたいだと? 冗談を言うな、今はここがお前らの帰る家だろう。
俺はお前らを見捨てるのではない、自然の成り行きに任せるだけだ。
おら豚共!お待ちかねの餌だぞ!
木曜日。
さらに1匹減っていた。『腕無し』がいない。失血死したか、またもムクホークの餌食になったのか。
巣の中には1匹だけ横たわっていて「チィ…」と弱々しく鳴いている。
耳と触覚が垂れ下がり、顔つきに生気がない。もうグロッキーのようだ。
「一人ぼっちになっちまったな、あいつも食われたのか?」
「かわにおちて、ながされちゃった。たすけたかったのに、ちからでないよ…」
その光景が目に浮かんだ。相変わらず餌が獲れず、やっとの思いで水辺までたどりつき、
せめて水で腹を膨らせようとしたが、衰弱した上に左腕を失っているのでバランスが崩れて川に落ちたのだ。
手を伸ばしてもお互いその手に力が入らず、もはや泳ぐことすらままならず流されていく『腕無し』を、
こいつは滂沱の涙を流しながら見送ったことだろう。
「たすけて、ごめんなさい、だから、たすけて…」
消え入りそうな声でベビンネは訴えた。もう限界のようだ。
だが俺は今日も冷笑を浮かべ、踵を返して会社に向かった。もう声が出ないのか、後ろからは何も聞こえなかった。
金曜日。
朝起きた時、ちょっとだけ厳粛な気分になった。おそらく今日はあいつにお別れすることになる予感がしたからだ。
だいぶ冷え込んでいるので、もう凍死しているかもしれない。
だが巣を覗くと、ベビンネは辛うじて生きていた。口の周辺から吐かれる白い息が弱々しい。
体を丸めてプルプル震えており、触ってみると全身は氷のように冷えきっていた。
「どうだ、わかったか。これが野生の世界の厳しさだ。お前らはもう少し我慢すべきだったんだよ」
「…チィ…」
「俺は言ったよな、餌は取れるのか、巣は作れるのか、怖いポケモンがいるぞ、ってな。
その忠告も無視して、後先も考えずに飛び出した結果がこれだ。」
「…チィ…」
「引き返すこともできたはずだ。だがお前らはそれを拒絶した。当然の結果だ。」
「…………」
「ちょっとからかいすぎたのは悪かった。でもそれで今まで可愛がったことまで全て帳消しにされたんだからな。
俺も悲しかったんだぞ」
返事はなかった。口からは白い息がもはや出ていない。
家を出てからわずか5日、束の間の自由と引き換えにこいつらが得たのは、それを上回る苦痛と恐怖と悲しみだけだった。
俺はしばらくその死に顔を眺めた後、立ち上がっていつも通り会社に向かった。
墓など作ってはやらない。お前の死体はムクホークに啄ばまれるか、腐って土に返るかだろうが、知ったことではない。
それがお前の選んだ運命であり、野生の掟なのだから。
(終わり)