ジョン・キーツの詩を語ろう

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ジョン・キーツ
(John Keats、1795年10月31日-1821年2月23日)は、
イギリスのロマン派のロマン主義の詩人。
彼の詩が好きな方、参加してください
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参考サイト http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%84
http://www.john-keats.com/
2trise:2006/12/10(日) 16:39:01 ID:vzvgJOkJ
GLORY and loveliness have passed away;
For if we wander out in early morn,
No wreathed incense do we see upborne
Into the east, to meet the smiling day:
No crowd of nymphs soft voic’d and young, and gay,
In woven baskets bringing ears of corn,
Roses, and pinks, and violets, to adorn
The shrine of Flora in her early May.
But there are left delights as high as these,
And I shall ever bless my destiny,
That in a time, when under pleasant trees
Pan is no longer sought, I feel a free
A leafy luxury, seeing I could please
With these poor offerings, a man like thee.
3名前なんていらない:2006/12/12(火) 15:47:43 ID:MZmz8SH2
人のさだめはただ嘆くこと
それは、本当かもしれません
ですが、どうか嘘だと言ってください。

シェリーは、王たちの死に関する不可思議な話をまだしているでしょうか。
詩人の死に関する不思議な話が沢山あると言っておいてください。

A thing of beauty is a joy for ever: to Miss Julie Andrews
4  ◆UnderDv67M :2006/12/13(水) 17:25:22 ID:bS49L70Y
支援age
5名前なんていらない:2006/12/17(日) 02:00:33 ID:orzadjF2
詩人は明らかに神のあらゆる創造物の中で最も非詩的なものだ

中川千春氏の著書によると
肺結核に侵され喀血しつつも、シェリーの招きに応じてイタリアへ出向し、同地で客氏した。
伝えられるところによると、臨終の言葉は
「ぼくは、ぞうさもなく死ぬよ。驚いたりしないでくれ!ありがたい!死がやってきたよ」
というものだったそうだ。
未知谷刊 「詩人臨終大全」参考
6名前はいらない:2006/12/19(火) 02:36:10 ID:A89EknTb
シェリーがキーツの死を悼んだ詩ありますが長すぎてかけません
7名前なんていらない
そうして、幾日かが過ぎていった だれも語り始める気配がない。まあ、気持ちは解る。
言葉の奥にある何か それを語るというのは易しいことではあるまい。

何某の訳は××だ ふむ、訳者を比較する場合には、そういった事も役には立つ。
けれど、往々にしてただの訳者批判に陥りがちで、退屈である。

訳者は作者の信奉者ではなく、好敵手たるべきである 嘗て露西亜の文人が言った言葉。
肝心なのはキーツであって訳者ではない。しかし、訳者も重要な要素には違い無い。

O Sorrow, Why dost borrow
試しにこれをExcite翻訳を用いて日本語化してみた。
O 嘆いてください、そして、Why dostは借ります と化けた。
これはこれで破壊力のある訳だと思われる。