翻訳で詩を読む絶望感

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1名無しさん@お腹いっぱい。
フランス語なんて分かるか!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 18:24:17 ID:bZBCkmWs
私は一応,フランス語が読める。
でもこのスレタイには深く共感するなぁ。
少年時代に柳村,荷風,大学らの訳詩集を読んで,
同じ詩がぜんぜん違う詩風に訳されていたのが
フランス語を学びたいと思ったきっかけのひとつだった。

英語ドイツ語その他は怠けていたので,詩もよく把握できない。
(散文的なレベルで意味が取れても,単語の重みや文体の性格など,
伝統になじめていないので,よくわからない感じが強い。)
かといってゲーテやポーの仏訳(ネルヴァル,マラルメによる)を
読めば雰囲気がつかめるかというと,ぜんぜんつかめない。
仏訳も英語ドイツ語の原詩の韻律までは再現できない。
(逆にフランス語の詩の英訳・独訳も何か別物になっている。)
だから英語やドイツ語の詩は和訳がいちばんしっくりくる気がする。
ロシア語やアラビア語やラテン語や古典ギリシア語や
その他あらゆる言語の詩は原語で読めなくて無念きわまりない。

けれども,日本は翻訳大国で,詩に限らず
世界文学のほとんどがとりあえず翻訳されている。
しかも主要作品には複数の翻訳がある。
フランスではいちど翻訳されると,
まぁ滅多に新訳は出ない。
仏訳ポー全集はいまだにボードレールとマラルメの訳だ。
(それに校訂者が注をつけて誤訳を糺す形式。)
それに比べると,複数の翻訳がありふれている日本は
本当に翻訳天国ではないかと思う。
「星の王子様」が十種類(以上か?数えていない)もある国は
世界中で日本だけだろう。これは幸いなことだと思う。
3名無しが来たりて笛を吹く:2007/09/20(木) 05:01:23 ID:h/VHy5hv
星の王子様の翻訳が多いことは私は災厄であるとさえ思う。
古典ギリシア語とラテン語は読めるが、
フランス語は未だに読めぬ。今生では無理。
しかし日夏訳の大鴉を読める悦楽はアメリカ人には分るまい。
ざまみろ、と思う。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 05:53:59 ID:0X8yK0Ik
あぁ,例が悪かったかな。
5名無しかへらず:2007/09/20(木) 21:40:16 ID:de5UcLOT
翻訳は孫悟空の分身のようなもので我々の眼を本体から逸らさせる
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 02:04:11 ID:3Gl3Dti0
詩って、外国語として考えると、
言葉で作られるものの中で一番難しいと思うんだよね。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 15:07:26 ID:CYPYjK1n
>>1
音ではなく、意味にこそ普遍性が宿る。韻律は翻訳できない。
無意味な作品に価値を見出している日本の現代詩人も再考する必要があるねw

>>6
哲学書も難しいけどね。
ただ哲学書の場合は意味を伝えられれば、言い回しはさして重要ではない分だけ詩よりは翻訳しやすいか・・・
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 00:34:52 ID:rHOizgV6
>>3
いまやその悦楽、日本人にも怪しいぞ。

むかし荒涼たる夜半なりけり いたづき羸れ黙座しつも
忘卻の古学の蠧巻の奇古なるを繁に披きて
黄ねいのおろねぶりしつ交睫めば 忽然と叩叩の款門あり。
この房室の扉をほとほとと ひとありて剥喙の声あるごとく。
儂呟きぬ「賓客のこの房室の扉をほとほとと叩けるのみぞ。
さは然のみ あだごとならじ。」
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 08:04:24 ID:YP0ppbCJ
>>8
こういう明治の中途半端な文語文って、漢字が読みにくくて叶わん!
普遍性はない!
10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 11:12:53 ID:Oh4vvF8Z
翻訳じゃなくたって詩を読むのに絶望はつきもん
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 11:14:55 ID:wrp89+e6
まぁ,読みにくいのがあるとしても
翻訳が豊かなのはいいことだなー。

ある詩人はこう訳した:

  薄絹(すずし)の空を金色(きん)で繍(よそほ)ふ
  おゝ,光輝(かがやき)に充ちた我らが欣(よろこ)びよ。

同じ詩を,別の詩人はこう訳した:

  おうさんらんたるわれらのよろこび
  うす絹の空中に黄金(わうごん)もて織り出された!
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 02:06:35 ID:T1VJZHdP
>>9
明治の文語訳より始末が悪い、日夏の名訳さw

儂は言ふ「預言者よ凶精よ しかはあれ儂が預言者よ 禽にまれはた妖異にまれ
人界をたち蔽ふ上天に是を誓ひ われ等両個を崇拝するかの神位に祈誓ひて是をまをす
哀傷を荷へるこの魂は 杳かなる埃田神苑に於て、
天人の黎椰亜と呼べる嬋娟しの稀世の佼女これを獲べき歟 、
天人の黎椰亜と呼べる嬋娟しの稀世の佼女これを獲べき歟。」
大鴉いらへぬ「またとなけめ。」
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 03:13:57 ID:I2Y9W3Iz
>>12
漢字の三分の二読めんw
ほとんど、この時代のみの読み方なのでは?
まあ、現代文へ至る過渡期の文章でしかないな・・・
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 00:19:51 ID:VDyceBzH
黄眠堂の訳詩はあれでいいんだ。
こんなとこで愚痴る前になんで辞書引けないかな。

>>13 当時でも古臭かったんだよ。
過渡期どころか当時の現代を否定していたし,
未来も否定していた。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 02:44:56 ID:iYAaO8Cm
その通り

選者(きみ)よ かかる麗人(あてびと)たちの いず地ゆきけん
その跡な ゆめ 問うなかれ 永遠(とことわ)に
この返歌(かえしうた) 思い 出でずば
さもあれ 去年(こぞ)の雪や いずく

ヴィヨンのこの返歌を

ふるとしの雪やいづくとあざかへし
このとしこの日跡とふなゆめ

って訳しちゃうんだからw
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 03:03:48 ID:iU4mflmt
>>15
あまり、こういう訳に親しまない方いいよ。
このリズムや語彙が染み付いて、もっと現代的な自分の詩が書けなくなる。
これ実体験w
17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 19:02:30 ID:bgpM5lpc
加齢臭が漂うスレですね
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 23:08:14 ID:t+GxyYxL
柳村や黄眠堂は高校生で読むものだろう。
ああいう修辞にのめり込むのは若いんだよ。
19名無しかへらず:2007/09/30(日) 16:53:32 ID:rxZ7diDT
詩は修辞だ!
卒業した気分になるのはいちばん詩的でない行為だぞ。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 01:00:08 ID:+QQLupDK
>10がFAだろ。
でも翻訳詩っていう悪趣味を趣味とするのも悪くない。
フランス詩なんぞ原文で読んでも大して変わらんよ。
原文と翻訳と両方読めば解決。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 20:11:58 ID:LGR+N98D
古典ギリシア語をゼロから学ぶネット読書会
この機会にギリシア語の叙事詩を原書で読めるようになろう
http://9001.teacup.com/anabasis/bbs
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 00:51:29 ID:ryq8oCSD
ここで the Raven の読書会でもやるか?
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 21:42:33 ID:dhG/+Nc4
翻訳も創作
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 03:41:27 ID:yqpEyWBv
山のむこうの遠くの空の下に
さいわいという名の怪物が住んでいて
暴れているという話なので
自分は人といっしょにとめに行ったが
途中グミの枝で目を刺して
涙を流しながら帰ってきた
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/08(木) 00:53:57 ID:BrMYf8K7
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 23:00:48 ID:7puE6fvb
>>1のような感情を堀内大学などの翻訳の先人達も抱いていたかも
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 03:06:50 ID:YXV/p1UA
山の穴 他の空 遠く
幸す 無と非との畏怖
唖 哀れ 火と都 止め湯 着て
並ダサ詩組 返り着ぬ
山の穴 他の空 遠く
幸す 無と非との畏怖
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 17:49:10 ID:F7H38a7z
取り敢えず詩読んでるとフランスに生まれたかったとは思うわ
映画見ててもだけど・・・
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 19:06:22 ID:h2/vHRQO
外国の詩は翻訳ももちろんだが、原語で読んでもぴんと来ない。
英語だけだけど。なんか自然観が違うんだよな。どこがいいのか、1,2を除いて
分からん。英米人には逆に万葉集以下日本の詩は詩じゃない、見るべきはない、そうだ。
30鬱(-_-)ノシ:2008/01/07(月) 07:57:42 ID:Z24PliEE
詩の翻訳はInfoseekがいちばん。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 19:01:58 ID:ii3pMpe3
詩歌みたいな短文を読める程度の文法知識はすぐ身につくんだけどねぇ。
鑑賞するってレベルになると…

とりあえず、英詩あたりから読もうぜ
32名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 00:54:50 ID:n99Ju1cx
翻訳を通して詩が新たな輝きをもつということもあると思うんだけど。
アーサー・ウェイリーの訳した漢詩とか。
33名無しさん@お腹いっぱい、:2008/02/04(月) 04:15:25 ID:T6dC0UhU
いや、詩の場合、韻律の必要から語順が入れ替えられたりしてるし、
省略も多い・・・
文法を捕えるだけでも一苦労で、
短いから読めるなんて生易しいものじゃない。
34名無しさん@お腹いっぱい、:2008/02/04(月) 05:24:00 ID:T6dC0UhU
>>27
星新一の訳(うろおぼえ):
山の向こうでサイワイという名前の怪物が暴れていると聞いたので、友人と止めにいったが、途中でグミの枝に目を刺されて泣きながら帰ってきた
35名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 00:05:50 ID:3VwT19jL
>>34
>>24
36名無しさん@お腹いっぱい、:2008/02/05(火) 10:46:41 ID:3GFzDTmS
>>35
確認を怠りました。多謝。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 19:46:02 ID:I7kwZQEW
翻訳のヴェルレーヌ詩集買ったら
詩は韻が第一みたいな詩が見つかって
翻訳で読むのバカらしくなった
38名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 21:36:31 ID:Nuw9cP0w
ここ↓へ直行するんだ。
http://poesie.webnet.fr/auteurs/verlaine.html
39名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 04:53:34 ID:h4tdgPtv
音韻の問題と単語のダブルミーニングの問題があるから難しい
40名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/25(火) 14:20:01 ID:JMfn6z5f
古典和歌を翻訳で鑑賞することは絶望的だな。
鑑賞したつもりにさせることもできない。
41子猫のソテー:2008/03/25(火) 21:11:41 ID:4Z4qJUyt
>>39
作者自身の意図したダブルミーニングなのか、
読み手の文化的・背景的知識の欠如による迷いなのか、の問題もある。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 14:18:18 ID:xtZX4C69
世界観が違うから。
背景にあるキリスト教が、アニミズムの日本人には違和感あり杉。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 07:37:38 ID:hZl1WCZ+
青空文庫の神西清を見ろ。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 05:12:17 ID:Mo3DMgwB
原語で読みたきゃ学べばいい。
学ぶのが億劫なら諦めて好きな翻訳を読め。
上田、矢野、大学、矢野目、日夏などの訳詩は一粒で二度美味しいぐらいの
気持ちで読めばいい。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 17:08:27 ID:x+IvRGYX
確かに詩は翻訳できないよな
ギリシア・ローマの古典の詩なんかとくに
46名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:07:42 ID:nWdk29lc
お前ら、何か勘違いしてないか?
翻訳ってのは別の言語に変えるって事だぜ。
別の言語に変えることで失われるものがあるのは当然の前提だよ。逆に作品を広め、あるいは生き長らえさせるってところに翻訳の意義があるんじゃないのかい?
詩はそれを放棄するのか?
翻訳においてでも、感じ取れるもの、あるいは普遍的なものを拾い上げろよ!
オリジナルな言語でなければ、大事な部分が全部消えてしまうような作品なら、しょせん初めから翻訳する価値のない作品だよ。そんなもの読めなくてもよい。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 02:26:41 ID:9t1fNd9b
詩は翻訳できませn
48名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 10:08:33 ID:DFQArMLW
千年後に外国語(翻訳)でも読まれる詩を書けるのが天才
同時代でも、まともに読まれず、翻訳も不可能なのがWEB詩人の作品だなw
49名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/02(火) 12:48:31 ID:27QwbFC5
そのとお〜り、だと思うが。。
単語のダブルミーニングとか、文化的な背景の違いとかあげていたら
詩じゃなくても小説だってなんだって翻訳することが無意味になる。
翻訳詩は原典の感覚も味わいながら、それ自体がひとつの作品として 鑑賞することができる。
ただし、センスのない学者の翻訳はだめだ。外国語のできる文学者の訳詩がベスト。
俺はフランス詩はフランス語で読めないが、吉田健一訳のラフォルグはよかったな。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 15:40:06 ID:VEjBjEu7
詩は翻訳できないね確かに
51名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 16:44:59 ID:K6ZC5/6u
小説は翻訳できるの?
52名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 19:18:23 ID:zfjf65Cl
小説なり、その他の言語表現は翻訳できるとするなら、詩が翻訳できるかできないかは、作品によりけりで判断するしかないな。
要は、リズムや響きは翻訳できないが、内容は翻訳可能。・・・内容に詩が宿ってる作品は、一応、翻訳可能であらう。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 10:49:54 ID:3FqHji4Q
翻訳されても生き残れそうな日本の詩人って?
54名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 15:48:36 ID:3MhEvZr2
あげ
55名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 04:52:11 ID:LKNbBvJG
別の詩のところにも書いたんですが、↓のようなものは「詩」と言うので
しょうか?これどうやって訳すの?というか、訳すとどうなるの?

http://www21.ocn.ne.jp/~wdaniel/
56名無しさん@お腹いっぱい。

オデッセイの第2歌の集会の場面で演説するメントルだけど、
松平千秋訳の岩波文庫版オデッセイの巻末で本物の
メントルが出てくるのはこの場面だけと注がある。でも、
小生はその場面のメントルもアシーナがメントルに
化けていると思う。

理由は、オデッセイのフェイグルスの英訳で第二歌の300行目が
 Athena came to his prayer from close at hand,
となっているから。

松平さんの注は間違っていないかな?松平さんよりもフェイグルスの方が
ギリシア語が達者ではないかと思われるのだけれど…。