1 :
名無しさん、君に決めた!:
32ビットなら
スーファミ移植だともったいねーっつの
グラフィックSFのまんまでいいからシナリオ増やせよ
で?
ここでお前が朝っぱらからクソスレを立て
ギャースカ騒いで何か変わるんですか?
つうか据え置き機はクソゲー連発で最悪。
もう携帯ゲームにしか期待できない。
そうだね。グラフィックのレベルの高さは、V-Rally3とかで証明済みだし、
最大256MB(金かかりすぎか?)まで作れるんだから、さらなるグラフィックの
強化と、リメイクにしてもシナリオを増やして欲しいよな。
それに、懐かしの擬似3Dで遊べるゲームなんて、探したって無いしね。
一応、最強の2Dマシンなんだけどね・・・SSを除いて・・・
>>4 下手に大容量なCD-ROM型メディアになってしまったのが原因かと…
カートリッジタイプのソフトはデータ量で押すのが難しいから。
とかこの手の話は数多ある検証サイトで既出だな。我ながらつまんねーや。
類似スレあるんじゃないか?
そんなどうでもいい事を検証するサイトなんかがあったとは
9 :
名無しさん、君に決めた!:03/08/30 19:37 ID:MpGsFKr/
FF6のグラフィックレベルでシナリオ倍の
新FF希望
そんな長いと疲れるな。
新薬に相当頭にきたんだな
>>1よ。お前の気持ちは痛いほどよく分かる
お前は歳をとり過ぎたんだよ・・・
12 :
1:03/08/30 21:08 ID:MpGsFKr/
いや まだ大学生
何か知らんが、わからん気がしないでもないのでageてみる
15 :
名無しさん、君に決めた!:03/09/12 04:19 ID:ewe1Be+g
ドラゴンハンターってなんのハード用に出てるゲーム?
PS1で2D物出すぐらいならGBAで出せや
= hearts ;
& hearts ;
テスト
激しく同意
グラフィックにそんなに拘る必要なし
解像度が理解できてない
>>1 本腰入れて作ったら開発費がかさむと理解できてない
>>1
ここで日記書いていい?
グラフィックで完敗してる時点で商品価値は無いんだよ
幼少時は初孫ということもあり周りからとても大事にされていたという。
特に祖父。実の娘である母とはあまり仲が良くなかったが、
それでも盆や正月になると帰ってくるように電話をよこしていたのは、
よほど孫の私に会いたかったからなのだろう。
物心付く頃、親と遊んだ記憶があまり無い。
両親は二人とも働いていた。私を迎えに来るのは決まって母親だったが。
父と母が顔を合わせれば必ずといっていいほど口論が始まる。
少なくとも、小学校に上がる少し前から仲がこじれていた。
喧嘩しているところしか覚えていない。
小学二年生の頃、両親は別れ、
私は母に引き取られた。その後、田舎の実家に移る事になる。
理由は分からないが、祖母はよく母と言い争いになっていた。
母のいないところで、母の悪口を言っていた。
聞きたくない。でも、話しを聞かないと祖母はすぐ癇癪を起こす。
弟の目の前で、そんなことを口に出さないでくれ。そう言っているだけなのに、
適当に口実を言って抜け出す頃には、もう話が分からなくなっている。
暫くして、私達は実家を出てマンションに住み始める。
獣医師の免許を持っていた母は同じマンションの一階を借り、動物病院を始めた。
帝王切開や、夜中の急患など、人手が足りないときは早朝まで付き合わされたことも合った。
イヤでイヤで仕方なかった。
ほんの雑用をやらされただけでも、時間を縛られているようで、煩わしかった。
仕方ないって分かってるけど、当たり前のようにやらされるのは、もうウンザリだった。
隊長!地下スレでこんなん発見しました!
下がってきてるようなので再びジャクー
中学の頃。学校という狭い社会の中で私は浮いた存在だった。
原因の一つは移ってきて五年も過ぎているというのに、いまだにそこの方言に馴染んでいなかった事だ。
聞き慣れない共通語は周りに冷たい印象を与えたのかもしれない。
(私自身がそこに馴染む事を拒んだためだが)
地区の関係で小学校で一緒だった人も少なく、理解してくれる人はもっと僅かだった。
集団は自分達と一致しないもの、違うものを排除しようとする。
「東京弁喋ってみてくれへん?」
ある日、同学年の女子からいきなりこう言われた。
教室のいたるところから小声や忍び笑いが聞こえる。
私は暫く周りを見回してから、何を話せばいいのかと聞き返した。
一瞬相手は呆気に取られたように「え?」と漏らし、黙ってしまった。
「喋れって言われても、あなたに話す事何もないし。
……ついでに言っとくと、東京弁なんてないから」
立て続けにこう述べて私は席を立った。
引き戸を開けたとき、背中に痛いほど周りの視線を感じた。
それから私はますます孤立していった。
一年の頃は、上級生からからかわれたり、スカートをめくられたり、
シャツにマジックで落書きをされたり。…殆んどいい思い出がない。
進級してからもそうだった。今度は下級生からも嫌がらせを受けるようになったのだ。
「〇〇さ〜ん」
「〇〇ー、こんにちはぁ」
私と話した事すらないのに、私のことなど何も知らないくせに馴れ馴れしく話しかけてくる奴ら。
振り返ったり、挨拶返したりしてはいけない。結局笑い者にされるだけだった。
このころから親との関係はもっと悪化していた。
家に知らない男が上がりこむようになった。
私が意見を言ったり、口を挟んだりすると子供は黙っていろと怒鳴りつけられ、
自由に口を利くこともできなかった。圧迫されているようで窮屈でしょうがなかった。
転機になったのは夏休みの少し前。
親が酔っ払って家に帰ってきた。ちょうどテスト前で勉強していた私は、
一緒にラーメンを食べに行こうと言われ、丁重に断った。
あの時止めればよかったと、心から後悔する。
夜中、家に警察が来てこう言われた。道路の真ん中にあなたのお母さんの車が止まっていると。
危険な状態で、交通事故を誘発するかもしれないから、事情を聞かせてくれと。
親の携帯に掛けても繋がらない。私は代理として現場に赴く事になった。
そこでは車を動かす事ができないまま、交通課の人が頭を抱えていた。
色んな人たちに迷惑をかけている。こちらとしては手早く退けてしまいたいのだと。
恥ずかしかった。耳が痛かった。レッカーを動かすのには親戚などの近しい成人の判断が必要だという。
近くに住んでいるのは祖母くらいだ。言われるまま私は電話番号を話した。
警察の人は私を気遣ってくれた。もう深夜を過ぎた時のことで、雨も降っていたし、部屋には弟しかいなかった。
翌朝、帰ってきた親に昨日あった事をすべて伝えた。
車がレッカーに引っ張られていった事、祖母に電話を掛けた事。
車で出る前から酔っていたこと――親と男はここに反応して私をなじった。
せっかく飲酒運転で捕まらないように隠れていたのに、これでは意味がないと。
……現場を見たのかと訊ねた。男の方が代理で行ったという。
「もう15なんだから、言っていいことと悪いことの区別ぐらいつくやろが」
こういう都合のいい捩じ曲げた考えを子供に押し付ける大人が大嫌いだ。
家に客を迎えるとき頭を押さえて礼をさせたり、バスの運転手にありがとうございますと言いなさいと言ったり。
その矛盾を子供に尋ねられたら、親は何と答えるのだろう。
そのときやっと気付いた。ここには何もない。
おかしくて笑った。それでも親に何かを求めていた自分に。
家を出たのはその秋の事だった。