【梁山泊スレ専用!】雑談・議論・感想スレ15

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216まんこ└将軍 ◆UQRl.WeFEk
>>211
俺なら三人の日と読む。

というわけで時間がまったく噛みあわない太平洋を隔てた時差という名の心理的距離。
これを日夜埋めるために、一掴みの砂を海に蒔く努力の男、まんこ将軍です。

>>213

>なぜ危惧するのか?

本当にしてるわけがない。これは文芸談議のデモンストレーションなのであって、そんな言葉尻に
レスなんか返されても困る。もちろん本当は何も困ってない。
いや、わざと真面目に言えば、ここのような審査を楽しむ、つまり優劣をつける、という「遊び」自体を否定
しかねないからである。作品が良かったか悪かったか、あるいは面白かったかつまらなかったか、
というものを遊びを通して選んでみせるのが、このスレの存在価値であろう。しかし作品には優劣がなく、
読み手の想像力を競う場でしかない、としたら氏は何のためにこのスレを守ろうなどとしてきたのか?


>言わない。おれってすげーでしょと言うと思う。
>作品にあるのはポテンシャルのみであって、力を引き出すのは作用対象となる読み手です。

ということは、作品なんてものは実はなんだっていい、と言っているように聞こえるわけです。
ポテンシャルという言葉がただの「可能性」という意味で、その優劣を問わないのであれば、
確かにすべての作品は等しく可能性を秘めているわけで、価値は読み手の、そこからエネルギーを
引き出す能力だけにある、と氏は言う。

>文字列を置いた書き手が直後に読み手に変わる瞬間を見逃すと混乱しますよ。

書き手が読み手に変わるということは自分の作品を読み返すということか?
それとも書きながらも読んでいるので文節一個書くごとにエネルギーが引き出されているとでも
言うつもりなのか?そもそもここでは「他者が書いたもの」を「自分が読む」場合に起こる現象に
ついて語り合うつもりなので、自己が自作の読み手となるケースなど持ち出すべきではない。
>>180で私が要求スレに書いた作品のパクリみたいのが出てくるが、詩を読むのが詩を書く人だけ、
という現状認識はその通りだ。だが、その後の論旨は自分という書き手への警鐘に費やされており、
ここで話されているはずの、他者という読み手の問題には目をつむっていると言わざるを得ない。