ヨコドリ新聞3/11
日曜特大版コラム【炎の機関助士・鉄道を支えたポケモン達】
美しい黒の車体。煙突から出る力強い煙。
あの頃は、男なら誰もが一度は機関士になってみたいと思ったものだ。
わが国の鉄道から蒸気機関車が消えてからはや数十年になるが、
ポケモンがわが国の鉄道を支えていた時代があったことを知る人は数少ないであろう。
私は18の時、国鉄に就職して、初めてそのことを知った。
戦前、鉄道が全国に普及し、一般的な交通手段となった頃、少しでも機関助士の負担を
軽減しようと、当時の国鉄はポケモンを機関助士に使うことを決めた。
初期はゴーリキー、カメールなどのポケモンが使われていたようだが、様々な調査・研究が
行われた結果、石炭を運ぶのに必要な体力、炎の近くに長時間いても疲れない耐性、
そして人間の言葉をある程度理解できる知能などを考慮し、リザード、モウカザルなどの
炎ポケモンが使われることが多くなった。
この国鉄の政策は瞬く間に全国に広がり、大手私鉄などでも「ポケモンの機関助士」が
多く誕生した。また、大量の水が必要な特急列車では、炎タイプ2匹、水タイプ1匹の
三人(匹?)組を組んで、炎タイプが石炭・炎管理担当、水タイプが水の補給・管理を担当する
といったことも行われた。当時最速の特急「スバメ」で、時速110キロで運転中に機関助士を
交代する「速(はや)代わり」は、往年の鉄道ファンには馴染みのある言葉だろう。
しかし、1940年代になり戦局が悪化してくると、その波は鉄道界へも押し寄せてきた。
各地で乗客の少ない路線は休止に追い込まれ、体力のあるポケモン機関助士は、率先して
戦争に狩り出されていった。その結果、ポケモン機関助士は激減。残ったのはヒトカゲや
ヒコザル、ガーディなど、若くて体力も少ないポケモンだけになってしまった。
戦後の鉄道界は急激に電化が進み、更にポケモン機関助士の数は減っていった。
そして1978年3月のダイヤ改正(通称「菜っ葉さん改正」)で、蒸気機関車はわが国の
鉄道から完全に姿を消すことになった。
忘れもしない、1978年2月28日。あの日私は、わが国最後の蒸気機関車に乗務すべく、
ヤマブキ駅11番線のホームに立っていた。
新設されたばかりの真新しいホームには少々不釣合いなC57型147号機、通称「海龍」
(当時の図鑑では147番がカイリューだったためこう呼ばれた)は、いつもと変わらぬ
堂々たる姿を見せてくれた。
私の周りに2匹のポケモンが寄ってきた。リザードとニョロゾだった。
私は最後の常務のパートナーを務めてくれる2匹によろしく、と声をかけ、いつものように
機関室へと向かった。2匹は、これが自分達の最後の仕事になることは分かっていたようで、
心なしか寂しそうな顔をしていた。
「さよならSL号コガネ行き発車致します」
駅員の野太い声と共に、発車のチャイムが鳴り響く。
私が加減弁を引くと、黒い巨体はゆっくりと動き始めた。いつもやっていることなのに、
今日はなぜか特別な感じがした。後ろの2匹もそれは同じだった。
リザードはスコップを持って石炭を運び、ときどき炎の調子を見る。ニョロゾはタンクに水を補給する。
2匹とも与えられた仕事を淡々とこなしていた。
やがて終点のコガネ駅のホームが近づいてくる。私は2つのブレーキ弁をひねり、徐々に
列車は減速をしていく。停車位置まであと2m。あと1m――。黒い巨体は完全にその動きを止めた。
「コガネ、停車!16時47分、定刻!」最後の確認歓呼をした私の目からは、ほろりと
熱いものが流れ出た。後ろの2匹は、達成感と淋しさの入り混じった複雑な顔でこちらを
じっと見ている。私は2匹を抱き上げた。
1人と2匹の、最後の乗務が終わった。そして、蒸気機関車の時代もこれで終わった。
今ではヤマブキ・コガネ間はリニアが開通し、数十分でアクセス可能になった。列車も自動化され、
鉄道業務に携わるポケモンも、工事関係を除いていなくなった。しかし、その基盤を作り上げたのは、
まぎれもない、蒸気機関車と助士のポケモン達なのだ。私はそんな時代に生まれたことを、誇りに思う。