1 :
最弱視人:
2 :
最弱視人:2001/05/14(月) 15:55
文学板では論客として遠慮してましたが、
こちらでは忌憚なく自説を書かせていただきます。
ひとつよしなに(笑)
3 :
60:2001/05/15(火) 01:43
これはアゲた方がいいのでしょうか?
今のところサゲ進行でいいのかな。
私も掲示板を覗くのはそう頻繁ではないので、
気長にお待ち下さるとありがたいです。
それでは、どうぞ。
というより、私が何か話した方がいいのでしょうか。
4 :
60:2001/05/15(火) 03:20
それでは煽り半分、ネタ振りしましょう。
正直な話、「いわゆるぽえむ」を書いている人は、詩に酔うといった経験が
無いのではないかと思うのですよ。自分酔いはあったにしても。
小説を読んだことがあっても、文学が何か分かっているかは別問題なように、
詩を読んだことがあっても、詩に捕まる経験を得ているとは限らないですよね。
(彼らは銀色夏生や、音楽タレントの歌詞しか読んだ経験が無いかもしれませんが)
言葉の美しさに感銘を受けることは、詩を書く上で必要なことだと私は思うのです。
その経験が丸っきり抜け落ちていては、いくら努力したところで詩にならないのではないでしょうか。
さて、明日は書き込みができないと思いますので、よろしくお願いします。
5 :
kay:2001/05/15(火) 04:18
>4
どうも、あちらの板で50でした。
言葉の美しさというか、言葉の持つ力でしょうか。
いても立っても要られなくなる、心が騒ぐという経験があるかどうかで言えばあります。
映画であれ、詩であれ、真に素晴らしいものに出会った時に感動を覚える事は誰にでも有るのではないでしょうか?
自分の中から生まれてくるものを表現するのに、勿論経験や技巧は大事でしょう。
人に伝える事が前提であれば。
あちらで何方かが仰っていましたが、“詩”は、心の叫びであって同意を求めたり評される物ではないと
私は“詩”に、共感を求めたり、感想や評を求める事は決して間違ってはいないと思うのです。
それによって、切磋琢磨され自慰行為であったものが作品に昇華される、または他人の眼からみた自己の詩を改めて
見つめ直す、こういった作業によって、経験や技巧が磨かれるのではないかと思うのです。
現実の心の動きを表現する事に、言葉の美しさに感銘を受けるだけでは痛みや力は備わらないのではないでしょうか?
詩とは、美しさだけではない、心が無ければ人の感情は揺さぶられない、と思います。
歌の歌詞は、曲が無ければ成り立ちません。あれは、単体で読める詩ではないと思いますが・・・。
6 :
名前はいらない:2001/05/15(火) 04:52
詩とは不完全であるからこそ素晴らしいと思います。
非常に曖昧で、まるで一枚の絵(人生)をザクザクと切り取りバラバラ
に繋げたような不完全さ。
現実を見極める事は非常に難しく困難で、また辛いものですが
それを詩と言う不完全な形に置き換えることにより見据えることが
出来るのではないでしょうか。
人の人生とはさまざまなことを誤魔化し見ないようにして一歩一歩
進んでいるものだと思います。
人生を追求すると非常に辛く世知辛いものが見えて来るからです。
詩人とは言葉によりそれらをあえて追求し、しかし不完全とした詩に
昇華させるのです。
そして言葉とは不完全なものです。つまり言葉=詩
すべての言葉は詩なのでしょう。
生きる意味など必要ない、不完全だからこそ美しい。
7 :
最強詩人:2001/05/15(火) 16:11
先ずは 60 さんの言う、「いわゆるぽえむ」と「詩、ポエム」の境界を明確にしてみましょうか。
文学板からの流れで言うと、
詩あるいはポエム、もしくはその他の詩的体験を介さずに、単語を見た目の印象だけでそれらしく並べたモノ。
便宜上これを「いわゆるぽえむ」として良いのではないでしょうか。
ただし、このカテゴライズには、詩的体験が私的なものであるという事象が付きまといます。
「詩、ポエム」は詩的体験を経て、それに近づく為に研鑚を重ねられたモノ。としてみる事にしましょう。
では詩的体験とは如何なるものか、他所に書いた事の繰り返しですが、
書く事:
自己との対峙、言葉との対峙、そして他者との対峙。
コミュニケーションと意味との相克が現実として存在する事への対峙。
読む事:
詩との対峙、言葉との対峙、明らかに読み手との対峙。
描かれた(つまりは書かれたモノではない)意味との対峙。
自己の内面に生まれた感情との対峙。
が私の持論です。
ここには歴史は介在しません。あるのは "関係" だけだと思っています。
過去の詩を数多く読む事で体験し得る反面、そこに "関係" が生まれなければいくら読んでも無駄だと思うのは以上の様な理由です。
逆にひたすら書いたとしても、同様の帰結である事も明らかでしょう。
∴ 「いわゆるぽえむ」は "関係" を欠落させたテキスト
として以下の論を進めてみてはどうでしょうか。
8 :
イバラギノリコ:2001/05/15(火) 20:22
流れができる前にまずは持論を。
ひとつ。
詩を詠む(読む)のに詩の知識は必要か。
否。
詩は説明ではない、ましてや知識をひけらかす為にあるのではない。
情報量の誇示に詩情など無い。
ふたつ。
詩に良し悪しというものはあるか。
然り。
ただし、好悪・善悪・真偽を混同すること無かれ。
好き(嫌い)なものが良い(悪い)ものとはかぎらないのである。
みっつ。
ではその良し悪しを決めるものとはなにか。
普遍性と対話性である。
日記は詩ではない、手紙は詩ではない。
広く開かれてこそ、詩だ。
9 :
イバラギノリコ:2001/05/15(火) 20:22
>>4 >言葉の美しさに感銘を受けることは、詩を書く上で必要なことだと私は思うのです。
そうでしょうか。詩をまったく読まずとも、良い詩を書くことは可能だと思います。
たとえば、「岡真史」という12歳の少年詩人がいましたが、
彼が「言葉の美しさに感銘を受ける」という体験をしていたとは到底思えません。
しかし彼の詩は心に届く。技巧やロジックを越えた「普遍性」を持ちえています。
詩は経験や知識を必要としないと思います。
>>5 >自分の中から生まれてくるものを表現するのに、勿論経験や技巧は大事でしょう。
つまり、技巧は手段ということですね。
技巧を磨くことにのみ心血を注ぐ(目的と手段を履き違えている)現代詩人のなんと多いことでしょう。
>>6 >詩人とは言葉によりそれらをあえて追求し、しかし不完全とした詩に昇華させるのです。
それは「完全なるもの」を追求する姿勢にほかなりません。
詩を書くというのは真実(普遍性)の漸近線を辿る作業ということもできます。
>>7 >∴ 「いわゆるぽえむ」は "関係" を欠落させたテキスト
「閉鎖的な関係」も関係の喪失と同義に捉えても良いように思います。
たとえば、「わかる人にだけわかればよい」というのは一見もっともなようでいて、
安易に使われますが、それはただの自己欺瞞・自己満足でしかないと思います。
伝えようと努力すること、それを放棄したものは詩とは呼べないと思います。
10 :
じゃま:2001/05/15(火) 23:51
堅く連なる僅かな言葉の鎖を見つけ出し
そいつだけのために、詩を詠ってみせる。
言葉のために、講釈を垂れられては虫唾が走る。
綴られた紙を目で眺め、口から音を引きずり出す。
音を引きずり出す。
11 :
構造202136193.ppp.seikyou.ne.jp:2001/05/16(水) 01:04
>>8にちょっと疑問を感じたので失礼。
ひとつ。
>詩を詠む(読む)のに詩の知識は必要か。
>否。
>詩は説明ではない、ましてや知識をひけらかす為にあるのではない。
>情報量の誇示に詩情など無い。
まず、知識、情報は無論のこと誇示のためにあるのではない、
詩の知識は必要という問題ではない、例えを挙げれば
"文章を書くのに辞書は必要無い、しかしあればちょっと便利だ"
>ふたつ。
これには同意
>みっつ。
>ではその良し悪しを決めるものとはなにか。
>普遍性と対話性である。
>日記は詩ではない、手紙は詩ではない。
>広く開かれてこそ、詩だ。
詩とは対話を装っていたとしても常に一方的である。
つまり詩は"話"ではない。
問題はそれが到達するかどうか。
失礼しました。やはり絵画が対話だとしたら詩も対話です。
13 :
けむけむ@だれにともなく:2001/05/16(水) 22:41
BBSやチャットなどインターネットに関わる技術の発達により、私たちは、
パロールでラングするという事態を経験しています。否、ラングとしてのパ
ロールしか持たない、という事態を経験しています。
そのことの意義を、「すべての言葉が詩である状況」と呼ぶこともできるの
ではないか、と私は感じています。
私の感じ方では、インターネット空間そのものが、一冊の詩集です。
詩と詩もどきの区別の困難の一端は、私たちの経験している、この幸福
にあるのではないでしょうか?
14 :
けむけむ:2001/05/16(水) 22:44
長くてすみません。
言葉が本来的に他者を指向するものであることには賛成です。
他者を指向しない言葉はあり得ず、従って詩も、もしそれが
優れた詩なら、当然他者を指向しているはずでしょう。
しかし、「愛を含まない言葉は(詩の世界には)無い」というほうが、
より端的に事態を言明することになるのではないか、と私は思って
います。
現在、生物学も社会学も、さらには精神分析や多くの文学までもが
「愛」という言葉を含まずに構築されています。しかし、詩人にはまだ、
「愛」をどう扱うか、ということが、問われているのではないでしょうか?
小説家の言葉の引用で申し訳ありませんが、
「弱者への愛は常に殺意を含んでいる(安部公房)」
ことはここでも、据え置くとして。
15 :
けむけむ:2001/05/16(水) 22:58
>>4 60さんへ。
ここでは、「詩に捕まる」ことよりも、「言葉に捕まる」こと、
ありていに言えば「インターネットに捕まる」事の方が
本質的で興味深い状況なんじゃないでしょうか?
そして、インターネットでの表現は、私には今明確に理由を
説明できませんが、必然的に詩的表現を取ってしまうのでは
ないでしょうか?
16 :
鎌田:2001/05/16(水) 22:59
誌
17 :
最弱視人:2001/05/16(水) 23:18
>>14 全てを詩とするのは、大いに同意したい。
私の見るもの、触れるもの、感じるものは、すべて私の中で
詩に変換されて流れ込んでいる。
私はそういった具合なので、詩を何かと論じられても、
世界という単語が諸兄をつつみこんで当然の様に在る以上、
私も同じ事なので、論じる事すら無意味に思える。
私の生きる世界は詩なのだ。
そして私は時折はゆるゆると伝える為に書くのだ。
#てなぐらいの事が言えれば最高ッスね(笑)
全ての言葉が詩であるという状況は裏を返せば
詩がどこにも存在しないとも言えるのだ。
さて、ならばそのような砂をつかむとも泥を掴むとも知れない
状況の中に置かれている詩をああ、これはたしかに詩であると
認識させる事はおそろしくむつかしいのではないか。
だとすれば詩というものは力を持たねばならぬ。詩とも論ともつかぬ
無垢で世間知らずな言葉を力ずくで引っ張り出し、さあ、これが
詩でございますよというからにはともかくも読ませなければならぬ。
そのように口上を述べたものは騙したにせよすかしたにせよ
読ませてしまえば既に既にあとのまつりで詩なのだから。
19 :
60:2001/05/17(木) 11:30
他の方がいろいろ書き込まれているので、誰の話から繋いでいいのでしょう。
最強詩人さん、どうもありがとうございます。非常に分かり易くまとめて下さって、
漠然と詩を考えていた私も整理できました。ただ一点、納得いかないのは
∴ 「いわゆるぽえむ」は "関係" を欠落させたテキスト
という定義です。
現代詩のいくつかは「いわゆるぽえむ」の定義に当てはまってしまうので、
私なりの説明を、詩観と共に述べたいと思います。
詩とはもともと、他者を志向しないものであると思います。
厳密に言えば、詩を作る行為において、他者への意識は邪魔になるのではないでしょうか。
詩はその人間の魂の表れであるなら、それは究極的には他者への意識から解放された
ものでなければならないと思うのです。
詩は不完全なものであるとどなたかがおっしゃってましたが、不完全なのは言葉であって
詩ではないのではないでしょうか。そして他者を志向するのも、また言葉であって、
詩(少なくとも詩を作る行為)ではないのではないでしょうか。
詩人は多分、一般の人々よりも言葉を信じていないのでしょう。
不完全な道具(言葉)を用いて、自分の感情、世界を完全に言い表すよう努力されたもの、
それが詩ではないかと考えます。それ故に、詩においては多くの人々と共有する意味を含んだ語を自分固有の言語に変える作業が必要です。
言葉が持つ一般的な意味から抜け出るように、言葉を配置し、時に語を壊すことで、彼らの感情、世界を言い表すのではないでしょうか。
(例:冷たい炎、熱い氷など。陳腐な例で、すでに詩的ですらありませんが語の本来の意味を壊すわかり易い例として挙げます)
20 :
60:2001/05/17(木) 11:31
「いわゆるぽえむ」で使われている言葉は一般的な意味から抜け出るような努力が丸っきりされていないように見えるのです。
よって「いわゆるぽえむ」を言い表すなら、「流通している言語をその字義通りに用いた短い語句の繋がり」と言えますでしょうか。
(上手くない定義ですね)。
しかし、自分だけを志向しながらも、優れた詩は結果として、ある程度の普遍性を持つものだと思います。
固有性を煮詰めていくと、個々人の意識の底を抜けて、普遍性に辿り着くものではないか、
固有性を問い続けることが、固有性から解放されていくことでもあると思います。
私の詩論は個々人の意識は底の底で他の人々の意識と繋がり得ると信じている点で、
非常にヒューマニスティックではあります。
21 :
60:2001/05/17(木) 11:34
なんだか書きすぎてしまいましたね。申し訳ない。
頭が良くないので、ダラダラ書きすぎてしまうのです。
個人的にレスをしたい方がいるのですが、あまりにでしゃばりにも
なりましょうから、徐々に話して行きます。
22 :
(kau-a):2001/05/17(木) 14:13
詩とは自己であり
詩とは永久に辿り着けない境地である
>>13-15 けむけむさん
>>17 最弱視人さん
混同が見られると思います。
美しい風景を見て「ああ、これは詩的だ」と感動したとして、それは果たして風景を詩人と呼べるでしょうか。
この場合は風景を見た読み手が、風景に「詩を読んで」いるに過ぎないと思います。
24 :
最強詩人:2001/05/17(木) 14:24
>>19-20 60 さん
> 現代詩のいくつかは「いわゆるぽえむ」の定義に当てはまってしまうので、
これは確かに。ではこう書き換えましょう。
関係を拒絶する関係を含めるという意味合いにおいて、
∴ 「いわゆるぽえむ」は "関係" に無自覚なままのテキスト
>>9 イバラギノリコさんの指摘もこれで解消出来るかと思います。
60 さんの詩観についてですが、
言葉は不完全で詩は完全である(べきだ)という説は、あまりに理想論なのでは無いかと思えてなりません。
無論それを究極としてそれに近づく努力を、表現者は怠るべきではない。とした上で、
表現の "結果" を「詩、ポエム」と「いわゆるぽえむ」に峻別する事は、暴力的なカテゴライズではないでしょうか。
加えるに、他者への意識から開放され、作者の中では魂を完全に表現したとする詩が、
"独り善がり" に陥っていた場合、これは普遍性を持ち得るのでしょうか。
> 固有性を煮詰めていくと、個々人の意識の底を抜けて、普遍性に辿り着くものではないか、
> 固有性を問い続けることが、固有性から解放されていくことでもあると思います。
これに賛同出来るのは、表現者の意識の問題に踏み込んでいる為です。
つまりは "結果" で判断するのでは無く、
表現者のスタンスにこそ「詩、ポエム」と「いわゆるぽえむ」を分かつ境界が存在するのではないかと。
とまあこれは、書く側の問題であり、読む側の問題が棚上げされてる時点で片手落ちですが。
25 :
けむけむ:2001/05/17(木) 22:47
>>18 構造殿
BBSという世界の中では、私たちは「書かれた言葉」で「会話」しているのです。
あなたが今読んでいるこの文字列は、一種の「声」と言うべきものです。
従って、徹底的に意図された「書かれた言葉」によって、かっちりと書かれた詩が
ここにあったとしても、本当のところ、それは一つのパロディとして存在している
に過ぎません。
本当の意味での「書き言葉」は、ここ(インターネット空間)にはたぶん有り得ない
のです。そのことに対する苦悩はありうるとしても。
この破壊的な状況に立ち会える事を、私は幸福と呼びます。
明治の詩人たちが目撃した「話される言葉」と「書かれる言葉」のセメギ会い
の最終段階に、いま私たちは立ち会っているのだと考えているのです。
あなたが、「伝達の双方向性」ないし「コミニュケーションの濃度」に近似する
概念を用いて、この板で起こっている事の問題を把握しようとされたのであれば、
私達の間に一定の会話が成り立ったと考えてよいのではないかと、私は思っている
のですがいかがでしょうか。
ところで、この状況を「詩がない」状況とみるか、それとも「全てが詩である」
状況と見るかで私たちは今、意見が対立していると考えなければならないので
しょうか? 多分ここでは、私たちは対立していないと思うのですが。
これはつまり、あなたが私の表現を「詩(を少なくとも志向するもの)」
と考えるかどうか?という不遜な質問になってしまいますけど。もちろん、
私は修行不足を自覚しており、その点は深く恥じてはおりますけどね。
蛇足ですが、私はあなたの詩と言説を、その苦しい不可能性のゆえに高く評価
しています。てゆうか、ありていに言って、あなたはかっこいいです。
26 :
けむけむ:2001/05/17(木) 22:49
最弱殿
「詩とは何か」を語れないのは、見方によっては当然の事ですよね。
「シュールレアリズムは唖である。(詩と聖性U:ブルトンについて Jバタイユ)」
シュールレアリストにとっても、私たちにとっても、詩について語る
ことは、詩を裏切る事に他なりません。(ぷ)ルトンさんは、スリリング
でした。等という事によって、私にしても、ここでまた一人、片思いの友人
をなくしてしまうわけですものね(笑)。かといって、詩について語らない事
は、なにかを伝達をあきらめる事を意味する場合もあるでしょう。
… 酷評Uという冒険、楽しく拝見させていただいております。
27 :
けむけむ:2001/05/17(木) 22:55
最強殿
>>23 そのとおりです。私は詩を書くという行為のために、何が必要かを
論じたのではありません。それは多分私の努力の足りない所が露呈した
結果でしょう。私が60さんに言おうとしたのは、私自身が詩人である為に
どんな努力をしているか、と言うことではありませんでした。
そうではなくて、私が言ったのは、「あなたは詩人ではない」と言う
言明が、特殊な言語環境であるこの場において、どんな人に対して可能な
のか?ということです。
昔の人は、本をよく読んだ、と言われることがあります。
しかし、今この場に居る私たちほど、深く、「生きている」言葉に呪わ
れているものが、かつてあったでしょうか?
詩人がそれを詩だと言ったものが、ここでは詩なのだ、と私は思ってい
ます。
私がこれまで書いたことは、自分が詩人である為の心構えについては、
一切抵触していません。その議論はその議論として、お続けください。
>>25 「コミュニケーションの濃度」という事に関してはまったく問題が
ありません。問題にしたいのは「双方向性」ということなのです。
理由は下に展開して行きますが…
つまり、詩は会話で無ければならないのか?読者に対する刑罰や
奇襲であった場合双方向のコミュニケーションは可能なのか?
という問題、更には本当に双方向のコミュニケーションなのか?
という問題です。
(以下の文は感覚だけで非論理的な展開になります。)
僕のイメージで擬態対象を探して行くと、やはり詩には神か聖なるもの
であるというのが僕の感じたところなのです。逆に悪魔か
穢れたものでも構いません。つまり少なくとも等身大の
人間によって書かれたものであっても、詩は人間ではないと
僕は思うのです。最も人間に近くて"子供"や"乞食"です。
果たして彼らと会話できるのでしょうか?畏れ,憎み、
可愛がり、憐れむことがあっても彼らと会話する事は
出来ないのではないでしょうか。
定義できていない部分を感覚で埋めたところがあるので解りにくい
と思いますがお許し下さい。
>表現者のスタンス
今までの流れから言うと、「詩」の書き手は様々な”関係”に
対して自覚的であるべきだ、ということになるのでしょうか。
ただし、「”関係”に自覚的であるべきだという事柄に自覚的」
なのではなくて、まさに”関係”そのものに対して自覚的でなけ
ればならない、ということに注意すべきでしょうね。
そこをカンちがいすると、やはり「いわゆるぽえむ」に埋もれる
程度のものしか出来ないことになります。
>読む側の問題
表現者のスタンスがあるなら、読み手のスタンスというべき
ものも確かにあると思います。
「詩」を「いわゆるぽえむ」と区別するため、というより、
「詩」をみて「これは詩だ」と分かるためのスタンスと
いうものが。
ただ、じゃあ読み手のスタンスとは何なのかと聞かれて、それ
をうまく言い当てるのははかなり難しいと思います。
表現者のスタンスについて以上に論じにくい問題だろうと思い
ます。
31 :
横レス?かも:2001/05/18(金) 01:22
散文は、論理的に整合性をもち、全体として何らかの
「意味」を伝えるためのものだ。表現が明確であればあるほど
意味は正確に伝わる。意味を伝えること、は最低限必要条件だ。
その上で初めて、独自性や芸術性を問うことができる。
ところが、
「伝えたいもの」を自分でしっかりと把握していない時や
適切な言葉で明確に表現することが難しい場合、
その「曖昧な何か」を、
漠然とした切れ切れの言葉を分かち書きして並べることで
じつに安直に表現したがり、表現しえたと思い込みたがる
人間がいる。
彼らはそれを「いわゆるポエム」と呼ぶ。大変な勘違いだ。
自分の言いたい何かを明示できず、
論理的な文章を書けず、
精緻な詩へと表現を研ぎ澄ますこともできないまま、
ただの曖昧なものを
曖昧で薄汚れた日常語を切れ切れに並べることで
漠然と「表現したつもり」になっているだけ。
それらは本来日記の片隅にでもひっそりと書かれるべきもの、
散文にも詩にもなっていない、
いわゆるも何も
「ぽえむ」と呼ぶに全く値しない類だ。
詩とそのニセモノの違いくらい、すぐわかるだろ?
まともに詩を読み、本気で詩を書いている人間ならば。
32 :
イバラキノリコ:2001/05/18(金) 01:50
>>31 >詩とそのニセモノの違いくらい、すぐわかるだろ?
>まともに詩を読み、本気で詩を書いている人間ならば。
ここで問題にしているのは、まさにこのことです。
私は前に「わかる人だけわかればいい」という物言いを否定しました(作者・読者にかぎらず)。
なぜならば「良いもの」と最初から定義づけられたものを数多く目にしてきた者に、
本当にそんな芸当(良いものと悪いものを見定めること)ができるのか疑問を感じたからです。
詩を読めば読むほど、本気で書けば書くほど、本来の「詩」からは離れていってしまう、ほとんど絶望とも思われる恐怖に囚われてしまいます。
それを打開するのが、「対話」なのだと思います。
本当に良いものなのかどうか、ただの感覚ではなく人に(つまりは自分に)説明できなければ詩を読んだことにはならないと思います。
>>32 自分の書いたものであれ、他者のであれ
それが「詩」か「詩ではないもの」かが
ハッキリとわからないような感性なら、詩に関わるのは
やめた方がいい。何年経とうと同じだよ。
君は詩に向かない。
それは対話で次第にわかってくるようなものではないんだ。
34 :
イバラギノリコ:2001/05/18(金) 02:37
>>33 それは「感性」至上主義というドグマです。
それに潰されてきた「詩の可能性」を救い上げるのが「対話」です。
もしや、絵画もそのようにして眺めているのでは?
>自分の書いたものであれ、他者のであれ
>それが「詩」か「詩ではないもの」かが
>ハッキリとわからないような感性なら、詩に関わるのは
>やめた方がいい。何年経とうと同じだよ。
>君は詩に向かない。
>それは対話で次第にわかってくるようなものではないんだ。
それでは、あなたはわかっているようなので、あなたが「詩」と認めるものをあげてみせてください。
(少なくとも芸術論に精通している人ではないということだけは、私にもわかりました)
35 :
最弱視人:2001/05/18(金) 05:44
「いわゆるぽえむ」の発祥者として、一言。
>散文は、論理的に整合性をもち、全体として何らかの
>「意味」を伝えるためのものだ。表現が明確であればあるほど
>意味は正確に伝わる。意味を伝えること、は最低限必要条件だ。
はいはい。私の考える「いわゆるぽえむ」の定義にぴったりです。
>彼らはそれを「いわゆるポエム」と呼ぶ。大変な勘違いだ。
私は、上の条件を満たすものを、「いわゆるぽえむ」と言いたかったのです。
勿論できそこないまで拾い上げて「いわゆるぽえむ」にしたくはありません。
私自身が思っていた「詩」は「散文」として自分の中で再定義されました。
いや、すっきりした。どうもありがとうございます。
あと、以下のものの定義は
>「伝えたいもの」を自分でしっかりと把握していない時や
>適切な言葉で明確に表現することが難しい場合、
>その「曖昧な何か」を、
>漠然とした切れ切れの言葉を分かち書きして並べることで
>じつに安直に表現したがり、表現しえたと思い込み
失敗したものに分類は不要です。従ってこれらは「ゴミ」扱いで終了。
それでは味気ないので、「ダメ散文」あるいは「オナニー散文」と命名したいと思います。
さわやかな朝に、いい答を得ました。
ありがとうございます。
36 :
最弱視人 :2001/05/18(金) 08:20
朝鮮のおんなとおめこしたら臭かった。日本から出ていけ朝鮮人
37 :
最弱視人:2001/05/18(金) 08:21
朝鮮のおんなとおめこしたら臭かった。日本から出ていけ朝鮮人
38 :
最弱視人:2001/05/18(金) 08:25
朝鮮のおんなとおめこしたら臭かった。日本から出ていけ朝鮮人
朝鮮のおんなとおめこしたら臭かった。日本から出ていけ朝鮮人
朝鮮のおんなとおめこしたら臭かった。日本から出ていけ朝鮮人
朝鮮のおんなとおめこしたら臭かった。日本から出ていけ朝鮮人
右翼の大日本愛国党党首。総裁、赤尾敏。 それでも。愛国者か。
4cc/6p
39 :
最弱視人:2001/05/18(金) 08:27
右翼の大日本愛国党党首。総裁、赤尾敏。 それでも。愛国者か。
8j/07
40 :
最弱視人:2001/05/18(金) 08:32
さわやか〜 さわやか〜
41 :
最弱視人:2001/05/18(金) 08:34
右翼の大日本愛国党党首。総裁、赤尾敏。 それでも。愛国者か。
42 :
凛子:2001/05/18(金) 09:59
あはは。
あなたも煽られてるのね?>最弱詩人
もしかしてマゾヒスト?
44 :
最弱視人:2001/05/18(金) 11:32
>>43 さすがヨゴレ詩人、田中忍だけあってやることが単純(笑)
まあ、私の文体は真似しにくいと思うわん。
うっふーん。
つーか、排斥なんて事を潔しとする人間ほど、
中身は腐ってるってコトだよねー。
そうそう、田中君、いい煽り文句を教えてあげる。
「悪貨は良貨を駆逐する。」
ほぉら、この台詞をギルドで2ちゃん叩きに使えばヒーローだよ(笑)
その"双方向性"および"対話"とはなにかというところまで
話を突き詰めるべきでは?絵もそうですが、"対話"が必要
であるくせによい詩ほどそうそう"対話"に心を開いてくれるもの
ではないですから。
特に我々とは全く異質な精神と出会った時、果たして"対話"が意味を
為すかという問題にも触れておいていただきたい。
46 :
名前はいらない:2001/05/19(土) 02:25
>>34 (今見た、亀レスすまそ)
わかりやすく説明するために
きわめて卑近な例をあげてみよう。
NHKで日曜に『のど自慢』というのをやってる。
車に乗っていて聴いたりすることがあるだろう?
あれを聴いてると、
「あ、こいつは鐘1つだな」「お、これは鐘3つ(合格)鳴るぞ」と
ハッキリわかるよな。ほとんど間違いなくあたるだろ?
同じ素人の歌でも、「鐘1つか2つ」と「鐘3つ」の違いは、
きわめて「歴然として」いる。
詩も同じだ。同じように言葉を並べ分かち書きしていても、
「鐘1つか2つ」と「鐘3つ」の差は、
否定しようもなくハッキリとあるんだよ。
少なくとも「鐘3つ」(=合格)
でないと、詩とは呼ばない。まともな批評の対象にもならない。
鐘1つか2つの人は、
帰って一人で歌うか仲間とカラオケでも楽しみなさい、
そういう素人のレベルだよ、ということだ。
私が詩と認めるのは、ボードレール、ランボー、タゴール・・・etc
だよ。
47 :
イバラギノリコ:2001/05/19(土) 03:23
たとえ話としては適切ではありませんね。
喉自慢で鐘が幾つなるか、それがわかるのは「もとの歌」という基準があるからですよ。
基準があるから、妥当に旋律をなぞれば「OK」、そこからずれてゆけば必然的に「ダメ」ということになる。
そもそも喉自慢は芸術たりえるのか? というのも非常に気になりますが、まずそれはおくとして、
詩に基準はあるのか?
あるならそれは何か?
こちらのほうが、いまここで話題にしていることに関係することだと思います。
>私が詩と認めるのは、ボードレール、ランボー、タゴール・・・etc だよ。
これは「詩」ではなく「詩人」です。
<引用>
ぢつと、そのやうに、お見詰めになつては厭、思ひの人よ!
たとへおん身が仕組まれた罠であらうと、
またわたくしの堕落の第一歩であらうと、
所詮一生愛しつづけずにはゐられない人よ、心の姉よ!
──『呪はれた女達』 ボードレール 『悪の華』 堀口大學訳、新潮社
<引用終わり>
エロティックで切なくてわたしは好きですが。
48 :
33=46:2001/05/19(土) 13:29
>>47 適切なたとえだと思うよ、
だれにでもわかるように、わざわざ卑近な例を出したのさ。
「鐘3つ」というのは
「合格に足る歌唱力を備えている」ということだ、
「もとの歌が基準」なのではない、物真似ではないんだ、
「歌を歌う力そのもの」のことだよ。
君にもわかってるはず。
「鐘1つか2つ」の人は、他の歌を歌おうと同程度だし、
「鐘3つ」なら、歌を変えて再挑戦しても合格できる、
そういう「力」を備えている、ということだ。
両者の間には、決定的な違いがある、
ハッキリと「才能」と言ってしまってもいいんだよ、無論。
卑俗なものでさえ、そうなんだ。
少なくとも
「詩」であることが最低条件(つまり鐘3つ以上、ということ)
その上で初めて「表現力」とか「独自性」とか「鮮烈さ」とか
「品性」とか・・・云々かんぬんの批評の対象となる。
君が言いたがっている「芸術性」なるものは、
さらにそれらの中から非常に優れた詩だけを対象として
「さあ果たして
芸術と呼べるか、それともただの詩か?」と
いうふうに
語られるべきものだ。
同じ「歌を歌うということ」でも、
のど自慢からオペラまで、存在している。
詩かそうでないかの「基準」は何か?と
問う方がおかしい。
一つの作品を前にした時、自分の中にハッキリと
揺るがしがたいその「答え」が無いようなら、
詩を語る必要はない。感性が欠如している。
>引用
好き嫌いは個人の自由だよ。
49 :
イバラギノリコ:2001/05/19(土) 15:48
それだと「良いものは良い」という結論しか導き出してないと思うんですが(循環論ですよ)。
>私が詩と認めるのは、ボードレール、ランボー、タゴール・・・etc だよ。
結局、典型的な権威を笠にきた感性の押し売りですね。
「詩」ではなく「詩人」を持ち出し時点でわかりましたが。
だからわざわざ「詩」を載せたんですよ。(ずいぶん前に似たようなことをしたなあ)
その中の誰の「詩」でもいいから、簡単にその良さを説明してくださいな。
「良いものは良い」で終わるならそれまでだし、もし説明できるのなら少なくともあなたにとっての「良いもの」のは言語化できるということが証明されますから(はい、感性ではできませんね)。
感性だけを問題にするのならそもそも「論ずる」必要もないんですよ。
>>49 お説はよーくわかりますが、ここは2ch、
いわゆる「便所の落書き」と評されている匿名掲示板です。
こんなところにでも、ペンネームもどきを付けて
詩(のようなもの)でもいいから自分の何かを訴え、
誰かに見てほしい、何か言ってほしい、そういう
まあ若い人達が、集まっているのです<詩板
とてもとても芸術云々のレベルでは、ありません、もとより。
時間毎の板別アクセス数でわかるように、ほんのわずかな
人数が来て、お互いにマアマアやってる場ですから、
そのつもりで見ていただきたいものです。
アナタのおっしゃるような「力」のある人間は
こんな処でうだうだよたってはいませんよ(笑)
もっとも、ごく少数ではありますが、
この板にも確かな力の芽を感じさせる人がいます、
多分あなたもその少数の人達の為に、この鈍くさいスレに
レスしてくださったのだと思いますが。前後をロムなされば、
とてもまともな議論が成立するところでないことは
もうおわかりでしょう。時間の無駄、というものです。
52 :
(kau-a):2001/05/20(日) 02:11
>>50 大の大人が幾人も集まっているのにやれ「アクセス数」
だ「過疎版」だなんて言うのはそもそもの本意に逸れた
発言なんではないでしょうか。私はあんまり議論すんのは
得意じゃないから、見てるだけにしたかったけど、貴方の
発言はちょっと頂けない。前レス見てれば分かると思うん
だけど、今貴方がいるその空間、つまりインターネット
、たとえ2chが多少特殊な存在であったとしても、取り扱
っているものは立派に「詩・
ポエム」と名打ってるわけで、「詩」と呼べないレベルでの
ホームページ立ち上げてる人だってどれだけいることか。
これからの時代性としてのネット詩人が世間的に拡大して
、また万人に認知される日がきて、実は2ch出身だった
、ってのも全然有り得ない話ではないでしょう。貴方の
発言はまともな反論が出来ずに逃避して、大きな極論に
持って行きたいだけにしか見えません。実際「喉自慢」の
例えはやはり根本的に異質なものでしょう。イバラキノリコ
氏が仰っていた様にオリジナルがあってそれを歌うだけ
の過程に対して、詩はパクリでない限り全てが自己で
紡いだ言葉の群れで「ほぼ」完全なオリジナリティが備わって
いると言っても過言ではないでしょう。それにどのような
言葉を選び繋げるかによって、如何に愚劣に消化するか
真の「芸術」にまで昇華されるかが付加されるのではないで
しょうか
53 :
(kau-a):2001/05/20(日) 02:12
(続き)
>>22でも呟いてみましたが、私にとって
「詩」とは自分の分身であり、つまり言葉は私の分身であります。
前にも議論対象となりましたが、「詩」は他者を指向している
いるのは当然、何故なら言葉は本能として他者とコミュニ
ケーションを獲得する為に生まれたものであり、己を
表現する為の手段で、究極的には他者に自分を晒す手段
であると考えるからです。自分は自分の為にあり、自分は
他人の為にある、人は他人の思考が理解できないから
より己の存在を他人に理解してもらい、よく見てもらおう
とする為として自分の存在を自覚する、これは事実だ
と私は考えます。また「詩」とは永久に辿り着けない
境地、つまり永遠に辿り着けない己の意味、言葉の意味
、本当のアイデンティティを獲得する為の試行錯誤の
旅路だと考えます。それを「喉自慢」のような
他者に身を委ねたものと同化するのは私としては心外です。
長くて、支離滅裂で本当申し訳ないです。
悪意ではないので、悪しからず。
54 :
60:2001/05/20(日) 21:18
スレも荒らしにあい、盛況なようですね。
>>イバラギノリコさん
>そうでしょうか。詩をまったく読まずとも、良い詩を書くことは可能だと思います。
たとえば、「岡真史」という12歳の少年詩人がいましたが、
彼が「言葉の美しさに感銘を受ける」という体験をしていたとは到底思えません。
12歳であることは、感銘を受ける体験を何ら妨げないのではないでしょうか。教科書に載った一つの詩に深く感銘を受けるだけでも、詩的体験としては十分なのですから。
言語学者ソシュールは13歳にしてすでに学者がうなる言語学の論文を書いてますし、
ピカソもまた10代始めに、大人顔負けのデッサンをしてます。一般的な12歳を想定し、そんな経験をしていないはずだと決め付けるのもどうかと思います。
「いわゆるぽえむ」を書いている人も一般的な詩の形を模倣していることを考えると、
少なくとも詩を一つは読んでいると思います。何も無いところから詩の形を作り出すことは、
いくら才能に恵まれた人間であっても非常に困難でしょう。
詩と詩でなくなるものの境界線を私なりに考えれば
「借り物の言葉で語っているか、いないか」ではないでしょうか。
どうやったら「借り物」と「本物」を見分けるかというのは難しいかも
分かりませんが、よく使われているフレーズをよく使われている方法のままに
使用している作品は「詩」とは私は見なしていないように思います。
もちろん、それ以外のものは全て詩だと言うつもりもありませんが、
消去法で詩を考えていくことはできるのではないでしょうか。
55 :
60:2001/05/20(日) 21:39
>>最強詩人さん
>表現の "結果" を「詩、ポエム」と「いわゆるぽえむ」に峻別する事は、暴力的なカテゴライズではないでしょうか。
それはそうですね。最弱詩人さんとの対話で錯綜してしまいましたが、
私の関心事は「いわゆるぽえむ」を定義することではなく、
詩とそうでないものを分ける基準を考えてみたいということなのです。
「全てを詩だ」と言い切るのも、私には暴力的過ぎるように思えます。
>これに賛同出来るのは、表現者の意識の問題に踏み込んでいる為です。
>つまりは "結果" で判断するのでは無く、
>表現者のスタンスにこそ「詩、ポエム」と「いわゆるぽえむ」を分かつ境界が存在するのではないかと。
無意識のうちに詩を作る時の心構えを書いてしまっていましたね。
うーん。こういう姿勢は詩に現れませんかね。
つまり、そういう姿勢であればおざなりの表現が消えていくのではないでしょうか。
自称詩人の方々へ。
お金取れる言葉を書こう。
57 :
最強詩人:2001/05/21(月) 09:46
暫く考えてみましたが、前言を撤回します。
> つまりは "結果" で判断するのでは無く、
結果として "詩" として呈示されたモノだけが読み手に判断されるべきです。
混乱していたのは私でした。
"のど自慢" に関してですが、"のど自慢" という語が出てくる時点で、
「正解」を既定している様に思えます。
この語を使うのは過激過ぎるかもしれませんが「権威主義的」に響きます。
そして読み手と審査員は別モノです。
58 :
けむけむ:2001/05/21(月) 11:32
>>構造さんの一連の書き込みに触発されて
今、論じられている主戦場からは離れますが・・・・。挿入された間奏曲として。
たとえば、私が「飛来する矢」と書く場合、私がこの言葉で指示したいと
願ったのは、博物館に収められている一本の矢を提示することではありません。
そうではなく、貴方の脳内に一本の矢の運動を引き起こすことがもくろまれている
のです。私はそう思っています。それをふまえて、私は以下のように貴方の
言葉を読みました。
貴方が書かれた「コミニュケーション」という言葉は、私の
言い方では次のようなことではないでしょうか。つまり、「言葉」は
物自体を示しているのではなく、「書き手が、読み手の中に、引き起こ
したいと思う運動」を指示しているのだ、と言うことでは。
そしてそれに自覚的な詩論を目指す、と言う意味に、私は貴方の書き
込みを読みました。
また、その自覚の上で、さらに、「物自体と私」を言葉によりつなごうとする時、
言い換えれば表現の取替えの効かない唯一性を追及する時、さらに言い換えれば
「私にとっては」という単独性を追求する時に、「双方向性」を危機にさらすこと
が許されると言う風にも読みました。
もちろんこれは、私の側に強引に引き寄せた読みときですが、というより
かえってわかりにくく言い換えてるだけかもしれませんが、こうした
パラフレーズの洪水が起きていくこと、そのものが、詩と詩論にとって
幸福なことだと思います。
以上のような「引き寄せ」を前提として、貴方の言葉に共感します。
あえて下品な言葉遣いをすれば、伝わらないのは詩人のせいとばかりは
言えないってこってしょう(笑)。
私はこのBBSでは、さらに危険な「双方向性」が起こっていることを高く
評価しています(管理された場では起こらない事が起こっている)けど、
それはまた別の話ですね。
59 :
けむけむ:2001/05/21(月) 11:57
>>60さんに触発されて
この板では、「これでもか」と言うぐらいに、これは詩ではない、
と言う前提の詩が出現しています。その無茶なスタンスが私は気に
入ってます。
例えば、微熱君が、「普通の文章をポエムっぽく書くのは変」
というスレッドに書いた、マニュアル詩は、ポエムでしょうか
「詩でないもの」でしょうか?
私は言葉を冒険させ、持てあそぶ事に成功していると言う意味で
優れた詩だと思いますけど。
で、打ち明けた話、この詩を書き、読むために、マラルメやランボーや、
前スレで話が出た「ミラボー橋」を読んでいる必要があるでしょうか?
よい反論にはなっていないでしょうが、横スレの一つとして。
>>
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=poem&key=989134813&ls=50
60 :
イバラギノリコ:2001/05/21(月) 12:35
>>54 すいません。
よく考えがまとまらないまま「なんかそれは違うんじゃないか?」という一念で書き殴ってしまいました。
私が気になったのは「言葉に感銘を受けなければ詩は詠め(読め)ない」というところなんですよね。
>一般的な12歳を想定し、そんな経験をしていないはずだと決め付けるのもどうかと思います。
一般的な12歳は、言葉に感銘を受けないんでしょうか?
>彼が「言葉の美しさに感銘を受ける」という体験をしていたとは到底思えません。
これは完全に間違いです。以下のように訂正します。
『彼に限らず、誰でも「言葉の美しさに感銘を受ける」という体験をしている』
若ければ若いほど、すなわち知識や経験が乏しいほど、新しいものに出会ったときの感動は大きいと思うのです。
初めて海を見た子供のはしゃぎようは、それはもうとんでもないくらいです。
「海」を「言葉」や「詩」に置き換えて考えてみてください。
海(海にすんでいる人なら山)をはじめて見たときの感動を皆さんはもうおぼえていないと思いますが、
言葉や詩と出会ったときの感動も、たぶん忘れてしまっているのだとおもいます。
だからこそ、詩を読み、書き、その感動をもう一度得たいと思うんじゃないでしょうか。
「新しいもの」に出会った感動そのものを求めれば「新しいもの」を志向し、
「過去の感動」を再現しようとすればそれはフェティッシュになると思うのです。
前者は新たな表現方法を模索するだろうし、後者は過去の形式を学ぼうとするのでしょう。
ネット詩を批判するほとんどの人は、後者を重要視しすぎて、前者をおざなりにしているんじゃないでしょうか。
過去の偉人をないがしろにするわけではないんですが、過去の「良いもの」を引き摺りすぎると、
フィルターが厚くなりすぎて「詩」そのものを読めなくなってしまうんじゃないでしょうか。
名前や権威をものさしにして「へたくそ」とか「こんなのは詩じゃない」と簡単に言ってのけるのは、
「新しいもの」の可能性の芽を摘み取ってしまうような気がしてなりません。
>>52-53
いやぁ、出てきてくれましたね。
貴方が構造さんと「恋愛とかそういった〜」スレで
成立させていた詩境こそは、まれに見るものでしたよ。
闘争という形の仕掛けが、否応なく「詩語を鋭く研が」せ、
対手の存在が、「集中」の度合いを異常に深めていた。
詩の2大要諦を
いわば「強制」されることになった二人の詩語は
時に剣のようで、「チャリ〜ン!」と音がして火花が疾るのが
見えるようでしたよ。余人の介入を許さず、ロムっていても
息苦しいほどの緊迫した“場”が完成しかかっていました。
同時期に、批評という力業に営々として取り組む
最強詩人さんの努力が続いていて、ニ大スレが
みごとに詩板を牽引していました。
最強詩人さんが休憩に入るなら、「酷評スレ」もひとまず
閉じるべきだった、あれは貴方のスレだ。
62 :
50:2001/05/21(月) 14:40
(続き)
最弱視人、というコテハンの付け方に、全ては露呈している。
最強詩人さんが努力して培ってきた
「酷評」への人々の信頼を巧妙に乗っ取り、
しかも眼低手低と見抜く人々へは
「だから初めから最弱視人と謙虚に名乗ってるでしょ〜」
という言い訳で批判を避けようとする小狡い抜け目なさが
このコテハンにこめられている。
誠意ある人間なら、けっして付けるはずのないコテハンだ。
そして、自称であれ
少なくとも詩人を名乗る人々は、そうした卑しい根性に
耐えられるはずはない。神経にさわらないはずはない。
唾棄すべきだ。
いまの詩板は堕落したなあ・・・
>>50は、そういう感慨です。
63 :
イバラギノリコ:2001/05/21(月) 19:56
>50さん
おそらくあなたの仰っていることは、私の中の「答え」とほとんど同じものなんだけど、
どうも、入射角が違うような気がします。
最弱氏と酷評2を貶めようとしていますが、あれはあれでひとつの可能性なんじゃないでしょうか。
なぜ気に入らないからと言って「堕落」と即答してしまうのでしょう。
違和感を感じた「自分の感受性ぐらい」信じようと言うわけですか。
論理療法に精神の健康を損なう「過度の一般化」という考え方があるんですが、
あなた(にかぎらずこの板のほとんどの人)はどうもこの「過度の一般化」に思考が絡みとられていますね。
あなたの好きなものが良いものなんですか?
あなたの嫌いなものが悪いものなんですか?
「緊張感」や「集中」に詩魂を見て取るのは、おそらく間違いではないけれど、はたしてそれだけでしょうか。
のほほんとした平和な詩はみとめないということでしょうか。
60さんの
>(彼らは銀色夏生や、音楽タレントの歌詞しか読んだ経験が無いかもしれませんが)
にも引っかかるんですが、重厚且つ鋭利なものしか認めないというのは、視野狭窄ではないですか。
(アルマゲドンとダンサーインザダークを同じ土俵で評価できますか。茨木のり子と萩原朔太郎を比べられますか)
固いもの柔らかいもの、真剣なものいいかげんなもの、
それらすべてをひっくるめたものなかかから「良いもの」を見つけるというのが、
詩に対峙する人間としての最低の心構えじゃないんでしょうか。
さいしょからいくつかの詩を意識の外に追いやって、
自分の好きなものばかりを追い求めていては「オタク」とかわりませんよ。
>>58 全面的にその通りです。対話という読法によって、それが
引き起こされなかった場合はどうなるのかという疑問を提示して
いたんです。まあ、今のところ議論の流れから行くと「対話」とは
それを汲み取るための読み方であるという概念で話を進めている
ようなので、その心配は無いみたいですけどね。
ただ、それでも部分的には対話で汲み取れない部分(というか隠したい部分)
も出てくるわけです。そのことを示しておきたいための発言でした。
65 :
パンティー:2001/05/24(木) 16:19
詩論試論史論史論至論
そんな退屈を早稲田詩人会で語ってる場合があったら
裏ビデオ見てるほうがよっぽど役には立たないよ
66 :
最弱視人:2001/05/24(木) 17:16
うわあ。知らない間に俎上にのってましたのね。私。
>>61-62 50さん
ていうか、あなたにとやかく言われたくはないね。
同じ事やってごらん。
その上でなら、非難すべき権利はあると思うが。
中途半端にナニも知らないでチャチャ入れるんじゃありません。
最強氏と私の関係というもあって、このHNを使ってるわけです。
そのバックボーンも理解せずに、何?詩板が堕落した?
笑止。
というか、知ったかぶりも程々になさった方がよろしいですよ。
一丁噛みはこの板の常連に通用しませんぜ。
というか、イバラギノリコさん以外に相手にされてない御様子ですが(笑)
>66
>最強氏と私の関係というもあって、このHNを使ってるわけ
>です。そのバックボーンも理解せずに、何?詩板が堕落した?
ということは、一時言われてた「最強詩人=最弱視人」と
理解していいんでしょうか? キャラ変えということですか?
それとも、別説の「最弱視人=海唯」なのですか?
なんだか、わけわからなくて困惑です。
最弱視人さんが元のコテハン出されたら、一発混乱解決、では?
おいおい、そういうの、不毛だからもうやめなさい。本題へ戻りましょう。
69 :
吾輩は名無しである:2001/05/24(木) 23:46
>>68 賛成! 50さんも最弱視人さんも、元々のコテハンで
堂々と論じてほしい。コソコソするからおかしくなる。
70 :
虚:2001/05/25(金) 01:41
ナンダカ ロンセン ト イウヨリ
メイメイノ シャクドノ オシツケアイ ミタイ・・・
71 :
無:2001/05/25(金) 02:53
>>70 そうそう。でも半角カタカナで書くと、
なんか陰口イジイジ風に見えてしまいますね(笑)
私は、最弱視人さん=女性、説に一票。
>>67 >>69 僕も某スレで批評でボロクソに詩(?)を貶したことありますけど
とにかく恨みを買う仕事です。その後に騙り荒らし攻撃を食らいました。
現在はリモホ丸出しなのはそのためです。以前は堂々とコテハン出すべき
だと思ってましたが、最弱視人さんが誰かの別ハンだとしても、批評すると
なれば安全のために別ハン使うのは当然の防衛策だと思います。俺でも何度
か彼の批評にキレたことありますからね。
73 :
最強詩人:2001/05/25(金) 15:14
>>66-72
スレ違いかとは思うが、「読む側」からのアプローチとして強引に本題に戻すよ。
例えばこのポチットナーさんの作品、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=poem&key=964764766&st=541&to=541&nofirst=true 理解に苦しむ上に、スレタイトルは「意味不明ポエム」。
意味なんて無いとも思えるけど作品のタイトルが「邂逅」と付けられているせいで深読みせずにはいられない。
多分これはモデムの音。
どこに繋いでいるのか分からないがメールをダウンロードしているのか、
遠距離恋愛している彼女と待ち合わせたチャットルームか、
色々な想像が「邂逅」というタイトルから想像出来る。
YMO の曲を思い出す年寄りもココにいる。
書かれた言葉よりも描かれたカタチに美しさを感じる事も出来る。
薄れていく
> ィィィ―
> ィィ―
> ィ―
> ―
の辺りとか面白いと思う。
これらは読み手の想像力の問題であって、作者の意図とはかけ離れているかもしれないけれど、
これも一つの詩の楽しみ方。
詩に正解が無いように、読み方にも正解って無いように思えるのだけど、どうでしょう? >> ALL
74 :
最弱視人:2001/05/25(金) 20:30
>>73 > 詩に正解が無いように、読み方にも正解って無いように思える
正解、というのは、ルールを設定した中に生まれる約束事。
ルールが曖昧であれば、正解も自ずと曖昧になるし、或いはそれを正解と呼べないのかも知れない。
1+1が2になるっていう絶対的安心感なんて、アナログの世界には通用しない。
前項の1が厳密に後項の1と同じである保証なんてどこにもありゃしないからさ。
その不安を当然だと思えば、詩における正解、なんて偉く滑稽に思えるのだ。
そして、
その曖昧さを受け入れずドグマを玩具にして言葉遊びに興じて、結論が出ないと頭を抱えることもまた
えらく惨めな光景として写ったりするのだが。
余計なお世話?
はい、スイマセン…。
豪腕でもってして本題に引き戻してくださった73さんに感謝。
さて読み方に正解が無いというのは陳腐な言い回しだけれども、
まあ間違いじゃないと私も思う。
別に私は作者の追体験をするために詩を読むわけじゃないから、
読むということは、詠むことと同等に生産的な作業であるはず。
ただ、とは言っても、読み手である私は、完全に私の勝手な思いなしで
作者と無縁な「読まれ得る詩」を生産しているわけでは決してなくて、
やはりそこにある詩を読んでいるわけだから、「詩を読む」ということに
限っては、無の中から私の想像力が開かれてくるわけでも無いように思う。
だから「詩は××な読み方をしなくちゃならない」というのも間違いだし、
あるいは「詩なんてどう読んだって構わない」というのも乱暴では?
あるいは自分は自由にその詩を読んでいると思い込んでいたとしても、
読み手としての私の読み方は、「詩」を読んでいる以上、何らかの
制約を受けているはずなんだから、詩の読み方とは、書き手・読み手
の嗜好性や好みだけで切って捨てられるほど単純なものじゃないと
私は思うのだが。どうだろう?
…余計なレスならスミマセン。
>>74 少なくとも先人の詩は読んだ上で、そういうことは語ってくほしい。
ほとんど読んでもいない、と自分で明言したアナタは、
自分でどんな作品を書こうと自由だけども、人の詩の批評をするのは
遠慮すべきだと思います。 横レスですみませんが。
>>76 そういうステロタイプな思想って惨めだよ。
しかも、それを押しつける姿勢が哀れだね。
要するに貶めたいだけとしか見えない。
なぜ、読んでない者が批評してはならないか、
もっと私にわかる様に説明できんかね?
論理的にでも思想的にでもいいのだが。
そういう感情論だけを持ち出して名無しで叩かれても、痛くも痒くもない。
おあいにく様。
というか、私はあなたが哀れだとしか思えない。
78 :
横レス:2001/05/27(日) 14:08
詩は日記じゃないからね、「私」以外の読者を求めるのであれば。
決して印象=嗜好性ではないと思うよ。詩に何らかの形式性が
あるのだとすれば、どこかで係る野暮ったい文芸史論は避けて通れない。
詩の形式とは即ち詩の歴史性のことなんだから。
詩を書くだけであれば、多くの人がそうだけれども、おのれの中の
「同時代性」だけを拠り所にして書いたのだとしても、まあ差し支えはあるまい。
ただ、批評をしようと言うのであれば、その「同時代性」が一体何なのかを、
同時代的ではないものとの位相の違いで語れなければならないだろうと思う。
でなければ「私は○○が好きだ」とか「私は○○がキライだ」とか、
あなたの好みの表明にしかならないのでは? それは批評ではないと私は思うが。
どうだろう?>77
ちなみに私は76ではありません。横レス御免。
そんなにやっちゃいかんと思うなら、酷評2のスレに書いてくれ。
で、私の代わりに後を頼みたい。
批評するなと野次る事は簡単だろ?
でも、あれを続ける事の苦労も知れ。
その上で物言ってくれ。
あんたら、頭でしか物かんがえてないからツマラんのだよ、わかってるのか?
そういう部分をさ。
少なくとも、この板の中で、私に酷評2の評をやめろって云える
権利を持ってるのは最強詩人氏だけだよ。
彼の偉業には遠く及ばないにしても、辞めろというのはいただけないね。
ちなみに批評の言葉にどんな拡大解釈をしているのか知らないが、
批評はあくまでも、善し悪しを考え、評価することでしかない。
ここで言ってる過去の作品を読んでないとできないというのは、
批評ではなく、対比である。
あのスレッドのタイトルが、過去の名作との対比2、であれば
私のやってることは間違いであろう、だが、批評という言葉の意味では
正しく善し悪しを考え、評価しているだけ。
しかも酷評と銘打っているのだから、酷い評でOKなのである(笑)
つーか、ホントに口だけの人間ってヤダね。
文芸板で叩かれてたときも思ったけど、じゃ、
あんた様のかく詩はさぞかし立派で感銘もうけるものなんだろうなって。
見せてはもらえなかったけどね(笑)
つーか、76も78も、ケチつけるなら詩みせてくれ。
口だけじゃないなら、まだ話も聞けなくもないが、叩くだけなら余所でやってくれ、と言いたいのだが。
まあ、所詮、横レスにムキになる方が滑稽か。失敬。
80 :
78:2001/05/27(日) 19:21
>79
あんたの言いたいことはよく分かった。
だけれども、それはあなただけの物語だ。批評も批評の対象になりうる
ことを自覚した方がよかろうと思う。でなければ只の与太話じゃねえか。
「論理的に思想的に」だろ? 感情論でものを言うことが不毛なのは
あなたもおっしゃっている通りだ。
それを自覚してのことであれば、私は止めろとは言わない。
もとより、なんだかんだ言いながらも、私はあんたの「批評」?は
嫌いじゃないからね。
差出口、失礼。
>>80 >もとより、なんだかんだ言いながらも、私はあんたの「批評」?は
いちいち?つけるあたりが、嫌みったらしいがね。
批評を批評するのは勝手だ。
(以降、
>>76へのレス)
だが、私は酷評に書かれた作品の作者に対して、
「このヘタクソが!書くな!!」
とは言ってない。
批評をやめろという、その物言いに反駁しているのであって、
私の批評がなってない事ぐらい、本人がいやというほど理解しているし、
酷評2が終われば批評など、二度とやらないと明言しているのだ。
その宣言を知った上で、なお、「最弱視人の批評(?)はヤメロ」というのが
狭量であり、また、それを命ずる権利などないと言っているのだ。
酷評2にこの一連の会話へのリンクを張った上で、酷評2の住民に判断して貰おうと思う。
酷評2の住民たちが再開を願わないのであれば、これで終了だ。
ひとまず、酷評2での批評活動を凍結したいと思う。
82 :
80:2001/05/27(日) 21:27
凍結するのなら止めもせん。
が、あなたの批評で昇華できる詩もあろう。
何とも、私の口が悪かったのは、全面的に謝罪する。
もとより中傷が目的ではない。
私が言いたいのは、詩が批評で昇華できる可能性があるように
批評も批評で昇華できる可能性があるということなのだ。
もちろん、私の発言は批評にすらなっていない単なる意見だから、
あなたの批評を昇華させることはできないかもしれない。
しかし、詩人こそが唯一の創作者であって、
批評家は創作者ではないのか。私はそうは思わない。
「最弱視人」は、詩板には貴重な存在だ。それは酷評2に
あなたの批評を請う人が大勢いることが示していることではないか。
同時に、あそこであなたがレスしている批評もまた、作品であり、
単なる「評価」を超えたあなた自身の「発言」なのではないか。
私個人としては、あなたに批評をやめてほしくはないと思っている。
>>82 粘着気質の感情的レス
>>81にあおられて、貴方が退いてどうする。
それじゃあ世間一般の、いわゆる「人付き合い」じゃないか?
詩の世界で、それをやりたいのか?
>あなたの批評を請う人が大勢いる
それは、全く違う。何でもいいから「他者の反応」を欲しがっている
飢えた書き手達が、しょうがなくて(他にマジ批評スレがないから)
来ているだけだ。
最弱視人自身が言ってるじゃないか↓
>私の批評がなってない事ぐらい、本人がいやというほど理解している
なら、最初からやるな!!!!>81
>酷評2が終われば批評など、二度とやらないと明言しているのだ。
>その宣言を知った上で、なお、「最弱視人の批評(?)はヤメロ」と
>いうのが 狭量であり、また、それを命ずる権利などない
たいした言い草だね。「なってない」と自覚しながら、これまで延々と
続けてきた神経の方が疑われるべきだろ? 最後までやれ、と
だれが決めたんだ?
君が、勝手にはじめて一人よがりで続けて、最後までやるだの
凍結するだのと、勝手に言ってるだけじゃないか?
「狭量」? 逆だろう。身勝手さを今まで黙認してきた詩板住民の
「寛大さ」に、君は感謝すべきなんだよ。
>>81 最弱詩人へ
謙虚さ、真摯さ、誠実さ、豊かさ、まっとうさ、繊細さ、正直さ、
そしてハッタリでない真の強さ・・・詩人を根底で支えるはずの
そうした資質が、君には感じられない、少なくとも今までのところは。
それらを総称して短く言えば
「気高さ(魂の)」ということだよ。
君が、ただちに批評を止めても、なんの支障もない。
君が自分で言うように「なってない」批評ならば、
書き手には害になる、反応があった嬉しさに、それを鵜呑みに
しかねない危険性があるからだ。
むしろ君は、
自分のスレを立てて作品作りに専念した方が、はるかにいいと思う。
なによりも、誰よりも、君自身のために。
「魂の気高さ」ですか?
あなた言い過ぎです。
本物の詩について語るのなら、
「魂の高貴さ」と言ってほしいね。妥協はよくない、
たとえこういう場所だろうとも。
詩は、言語芸術の中でも至高のものだ。人間が創り、人間を救う
至上のものだ。
87 :
茨木くせー、プンプンするぜ:2001/05/28(月) 08:45
さらしage
つまんないコテハン叩きのスレになったね。
最弱視人の弁護する気はないけど、私も別に過去の詩に精通してる訳じゃないよ。
あくまで作品と対峙して生まれた感情を如何に作者に返すか、の模索だったと思う。
先ずは、ここで最弱視人批判を繰り返した方
>>50 =
>>61-62 ( =? )
>>83-84
は、酷評!3を立ててあなたなりの批評を見せてもらいたい。
900 レスを越えた段階であなたの意見は説得力を持つ様に思う。
「ポエム、詩板が堕落した」という意見があったけど、
そう思えるのであれば、自分で変えて行けば良いだけの事。
誰かのやる事を待ってたり、批判するだけより、その方が面白いと思うよ。
なんで,こういう展開になるかなー。
90 :
(kau-a):2001/05/28(月) 14:46
>>88 同意。資質云々は己の力を見せてから言ってみましょう
同時進行とかなら面白いんだけどね、酷評!α VS 酷評!β
>>83-84魂とか言ってそれは感情論では?誰でも作品に対して
レスポンスがある方が参考になるし、精進の材料に
なり得るはずです。それを実現した最強詩人様の偉業と
最弱視人様の継続の力は賞賛されて当然でありましょう
貴方の言っていることは机上の空論に過ぎず、実践の
力を感じることが出来ませんでした。是非酷評して下さい。
91 :
kay:2001/05/28(月) 15:27
>>83−84
貴方は詩板住人を馬鹿だとお思いでいらっしゃるのですか?
>反応があった嬉しさに、それを鵜呑みにしかねない危険性があるからだ。
人間、何かしら反応があれば嬉しいものです。
評価されたい生き物であると思っています。ですが、唯一人の評が世界の総てであると
考えるほど愚かではない。意見の1つとして切磋琢磨出来ないとお思いなのだろうか?
可能性として上げていらっしゃるのだとしても、あまりに説得力がない。
では、酷評2で、評された事によって貴方が言う所の「害」を受け堕落したと思われる
詩人を上げてみてはどうか?それこそ貴方の個人的な意見ではないのだろか。
詩板住人の「寛大さ」?私は貴方に代弁を頼んだ覚えはない。貴方の「身勝手」には気が付かない
のですか?
92 :
名前はいらない:2001/05/28(月) 17:24
よしよし。がんばれ。詩板の現実が出揃う。
93 :
名前はいらない:2001/05/28(月) 17:42
風の種をまくものは 嵐の報いを受けるがいいさ
マターリとやってちゃいけないんですかねえ。
単なるつまらんコテハン叩きのスレ、か。
そもそも2chと言う場所が、それぞれの発言者の匿名性をどうやったって
拭い難いわけだから、発言に対する責任の取り方は非常に難しい。
そのような中で無理に責任を取ろうとすれば、自分だけの勝手な物語をつくり出して
あたかも自分が何らかの公共性を背負い込んでいると思い込むことによってしか
不可能だろう(と思う)。そしてそれは傍から見ると醜く映る場合もある。
ただ、それを指して「醜い」と批判したところで、それはそれで同様に醜いものではないか。
匿名性を所有していると言う点においては、いづれの発言者も違いはそう無いのだからね。
「詩の世界で世間一般のようないわゆる人付き合いをしたいのか」みたいなレスがあった。
尤もなことだ。私も激しく同意する。ただ、そうであれば責任を取り得ないような空談は
そろそろ止めたいものだ。発言者が匿名である以上、いくら叩いたって叩ききることなど
できないし、叩かれる方も叩かれきることなど無いわけだからね(イヤになったら
レスしなきゃ済むし、コテハンさんもコテハンを捨てて名無しを名乗りゃ赤の他人に
なれるわけだ)。つまり、感情論で罵り合うのは、一見、面子をかけた戦いのように見えるけど
2chという場では全く逆だ。その面子自体が匿名性を帯びているわけなんだから。
つまり、そういった面子自体が、その人の極めて個人的な物語でしかないだろう。
であれば、もっと他の話の仕方があるであろうに。ここが「詩について何か論じてくれ」スレ
であれば、「詩」について論じればいいじゃねえか。「お前の詩を見せろ」とか「詩人としての
資質」がどうのとか、そんなこと、とりあえず置いておいていいから。
だから最弱視人さんも、知らぬ顔して批評を続ければいいと思う。いや、そうすべきだ。
「資質」などよりも、匿名性を帯びた責任を取りきれぬレスを書き込みつづけることの
方が、2chという場においては余程、本質的だ。
96 :
最弱視人:2001/05/29(火) 08:24
>>95 >だから最弱視人さんも、知らぬ顔して批評を続ければいいと思う。いや、そうすべきだ。
全く仰る通りである。
余計な事を言うつもりはないが、ここでは権利も権力も不在なのだから。
ただ、詩について論じる事、それ自体が最早ナンセンスなのではないだろうか。
各々の中に価値観がそれぞれ別に在るならば、己を信じていれば良いのであって、
それを押しつける事はナンセンスなのだから。
語るならば相違点がある前提で、私は「詩とは」こういうものだ思う、と
言えばいいことである。
更に言えば、私が行っている批評も、恥じるものではないことだと思った。
取る側が評だと思わなければ良いことである。
いい大人が詩を書き、そこに自らの意志で投稿し、評と形容した文章の見返りを求めている関係において
有害だの無害だのと外野が騒ぎ立てる必然性はないわけだ。
受け取る側が害を判断できないなら、それもまた受け取る側の問題であろう。
というわけで、厚顔無恥と誹られても結構。
私は今後も続ける事にする。
求める者がいる限り、私は続けたいと思う。
97 :
詩人:2001/05/29(火) 21:29
>>95 その通り。
コテハンも名無しも無名の海だ。ただ、あるのは
詩 だけさ。詩、を書けよ、みんな。
嫉妬に狂いたくなるような、詩を読ませろ。
詩板というから、詩を読みにくるんだ。
98 :
すりもも:2001/05/29(火) 23:15
>>83,84は、何に嫉妬してるんだろう?僕はこの文章の意味内容より、それを
書いた人の動機を疑うね。それは、あまりと言えば、あまりにも通俗的な嫉妬なん
じゃないだろうか。僕達は清らかな光の発見に根ざす身だったはずなのに。
季節の上に死滅する嫉妬深い人々を遠くはなれて。(w
ここでは、前スレのような低レベルな話は止めて欲しいよ。あなたは、どんな
文芸理論の上に、「評する権利」を口にするのか。
ところで、
>>97にいたるレスは感動的だけど、「ハンドル」の意味は、
それでいいんだろうか。「詩人」さんに、本心では同意した上で、ちょっと
横レスします。
>>95さんの
>コテハンさんもコテハンを捨てて名無しを名乗りゃ赤の他人に
なれるわけだ)>には少し異論がある。
名前を捨てた時、その人は死ぬ。消えてしまうのだから。
その危険を犯して遂行した、最弱さんの仕事が冒険でなくてなんだろう、
と、僕は思うけど。
99 :
横からゴメン:2001/05/29(火) 23:48
>>98 君が「すりもも」だろうと「名前はいらない」だろうと
僕にとっては全く同じことだよ。
君の書くそのレスの中にこそ、君の真実は存在し、それを僕は
読み取る。名前なんかどうでもいい。
「すりもも」でも「すらまま」でも「名前はいらない」でも
「鈴木一郎」でも、
それこそネットの海の中の波一つ、名前に意味はない。
君は、本当は「君の書いたものの中に」いるんだよ。たとえ
名前をつけなくても、たとえ
君が死んだとしても、そうだよ。わかるだろ?
僕は、君のレスの中に君を読み取り、君に会う。
僕はマジで書いているから、できれば僕のことも読み取って
ほしいね。そうすれば、今日ここで、君と僕は会ったし、
まさに僕らはいま「在った」んだよ。
ネットでは「言語」に賭けるしかない。
それがいやなら、
オフ会や出会い系で
生身の付き合いの次元へ移行した方がいい。
100 :
95:2001/05/30(水) 00:08
>98,99
うーん、難しい。
実は95のレスをした時、例のクダリに対しては多くの厳しいレスがつくものと思っていた。
98さんのレスは非常に的確な指摘だ。ただ私は、今のところ基本的に99さんと近い
考え方である(違っていれば申し訳無い>99)。
…これは少し面白い問題だ。このスレの意図とは少しずれるかもしれないが、ちょっと
考えてみたい。時間を頂戴したい。
無意識のうちにキリバン踏んでいた。一応、祝。
102 :
正論:2001/05/30(水) 01:17
ま、生産性のないことだから、あってもなくてもいいものじゃん?
103 :
ちがうね>102:2001/05/30(水) 01:44
>>102 名前があっても無くても、
ネットでもそれ以外でも、
「言語を発すること」が、人間のあらゆる生産性の根源だ。
人は「思う」ことも「言語」でするんだ。
まず初めに、言語があるんだよ。
それなしで「君」はいったいどこにどうやって
存在する? 肉体=有機体だよ「君」じゃあるまい?
名前はつけてもつけなくてもいいが、
「言語を発すること」は、人間そのものだ。
発された言葉の中に「命」が在るんだよ。
発した者が忘れても、消えてしまっても、在るんだ、
それが「言霊」だよ。
104 :
n:2001/05/30(水) 05:56
論ずる事により、一個人の感想から多視点的対比を行う事の出来る評価
へと発展する可能性が生まれるのではないのでしょうか。確かに論じな
くても多視点から詩を読む事は出来ますが、ある限られた範囲での方向
性しか持てずに、結果として詩に対する感情が個々あるいは経験の違い
によって変化してしまい、一定の一次元的評価軸を持てなくなってしま
う。評価とは相対的な考えの上ではじめて、感想を超える絶対の意味を
得る可能性があると思います。詩を評する事と論ずる事はさほど変わり
の無い事ではないでしょうか?
105 :
n:2001/05/30(水) 06:44
>98 すりももさんへ
最弱視人さんが「評される権利」を持ち出したからと私は思います。
前レスを低レベルとおっしゃるのならば前レスで言えばよいだけの事で
はないのでしょうか?もし仮にこのスレのレベルを上げたいとおっしゃ
るのなら自分で上げるほうがよろしいのではないかと私は思います。少なく
とも前スレに自分の名を告げて低レベルだとおっしゃったほうがよろし
いのではないかと私は思います。
106 :
n:2001/05/30(水) 06:48
訂正します。
前レス⇒前スレ
例えば2ch(まあ「ネットの海」一般においてでもいいや)においての名前について。
>名前を捨てた時、その人は死ぬ。消えてしまうのだから。
ということだが、このことについて、私なりの意見を書こう。
ネットの海、とりわけこの2chという場においては、一応、一見するところコミュニケーション
が成立しているように見える。あるいはコテハンを用いているのであれば、そのコテハンが
その係るコミュニケーションにおいての主体の主体性であることは間違いない。
だから、「その危険を冒して遂行した、最弱さんの仕事が冒険でなくてなんだろう」という
ことについては、ある程度理解できる。
ただ、私が言いたいのは、そういったネット上での主体とは、交換が利くものだ、ということ
なんだ。交換のきく主体に「死」はないよ。確かにそのコテハンは消えてなくなるかもしれないが、
開かれた世界が消えてなくなるわけじゃない。赤の他人としてであれ、「ネット」という世界へと
関わりゆく関係性は持続され得るわけだ。
つまり、私が仮に「山田太郎」という人間だとして、「ちんこちゃん」というコテハンを用いていたとする。
この「山田太郎」は交換がきかないけれども、「ちんこちゃん」は交換がきくわけだ。
だから、「ちんこちゃん」の世界が閉じられることと、「山田太郎」の世界が閉じられることには
決定的な違いがある。
また、「山田太郎」と「ちんこちゃん」の間にも関係性が生じることになるように思う。
これは私が常々実感しているところだが、私はこの場においては、そのレスとしてしか
存在していない。…というか、そのレスと、これに対する他者のレスとの関係の中でしか
存在していないから、その言葉とは「山田太郎」が口にしているような生身の言葉とは
決定的に異質だ。だから、そのレスの関わりとしてある私と、この生身の私との間には、
或る間接的な関係性があるように思うわけだ。
従って、2chという場においては「今日ここで、君と僕とは会ったし、まさに僕らはいま
「在った」んだよ」という99さんの言い方には、とてもリアリィティを感じる。その通りだ。
ネットの世界での「私」の在り方とは、まさに、そういった仕方でしか不可能だろうと思う。
長いレスで失礼。
ところで>104 n氏の発言について。
激しく同意する。
109 :
すりもも:2001/05/30(水) 19:00
>>99さんへ
よい突っ込みをありがとう。しかし、反論します。
あなたは、もしかすると、僕たちが今、強力な集合的無意識にくるま
れながら会話している、ということを指摘しているのかもしれませんね。
僕たちは、インターネットという生き物の細胞として存在しているの
であり、ここにジャックインした個々の脳髄に名前など無意味だ、
と言う事なのかも知れません。
これに付いて、僕は意見を持っています。つまり、その状況こそが、
このスレッドで「けむけむ(僕の以前のハンドル)」が指摘している、
ウェッブという特殊な言語環境、すなわち「詩的言語の、自己に無自覚な
あり方」なのです。
詩人は、この生きた無自覚な詩的言語たちから意図的に身を引き剥がす
ことを求められている、と、(構造さんとのやり取りを抜けて)僕は考え
はじめています。
この不気味な集合体にジャックインしつつ、あえて自分の言葉を「私の
言葉は詩である」として聖別することにより、「個」を試みる事。
そういう種類の言語のゲームを面白がる人を、僕は詩人とよぶことに
します。
それと、「すりもも」は、確かに架空のキャラクターですが、
もし今夜、僕がこのキャラを捨てて「ななし」になってしまえば、
あなたは「すりもも」と会話するチャンスを永遠に逃すわけです。
あなたがそれを残念に感じないとすれば、それは、場の構造によるので
はなく、あなたが「すりもも」を愛していないからです。請ご一考。
110 :
すりもも:2001/05/30(水) 19:04
ついでに
たくさん本を読んでいる人のことを、「勉強家」とお呼びすべき事は
否定しませんが、「ミラボー橋を読んだ事がある」とか、それは知らな
かったとかいう程度の教養で人のことを馬鹿にできるものでしょうか?
それに、実際たくさんの本を読んだとしても、それは所詮「読解」の
武器ですよね。僕はそういう話に興味は無いですね。
ポエム板では、「読解」以上の領域に踏み込むための評価基準は何
なのか、という話がされつつあったのに、中断残念です。
だんだん本来の話題に戻ってきた感じだな…
>>109 君が言ってることは、
>>99と同じことだよ。
君がその108の発言を「名無し」でしようとも、
君はそのレスの「中に」いる。他の誰とも違う「君」が
まさしく、そこにいるんだ。
>ネットという生き物の細胞として存在しているから
>個々の名前など無意味だと言うこのなのかも・・・
そうではない。
各々の脳髄は、代替不能の「命」だよ。
名前などなくても、君が、君の「ほんとう」を語る限り、
君の「個」がそこに在る。他の誰とも違う君だ。
ネットでなくても、我々は「ヒト」という生命の流れの中の
一細胞めいて、生まれ、存在し、消える。全員同じだ。
それでもなお、
「君」は、他のどの一つとも違う命であり、この世界に
初めて登場した「個」だよ、二度とは現れない脳髄だ。
だから、ネットであろうとなかろうと、
「君」が、君という個の「独自の魂」に肉迫して
その真の声を言葉にすることができたなら、そこには
他の誰でもない「君」が居るんだ。
名前ではなく、発された言葉自身が、
「君」を他の命からハッキリと峻別するんだ。
113 :
n:2001/05/31(木) 05:00
すりももさんへ
議論が中断してしまったとするのはあなたの考え方に部分的要因があると思います。
「読解」以上に踏み込むための評価基準を得るには読解を知らなければ、何が
「読解」以上であることを知る事は出来ない。つまり「読解」と「読解」以上
を区別する事が議論を中断させる考え方。考えの違いや興味の違いから逃げだ
して同意見しか求めなければ議論は成立せず、議論そのものを中断させてしま
う。
あなたが本当に議論をなさりたいのであれば110を文学板にレスされればよ
ろしいのではないでしょうか?もし低レベルと言う事が馬鹿になさることでは
ないのならば、自分で読み取りなさった事に対して低レベルとおっしゃる自分
をご謙遜なされているのでしょう。あなたの姿勢にはとても関心した次第でご
ざいます。
nさんへ
僕は別に、あなたを責めてはいませんよ。
前スレを読み直して見ましたが、やっぱり、ちょっと撤退します。
よく考えて見れば、スレッドごと否定しちゃうと、ちょっとでも面白い話を
しようとしてた人や、マジレスしてた人も否定することになっちゃうんだね。
落ち着いて読み直して見れば、ミラボー橋の話題も、別に人をバカにするために
提出された話題じゃないし。ごめんね、kayさん。馬鹿は僕でした。
>>112 たぶん、全然違います。あなたは、「名前」のちからを軽視しすぎです。
名前がなければ、薔薇も野にさく花に過ぎません。
例えばここで、僕がKayさんに謝罪するということですら、僕でなければ
できませんよ。
>>nさんへ
僕の定義では、貴方は詩人です。
「季節の上に死滅する人々」ではありません。
もし貴方が他者に対して、あまりにも厳しく誤読を責めるなら、その姿勢は
間違っていると思うといわざるをえませんけど、それはこの際、付加的な事です。
でも、この議論は、もう終わってますよね。
あと、これは本当にどうでもいい事だと思いますが、前のスレッドで何か発言する
つもりは、僕には全くありません。
僕はあのスレッドを愛していませんから。
>>115 君がそのレスにうっかり名を入れ忘れて、そのまま二度と
来ないとしても、それを「君」が書いたのだということは、
君と議論していた人はモチロン、読んでいた人にも自明だよ。
それは、君が君自身に対して誠実に、自分の言葉を語っているからだ。
言葉自身が「君」であることを証する。
そしてさらに、
君自身がそれを書いたことを忘れたとしても、
君がいなくなったとしても、
2001年5月31日の「君」は、そのレスの中に在る。
君自身の本名がなんであろうと。
>>112は、そういう意味だ。
117 :
kay:2001/06/03(日) 08:56
>>115 すりもも殿
大変申し訳ない。貴方が何故私に謝罪しているのかまったく心当たりが無いのですが・・・?
ミラボー橋の話をした事はありませんよ。人違いではないでしょうか。
それとも私が何かやらかしましたかな?(笑)
おおっと、さらに恥の上塗りでしたね。(笑)
ごめんちゃい。
何を勘違いしたのか、、、、普通、53と50を間違えませんよね。
やきが回ったなあ。
ご迷惑をおかけしました。
それにしても、ベルレーヌファンの方には申し訳ない。
言いすぎでした。
120 :
詩板の敵:2001/06/10(日) 10:30
121 :
詩板の敵:2001/06/10(日) 10:41
122 :
:2001/06/10(日) 11:42
123 :
詩人:2001/06/10(日) 11:52
945 名前:名前はいらない 投稿日:2001/06/10(日) 09:46
それにしても、人付き合い路線で、やるかね、詩を?
交流がほしいんなら、オフ会とか出会い系へ逝けばよかろうに?
文章を書く人間にとっても、詩は聖域のはずじゃないのか?
せめて、資質ある人々を見逃さないように、彼らのまだ小さな輝きを
見過ごさないように、真の眼ある人々には(いるだろ?)しっかり
眼を開いていてほしいね。期待する。それでも、詩は、言語芸術の至宝であるのだから、
人間の魂にとって、至高の拠り所であるのだから、
自らの資質が届かないゆえに「詩」の名を貶めようとする輩に
「詩」をゆだねてはならない。
自分一人で何を書こうとそれは自由だが、
他者の「詩」を自分の狭隘なレベルに貶めるような批評行為は
もってのほかだ。許し難い暴挙だ。だいたい、ろくな詩も書けず
先人の詩も読みもせず、厚顔にも批評をやろうとする態度自体が
そもそも「詩」への冒涜である。
124 :
詩人:2001/06/10(日) 11:53
詩は、高貴なものだ。
たとえ、クソを描きエロを詠み殺人を謳おうとも、
その「高貴さ(魂の)」において、言語芸術の頂上に立つ。
本物の詩は、例外なく高貴である。
本物、ニセモノ、というのは、他者との比較ではない。
書く本人の「魂の真実」に対して、
本物か、ニセモノか、ということだ。
125 :
詩人:2001/06/10(日) 11:55
人はふつう、自分の魂を、ほとんど知ってさえいない。
自我の表層で絶えず波立つ感情や、理知や、即ち心や、精神やの
目くるめく動きに忙殺され、それらの底を見透かすことがない。
「自分の魂の声」を聴き取るのは、とても難しい。
一生知らずに終わる人々も多いだろう。
もしも人が、「自分の魂の声」を真に言葉にすることができれば、
それこそは本物の詩であり、例外なく高貴さを宿す。
本物の詩は、たとえ欠片であっても「真実」を孕んでいる。
「魂の真実」によって、詩は高貴なのだ。
126 :
詩人:2001/06/10(日) 11:56
本物の詩に触れる時、我々は一瞬、言葉を喪い
酔ったように、心のどこかがシビれたように、感じる。
それは、自分の「魂」が、震えるのだ。
本物の詩は、全てを貫いて「私の魂」へ届き、
私の意識すら気付かぬ深奥の魂が触発されて
「共振する」、酔いのように、シビレのように。
それは、意味の読解ではなく、直截の感受である。
詩は、「感受」されることで、新たな命を得る。
他者の魂の中に、生きはじめる。
書いた者の「魂の真実」は、読む者の「魂」へと
伝わってゆく。受け渡されてゆくものだ。
伝達は、時空を超える。書いた者が消え去っても、
なお、真実は命をもって、伝わってゆく。
127 :
詩人:2001/06/10(日) 11:58
詩人は、何をモティーフに選ぶにしても
見つめるのは常に「自分の魂」である。対象を透して、
己れの深奥にあるもの、と対峙する。
集中は常に「内側」へ向けて行われる。
それは、じつに、瞑想に酷似しているが、
詩人は、けっして「言葉」を捨てることはない。
瞑想者は、そのまま彼方へ向かい、
詩人は「言葉」によって、此岸にとどまる。
ヘルダーリン「我々は詩人として 地上に在る」
128 :
詩人:2001/06/10(日) 11:59
書かれた詩が、本物であるかニセモノであるか、すなわち
書いた本人の「魂の声」を真に伝える言語表現であるのか、
それとも、はるか表層の辺りを彷徨っているだけの
いい加減なものなのか、それは、歴然とする。
底にある「気高さ」によって、まさに峻別されるのだ。では、書かれた詩の言語表現を透かして
その底にある「気高さ(魂の)」の真偽を見極めるのは、
何か? それは「絶対詩(美)感」である。
129 :
詩人:2001/06/10(日) 12:00
音楽には「絶対音感」が存在する。どんな種類の音を聴いても
ただちにその正確な音感をあやまたず言い当てる「音感」だ。
詩にもまた「絶対美(詩)感」とも呼ぶべきものが存在する。
どんな詩を読んでも、ただちにその言語を透かして
底にある「気高さ」の真偽を見分け峻別する感受力である。
130 :
詩人:2001/06/10(日) 12:02
「絶対音感」を持たなくとも、音楽を味わい音楽と戯れることは
できる。だが、音楽芸術を生み出すことは難しい。
「絶対美(詩)感」をもたなくとも、言語を味わい言語と戯れる
ことはできる。しかし、本物だけがもつ輝きをあやまたず
(どんな小さな煌めきでも)見抜くことは、難しい。
131 :
詩人:2001/06/10(日) 12:03
そうして書かれた本物の詩は、一人歩きする。
そのものが命をもつのだ。そしていつか、
「絶対美(詩)感」を持つ者によって、発見される。
それは、「気高さ」において光を放つので、
どんな闇の中でも、必ず、それと知れるのだ。
本物の詩は、ゴミ箱の中に置かれても、光を放っている。
ニセモノは、上質の紙に印刷されようとも、光を発することはない。
光に感応する、それが「絶対美(詩)感」である。
132 :
詩人:2001/06/10(日) 12:07
命は、劫初から、孤絶する。我々は
「自分」という檻の中で生涯を送るしかない死刑囚だ。
しかし、「詩」は、自我の檻をものともしない。
人は、魂によって、互いを知る。
そして、その最も高貴なる部分によって、
時空を超えて、連繋しうるのだ。
133 :
詩人:2001/06/10(日) 12:12
詩人が、本当に自らの「魂の真実」を言葉になしえたら、
それは書かれた瞬間に、完結する。
何も求めず、何も(評価も読者さえも)必要としない。
完璧に自立し、屹立する。何も要らない。
魂そのものだからだ。
詩人は、次の瞬間、命の流れのままに移行してゆき
彼はもはや、その詩と関わらない。
その必要がないからだ。
>詩人 = KANAI
おい、文学板で相手にしてもらえなかったから詩板で暴れていいって事じゃねーぞ。
いい加減にしろよ。オマエ。
135 :
詩人:2001/06/10(日) 12:18
本物の詩は、そこに在り、もし「他の命」がそれを発見し
感受すれば、その命の中で新たな揺動を起こし、新しく生き始める。
本物の詩は、けっして腐敗することがない。
「高貴さ」は腐らない。時空を超えて、別の命と
果てしなく連繋して、生き続ける。
それを書いた詩人が、消えていっても、詩は
生き続けるのだ。
136 :
考える名無しさん:2001/06/10(日) 12:19
KANAIとかいうのはサガン否定されて怒ってた奴。
申し訳ない詩板住人たち。
遊んでやってくれ。
>>134 リアルキチガイに何言っても無駄
詩人は小学校に包丁もって惨殺するような奴と同類項だ
相手にするな
>>136 キチガイは間に合ってますので、お持ち帰り下さい。
ポエム・詩板は文学オタの出入り禁止となっております。
といっても、文学板住人でもねえぞ。
もともと。
>ALL(詩人を除く)
とりあえず相手にすると喜ぶ訳だから、
完全シカトが良いと思われ
141 :
詩人:2001/06/10(日) 12:30
(他スレで私の書き込みを邪魔しようとした君、いったい何を)
(恐がっている? 書かれた言葉の中に、真実はあるのだから)
(君もまた君の魂の言葉を、堂々と述べたまえ。私はアラシと)
(やらではない。詩が高貴なものであることを、君達と同じく)
(心から信じる一人だよ。以上だ。 )
(
142 :
詩人:2001/06/10(日) 12:35
>>137 下劣な物の言い方しかできない君、
私は君達が妄想しているような輩ではない。恐がらずに
私が書いたことを、読んでごらん。眼を塞がずに、
真実を読みたまえ。君達が本当に恐れているのは、自分自身だ。
君自身が、本物か?と問われることを、怖れているんだよ。
>>140 激しく同意。シカトしましょう。
よって、このスレ
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144 :
こいつなんとかしろ:2001/06/10(日) 12:57
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
KANAIウザイので回収してください。でないとここ荒らします。
145 :
こいつなんとかしろ:2001/06/10(日) 13:00
>>144は文学板からのコピペ
八つ当たりはやめろよな。
>>144 は、
詩板から逝ったやつが文学板をめちゃくちゃアラシたコピベだ。
そいつが、この板もアラシているわけだ。つまり>145が犯人だよ。
>>1123-142をちゃんと読んでみろ。「詩人」というHNの人の書き込みと
その回りでアラシているやつの言葉と、どっちが本当か、
言語を貶めるのはやめろ。
詩板には、まともに詩を考えている奴は、一人もいないのか?
このスレは本来、まともに詩を論じる場ではないのか?
「詩人」というコテハンの書き込みを、アラシで邪魔して
読めなくしようとしている人達、恥かしくないか? まともに
論じたらいいじゃないか。
>>123-142 を読んでみれば、わかるよ。
145=詩板住人ではないよ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=975776113&st=136&to=150 詩人ことKANAIはこのスレッド、及びこのスレッドの前身である文学板での
詩板を貶める書き込みをしていた人物。
彼がなぜ詩板の固定ハンドル叩きに走ったかの理由は明確。
彼は文学板でまるっきり相手にされなかったのだ。
サガンのある微笑をほめそやし、それを叩かれたのが4/11日。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=975776113&st=136&to=150 ここの138-139の日付を見れば 4/11 の正午ごろ、
文学板のKANAIの34が
34 名前:KANAI 投稿日:2001/04/12(木) 18:28
本気で好きなものを論じるのがこわいというのは、
解体を恐れているのではない?
解体した後で統合する力ばないことを恐れているのだと思う。
>>5 詩は言葉以外のものではない。
言葉こそが詩の命だ。
絵画の詩、音楽の詩、それはあくまで比喩だ。それは詩性と呼ばれるもので、
詩とは言わない。
となっている。
この書き込みには彼にしては満足な解答が得られたらしく、彼はその後
詩人というHNで「オススメ フランス文学」のスレッドに別人を装い再登場している。
68 名前:詩人 投稿日:2001/04/28(土) 00:22
初めまして、いきなりですが、いまModianoのPlace de l’etoire訳しています。結構この手は初挑戦です。シュペルヴ
ィエルはLe voleur d’enfantsとかやりましたよ、昔。田村以外にどういうルートでみなさんは買われてるんですか?
Folioは勘弁です(わがまま)。オススメEcrivainは、ジャック・レダです。邦訳一冊しかないけど、原文は…かなりしん
どいです。
ところがこれもまるっきり相手にされず、その後最弱視人の「詩を読んでいない」発言に噛みつく。
そして、以後は名無しになり執拗な最弱視人叩きを始めた。
これがその第一弾である。
52 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/05/11(金) 11:57
詩にたいするスタンスの問題でしょう。我々であれば先人の詩を欠片も読んで
いないなんてことは恥ずかしくてとても言えたもんじゃないです。特に
批評者たらんとするのなら当然いくつもの作品を読んだ上で批評するのは
当然の事では?詩が何たるものかわからないで批評するほど間抜けな行為は
ありませんよ。
53 名前:吾輩は名無しである 投稿日:2001/05/11(金) 13:59
アポリネール「ミラボー橋」
ミラボー橋の下を
セーヌ川がながれ
われらの恋がながる
そしてわたしは思い出す
悲しみのあとには楽しみがくると
哀愁迫る詩だ。
結局は、言葉に対するスタンスの問題だよね。
読むに絶えられない詩っていうのはさ、
詩は言葉が命なのだということを知らないで書いてるのでしょうね。
要するに、文学板でまともに相手にされなかった事を根に持ったKANAIは
詩板の馴れ合いの雰囲気が妬ましく、詩も読んでいないと公言しているのに
批評し感謝されている最弱視人を攻撃対象として徹底的に貶めようとした。
それが、このスレッドの
>>50 >>61-62
>>84 >>86 >>123-135 となった。
彼好みに言えばルサンチマンであろうと推測される。
KANAI(詩人)は文学板で無視された腹いせに詩板を荒らしたのだ。
あれ,終わったスレだと思っていたのだが…。
どっかの粗暴なロマン主義者が暴れ回っているようですね。
どうやら「微熱くん」が、必死こいて見えなくしたがってるようだな。
自分で立てた板をアラシてどうするよ>微熱くん
ここには私も書き込んでいるし、熱心に論議している人達もいる。
勝手にアラすな。「微熱くん」が何故アラすのか、理由が見えないほど
バカじゃないよ、我々は。隠そうとすればするほど、みじめだろうに?
>>123-142 はアラシじゃない。「絶対美(詩)感」という話、
非常によくわかる。自分の中の曖昧だったものに、初めて名が付いた感じだ。
自信がもてたよ。書いてくれた「詩人」に、お礼をいいたい。
ついでに。
「詩人=KANAI」説を書いてるようだが、そのことが
君自信の言語に対する感受力の貧しさを物語るよ>最弱視人
読めば、わかるんだ。このスレに書き込んでいる「詩人」は、
そんなアホなアラシじゃない。最弱視人自身がアラシて見えなく
しているから、あえて再度引っ張るが
>>123-142 を読めばわかる。
書かれた文章の中に、その人間の本質は出るんだよ。
最弱視人がどんなに言いくるめようと
>>152 ホントのことは、隠せはしない。このスレで「詩人」が言ってることは
最弱視人には最も耳の痛い話だろう。だが、ホントなんだ。
詩は、本当は、お遊びじゃない。
155 :
吾輩>「最弱視人=KANAI]へ:2001/06/11(月) 18:00
「最弱視人=KANAI]へ。
君は自分のコテハンを売り出したいわけか?
文学板までHNを貼りまくってアラシに来るな、迷惑だ。
やりたきゃ、このスレで存分にやりゃあいいだろ?ageてやるから。
>>154-155
点の付けるとこが変。
>詩は、本当は、お遊びじゃない。
>やりたきゃ、このスレで存分に
最弱視人=求人案内
感情的にやらなければ、有意義な話ではある。
160 :
コテハン:2001/06/12(火) 02:49
161 :
吾輩は名無しである:2001/06/12(火) 09:30
そもそもなんでKANAI=詩人だと思ったのか、不思議だな。
KANAIって人のスレ探したけど、全然なかったよ。
162 :
名前はいらない:2001/06/12(火) 11:10
どちらにしても荒らししてる奴はアホ。
文脈分からず人荒らし扱いする奴もあほ>146
相手にすんのはこれで終わり。
おりゃお前にはもう飽きたよ >荒らし君
163 :
コテハン:2001/06/12(火) 17:30
>>153-154 と
>>123-142 を
読んでみれば、すべてはハッキリする。
二度とアラすなよ>微熱くん
164 :
偽者:2001/06/12(火) 22:14
あまりにも馬鹿馬鹿しいので放置しようかと思ったんだけど、
勘違いする人がいるかもしれない(というかすでに何人か洗脳されている)ので釘をさしておく。
(電波や狂信者の相手はしたくなかったんだけど)
>
>>153-154 と
>>123-142 を
>読んでみれば、すべてはハッキリする。
えーとですねえ、詩を読み書くのに知識なんか大して必要じゃないと思うんですが、
議論したいなら少しは勉強したほうがいいと思うよ。
(だってここは詩論スレッドでしょ?)
上記のレスポンスアンカー先の書き込みなんて酷いもんだ。
「高貴」だの「至高」だのを詩に持ち込むのは年寄りかお子様か、もしくはただの権威主義者。
たぶんバロウズもデュシャン(詩人じゃないけど)も知らない、無知ゆえの素朴なロマン主義者なんだろうけど。
>>152の指摘どおりツッコミどころが多すぎ。
21世紀にもなってまだこんなのがのさばっているなんて、ある意味とても微笑ましいのだけれど、
ひとりで勝手に「至高の詩」を拝んでいればいいのであって、人様に迷惑をかけちゃいけないよー。
あっさり騙されている人がいるようだけど、見ているこっちが恥ずかしい。
事件をおこしたり新興宗教にかぶれる人って、ある意味純真無垢なんだけどね。
(おー怖い。刃物振り回さないでね)
>>164 なんか、見られたら困ることでもあるわけかな?
ここのところを。
>>153-154
>>123-142
かえって興味をそそられて
しっかり読んでしまったぞ。大変面白い。
166 :
偽者:2001/06/13(水) 07:40
何が困るんだろう…。
読解力ありますかー?
(というかこれは教養の問題だな…可哀想に)
167 :
名前はいらない:2001/06/13(水) 08:38
a
>>166 妙なカキコだ、、、これはつまり
>>153-154
>>123-142 を読みなさい、ということだろう。
と思って読みました。うんうん、興味深い読み物でした。
169 :
吾輩は名無しである:2001/06/13(水) 13:51
171 :
偽者:2001/06/13(水) 23:26
たしかに、
何故詩板の一部の人間は、それを見えなくしたがったり貶めたりすることしか
できないのか、堂々と自分の「詩論」を同じように冷静に展開できないのか、を
考えさせる、示唆に富んだカキコだ。一読の価値あり。自身の詩論を顧みる
叩き台としても、非常に貴重なカキコだ。とりわけ偽者には耳が痛い話のようだ。
>>153-154
>>123-142
173 :
偽者:2001/06/14(木) 01:21
いやー、あんまり理解力ないので馬耳東風ですがな。
それにいま美学の勉強をしているので、それで頭がいっぱいいっぱいだし。
ダンボール三箱分も読みかけの本がたまって大変だあ。
174 :
:2001/06/14(木) 11:39
>>172 過去レスを読むと、どれがアラシでどれがまともな論か、
わかるな。アラシで他者の論を消そうとするなんてのは
最も卑しい行為だと思わんのだろうか、詩板の住人は。
見えなくなっているが、たしかに読んで損しない箇所。
>>153-154
>>123-142
176 :
:2001/06/14(木) 17:00
歌人・俳人と詩人は同じと見ていいのですか?
177 :
偽者:2001/06/14(木) 17:51
>>176 あんまり細かくカテゴライズしちゃうと変な党派性が出てきて衰退してしまうような気がする。
谷川俊太郎みたいに何でもやれる人ってかっこいい。
(啄木は詩人かなあ? 歌人かなあ?)
178 :
詩:2001/06/15(金) 02:19
「詩」で「死」を扱うのは別に構わないが、
扱い方を誤らないように!
「死」はアクセサリーではない。
179 :
(kau-a):2001/06/15(金) 08:44
死を抱く詩は本物ではなく
飽くまで想像だ。死は言葉には
絶対に出来ない。そこにあるだけだ、死は。
>179 意味がよくワカランが,まあ,言わんとしていることは何となく察しが着く。
ただ,そのことと「詩」とは,おおよそ無縁でしょ。そこに過大な妄想を抱くと
かの粗暴なロマン主義者の二の舞になっちゃうよ。
>>180 君もかの「詩人」の論が耳に痛いクチか? 言葉に関する
絶対音感みたいなもんが皆無なわけか? なら、イタすぎて
粗暴なロマン主義者とか言いたくなるわな。
182 :
偽者:2001/06/15(金) 18:37
まあ、音感にも「絶対音感」と「相対音感」つーのがあるんだけど、
それすらもしらなそーだからなに言っても無駄だとは思うんだけどさー、
いいかげん目を覚ましたほうがいいと思うんだけどなー。
絶対美感ねえ。
それって超能力? 電波? それとも御告げ?
面白いなあ。
その不思議な力の秘密が知りたいぜー。
詩人サーン(そのシンパでもいい)もっと詳しく教えてクレー。
げらげらげらげらげらげらげらげらげら。
>181
そう熱くならずに。
勿論,私も美に対する憧れは持ち合わせているつもり。可能であれば
美を直観したいと願うし,あるいは可能不可能に関わらず,傑作主義は
詩作者の倫理だろうと思う。
ただ,ならば私は貴方に問うのだが,貴方は美を直観できるわけですか?
で,それはどのようにして?
むしろ,「美を直観する!」などと言ってしまうのは楽なんですよ。
そうではなく,美に対する憧れを持ちつつも,容易にはそこに立ち至れない,
せめぎあいと屈折から,美を反転させたり,あるいは死を反転させたり。
…そういったところにおいて詩の可能性は開かれるんじゃないかなー。
だから,私は冗談以外では「美を直観する!」みたいなことは,言いたくても
絶対に言わないよ。「美」を振り回す前に,それが至高のものであるならば,
もっと大切にしてじっくりと考え直してみるべきじゃないかね。
184 :
かのっぴ:2001/06/16(土) 14:04
詩人さんへ
あなたの論旨は批評(あるいは添削)無用論だと思うので
その反論として書かせていただきます。
将来に書く詩で「真実」の「魂」を紡ぐために、
過去に書いた詩を見つめる作業も現在書いている詩人には
必要ではないでしょうか?
批評行為はその作業に自分にはない様々な視点を与える
ものです。批評者の視点は多様であればある程よく、
そのためには文学に馴染みの深い人も全く馴染みのない人も
批評行為に加わるのは望ましい姿だと思います。
また詩が絶対美感により発見されるとして、まずはそれが
人の目に触れることが必要になります。あなたからみて
詩を貶めている酷評でも、それがきっかけでその詩が
人の目に触れることになれば、その酷評は有用でしょう。
またあなたがどう思うにせよ、やりたい人、求める人が
いる限り批評行為は続けられるでしょう。それを批判することに
余計な力を注ぐのは、不毛な努力だと思いますが如何でしょう?
その力を己の「絶対美感」を磨くほうに向けることをお勧めします。
人間の寿命はあなたがいうところの「絶対美感」を磨くには
短すぎるでしょう。よもや「絶対美感」が全く天性のもので
磨く必要のないものだなんて思っていないでしょうね?
185 :
かのっぴ:2001/06/16(土) 14:51
追加
絶対美感は、持つ者と持たない者がいるのではなく、
磨く人と磨かない人がいると私は考えます。
そして真に絶対美感を磨く者は、その厳しさを
己に向ける者です。
186 :
名前はいらない:2001/06/16(土) 14:57
>>182 カキコに人間性が顕れる、とかって、誰かが書いてなかったっけ?
君が書いてたんじゃないか、どっかに?
187 :
名前はいらない:2001/06/16(土) 15:07
>>184-185
その「絶対美感」についての話って、最初に出た
ナマのカキコを並べて読んでみる必要があるんじゃないの?
批評の話じゃなくて詩論みたいに見えるんだけど・・・。
元々はここでしょう。
↓
>>123-142
188 :
偽者:2001/06/16(土) 19:49
>>186 >カキコに人間性が顕れる、とかって、誰かが書いてなかったっけ?
>君が書いてたんじゃないか、どっかに?
あのー、どなたかが書いてたかもしれへんけど、自分じゃないことだけはたしかです。
だって、カキコで人間性がわかるとしても、それはその人のごくごく一部だと思っているので。
というか下品でも上品でも中身はかわりまへんがな。
なーかーみーをーよーんーでーくーれー。
>>164で自分が何を言いたかったのかわからないわけ?
>>123-142の書き込みを読んでなにかおかしいと思わないの?
>本物の詩は、ゴミ箱の中に置かれても、光を放っている。
「おいおい、蛍光ペンで書けばいいのかよ」
と、突っ込みいれる余裕がない人とは議論になりまへんがな。
「魂の真実」だの「絶対詩(美)感」だの言われて納得しているようじゃあ、
タリバンとかいう原理主義の人たちとかわりないぜえ?
(彼らの「真実」にとってバーミヤンの仏像は「芸術」でも「文化遺産」でもなんでもないわけだ)
>>123-142の文章に「騙される」人たちが多いというのはこっちとしても了解済みなんだけど、
それはどういうことかといえば「ヒトラー」を想像してもらえればわかると思う。
(バックにワーグナーがかかっていそうだよ。悪い意味での狂信的な熱意も窺えるし。ユーモア皆無)
だから別スレでアドルノを引き合いに出したんだけど、わかりますかね?
「とべとべちんちん」(うろ覚え)さえ否定されてしまいそうだよ、
>>123-142の文脈じゃ。
権威を以って表現を圧殺する、ということの意味を少しは考えたほうがいいぜえ。
>「詩人」さんへ
私は、このスレでコピペ貼りアラシがあったり、詩人=KANAI説のカキコが
連続したりするので、変だな〜と思ったから、
「詩人」なんちゅうふざけたコテハン(だってこの板には自分が詩人だと
思っている人はなんぼでもいるから)の人のカキコも、一応は
読んでみようという気になりました。で、読みました。
詩って、そ〜んなにすご〜いものなの〜?(溜息)←感想です。
私は、もっと気軽に書いていて、自分の魂の声とか考えたことない。
その時の気持ちを言葉に出してみる、それだけです。
絶対音感は生まれつきにあるそうだけど、私には無い。
絶対美(詩)感とかも同じようなものだとすれば、それも無いです。
でも、好きな音楽は充分感じ取れる。演奏も下手だけどちょっとはできます、
カラオケ逝くのも、クラシックとか聴くのも、好きです。べつにオペラ出て歌うとか、
交響曲作曲するとか、プロの音楽家になるわけじゃないから(なれるわけないけど)
絶対音感無くても困らないです。
詩についても、同じだと思う。そんな「人類の宝」みたいな詩を書こうなんて
だいそれたこと思ってもいないし(書けるわけないけど)プロの詩人になれるかもとか
全然思わない。だから、絶対美(詩)感無くても、べつに困らないです。
でも、良い詩を読んだ時には、言葉なんかなくて震えるみたいな感じするとか、
体験あるし、もし詩が人間の魂をつないでいく力があるとすれば、すごいなあと思う。
良い詩を読みたいと思います。
「詩人」にレスしても無意味のようだ、もう見てるかどうかわからんと思われ。
「酷評3」スレに詩人を騙る奴がおかしなカキコをしていた。
そいつはこのスレでKANAI=詩人説を連続カキコした奴のようだ。
なぜなら、すぐあと文学板まで逝って
「詩板の住民ですが、詩板を荒らさないでください」とスレを立てて
KANAI=詩人説を展開し、詩人を騙って書かれた直後のそのカキコを引用している。
騙りとKANAI説に共通しているのは、
詩人を変な奴に仕立て上げることで、このスレの「詩人」のカキコそのものを
無価値なように見せようとしている点だ。
「酷評3」スレにあった騙りに対するHN「詩人@本物」のカキコは↓これ。
(190から続き)↓「酷評3」スレから
102 名前:詩人@本物 投稿日:2001/06/11(月) 03:14
>>92-93を書いた下司野郎、君は、魂が腐っているぞ。
自分でわかっているだろう。他者の目は誤魔化せても
自分自身はけっして誤魔化せない。君は2001年6月10日に
このスレで卑劣な騙りをやって、自分の魂を汚したんだ。
そのことは、たとえ君が死んでも、消えないんだよ。君自身が
忘れてしまいたくても、君の潜在意識の中に、一生残り続ける。
いいか、君は、君自身の魂を、汚したんだよ。
私は、『詩について何か論じてくれ』スレに書き込みをした
「詩人」だ。ここに書き込みをしたことはない。
もしもこの板に、自分の命にかえても、というくらいの思いで
詩を書いている人が、一人でもいるなら、その人は、
『詩について何か論じてくれ』の123−142を
読んでくれ。「君」が読んでくれれば、それでいいんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…命にかえても、なんて思いで書いてる人…いないと思われ。
(ん〜、もしいたらゴメン。)でも2chの詩板だから、
「詩人」のような理想論言ったってしょうがない。詩について
ワイワイやってるだけだから、ムズかしいことはいいです。
俺は、騙りをやる奴は誰にせよ気に入らない、それだけ。
↑レスタグ>92-93は、このスレでなく「酷評3」の>92-93
193 :
偽者:2001/06/16(土) 23:19
>俺は、騙りをやる奴は誰にせよ気に入らない、それだけ。
激しく同意したりする。
と、それとは別の話で「詩人」さんの言ってることは、ちとおかしい。
自分の立場はそーゆーことです。
んー、本人が見てなきゃ意味ないんだけどね。
反論して欲しかったんだけど。
194 :
名前はいらない:2001/06/17(日) 14:42
>>190-192
その騙りのやつ、知らんかったぞ。いま見たけど<「酷評3」
すんげぇえげつないこと書いてるな。
>>193 偽者さんへ
同じく、激しく同意!!
いいじゃん、べつに対話じゃないんだから、「詩人」は見なくても
自分の詩論を語れば皆が読むだろ。
195 :
偽者:2001/06/17(日) 18:32
>>194 えーと、基本的に自分はツッコミの人なので、誰かがボケてくれないと話ができないんですわ。
そういう意味では詩人さん(ボケ)とはよいコンビになれそうです。
それに自分は、格闘技で言えば「我流喧嘩屋」みたいなもんなので、
いわゆるアカデミックな物言いは苦手なのであんま期待はせんといてください。
それに偽者なんかより、基本が出来ている
>>180さん(
>>152 >>180 >>183)とか、
かのっぴさん(
>>184-185)に突っ込んだほうがおもろいと思いまっせ(と、煽ってみる)。
(気をつけたほうがいいぜー。自分の勘だとかなりの「勉強家」だぜ、この二人)
196 :
DARKZONE:2001/06/17(日) 18:34
ん〜〜〜〜〜煽られてる(笑)
絶対美感とか絶対詩感とか、正直言ってどうでも良いんだよね。
その存在すら信じていないし。僕が詩人さんに言いたかったのは
絶対美感が存在すると仮定した上で、詩人さんにはその有無を
判定できるのか?ある人に、おまえは絶対詩感なしに詩を批評
して詩を貶めていると糾弾する資格が詩人さんにはあるのか?
ということなんだよね。もちろん詩人と批評家の役割は違うと
思うし、批評家なら
>>123-142の発言も内容はともかく許しても
いい。ただ、詩人同士で切磋琢磨しあうための相互批評に首を
突っ込んで詩人を潰すようなことをする資格があるのか?
批評家としての倫理を問いたいんだよね。少数の者が美を独占
するかのような議論を仰々しく書きたてて一般大衆から詩を遠ざけ、
詩人の資質をことさら狭く限定して詩人を潰すことが批評家の
仕事なのか?と。
>>197 まあね、相手がいなくなってから言っても…、
「詩人」のカキコの直後に論議が出てればよかったよね。
アラシ、KANAIなんたら、騙り、出てたもんな、
詩とか言う前の倫理の話だな、やった奴は。
>>123-142
これ、なんかさ、全然この板とは別世界の話にみえる。
ここでやってるのは「ぽえむ」であって、誰でも
気軽に書いてるレベルだよ。読んでほしい人にレス返すわけで
それが2chの良さなんだから。
>>189の人が言ってるように、それで充分だと思ったりする。
別に一般大衆から遠ざけるとか詩人を潰す話じゃなくて
詩人の資質を狭くするというより、逆の
芸術としての詩はどういうものかという話だよな、これは。
絶対音感の話が、音楽を一般大衆から遠ざけたり音楽家の資質を
狭くしたりするかよ? 同じことじゃん。むしろ
言葉の芸術の中では散文なんかより上だと断言して、
詩が一番すごいんだぞと、そういうことだろ。
ひょえ〜、すげえ〜! そういう詩を一編でも書けたらもう
死んでもいい!とか言ったりして(ウソウソ
>>191 見ると
「命にかえてもというくらいの思いで詩を書いている人」だけに
読んでほしいちゅってんだろ? 他はいいんだよ、虫無視。
199 :
名前はいらない:2001/06/17(日) 23:49
>>197 「詩人」カキコで初めて見た<絶対詩感
本人があるからわかるんだろう、絶対音感と同じってことは、
無い者には信じ〜ら〜れな〜い!話。詩人の論は高踏的でこの板で
どうこういう話じゃねえよ、はなっから。命かけてる人だけ、読めば?
批評の論だと、有名な芭蕉の言葉があった。
点者をすべきよりは乞食(こつじき)をせよ (芭蕉)
解説:人の作品に批点(批評、評価点)を加える暇があったら、乞食行脚を
して、自己鍛錬に励めというのである。雨後のたけのこのごとき最近の
(結社&句会の)「主宰」諸氏には、耳の痛い言葉であろう。
(復本一郎・俳人&神奈川大教授)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これだって高踏的で、芭蕉くらいの「芸術」の話だろうよ。またはプロの結社とかの。
2chの詩板には、全く関係ないな、別物だろう。
>>198 >>199 大筋で合意。ここには関係のない話だね。
こういう論に惑わされない耐性も必要なのかもしれない。
やりたいことをやるためには。自戒も込めて。
僕も難しい言葉あやつるの、やめようかな。
本当は勉強家でもなんでもないんだし(笑)
詩は難しい。
>>198 そうだと思う。2chにカキコする人は、
だれかに見てほしいと思ってる。
レスもらえばうれしい。それでいい。でも
チャットみたく話をしているつもりでカキコして
あとで気づくと、消えてない。
消しゴムほしいーって思うことあります。
それをいつ誰が見るかわからないんで、それコワイと思う。
2chっていがいに有名、うっそ〜と思うような人が知ってたりする。
ほか板でハッキリしない記憶でカキコしたら
そく「ちがう、知ったかぶりすな!」てレスあってたまげた。
みんなの共有の場だから、個人のHPとは全然ちがう。
だれも平等で自由にカキコできるとこが2ch詩板はいい。
このスレも好きにロムしています。
私も
>>199さんに同意。
マジ書きしてるHN無しの人とか「詩人」さんは、
とんでもなく芸術の詩の話をしている。
「詩板」と名のってるから同じだと思って
文句言いにカキコに来たって感じする。
>…「詩」の名を貶めようとする…
な!と言いたいわけでしょ?
カルく考えてるだけが詩じゃないぞって怒ってる感じ?
ムズい論もイタい話も苦手ですが、
詩がすごいものだとはすごい!と思う。
2chにも芸術の詩を目指してる人いるかもしれないし
そんな人と一緒に詩を書いてるとすれば
なんかうれしい。がんばってほしい。
詩、っていうモノの意味がわからない。
ただ無意味にかっこつけて改行するのを詩と呼ぶのでしょうけど。
言いたいことあるならはっきり言えばいいじゃない。
なんで気取って言葉を飾りのようにあつかうの?
メモ帳に美しい言葉を集めておいて、数学でもやるかのように
それを組み合わせて形を整える。ラルクの詩って、まさにそうだよね。
言いたいこと、感情を吐露するような、
そういう文章なら理解できるけど、
言葉遊びって理解できない。
といいつつ、なんだか無意味に改行してしまいました。
サービスで言葉を使うみたいでやだな。
--------------------------------
詩の定義が確立されました。
>ただ無意味にかっこつけて改行するのを詩と呼ぶのでしょうけど。
これで何を詩と呼ぶか、結論が出た。
今夜はよく眠れそうだ。(藁
>>203 その(藁 はよけいじゃないか?
それが無ければ、何を言おうとするカキコかを
真剣に読む気になる。だが、書いた本人が(藁 では
いい加減に煽りたいだけだろうとしか、見えなくなってしまう。
マジで読んでいる読者全部をバカにするようで、不快感を与えるだけ。
それじゃ何の為にカキコしてるのかわからないだろ。
「分かち書きすれば詩なのかよ?」―――これは、別に麗奈だけでなく
詩を書く人間に対して、よく投げられる言葉だ。
それにどう返事するかは個々人の課題で、総論的なことは言えないと思う。
自分の詩によって応えることができればと俺は思ってる。
詩は難しいね。
「分かち書きすれば詩なのかよ?」とはまあ、204氏の仰る通り、よく聞く言葉だね。
で、まあ、204氏の仰る通り、総論的なことはなかなか言えない。でもまあ、「詩論スレ」
ということなので、自分なりの落とし所を探すつもりで、無謀にも果敢に挑戦してみようかな。
まず、行分け詩=詩についてだけれども、ならば行分けしていない文章とは何か。厳密にやると
話がヤヤコシくなるから、とりあえずは乱暴だが散文としておこう。
で、この散文だけれども、散文に対して「分かち書き」の方が、より形式的である、従って
視覚的にも形式的な「行分け詩」=「詩」となる、という論法だろうが、ただ、ならば「散文」の
形式、あるいは”散文の精神”についても考える必要があるだろう。
確かに「詩」に比べて散文の方が平易ではある。でも、「分かち書きしなければ散文なのかよー?」
という問いに答えられる人がどれくらいいるかな。
散文詩とか例外を除けば、おおよそ「行分け詩=詩」という印象が一般的ではあるでしょうね、
ただ単に分かち書きをすれば「詩」になるという。しかし私は思うに、この「ただ単に分かち書きする」
ということには、203氏が考えている以上の大きな意味があるんじゃないかな。つまり分かち書きしない
文章=散文への、私たちの無意識さの裏返しとして。
だから「行分け詩=詩」という、一見陳腐な印象は、私たちが思う以上に堅牢なものではないか。
ま、ここまでは文体の話。で、言葉遊び云々についてだけれど、こいつについても同じ事が言えると思うよ。
「言いたいことがあればはっきり言えばいい」とのことだけど、これは散文を書け、と言ってるのかな?
舌っ足らずな思わせぶりな言葉をもったいぶって書いて、喜んでるのが「詩」だと?
むー。これについては激しく同意する。現代詩にありがちな傾向で、つまり何を言っているのか
ワカランが多いのは確かだなあ(オブジェのような全体性さえ持たない、いたずらに観念的なやつね)。
ただ、だからと言って散文的な明解さを詩に求めるというのも、多少、短絡的な気がする。
「散文的な明解さ」は、散文の精神において明解でなのであって、「詩」の明解さは、また別に存在する
と思う(…と願いたい。詩を書いている身としては)。だから、散文の平易さを盲信するところからは、
詩の可能性は出てこないんじゃないかな。
つまり、私たちが「言葉遊び」を回避する方法というのは、短絡的に散文的な明解さを詩に要求するんじゃなくて、
「詩」としての明解さをもとめるところに見出されなきゃならないと思う(そんなものがあるかどうかは知らんが)。
ま、精進せよ、ということでしょ。
-------------------------------
ちなみに、「散文」に対する「韻文」として該当するのは、新体詩〜現代詩じゃなくて短歌・俳句だとおもわれ、
という突っ込みはしないでね。話がややこしくなるから。
>>199 批評論か…さすが芭蕉、俳聖だけあって
くだくだ言葉を重ねずただの一言で言い尽くしてるわけか。
でもま、何にせよ個人の自由だから。
2chはみな勝手に好きでやってる、それだけ。
結局残るのは「カキコだけ」。
良い詩をかこう!ってね。
age
209 :
煽られた183:2001/06/21(木) 19:22
あがってないやんけー!
210 :
TNR:2001/06/22(金) 01:46
詩が難しいのは、それが詩であろうとしているからです。
読めばわかるようなことは、読めばわかるように書けばよい。
意味が伝わればよいものは、意味が伝わるように明晰に論理的に書けばよい。
自明のことをわざわざ苦労して詩の形にする必要はない。
私たちには簡潔な論理学や数学があり、複雑な日常の言葉がある。
意味の伝達が目的ならば、これらで十分。
論理を超えたもの、言葉にならないものを敢えて言葉にするとき、
そこに初めて詩が現れる余地がある。
詩は言葉を超えた言葉だ。あるいは、意味以前の意味だ。
もし浦島太郎が絵描きなら、「絵にも描けない美しさ」とは死んでも
言わなかっただろう。
もし私が詩人なら、「言葉にできない」とは何があっても歌わない。
211 :
TNR:2001/06/22(金) 01:46
詩人の仕事は、新しい言葉をつくること。
「自分だけの言葉」というものが成立し得るかどうかを考えよう。
自分の言葉を持たない者は、詩をつくることなどできない。
しかし自分だけにしか通用しない言葉を作ってしまったら、それは
言葉として通用しない。言葉は貨幣と同様に、流通しているものを
使う必要があるのだ。本当のことを言えば、貨幣とは言葉の一種に
他ならないのだが。
つまり「自分だけの言葉」は定義からして存在し得ない。にも関わ
らず、「自分だけの言葉」を追求することなしに詩は成り立たない。
だから詩人は既出の言葉を組み合わせ、なんとかして自分だけの言葉
に近いもの、今までになかった新しい言葉を作り出そうと努力する。
あまりに努力しすぎて自閉に近いところへ踏み込むこともあるのが
現代詩であり、努力ということを知らずにスットコドッコイになって
いるのが自称ポエマーたちの垂れ流す「ポエム」である。まあ、後者
はステロタイプの一言で片付けてよろしいかと。
とはいえ、文字を書いている人が皆このように考えているというわけ
ではない。私はこのように考える、というまでだ。
自分の周りに流れてくる言葉を身に纏うだけで満足する人もあるだろう
し、誰かに作ってもらった品物を盛り付けるだけで自分のものとして
差し出す人もあるだろう。それはその人の生き方であって、私の知った
ことではない。
私はただ私でありたいと、いつ如何なるときにも他の誰でもない私で
ありたいと願うばかりである。
213 :
名前はいらない:2001/06/23(土) 20:48
詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。
詩とは*感情の神経*を掴んだものである。*生きて働く心理学*である。
すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩の*にほひ*といふ。(人によつては気韻とか気稟とかいふ)*にほひ*は詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。順つてこの*にほひ*の稀薄な詩は韻文としての価値のすくないものであつて、言はば香味を欠いた酒のやうなものである。かふいふ酒を私は好まない。
詩の表現は素樸なれ、詩の*にほひ*は芳純でありたい。
214 :
名無しさん:2001/06/29(金) 06:39
>>213 >
>人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、
>かつ感情をさかんに流露させることである。
>
<人心の内部に顫動する所の感情>というのは、213さんの云う<それらの者>が詩の表現者のとる主体性を保持した様々な行為であるならば、行為を決定する際に必然的に持ち込まれる感情(決定材料の一つ)に左右されることによって多くのバリエーションが得られる。<感情>は感情に感応して新たに生み出される。ここで疑問なのが、<感情そのものの本質>とは、表現者はどこまで正確にとらえることができ、完璧な姿を見ることができるのであろうか? その<本質>を<凝視>することにより表現者はどこまで感情の発生した経緯をたどることができるのであろうか? 感情が導き出された事象(状態)の歴史を理解し解釈するのは当然、主観的であり、その主観にブレることなく<本質>をとらえる保証を与えることができるのであろうか? 213さんの云う<本質>とは何か?
215 :
名前はいらない:2001/06/29(金) 12:49
「感情」とは乱暴な言葉だな。
216 :
213:2001/06/30(土) 19:04
213です。
ゴメンナサイ。
>>213 は私の敬愛する萩原朔太郎の「月に吠える」の序からの引用
(コピペともいふ)なのです。
>>214 >ここで疑問なのが、<感情そのものの本質>とは、表現者は
どこまで正確にとらえることができ、完璧な姿を見ることがで
きるのであろうか?
<とちう省略>
>213さんの云う<本質>とは何か?
私が朔太郎になりかわって回答するのはいかにも僭越な行為
のように思われます。
そこでもう少しだけ朔太郎の引用をゆるしてください。
217 :
213:2001/06/30(土) 19:06
以下「月に吠える」の序より引用
『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい』といふ問に対しては何人もたやすくその心理を説明することは出来ない。
思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を*完全*に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。
(中略)
人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決して*ぽつねん*と切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この*共通*を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この*共通*を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。
私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。
218 :
あかむらさき:2001/06/30(土) 19:08
とても良い文章ですね。
219 :
名無しさん:2001/07/05(木) 12:12
age
220 :
診usianasan:2001/07/06(金) 22:57
test
221 :
名前はいらない:2001/08/17(金) 14:19
良いスレage
222 :
かのっぴ:2001/08/17(金) 16:06
「さざなみ」
昨日まで続いていた嵐は止んでいる
波は静かに朝日を反射している
風は穏やかに疲れきった体を包み
太陽の光は泣き疲れた目に眩しい
目の前に広がる海と空は果てなく
空っぽの未来を巧みに描いてみせる
港の小さな漁船は空っぽの未来に向かい
毎日出港し今日の糧を運んで来る
今日出港する旅人に
さざなみは未来を少しだけ明るく見せる
漠然とした希望がこれからの旅に胸を躍らせる
嵐の記憶は「そう簡単にはゆかない」と警告する
用心深さから周到な旅の支度をきびきびと進める
さざなみはそれを静かに見守っている
>>222 スレ間違えました。失礼(陳謝)
ていうかこのスレ、久しぶりに見た。懐かしいなぁ。
224 :
絵描き:2001/08/18(土) 03:22
以前ある投稿詩の雑誌で、詩にイラストをつける仕事をしてたことがあった。
単なる挿し絵というより、詩とイラストのコラボくらいのカンジで、
詩に対してイラストのしめる割合も大きかった。
つまり、その詩から受けるインスピレーションによって、
自由に絵を描くことが要求される仕事だった。
基本的には読者の投稿詩に絵をつけるのですが、
たまに「特集」とかいうコーナーがあって、
そこではいわゆるプロの詩人とか文学史に残っている詩人
いわばどんな形にせよ「詩人」と一般的にも認識されている人の作品があつかわれるのですが、
そこで私はあるとき室生犀星のナントカという詩に
(不勉強ですみません。でも彼の中ではそれほど一般的に知られている作品ではなかった)
絵をつけるという仕事の依頼がきたことがあります。
原稿を読んで驚きました。
いつもの投稿詩とちがって、
私のインスピレーションを深く刺激する。
いってみれば、言葉によって刺激される度合いというかレベルというのが、
投稿詩のレベルと全然違うことに驚愕しました。
あざやかに言葉の像が立ち上がるのです。
強固にゆるぎなく立ち上がるのです。
それによって、受けて立つ側である私も
いつもより数倍のエネルギーを使って
絵をかきあげました。
にもかかわらず
いつもよりハッキリと自信をもって、
しかも時間もかからず一気に仕上げることができました。
これは決して投稿詩をバカにしてるわけではありません。
でも、まさに言葉の力によって、
コラボレーションする私の側のエネルギーが左右されるのです。
詩の鑑賞には素人の私ですが、
このとき感じた何か、というのは
やはり詩の持つ力量の差だったのではないかと思います。
そして私は絵描きとしてそれを感じたのです。
ところで、絵描きとしては「絵にも描けない美しさ」とはなんたる物言いか!と
常々思っとりました。プンプン。
へたくそ〜〜
226 :
名前はいらない:01/09/18 19:01
age
>>224 絵描きさん
めったに出会えないマジなオトナのカキコで、
大変感動しました。
おっしゃる意味も、非常によくわかります。
絵本創りの現場でも、まさにそういうことが起こります。
「言葉」の力が、画家の創作力を喚起するのです。
心から言葉に触発された画家は、言葉の呪縛に囚われるのではなく、
かえって創造の翼を広げて、素晴らしい画境を展開してみせます。
それは、読者や物語の作者自身をも驚嘆させるような、
思いがけない絵となって、物語世界を豊かに膨らませます。
はじめに言葉ありき。
そうして、文と絵が、
馴れ合わず戦わず、それぞれの力を存分に発揮しえた時、
素晴らしい絵本が生まれるのです。…とても稀ではありますが。
228 :
名前はいらない:01/09/22 01:36
ag
229 :
名前はいらない:01/10/05 18:24
悩み多き人たちへ。
良スレあげ。
230 :
名前はいらない:01/10/29 13:14
粘着age
231 :
名前はいらない:01/11/18 16:38
232 :
パンティー ◆DJvODuLA :
そういえばこんなスレッドにも
あいかわらず煽ってたなおれも
だいたい
イバラギノリコってなにものなんだよ
ていうか
あげ