量子論、進化論は樹上系統樹的な展開形態によって同様のものと解される。実は遺伝理論も同様の展開図を持つが、こういった 事柄の人文科学的な概念としての意味での祖形は実は、北欧神話の他界を渡って根を張る世界樹の説話や、千のナーガと一のカル ラの説話など、神話世界に既に展開されている。ナーガは水神であり、水流は干上がって蒸発するなら空中に上昇する事になる。 しかし全てが干上がる事は無いのだろう。いわゆる太初の海などはそういったものとして考えられる。また特に北欧神話では主神 の種族を必然的な唯一の種と説いていない事、これに並ぶ他の種族を説話が備えているという点に大きな特徴がある。一元的神話 構造に対してこういった多元的神話世界では存在の必然性が幾らか少ない形で捉えられる事になるが、逆に偶然性というものの扱 いに対しては、これを偶然性としたまま、その上で必然と捉えるような、やや迂回的な仕方による強固な、独特な枠組みを構成す る事になる。遺伝理論では系統樹上の祖型を頂点に据える事になるが、進化論には突然変異種、新種の同時発生が超新星爆発に喩 えられる。
ヤマタノオロチは水の怪物でありティアマトのような大河の具象として考えられるが、草薙の剣はこの怪物の体内から得たとい う事を踏まえて考えるなら、草を薙ぐ強風、或いは暴風雨の具象と考えられ、また怪物においては激しい波風を起こすものとして のイメージが描き出される。スサノオの命の佩剣はこの剣に当たって欠けたとされるが、この佩剣が気に掛かる。天尾羽張とする 説があったようにも思うが確認出来ない。仮にそうなら天尾羽張は名称からすれば雲、カグヅチ殺傷説話からするなら空に色彩を 張り巡らせる、つまり時間の推移、国譲り神話では建御雷の命の父である事から雷雲、またはその内に、丁度花の種が綿毛に包め られたように含まれている産出や新たなサイクルの種となるようなものを司る神、或いは天に雲を渡す軌道やサイクルを示す神な ど様々に仮定出来るが、いずれにせよこれが欠けるという事からするなら草薙剣は産出、創造なりサイクルの完全性なり推移なり を変異させてしまうようなものとして抽象化されるような働きを表している事になる。大国主命をキアなり観測者と捉え、スサノ オの命をその祖形としての原初的意識なりトライアンドエラーの集積と捉えるならば、この草薙剣はオロチを激しく波打たせるよ うな強風なり暴風雨を導くような働きを表しているという事もいえる。偶然性、或いはこの場合には進化論的特異点、ビッグバン をもたらすものとしても考えられるか。 上記からは本質的な反宗教的姿勢なり方法論が見出されるが、では現実に直面する宗教的な事柄に関して混沌魔術はどのような 形で折り合いをつけるのか、という点でもやはり国造り神話、国譲り神話を見るのが良さそうに思う。国造り神話、平時において はそれは日常的意識に終始するのであり、宗教的と非宗教的とを問わず、自身の信条、乃至は信念を凌駕する事柄や働きに遭遇す るにおいては国譲り、地盤の大規模な改変を行う事になるのだろう。
ケイオスは第一動因を自身の側に設定するシャーマニックな方法論であるという点で、その動因について分析的な内訳や様態を 捉えた形での種別を行うよりはその方向性によって分類を行う方が効果的であるような側面を備えている。カオスターの八つのベ クトルにはそういった象意が汲まれるべきであるのかもしれない。その意味で、どこか太極拳の理論にも似通っている。各種ベク トルの志向する方向自体が一つの元型的な概念を呼び起こすという事になるのだろう。また、ケイオスがシャーマニズムであると してその際に用いられるものが現代人の魂であるという点でも特色となり、この事が多様な理論の様々な側面に密接に関係してき ているようにも思われる。例えば内訳的な、或いは様態的な動因の種別といった事柄に関しては別に異なる体系を学ぶ事によって 理解を深める事がここでは可能になっている。また、故にそれを全体として、一個のシャーマニックな「動因」として扱う為には 原初的意識への回帰を示唆するような理論が構築されていく事になる。 思うに俺がこれまでケイオスについての理解を停滞させていたのは、最初にこの体系を混沌、文字通りのごった煮の混沌として 受け取り、そこに多大な魅力を覚えていたにもかかわらず後にはそこに様々の体系の整頓の美学とも言えるようなものがどうやら 存しているらしい事を知った為にこの混沌への魅力なり関心という第一要因から派生する様々の展開を捨象してきた事に由来する のかもしれない。こういった過程の上では自得されるそれ自体としての意識の運動というものについて、総体として例えばグレー トスピリッツなどのような観念に類似する全体としての自身の一部分であるという風に考えるに至るが、それはどちらかというな ら清浄を要件とする事柄で、目の届かない暗闇の内で進行していく混淆、というような混沌の語から連想される展開とはまた違っ た趣を備えている事になる。混沌は内部に果ての無い混淆を展開するものとも考えられ、真なる調和を求めた終わりの無い活動の 総体としての側面をも考え得る観念である為だ。
実践的にはノーシスに至る訓練のみを行ってきたが、事前にそれによって得られる事柄を占うとSIGELのルーンが表れた。雷の形 状、「爆発的力」の象意を持っている。視線を留め、四肢を鎮め、同様に鎮めるという方向を以って思考を止め、呼吸を止めて、 或いは抑制していくと鎮められた各器官はヒステリックな痙攣を起そうとし、それが無くとも視線の先、前方に焦点を得るという 事が生じる。端的に言って以上四つの操作の同時適用によって得られる焦点は「自分自身」の焦点であり、単に視線の焦点とか表 層的意識の焦点とかに留まらない、より全的な意味を伴ってくる。さらに、仮に視線が上手く定まらない場合などに全体を満遍な く目に映すようにしてその視野全体の中心点に意識を固定するなら、これは同時に視野全体の現実の焦点としても展開される。意 識領域がさらに拡大している場合にはこの焦点はさらなるものになるだろう。ここに意識領域全体の調停、或いは寂滅が生まれる。 マーヤーなり質料であるところの意識領域内にある外界の全体はここに焦点を中心として意識領域全体が有するなりの内的熱量を 用いてこの寂滅を荘厳する。そうして時間を経るなら寂滅なり調停を得た現実は事前と較べて遥かにクリアなものになっている。 これがノーシス訓練で体験される一例だが、異なる展開もあり得るのかもしれないと考える。始めたばかり頃には感受性が研ぎ澄 まされて現実が澄んだ情感を伴っていくように感じられたりもしたが、或いはこれも同一の体験の別種の深度での展開だったのか もしれない。この現実に対する調停を行う触媒作用は丁度、賢者の石にも似たものであると考える。 魔術的意識として考えた場合のノーシスなるものは意識の変容であり、魔術的位相への移行としても考えられる。この場合には この操作は焦点と自身との間の距離によって考えられる。距離によって考えられ、意識領域全体の焦点に集中が為される事によっ て、意識は魔術的位相へと遡行する。
面倒なのでメモをそのままコピペしたけども 正しいかどうかは分からない 他の神話に詳しかったらそちらの枠組みを用いて似たような事柄が展開出来るのかもしれないし 実際にケイオトやカオイストがこのように考えているかどうかは分からない 従って参考になるかどうかは不明であります
一般に、組織図を見て金の出入りの目立って激しい部署を見るなら新たな展開を孕んでいる事があったりすると何かドラマとかでよく言われてそうな気がする 樹上系統樹的な特異点はそういったものとしても考えられるのかも知れない
あとは
>>248 に書いた三原質を使ってノーシス意識を説くような捉え方も捨て難いように思う
でもあれだな。そもそも関係あるらしいグノーシスというものについてよく知らない
まああんまりこういうことばっかり書いていると完全にあっちの世界に旅立ったものと思われてしまうのでこれから暫くはオカルト抜きで詩を書こう ただ一つ言うと上の全部に関して性魔術については一切触れてないしそもそも知らないので そういう方面からのアプローチを試みたいのであればそういう方面に明るい人とか本に当たるのが良いと思う あとthe order of nine anglesも面白いと思う
今までの乏しい経験からフィクションで「魔術的意識」と類似か同等のものを表現した例というのを考えると 最初に浮かぶのはまずダントツで推理中の金田一耕助で、次にモルグ街の殺人のデュパンと街に繰り出すところとかで 要は全くの未知に対して「望んで」向かっているというのが要件になるのかもしれないと思う 考えてみれば魔術的意識というのは未知に「参入」するものであるから「自ら望んで」っていう要素は大きいのかもしれない そういうものが無ければ迷い込んだとかの形として表現されるのか、っていうのはそれ程本を読んでいないので分からない 大体は巻き込まれ型が主流だからホラー、オカルト系の小説表現が魔術的意識として展開される事は実は意外と少なそうにも思う ミステリとかの方が多そうな気がする
例外と言うか似た感じのはオカルト板に時々ある一部の「強制参加」系だと 向こう側の存在によってキャラクターを無理やり参入させてしまうので そういうのは近いのかもしれない というかあれらは書いてる人達が嬉々としてキャラクターを強制参入させる気満々で書いてるっぽいので 何か文面がイニシエーターっぽい感じになるのかもしれない
>>530 はちょっと論点がずれるのか
まあフィクションもオカルトも本当言うと大して知らないので異論があっても不思議はない
クトゥルーはあんまり読んでない クトゥルーに影響を受けたとされている漫画は大概凄まじく面白かったりするんだけど クトゥルー神話自体は触れてみて醍醐味に触れる事が出来ずに終わってしまったというような印象が強くて 漫画にするっていう大衆化っぽい過程を経ずに原典から直接面白さを享受できている人というのに対して かなり長い間劣等感というかルサンチマンというかそういうものを意識したような覚えがある
モルグ街の凄さの一つは初手から殺人に対する探偵の関心を「不謹慎な興味」として扱っている事で
これはミステリがジャンル化されるに伴って形を変えて行く
さかしまとかタクシードライバーとかに通じる主題としての容量を持って
ミステリ的関心の不謹慎さ自体が扱われている稀な例がこの最初のミステリなのだろうと思う
だからフランスで受けたんだったか
そういう種類の「芸術的な」主題であり得た形態は
多分藪の中にアクセルを踏み込むようにして得られたもので
詩的な種類の事柄に分類される。「散文的な」筋立てより「詩的な」エッセンスに近い
>>486 で触れたような漠然としたアイディアなんかについても
散文的な主題として展開する事は難しくても詩には出来そうな事柄に思える
目の前を貨車が過り
品々を積載していく
星が瞬き
車窓から道化がこちらを見やる
僕らの前に夜空が濃く墨を流して
僕はこれを忘却する
こんな具合にポエティックに書ける
散文で初めから終わりまでをこういう「エッセンス」を一つの単位にしてフィクションを構成するのは難しい
断言は出来ないけど何かしら散文的な事情とか説話を積み重ねて偶発的にそういう効果を生じるようなやり方をするんじゃないかと一応今は思ってる
何か偉そうというか変な言い方だけど文学極道はレベル高いなと思う
テスト
テスト
先月ルバイヤートを買った
まだ読んでないけども楽しみだ ゼットンを作った人は天才だと思っているのだけれども 予備知識的なものを拾う中では 多分そういうタイプの人達が作っているのがクトゥルー神話なのだろうと思った 実際にクトゥルー神話を読んだのはかなり以前で当時は偏頭痛のピークだったので 本を読む場合、一ページを読むのに十回読みなおさないと内容を理解出来ないという状態だった ただでさえそういう状況なのに、本にはただ「大変な事が起こった」とだけ書かれていた それだけが何十ページもずっと書かれていた 「大変な事が起こった」とだけ繰り返し書かれたページを十回読み直し次へ進み という事を何十ページか重ねたところでとうとう根気が尽きてしまったので wikiとか読者サイトにあるような面白邪神群のところまで辿りつく事が出来なかったのだった
>>532 のクトゥルーに影響を受けているらしい漫画ってので念頭にあるのは
諸星大二郎とか、サザンアイズとかベルセルクとかになる
諸星大二郎は二十冊くらい集めた
ルバイヤート面白いので何度も読むだろうと思う
輪廻について現実的に考えると そもそも前世なり過去生というのをその人を構成する要素の前身と考えるなら 例えば山のものを食っていれば前世は山のものであり海のものを食っていれば海のものという事になる 食物に宿る神というと確か宇賀之御命之神がそうではなかったかと思う こう考えるなら、前世というのは後天的に変わるものであるという事になるけれど 考えてみればオージービーフを食っている人の身体は元はオージービーフから出来ているのだから前世はオーストラリア人であるというのはごく自然な帰結という事になる ただここでオーストラリア「人」というのは一応、基本的に人は人にしか転生しないという証明不能領域にある説を踏まえている 過去生を送った土地が食物の生産地で定まるとして、ではその種族なり生き方はという事になると 今度はその、身体を構成している要素に対して種族なり出自を証明する何が浸透しているかという事になると仮定してみる ところで結論から言うと俺としては今のところ、転生はその人の個ではなく生命が為すものとして考えられていたというのが合理的かなと考えている ハイネの「精霊物語」は今読むと面白い部分とそうでない部分が半々くらいなのだけど 中にある挿話で森の中で三人の美女と婚約した三人の職人が三羽の鳥の話を聞くという説話が出てくる
一羽目「怠け者の天国で焼いたガチョウが口の前まで飛んで来て愚か者は『でか過ぎて口に入らない』と苦情を言った」 二羽目「曾曾祖母は死んで曾祖母は死んで祖母は死んで母は死んだけどもし曾曾祖母は死ななければ今も生きているだろう」 三羽目「一人の女と話すと一度騙され二人では二度三人では三度騙される」 職人は二羽目まで褒めて三羽目に怒ったけれど森の館へ戻ると婚約者が皆老婆になっていて街へ逃げ帰った 鳥の話題は上から順に、地上人に対する永遠の生、生命の継がれ方つまり『輪廻』、いわゆるマーヤー、運命、時間についてというのが自分なりに納得出来る解釈になる こういう具合に、死生観としては種族的に、或いは家系的に継がれるものという見方が存したのではないかと考える 「生命」というのはそもそも曲者で、恐らく概念としてある場合には使命や役目というような要素を持っていたのではないかと思う より以前、大昔には単に「生きる事」が生命であったので他の生物と人間は生命観においてさして差別する必要が無く ある程度の性質や行状や個性によって動物にも人間にも、稀には神にも生まれ変わるし逆も然りという風に見なされた その内に文明が発達して人間社会以外の場における「生命」と人間の「生命」が皆無では無いにせよ没交渉と見なし得る度合いが強くなり 「輪廻」観が人間社会の内に閉鎖的なものとして捉えられていくようになっていく さらに、今のようにラディカルな前世、来世が考えられる以前には上の二羽目の例で見られたように 生命は単に「系譜によって継がれるもの」として考えられる形が主流だったのではないかとも思われる
新約聖書では輪廻では無く永遠の生命が説かれる そうして霊魂の不滅という事と並んで生命を失う事を恐れよという事が説かれている 一般にはこれは「霊魂の不滅」のみがクローズアップされて 「生命」については等閑視されているような印象を受ける 理由を考えるなら上に挙げたように「生命」は曲者で 例えばクロウリーが「聖守護天使の知識」と呼んだところのものだし 孔子が四十にして惑わずとか五十にして天命を知るとか言ったところの概念なので 普通に難しいので「霊魂の不滅」の方にスポットが当たっていったのではないかと思われる こういう種類の生命を天命なり主命と捉える発想は東洋的には辿る事が容易なのだけれども 西洋的にもクロウリーが聖守護天使について説くところを見るとそういう観念が存している事が分かる そうしてここでは霊魂と生命はそれぞれ別個のものとして設定されている事が考えられるのだけれども キリスト教的には、というか新約的には以上のような非常に高度な意味での自身の「生命」と 自身の霊魂が共にあるような状態を目指したのではなかろうかと思われる それがキリスト教による永遠の生の要件なのだろうと考える 要は、キリスト教においては「霊魂」と「生命」が別にあるという事が重要って事になる 例えば幼子を抱えて「このような者こそ天国においては大いなり」というのも まだ展開していない伸び代のある生命であるから、と考えるなら 「天国」が霊魂で無く、「生命」を基準として説かれているという解釈が可能になる そうしてそういう意味での生命を保った「霊魂」が永遠の生命を得る、という事になる
じゃあその生命って何なのか、っていう事になるとこれはそうそう分からないけれど 大昔には単に「生きる事」以外のものでは無かったような何事かの文明の発達に伴って発達した何事か、として見る事が出来るであろう事は分かる
>>544 はまた違うのか
眠いのであんまり展開出来ないけれども
一応は次代に何かしらを繋ぐとか何らかの展開を齎すとかいう事が
>>542 辺りからは「生命」として考えられる
しかしこう単純化した形でのみ捉えるのも難しい面もあるのかもしれない
エヴァンゲリオンは十年以上経ってからやっと見る事が出来たのだけど 強いて言えば八十年代懐メロ調の雰囲気にごく普通の好感を覚えたというのと 綾波レイが意外とそれ程フォーカスされていないのに驚いたというのが際立った感想だった 純粋にエンタメ的な要件に従って造られたキャラ以上でも以下でもないというか 寧ろ加地さんだのリツ子博士だの葛城一尉だののおっさんおばさんの方が熱量を込めて描かれていたようにさえ思った エヴァンゲリオンは子供の為に作られたものでは無いのだろうという事はその「旧版」をやってた頃から漠然と予感していて そのせいかどうか知らないけれど当時から「ぜってー見ねえ」と思っていて 思いながら見ないなりの自分の中での「エヴァンゲリオン像」というのを時々作って反芻したりなんかして 「多分『綾波レイ』というのはブルセラ要員なんだろうな」というような事を考えた頃に もういい加減そういうのに飽き果ててどうでも良くなっている事に気がついて、その少し後に見た 結論から言うと見ないながらに構築したエヴァンゲリオン像はちょっと近いところもあって 綾波レイはブルセラ要員だったというかシンジ君にしてもコアのところでは所謂ところのおっさんの「インナーチャイルド」であって子供では無いし 子供向けでは無かった。この反感は主には丁度上の世代の人が「デイドリームビリーバーすげえ」とか言ってるときに覚えるのと似たような感覚で それはまあ俺は関係ないしどうでも良いな、という直感的な認識から来ていて そういうどうでも良さがどうでも良くなったのでエヴァンゲリオンを普通に見て普通に楽しんだという流れになったんだと思う 時代性とかは端から考えなかったしどうでも良かった
以前書いた世代論風を引きずって付け加えるならバブル期は種族に応じた住み分けの利いた時代だったと言える 俺の学生の頃はその名残として「団体Aが常識とする要件aをざらに満たさない団体Bが常識とする要件bを団体Aは頻繁になおざりにする」 というのがごく普通の当たり前のありふれた光景になっていてどれが正しいのか分からなあと思ってるという状況が多くあった そういったセクト化みたいなのが可能になったのはその頃自分達が展開、進出する事の出来る地平があったから、かそれが信じられていたからだと思うのだけれど この活躍の「地平」というのが巨大ロボ活劇の絶対要件の一つになる。二つ目はロボを見上げる「群衆」 そうしてこの二つはロボが都市部で戦う事によっていつか同一視されていくようになる その後、ガンダムが特殊なのは恐らくアジるシャアやらアムロの名調子によって観客自体をこの「群衆」として扱ったからで それによって画期的という事になったのではなかろうかと思うけれど俺はVガンダムの幾らかとGガンダムの幾らかしか見た事は無い そうしてこの観客を群衆、或いは地平として扱うという事がエヴァンゲリオンでも例の銀幕に大写しの観客という形で用いられた訳だし よく知らないけどパトレイバーは都市部と凡人一般人を絡めたりマクロスはパイロットのおねーさんが歌を歌ったりする事でこの群衆と地平の図式をそれぞれなりに展開させたという事になるんだろう エポックメイキングというよりは個人的にはエヴァンゲリオンより鋼のラインバレル推しで ラインバレルは初手からそういった「地平」が存在しないところから始まる しょうがないからいきなり宇宙へ行ったり、遠い未来だったり過去、登場人物の回想だったりと ロボが活躍するような地平を探す事で展開していくというのが、どちらかというと地味だけど個人的には評価出来るというか好感が持てるように思う
×エポックメイキングというよりは個人的にはエヴァンゲリオンより鋼のラインバレル推しで ○エポックメイキングというのであれば個人的にはエヴァンゲリオンより鋼のラインバレル推しで バブル期は穏当な集団行動というのが可能だったし尊ばれた時代でもあるはずで そういう風潮みたいなのはここ数年にも当てはまってるような気がして個人的には良い傾向だなと思ってる ただバブル期的なそれが地平の確約からであるのに対し 現在的なそれは分立してたそういった幻想の破綻によってそれらの土地が地続きっぽくなった事 それまで忌避されてきた事がそうでもない事のように認識され始めて来た事によるようにも思う ラインバレルは自分的には非常に誠実なロボット漫画 エヴァの頃はくるりとか聞くと「こいつらが言う『みんな』っていうのは毎日勉強したりお仕事頑張ってる『みんな』であって 俺とかは初手から相手にすらされてねえんだよな」というのが非常によく分かるし椎名林檎とかもそういう風に受け取れた頃だったように思う 「ロックは世界を救う」的な商売はえげつないものに思えるし奴らの言う「音楽性」って意味不明だし少なくとも俺には恩恵も感動もくれないものなんだろうなというような事をよく考えていた その頃の「反感」なので結構強かったのだけれども 相応して、当時はワールドイズマインという漫画が面白かった
バフォメットについてはまだ色々な要素があると思うので考え中 逆五芒星もまだ謎があるけれども関連する形でまた考えたりしてる
逆五芒星については謎が多く、初めは天の五芒星をそのまま柱状に下へ引き延ばす事で下を向いた時に反映される形であり眩惑 する地の勢力を表すものであると考え、次には夜の星として、正五芒星を対応宮ごと夜に相応しく丸ごと百八十度回転させ、深更 を表すものとも考えた。歴史的な根が判明すれば確たるところも見出せるのかもしれないが、生憎不詳である為にもう少し考える として、次にはChurch of Satanのバフォメットの印章と、上記のバフォメット考察、さらに上記に触れなかったバフォメットの他 の徴を考察する事で仮説を重ねる事にする。 上記において示された御霊乃至は荒魂を和魂に転じるようなバフォメットの性質は、腹部に示されるカドゥッケウスの杖により、 変容の業として表されていると考える事が出来る。そうしてここで頭部の山羊頭は、或いは冬至点、深更を意味する磨羯宮の山羊 をも表し得るものかもしれない。これは日が継がれる日付変更の時点であり、冬至点でもある。これによって変容は日付変更や日 の勢いの更新と軌を一にする事になる。こうして変容をテーマとして見るならば、逆五芒星は地の勢力である四大より霊が生じる、 或いは蒸留される形を表しているものとも見え、地上における変容を図示するものとも考えられる。正五芒星を霊を頂点とした四 大の生成、創造の次序乃至は秩序を説くものと捉えるならば、逆五芒星はそれに応じた、四大からの霊の生成、変容の次序を説い たものという事になる。バフォメットの印章によれば逆五芒星周囲には最下部頂点から左回りにレヴィアタンの五文字がヘブライ 語で置かれる。これを一つのサイクルを描いたものと考えるなら、左回りはホロスコープ上の春夏秋冬の四区間を巡る順序に一致 しており、またこれをサイクルとして見るならレヴィアタンの性質自体にも一致する。
次にヘブライ語表記についていうなら、最 下部ラメドは牛を表すが、アレフの荷牛或いは農牛に対してこれは古代の犠牲獣、供犠の牛を表す。獣であり、ヘルメス主義的に 解するなら作用の容器、つまり実験に用いられる溶媒としての質料という事も言える。ヴァウは釘、この場合には一続き、一列ね の連続として解される。ヨドは手、指し示すものであり方向を指す。この二字が右手にある。左上部にはタウ、十字、交わり、交 錯であり、次のヌンは魚、恐らくはカバラにおいて、不可逆性という事を表すものと解釈している。この二字は左手に置かれる。 供犠或いは質料、連続する事、方向、交錯、不可逆性、また質料、としてこのサイクルを解するなら、この文字成分から導き出さ れる見方によっても一貫した性質を捉え得るようにも考えられる。このように、変容を軸として象意を分析する事も出来るように 思う。尤も、バフォメットの図像にはまだ謎が多く、他に黒翼などの要素があり、これは夜空を意味するものとも考えられるが、 飛翔、飛び去る事を考えるなら変容が伴う「祓い」の要素を示すものとも考えられるし、またヘルメス学的に変容における飛翔、 水銀の気化と取るなら進化なり、祭祀においての飛躍とも解せられ、これもまた確定の難しい要素であるように思われる。 河図でいうなら天一から天五までの生数から正五芒星、地六から地十までの成数から逆五芒星の働きに相似するものを考える事 が出来るようにも思う。六、七、八、九は易においては爻の数、つまりは四象の数であり、四方、四時、四季の数になる。地上的 サイクル、循環に関連する。
ヴァウの位置、ルシファーは星天、夜天より蒼天、地上に光を齎す。美学や理念が該当するか。 ヨドの位置、サタンは中天の日輪を示して目指す場所を志向させる。限界打破への熱意をも象徴させる。 タウの位置、レヴィアタンは水平線、或いは地平線と黄道が切り結ぶ地点において、円環の最硬の強度によって限界を閉ざす。 ヌンの位置、ベリアルは終極において天地、創造主の鏡像としての星図、結実としての世界の全図、或いは人のダイモンを表す。 ラメドの位置は祭壇になる。ラメドは限界に対する抵抗、転じて器を暗示し、錬金術的な意味での質料、変容の器でもある。 潜水艇に譬えるのが分かり易い。ルシファーは生命線だ。レヴィアタンは完全に防護する。ベリアルは海図やナビのようであり、 サタンは羅針盤のように意識を針路へ向かわせる。この球体は黒色にイメージされる。祭壇は操作を齎す。丁度操舵室のようだ。 ベリアルの方位へ向かうなら限界を海図の向こう側へ見て、恐ろしさや不安を抱くかもしれず、サタンはこの自らの限界に対し、 憤りをもって殆ど狂熱的な不支持の表明を与える。己自身の限界を知らされた場合に人が持つ最初の段階であり、このような過程 には個人差があるのかもしれないが、少なくとも俺自身はこういった事柄の考察に際してそのような展開を覚えた。そこから、習 熟が進む事によってさらなる自身のダイモンを獲得し、成長する事になるのだろう。バフォメットはこの変容を象徴している。
また、ここに見られる球体の外なる強大で圧倒的な「限界」は、或いはセトの寺院におけるセトの領域であるのかもしれない。円 環が閉ざす黒色の球体がその内に変容を約束されたものであるならば、この潜水艇、黒色の球体こそがxeperであるのかもしれない。 習熟するなら恐らく円環内部に見られるのは潜水艇の内部における「心地良さ」である。一人夜を過ごす際のそう悪くない感覚、 というのに似た感覚が予見される。SF等のメディアにおいて、そういった感覚を扱う創作は少なくない。 ってまあ中二的飛躍なんかもさして気にせず考えて行くと、考えれば考えるほど色々出てくる 他に例えばルシファーはグノーシス的な光、智慧とかを象徴していたり色々見るべき事はまだ幾らでもあるので 今後もまだ考える事が沢山ある。上のは一か月以上の前のメモからのコピペ
「陰陽道は陰陽五行の体系なんか使わないし易学も使わない」ってのを見たんだけど じゃあ陰陽も五行も一切使わずに陰陽師さんの占いなんか出来んの?とかそれって何なの?とか つーか、そもそも土御門家の晴明桔梗紋ってあれ何なの?五行じゃないの?飾り?マジで? って具合にあっちこっち意味不明過ぎるのに超自信たっぷりなのでげんなりして急速に興味を失ったりしたんだけど 地道に細々調べてる。多分然るべき内実はあるんだろうけど それもしかしたら「今の占いとは違いますよ」で通るんじゃないか 「五行」大義やら白虎通やらまで陰陽道から締め出して残るものって逆に何なのか分からない それに「祓い」っていうのは元々神道とか仏教じゃなくて陰陽道のものなんじゃないか 神道は単にそれを採用しただけで元は陰陽道の追儺儀礼が原型だろうと思う それに「祓い」の解釈も何処かおかしくて、何か霊的なものを攻撃したり除去したりって方向に解釈してるみたいだけど 「祓い」自体がそもそも「神主さんが神前に柏手を打ったら場が『清められた』」という性質のもので 追儺にしても霊的な何かしらに対して鎮まる場を指定して退去を願うとか 指定が無ければその敷地なり近辺一帯からその外への締め出し以上のものではないはず 節分の豆まきなんかが「追儺」の系統でそういう「祓い」の一種だと思うんだけど 多分言われている「祓い」として念頭に置かれているのは「調伏」とかで仏教用語だし 仏教の方法論にしたって回向、供養、引導を渡す事による済度祈願が主ではないのかと そう考えるとやっぱり「祓い」は陰陽道由来の神道用語と方法論って事になるんではないかな 神道なんて超古代アニミスムから延々伝わる「言挙げされざる」祭祀系統とされてるのに 「祓い」が仏教用語で無ければ一体何がそこに「祓い」の概念を齎したのか分からなくなる 祓いと対で言われる禊は三貴子誕生神話にあるし基本的に「穢れ」の概念が生じた時点で 葬礼とかそういう「祓い」の方法論も発達してきてるはずだとは思うけど だったら尚更、その発達に従って渡来系の外来文化のそれに関心が集まったはず で、「それ」は陰陽道では無いのか、っていうのが分からない
・式神について 魅力ある仮説を述べるのが本旨だが、既存の説について述べておくと、まず式神は六壬式占に用いられる象徴としての十二天将 を使役するもの、または同様の象徴類である三十六禽を使役するものとする説がある。十二天将は厳密な星座配当の有無は不明だ が、西洋占星術で言うサンサインやハウスの概念と少なくとも似通った性質のものであり、天文、時刻と季節に関連する。三十六 禽はこれに対して地支に配属され、純粋に時刻に関するものとされている。ここでは式神は象徴系と対応し、いずれも式盤によっ て具体的表象を象るものとなる。 説話において、その表現は様々だ。まず切り紙の人形に息を吹き込み標的に向かって投げる事で呪詛を加えるというものがある。 次には目に見えない鬼神の従者として表現され、また「家の者が姿を恐れるので」橋の下に封じられたという式神譚もある。これ らはいずれも同一の陰陽師、安倍晴明の式神譚だ。一見別々の事柄を言っているようだが、同一の事象の異なる様態を描いている という可能性もある。さらに、呪詛対象の上に鳥が飛来し、これをやはり晴明が卜占により「式神である」と判じる説話もある。 少なくとも現れにおいて、式神の様相は一定しない。
「式神」そのものを説明した説にも様々のものがある。密教僧の行ずるところの「護法童子」と同様のものであるとする説もあ り、「式神」を「識神」であり、人の精神の異なる様態であるとする説、道教に言う「六甲六丁の神」の事であるとする説、また、 土御門家の説には「異国出身の間者の事ではないか」ともされ、この説は既述した陰陽道の近代化、合理化、制度整備の運動の側 面という点から見ると非常に示唆に富んでいて面白い。「異国」出身の異形異相の風体が潜伏諜報に持つ適性を考えに入れるなら 尚更その含意は深まる。ここからは、体系外、制度外の領域に対する関心と「異国出身の間者」の齎すような情報が職業上の要請 として仮定されてくる。これらはそのまま占術に向かう姿勢としても解釈され得るものだ。或いは一般には「式神等というものは 存在しない」かまたは「陰陽師がそれを用いたという証拠は無い」というのが現在では半ば通説のようにもなっているようだが、 その場合にも所謂霊的存在の実在や非実在というところに議論が及ぶ事は少ないが、この説はそれらの実在そのものに疑義を挟む という理想的目標点を延長上に仮定しているものらしく思われる。 いざなぎ流において式神は「敷神」として表記されている。いざなぎ流は陰陽道の側というよりはいざなぎ流自身の側から陰陽 道では無いとされていたように思われるが、それは陰陽道の系譜、傘下、法嗣の下にあるのではないという意味であって、他の様 々の民俗的信仰系同様の影響関係を陰陽道が全く持たなかったという意味では恐らくないだろう。 その「敷の神」に関する祭文からは、古事記に記載される阿遅志貴高日子根の命が彷彿される。この表記においては神名は「始 め、或いは第一声(阿)を待ってから(遅)高きを(貴)志す、或いは記す(志)子の方に根ざす高日の神、或いは「志貴」を「 敷」と置き換え土壌を均し、耕す神、或いは始めの一声を待ってその「高き」の意志によって地平の均質化を為す神と読む事が出 来る。雷神であり、ここに解するように始めを待って高きを記す事により、地を耕して均す。初出において「志貴」は「鋤」の字 で記述され、大国主の命の御子神達の第一に名を挙げられている。
いざなぎ流「けみだし敷」の法文において、何万という国や社の数が挙げられ、様々の地平として「敷」の字が登場する。ここ から見る事の出来る「敷」の意義は、無数の地平、フィールドであり、これを例えば陰陽道に説かれる「式」の側に敷衍するなら、 各十二支、十二天将や三十六禽の地平を指すものとなる。季節、時刻、方位のいずれか、或いは方位毎に配当された季節と時刻の それぞれの地平という事になるだろう。またこの法文には「打敷大神様」が登場する。「敷」は様々の層、或いは地平として解せ るもののようであり、つまり「敷」の神は多種多様の階層なり地平に属するかこれを司る存在として見なす事が出来るとすれば、 「打敷大神様」とはそのままそれら階層なり地平を「打ち敷く」存在という事になるだろう。またそれは「敷を打つ」という意に も解せる。 阿遅志貴高日子根の命は出雲国譲りの神話の序章とも言える件に登場する。天から降るのは四柱の神、まず天菩比の命だが、恐 らくは地を温める陽気を表している。次に天若日子、これは大気が温まる事を司っている。この二柱の神々はいずれも出雲に帰順 する。つまり、国譲りという転換点を前にして作用する前兆ともなる天=時間の側からの二つの作用はその際に土壌を温め、また 大気を温めるが、いずれも地の側の作用に属するものと見なされ得る為、到来する「国譲り」を告示するには至らないという事に なる。いざなぎ流「さわら敷」法文の一説はこの「死せる大気の神」天若日子を思わせる。
天若日子が説話において死ぬと、阿遅志貴高日子根の命はその妻の兄として葬儀に出席する。ところが天若日子の家族はこの神
が死んだ神と瓜二つであるので蘇ったものと錯覚する。阿遅志貴高日子根の命はこれを受けて「死人と見紛うとは何事だ」と言っ
て祭壇を「蹴倒して」、飛び去って行く。古代、妻の事を「妹」と称するが、それはともかくこの説話は恐らく生まれ変わりを暗
示している。マクロな事象の面からするなら温められた古い大気(天若日子)が刷新の時(国譲り)を目前にして死に、地平の刷
新を意味する神、阿遅志貴高日子根の命が新たにその殻を破って飛び出すという主旨が解せるが、この事を神秘学的に解釈するな
ら霊的存在の生まれ変わりであり、その存在自体の刷新を表している。
阿遅鋤高日子根の命は陰陽道二大宗家の一方である賀茂家の氏神社である高鴨神社の祭神としても知られている。偶然でなけれ
ばそこにも「式神」伝承についての関わりを見出す事が出来るだろう。
>>554 とか多分色々間違ってるんだろうとは思うけど
様々の「穢れ」の指定を行ったのは神道なのか仏教なのか陰陽道なのか
って考えると陰陽道がその目録に近いものを備えては居たんじゃないかなと思う
ああでもまだそれ程興味無いんだけども
指定って言っても教義化っていうより枠組みの整理、総体的網羅っていうのに近い面で見て行くと面白いんじゃないかなと思う あと上の「敷」の解釈からさらにこれを「式」に直すと丁度西洋の惑星霊みたいな感じにも解釈出来るね 上はかなり長いメモの一部を引いただけなので説明が足らない箇所とかあるけども これで投稿打ち止めなので説明出来ない 特に式神についての土御門家の解釈がどうして非常な示唆を含むのか、という辺り いざなぎ流については斎藤英喜という学者さんの本が面白い まだ途中だけど最初の辺りの考察から早くも、西洋の「物見の塔の開式」とか考える時に滅茶苦茶参考になるんじゃないかとか思った あと神格に対して本当に礼を尽すんだな、とかがとてもよく分かる 祭文にせよ所収の写真にしてもそういう佇まいが凄い 人によって異論はあるだろうけどいざなぎ流と陰陽道を対照すると見えてくる他の幾つかについては結構重要なものを覚える 簡単に言うと陰陽道ってのが様々の体系的な概念を包括、整備するっていう枠組みの学問、方法論っていう側面があると個人的に思うので いざなぎ流のような習合的祭祀体系との間に共通要素を対照するのは研究手法として普通に重要な視点であり得るという事を考えている
長々書いてるけどまあいつもの独創なので 根拠も無いし、あんまり真に受ける事も無いかもしれないと一応注意しておきたい 特に古事記解釈とかの辺り
561 :
名前はいらない :2014/02/08(土) 06:52:45.61 ID:1c18Dxrf
長文乙
562 :
名前はいらない :2014/05/04(日) 11:59:46.09 ID:RltGOMBK
563 :
名前はいらない :2014/05/04(日) 12:00:29.29 ID:RltGOMBK
564 :
名前はいらない :2014/05/04(日) 12:00:51.00 ID:RltGOMBK
旅費はありまぁす
565 :
名前はいらない :2014/05/04(日) 12:03:40.27 ID:RltGOMBK
詩っていいよね
566 :
名前はいらない :2014/05/04(日) 12:04:19.50 ID:RltGOMBK
ふぉー
567 :
名前はいらない :2014/06/05(木) 19:41:24.10 ID:iOFdRmkz
ただでも行ける 時間旅行 太陽系自身の運動 地球の公転と自転 数分ねっころがって 居るだけの大旅行
568 :
名前はいらない :2014/06/05(木) 19:44:58.89 ID:iOFdRmkz
宇宙の膨張 銀河系の運動 銀河の回転運動 忘れてました
569 :
名前はいらない :2014/06/21(土) 01:56:20.26 ID:KRk1gYwM
宇宙が無限に広いなら いま私が占拠している一畳の空間も これから宣言する空間もそんなに差はないのだろう 私は今 ここに 寝っ転がったまま 地球を中心とする半径800億光年の空間領有を宣言する 私に続き空間領有を宣言するひとは 800億光年の外側でおねがいします
570 :
名前はいらない :
2014/08/13(水) 16:01:30.68 ID:Xq7tIc4r ★2ch勢いランキングサイトリスト★ ☆ +ニュース板 ・ 2NN ・ 2chTimes ☆ +ニュース板新着 ・ 2NN新着 ・ Headline BBY ・ Unker ☆ +ニュース板他 ・ Desktop2ch ・ 記者別一覧 ☆ 全板 ・ 全板縦断勢いランキング ・ スレッドランキング総合ランキング ☆ 実況板 ・ 2勢 ・ READ2CH ・ i-ikioi ※ 要サイト名検索