1 :
名前はいらない:
詩文学板にもありましたが、こちらでも
詩 本来の姿、役割について、意見交換をお願い致します。
2 :
名前はいらない:2010/03/26(金) 20:39:33 ID:uQelANiY
うまく伝えられませんが
こういう詩板では
詩という形を介して
疑問、想い、感を
伝え重ねていくうち
視えなかった事は
段々、整理され
視えて来る事さえ少なくは無いと思うのです。
また全く無関係だと思っていた事が
点と線のよに繋がり
それが解決へ結び付く過程となる場合があります。
3 :
名前はいらない:2010/03/26(金) 20:58:17 ID:U0rZAlYf
http;//imepita.jp/20100326/737410
4 :
名前はいらない:2010/03/26(金) 21:24:32 ID:uQelANiY
5 :
名前はいらない:2010/03/26(金) 21:27:15 ID:uQelANiY
6 :
名前はいらない:2010/03/26(金) 21:35:16 ID:uQelANiY
7 :
名前はいらない:2010/03/27(土) 00:27:56 ID:fLvv8+D2
>>3 いつ頃の..打撲ですか?。擦れ痛みでしょうか。
8 :
名前はいらない:2010/03/27(土) 10:21:20 ID:fLvv8+D2
39:05/23(水) 01:07 W8rvu5Kf [sage]
>
コーヒーだけでは腹はふくれないし、生きていけない。
コーヒーいらずの人生もある。
でもコーヒーがある人生は、それもまた素晴らしい。
9 :
名前はいらない:2010/03/27(土) 14:10:42 ID:fLvv8+D2
51:03/27(火) 22:02 cvuBSfDz [sage]
>
東洋では「詩は志なり」などと言われてるね。
つまり自分の心をそのまま写すこと、それが詩だと。
50:03/27(火) 20:15 ao4F3Urp
>
詩は精神の記録だ
58:04/09(月) 10:19 /ld7PgVB [sage]
>みんなみたいにそんなこむずかしく考える必要があるのかな?
俺は詩ってのはそのときの自分の感情。かっこよく言うと魂の震え(?)www
を素直に自分で見つめて紡ぎ出す言葉だと思うんだ。
ただ俺が馬鹿だからこんな風にしか捉えられないのかもしれないけど。
10 :
名前はいらない:2010/03/27(土) 14:18:58 ID:fLvv8+D2
299:08/23(土) 17:04 Rxq7Lzi1
>みんな、小難しいこと言ってるが、
たとえば、五歳の子供に
「詩ってなーに?」
と聞かれたら、なんと答える?
それが答えに一番近いんじゃないか。
302:11/16(日) 00:31 nXjoMaQn
>299
>
「きみの心のかたちが、言葉になったものだよ」
11 :
名前はいらない:2010/03/27(土) 14:22:15 ID:fLvv8+D2
380:02/12(金) 16:48 QfdVOkqb
>
太陽がまぶしかったから
363:11/27(金) 09:29 azn3ulvo
>
詩とは白昼の走馬灯 by v_konkon_v
12 :
名前はいらない:2010/03/27(土) 14:26:07 ID:fLvv8+D2
302:11/16(日) 00:31 nXjoMaQn
>299
>
「きみの心のかたちが、言葉になったものだよ」
297:07/30(水) 17:33 JGmq/HlV
>
詩とは一種のテレパシーのようなものかもしれない
言葉と言葉の隙間にあるもの、語り得ない何かを他人に伝えることができる
読む側がそれ受容する感覚をもっていたとき初めて心が震える何かを感じると思うのだ
13 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/03/29(月) 00:10:02 ID:Vo2pWN8j
存在するものに「役割」があるというのは、宗教の発想だ。
宗教の教理は、それぞれの宗派のなかでしか通用しないし、そもそも「役割」のような宗教的な世界観とは無縁な成分がアートでは重要だと思う。
14 :
名前はいらない:2010/03/29(月) 00:42:32 ID:L0/UdBuX
>>13 宗教的な発想なのですか?役割とは。
役割とタイトルにつけたのはつけた後、なんだか違うと思いましたが
原点に還る事は時と場合、必要かと。
15 :
名前はいらない:2010/03/29(月) 00:51:28 ID:L0/UdBuX
詩は芸術性だけでは無いと想ってました。
で、芸術性以外には何だと尋ねられたら、
哲学的な詩、自己カウンセラー的な詩、
社会派的主張をした詩
でもこれらが文化的かつ芸術性なのでしょうか。
16 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/03/29(月) 08:21:50 ID:Vo2pWN8j
>15
それは役割ではなく、機能だと思います。
「役割」と言ってしまえば、歴史とか人生というドラマのなかで割り振られた役柄のこと。
「存在する理由」のことだと思います。
それを決めることが出来る存在が、もしあるとしたら「神」だけです。
まずひとの意思により、詩を成立させる。
そしてそれを歴史にぶつけることにより、結果としてさまざまな機能が果たされる、ということなら、いくつかあるのかもしれません。
17 :
名前はいらない:2010/03/29(月) 12:46:38 ID:L0/UdBuX
>>16 アイデンティティが浮かびましたが
この意味は同一性で、
詩により同一性を得るという過程の詩を歩んでる人たちもいるのかもしれませんが、
詩については語らず、意義を求めず綴った方がいいのかな。
18 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/03/29(月) 12:52:08 ID:Vo2pWN8j
僕が実感として思うのは、詩には、「深く見つめる」「定着する」という作用や効果があるなあ、ということですね。
気がつかないことや、忘れてしまうことが、保存される、という働きがあると思います。
19 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/03/29(月) 12:55:13 ID:Vo2pWN8j
>17
なんのために書くか、ということは、僕にとっては実感がないってことです。
それと別に、詩とはどんなものなのかってことは考えますよ。
20 :
名前はいらない:2010/03/29(月) 23:34:47 ID:L0/UdBuX
海は青くも灰色も
荒波も静寂も
海だ
地球は創造し必然と偶然を繰り返し
海を創った
星が人ならば
人はその生から様なものを創造し
知を育み
その知を愚かとする事も
その詩は
珈琲のように
うたわれた
雨降る音の窓辺でさえ
21 :
名前はいらない:2010/03/30(火) 00:43:09 ID:aBOmiufa
>>17 学生さん?
録音テープに法的な証拠能力は無いんだが
22 :
名前はいらない:2010/03/30(火) 21:59:34 ID:NepZxFG6
23 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/03/30(火) 22:37:01 ID:hpwyfC+/
>22
正確に理解した自信はないけど、なんとなくわかるような気がする。
先週の週末の明け方、ある人と、ちょうどそんな話をしました。
もし、創造することを何もしなかったなら、私の記憶はもっと淡い、今とはべつのものだったと思います。
ひとはほとんどすべてのことを忘れてしまう生き物だと思う。
忘れた無数のことのなかから、【無意識】がズルく選んだトピックスを無批判に受け入れ、自分に都合が良いように積み上げて、自分イメージをつくる。
詩には限らないが、創造することは、この「忘却・でっちあげ」システムを回避する作用を持つのかもしれないです。
24 :
名前はいらない:2010/03/30(火) 23:04:39 ID:NepZxFG6
>>23 そうですね。人間はやはり忘却という列車を乗り継ぎます。
様々なアイデンティティをもたらすかもしれない駅と街を巡り
ある季節、駅を降りて
そこへ学生となり住むように
勤めまたは嫁ぐ または旅するように降りてしまう
時の駅がある
しかしまた時の列車を乗り継ぎ降りる駅さえ定まらないまま
列車を乗り継ぐうち
その列車は忘却の列車となる
列車の席 記すという知的作業へ勤しむ人たち
エッセイ、詩を綴ったり
季節巡り変わった頃
読みたく無い日記となってもいるかもしれないけど
逆に、見失った生を甦えらせるエナジーを芳せた
記しを文字として録音しているかもしれない
だから記すという作業は人間にとってとても知的な作業とされ
人によっては知的財産を
文字により創ってしまう人たちも居ます
それは人によっては記し超え 印しとなり
25 :
名前はいらない:2010/03/30(火) 23:15:02 ID:NepZxFG6
>>23 創造することは人間へ生きるエネジーを能え続け
自然は地球が創造し創ったとどこかで詠みましたが
創造する事も、書と似ていて
いきなりすんなりと出来るものでは無いかもしれない
才人は始めから当人のカルマ顕したよな書を放つ人も居ますが
創造についてもっとLinkしていたいです
26 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/03/30(火) 23:30:25 ID:hpwyfC+/
そう。
旅は途中が大切。
ひとりの詩作者、ひとつの詩でもそうだけど、たくさんの詩作者、たくさんの詩が長い年月積み重なれば、そこに歴史が作られていくのかもしれないですね。
この一ヶ月間に、私は、村上春樹と、春樹と比較されるロジン(まだ漢字を覚えていない)と、偶然に手にしたゴーゴリーを一冊づつ読みました。
私は中国をほとんど知らないけど、ロジンの狂人日記を読めば、ある時間がそこに閉じ込められているのを感じるし、ゴーゴリーの「どん底」を読めば、やはり、私の知らないロシアの、私が生まれる前の一時代を、ロシアに行かず、ロシア人と知り合わずに、直接感じます。
ウエブの詩も、そんなふうに積み重なり、反射しあって、歴史になっていくのかもしれないですね。
27 :
名前はいらない:2010/03/30(火) 23:45:48 ID:NepZxFG6
ネットも数年経てば
そこに
小さな文明のよな歴史が出来て至り
様々な詩は互いリンクされ繋がって至り
それだけで気付かぬ小さな歴史的や
またはblogかスレへ
ちょっとした文明文化を創ってしまっている人たちも在るかもしれない。
当人は不本意だ..といいそうな電子社会でも
海外の著名な詩を詠みあさってみたい
何か発見あるかな
28 :
名前はいらない:2010/03/31(水) 00:00:35 ID:JbGYEsW8
村上春樹さんはいつも読みたいと伝え忘れてしまうメモ
ノルウェーの森♪は
ラジオよくかけます
29 :
名前はいらない:2010/03/31(水) 17:12:57 ID:JbGYEsW8
30 :
名前はいらない:2010/04/01(木) 17:26:52 ID:fhNG0kCI
詩は、哲学、社会派、自然四季、暮らし、カタルシス促す、創造性など
文字により様々な表現や
メッセージを伝える事が出来ます。
ネット詩は、現在その、探求、探究、追求の過程も歩んでいるのかも。
ここから先は量より質を重視していく事もその範囲含まれているかもしれません。
31 :
名前はいらない:2010/04/01(木) 17:29:20 ID:fhNG0kCI
ネクタイとワインがコラボしてありました。
詩も今までにないコラボにより
表現し伝えてもいいと想いました。
一時期、万葉集を英訳しTシャツへプリントしたものがありましたが
グラスに自分の詩や好きな詩、俳句、短歌などを彫り入れたり
好きな俳句や詩、メッセージを、お茶碗、皿、湯呑みへ綴る
俳句、短歌、詩を沿えた絵など
親しみを伝えることもいいと想います。
32 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/04/02(金) 23:48:27 ID:5tN+UleZ
「詩を噛む」という評論集がありました。
出版社が潰れてしまい入手困難です。
初版出版当時、僕の感性にはタイトルがピンとこなかったんですが、今にして買えばよかったと思います。
たぶん詩には、いろんな良い作用や、機能がありますよね。
だけどそれは詩をどんなふうに受け取るのか、ということに関わって、活かされたり、黙殺されたりすると思うんだな。
「噛む」とまで自覚するような評論家は貴重だし、世間的に売れてない本でも、僕なんかは買うべきだったな、と、今にして思います。
33 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/04/03(土) 00:07:11 ID:/Al/+u10
個々の詩を論じたり評価したりする機会って、ウエブで詩を書いてるだけでも、結構ありますよね。
そのときに、良質な詩が、自分の人生にとって、あるいは社会にとって、何を意味したかを評価の軸の一本として持つことは、とても大事なのかも知れないですね。
34 :
名前はいらない:2010/04/03(土) 00:22:46 ID:3v37B0x5
>>32 「詩を噛む」詠みたくなりますね。
詩ではないのですが活字中毒だと話していた文系人が、よいエッセイや文章を読むと
「喉越しよい活字」を飲み読んだ。
または
「喉越し酔い俳句」を呑み詠んだ
など以前ネットで伝えてありました。
私は詩が感へ働きかけてくる面から
詩の五感、というものを時々感じます。
六、七感を与えるような詩もあるのかもしれない。
超越した音感のよな、詩感かな。
35 :
名前はいらない:2010/04/03(土) 00:36:01 ID:3v37B0x5
以前「哲学の衣を着て..」
という本が紹介してありましたが(読むつもりで忘れていた)
若いこが太宰治はファッションとして詠み着ていると話していて、
十字架クロスがファッションとして流行った頃、
宗教はファッションではないと言っていた人が居たように
日本では軽く見られてしまうカタカナなのかもしれませんが、
その人は太宰治の精神、心、魂を着て
ライフスタイルとして過ごしていくと、
生きるエネジーが湧くと伝えていた。
それと同じ様な価値感というのかな
文学、詩、詩想、思想、哲学などを支えとして過ごして来た人たちは
ライフスタイルとして
着て”過ごし歩いているのかもしれない。
36 :
ボルカ ◆6kB1JyG4Xo :2010/04/03(土) 00:45:04 ID:/Al/+u10
ザッツライト(>_<)
わっかるなあ。
舞踏家の大野さんは、ダンスにおいてあるいは生存において、魂は肉体を着るのだ、と言ったけど、そうなんですよ、きっと。
露出狂のひとは、おそらくペニスを、魂に着ている。
我々は言葉を着るわけですよ。
37 :
名前はいらない:2010/04/03(土) 13:19:29 ID:3v37B0x5
「詩を噛む」
読みたいですね一部でも。
詩に関心ある人たちへ尋ねてみるとマイナーな本でも
その「詩を噛む」という
タイトルなら読んだ人いるかもしれない。
38 :
転写↓:2010/04/03(土) 13:42:24 ID:3v37B0x5
○愛敬浩一氏評論集『詩を噛む』
2002.6.10 東京都文京区 詩学社刊 2000円+税
> 詩誌『東国』『鰐組』などに書かれた詩人論、詩集評とともに、2001年3月から2002年3月にかけて「詩学」に連載した「詩誌選評」が載っていました。
>これがおもしろい。私もこのHPで選評≠ナはなく感想≠書いていますが、なるほど選評とはこう書くものか、と勉強になりました。
>特に、繰り返し出てくる「同人誌の人数が多すぎる」「個人誌が多すぎる」という指摘は考えさせられます。
> 著者に言わせると、同人誌の理想の人数は、多くても10人前後だそうです。もちろん力のある同人が結集しているということが前提のようですが、これは何となく判る気がしますね。
>100人、200人という同人組織もありますけど、それは同人誌という枠を越えて、ひとつの運動体と考えた方がよいかもしれません。
>同人誌というからには、著者ほどの実感はありませんが私でも20人以下と思います。なぜか? という答を正確に出すのは難しいのですけど…。
> 「個人誌が多すぎる」という指摘も判るような気がします。特に著者が気にしているどこで切磋琢磨するのだろう?≠ニいう疑問は同感です。
>これはインターネットのみで詩を発表している人にも同じことが言えると思います。
個人誌の発行者は、そういう意味でも積極的に他の詩人と交流する機会を持つべきだと思いますね。
>煩わしい同人組織を避けて個人誌を発行したくなる気も判りますから、特に留意する点でしょう。
> 理論的で判りやすい評論集と言えましょう。著者は評論を書く人がもっと出てほしいと考えているようです。
>私は評論など書ける器ではなく、いただいた詩誌・詩集の感想にもならない紹介をする程度ですが、評論を本格的にやってみようという人には参考になる本だと思います。ご一読を薦めます。
39 :
ポエム田ポエ子 ◆csS1tP9UWs :