夜も更けた頃。
町の一角にある洋館。ところどころ古びた石造りの壁、葉もつかず立つ木々
は月におどろおどろしく照らされ、オバケ屋敷と呼ぶのにふさわしい風情があっ
た。
そこに連れだって入る者がいた。
紅い服に漆黒のツインテール。人形のように整った顔立ち、人形のようにか
わいらしい姿。しかし人形のように表情を変えないその少女は、この館の主
『アシュリー』。
その手に連れるのは、二頭身の赤い悪魔、『レッド』。
二人は先ほどまで魔法を成功させるため、材料探しに出かけていた。曲がり
角で出会った白いモヤシみたいなヤツ。アシュリーはそいつを材料にすること
を望み、頼まれたレッドはしかしつかまえることができなかった。
そしてアシュリーは言った。
「だってレッドがいるから」
レッドは震えていた。
(……オレ、材料にされてしまうんやろか……!?)
あれから一言の会話もない。だからあの一言がどんな意味を持っていたのか
わからない。言葉の通り、レッドを材料にするつもりなのだろうか。
(いや、そんなことはないはずや……)
レッドは思う。自分は今までアシュリーの為にいつも必死に材料を集めてき
たのだ。そんな仕打ちはあり得ないはずだ。それにアシュリーは魔女の必須ア
イテム「マジョルカ・スープ」を作るのに一生懸命だ。レッドを材料にするよ
り、材料を集めさせた方が合理的に決まっている。だからレッドを材料に煮込
んだりするはずがない。
(そうやな……オレが考えすぎたんやな……)
そう、アシュリーは一生懸命なのだ。その証拠に、今だって出かける前の失
敗も気にせず真っ直ぐマジョルカ・スープの鍋に向かっている。鍋に水を張り、
ガスに火をつける。流れるような作業。そのさなか……なぜか、レッドの手を
離さないままだった。
「……なあ、アシュリー……?」
アシュリーは、つまんでうごかすのが得意。だからレッドが疑問の言葉を言
い終えるより早く、つまんでうごかし、鍋にたたき込んだ。
「ぎ、ぎゃああっ!?」
驚きが悲鳴となって外に出た。しかしアシュリーはそれに躊躇することはな
い。つまんでうごかすのが得意なアシュリーの鍋をかき混ぜる手は巧みで、は
い上がろうとするレッドの動きをことごとく回す流れに巻き込み翻弄する。
「ア、ア、アシュリー!? なにするんやーっ!?」
アシュリーは答えない。わずかに口元をへの字に曲げるだけで表情もなく、
黙々と鍋をかき混ぜる。その動きに翻弄されながら、しかしレッドもまたつま
んでタッチの達人だ。かき混ぜ棒をつかんで流れを止める。
「No,No」
「いやNo,Noやなくて……」
そして二人は見つめ合う。アシュリーは口数が少ない。だから微妙に会話が
通じず、レッドは見つめ合うことでいつもアシュリーの意をくんできた。
(そうや……見つめれば伝わるはずや……)
じっと見つあう。赤い紅いレッドを見つめるアシュリーの瞳。吸い込まれる
ように深いその瞳に、感情は感じられない。そんなアシュリーだから、友達が
なかなかできない。しかしレッドは違う。彼にはわかる。見つめ合う今、確実
に心は通じ合っている……!
(そう、愛……アシュリーには愛がたりないんや……オレの愛を感じてくれや、
アシュリー……!)
仮にも悪魔が愛とか言ってるのは痛いことこの上ないが、それほどにレッド
は追いつめられていた。だってそろそろ湯加減がレッドゾーン。このままでは、
煮立つ。
そして、アシュリーに動きが生まれた。
「アシュリー、わかってくれたか!?」
動きはやはり、つまんでうごかす動き。懐から出した赤いものを次々と鍋に
投げ込む。
「なんや……?」
投げ込まれたのは、世界最強の辛さを誇る唐辛子・ハバネロ。
瞬く間に鍋の中は赤く染まる。湯加減も同時に急上昇。レッドゾーンはあっ
さりと突破だ。むしろ加速。暴君ハバネロ大暴れだ。
「熱っ! そして辛っ!」
愛が足りないとレッドは考えていた。心が通じ合っていると信じていた。し
かし、アシュリーは、
「赤が足りないとか考えとったんかーっ!?」
「Excelent!」
レッドの叫びをアシュリーの賞賛の声が迎える。声が弾んでいる。とても楽
しそうだった。
レッドは身体がピリピリと痺れてくるのを感じていた。ハバネロの辛さが染
みてきているのだ。とくにお尻周辺がひどい。この後トイレに入る機会があっ
たなら、きっとホットな体験が出来ることだろう。
意識がぼんやりとしてきた。レッドはもう、アシュリーのかきまぜる棒の動
きに抵抗できず、ただ流れに身を任せていた。
(ほんとにオレを煮込むつもりなんか……友達やなかったんか……?)
走馬燈のように過去の記憶がよみがえる。
山に材料にとりに行かされたあの日。必死に山を登るレッドを後目に、アシ
ュリーは麓でずっと待っていた。
海に材料を取りに行かされたあの日。ひたすら海に潜るレッドを後目に、ア
シュリーは浜辺でずっと待っていた。
空に材料を取りに行かされたあの日。非情にも大砲で空に打ち出されるレッ
ドを後目に、アシュリーは野原でのんびりしていた。
(友達や……なかった……んか……?」
客観的に見てパシリだった。
「いいかげんにせんかーっ!!」
ついに、と言うか、ようやく、と言うか。レッドが切れた。
「さっきからなんなんや!? こんなムチャクチャな手順でマジョルカ・スー
プができるわけないやろっ!? こんなん魔女失格や! あほうっ!」
ピタリ、とアシュリーの手が止まる。顔を伏せ、その表情は前髪に隠れ伺い
知ることが出来ない。沈黙が降りる。聞こえる音はグツグツと煮える鍋の湯の
音。その様子に、レッドの心に罪悪感がぐつぐつとわき上がる。ちなみに自分
の身体もぐつぐつと煮立ちつつあるが、ハバネロのせいもありその辺の感覚は
麻痺しつつあるらしい。ヤバイ。
(そうやったな……アシュリーはいつも一生懸命やったよな……)
そうだった。マジョルカ・スープを作るため、いつも真剣でひたむきだった。
だからレッドはアシュリーを助けたいと、少しでも力になりたいとがんばった
のだ。
今日は確かに材料を逃してしまってがっかりしていた。だからといって無意
味にこんなことをするアシュリーではない。なにか理由があるはずだ。しかし
どんなに考えても、レッドにはわからない。熱さもわからなくなってる。ヤバ
イ。
「言い過ぎてごめんな……でも、どうして……どうしてこんなことするんや、
アシュリー?」
静かに問いかける。レッドは強く、強く思う。この無口な少女の想いを知り
たい。もしマジョルカ・スープを完成させるためなら、この身を捧げることも
厭わない……そう、レッドは決心した。熱さで思考が沸騰している。ヤバイ。
「だって……」
ようやく、アシュリーの重い口が開く。固唾を呑んで見守るレッドは、もは
や熱さも感じない。ヤバイ。
そして、アシュリーは、
「だってアシュリーだもん」
そう、一言で答えた
アシュリーの顔を占めるのは、とても爽やかな笑顔だった。爽やかでありな
がらレッドをぞっとさせずにはいられないその笑みは、あえて言うなら「地獄
のように爽やか」とでも言うべき笑顔だった。
なにか致命的な勘違いをしているとレッドは思った。煮立った頭をそれでも
フル回転して考える。
レッドの知るアシュリー。彼女は無口で、怒ると恐い。そして今、自分は…
…恐い。つまりアシュリーは怒っている。
(ああ、そうか。ようやくわかったで……)
やはりあの材料を逃した自分のことを、アシュリーは怒っている。
そしてアシュリーはそんな自分に「だってレッドがいるから」と言った。
怒っている。そしてレッドのことが必要。つまり、つまりコレは……
「材料が手に入らなかった腹いせかーっ!?」
「Cool!」
「涼しかないわーっ!!」
微妙にずれたレッドのツッコミなど意に介さず、アシュリーは手当たり次第
に材料を放り込む。会話になっていない……そう、怒っているアシュリーは、
初めからレッドとまともに会話するつもりなどなかったのだ。
「ジャガイモニンジンなんて入れて、オレはカレーかい!? だからってイモ
リはやめい! ヤモリもやめてぇ! お次は野菜の切りくずに魚の骨って……
もはやなんでもいいんかいっ!?」
絶叫がこだまする。
それはお化け屋敷のような洋館に相応しい声。しかし、お化け屋敷のような
洋館に相応しくない賑やかさでもって、今日もアシュリーの家の夜は更けてい
くのだった。
Fin