最近長文コラムが多いから俺も流れに乗ってみる
マイナン新聞3/3【戦争の記憶・あれから60年】
終戦からはや60年が経ち、既に戦争は「過去のもの」となった。
どんなものでも時が経てば風化するのは仕方が無いことだが、やはり
戦争を経験した者にとっては、それは虚(むな)しいことであろう。
私は戦時中、トウカの軍需工場にいて、飛行機の整備士をしていた。
そして、私には大切な相棒がいた。雄のガーディである。小さいながらも
よく働いてくれ、飛行機に不備があると吠えて教えてくれる、頭のいいヤツだった。
戦時中の息苦しい環境の中で、ガーディは私や工場の仲間を和ませてくれた。
あの日も私とガーディは、いつもの様に飛行機の点検をしていた。既に
戦争もかなり長引き、飛行機は傷や凹みでボロボロになっていた。これは
直すのが大変だろう、と気合を入れなおして修理を始めた。しかしなぜか
相棒のガーディは落ち着かず、やたら外に出て空ばかり眺めていた。
作業開始から2時間あまりが経過した頃、ガーディが突然私の方に飛んできて、
しきりに吠え立てた。邪魔をしちゃだめだ、と言い聞かせてもまったく言うことを聞かない。
ガーディがあまりに必死な目つきで吠え立てるので、私は仕方なく作業を中断し、
隣の物置部屋で休憩をとることにした。
少しばかり休憩をとり、作業を再開しようと腰を上げたその瞬間、どこか遠く、医大病院
の方だっただろうか、何か光ったかと思うと、気が付いたときには外に投げ出されていた。
原爆である。
幸いにも工場と私が休憩していた物置部屋とは少し離れており、物置部屋のほうが
坂の下にあったため、私は軽い怪我で済んだ。
工場の方まで戻る道は、この世のものとは思えなかった。瓦礫と死体の山を飛び越え、
やっと工場があった場所まで戻ってみたが、もはや工場の面影はみじんもなかった。
私はガーディを探して、瓦礫の山を掻き分けた。無駄だと分かっていても、死んでいてもいいから、
大切な相棒のガーディを一目見たかった。
結局、相棒を見つけることは出来なかった。だが、今思ってみると、あいつは私を助ける
ためにわざと吠えて作業を中断させたような気がする。
あのとき工場にいて生き残った人に聞いた話だが、ガーディは私を移動させたあと、
まるで何かを守るかのように入り口に座り、動かなかったと言う。
あれから60年。私が勤務していた工場があったとこは今、野球のグラウンドになっている。
子供達の元気いっぱいのプレーを見ながら、私は相棒に思いを馳せる。
私がお前の方に行く日は近い。そっちに行ったら、またよろしくな、相棒。