帰還

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1名無しさん
 (2)

 思い出さなくてはならない
 汚水溜めにはまるずっと前
 私は滝をなだれ落ちたことがある

 とうに失せた痛覚ではあったが
 あの時 私は四肢の一つをもがれた

 岸辺の突起物に逆手を取られてたまま
 重い胴体だけが水圧に押されて落ち
 滝上に腕を残してしまったのだ
 あれ以来 片腕と別れたままだ

 あの滝を轟々と下る水流に逆らって
 私という漂流物は 私という死体は
 這い上がらなければならないわけだ

 その滝の先は確か渓流であった
 鳥の声が聞こえた 人家が見えた
 その時
 私の死体はまだ腐乱してはなかった
 河の流れにまかせ むしろ私は快適だった
 油断していたのだろう
 急降下してきた黒い鳥がちょこなんと
 私の顔にとまると私の両眼を突いた

 あの水晶の輝きといわれた眼だけは
 私の矜持であった
 たとえ私の肉体は地上から消えうせても
 眼だけは永遠の輝きでありたいと
 眼だけは世界の過去も未来も
 そして世界の隅々までも透徹して見守りたいと
 あれほど願ってきた眼が
 こんな滑稽な最期を遂げたとは

 焼きあがったたこやきのように
 きれいに両眼を持っていかれ
 空洞となったところには涙が溢れた
 私は笑いながら深く悲しんでいた

 私という死体が帰還したとしても
 あの黒い鳥が持ち去った眼の所在を
 たずねるのは不可能だろう