斉藤茂吉の
のど赤きのど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
の解釈がわからん
教えてくれ
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 22:16:31 ID:HvEhSgpo
ツバメがいて、お母さんが死んだんじゃないの?
3回読むと涙が溢れそうになる。
こぼれないように空を見上げるとツバメが
まったくダヨナ。
学問系板で、単発質問を立て逃げとは嘆かわしい。
自分で考えるのが勉強だぞ、1。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/06(日) 13:47:05 ID:ezjn1/5x
下がったので、あげます。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 12:34:55 ID:9QtdWBbd
どこで尋ねたらいいんだろね。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 02:07:46 ID:4l1KVpJs
こういう事に関心向く場合もあるから。スレ詠み内心でLinkやブックマークしだすという。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 15:40:44 ID:Q8Xu8MWs
下がったのであげます
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/23(水) 14:05:00 ID:I/btYyvX
夢ニ的色彩の短歌。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/25(金) 13:34:49 ID:zGJvHZTo
屋梁にいる燕は見えない、まして喉の赤さなど見えるはずがない
だから餌を待つ燕とは幼子だった自分たちの比喩
と同時に屋梁は母が昇る高処を暗示している
つまりこの歌はダブルイメージのレクイエムだと思う
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 12:51:18 ID:GiRSPZg6
以下は教科書的かもしれないが…。
ツバメは象徴や比喩ではないと思う。
むしろそういったレトリックの届かない、眼前の事実として眺められている。
ツバメがいることは、文学と関係ないし、ツバメを眺めてる人間の気持ちと関係ない。
そのように、いかんともしがたい事実として、母の死がある。
だけど、一応、無力ながらタラチネとかタモウナリとか、私は書くのであります、
みたいなことでは?
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 17:14:42 ID:xV++MWwr
ほんとうは母を看取りながらツバメを眺めるのも歌をつくるのも不可能だ。
なのに歌ってるんだから作歌上の技巧はやっぱりあるんだよ。
上の句は個人の恣意的なイメージ、下の句は実際の事柄。
赤いツバメが感覚的メタファになってるから、なんの関係もない組み合わせが結びつく。
現代短歌ではありふれた技巧です。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 17:15:13 ID:fUIF7p1v
写実をメタファと読んでしまうのは、過剰解釈による誤読の典型。
書かれていないことを付け足しちゃうとそうなる。
だがそれも読書の愉しみではあるだろうな
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 17:36:02 ID:O9m8erVv
では写実でもって解釈して欲しい
母親のそばにいては屋梁のツバメは見えっこないという
そこんとこヨロ
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 21:10:14 ID:fUIF7p1v
どこだったか忘れたが、東北の寂れた無人駅から少し歩いたところに、「牛女」などの有名な童話作品などと、茂吉の作品を展示している文学館がある。
私の記憶が間違いなければ、そこに茂吉の生家があったと思う。
気になるなら行ってみろ。
一般化して言うが、昔の日本の農家で、二代続けて医者にするほどの家であれば、質素なたたずまいながらもそれなりの大きさがあり、土間があり、馬や蚕が一緒ひとつ屋根の下に住んでいた。
今のアパートや建売住宅とは異なり、ハリは家の中から見える。
作者は母の死を看取り、あるいは母の死を知る。
短歌から伝わってくる衝撃の強さから思えば、おそらくは看取っただろう。
その衝撃は彼に安易な抒情を許さないほど、深いものだった。
悲しみに洗われた曇りない目を、ふと天井にむけると、そこに喉の紅いツバメがいた。
書かれているのはそこまでで、それ以上はなにもない。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 21:28:18 ID:fUIF7p1v
待てよ。
それ以前に、もしかして軒とハリを間違えてるんじゃないのか?
とりあえず辞書ひけば?
いずれにしろ、誤読が読書の愉しみであることは間違いない。
私はたんに教科書的なことを述べてるだけだ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 21:29:17 ID:O9m8erVv
嘘つくな
臨終近い病人を梁の見えるような部屋に寝かすわけなかろ
2匹しかツバメの子がいないのが見え
おまけに喉まで見えるわけなかろ
>悲しみに洗われた曇りない目を
偉そうに見てきたみたいに書くなよ
おまえはエスパーか
>>19 お前こそ見てくりゃいいだろ?
ちょうど正月だし、行ってこいよ。
茂吉の生家。
ところで、ついでに聞くが、なんで「燕の子」なんだ?
茂吉がどんな燕を見ていたかは知らんが、私の知っているところでは、
燕のひな鳥の喉は赤くないぞ。
もしや口の中のつもりかもしれないが、それももちろん黄色い。
燕の喉が赤くなるのは、成熟してからなんだが、この歌の燕が
雛であると考える理由が何かあるのか?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 20:03:51 ID:PsQZKfM4
一生考えるように
理由がないなら誤読だな。考えるのに一生などかからない。
だが簡単な話だよ。
ルノアールが描いた葡萄を見て、手榴弾の隠喩だ、と言われれば付き合えない。
しかし、自分は手榴弾のことを連想させられた、と言うなら、ソウデスカ、となる。
ただそれだけのことだし、短歌のなかの燕から何を思おうが、それは人それぞれだ。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/31(木) 12:08:26 ID:azHH0oWk
だいたいツバメの成鳥が屋内の梁にとまってる、つまり飛び回ってる家などありえんだろが。
茂吉にとっては「喉の赤」を歌のなかに現出せしめればそれでよかったのだから
つまりは幻視してるんだから極端に言えばモノはなんでもいい訳だ。
25 :
fhaircut:2009/12/31(木) 16:19:57 ID:BE1zIZSI
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>>24 悪いとは言ってないよ
俺はそういう奴は下に見る
個人の感想
〉屋内か、軒下か
そこはオマエが正しく、私が誤読しているのかもしれない。
軒を支える横木もハリと呼ぶからな。
良いお年を。
だが、雪国の屋根は深く張り出しているから、障子を開ければすぐ見えたかも知れないし、すでに書いたように、古い民間なら屋内のハリに燕がいても別に不思議ではない。
そこは真面目な話、茂吉の家に行って自分の目で確かめるのが正しい読書だと思う。憶測ではどうにもならないし、歌からは読めない。
私はたぶん、いつかもう一度行ってみるだろう。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
つ、つばめさんが二羽、うちの梁にとまってるんだな。ノドの赤いのは、じっそうかんにゅうの結果なんだな。
も、守谷の家はつばめさんが来るから栄えるって、言われたとき、
み、みんなうれしかったんだな。で、でも、ぼ、ぼくを産んでくれたお、おかあさんは死んでしまうんだな。でもって、僕はつらいんだな。