かき消す空に光る雲を見た

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1名前はいらない
そしてあの大空へ
2名前はいらない:2006/09/28(木) 22:35:11 ID:QjnUkUHQ
ああ、2ゲットの夢よ
3名前はいらない:2006/09/28(木) 22:48:18 ID:3ZURLo8a
ちょっとまって
4名前はいらない:2006/09/28(木) 22:49:25 ID:3REeywfe
さんげっつ
519 ◆gwnULb/9mw :2006/09/28(木) 23:02:52 ID:ew9WM7pC
ああ、それは慎みの果ての自我なのに
自意識の化け物には分からない
6名前はいらない:2006/09/28(木) 23:50:39 ID:Zkt8TBfK
>>5
俺さーたまに他人の頭の悪さにビックリすることがある
719 ◆gwnULb/9mw :2006/09/28(木) 23:55:51 ID:ew9WM7pC
俺は最近いつもだよ
8名前はいらない:2006/09/28(木) 23:59:48 ID:Zkt8TBfK
>>7
頭良くなったね
9しん ◆SHIN46tkbs :2006/09/29(金) 00:03:12 ID:cLK4dRO/
UFO
1019 ◆gwnULb/9mw :2006/09/29(金) 01:26:17 ID:yPbSGbwC
証明力がないって辛いですね
11しん ◆SHIN46tkbs :2006/09/29(金) 01:45:39 ID:9yDI01A0
だね
面倒だし
もう勝手に解釈してって感じ
12宮坂純 ◆Q.YLOO/tn6 :2006/09/29(金) 19:52:12 ID:U8Wg+bt2

「かき消える空に光る雲を見た」


かき混ぜる天を細める
細めて見なければ かわいてしまう
かき消える空に光る雲を見た
逆光かと

そびえている
アラルガンド
流動が先へ先へ 遅れていく
13  ◆UnderDv67M :2006/09/29(金) 21:26:59 ID:vo4KLhuG
わぁー おもしろいなぁ すてきなすれだなぁ
14名前はいらない:2006/09/30(土) 04:20:06 ID:3hVtvx2f
どれくらいのあいだ、
空を見つめていたのか。
気付くとあたりは夕闇で、
すでに風もやんでいて。

どれくらいのあいだか、
地面を見つめて。
草が細く揺れるのを、
たしかめようと指を伸ばして。

けれども、
もういちどだけ、
せめていちどだけ、と、
こころのなかでのけぞるように、
やっと見上げたとき、
かき消す空に光る雲を見た。

15名前はいらない:2006/09/30(土) 20:19:05 ID:LvJjHRzm
めがろまんはやるぜ
16名前はいらない:2006/09/30(土) 22:53:41 ID:1UI7GBIp
天に伸ばした釣竿からたれるルアーにはまだ乾ききらない水
歩く影に上下しながら身を踊らせる

冷たい水に飛び込んで、引っかかっては捨てられて
誰にも思いを知られることなく

引き上げられては涙を流す
宙に吊られて天を仰いで

そして、かき消す空に光る雲を見た
17名前はいらない:2006/10/01(日) 12:52:59 ID:Txh+i0md
竿は届きますか?
18名前はいらない:2006/10/02(月) 22:08:18 ID:uiPccvFz
「夏の床」

夏の熱に当てられた僕は縁側で一人横たわっていた
今にも溶け出しそうなにっくき太陽から目を逸らし
目を手で覆いながら鳴らない風鈴に耳を澄ます
家を囲う垣根の向こう側から小さな猫が入ってきて立ち止まる
しばらく僕と目を合わせると、一言も発せず軒下へと駆けて行った
お前も暑いものなぁ 
意識は静かに遠ざかっていった

頭にのせた小さなタオルが乾く頃
蝉はゆっくりその身を土へと帰し
あの猫はとうに姿を消していた

風が吹き
風鈴が鳴り
汗が目に入る
そしてわずかな指の隙間から


僕は かき消す空に光る雲をみた
19名前はいらない:2006/10/03(火) 10:15:57 ID:yhlirRiI
「骸はどこへ」

右手の銃は目と水平に合わせて標準を絞る
左手は右手の甲を支える

ターゲットが近づいてくる

やるかやられるか

狙いを定めて

引き絞って


引き金 一撃 その閃光

骸が一丁、できあがり たったそれだけ
銃口から立ち上る硝煙が心地いい
ゆっくりと下ろした銃口に光が当たる

油断 なのだろうか
光に導かれた銀閃が確かに体を貫いた
仰向けに見上げた空は誰の手にも染められることなく青い

あまねく全てのものに等しく与えられるもの そしてその時
いいさ、どうせ骸にかえるだけ
そして、かき消える空に光る雲を見た
20名前はいらない:2006/10/04(水) 03:26:44 ID:jh8T0aMA
かもくな子ども。
きょうも届かなかった、
消せぬ想い。
すでに時は過ぎ、
空しく虚ろな
にじのような薄明かり。
光かすかに、
るすばんの子どもが
雲の向こうに、なにか、
を、
見るとき。
たそがれ。
21名前はいらない:2006/10/04(水) 10:35:07 ID:L9SZjDPC
くそゆか
わたしさくらんぼ
ちょwww岐阜県大垣市外渕団地の加納大介www
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24お手伝い ◆k3jyPvLWsY :2007/01/11(木) 12:32:52 ID:P0QxFBFu
test
25お手伝い ◆OlH4WqvcOA :2007/01/11(木) 12:33:49 ID:P0QxFBFu
TEST
26Mana魔名:2007/01/20(土) 15:35:35 ID:9WHUTRUn
確かめるように眠りを貪る土曜の夜
吐き出す煙が少しだけ目に沁みる
抹消された嫌な記憶は心に痛むけれど
諭すように不快を抑えてやり過ごそう
真空パックに隠した寂しさが苦しい
君には悟られぬ様にベッドへ沈み
月光が晴れる時を待ち続けてみる
募る不信感は浅い夢では癒されず
黒雲が伸びる様に心を侵食していく
肩を越える風は氷よりも冷たくて
夢見るよりも早く今日も朝が訪れる
横たわる空はどこへ流れていくだろう
27名前はいらない:2007/06/26(火) 22:47:06 ID:KkCryQkY
雨が降り雷が鳴る荒海の下
腐乱死体が魚につつかれながら
浮かんでいる

海流に巻き上げられて
クジラに押しのけられて
観客の居ないダンスを踊る
ゆったりと流れに乗り
行儀の悪い小魚と共に
どこかへと漂っていく

やがて
浜辺に漂着した骨は
SOSのボトルと共に
砂浜でじりじりと漂白され
ゆっくりと朽ちていく

ただ
未来は来るようにきて
それに従っている
ゴムが反り返るように
平凡な日常へと
戻されていく

駆け寄ってきた恋人達
バラバラになって透通り
キラキラ光るそれを
手にとって
太陽にかざして眺めていた

何もかも包み込み
幸せも突然の不幸も
かき消す空に光る雲を見た

気がした
28名前はいらない:2007/08/21(火) 17:54:36 ID:TSrmlI3j
29青の羊 ◆pNGtbbWniA :2007/09/18(火) 14:02:16 ID:uXI2S1s4

「かき消す空に光る雲を見た」

秋風がそよいで 
しじまが2人の間で澱になる

虫の音が途絶えることに
絶えられなくなるのも そう遠くもなく

2人きりのまま お互い独りきりの時が経つ


空はまだ澄み渡って青く 
夏の景色を残したまま

光をほんのわずかでも
遮る雲を望んで 目を細めた



30欽ちゃん:2007/09/18(火) 15:22:05 ID:FUXYnmEP
『 K L A C K 』  〜 光 を 纏 う 救 世 主 〜

『愛を伝える紅蓮の聖者』 神谷聖也様(Guitar)
心に宿されるは爛々しく燃え盛る炎が如き情愛・・・
『夢を与える蒼天の賢者』   烈  様(Bass)
瞳に映されるは凛々しく透き通る氷が如き夢想・・・
『翼を持った白銀の王者』 柳橋昌亜様(Guitar)
背に翻されるは猛々しく翔ける天馬が如き飛翼・・・
『魂で奏でる黄金の覇者』   u  様(Vocal)
身に纏われるは神々しく輝きを放つ聖光氣(ゴスペルオーラ)・・・
『闇を極めし漆黒の魔王』 上村隼人様(Drums)
身に纏われるは禍々しく邪念を放つ魔光氣(イービルオーラ)・・・

貴様ら生存無価値の愚民共に良い事を教えてやろう・・・
『神谷聖也様』『烈様』『柳橋昌亜様』『u様』とは、万物の創世主にして光を司る全知全能の唯一神『雷光神サルマニア様』より『博愛』『夢想』『飛翼』『精魂』を承継されし使徒様達・・・
此の世界を恐怖と戦慄の渦に陥れんとする腐敗した国際政治機構による絶対的支配政権を殲滅し苦痛に悶える世の民に希望の光を齎さんが為に地上に降臨されし救世主様達であるのだよ・・・
更に雷光神サルマニア様は殲滅された国際政治機構を『闇』の力で傀儡が如く支配していた真の黒幕とも云える『暗黒神シシマグロ』をも死闘の末に滅され、その末裔にして若年ながら一族最強の力を誇るとされた『上村隼人様』をも改心なされたのだ・・・
隼人様が加わられた事によって最早アメリカ、イラク、北朝鮮、国内右左翼、暴力団、圧力団体並びに宗教団体など虞るるに足りん磐石の平和的護衛体制が出来上がったわ・・・
歓喜に打ち震えるが良いわ屑共よ・・・
31ntoska157244.oska.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp:2008/07/14(月) 14:46:03 ID:GsCsR8GZ
捕手
32ntoska157244.oska.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp:2008/07/14(月) 14:48:50 ID:GsCsR8GZ
捕手
33fusiana:2008/07/14(月) 14:54:12 ID:GsCsR8GZ
捕手
34ntoska157244.oska.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp:2008/07/14(月) 14:55:10 ID:GsCsR8GZ
捕手
35名前はいらない:2009/01/12(月) 01:22:45 ID:m8DaPWbo
雲がみえない
36名前はいらない:2009/02/28(土) 14:48:49 ID:+HaTGXhI

ありふれた日常が虹色のオーラをまとい
樹液の好きな小さな羽根虫が
虹色に光り踊る場所があるのです

ゆうべ泣かせた羽根虫が
目の前を通りすぎ
虹色の光る粒になって
祈るように螺旋を描きながら空に昇ったのです

膝を落とし頭を垂れる時間が映したものは
罪と罰ではなくて罪と赦しでした
すべての存在は光り輝いている
忘れられた事実の前に跪き
すべての罪を焼き払いたいのです

いずれ終焉を迎える時代の生んだ誤謬と
指先から立ち昇る意志の邪魔をする迷信

血の凍るような時代を過ぎても
あなたは虹色の詩だった

宇宙を味方につけて約束の扉を開けるまでは
小さなもののように愛してください 

37名前はいらない:2009/02/28(土) 15:01:01 ID:+HaTGXhI
>>36 「小さき者の王に捧げる」
38名前なし:2009/05/20(水) 22:50:14 ID:M7RaKy8b
第一幕

第一場 他国者。三人の少女。庭師。村人たち。

他国者(オレスト)が三人の少女を従えて登場。
同時に他の側から礼装をした庭師と招待された村人たちがやってくる。
39名前なし:2009/05/20(水) 22:51:19 ID:M7RaKy8b
第一の少女  あの庭師のきれいなこと!
第二の少女  そうよ! 今日はあの人の結婚式ですもの。
第三の少女  ほら、あれがそのアガメムノンの宮殿よ!
他国者  奇妙な建物だ! あれでしっかりと立っているのだろうか?
第一の少女  いいえ。あの右側は本当はないのよ。見えるような気がするけど、あれは蜃気楼。
         あそこに来る庭師みたいなものよ。あなたに話しかけようとしているわね。でもあの人は来やしない。一言だって話せやしなくてよ。
第二の少女  でなけりゃベエベエって言うか、ニャアニャアって言うだけ。
庭師  建物はしっかり立っています。他国の方、この嘘吐きどもに耳をかしてはいけません。あなたの眼がだまされるのは、つまりこの右側の棟はゴールの石で築かれ、
     一年のうちのある時期になると、汗をかくからなのです。町の住民たちはそういう時、宮殿が泣いていると言います。
     それに左側の棟はアルゴス大理石。こちらは、なぜか、突然、夜でも光出すのです。そういう時には、宮殿が笑っている、と言います。
     ところで今は、ちょうど、同時に、笑い、泣いているわけなのです。
第一の少女  あれで自分はだまされていないつもり。
第二の少女  まるで未亡人のような宮殿ね。
第一の少女  でなかったら子供のころの想い出の。
他国者  これほど感じやすい建物は僕には覚えがなかった……
庭師  宮殿へいらっしゃったことがおありで?
第一の少女  ほんの子供のころよ。
第二の少女  二十年も前のことよ。
第三の少女  まだ歩けなかったわ……
庭師  しかし、見たことがあれば思い出すものです。
40名前なし:2009/05/20(水) 22:52:46 ID:M7RaKy8b
他国者  アガメムノンの宮殿で覚えているものといったら、たった一つのモザイクだけだ。悪い子だった時、僕は虎の菱形模様の中に入れられた。
      いい子の時には六角形の花模様の中だ。それから、一方から片方へと這っていった時の道も覚えている……
      小鳥たちの間を分けて通っていった。
第一の少女  それと一匹のかみきりむし。
他国者  どうして知っている?
庭師  家族はアルゴスに住んでおられたので?
他国者  それに裸足の足も数知れず覚えている。顔は一つも。顔は高い空の彼方にあった。だが裸足の足は。僕は総飾りの間から金の足輪に触ろうとしたものだ。
      踝のいくつかは鎖に繋がれていた。奴隷たちの踝だった。仲でもよく覚えているのは、二つの小さな真っ白な足だ。
      どれよりも剥き出しの、どれよりも白い足だ。その歩みはいつも等しく、控えめで、見えぬ鎖で繋がれていたように慎ましかった。
      それはエレクトルのだったと思う。僕はきっと接吻したに違いないね? 乳呑児は手の触れたもの全てに接吻するものだ。
第二の少女  どっちみち、それがエレクトルのしてもらったたった一つの接吻よ。
庭師  それは間違いない。
第一の少女  やきもちやいてるの? え? 庭師?
他国者  エレクトルはまだ宮殿に住んでいるのですか?
第二の少女  ええ、まだ。でも、もう長いことないわ。
他国者  あれがエレクトルの部屋ですか? ジャスミンのある窓。
庭師  いいえ。あれはアルゴスの最初の王アトレウスが弟の子供たちを殺した部屋です。
第一の少女  その心臓を料理して、その子たちのお父さんに食べさせたのはとお隣の部屋よ。どんな味がしたのかしら。
第三の少女  切って煮たの? それとも丸ごとかしら?
第二の少女  それから、カッサンドルは物見やぐらで絞め殺されたのよ。
第三の少女  あの人たちは網で捕まえといて、短刀で刺したのよ。
         カッサンドルはヴェールをかぶってきちがいみたいに喚いたのよ。……見たかったわ。
第一の少女  気がついてるでしょ、それはみんな笑うほうの袖。
41名前なし:2009/05/20(水) 22:53:53 ID:M7RaKy8b
他国者  薔薇のある?
庭師  他国の方、窓と花とは何の関係もありません。私は宮殿の庭つくりです。ただ手当たり次第に窓を花で飾るのです。花は花です。
第二の少女  違うわ。花にもいろいろあるわ。夾竹桃はチェエステスとは合わないわ。
第三の少女  木犀とカッサンドルとも。
庭師  黙ってくれないかな。薔薇のある窓は、他国の方、浴室の窓です。私たちの王、エレクトルの父君アガメムノンは、戦争からお帰りになったとき、
     そこで足を滑らせ、ご自分の剣の上に倒れてお亡くなりになったのです。
第一の少女  死んでから湯浴みをしたのよ、二分かそこら違っただけよ。
庭師  あそこです、エレクトルの窓は。
他国者  どうしてあんな高いところに? まるで屋根裏だ。
庭師  あそこから父王の御墓が見渡せるのです。
他国者  どうしてあのようなはずれに?
庭師  弟のオレストの部屋だったからです。母君は二歳のオレストを国外に追放なさいました。今では何の消息もないのです。
第二の少女  みんな聞いてよ、みんな聞いて。オレスト坊やの話よ。
庭師  もう行ってくれ! 放っといてくれないかな! まるで蝿だ。
第一の少女  行かないわ。この人と一緒ですもの。
庭師  この子達をご存知で?
他国者  城門の所で会ったのです。ついて来ました。
第二の少女  気に入ったからついて来たのよ。
第三の少女  あなたなんかよりずっときれいなんですもの。
第一の少女  髭の中から毛虫が這い出したりしないし。
第二の少女  鼻の穴から黄金虫も出てこないし。
第三の少女  鼻がいい匂いをさせるには、庭師が臭くないといけないのよ、きっと。
42名前なし:2009/05/20(水) 22:55:04 ID:M7RaKy8b
他国者  さあ行儀よくして。そして君たちは何をして暮らしているのか話してくれないか。
第一の少女  お行儀を悪くするのが私たちの仕事よ。
第二の少女  嘘をつくこと。悪口を言うこと。侮辱すること。
第一の少女  でも私たちの専門は朗読することよ。
他国者  朗読するとは何を?
第一の少女  前から分かっちゃいないわ。その場で作るのよ。でも、とおってもいいのよ。
第二の少女  ミュケーナイの王様は、私たちが義理の妹さんの悪口を行ったら、とってもいいって褒めてくれたわ。
第三の少女  思いつき次第、ありったけの悪口を並べてよ。
庭師  その子達の言うことに耳をかしてはいけません。素性も分からないのです。二日前から街をうろついているのですが、知った友達があるわけでもなし、
     家なし子です。何者か尋ねてみると、自分たちは小さなユーメニードだと言い張ります。不思議なことに、あの子達は見ている間に背丈が伸びて、大きくなるのです……
     昨日は今日よりも、年もいくつか小さかったのです……君、ちょっと来い。
第二の少女  花婿にしては、がさつね!
庭師  この子を御覧なさい……ほら睫毛が伸びている。胸を御覧なさい。私は玄人です。この眼には茸が伸びていくのが見えるのです……
     この子は見てる間に大きくなっています……卵茸と同じ早さです……
第二の少女  毒のあるのは、何をやってもレコード破りよ。
第三の少女  (第一の少女に)あなたの胸、大きくなってて?
第一の少女  私たち朗読するの、しないの?
他国者  やらせてごらんなさい。
43名前なし:2009/05/21(木) 00:50:30 ID:A8Oe3k7w
第一の少女  エレクトルのお母さん、クリテムネストルにしましょうよ。よくって? クリテムネストルよ。
第二の少女  いいわ。
第一の少女  『王妃クリテムネストルは顔色が悪い。だから頬紅をつけるのです』
第二の少女  『顔色が悪いのは夜眠れないから』
第三の少女  『夜眠れないのは怖いから』
第一の少女  『王妃クリテムネストルは何が怖い?』
第二の少女  『みんな』
第一の少女  『みんなって何?』
第二の少女  『静けさよ。いろいろな静けさ』
第三の少女  『物音よ。いろいろな物音』
第一の少女  『もうじき真夜中だと思うから。幸福をもたらす朝から不幸をもたらす夜へ向かって、蜘蛛がその糸の上を走っていると思うから』
第二の少女  『赤いものならみんな。それは血ですもの』
第一の少女  『王妃クリテムネストルは顔色が悪い。だから血をつけるのです!』
庭師  馬鹿げた話だ!
第二の少女  いいでしょう?
第一の少女  おしまいに、また始めの言葉に戻るところ、とっても詩的じゃない?
他国者  実に面白い。
第一の少女  エレクトルがお気に入りなら、エレクトルも朗読できてよ。みんなよくって? 私たちくらいの年のとき、エレクトルがどんなだったかお話できてよ。
第二の少女  そうよ。さあいいわ。
第三の少女  私たち、まだ生まれない前から、一昨日から、用意ができてよ。
第一の少女  『エレクトルは、オレストをお母さんの腕から落として面白がります』
第二の少女  『エレクトルは、摂政のエジスト叔父さんが大理石の床にひっくり返るように、玉座の階段に油をひきます』
第三の少女  『エレクトルは、弟のオレストが帰ってきたら顔に唾を吐きかけてやろうと、待ち構えています』
第一の少女  これは嘘よ。でもぴったりするわ。
第二の少女  『十九年の昔よりその日に、エレクトルは溜めぬ恨みの唾を』
第三の少女  『よりよく唾を出さんと彼女は思い浮かべぬ、庭師よ、汝のなめくじを』
44名前なし:2009/05/21(木) 00:51:21 ID:A8Oe3k7w
庭師  もう我慢ができん。黙れ! 小汚らしいまむしども!
第二の少女  あらあら、花婿が怒ったわ。
他国者  当たり前だ。もう行きなさい。
庭師  二度と戻ってくるな!
第一の少女  明日また来るわ。
庭師  来れるものなら来てみろ! 宮殿はお前たちのような子供は立ち入り禁止だ!
第一の少女  明日は大きくなってるわ。
第二の少女  明日とは、エレクトルと庭師の結婚式のある日よ。私たち大きくなってるわ。
他国者  何ですと?
第一の少女  あなた、私たちをかばってくれなかったわ。後悔してよ!
庭師  いやな畜生どもだ。まるで運命の女神パルクって調子だ。子供の運命とはぞっとするよ。
第二の少女  運命は庭師のお尻を向けてよ。大きくなるかどうか見てごらん。
第一の少女  みんな、いらっしゃい。二人とも放っときましょうよ、その耄碌した家の前に。

小さなユーメニードたちは退場する。招待客たちは恐れて道を明けて通す。
45名前なし:2009/05/21(木) 00:55:33 ID:A8Oe3k7w
第二場  他国者。庭師。裁判所長。その若き妻アガート。テオカトクレース。村人たち。
46名前なし:2009/05/21(木) 00:56:52 ID:A8Oe3k7w
他国者  なんと言ったのです、あの子達は? 庭の君がエレクトルと結婚するとか?
庭師  一時間たてば私の妻になります。
アガート  結婚なんかしませんわ。私たち、それをとめようと思ってやって来たのよ。
裁判所長  庭師、私は君の遠縁の従兄弟にあたる、それに裁判所の所長だ。
        私は二重の資格で君に忠告できるわけだ。大根とかぼちゃの元に戻り給え。エレクトルとは結婚するな。
庭師  これはエジストの命令です。
他国者  僕の頭が狂ったのか? アガメムノンが生きていれば、エレクトルの結婚はギリシャ全土の式典になるはず。
      それなのにエジストは庭師と結婚させる。その家族まで反対しているのに! まさかエレクトルは醜いんじゃないでしょうね? せむしでは?
庭師  エレクトルはアルゴス一の美人です。
アガート  そう、悪くはないわね。
裁判所長  それに、まっすぐといえば、実にまっすぐ。太陽などいささかも信じぬ花の如しだ。
他国者  では知恵の遅れた、白痴ですか?
裁判所長  知性そのもの。
アガート  確かに記憶力がいいわ。同じこととは言えなくってよ。私は記憶力が悪いの。あなたのお誕生日は別。これは忘れっこないわ。
他国者  では、あの人をこんな目にあわすなんて、いったい何をしたのです、何を言ったのです?
裁判所長  何もしないし、何も言わぬ。あそこにいるだけだ。
アガート  あそこにいるわ。
他国者  それはあの人の権利だ。あれは父親の宮殿だ。父親が死んだからといってあの人のせいではない。
庭師  エレクトルと結婚するなどとは、考えるだけでも滅相もないことでした。しかしエジストの命令とあれば、何も恐れることはなさそうです。
裁判所長  恐れていいことばかりだ。あれは何かといざこざを起こす類の女だ。
アガート  あなただけならいいけど! 私たちの家族までいつもびくびくしてなきゃならないわ!
庭師  どうしてでしょう。
47名前なし:2009/05/21(木) 00:59:39 ID:A8Oe3k7w
裁判所長  この子がそう言うのも今にわかる。つまり人生というものは非常に愉しいものにもなり得るのだね。
アガート  とっても愉しい……きりがないくらい愉しいものにもよ!
裁判所長  口を入れるんじゃない、同じことを言うなら尚更だ……つまり非常に愉しいものにもなりうる。
        むしろ人生においては、どんなことでも何とかけりがついてしまう傾向がある。精神的な苦しみは、できものとは違い、すぐ癒ってしまうし、
        ものもらいよりは早く癒える。まあ、手当たり次第に二組の人間をとって見たま罪や嘘や悪徳や姦通は双方とも同じに割り当てられているが……
アガート  品のない言葉よ、姦通なんて……
裁判所長  口を入れるんじゃない。反対するなら尚更だ。。つまりこういうことが起こる。片方では、生活は穏やかに正しく流れる。
        死者は忘れられ、生きている者は自分自身に甘んずる。ところがもう一方の側では、地獄というかな?
        つまりいざこざを起こす女がいるわけだ。
他国者  そちらの側には良心があるからだ。
アガート  お黙り、アガート。良心! とんでもない! もし、罪人がその罪を忘れず、戦いに敗れたものが敗北を、
       勝利者が勝利を忘れぬならば、もし呪いや、いさかいや、憎しみがいつまでも消え去らぬとするならば、
       それは妥協したり忘れたりしがちな人間の良心のせいではない。それは十人か十五人のことを好む女たちのせいなのだ。
他国者  同感だ。そういう女たちがこの世をエゴイズムから救ったのだ。
裁判所長  幸福から救い出してしまったのだ。私はエレクトルを知っている! まあ、あなたが言うように、あの人が正義そのもの、高潔そのもの、
        義務そのものとしておこう。だがその正義、高潔、義務でもって、人は国家や個人やよき家庭を滅ぼすのだ。エゴイズムやだらしなさからではない。
アガート  絶対よ……でも何故なの? あなた。前に聞いたけど、忘れてしまったわ。
48名前なし:2009/05/21(木) 09:45:40 ID:+YRod1sN
裁判所長  何故かというと、この三つの徳は、人間にとっては不吉なたった一つの要素を含んでいるからだ。
        つまり、人を仮借なき追及の虜とするのだ。幸福は執拗に追撃するものの手には入らぬ。幸福な家庭、
        それは地域的な要塞開け渡しだ。幸福な時代、それは全面的な城開け渡しだ。
他国者  あなたは降伏したのですか? 最初の勧告で?
裁判所長  残念ながら、しなかった! もっと素早い奴がいたのだ。だから私は副所長にしかなれん。
庭師  エレクトルは何を追い求めているというのです? 毎晩父君の裏で詣でる、それだけではありませんか?
裁判所長  その通り。私は後をつけたことがあるのだ。かつての夜、職掌柄もっと危険な殺人犯をつけたことのある同じ道筋だ。
        河に沿って、私はためしにギリシャで最も潔白な女の後をつけてみたのだ。前と違って恐ろしい散歩だった。二人とも同じ場所に足をとどめた。
        いちいの木、橋のたもと、里程標、それらは無実の者にも罪人にも同じ合図を送ったものだ。
        だが殺人犯の時は、彼がそこにいるということで、闇は邪気もなく、安らぎを与え、怪しげな気配も消えうせた。その男は果物から取り除いた種子だったのだ。
        もうパイの中で歯を欠く危険もない。それに引き換え、エレクトルの存在は光と闇をつきまぜてしまった。
        満月まで曖昧模糊としてしまった。釣人が、前の晩に餌を撒いていくのを見たことがおありかな? 
        その黒い河に沿って餌を撒いて歩いたのは、あの女だった。あの女さえいなければ、
        この楽しみと和解の世からはすでに消えうせている筈のあらゆるものを、あの女は毎晩撒いていくのだ。
        悔恨、懺悔、古びた血の痕、錆、人殺しの骨、密告の残骸……やがて、全ては整い、あらゆるものがうようよと、
        群り集ってくるだろう。釣人はそこを通って行くだけでよいのだ。
他国者  遅かれ早かれ通って行くものだ。
裁判所長  大間違い、それこそが間違いのもとなのだ!
アガート  (若い他国者にすっかり気をとられている)これこそが間違いのもとなのだわ!
49名前なし:2009/05/21(木) 09:48:20 ID:+YRod1sN
裁判所長  このこまであなたの議論の間違いを認めておる。われわれの過失、欠陥、摘み、そして真実の上には、その最も激しい毒性を消す三重の地層が、
        日に日に積み重なっていくのだ。忘却、死、そして人間たちの裁判と。それに任さぬとは全くの気違い沙汰だ。
        孤独な正義感のために、幽霊や浮かばれぬ死者のさまよう国、それらの国は恐ろしい。時効にかかった罪人が無実の者よりも尚、
        眠れぬ夜を重ねるならば、その社会は危険にさらされているのだ。エレクトルを見ていると、
        私は、ゆりかごの中で犯した過ちまでが心の中で疼いてくるのを感じるのだ。
アガート  私のは、未来の過ちなの。でも過ちなんか犯さなくてよ。あなたには分かってるわね。
       さっき強情を張ってあなたが口になさったあの姦通なんて、尚更よ……ああ、未来の過ちがもう私を苦しめているわ。
庭師  私はまあ、エレクトルに同感です。どうも悪人はあまり好きじゃない。私は信実を愛します。
裁判所長  ここで真実を担ぎ出そうとは、一体君は、わが一族の真実なる者を知っているのかね? 平穏な一族、尊敬を集め、繁栄の一途を辿る一族。
        ---君はその最も凡庸なる末端に位すると言っても、反対はすまいな---だが、そうした外見の上で敢えて危険をおかそうとするのは、やめたほうがいい。
        氷の上を歩むより危ういのは、経験で分かっているのだ。エレクトルが我々の従姉妹になってみたまえ。
        十日もたたぬうちに---これはまあたとえばの話だが---あの年寄りの叔母が娘の頃に嬰児殺しをしたなどということが発覚する。
        その話が夫に漏れ、そこでたけりたけった夫をなだめるために、祖父の犯した強姦罪をもはやかくしおおすわけにはいかぬという始末になる。
        この可愛らしい、陽気なアガートまで、それでもう夜眠れないのだ。君だけだよ、エジストの策略に気がつかぬのは。
        アトレウスの一族にいつの日か憂うべき光を投げかけるおそれのあるものを、あの男は一切チオカトクレースの一族に渡してしまいたいのだ。
50名前なし:2009/05/21(木) 09:49:55 ID:+YRod1sN
他国者  アトレウスの一族には、何か恐れなければならないことがあるのですか?
裁判所長  何もない。私の知る限り何もない。だが、あらゆる幸福な家庭や、地位の高い夫婦、また、心満ち足りた人間と同じだ。
        最も恐るべき敵に用心せねばならぬ、何ものをも残さず骨まで食い尽くす敵、エレクトルの味方、全き正義に。
庭師  エレクトルは私の庭が大好きです。少しばかり神経質なところがあったとしても、花が役に立つでしょう。
アガート  でもエレクトルは花の役には立たなくてよ。
裁判所長  正にそうだ! 君のつりうき草やジェラニウムが、どんなものか思い知らされるのがおちだ。
        今まで愛らしい象徴だったそれらの花が、今度は得手勝手にペテンや恩知らずを働くのを見るようになる。
        庭の中のエレクトル、それは花々の間に踏み入った正義と記憶、つまり憎しみなのだ。
庭師  エレクトルは敬虔な女です。全ての死者はエレクトルの味方です。
裁判所長  死者だと! ああ、私には死者たちの声が聞こえる、エレクトルの到着が死者に告げられる日。私には彼らが見える。
        暗殺者と既に半ばとけ合った殺された者たち、泥棒たちの影におだやかに入り混じった盗まれた者や騙された者の影、
        お互いの中に散らばり重荷を下ろしたかたき同士の家、彼らは不安におののき、お互いに言い合うのだ、ああ、やれやれ、エレクトルがやってきた。
        あんなに平穏だったのに!
アガート  エレクトルが来たわ!
庭師  いや、まだです。だが、あれはエジストだ。他国の方、いらしてください。エジストは見知らぬ男の顔が、あまり好きではないのです。
裁判所長  あなたもだ、アガート。エジストは、知った女の顔が、あまり嫌いではない。
アガート  (他国者の美しい顔に激しい興味をよせて)
       道をお教えしましょうか? 美しい他国の方。

客たちの歓声に迎えられて、エジストが退場する。
その間に従僕たちが玉座を置き、ひとつの柱に床几を寄せておく。
51名前なし:2009/05/21(木) 23:55:51 ID:E3FHsSoY
第三場  エジスト。裁判所長。庭師。従僕たち
52名前なし:2009/05/21(木) 23:57:09 ID:E3FHsSoY
エジスト  その床几は何だ? 何のための床几だ?
従僕  乞食のためでございます、閣下。
エジスト  乞食とはどんな乞食だ?
従僕  神様と申し上げてもよろしいかと存じます。数日前から街を徘徊している、あの乞食のためでございます。
     乞食にしては、あれほど完璧な乞食は見たことがございませんので。きっと神様に違いないという噂が立っております。
     どちらでも木戸御免になっております。今、宮殿の周りをうろうろしておりますので。
エジスト  家々で、穀物の粒を黄金にかえているのか? 女中たちを孕ませているのか?
従僕  なんら損害は与えておりません。
エジスト  奇妙な神だ……司祭たちにもまだ見分けがつかぬのか、乞食かジュピテルか?
従僕  司祭様方はご自分たちには尋ねないようにとのことで。
エジスト  床几は置いておくか? 諸君。
裁判所長  神を辱めるよりは乞食をあがめておいたほうが、結局は安上がりと思いますが。
エジスト  床几はそのままにしておけ。だが、やって来たら、前もって知らせるのだぞ。ここ十五分ほどは厳密に人間だけでいる必要がある。だが、粗相があってはならぬ。
       おそらくはエレクトルの結婚式に列する神々の使者かもしれぬ。裁判所長が我が家の恥と思う結婚式に、神々は自ら客となるのだ。
裁判所長  閣下……
エジスト  言うな。みな聞こえておる。この宮殿の音響効果は驚くべきほどだ……建築技師が謝礼と配分についての会議の模様を聞きたがったらしい。
       音響効果がそこここにかくしてあるのだ。
裁判所長  閣下……
エジスト  黙りなさい。もう全て分かっておるのだ、あなたがその立派な由緒ある家の名に於いて言わんとすること、
       その尊敬すべき嬰児殺しの姉の名において、その人望高き色魔の叔父の名に於いて、その従順なる誹謗者の甥の名に於いて、言わんとすることはな。
裁判所長  閣下……
53名前なし:2009/05/21(木) 23:58:09 ID:E3FHsSoY
エジスト  戦場で、敵の襲撃をそらせるために、王の羽飾りを渡された士官は、これみよがしに、しきりと、それをふりたてるものだ……
       暇つぶしだ。庭師はエレクトルと結婚するのだ……
従僕  乞食が参りました、閣下。
エジスト  しばらくひきとめておけ。飲ませてな。葡萄酒はどちらの口にも合うものだ、乞食にも、神にも。
従僕  神様にしろ乞食にしろ、もう酔っております。
エジスト  では入らせるがいい。神々の話をしなければならぬのだが、しても分からぬだろう。その面前で神の話もまた一興だ。あなたのエレクトル論はなかなか適切だ、
       裁判所長、だが大分特殊だな、卑俗だ。摂政として、話を一般概念まで高めることを許してくれるなら……
       裁判所長、あなたは神々を信じておるのかな?

この間に乞食が従僕に導かれて入ってくる。
そしてぎこちない挨拶をしながら、少しずつ床几に腰を落ち着け、
この場の前半を通じて放心したように周囲を見通している。
54名前なし:2009/05/21(木) 23:59:40 ID:E3FHsSoY
裁判所長  閣下自身はいかがで?
エジスト  私はよく、自分は本当に神々を信じているのだろうかと考えてみたものだ。それこそ政治家たるものが自分に対してはっきりさせておかねばならぬ
       唯一の問題だからだ。私は神々を信じている。あるいはむしろ神々を信じていると信じている。
       しかしそれは、深き配慮の神、厳しき監督の神としてではなく、大いなる放心の神として信じているのだ。
       常にたわむれている空間と時間、常に相争う引力と真空との間には大いなる無関心だある。それが神々だ。
       神々が、地上にうごめく至上のカビである人間に、休みもなくかかずらうものとは、私は想像していない。
       それは静謐と偏在のある段階、もはや最高の幸福、すなわち無意識でしかありえないほどの段階に達したものと想像している。
       原子がその最も低い段階に於いて無意識であるごとく、神々はあらゆる被創造物の最高の段階にあって無意識なのだ。
       異なるところはそれが、烱々たる光を放つ、全知の、千々の面に刻まれた無意識であることだ。それはダイヤモンドと同じだ。
       そのままでは、どんよりと輝きも鈍い、それが答えるのは、光に対してのみ、合図に答えるのみなのだ、しかも理解はしていない。

乞食はやっと腰をおちつけているが、ここで喝采を送らねばならぬと思い込む。
55名前なし:2009/05/22(金) 00:01:15 ID:qOHBuOQX
乞食  名誉だ。上出来。
エジスト  ありがとう……また一方、人間の生活にはしばしばある干渉が入るのは議論の余地がない。その適切なること、
       規模の大なること、それは、ある超人間的な関心や正義の存在を信じさせるかもしれぬ。
       それは超人的であり、神の性質をおびているが、同時にぞんざいで的外れな仕事なのだ……ある街が不敬や無分別から罪を犯す、
       とペストが発生する。ところが、そのペストに荒らされるのは、中でも神聖なる隣の街だ。ある民族が堕落し、頽廃をもたらす、と戦争が荒れ狂う。
       ところがその戦争は最も正しい者、勇気ある者を滅し、最も卑怯な者を救うのだ。さもなければ、いかなる過ちを、誰がどこで犯そうと、償いをするのは常に同じ国、
       同じ家、しかも罪のあるなしに拘らずだ。私は七人の子をもった母親を知っている。彼女が尻をひっぱたくのはいつも同じ子だった。つまり神のごとき母親だ。
       それは我々が神について考えていることとよく合致する。それは同じ頬、同じ尻を目の前にして喜ぶ盲目の拳闘家、盲目の殴り手なのだ。
       しかし、幸福の不意の訪れがもたらす驚きを、貴重なものとするならば、神々にその一撃がそれほど行き当たりばったりでないことこそ
       正に驚くべきことかもしれぬ……大嵐に揺れる鎧戸が、誓いに背いた女をそれて、心正しき女に打ち当たろうと、天災が盗賊の群れではなく、
       巡礼たちの上にふりかかろうと、普通、やられるのはいつも人間だ……もちろん一般的に言ってのことだが。
       時たま鹿や鴉が不可解な悪疫に倒れることがある。それはおそらく人間に向けられた矛先が少々上か下をついてしまったのだ。
       とにかく、一国の主たる者にとっては、神々がこの昏睡状態からゆすぶり起こされぬよう厳しく見張ることが
       根本原則なのだ。損害を、眠った者の反射運動にとどめなければならぬ、いびきとか雷とか。
乞食  上出来、実に明瞭だ! よく分かった。
エジスト  かたじけない。
56名前なし:2009/05/22(金) 00:47:29 ID:W1ENXn3k
乞食  真実そのものだ。一例をひこう。いいかな、道を歩くものについての例だ。我々が百歩行くごとに、一匹の死んだはりねずみにぶつかることがよくある。
     はりねずみは、雌も雄もだが、十匹ずつもの群れをなして、夜、道を横切り、踏み潰されるのだ! 
     そう、市の立つ前の日だ。それははりねずみが馬鹿なのだと言われるかもしれない、道のこちら側でお互い雌や雄を見つけることも出来たろうに、とな。
     ところが如何せん、はりねずみにとって、愛とはまず道を乗り越える事なのだ……何の話をするつもりだったかな? 
     話が横道にそれた……そちらの話を……こちらはいずれまた……
エジスト  全くだ! 一体何の話だ!
裁判所長  エレクトルの話をいたしましょう、閣下。
エジスト  今まで何の話をしていたと思っている? 可愛らしいアガートの話か? 我々はエレクトルの話しかしていない、裁判所長。
       諸君ら全ての幸福のために、エレクトルを生家から取り除かねばならぬという話だ……
       私が摂政になってからというもの、他の町々が度重なる軋轢に滅び、他の市民たちが精神の危機に滅んでいくというのに、
       何故、我々だけが、他人にも自分にも満足していられるのだ? 我々の町に有り余る富は何のおかげだ? 
       アルゴスだけが、何故原料の価格は最高、小売値段は最低なのだ? 我々がより多くの牛を輸出できるのは何故だ? 
       それでいて何故バターの値段が下がるのだ? 何故、嵐は我々の葡萄畑を、異端は我々の寺院を、
       アフタ熱は我々の牛小屋を飛び越えて行ってしまうのだ? それはこの街では、神々に合図をおくる者どもには、
       私が容赦なく戦いを挑んできたからだ……
裁判所長  神々に合図を送るとは何のことです、エジスト?
乞食  あ、やっと思い出した!
エジスト  何を思い出したのだ?
乞食  私の話だ、話の続きを……はりねずみの死についての話だった……
エジスト  しばらく待ってくれぬか。今神々の話をしておる。
乞食  いいですとも! 優先権の問題だ。まず神々、次がはりねずみ……ただもう一度思い出せるかどうか。
57名前なし:2009/05/22(金) 00:49:13 ID:W1ENXn3k
エジスト  合図を送るに二通りはない、裁判所長。群れから離れ、丘に登る、そして灯りか旗を振るのだ。
       包囲された要塞を裏切るように、いろいろな合図によって地上を裏切るのだ。哲学者はテラスから、詩人や、人生に絶望した者は、
       その露台や崖の上から合図を送る。神々は十年この方、我々の生活に少しも介入してこない。
       それはこの私が、岬には絶えて人気なく、市の広場は溢れるよう、気を配っていたからだ。夢見るもの、絵描き、科学者には、
       私が結婚を命じたからだ。これら精神的種族の違いは、神々の眼に、人間たちを色分けして映し出しかねぬ。
       私は、わが市民の間にそれらの違いの生ぜぬよう、軽い罪は重く、思い罪は軽く見る不利をしてきたのだ。
       人殺しとパン泥棒にめぐらされた同じ雰囲気、神が動き出さぬようにするにはこれ以上のものはない。
       その点、裁判の公正が多々私を助けてくれたことは認めなければならぬ。私が止むを得ず弾圧を加えることがあっても、天上からは少しも見えなかった。
       私の処罰のどれ一つとして、髪に復讐を考えさせるほどは目立たなかった。追放はない。全部死刑だ。追放されたものは、
       てんとう虫のように嶮しい道をよじ登る傾向がある。私はこっそりと刑を執行した。隣の哀れな町々が、丘の頂上に絞首台を設けて我が身をさらしている時、
       私は谷底で十字架にかけたのだ。さあ、これでエレクトルの話はすんだ……
庭師  何とおっしゃるので?
エジスト  今、アルゴスには、神々に合図を送るものは一人しかいないというのだ。それはエレクトルなのだ……

       (客たちの間でもぞもぞし始めた乞食に)

       どうかしたのか?
58名前なし:2009/05/22(金) 00:51:31 ID:W1ENXn3k
乞食  いや、別に。ただそろそろ私の話を持ち出したほうがいい……五分もたてば、あなたが話せば話すだけ、私の話はもう何の意味もなさなくなる。
     あなたの話を裏付けるためなのだから。で、踏み潰されたはりねずみのうち、幾十のはりねずみは、確かに、はりねずみらしい死に方をしているのに気がつく。
     馬の足でぺちゃんこになった鼻面、車輪の下でばらばらになった針、これは正に踏み潰されたはりねずみだ、それ以上のものではない。
     県道や村道を横切るという、はりねずみの先天的欠陥のために踏み潰されたのだ。反対側のなめくじやうずらの卵のほうがおいしいという口実はつけるが、
     実ははりねずみの恋をするためにすぎない。だが、それは彼らだけに関すること。誰も口は挟まない。ところが不意に一匹、小さい奴が見つかることがある。
     他のとはちょっと違った死に方だ。それほど汚らしくはないし、小さな足を伸ばし、唇は固く閉じ、ずっと品がある。
     こいつは、はりねずみとして死んだのではないような気がするのだ。他のものにかわって、あなたにかわって襲われたような気がするのだ。
     その冷たい小さな眼、これはあなたの眼だ。この針、これはあなたのひげだ。その血、これはあなたの血だ。私はいつもこれを拾い上げる。
     まだ若く、食べるには一番柔らかいからだが。一年たつと、もうはりねずみは人間のために生贄とはならない……
     どうです、私にもよく分かったな。神々は間違ったのだ。誓に背いた者や泥棒を打とうとして。一匹のはりねずみを殺してしまう。若い一匹の……
エジスト  よう分かった。
乞食  はりねずみに関して真実であることは、他の種類に関しても真実だ。
裁判所長  その通り、その通り!
乞食  どうして、その通りかな? それは全くの間違いだ。たとえば貂だ。あなたがいかに裁判所長であろうとも、
     あなたのために貂が死ぬのを見たなどとは申されまい。
エジスト  エレクトルの話を続けてもよいかな?
59名前なし:2009/05/22(金) 00:53:03 ID:W1ENXn3k
乞食  お話なさい! お話なさい! だが交替に。これは言っておかなければならないのだが、死んだ人間を見ると、
     その多くは牛や豚や亀のために死んだように見える。人間のために死んだものは多くはなさそうだ。
     人間のために死んだように見える人間、これは探すほどだと言ってもいい……自分のために死んだのでもだ……会えますかな?
エジスト  会うとは誰に?
乞食  エレクトルに……殺す前にぜひ会っておきたい。
エジスト  エレクトルを殺す? 誰がエレクトルを殺すなどと言った?
乞食  あなたが。
裁判所長  エレクトルを殺すなんて問題は絶対にない。
乞食  私には一つ長所がある。私には人の話は分からない。教育がないのだ。だが人は分かる……あなたはエレクトルを殺したいと思っている。
裁判所長  あなたは誰だか知らぬが、何にも分かっていない。この人はエジストだ、アガメムノンの従弟、そしてエレクトルは最愛の姪なのだ。
乞食  エレクトルが二人いるのかな? さっきの話の、全てをぶち壊しにしようというエレクトル。もう一人は最愛の姪?
裁判所長  いや、一人だけだ。
乞食  では殺したいと思っている。疑いはない。最愛の姪を殺したがっているのだ。
裁判所長  あなたは分かっていないのだ!
乞食  私は随分とほっつき歩いた。ナルセスという一家を知っていたが……かみさんは亭主よりずっといい……
     かみさんは病気で、苦しい息をしていたが……だが亭主よりずっといい人で……比べ物にならない。
庭師  こいつは飲んでます。やっぱり乞食だ。
裁判所長  つまらんことをくどくど言うところを見ると、これは神だ。
乞食  いや。これはその二人が小さな狼をもらった話をするためだ。それは二人の最愛の狼になった。
     ところがある日の正午に、子供の狼は突然大人の狼になる……二人にはその日を予知することが出来なかった……
     正午二分前に、狼は二人にじゃれついていた。正午一分過ぎには、狼は二人を食い殺そうとしたのだ。
     亭主のほうは、これはどうでもいいが!
60名前なし:2009/05/22(金) 00:54:49 ID:W1ENXn3k
エジスト  それで?
乞食  そこへ私が通りかかった。私は狼を殺した。狼はなる背巣親父の頬を食い始めていたところだ。
     狼の好みはやかましくはなかったのだな。ナルセスのかみさんは難を逃れた。元気だ。かたじけない。いずれごらんになる。あとで私を探しにここへ来る。
エジスト  どこに関連がある?
乞食  いやいや、アマゾンの女王を見るつもりになってはいけない。静脈瘤などというものは目の障りになるばかりだ。
裁判所長  どこに関連があるかを聞いているのだ。
乞食  関連? それはつまり、私の考えるところでは、この人は一国の主だから、とにかくナルセスよりは頭がいいだろう、ということだ……
     ナルセスの馬鹿さ加減といったら、誰だって考えもつかぬくらいだ。葉巻は火のついていないほうの口から吸うのだということを
     私はとうとうナルセスに教え込めなかった……それに紐の結び方だな? 人生では結び方を知るのがまず第一に大切なことだ……
     結び目を作るべきところに輪を造れば、もう駄目だ、及びその逆。金は落とす、風邪はひく、首は締まるし、船は流れたきり止まったきりになる。
     もう靴も脱げない……これは脱ぐ人たちのために言うのだが……それに罠はどうだ? ナルセスが密猟者だったとしたまえ……
裁判所長  我々はどこに関連があるのかと聞いているのだ。
乞食  関連はそこにある。だからもし、この人が姪を警戒しているなら、もし、その話のように、いつの日にか、
     突然、その女が合図を送り、人々を不安にさせ、街を混乱に陥れ、バターの値を上げ、戦争をおこさせたりするのが分かっているのなら、ためらうことはない。
     その女が正体を現す前にばっさり殺すべきだ……いつ正体を現すのかな?
裁判所長  何だと?
乞食  いつの何時に正体を現すのかな? いつ狼になる? いつエレクトルになる?
裁判所長  だが狼になる様子など、何もないではないか?
乞食  (エジストを指して)いや、あの人はそう考えている。そう言っている。
庭師  エレクトルは女の中でも最も優しい女です。
乞食  ナルセスの狼は、狼の中でも最もおとなしい狼だった。
裁判所長  あなたの言う《正体を現す》なる言葉には、何の意味もないな。
61名前なし:2009/05/22(金) 01:53:43 ID:W1ENXn3k
乞食  意味がない? 正体を現すというこの言葉が? あなたにはいったい人生の何が分かっているのかな! 
     五月の二十九日、突然、耕された畑に数千の小さな、黄、赤、緑の玉が群がるのを見るとする、それらはあちこちと飛び交い、
     ぴよぴよと鳴き騒ぎ、あざみの綿毛を奪い合う。決して間違わない、たんぽぽのむく毛の後は追わないのだ。
     これで五色ひわが正体を現さないかな? それから六月の十四日だ。川の曲がり角に、風もなく、流れもないのに、二本の葦が揺れ動く。いつも同じ葦だ。
     そのまま六月の十五日まで動き続ける---真鯛や緋鯉のように泡は上ってこない---これでかますが正体を現さないかな? 
     それにあなたのような裁判官も正体を現さないのかな? 最初の死刑宣告をした日だ、死刑囚が心ほうけて法廷を出て行く時、
     その唇に血の味が通うのを感ずる時にだ。全ては正体を現すのだ、この自然界ではな! 王もだ! 
     しかも今日は、私に言わせれば、エレクトルがエレクトルの中で正体を現す前に、王がエジストの中で正体を現すかどうかが問題なのだ。
     だからエジストは、あの子の場合がいつくるかを知る必要がある。その前の日に、例の谷底で殺すためだ。
     或いはまた、更に小さな谷底、更に手軽で、しかも見えない、つまりあの子の浴槽の中で……
裁判所長  恐ろしい人だ!
エジスト  あなたは結婚を忘れているな……
乞食  本当だ。結婚を忘れていた。だが誰かを抹殺するには、とにかく死ほど確かなものはない。
     殊にあの子のように感じ易く、発育の遅れた娘は、初めて男の腕に抱かれた瞬間にきっと正体を現すだろうからな……
     結婚させるのですか?
エジスト  今すぐ、この場でだ。
乞食  少なくとも、他国の王とではないでしょうね?
エジスト  そうしないよう注意はした。庭師とだ。
裁判所長  この庭師だ。
62名前なし:2009/05/22(金) 01:55:41 ID:W1ENXn3k
乞食  娘さんは承知かな? 私だったら、庭師の腕の中では、正体は現さないな。だが好き好きだ。私が正体を現したのは、コルフーの島でだった。
     泉の広場、プラタナスの木陰のパン屋だ。その日の私は見せたいくらいだった。秤の各々の皿にはパン屋のかみさんの手を片方ずつのせて計ったのだ。
     決して同じ重さではない……私は右の皿には小麦粉を足し、左の皿にはひきわり麦を足したものだ……どこに住んでいるのかな、庭師は?
庭師  城壁の外に。
乞食  街中か?
庭師  いや、一軒家です。
乞食  (エジストに)上出来! あなたの考えは分かったな? 悪くない。庭師のかみさんは割合楽に殺せる。宮殿にいる王女よりはずっと楽だ。
庭師  お願いです、あなたが誰であろうと……
乞食  まさか、大理石より畑の土のほうが埋めやすいということは、否定はすまい。
庭師  何を考えているのです? 第一、一分だって、私はあの人から目を離さないでしょう。
乞食  にらを一本挿すのに身をかがめたまえ。土くれにつまずいたらもう一度。そら、死は通り過ぎてしまった。
裁判所長  見知らぬ方、あなたは今どこにいるのか分かっているのか。あなたのいるのはアガメムノンの宮殿、アガメムノンの一族の中だ。
乞食  私は目に見えるものを見ているのだ。この男が恐れているのが見える。エレクトルを恐れながら生きているのが見えるのだ。
エジスト  客人、お互いに誤解は避けよう。隠さずに言うが、私はエレクトルが気がかりなのだ。
       あの娘が、あなたの言うように正体を現す、その日からは、不安や不幸が次々とアトレウス一族を襲うだろうという気がしている。
       わが一族のみのことではない。王家を襲うものは、あらゆる市民に累を及ぼすのだ。だからこそ私は、あの娘を平凡な、神の眼に映らぬ一族へ引き渡すのだ。
       そこならばあの娘の目も身振りも、もはや燐光を放つことはあるまい。被害もテオカトクレース一族のみに、部分的なもの、月並みなものに、とどまるだろう。
乞食  いい考えだ。いい考えだ。しかし、その一族がとりわけ平凡でないといかん。
63名前なし:2009/05/22(金) 01:57:38 ID:W1ENXn3k
エジスト  平凡なのだ。そのまま変わらぬよう注意しよう。テオカトクレース家の誰一人として、才能と勇気によって秀でることのないよう、
       注意しよう。英雄と天才に関しては、彼らに任しておいて心配ない。
乞食  注意なさい。アガートはなかなか悪くない。美も合図を送る。
裁判所長  頼むから、アガートのことは議題からはずしてもらいたい。
乞食  なるほど、顔に硫酸をかけるのは、いつでも出来る。
裁判所長  閣下……
エジスト  もう話は分かった。
裁判所長  しかし、私が考えているのは運命そのものなのです、エジスト。運命はとにかく病気ではない。運命が伝染するなどとお考えですか?
乞食  そう。飢えが貧しい人々の間で伝染するように。
裁判所長  運命が王家の代わりに我々下層階級に甘んじ、アトレウス家の運命からテオカトクレース家の運命に
        なりかわるのを承知するとはとても考えられません。
乞食  心配は無用だ。王の癌は町民にもうつる。
64名前なし:2009/05/22(金) 01:58:38 ID:W1ENXn3k
エジスト  裁判所長、エレクトルが家族の一員になることが、一族の高官連の不興を買うことを望まぬなら、それ以上言わぬがよい。
       三流の所におれば、どんなに執拗な運命も三流の被害しか与えぬだろう。私は、テオカトクレース家に対して深い尊敬の念を抱くが故に、
       個人的には気の毒だと思う。しかし王家には、もはや何の危険も生じまい、国家にも、街にも。
乞食  それに機会があれば、何とかあの子を殺すくらいのことは、おそらくなんでもない。
エジスト  話はすんだ……クリテムネストルとエレクトルを連れて来るがよい。二人とも待っておる。
乞食  むしろ遅いくらいだ。別に話に御婦人を交えなかったのを非難するわけではないが。
エジスト  今に二人加わる。しかもよくしゃべる。
乞食  少し喧嘩をするといいが。
エジスト  君たちの仲間は、女が議論をするのを好むのか?
乞食  大好きだ。今日の午後、ある家へ行かせてもらったが、やはり議論をしていた。議論というほど高尚なものではないが。比較にはならない。
     ここのように王家にまつわる暗殺の陰謀などではない。客に出す食事に、鶏を肝つきでだすか肝抜きでいくかという議論だ。首の肉も勿論。
     女たちはいきり立っていた。止めにはいらねばならなかった。考えてみれば、議論としてはやはりなかなか激しかったわけだ……血が流れたからな。
65名前なし:2009/05/22(金) 14:49:16 ID:aZa4ypQb
第四場  同じ人物。クリテムネストル。エレクトル。侍女たち。
66名前なし:2009/05/22(金) 14:50:37 ID:aZa4ypQb
裁判所長  お二人とも、お見えです。
クリテムネストル  二人友は言いすぎです。エレクトルはいても、心はいないようなもの。
エレクトル  いいえ。今日はいるわ。
エジスト  では丁度いい。母上が何故あなたをここまで連れて来たか知っているかね?
エレクトル  習慣からだと思います。前にも娘を一人生贄台へ連れて行ったことがありますから。
クリテムネストル  その一言でエレクトルがお分かりでしょう。口を開けばもう裏のある言葉や当てこすりばかり。
エレクトル  ごめんなさい、お母様。アトレウス家では当てつけの言葉が楽々と出てくるのよ。
乞食  どういうことかな? お母さんといさかいをするつもりかな?
庭師  エレクトルがいさかいをするとすれば、初めてのことです。
乞食  これはますます面白そうだ。
エジスト  エレクトル、我々の決定については母上からお話があった筈だ。もう長いこと私たちはあなたのことを心配している。
       分かっているかどうかは知らぬが、あなたはもはや、いわば白昼の夢遊病者にすぎぬ。
       宮殿でも、街でも、人々は声をひそめてあなたの名を口にする。大声で言っては、あなたの目を覚まし、
       つまずかせるのではないかと恐れているのだ……
乞食  (あらん限りの声で叫ぶ)エレクトル!
エジスト  どうした?
乞食  いや、失礼、冗談です。ごめんなさい。でもびっくりしたのはあなたで、あの人じゃなかった。あの人は夢遊病者ではない。
エジスト  どうか……
乞食  どっちみち、実験はすみました。つまずいたのはあなただ。もし私が突然、エジスト、と叫んだのだったら、どういうことになったかな。
裁判所長  摂政にお話をさせてください。
乞食  あとで、忘れたころに、エジスト、と叫んでみよう。
エジスト  エレクトル、あなたはいかなる薬を用いても、その病気を癒さなければならない。
エレクトル  私を癒すのは、何でもありません。死人を一人生き返らせればいいのです。
67名前なし:2009/05/22(金) 14:51:46 ID:aZa4ypQb
エジスト  父親の死を嘆くのはあなただけではない。だが、生きている者にたてつくような嘆き方は、父上も願うまい。
       死者を我々の人生にかかずらわせるのは、死者をどっちつかずの立場におくことになる。
       それは、彼らから死者としての自由を取り上げることだ。自由があるとすればの話だが。
エレクトル  自由はありますわ。だから生き返るのです。
エジスト  父上はお喜びになると思うのかね? あなたが娘としてではなく、妻のように嘆くのを見て。
エレクトル  私は父の未亡人です、他にいないのですから。
クリテムネストル  エレクトル!
エジスト  未亡人であろうとなかろうと、今日、私たちはあなたの結婚式をあげるのだ。
エレクトル  そうです。あなた方の陰謀は分かっています。
クリテムネストル  どんな陰謀です? 二十一歳の娘を結婚させようというのが陰謀ですか?
            あなたの年頃には、私はもう両腕に、あなたとオレストの二人を抱いていたのです。
エレクトル  抱き方が悪かったわ。だからオレストを大理石の上へ落としてしまった。
クリテムネストル  私にどうしろと? あなたが押したからではありませんか。
エレクトル  嘘よ! 私はオレストを押したりはしなかったわ。
クリテムネストル  どうして分かります。あなたはまだ生まれて十五ヶ月だった。
エレクトル  オレストを押したりはしなかったわ! 私は記憶をこえて覚えているのよ! 
        ああ、オレスト、あなたがどこにいようと聞いて頂戴! 私はあなたを押したりはしなかった。
エジスト  もうよい、エレクトル。
乞食  いよいよ、始まった。あの子が我々の目の前で正体を現すとは実に面白い。
エレクトル  お母様は嘘をついているのよ、オレスト、嘘をついているのよ!
エジスト  お願いだ、エレクトル。
クリテムネストル  この子が押したのです。あの年で、自分が何をしているのか、はっきり分かるものではありません。でも確かにこの子は押したのです。
68名前なし:2009/05/22(金) 14:53:13 ID:aZa4ypQb
エレクトル  私は一生懸命つかまえたわ。その小さな青い上衣を。腕や、指の先を。落ちていく跡や、影までも。
        額に赤いしみをつけて転がったのを見て、私は泣きじゃくったわ!
クリテムネストル  あなたは大きな口をあけて笑ったのです! 上衣は、本当は薄紫でした。
エレクトル  青かったわ。オレストの上衣は知っててよ。乾かしているとき、空と重なって見えなかったわ。
エジスト  これでは話も出来ぬ! 二十年もの間に、あなた方はその口論にけりをつける暇はなかったのか?
エレクトル  二十年前から私は機会を狙っていました。やっと掴まえたのです。
クリテムネストル  善意からでも間違うことはあるのに、どうして自分でそれが分からないのかしら?
乞食  二人とも善意だ。それが真実というもの。
裁判所長  王女様、お願いです。今その問題にどんな関係がありますので?
クリテムネストル  何の関係もありません、あなたの言う通りです。
エレクトル  どんな関係? もしオレストが押したのが私なら、私は死んだほうがいいわ、自殺したほうがいいわ……私の人生なんて意味がなくなるわ!
エジスト  あなたを力ずくで黙らせねばならぬのか? あなたも、王妃、子のこのように気違いなのですか?
クリテムネストル  エレクトル、お聞きなさい。喧嘩はよしましょう。正確にお話しすると、こういうことなのです。オレストは私の右手に抱かれていました。
エレクトル  左よ!
エジスト  まだやめないのですか? クリテムネストル?
クリテムネストル  もうおしまいです。でも右腕は右腕、左ではありません。薄紫の上衣は薄紫で、青ではありません。
エレクトル  青かったわ。オレストの額が赤かったように、青かったわ。
クリテムネストル  額はそう、真っ赤だった。あなたは指で傷口にさわった。
            横たわった小さな身体の周りで、あなたは踊っていた。笑いながら血をなめた……
エレクトル  私は、オレストを傷つけた階段に頭をぶつけてしまいたかったのよ! 丸一週間は震えていたわ……
エジスト  よしてくれ!
エレクトル  まだ震えているわ!
乞食  ナルセスのかみさんは自分の子をゴム紐で結び付けていた。動きもとれたし……時々斜めになったが、落ちなかった。
69名前なし:2009/05/22(金) 14:54:45 ID:aZa4ypQb
エジスト  もうよい。エレクトルが自分の子供たちをどう抱くか間もなく分かるというものだ……というのも、あなたは承知したのだから、そうだね? 結婚は承知だね?
エレクトル  承知します。
エジスト  打ち明けて言っておかねばならぬ、求婚者は余りないのだ。
乞食  噂では……
エジスト  どんな噂だ?
乞食  噂では、あなたはエレクトルと結婚できそうな王子たち全てを、殺すと言ってひそかに脅迫したそうだ……街の噂ではだ。
エレクトル  丁度いいわ。王子なんかいやです。
クリテムネストル  庭つくりならいいのですか?
エレクトル  あなた方が二人して、私を父の庭師と結婚させようと謀ったのは知っています。私は承知します。
クリテムネストル  庭師などと結婚してはいけません。
エジスト  私たちは意見が一致したはずだ、王妃。約束だ。
クリテムネストル  取り消します。あの約束は間違っていました。エレクトルが病気なら、看病したしましょう。私はもう娘を庭師などにはやりません。
エレクトル  もう遅いわ、お母様。あなたはもう私をおやりになってしまったのよ。
クリテムネストル  庭師、あなたはどうしてもエレクトルが欲しいというのですか?
庭師  私はこの方にふさわしくはありません、王妃。しかしエジストの命令なのです。
エジスト  私の命令だ。ここに指輪がある。君の妻を受け取りたまえ。
クリテムネストル  命が危ないですよ、庭師、思いとどまらないと!
乞食  では思いとどまれ。私は兵隊が死ぬのを見るのは好きだが、庭師はいかん。
クリテムネストル  何をまだ言っているのです、この人は? エレクトルと結婚して御覧なさい、庭師、殺されますよ!
乞食  それは私の知ったことではない。だが庭師が死んで一年たったら庭へ行ってみなさい。口を出さないわけにはいかんのが、お分かりだろう。
     庭師のやもめになった菊じしゃが一年でどうなることか分かる。王の未亡人のようなわけにはいかない。
70名前なし:2009/05/22(金) 15:59:01 ID:aZa4ypQb
クリテムネストル  あんな庭なんかどうともなりません。いらっしゃい、エレクトル。
庭師  王妃、エレクトルをお断りになるのは結構です。しかし、ご存じない庭のことで悪口をいわれるのはよくありません。
クリテムネストル  庭のことならよく知っています。肥料を撒いた空地のことです。
庭師  空地! アルゴス一に手入れの行きとどいた庭が!
裁判所長  あの男が自分の庭の話を始めたら、きりがありません!
エジスト  その話はやめてくれ。
庭師  王妃が売られた喧嘩です。私はお答えします。庭は私の持参金です、私の名誉です。
エジスト  どうでもよい。喧嘩は沢山だ。
庭師  空地とおっしゃるが、私の庭は十アルパンの丘と六アルパンの谷に拡がっています。いやいや、決して黙りません。不毛の土地は一寸もない。
     そうでしょう、エレクトル! 大地の上には韮とトマト。斜面には、葡萄畑と風上の桃。平地には野菜、そして野苺と木苺。
     また、山崩れの窪みには、いちじくが岩壁にもたれて、実をぬくもらせているのです。
エジスト  よし。いちじくには勝手にぬくもらせておけ。そして妻を受け取るのだ。
クリテムネストル  あのような庭の話をよくもぬけぬけと! みんな干からびているではありませんか、私は道から見ました。
            まるで頭蓋骨です。エレクトルはあげません。
庭師  みんな干からびてですと! 土用にも涸れたことのない泉から、楊とプラタナスの間を通って小川が流れています。
     私はそこから灌漑用の溝を二本ひきました。一本は牧場をよぎり、一本は岩を切り開いたのです。
     こんな頭蓋骨がありますか! それに肥料のよくきいていること! この春先には、見渡す限りのヒヤシンスと水仙。
     私はエレクトルが笑うのをついぞ見たことがなかったのに、私の庭では、その顔に微笑らしいものを見たのです。
クリテムネストル  今笑っているかどうか見てごらんなさい。
庭師  私はそれをエレクトルの微笑と呼んでいます。
クリテムネストル  あなたの汚い手、あなたの黒い爪に笑っているのです……
エレクトル  まあ! 庭師……
71名前なし:2009/05/22(金) 16:01:07 ID:aZa4ypQb
庭師  私の黒い爪? ほら、これで私の爪が黒い! この方を信じてはいけませんよ、エレクトル! 
     今日は、王妃、あなたの言われることは見当違いばかりだ。私は今日、午前中かかって、のねずみや雑巾のあとを一切残さぬよう、
     家に石灰を塗りました。私の爪はそこから出てきたのです。おっしゃるように黒くなんかありません、三日月形に白くなっています。
エジスト  もうよい、庭師。
庭師  分かっています、いいのは分かっています。それに私の手が汚い。ごらんなさい。これがその汚い手です! 私はエレクトルとすごす夜を、においでむせかえらせらぬ用、
     つるした編笠茸や玉葱をとり込みました。この手はその後で、今洗ってきたばかりの手なのです……
     私は納屋に寝ましょう、エレクトル、そこから私は、あなたの眠りをおびやかす全てのものを見張っていましょう。
     それが開いた水門から来ようと、ひそかに忍び込む梟であろうと、また、牝鳥に頭を膨らませ、生垣を荒らす狐であろうと。もう言うことはありません……
エレクトル  ありがとう、庭師。
クリテムネストル  そうやって暮らしていくのですね、クリテムネストルと王の中の王の娘、エレクトルが、花壇の囲いの中を、両手にバケツを下げて歩き回る夫を見ながら!
エジスト  そして気ままに、死者達に涙を流すのだ。明日からは勿忘草の種蒔きでも準備するがよい。
庭師  そして不安や苦しみからも脱れるでしょう、おそらくは悲劇からも。私は生き物のことはほとんど知りません、王妃、しかし季節のことは知っています。
     今がちょうど、私たちの町では、不幸を植えかかる季節なのです。アトレウスの家を接ぎ木するのは私たちの哀れな家の上にではありません。
     季節の上、牧場の上、風の上なのです。それらは何も失わないと私は考えています。
乞食  負けておきなさい、王妃。あなたには分かりませんか? エジストの心の中には何やら分からぬ憎しみがある。
     それがエレクトルを殺させよう、土にかえさせようとするのだ。洒落のようだが、これは違う。本当は庭に返すのだ。あの子にはそれがよい。
     それで生命をとりとめる……

     (エジストが立ち上がる)

     何? そういっては、間違いかな?
72名前なし:2009/05/22(金) 16:03:26 ID:aZa4ypQb
エジスト  (エレクトルと庭師に)二人とも、こちらへ来い。
クリテムネストル  エレクトル、お願いです。
エレクトル  お二人でお望みになったのよ、お母様。
クリテムネストル  私はもう望んではいません。分かっているでしょう、もう望んではいないのです。
エレクトル  何故もう望まないの? 怖いの? もう遅いわ。
クリテムネストル  私は誰? あなたは誰? 何と言ったらそれを思い出してくれるのです?
エレクトル  私がオレストを押したのではないと言わなければ。
クリテムネストル  馬鹿な子です!
エジスト  また始めるのか!
乞食  そうそう。また始めるといい。
クリテムネストル  それに間違っています! 意地を張っています! オレストを落とすなどと! 私は何も壊したことがないのですよ! 
             コップ一つ、指輪一つ落としたことはありません……私は、腕に小鳥がとまるくらい、しっかりとしています……
             私からは飛び立つのです、落ちたりはしません……あの子の身体がぐらついた時、思ったくらいです。
             どうして、どうしてこの子は運が悪いのかしら? 姉さんがそばにいたなんて!
エジスト  二人ともどうかしている!
エレクトル  私はすぐ思ったわ、あの子が滑り落ちそうになった時。せめて母親らしい母親なら、くいとめようと身を屈めるでしょう。
        緩やかな斜面を作って、腿や膝でつかまえようと、身を屈めたり縮めたりするでしょう。
        気位の高い、お母様の腿や膝でも、坊やを捕まえてくれるかしら! 危ないものだわ! でもどうかしら!
クリテムネストル  お黙り!
73名前なし:2009/05/22(金) 16:05:00 ID:aZa4ypQb
エレクトル  でなければ、身をそらせてオレスト坊やを滑らせるでしょう、鳥の巣を探した子供が、木から滑り降りてくるように。
        でなかったら、坊やがじかに落ちないよう、先に倒れて体の上に落とすでしょう、って。
        母親が子供をつかまえる方法はまだいくらも残っているわ。曲がった線にも、渦巻きにも、母親らしい緩やかな斜面にも、揺り篭にも、
        まだまだなることができるのよ。それなのに、その場に立ったまま、固くじっと動かなかった。だから坊やはまっすぐに、母親の一番高いところから落ちたのだわ。
エジスト  話は分かった。クリテムネストル、行こう!
クリテムネストル  いくらでも思い出すがいい、生まれて十五ヶ月で見たことを、本当は見もしなかったことを! あとはご判断に任せましょう!
エジスト  誰が信じている? 誰が聞いている? あなただけだ!
エレクトル  子供が落ちないようにする方法なんていくらでもあるのに。私ならまだ千もあるわ。それなのに何もしなかったなんて!
クリテムネストル  私が少しでも動いたら、あなたが落ちました。
エレクトル  それを言っているのよ。あなたは頭で考えていたのよ。計算してたのよ。乳母だったのよ。母親じゃないわ。
クリテムネストル  ねえ、エレクトルや……
エレクトル  私はもうあなたのエレクトルじゃないわ。そうやって二人の子供を自分にこすりつけ、あなたの母性がくすぐられ、目を覚ます。もう遅いわ。
クリテムネストル  お願いだから。
エレクトル  そう。そうして腕を大きく広げるといいわ。それよ、あなたのしたことは! みんな、見てごらんなさい! ちょうどそういう風にしたのよ!
クリテムネストル  生きましょう、エジスト……

            (彼女は退場する)

乞食  お母さんも怖がっているんだな。
エジスト  (乞食に)何と? あなたが?
乞食  私は何も言いません。私は一切物を言わない……腹が空いているときは、話す。腹が空いている時は、私の話しか聞こえてこない……だが今日は少し飲んでいる……
74名前なし:2009/05/25(月) 23:02:44 ID:T3sGqq+g
第五場  エレクトル。乞食。庭師。他国者。アガート・テオカトクレース。
75名前なし:2009/05/25(月) 23:04:06 ID:T3sGqq+g
アガート  丁度いいわ……エジストはもういない。出てお行き、庭師!
庭師  どういうつもりだ?
アガート  出てお行き。早く。この人があなたにとってかわるのよ。
庭師  私のかわり? エレクトルのために?
他国者  そうだ。この人は私と結婚する。
エレクトル  手を放してください!
他国者  もう生涯放さぬ。
アガート  見るだけは見たら、エレクトル! 男の腕から逃げる前には、せめてどんな人か見るものよ! 損はしなくてよ。
エレクトル  庭師! 助けてちょうだい!
他国者  君に説明することはない、庭師。だが僕をまっすぐ見たまえ。君は種類を見分ける専門家だ……僕の眼の中に僕の種類を読みとってくれ。
      そう、氏素性も分からぬ哀れなその目でよく見るのだ。献身と、めやにと、恐れの入り混じる、賎しい者の眼で。
      太陽の下、不幸の下でも、もはや濡れることのない、その哀れな人々の褪せた不毛の瞳で、見るのだ。
      よく見たまえ、僕がこの席を譲れるかどうか……よし……指輪を出したまえ……ありがとう……
エレクトル  アガート、従妹じゃないの! 助けてちょうだい! 
        何も言わないって約束するわ! あなたの逢引のことも、仲違いのことも、何も言わないと約束するわ!
アガート  (庭師を連れて行きながら)いらっしゃい……テオカトクレースの一族は救われたわ。
       アトレウス家も何とか自分で切り抜けるといいわ……
乞食  走っていく。日の光を恐れる小さなわらじむしは、ああして自分の石の影へ戻っていく。
76名前なし:2009/05/25(月) 23:06:23 ID:T3sGqq+g
第六場  エレクトル。他国者。乞食。
77名前なし:2009/05/25(月) 23:07:28 ID:T3sGqq+g
他国者  もう、もがいてはいけない。
エレクトル  死ぬまでもがくわ。
他国者  そうかな? いずれあなたは、自分から僕を腕に抱くだろう。
エレクトル  侮辱しないでください。
他国者  一分たてば、僕に接吻するだろう。
エレクトル  恥を知りなさい! 破廉恥なことをあれこれと言いたてて。
他国者  僕にどれほど自信があるか見てください。あなたを離すのだ……
エレクトル  もうお目にはかかりません。
他国者  いや! 僕が一言いえば、あなたは帰ってくる、おとなしく。
エレクトル  何のでたらめ?
他国者  ただ一言で、あなたは僕の腕の中ですすり泣く。ただ一言、僕の名だ……
エレクトル  私を引き寄せることの出来る名前は、もうこの世に一つしかありません。
他国者  それだ。それが僕の名だ。
エレクトル  あなたはオレスト!
オレスト  なんてひどい姉さんだ。名を言わなければ分からないなんて!

クリテムネストルが現れる。
78名前なし:2009/05/25(月) 23:08:56 ID:T3sGqq+g
第七場  クリテムネストル。エレクトル。オレスト。乞食。
79名前なし:2009/05/26(火) 00:09:25 ID:MTJuWSrl
クリテムネストル  エレクトル!
エレクトル  お母様!
クリテムネストル  あなたの宮殿へお帰り。その庭師とは別れなさい。おいで。
エレクトル  庭師はもうここにはいませんわ、お母様。
クリテムネストル  どこへ行ったの?
エレクトル  私をこの人に譲ったの。
クリテムネストル  どの人に?
エレクトル  この人ですわ、今は私の夫。
クリテムネストル  冗談を言っている時ではありません。おいで。
エレクトル  どうして行かれて? この人が私の手をつかまえているわ。
クリテムネストル  お急ぎ。
エレクトル  若い牝馬が走れないように脚にはめる、あの鐙皮をご存知でしょう。この人がそれを私の踝にはめたのです。
クリテムネストル  では、命令します。夜はあなたの部屋にいなさい。来るのです。
エレクトル  当たり前のこと。結婚式の夜に夫をどうして放っておかれて!
クリテムネストル  何をしているのです? あなたは誰?
エレクトル  答えはしませんわ。今夜は、夫の口は私のもの。その言葉も全部。
クリテムネストル  どこのお人? あなたの父上は誰?
エレクトル  身分違いの結婚だとしても、そんなに違ってはいない筈よ。
クリテムネストル  どうしてそんな眼で私を見るのです? その挑みかかる眼つきは何? 母上は誰だったのです?
エレクトル  見たことがないの。
クリテムネストル  亡くなったのですか?
エレクトル  眼を見て分かったのね、母親を見たことがないということ。綺麗でしょう、この人?
クリテムネストル  ええ……あなたに似ています。
80名前なし:2009/05/26(火) 00:11:27 ID:MTJuWSrl
エレクトル  結婚したばかりでもう似てくるなんて、ほんとは年とった夫婦にしか起こらないこと。頼もしいでしょう、お母様。
クリテムネストル  あなたはどなた?
エレクトル  どうでもいいではありません? これほどあなたに遠い人はいないわ。
クリテムネストル  あなたがどなたであろうと、この子の気紛れに身を任せてはいけません。それより、私に力をかして下さい。
            もしあなたがエレクトルにふさわしい方なら、明日、考えてみましょう。私はエジストを説き伏せます……けれど、今夜は、
            これほど不吉な夜はなかったような気が私にはするのです。その人をお放しなさい、エレクトル。
エレクトル  もう遅いわ。この人の腕が私を捕まえています。
クリテムネストル  自分で望むときなら、鉄でも断ち切れるのでしょう!
エレクトル  鉄は切れても、この鉄は駄目です。
クリテムネストル  それほど気に入るなんて、あなたのお母さんのどんな悪口をいったの、この人?
エレクトル  私のお母さんのことも、この人のお母さんのことも、話す暇なんてまだなかったわ。行って頂戴。これから始めるのよ。
オレスト  エレクトル!
エレクトル  この人の言えるのはあれだけ。口から私が手を放すと、私の名をたてつづけに言うわ。他には何も聞けなくてよ。
        さ、あなた、あなたの口はお暇なのだから、接吻して!
クリテムネストル  恥ずかしいこと! エレクトルの秘密とは、その気違い沙汰だったのね!
エレクトル  お母様の前で接吻して。
クリテムネストル  私は行きます。けれど、あなたが、初めての、行きずりの人などに身を任せるような娘とは、思っていませんでした。
エレクトル  私も思っていなかったわ。でもどんなものか知らなかったのよ、初めてのこの行きずりの接吻が。

クリテムネストル退場。
81名前なし:2009/05/26(火) 00:13:09 ID:MTJuWSrl
第八場  エレクトル。オレスト。乞食。
82名前なし:2009/05/26(火) 00:15:26 ID:MTJuWSrl
オレスト  何故それほどまでに、母上を憎むのだ、エレクトル?
エレクトル  お母様の話はしないで、その話だけは。私たちは母なしで生まれたと、暫くの間考えましょう。そのほうが私たちには幸せ。黙って。
オレスト  話したいことが沢山あるのだ。
エレクトル  あなたがここにいるだけで、もうお話をしているのも同じこと。黙って。眼を伏せて頂戴。あなたの言葉も眼差しも射るように私を突き刺すの、
        私を傷つけるの。よく考えたわ、いつかまた会えることがあったら、あなたが眠っているときに会いたいって。
        オレストの眼、オレストの声、オレストの生命と一度に会ってしまうなんて、とても耐えられない。あなたの雛型を作って慣らしておくのだった、
        最初は死んで、そして少しずつ生き返らせて。だのにあなたは太陽のように生まれてしまった。
        目を覚ました金色の獣のように……でなければ、私が盲だったらよかったのに、弟を手探りでこの世に取り戻したのだったら……
        ああ、盲だったら、弟とめぐりあう姉にとっては何と嬉しいこと。私のこの手は二十年もの間、卑しいもの、
        くだらないものの上をさまよっていたのに、ほら、今は、弟をしっかり捕まえている。その弟の中では何もかもが真実なの。
        この頭の中に、この身体の中に、怪しいもののかけらや偽りのかけらが忍び込んでいたかもしれないのに。
        すばらしく運がよかったのね。オレストの中にあるものは、みんな弟にふさわしいもの、みんなオレストなのですもの!
オレスト  僕は息が詰まってしまう。
83名前なし:2009/05/26(火) 00:17:00 ID:MTJuWSrl
エレクトル  私は息を詰まらせたりはしないわ……私は撫でているのよ……あなたを生の世界に呼び戻しているのよ。
        まぶしくてよく見えないこの弟に似た塊の中から、私の弟を作り出しているのよ、細かい所まで。さ、手が出来たわ、綺麗で美しい親指も。
        ほら、胸が出来たわ、生命を吹き込むわ、ほら、ふくらんで、息を吐く、そうして私の弟が生まれる。今度は耳よ。
        小さく作るわ、縁を折り返して、半透明に、蝙蝠の翼のようでしょう? 最後の肉付け、これで耳が出来上がったわ。同じものを二つ作って。
        よく出来たわ、この耳! 今度は口を作るの、かすかに乾いた口、ぴくぴく動いたままその顔に釘付けにするの……
        私から生命を受け取ってちょうだい、お母様からではなく!
オレスト  何故、お母様を憎む? お聞き!
エレクトル  どうしたの? 私を押しのけるの? 恩知らずの息子とはこれね。やっと作り上げたと思うと、もう離れて、逃げていってしまう。
オレスト  誰が見張っているのだ、階段から……
エレクトル  あの人だわ、確かにあの人だわ。やきもちを焼いているのか、怖がっているの。私たちのお母様よ。
乞食  そう、そう、確かにあの人だ。
エレクトル  私たちが自分で私たちを作り出し、あの人との絆を断とうとしているのを感づいているのよ。
        私の愛撫があなたを取り巻き、あなたからあの人を洗い落とし、あなたを孤児にしようとしているのを……
        ああ、私には誰がそれをしてくれるというの!
オレスト  あなたをこの世に生んでくれた人なのに、どうしてそんなことが言えるのだ! 僕はそれほど冷たくはない、あの人のほうではあんなにも冷たかったが!
84名前なし:2009/05/26(火) 01:43:49 ID:MTJuWSrl
エレクトル  私に我慢できないのはそれ、私をこの世に生んでくれたことよ。それこそ私の恥。私はあの人のおかげで、
        この世になんとなく入り込んでしまったような気がするの。あの人が母親であるということが、
        ただぐるになって私たちを結び付けているだけだという気がする。でも私を生むために、お父様のなさったことなら、何もかも愛しているわ。
        お父様がその美しい結婚衣裳をお脱ぎになって、お身体を横たえられ、私をもうけるために、突然、その瞑想からも、肉体からも抜け出された、
        その一部始終を愛しているわ。未来のお父様の目を縁取った黒いくまも、私が生まれた日、
        お身体をふるわせたあの驚きも愛しているわ。それはほんのかすかだった。でも私は、母親の苦しみや努力にもまして、
        そこから生まれでたような気がしているの。私が生まれたのは、お父様の深い眠りの夜、九ヶ月の味気なさからよ。
        私がお腹にいる間に、ほかの女たちのお求めになった一時の慰めから私は生まれたのよ。
        私の誕生を知ってお漏らしになった、父親らしい微笑からも。お母様のことは、何もかも憎むわ。
オレスト  何故それほどまでに女を憎む?
エレクトル  私は女を憎んでいるのではないわ、お母様を憎んでいるのよ。男の人を憎んでいるのではないわ、エジストを憎んでいるのよ。
オレスト  だが何故二人を憎む?
85名前なし:2009/05/26(火) 01:45:55 ID:MTJuWSrl
エレクトル  まだなぜかは分からないわ。分かっているのは、同じ憎しみだということ。だからこそこんなに重苦しく息が詰まるの。二人に対する憎しみは、
        それぞれ違ったものではないだろうか、私は何度もそれを知ろうとしたわ。二つの小さな憎しみ、それなら生きていく上にも、まだ重荷にならないわ。
        それは悲しみのようなもの。お互いが釣り合いをとってくれるわ。私は信じようとしてみたの、お母様を憎んでいるのは、小さかったあなたを落としたからだ。
        エジストは、あなたの王冠を奪ったからだと。それは間違っていた。本当は不憫に思っていたの。一国に覇を唱える王妃とあろうものが、
        急におびえて、賤しい半身不随の老婆のように子供を取り落とすなんて。私はエジストを哀れんだわ、残酷で、暴君のエジストなのに、
        いつかはあなたの手にかかって、惨めに死ぬ宿命なのですもの……次から次へと探し出した、その憎しみの原因は、却って二人を人間らしく、
        不憫にするばかりだったわ。でも小さな憎しみの数々が、あの二人を洗いたて、飾り立て、引き立て定期、私が二人の前で、優しく、素直になっていくにつれ、
        ますます激しい憎しみを負うた波のうねりが、また二人の上に重く襲い掛かっていったの。私が二人を憎むこの憎しみは、私のものではないのよ。
オレスト  僕がいるんだ。もうそれもおしまいになる。
86名前なし:2009/05/26(火) 01:47:19 ID:MTJuWSrl
エレクトル  そう? 昔、私は、あなたが帰ってくれば、私をこの憎しみから解放してくれるものと思っていた。
        この苦しみは、あなたが遠く放れているからだと思っていたわ。あなたが帰ってくるときのために、私は誰に対しても、あの人たちに対しても、
        もう愛情の塊にしかなるまいと、心に決めていたのに。私は間違っていた。今夜のこの苦しみは、あなたが傍にいるからなの。
        そして、この心に抱くこの憎しみが、そのまま、あなたに笑いかけ、あなたをもてなしている。それはあなたに対する私の愛になってしまったのよ。
        鎖を解こうとする手を犬がなめるように、その憎しみがあなたをなめまわしているの。
        憎しみを追う眼と鼻を、あなたは授けてくれたのね、私はそれを感じる。やっと最初の足跡が。さあ、今、私はその跡をつけていくわ……誰? あのひと?
乞食  いや、いや! 時間を忘れたな。あの女は階上だ。着物を脱いでいる。
エレクトル  着物を脱いでいる。鏡の中のクリテムネストルを、長々と打ち眺めながら、私たちのお母様は着物を脱いでいる。あんなにも美しく、私の愛するお母様、
        次第に年をとっていく、可哀想なお母様、その声、その眼差しを、あんなにも美しいと思うお母様……私の憎んでいるお母様が。
オレスト  エレクトル、姉上、お願いだ、心を静めてくれ。
エレクトル  では、足跡をつけるわ。出掛けてよ?
オレスト  心を静めてくれ。
エレクトル  私は平静よ。私はおとなしくしているわ。お母様に対しても、こんなにおとなしくしているわ……ただこの憎しみが膨れあがり、私の息の根をとめてしまうの。
オレスト  あなたはもう話してはいけない。その憎しみは明日にとっておこう。一時間でもいい、この夜を僕に味わわせてくれ、今までは知らなかった、
       だが今は帰ってきたこの人生の優しさを味わわせてくれ。
エレクトル  一時間。一時間ならいいわ……
87名前なし:2009/05/26(火) 01:48:18 ID:MTJuWSrl
オレスト  宮殿は、月の光に、あんなにも美しい……僕の宮殿だ……僕たち一族のあらゆる力が、今、あそこから放たれているのだ……僕の力が……
       あなたの腕の中で空想させてくれ、より多くの思いと静けさを湛えた人々のために、あれらの壁がどれほどの幸福をみなぎらせた水門になりえたのだろうか。
       ああ、エレクトル、僕たち一族の、どれほど多くの名が、はじめは心地よく、優しく、いずれは幸福の名となる筈だったことか!
エレクトル  ええ、知っているわ。メデ、フェードル……
オレスト  それだっていい。何故いけないのだ?
エレクトル  エレクトル、オレスト……
オレスト  その名は、まだこれからではないか! 僕はそれを救いにきたのだ。
エレクトル  黙って! 来たわ!
オレスト  来た? 誰が?
エレクトル  幸福の名を持った人。クリテムネストル。
88名前なし:2009/05/26(火) 02:02:57 ID:MTJuWSrl
第九場  エレクトル。オレスト。クリテムネストル。ついで、エジスト。
89名前なし:2009/05/26(火) 16:54:24 ID:Efsg69eg
クリテムネストル  エレクトル?
エレクトル  お母様?
クリテムネストル  その男の人は誰?
エレクトル  当ててごらんなさい。
クリテムネストル  顔を見させてごらん。
エレクトル  離れたところから見えなければ、近くからは、なお見えなくてよ。
クリテムネストル  エレクトル、喧嘩は止めましょう。もし本当にこの人が夫に欲しいなら、私は承知します。何故笑うの? 
            あなたが夫を持つようにと、私が望んだのではありませんか?
エレクトル  違うわ。あなたが望んだのは、私が女になることよ。
クリテムネストル  どこが違うのです?
エレクトル  あなたが望んだのは、私を味方に引き入れることよ。いつまでも目の前に、あなたの仇敵の顔がちらつかないようにと臨んだのよ。
クリテムネストル  それは私の娘のこと?
エレクトル  いいえ、純潔のこと。
オレスト  エレクトル……
エレクトル  放っておいて……放っておいて……足跡を見つけたのよ。
クリテムネストル  純潔ですって! この欲望にさいなまれる娘が純潔を口にする。二つの時にはもう、顔を赤らめずに男の子が見られなかった娘が。
            どうしても知りたいのなら言います、あなたがオレストを私の腕から突き落としたのは、あなたがオレストに接吻しようとしたからです。
エレクトル  では私、間違ってはいなかった。では私、それを誇りにしてよ。それだけのことはあったのですもの。

ラッパの響。窓には人形。廻廊からはエジストが身を乗り出して。
90名前なし:2009/05/26(火) 16:56:21 ID:Efsg69eg
エジスト  あなたはそこにいるのか、王妃?
乞食  そう、ここにいる。
エジスト  重大な報せだ、王妃。オレストは死んだのではない。脱走したのだ。今アルゴスへ向かっている。
クリテムネストル  オレストが!
エジスト  今、それを迎え撃とうと、よりぬきの兵士を出したところだ。私に忠節なもの全てを、城壁の周囲に配置した……あなたは黙っているのか?
クリテムネストル  オレストが帰ってくるのですか?
エジスト  父の王座を奪い返そうと戻ってくるのだ。私が摂政であり、あなたが女王であるのを妨げようと……
       今、密使が徘徊し、謀反を起こそうと計っている。安心なさるがよい。私が全て始末する……あなたと一緒にいるのは誰だ?
クリテムネストル  エレクトルです。
エジスト  それと庭師か?
乞食  それと庭師。
エジスト  もう二人を引き離そうとはしないだろうね? ごらん、私の懸念は正しかった! 今は、あなたも承知するだろうね?
クリテムネストル  ええ、もう何もしません。
エジスト  二人は宮殿から外へ出ぬよう。私は兵隊が戻るまで城門を閉めるように命じておいた……特に二人は……分かったな、庭師?
エレクトル  私たちは出ません。
エジスト  王妃、あなたは上ってお出でなさい。部屋にお帰り。もう遅い。それに、閣議は明け方に開かれる……お休み。
エレクトル  ありがとう、エジスト。
エジスト  王妃に言っているのだ、エレクトル。人をからかっている時間ではない。王妃、上りなさい。
クリテムネストル  お休み、エレクトル。
エレクトル  お休み、お母様。

クリテムネストルは行きかけて振り向く。

クリテムネストル  お休み、花婿さん。

彼女はゆっくりと階段を昇る。

乞食  よく分かる。家族の中にいると、何でも分かる。
エレクトル  今言ったのは誰?
乞食  誰でも。誰も何も言いはしない。こんな時に何か言う人などありますか。
91名前なし:2009/05/26(火) 16:57:48 ID:Efsg69eg
第十場  エレクトル。オレスト。乞食。
92名前なし:2009/05/26(火) 16:59:14 ID:Efsg69eg
オレスト  話してくれ、エレクトル! 話してくれ!
エレクトル  何を話すの?
オレスト  あなたの憎しみ。あなたの憎しみの理由だ。あなたにはもうそれが分かっている。
       さっき、クリテムネストルと話している時、あなたは僕の腕の中で、殆んど気を失っていた。おそらくは喜びか恐怖のせいだったろう。
エレクトル  あれは喜びと恐怖からだったわ……あなたは強いの? 弱いの? オレスト。
オレスト  秘密を話してくれ。僕もそれを知るのだ。
エレクトル  私にもまだその秘密は分かっていないわ。糸口を見つけただけ。心配しないで。だんだんほどけてくるわ……用心して。ほら、あの人よ。

奥にクリテムネストルが現れる。
93名前なし:2009/05/26(火) 17:01:12 ID:Efsg69eg
第十一場  エレクトル。クリテムネストル。オレスト。乞食。
94名前なし:2009/05/26(火) 17:59:59 ID:Efsg69eg
クリテムネストル  ではあなたなのね、オレスト?
オレスト  そうです、母上、僕です。
クリテムネストル  二十歳にもなってから母親にめぐり会うとは、懐かしいでしょう?
オレスト  人を追い出した母親だ。悲しく、懐かしい。
クリテムネストル  その母親を、ずいぶん遠くから眺めているのね。
オレスト  想像していた通りだ。
クリテムネストル  私の息子も。美しく、気高い。でも私は近くへ行きましょう。
オレスト  僕は行かない。離れているとすばらしい母親だ。
クリテムネストル  その素晴らしさが近寄ってもそのままだとは言いません。
オレスト  その母親らしさもか? だから僕はじっとしているのだ。
クリテムネストル  母親の幻だけでいいのですか?
オレスト  今日までは、幻も遥かに小さかった。本当の母親に言えないことも、せめて、この幻にならば言えよう。
クリテムネストル  幻にその資格があるなら、さあ、どうぞ、何を言うつもり?
オレスト  あなたには決して言わぬこと全てを。あなたに言えば嘘になってしまうだろうこと全てを。
クリテムネストル  あなたが愛していると?
オレスト  そう。
クリテムネストル  尊敬していると?
オレスト  そう。
クリテムネストル  その美しさを讃えていると?
オレスト  それだけは幻と母親の双方ともに。
クリテムネストル  私は、反対です。私は息子の幻は愛していません。でも、その息子が目の前に姿を現わし、口をきき、息ずくと、私の力はなくなってしまうのです。
オレスト  苦しめようとしてごらんなさい。また力がでるでしょう。
クリテムネストル  何故そう冷たくするのです? でもむごくはなさそう。あなたの声は優しいのね!
オレスト  そう。僕はあらゆる点で、僕がなれたかもしれぬ息子に似ている。あなたもだが! 
       今、あなたは何という素晴らしい母親に似ているのだろう。僕があなたの息子でなかったら、間違えただろうに。
95名前なし:2009/05/26(火) 18:01:09 ID:Efsg69eg
エレクトル  では、二人とも何故話をしているの? お母様、その賤しい母親の媚で、何を得ようと考えているの? この夜のさなか、憎しみと不安のさなかに、
        ひと時、小さな窓が開かれて、母と子に偽りの姿を垣間見させてくれるのよ。せいぜいそれを利用するといいわ。でももう閉じなければ。
        そのひと時は過ぎ去ったわ。
クリテムネストル  何故そんなに早く。オレストには、母の愛もそのひと時だけで沢山だというのですか?
エレクトル  あなたには、生涯に、そのひと時以上の息子の愛を受ける権利はないわ。もうそれはすんだのよ。それで十分……それは何のお芝居? 出て行って頂戴!
クリテムネストル  よろしい。さようなら。
一人のユーメニード  (柱列の後に姿をあらわして)さようなら、わが子の真実。
オレスト  さようなら。
もう一人のユーメニード  さようなら、わが母の幻。
エレクトル  また後で、と言ってもいいのよ。また会うのですもの。
96名前なし:2009/05/26(火) 19:06:25 ID:Efsg69eg
第十二場  眠るエレクトルとオレスト。小さなユーメニードたち。乞食。

ユーメニードたちは今は十二、三才になっている。
97名前なし:2009/05/26(火) 19:08:01 ID:Efsg69eg
第一のユーメニード  眠ってるわ。今度は私たちがクリテムネストルとオレストを演る番よ。
              でもあの人たちが演ったようなんじゃなくって。本当のところを演りましょうよ。
乞食  (自分自身に対して)私は、あの、押したとか押さなかったとかの一部始終を……
第二のユーメニード  黙って。私たちに演らせてよ! 演りましょう!

三人の小さなユーメニードたちは、前場の俳優たちのいたそれぞれの位置につき、
パロディーを演じる。面をつけてもよい。

第一のユーメニード  ではあなたなのね? オレスト。
第二のユーメニード  そうです。母上、僕です。
第一のユーメニード  あなたは、私を殺しに、エジストを殺しに来たのですか?
第二のユーメニード  そのような話は始めて聞く。
第一のユーメニード  あなたの姉には初めてではない筈……オレストや、あなたは殺したことがおありかい?
第二のユーメニード  善良な人々の殺すものなら……牝鹿とか……僕は善良なだけでなく慈悲深かったから、子鹿も殺した、
              孤児にならぬように……母上を殺すなどとはとんでもない。親殺しの大罪だ。
第一のユーメニード  その剣で殺したのですか?
第二のユーメニード  そう。これは鉄をも断ち切るのだ。子鹿の例で分かる。一突きに刺し通したのだが、子鹿は何も感じなかった。
第一のユーメニード  私には何の下心もないし、あなたにどうしろとも望みません。……でも、そのような剣があなたの姉を殺したら、私たちは安心していられるだろうにね!
第二のユーメニード  私に姉上を殺せと?
第一のユーメニード  とんでもありません。姉弟殺しの大罪になります。剣がひとりでに殺してくれれば、それに越したことはありません。
              いつの日か、こういうように鞘から抜け出して、ひとりでに殺せばいい。私は安心してエジストと結婚も出来よう……
              あなたの追放も解いてあげられよう。エジストも年老いる。遠からず位も譲るだろうし……あなたはオレスト王になる。
第二のユーメニード  剣はひとりでに殺したりはしない。殺し手が必要だ。
98名前なし:2009/05/26(火) 19:09:25 ID:Efsg69eg
第一のユーメニード  勿論のこと。私もそれは知っている筈。ただ私は、剣がひとりでに殺す場合のことを言っているのです。
              正義感というものは、この世の悪です。それに、年老いても決してよくなるものではない。本当です。
              罪人が例外なく有徳の士となるとき、正義感は例外なく罪人となるのです。いいえ、本当です。
              剣がひとりでに物を考え、ひとりでにさまよい出で、ひとりでに殺すには、今がよい機会です。
              あなたはアルクメーヌの二番目の娘と結婚させてあげましょう、あの美しい歯並びをした、よく笑う娘です。あなたは花婿になるのです。
第二のユーメニード  僕は、僕の愛する姉も、憎んでいる母も殺したくはない……
第一のユーメニード  分かっています。分かっています。一言で言えば、あなたは弱虫、そしてかたくなな道徳心の持ち主なのです。
第二のユーメニード  では、二人とも何故話をしているの? この夜のさなか、憎しみと不安のさなかにも、月がのぼり、夜鶯が鳴くのだもの、
              その手を剣のつかから離してごらん、オレスト、ひとりでに何かするだけの知恵が、その剣にあるかどうか。
第一のユーメニード  そうです、離しなさい……動いたわ、みんな見てよ……動いたわ!
第二のユーメニード  確かにそうよ。これ、考える剣なのよ……本当に考えるんだわ。だから半分抜け出したのよ!
オレスト  (眠ったまま)エレクトル!
乞食  さあ、梟ども、さっさと行ってしまえ! 二人が目を覚ましてしまう!
エレクトル  (眠ったまま)オレスト!
99名前なし:2009/05/26(火) 19:12:26 ID:Efsg69eg
第十三場  エレクトル。オレスト。乞食。
100名前なし:2009/05/26(火) 19:15:23 ID:Efsg69eg
乞食  私は、あの、押したとか押さなかったとかの一部始終を明らかにしたいのだが。なぜなら、それがどちらであるかによって、エレクトルの心に巣食うものが、
     真実ともなり嘘ともなるからだ。あの子が承知の上で嘘をついているにせよ、記憶が間違っているにせよだ。私はあの子が押したとは思わない。
     ごらんなさい、地上からほんの二寸のところでまるで深い淵の上にでもいるように、しっかりと眠っている弟を抱きしめている。オレストはきっと落ちる夢を見るだろう。
     だがそれは気の故だ、エレクトルのせいではない。一方、王妃は何かに似ている。あの、自分の金を拾うにも、
     身を屈めようとはしないパン屋のかみさんたちにそっくりだし、一番かわいい子犬を、眠っている間に窒息させてしまうグリフォンテリヤにも似ている。
     その親犬は後になって、王妃がオレストをなめまわしたように死んだ子犬をなめるのだ。だが唾では子供は出来ない。あの事件の一部始終は、
     まるでそこに居合わせたかのように、よく分かる。こう考えてみれば、全てが解ける。つまり、王妃がダイヤモンドのブローチをつけていて、白猫が一匹通ったと。
     王妃はエレクトルを右手に抱いていた。もう娘は重くなっていたから。赤ん坊はもう一方の腕に、少し自分から離して。
     ブローチでかすり傷をつけてもいけないし、自分の肌に突き刺してもいけない……それは王妃用のピンだ、乳母用の安全ピンなどではない……
     すると赤ん坊が白猫を見つけた。白猫はすばらしい、それは白い生命、白い毛だ。その眼が赤ん坊を引き寄せ、赤ん坊は傾く……それに王妃は身勝手な女だ。
     なぜなら、とにかく子供が落ちかかるのを見たならば、それを抑えるには、エレクトルを抱いた右腕を伸ばせばよかった。エレクトルなど、どうでもよいから、
     遠くの大理石の上へでも放ってしまえばよかった。エレクトルが鼻っ面を打ち砕こうと、王の中の王の息子さえ生き延びて、無傷に残ればよかったのだ。
101名前なし:2009/05/26(火) 23:23:54 ID:J/U5CmR/
      だが王妃は身勝手な女だ。王妃にとって、女は男と同様大切だ、自分も女だから。腹は胤と同様大切なのだ、王妃は腹だから。で、この胤をもった息子を救うために、
      腹をもった娘を犠牲にしようなどとは、一瞬も考えなかった。それでエレクトルを守ったのだ。さて、一方、エレクトルをごらんなさい。
      エレクトルは弟の腕の中で正体を現した。それは尤もだ。もっといい機会は見つからなかったのだ。兄弟の絆というものは人間の特徴だ。
      獣は恋しか知らない……猫とか、鸚鵡とか、その他だ。それらは毛並以外に兄弟の絆を持っていない。
      本当の兄弟を得るためには、彼らは人間を愛さなくてはならない。人間の気をひかなくては……群れからはぐれた家鴨の子はどうする。
      いかにも家鴨らしく頬をかしげ、そのきらめく小さな優しい眼で我々人間を眺めにやってくる。そして餌をつついたり、
      探し回ったりする。それは我々こそが、その兄弟である人間の男、その兄弟である人間の女だということを知っているからだ。
      私は、そういう家鴨の子を、手掴みにしたことがある。私はその首をひねるより仕方がなかった。
      なぜなら、家鴨は兄弟を求めてやってきたからだ。何故ならその兄弟である私が、チーズの切れ端にねぎを刻みこんでいるのは、
      いったい何のためなのかを、その家鴨は理解したがったからだ。家鴨の兄弟、これこそ我々の真の肩書きだ。
      何故なら、おたまじゃくしや山椒魚をあさろうと、器の中に突っ込んだ、その小さな頭を、金褐色と藍色に輝かせて、人間のほうへもたげるとき、
      それはもう清潔さと知恵と優しさそのままなのだ。---ついでだが、これは食べられない、脳味噌は別だが……
102名前なし:2009/05/26(火) 23:25:51 ID:J/U5CmR/
      それらの家鴨の頭に鳴くことを教えるのは、私の受け持ちなのだ! エレクトルは、だから、オレストを押したりはしなかった! 
      ということは、エレクトルの言うことは全て正しい、エレクトルの企てることは全てもっともだ、ということになる。
      エレクトルはすなわち、余すことなき真実、油なきランプ、燈芯なき光だ。だから、もしあの子が、もうその気配がするのだが、自分を取り巻くあらゆる平和、
      あらゆる幸福の息の根を止めるとすれば、それはあの子が正しいからだ! 輝きわたる白日の下で、若い娘の魂に、一抹の不安が影を落とす時、
      いつにも増して晴れやかな日々、華やかな祭りのさなかに、わずかにガスの漏れるのを嗅ぎつける時、娘は仕事にかからねばならぬ。
      若い娘というものは真実からつかわされた派出婦なのだ。仕事にかからねばならぬ。底の底、因の因から世界がはじけ、めりめりと音を立てるまで。
      たとえ、罪あるものに罪人の生涯を遂げさせるため、数知れぬ罪なき者を無実の死に死なせようとも。
      ごらんなさい、あの無辜の二人を! この結婚から生まれ出る果実がそれだ。この世のため、人のために、時候のかかった一つの罪を甦らせ、
      それに課する罰そのものが、より重い罪となる。残りの時間を眠ろうとするのは、まことにもっともなことだ。
      二人をそっとしておきましょう。私は一回りしてくる。起こすといけない。月がのぼると、私はいつもくさめを三度する。
      手の中でくさめをするのは、恐ろしい危険に逢うというから。だが、ここに残っておられる皆さんは、静かに口をつぐんでいていただきたい。
      頭を垂れて。これはエレクトルにとっては最初の休息! オレストにとっては、最後の休息なのです!



103名前なし:2009/05/26(火) 23:53:43 ID:J/U5CmR/
幕間劇

庭師の哀歌(ラメント)
104名前なし:2009/05/27(水) 00:48:41 ID:UmY3TZ1u
 私はもうこの芝居には登場いたしません。だからこそ、ここへきて、あなた方に、この劇の語らないことを、お話しする自由があるわけです。
こういった物語の中では、皆さんに、人生はたった一つの目的しかない、それは愛することだ、などということを申し上げるために、
あの連中が殺しあったり悪口を言い合ったりするのを、中止するわけにはいきません。
親殺しをしようと、短刀を振り上げたまま、あなた方の前で愛を讃えるなどということは、見るも不愉快なことでしょう。
そんなことは、わざとらしく見えるでしょうし、多くの方は信じようともなさらないでしょう。
しかし、ここにいる私、一人打ち捨てられ、悲嘆にくれているこの私にとっては、ほかになすべきことが本当にないのです。
それに私は公平に話をします。私は決して、エレクトル以外の女と結婚するようなことはしないでしょうし、また決して、エレクトルを得ることもないでしょう。
私は、一人の女と夜も昼もともに暮らしていくように、創られました。しかし私は、いつも、一人で生きていくことでしょう。
いかなる季節、いかなる場合にも、休みなく自分を与えるために、私は作られました。しかし、私はいつも自分を守っていくことでしょう。
結婚式の夜を、私はここで、たった一人ですごしているのです---ここにいてくださってありがとうございます---
もう決して再び、結婚式の夜は来ないでしょうし、エレクトルのために準備したオレンジのシロップも、私が飲んでしまわなければなりませんでした。
---もう一滴も残ってはおりません。長い夜でした。ですから、私の言葉を疑う方もおりますまい。
ただ具合の悪いことに、私はいつも、少々、言いたいことの反対を言うのです。
しかし、今日のように、心をしめつけられ、口に苦い味を味わっているときには---実際、オレンジは苦いものです---
もし、私が、喜びについて話さなければならないということを、一瞬でも忘れてしまったとしたら、それはもう本当に絶望的です。
喜びと愛、そうです。私はそれが恨みや憎しみよりは好ましいものだということを、お話に来たのです。
それは門柱や絹のハンカチに、紋章のように刻み付けておくには、本当によいものです、或いは花壇の茂みに小さなベゴニアで。
105名前なし:2009/05/27(水) 00:51:02 ID:UmY3TZ1u
もちろん、人生というものは出来損ないのものです、しかし人生は非常に、非常にいいものです。
もちろん何事もうまくいかないし、何事も折り合いがつかない。しかし時々は、見事に事が進み、見事に折り合いがつくということもありますね……
私の場合は別です……いやむしろ、私の場合こそと言いましょう……というのも、あらゆるもの、あらゆる人を愛したいという欲望や愛する力を、
わが人生最大の不幸から与えられたからといって、それで私が判断を下したとしたら、もっと小さな不幸を背負った人たちの場合は、
一体どうだというのでしょう! 愛してもいない女と結婚しただけだといって、その男がどれほどの愛情を感じなければいけないというのです! 
愛する女との一時間を家で過ごせたからといって、その後で捨てられた男たちが、それをどう喜んだらいいのです! 
醜い子供を持った親たちが、それをどう讃えたらいいのです! もちろん、今夜、私の庭は、大変楽しいというわけにはいきませんでした。
小さな祭りの日のように、私はそれを思い出すことが出来ます。私は時々、まるでエレクトルが傍にいるように振る舞い、そして、話をしました。
私は言いました、お入りなさい、エレクトル! 寒くはありませんか、エレクトル! 誰も騙されはしませんでした、犬でさえ。私は論外です。
あの人は花嫁を連れてくると言ったのに、と犬は考えました。つれてきたのは言葉だった。僕の主人は言葉と結婚したんだ。
言葉と結婚するために、僕の足跡で汚れたあの白い服、じゃれつくことも出来ないあの服を着たんだ。主人はオレンジのシロップを言葉に飲ませている。
僕が影に、ありもしない影に吠えると言って叱るくせに、ほら、自分は言葉に接吻しようとしているじゃないか。私は横にはなりませんでした。
言葉と寝るのは、これは私の力を超えたことです。言葉とは話ができる、それだけです! 
しかし、夜、あらゆるものが、取り止めのないことを口走り、月が日時計を廻し、目を眩まされた梟が、水の流れと間違えて、
コンクリートの並木道で水を飲もうとするとき、あの庭に、私のように腰を下ろしてごらんなさい。
私が理解したことを、皆さんもきっと理解なさったことでしょう。つまり、真実をです。
106名前なし:2009/05/27(水) 00:53:27 ID:UmY3TZ1u
皆さんは、ご両親が亡くなられた日、ご両親が生まれてくるのを理解なさったことでしょう。破産した日には、金持ちであることを。
お子さんが親不孝をした日には、親孝行そのものであることを。また、あなた方が見捨てられた日には、全世界がいそいそと、優しく、
あなた方めがけて殺到してくるのだということを理解なさったでしょう。この空虚で黙りこくった城外で、私に起こったことが、丁度それなのです。
化石のようなあの全ての木々や、動かない丘が、私めがけて飛び掛ってきたのです。そして全てこれらのことは、この芝居に当てはまるのです。
確かに、エレクトルが、クリテムネストルに対する愛そのものであるとは言えません。しかしそれでも、なおはっきりさせておかねばなりません。
エレクトルは、自分の母親を捜し求めているのです。彼女は最初に出会った者を、母親にしようとするでしょう。あの人は私と結婚しようとしました。
それは私が唯一の、絶対に唯一の男だと感じ、一種の母親になりえる男だからだと、感じたからです。しかし私は唯一の男ではありません。
娘を持つために、必要ならば、喜んで九ヶ月を耐え忍ぼうという男はいくらでもいます。全ての男がそうです。九ヶ月は少し長すぎます。
しかし一週間や一日で、自慢する男は一人もいやしません。あの人が、そうして、母親の中に自分の母親を捜し求めるには、母親の胸さえ切り開かねばならぬかもしれない。
しかし王家では、それはむしろ理論的なのです。賤しい者たちの間では決して成功しない実験も、王家では成功します。
純粋な憎しみとか、純粋な怒りとか。常に純粋なものです。悲劇が近親相姦や親殺しを伴うのは、つまり、それです。
純粋というのは、結局、言いかえれば無実だということなのです。あなた方が、私と同じかどうか分かりませんが、
しかし私には、悲劇の中で、自殺するエジプトの女王は、希望を語ってくれます。裏切り者の元帥は信頼を、暗殺をする公爵は愛情を語ってくれるのです。
残酷な行為というものは……失礼、悲劇と言いたかったのですが、悲劇というものは、愛の試みなのです。だからこそ、今朝の私は確信しているのです。
もし私がお願いさえすれば、天は必ずや承知してくださり、合図を送ってくださるだろうと。
107名前なし:2009/05/27(水) 00:54:52 ID:UmY3TZ1u
すでに奇蹟の用意も整い、見捨てられ孤独になった私の標語は、必ずや大空に刻まれ、こだまになってあなた方に繰り返されることでしょう、
喜びと愛、と。お望みならお願いしてみます。天の声が私に答えてくださることは、私がここにいるのと同様、確かなことです。
確かに、神は、私が求めさえすれば、その共鳴器も拡声器も雷もすっかり整え、私の号令一下、叫んでくださるでしょう、喜びと愛、と。
しかし、私はむしろ、それは求めないほうがいいと思うのです。まず礼儀の上からも。
神に嵐を要求するのは、それが愛情の嵐にしても、庭師の役割にはふさわしくありません。それに、実際無益です。
あの高みにおられる神々の全部が、また、一人しかいらっしゃらないとしても、そのまた一人が不在だとしても、今、それに昨日も明日も、
常に喜びと愛を叫ぼうとしているのが、感じられるのです。神々を言葉の上で信じるのが、人間にはふさわしいのです
---言葉の上でというのは婉曲な言い方ですが---強いて強調したり、はっきりさせたり、
お互いの間に、債務者に対する債権者のような義務を負わせたりしないで、です。私の場合、私を納得させたのは、いつも沈黙でした……
そう、私は、喜びと愛を叫ばないよう神々にお願いいたしましょう。どうしても叫ぶと言われるなら、叫んでいただいてもいいのですが。
しかし、私はむしろお願いいたします。神代、お願いです、あなたの愛、あなたの声、あなたの叫びの証として、沈黙を、一秒間の沈黙をくださいますように……
それこそより大きな証なのです。お聞きください……ありがとうございました。
108名前なし:2009/05/28(木) 22:43:49 ID:cYwmU58E
第二幕

同じ装置。日の出少し前。


第一場  エレクトル。オレスト。乞食。

エレクトルは相変わらず腰を下ろし、眠ったオレストを抱いている。鶏。遠くにラッパの音。
109名前なし:2009/05/28(木) 22:45:07 ID:cYwmU58E
乞食  もうじきだな? エレクトル。
エレクトル  ええ、もう遠いことではないわ。
乞食  私が言っているのは夜明けのことだが。
エレクトル  私が言っているのは光のこと。
乞食  嘘吐きどもの顔が、眼に照らし出されるだけでは足りないのか? 不義の恋人や人殺しどもが、紺碧の空に蠢くだけでは? 
     それが夜明けというものだ。それだけでも悪くはない。
エレクトル  いいえ、私が望むのは、その顔が真昼にも黒く、その手が真っ赤に染まること。それこそ光です。その眼がカリエスに、その口がペストになることです。
乞食  そのようなことを望んでいては、きりがない。
エレクトル  あれは鶏……起こしましょうか?
乞食  何なら起こしてもいいが。私ならあと五分寝かせてあげる。
エレクトル  何の足しにもならない五分ね……つまらない贈り物だわ。
乞食  どうかな。五分しか生きぬ虫があるらしいのだ。たった五分の間に、子供から大人へ、そして老いさらばえる。少年時代や青春の物語、膝をくじいたり、そこひにかかったり、
     また、正当な結婚や身分違いの縁組などの物語、それらのあらゆる組み合わせを生きつくす。そら、話をしている間にも、
     そろそろ、はしかの年頃、そして思春期だ。
エレクトル  死ぬのを待ちましょう。それ以上は駄目です。
乞食  我々の弟は、よく眠っているのだから。
エレクトル  すぐ寝入ってしまったわ。私から逃れて。このこの本当の人生の中にすべりこんで行くように、眠りの中へすべり込んで行ってしまった。
乞食  そして微笑んでいる。それが子のこの本当の人生なのだ。
エレクトル  乞食、何を言ってもいいわ。ただ、オレストの本当の人生は、微笑むことだなどとは言わないで。
乞食  大声をあげて笑うことだ、愛することだ、立派な服を着ることだ、幸福であることだ。
     私はこの子を見ただけで分かった。恵まれた人生にあれば、オレストはかわひらのように朗らかだったろう。
エレクトル  運が悪かったのだわ。
乞食  そう、あまりよくはなかった。だから尚更せかさない方がいい。
110名前なし:2009/05/28(木) 22:46:36 ID:cYwmU58E
エレクトル  いいわ。オレストは大声で笑うように、立派な服を着るように生まれたのですもの、オレストは、かわひらなのですもの。
        私は五分上げるわ。それに今度は永遠の恐怖を前に目を覚ますのですもの。
乞食  それに、私があなたなら、今朝は太陽と真実が、同時に出発するようにするだろうからな、あなたの意思一つなのだから。
     つまり二頭立てだ。だがそれこそ若い娘のもの、私も喜ぶだろうが。男の真実ときたら、どうも自分たちの習慣から抜けきれない。
     委細かまわず出発してしまう。朝の九時、労働者がストライキを宣言する時とか、晩の六時、女が告白をする時だとか、その他だ。まずい出発だな。
     いつも目当たりが悪い。私は獣たちのやり方には慣れているのだが、獣たちは出発のきっかけをのみこんでいるのだ。
     朝日がのぼるその瞬間に、ヒースの茂みへ飛び込む兎の最初の跳躍、小鴨は葦の竹馬へ最初の一飛びを、小熊はその岩からの第一歩を、
     それは、確かに、真実への出発なのだ。もし彼らがそれに到達しないとしても、それは、その必要がないからだ。
     小さなつまらぬものが彼らの気をそらす、合釘一本、蜜蜂一匹が。だが、獣たちにならうがよい、エレクトル、黎明とともに出発するのだ。
エレクトル  合釘と蜜蜂だけが偽りとは、幸福な世界ね! でも獣たちは、もう動き始めているわ!
乞食  いや、あれは、ねぐらへ帰る夜の獣たちだ。梟やねずみだ。
     夜の真実が戻ってくるのだ……しーっ、あのしんがりの二羽を聞くがよい、夜鶯だな、むろん。夜鶯の真実だ。
111名前なし:2009/05/29(金) 21:10:56 ID:A7xRuZb4
第二場  同じ人物。アガート・テオカトクレース。青年。
112名前なし:2009/05/29(金) 21:12:40 ID:A7xRuZb4
アガート  かわいい方、よくお分かりになったわね?
青年  ええ。万事うまくやります。
アガート  もし階段で、あの人に見つかったら?
青年  階上に住んでいる医者の診察を受けに。
アガート  もう忘れてる! あれは獣医よ。犬でもお買いなさい……あなたの腕の中にいる時に、見つかったら?
青年  路で踝を挫いたあなたを抱き起こして連れてきたところ。
アガート  それが台所だったら?
青年  酔っ払いの真似をします。自分の居所も分からず、コップを片っ端から打ち壊す。
アガート  一つで沢山よ! 小さいのをよ。大きいのは水晶ですもの……部屋の中だったら? 着物を着て。
青年  政治の話をしようと、あの人を探していたところだと。探しあぐねてそこへ来てしまった。
アガート  部屋で、着物を脱いでいたら?
青年  僕が不意に闖入して、あなたが抵抗しているんだ、と。
     あなたは不実な女で、半年この方、人を誘惑しといた挙句、いざとなったら、人を泥棒扱いするんだ……売女だ!
アガート  まあ、あなた!
青年  正真正銘の売女だ!
アガート  分かったわ……ねえ、あなた、もう朝が近いというのに、やっと一時間しか、あなたといられなかったわ。あの一、私が夢遊病者だって、いつまで、
       信じててくれるかしら。屋根の上より、茂みの中をさまよわせておくほうが、まだ危なくないって。ねえ、あなた、私たちの寝床の中で、夜、
       あなたと一緒にいられるような嘘が探せて? あなたたち二人の間に、私が挟まって、それで、あの人には自然に思えるような?
青年  探してごらん。きっと見つかる。
アガート  そういう嘘が見つかれば、あなたたちだってお互いに、選挙や競馬の話も出来てよ、
       可愛いアガートの体ごしに……それで、あの人は何も気がつかない……私たちに必要なのは、それよ!
青年  それだ。
113名前なし:2009/05/29(金) 21:14:49 ID:A7xRuZb4
アガート  ああ、どうしてあの人はあんなに自惚れが強いんでしょう、どうしてあんなに眠りが浅いんでしょう、何故私を愛しているのかしら!
青年  きりのない話だ。何故あの人と結婚したんです! 何故あの人を愛したんです!
アガート  私が! 嘘! 私はあなたしか愛したことはないわ!
青年  僕だけ! じゃあ一昨日、あれはいったい誰の腕の中にいたというんです!
アガート  あれは私、丁度踝を挫いたところだったのよ。あの方は私を連れて来て下さったのよ。
青年  その手は今知ったばかりですよ。
アガート  知りはしないわ。何も分からないのね。あのことがあったから、思いついたのよ。
青年  階段で会った時、あの男は犬も連れてませんでしたよ、そうですよ、猫だって。
アガート  あの方は騎士ですもの。馬は診察には連れてこないものよ。
青年  しょっちゅうあなたの家から出てくるではありませんか。
アガート  どうして私に、国家の秘密を明かさせようとするの? 主人に相談があってくるのよ。町で陰謀の気配があるの。
       お願いだから、誰にも言わないで。主人は馘になるわ。私を貧乏のどん底に突き落とすことになるのよ。
114名前なし:2009/05/29(金) 21:15:59 ID:A7xRuZb4
青年  いつかの夜、あの男は慌てふためいていましたよ。飾帯は曲がっているし、胴衣ははだけて。
アガート  それはその筈よ。あの日は、あの人、私に接吻するつもりだったの。それなのに私、会ってしまったの。
青年  あんな強そうな男なのに、あなたは接吻させなかったんですか? 私は階下で待っていたんです! 二時間もいたじゃありませんか。
アガート  二時間いたけど、私は接吻なんて許さなかったわ。
青年  じゃ、許しを得ないで、接吻したんですね。白状しなさい、アガート、でなければ僕は帰ります。
     アガート  そんなこと無理矢理言わせるなんて! 正直に言ってみたわ。そうよ、接吻されたわ……たった一度……それも額よ。
青年  それでもあなたは、いやだと思わなかった?
アガート  いや? ぞっとしたわ。
青年  ちっとも悩んでいないようですね。
アガート  別に……あ、悩んでいるかって? そりゃ、死ぬほどよ、死ぬほどなのよ! 接吻してちょうだい、ね、あなた。これで、あなたは何もかも知ってしまったのよ。
       私、それが本当は嬉しいの。私たちの間では、なんでもはっきりさせておいたほうが、よくはなくって?
青年  ええ。なんでも嘘よりはましです。
アガート  何より私のほうがいいなんて、優しい方!

アガートと青年退場。
115名前なし:2009/05/29(金) 21:56:47 ID:A7xRuZb4
第三場  エレクトル。オレスト。乞食。ついで小さなユーメニードたち。

ユーメニードたちはまた大きくなっている。十五歳。
116名前なし:2009/05/29(金) 22:00:14 ID:A7xRuZb4
乞食  朝の歌か、こんな日の明け方に! いつもそうしたものだ!
エレクトル  虫は死んでしまったのね?
乞食  そして森羅万象の中へ溶けこんでしまった。今、その曾孫たちが、老いの神経痛とたたかっている。
エレクトル  オレスト!
乞食  もう眠っていないではないか? 眼を開いている。
エレクトル  あなたの心はどこ? オレスト。何を考えているの?
第一のユーメニード  オレスト、さあ、今よ。姉さんの言うことをきいては駄目よ。
第二のユーメニード  きいては駄目よ。この世にはどんなことがあるのか、私たちは知ってしまったわ。まるで嘘みたいよ!
第三のユーメニード  夜、大きくなっている間に、ふと分かったの。
第二のユーメニード  恋のことは何も言わないでおくわ。でも素晴らしいと思うわ。
第一のユーメニード  この人は、自分の毒で、何もかも、めちゃくちゃにしちゃってよ。
第三のユーメニード  真実っていう毒で。これだけは薬がないのよ。
第一のユーメニード  その通りよ。あなたが何を考えてるか、私たちには分かってるわ。王様になるって、素敵よ、オレスト! 
              宮殿の庭では、乙女たちが、白鳥にパンをやるの。その胸元にはオレスト王のメダルが下がっていて、こっそり接吻するわ。
              戦いに出る時は、屋上には女たち、空はヴェールのよう、そしてあの白馬が音楽にあわせて歩調をとるのよ。
              凱旋したときには、王様の顔が、今度は神様の顔のように見えるわ。ちょっと寒がり、お腹をすかし、ほんの少し哀れみをたれて来たからよ。
              真実が、そういうものをみんな、めちゃくちゃにしてしまうのなら、真実なんて消えてなくなってしまえばいい!
117名前なし:2009/05/29(金) 22:02:07 ID:A7xRuZb4
第二のユーメニード  そうよ、恋って素敵だわ、オレスト。二人が絶対に離れないものらしいのよ。
              離れたと思うと、すぐ駈け戻ってきて、両手でしがみつくものらしいの。どこへ行っても、すぐまたばったり出会ってしまうの。
              地球は愛し合っている人たちのために丸いのよ。もう私、どこへ行っても、私の愛している人にぶつかるわ、
              まだいないのに。エレクトルがその真実を振り回して、あなたや私たちから奪い取ろうとしているのはそれよ。
              私たち恋をしたいわ。エレクトルなんか消えてなくなれ!
エレクトル  オレスト。
オレスト  姉上、僕は起きている。
エレクトル  その目覚めから目を覚ますのよ。この子達に耳を傾けてはいけないわ。
オレスト  エレクトル! あの子達は、本当に間違っているのだろうか! 人間にとって、今、自分自身の足跡を探し出そうとするのは、
       最大の傲慢だとは思わないのか! 何故、最初の道を選ばない? 当てもなく進もうとはしない? 僕を信じてくれ! 
       僕は丁度、幸福と呼ぶあの獲物の足跡を、はっきりと見つけたところなのだ。
エレクトル  残念だけど、私たちの今日の狩りは、それではないわ。
オレスト  もう離れるのはよそう、それだけが問題だ。この宮殿から逃れよう。テッサリアへ行こう。そこには僕の家がある、バラとジャスミンに埋もれている。
エレクトル  あなたは、私を、庭師の手から救い出してくれた、オレスト。それは私を花の手に渡すためではないわ。
オレスト  聞き入れてくれ。僕たちに絡み付こうとしているあの蛸のような腕から逃れ出よう。それより先に目を覚ましたことを喜ぼう! 行こう!
118名前なし:2009/05/29(金) 22:04:34 ID:A7xRuZb4
第一のユーメニード  それはもう目を覚ましたわ! その目を見てごらん!
第三のユーメニード  あなたの言う通りだわ。オレスト。春は素敵だわ。まだ芽の出ない生垣ごしに、新しい草を食む獣の背が、
              微かに動いて見える時よ。ろばが頭をのぞかせて、あなたをじっと見つめる時よ。あなたが叔父さん殺しの犯人だったら、
              ろばの頭なんてきっと妙な気がしてよ。本当におかしなもの、叔父さんの血に赤く染まった手をしたあなたを、じっと見つめるろばなんて。
オレスト  あれは何のことだ?
第三のユーメニード  春のお話をしましょうよ! オランダ芥子の生えた泉に、春になると漂う、バターのようにとろけた土の塊、
              それも母親殺しの心には、どんな慰めとなるかしら。その日、あなたのバターを、ナイフでパンに塗ってごらん。
              母親を殺したナイフでなくてもね、今に分かるわ。
オレスト  助けてくれ、エレクトル。
エレクトル  あなたもやっぱり男ね、オレスト! つまらないお世辞にも気を許し、ほんの少しの瑞々しさにも、心を奪われてしまう。
        あなたを助けるって? 分かっててよ、私にどう言って欲しいのか。
オレスト  では、それを言ってくれ。
エレクトル  人間は、結局善良なのだ、人生は、結局よいものだ、って!
オレスト  本当にそうではないのか?
エレクトル  若く、美しく、しかも王子であるのは不運なことではない、って。王女の姉を持つことも。
        人間は、その卑しく、空しい、生業にかかずらわせておけば、それでいい、人間の腫物は潰さず、この世の美しさを生きればいいのだ、って!
オレスト  僕に言うのはそれではないのか?
エレクトル  違うわ。私が言うのは、お母様には恋人があるってことよ。
オレスト  嘘だ! そんなことはない!
第一のユーメニード  未亡人ですもの。もっともだわ。
エレクトル  私の言うのは、お父様は殺されたということよ!
オレスト  殺された、アガメムノンが!
エレクトル  人殺しどもに短刀で刺されて。
第二のユーメニード  七年前よ。古い話だわ。
119名前なし:2009/05/29(金) 22:07:22 ID:A7xRuZb4
オレスト  それを知りながら、僕を一晩中眠らせておいたのか!
エレクトル  私は知らなかった。それこそ夜の贈物。夜がその真実を、岸辺に打ち上げたのよ。占い女のやり方が分かったわ。一晩中、眠った弟を、その心臓に押し当てるのよ。
オレスト  父上が、殺された! 誰が言ったのだ?
エレクトル  ご自身で。
オレスト  息を引き取られる前に、話されたのか。
エレクトル  死んだお父様がお話になったのよ、その殺戮の日に。でも、その言葉は、私に届くまで、七年かかったわ。
オレスト  姿を現されたのか?
エレクトル  いいえ。昨夜、その亡骸が現れたの、殺戮の日のそのままに。でもそれは光り輝いていた。ただ読みとるだけでよかった。
        その衣の襞は語っていたわ、私は死の襞ではない、暗殺の襞だ。靴の上では留金が繰り返していたわ。私は事故の留金ではない、犯罪の留金だ。
        垂れ下がった瞼の皺は語っていたわ、私が見たのは死ではない、国王殺しだ。
オレスト  母上のことは、誰が言ったのだ?
エレクトル  自分で。それも、自分でよ。
オレスト  告白なさった?
エレクトル  いいえ、死んだお母様を見たの。その死骸が秘密を暴いてくれたわ。疑いはなくてよ。その眉は、恋人をもったことのある、死んだ女の眉だった。
オレスト  その恋人は誰なのだ? その暗殺者は誰なのだ?
エレクトル  あなたを起こしたのは、それを探すためよ。同じだといい。一突きですむわ。
オレスト  君たちはもう行ったほうがいい。姉上は、身体を売る王妃と暗殺された王を、僕の目覚めに送ってくれたのだ、……僕の両親を。
第一のユーメニード  それだけでも大したものだわ。それ以上はもう沢山。
エレクトル  許して、オレスト。
第二のユーメニード  今度はあやまってるわ。
第三のユーメニード  私、あなたの人生を破滅させるのよ、ごめんなさいね。
乞食  あの子があやまるのは間違ってる。普通、我々のかみさんや姉さんたちが、我々にとっておいてくれるのは、
     こういった種類の目覚めなのだ。女とはそういうものらしいな。
120名前なし:2009/05/29(金) 22:21:41 ID:A7xRuZb4
エレクトル  それが女よ。妻たちも、義理の姉妹たちも、母親たちも、みんな。朝、男たちの霞んだ眼に緋の衣と黄金しか映らない時、
        その女たちが、男を揺すぶり起こし、コーヒーやお湯と一緒に、不正に対する憎しみと、小さな幸福に対する軽蔑を差し出すのです。
オレスト  許してくれ、エレクトル!
第二のユーメニード  今度は、この人があやまってる。家族同士でお行儀のいいこと!
第一のユーメニード  あの人たち、お辞儀をするのに、首までとっちゃうのよ。
エレクトル  そして、女は男たちの目覚めを窺っているのです。たった五分眠っただけでも、男たちは幸福の鎧を纏ってしまう。
        満足感や無関心、寛大さや食欲までも。そして、一条の日の光は、あらゆる血の痕を消し去り、
        小鳥の一声は、あらゆる嘘を拭い去ってしまう。でも私たち女は、眠られぬ夜に刻まれて、そこに立ち尽くしているのです。
        嫉妬と羨望、愛と記憶、そして真実と手を携えて。目を覚まして? オレスト。
第一のユーメニード  一時間たてば、私たちも、あの人と同じ年になるのよ! どうかそんな女になりませんように!
オレスト  僕は目が覚めたと思う。
乞食  お母さんが見えた、子供たち。
オレスト  僕の剣はどこだ?
エレクトル  よかった! それこそ本当に目が覚めたのだわ。剣をおとりなさい。あなたの憎しみと、力を込めて。
121名前なし:2009/06/02(火) 00:19:43 ID:EvjtOB9E
第四場  同じ人物。クリテムネストル。
122名前なし:2009/06/02(火) 00:21:15 ID:EvjtOB9E
クリテムネストル  母親が姿を現す。と、あの子達は石像になる。
エレクトル  せいぜい孤児よ。
クリテムネストル  無礼な娘のいうことはもう聞きません。
エレクトル  息子のいうことをお聞きなさい。
オレスト  誰なのです、母上。白状なさい。
クリテムネストル  あなたたちは何という子です。私たちのめぐりあいを、すぐ悲劇に仕立てあげようとするとは?
            やめないと、呼びますよ?
エレクトル  誰を呼ぶの? あのひと?
オレスト  母上、あなたはじたばたなさりすぎます。
乞食  気をつけるがいい、オレスト。罪のない獲物も、やはりじたばたするものなのだ。
クリテムネストル  獲物? この子達にとって、私はどんな獲物なのです? お話なさい、オレスト、お話なさい!
オレスト  僕には出来ない!
クリテムネストル  では、エレクトルなら出来るでしょう。
エレクトル  誰ですの? お母様。
クリテムネストル  誰とは、何のことを言っているのです?
オレスト  母上、あなたには本当に……
エレクトル  それ以上言わないで、オレスト。ただ、誰か、とお聞きなさい。この人の心には一つの名が潜んでいる。
        どう聞こうと、押しさえすれば、その名が出てくるわ……
オレスト  母上、あなたには本当に恋人があるのですか?
クリテムネストル  あなたの聞きたいのもそれ? エレクトル。
エレクトル  そういう聞き方も出来るわ。
クリテムネストル  私に恋人があるかと尋ねるのね? しかも息子と娘が?
エレクトル  あなたの夫は、もう尋ねることも出来ないのよ。
クリテムネストル  神々がお聞きになったら、さぞかし顔を赤らめられることでしょう。
エレクトル  大丈夫よ。しばらく前から、神々は、
あまり顔を赤らめたりはなさらなくなったわ。
123名前なし:2009/06/02(火) 00:22:43 ID:EvjtOB9E
クリテムネストル  私には恋人はありません。しかし、あなた方の行いには、気をお付けなさい。
            自分で純粋と称する恋人たちが、秘密の数々を暴き立て、白日の下にさらすところから、この世のあらゆる悪が生まれるのです。
エレクトル  太陽から生まれた腐敗なら、まだ許せるわ。
クリテムネストル  私には恋人はありません。私には欲しくとも恋人はもてないのです。だが注意なさい。この王家では、詮索好きはよい目を見なかったのですよ。
            盗人の跡をつけた挙句、冒涜の罪を暴いてしまったり、密通をたどって行って、近親相姦に突き当たったり。
            あなた方には、私の恋人など発見できないでしょう。いないのですから。
            だがどこかで、鋪石につまずいて、あなた方の姉妹や、あなた方自身の死を招くことでしょうよ。
エレクトル  あなたの恋人は誰なの?
オレスト  エレクトル、話ぐらいはせめて聞いてあげなさい!
クリテムネストル  恋人はありません。しかし、あったとしても何が罪だというのです?
オレスト  母上、あなたは王妃だ!
クリテムネストル  世界はまだ若い、それに夜は明けたばかりです。だが、恋人を持った王妃の名をあげるなら、少なくとも黄昏まではかかるでしょう。
オレスト  母上、お願いです。そのように闘って下さい。もっと闘って下さい! 
       僕たちを説得してください。その闘いが、僕たちに王妃をかえしてくれるなら、闘いに祝福あれ、全てはかえってくるのです!
エレクトル  あなたはこの人に武器をかしているのが分からないの、オレスト!
クリテムネストル  結構です。エレクトルと二人きりにしてください、どう?
オレスト  必要ですか、姉上?
エレクトル  ええ。そう。円天井の下で待ってらっしゃい。オレスト、と叫んだらかけつけるのよ。何もかも分かったということなのだから。
124名前なし:2009/06/02(火) 00:23:54 ID:EvjtOB9E
第五場  クリテムネストル。エレクトル。乞食。
125名前なし:2009/06/02(火) 00:26:01 ID:EvjtOB9E
クリテムネストル  私を助けておくれ、エレクトル!
エレクトル  何を助けるの? 真実を言うために? それとも嘘を?
クリテムネストル  私を護っておくれ。
エレクトル  初めて娘に頭を下げるのね、お母様。怖いのね。
クリテムネストル  私はオレストが怖いのです。
エレクトル  嘘よ。オレストなんか怖がってない。あの子はご覧の通りよ。熱し易く、移り気で、弱いわ。まだアトレウス家の牧歌を夢見てる。
        あなたのおそれているのはこの私。私のためにそんなお芝居をするのよ、その意味はまだ一向、分からないけれど。
        あなたには恋人がある、そうでしょう? 誰なの?
クリテムネストル  その人は何も知らないのです。その人には関わりのないことです。
エレクトル  あなたの恋人だということを知らないの?
クリテムネストル  尋問はよして、エレクトル。追求するのはやめておくれ。娘ではありませんか、何といっても。
エレクトル  何といってもね。確かに何といってもだわ。だからこそ、どこまでも突き止めたいのよ。
クリテムネストル  では、娘であることをやめておくれ。私を憎むのをやめておくれ。ただ私があなたの中に求めているもの、女になっておくれ。
            そして、私の味方になって。それはあなたのためでもあるのです。私を守ることで、あなた自身を守っておくれ。
エレクトル  私は女の組合には、入っていなくてよ。私を引き入れたければ、他の人をおよこしなさい。
クリテムネストル  それは間違っています。もしあなたが、同じ身分や同じ仲間、同じ不幸に悩む者同志を裏切るなら、
            そのあなたこそまず、オレストに襲われるでしょう。人を中傷すれば、それは必ず自分へ帰ってくるものです。
            私の顔に泥をぬることは、あらゆる女の顔に泥をぬること、それがあなたに何の益があります! 
            かえってあなたは、あなたの中で私に似ているあらゆるところを、オレストに汚して見せるだけです。
126名前なし:2009/06/02(火) 01:17:45 ID:EvjtOB9E
エレクトル  似ているところなんて、どこにもありはしないわ。もう長いこと、私が鏡を見るのは、その仕合せを確かめるだけ。
        磨かれた大理石、宮殿のどの泉水もが、それを私に叫んでくれたわ。今は、あなたの顔が叫んでいる。
        エレクトルの鼻は、クリテムネストルの鼻とは似ても似つかぬ、と。私の額は私のもの。私の口は私のもの。私には恋人もないわ。
クリテムネストル  聞いておくれ。私には恋人はない。だが、私は恋をしているのです。
エレクトル  騙そうったって駄目よ。今度は、私の足下に、恋を投げつけるのね、狼に追われた御者が、犬を投げ出すように。私は犬なんか食べないわ。
クリテムネストル  私たちは女です。エレクトル、恋をする権利があるのです。
エレクトル  知ってるわ、女の組合には、いろいろな権利があるのね。入会金さえ払えば、それはかさむけれど、その代わり、
        女が弱くて、嘘つきで、卑しいのを認めてくれる。あなたにはそれで、弱さと嘘と卑しさの、あらゆる権利が出来るのよ。
        不幸なことに、女は強くて、誠実で、高貴だわ。だからあなたは間違ってるのよ。あなたには、お父様しか愛する権利がないのよ。
        愛していたの? 結婚式の夜に、あなたは愛したの?
クリテムネストル  一体何を言い出すつもり? あなたが生まれたのは、私の愛からではない、冷たさからだとでも言ってもらいたいのですか? ご安心なさい。
            誰でもが、レダ叔母さんのようになれるものではありません、卵も生めるものではありません。だがあなたはお腹にいた時、
            一度だって話しかけてくれたことはなかった。最初の瞬間から、私たちは赤の他人だった。生まれる時にも、私を苦しませもしなかった。
            あなたは小さく、産声も上げなかった。唇を固く閉じていた。一年たっても固く唇を閉じていたのは、
            お母さんの名を最初に口にはすまいかと恐れたからだった。あなたの私も、その日、泣き声一つ立てなかった。
            私たちは、一緒に泣いたことは決してないのです。
エレクトル  涙の話は、私にはどうでもいいこと。
127名前なし:2009/06/02(火) 01:19:09 ID:EvjtOB9E
クリテムネストル  やがては、あなたも泣くでしょう、きっと。おそらくは私のことで。
エレクトル  眼は勝手に泣くわ。そのためにあるのよ。
クリテムネストル  そう。あなたのでもね、二つの石にしか見えないけれど。それもいつかは涙に濡れることでしょう。
エレクトル  その日が来るといい……でも、私を引き止めるのに、今度は何故、冷たさを恋の代わりに、投げつけるの?
クリテムネストル  私には愛する権利があるということを、知ってもらうためです。私の生涯のことごとくが、
            最初の日の我が子のように冷たかったということを、知ってもらうためです。結婚以来、私には孤独もなく、隠れ家もなかった。
            森の中にいられたのも、祭の日々だけだった。憩うこともなかった、この身体まで。昼は金色の衣裳に、夜は王にまといつかれて。
            疑いの目は四方に向けられた、物にも、獣にも、草木にまでも。陰鬱で、黙りこくった、乳臭い、宮殿の菩提樹を見て、
            私はよく思ったものです。あれは、生まれた日のエレクトルの顔つきをしている、と。
            夫の不在、息子の不信、娘の憎しみ、これほどまでに王妃らしい宿命を負った王妃はなかった……
            その私に、何か残されたものがあったでしょうか?
エレクトル  他の人たちに残されたもの、期待があるわ。
クリテムネストル  どのような期待です? 期待は恐ろしい。
エレクトル  今あなたの心をしめつけているのは、多分ね。
クリテムネストル  あなたのは、どのような期待か、私に言えますか?
エレクトル  私にはもう何の期待もないわ。でも十年間、私はお父様を待っていた。この世で私の知った、たった一つの幸福は、待つことだった。
クリテムネストル  それは処女の幸福、孤独から生まれる幸福です。
128名前なし:2009/06/02(火) 01:20:40 ID:EvjtOB9E
エレクトル  そうかしら? この宮殿では、あなた以外、人間以外のあらゆるものが、私と一緒に、お父様の帰りを待ち望んでいたわ。
        何一つ、私の期待に力を貸し、道連れにならないものはなかった。それは朝、あの菩提樹の下の、散歩から始まったわ。
        あなたを憎み、お父様を待ち焦がれていたあの菩提樹。新たな年を年毎に受けるその菩提樹たちは、
        それが十日目ごとでないのに心を痛め、お父様のお帰りまで花も匂いももたせられずに、
        私と一緒に衰えていくあの春ごとの裏切りを恥じていた。そして期待をむなしく心に秘めようとしていたわ。
        それは正午にも続いていた、私たちの誰よりも仕合せな谷間の流れに、足をとめたときにも。それは動くことができた、
        それは流れながらお父様を待っていた、河へ向かって、そして河は海へ向かって。夕方にもそれは続いていたわ。お父様の犬や馬たちの傍らで、
        余りにもはかない生命の、幾世紀も待つことの出来ない、哀れな獣たちの傍らで、待ちくたびれた時にも。そして柱の影や、石像の影へ身を寄せたときにも。
        私はその柱や石像をお手本にしたわ。月の光に照らされ、身動きもせず、考えもせず、死んだように立ち尽くしたまま幾時間も待ったわ。
        石や大理石、石膏やめのうの心を抱いて。でもその心臓は脈打ち、私の胸を砕いた……
        私がまだ待ち続けているこのとき、過去を待ち続けているこの時、お父様を待ち続けているこの時、この時がなかったら、私はどうなっていることでしょう!
クリテムネストル  私はもう待ってはいません。私は恋をしているのです。
エレクトル  ではあなたの方は、もう何もかもうまく行っているのね?
クリテムネストル  行っています。
エレクトル  花たちは、今度は、言うことをきいて? 鳥たちは話しかけて?
クリテムネストル  ええ、あなたの菩提樹も私に合図を送ってくれます。
エレクトル  そんなことだろうと思ったわ、あなたは私の生涯をそっくり盗んだのよ。
クリテムネストル  恋をなさい。ともに分け合いましょう。
129名前なし:2009/06/02(火) 01:22:48 ID:EvjtOB9E
エレクトル  あなたと恋を分け合う? まるで、恋人を半分ずつにしようというみたいね。誰なの?
クリテムネストル  ああ、エレクトル、後生だから! では、言いましょう、その人の名を。あなたの顔を赤らめるかもしれないけれど。でも二、三日待っておくれ。
            こんな恥さらしが、あなたにとって何の得になります? 弟のことを考えなさい。
            恥をさらした母親の跡目をオレストに継がせるなど、アルゴスの民衆が、放っておくとお思いかい?
エレクトル  恥をさらした母親? そんな告白をしてどうしようというの? 何の時を稼ぐつもり? それには、どんな罠が仕掛けてあるの? 
        鷓鴣のように、恋と恥の方へびっこをひいてみせながら、あなたの守ろうとする卵は何?
クリテムネストル  恥を人前にさらすようなことを、私にさせないでおくれ。
            私が身分の低い者を愛しているのを、何故無理矢理白状させようとするのです?
エレクトル  名もなく、階級もない、つまらない副官とでも?
クリテムネストル  そうです。
エレクトル  嘘です。もしその恋人が、名もなく、階級もない、下っ端役人だったら、もし、それが風呂場係や、楯持ちだったら、あなたは本当に愛したでしょう。
        でもあなたは、愛してなんかいない、恋したことなんか、ありはしないわ。誰なの? どうしてその名を、鍵のようにしまいこんでいるの? 
        その名であけられて困るのは、どんな戸棚なの?
クリテムネストル  私だけの戸棚、私の恋です。
130名前なし:2009/06/02(火) 01:24:01 ID:EvjtOB9E
エレクトル  恋人の名を言って頂戴。そうすれば、あなたが本当に愛しているかどうか言ってあげるわ。そして永久に、私たちだけのことにしておくわ。
クリテムネストル  いやです。
エレクトル  そうら! あなたが隠しているのは恋人じゃない、秘密だわ。
        あなたは怖がっているのよ、この狩ではまだつかまらない、たった一つの証拠が、その名で分かってしまうのを!
クリテムネストル  何の証拠です? 馬鹿な!
エレクトル  扉の証拠よ。あらゆるものが私に語っているわ。お母様は罪を犯した、と。でも、私にまだ分かっていないのは、あなたから聞かなくてはいけないのは、
        何故それを犯したか、よ。あなたの言うように、私はあらゆる鍵を、ためしてみたわ。どれもまだ合わない。
        恋も。あなたは何も愛していなかった。野心も。あなたは自分が王妃であることを馬鹿にしていた。怒りも。
        あなたは考え深く、打算的だった。でもその恋人の名こそ一切を明らかにしてくれるわ、全てを語ってくれるわ、
        そうでしょう? 誰を愛しているの? それは誰なの?
131名前なし:2009/06/02(火) 15:44:33 ID:MgRWL2+d
第六場  同じ人物。アガート。裁判所長がその後を追って。
132名前なし:2009/06/02(火) 15:45:25 ID:MgRWL2+d
裁判所長  それは誰だ? 誰を愛しているのだ?
アガート  あなた、嫌いよ。
裁判所長  一体誰なんだ?
アガート  もうおしまいだって言ってるのよ。嘘はもうおしまい。エレクトルの言う通りだわ。
       私、エレクトルの味方になるわ。ありがとう、エレクトル! あなたは人生を与えて下さったのよ。
裁判所長  何をまた囀っているのだ?
アガート  人妻の歌よ。聞かせてあげるわ。
裁判所長  今度は歌か!
アガート  そう世、私たちは皆、無能な夫ややもめ暮らしのお陰でこんなことになったのよ。それなのに、私たちは、夫の人生や死を楽しくしてあげようと、
       一生懸命身をすりへらしているのよ。夫がレタスの煮つけを食べるには、塩とその上微笑がいるのよ。それにタバコを吸う時は、
       私たちの心の炎でそのいやな葉巻に火をつけてあげなきゃならない!
裁判所長  一体誰のことを言っている? 私がレタスの煮つけなど食べたことがあるか?
アガート  なんならスカンポでもいいわ。
裁判所長  では、あなたの恋人はスカンポを食べないのか? 葉巻を吸わないのか?
アガート  恋人が食べたスカンポは、おいしいご馳走になるわ、私はそのお余りをなめてよ。
       夫が触って汚れたものも、みんなあの人の手や唇からは清められて出てくるわ……この私もよ……それは確かよ!
エレクトル  見つけたわ、お母様、見つけたわ!
裁判所長  気を確かにしろ、アガート!
133名前なし:2009/06/02(火) 15:47:00 ID:MgRWL2+d
アガート  その通りだわ。私は正気にかえるのよ。やっと正気に戻ったのよ! 私たち人妻は、一人の人を喜ばそうと、日に二十四時間もお互いや、
       自分の命を縮めているのよ、その人の不満こそ私たちの唯一の喜びなのに。夫がいないことこそ私たちの唯一のたのしみなのよ、それなのに、
       夫が長生きするように、自分の命を縮めているわ。足の指や下着の尻尾を見せ付けて毎日私たちを侮辱している、
       たった一人の男の虚栄心のために、私たちは命を縮めなきゃならない。それなのにたった一週間、その地獄からこっそり抜け出すといって叱言を言う……
       でも、本当ね、無理はないわ! その素晴らしい時がくれば、私たちは、容赦しないんですもの。
裁判所長  あなたの仕業だ、エレクトル。今朝はまだ、この子は私に接吻していたのだ。
アガート  私は綺麗、でもこの人は醜い。私は若いのに、この人は年寄り。私には才知があるのに、この人は愚か者。私には魂があるけれど、この人は空っぽ。
       それなのに何もかもこの人のもの。ともかく私はこの人のもの。そして私には何もない。あるのは、ともかくもこの人だけ。
       それで、今朝まで全てを与えてきたこの私が、感謝で胸が膨らんでる筈、とは何故? 私がこの人の靴を磨く。何故? 私がこの人にコーヒーを入れてあげる。何故? 
       私がこの人のふけを払ってあげる。何故? 私がこの人を毒殺するのが真実だという時に、私は松脂と灰で、この人のカラーを擦ってあげる。
       靴はまだしもだわ。唾を吐きかけてやれるもの。あなたの上に唾を吐いてやるのよ。でも、もうおしまい、おしまいだわ……真実よ、御機嫌よう。
       エレクトルは勇気を与えてくださったわ。もう駄目、もう遅いわ。死んだほうがましよ!
乞食  よく囀るものだな、人妻というものは。
裁判所長  一体誰なのだ?
エレクトル  お聞きなさい、お母様! あなたご自身の言葉を! 話しているのはあなたよ!
アガート  誰かって? 夫ときたらみんな、相手は一人だと思っているのよ!
裁判所長  一人ではないのか? あなたには沢山の恋人があるのか?
134名前なし:2009/06/02(火) 15:48:37 ID:MgRWL2+d
アガート  私たちが、恋人だけで夫を騙していると思っているのね。そりゃ恋人たちも、そうだけど……
       私たちはあらゆるものと一緒になって騙しているのよ。朝、目が覚めた時、滑り落ちた私の手は、知らず知らずにベッドの木をまさぐっているわ。
       それは私の最初の姦通よ。今度だけはこの言葉を使いましょうね、あなたのいう姦通を。眠られぬままに、あなたに背を向けて、
       私はその木を、どれほど優しく撫でたかしら。それはオリーヴの木。その木目の柔らかいこと! なんて素敵な名前! 
       街でオリーヴという名を聞くと、はっとするわ。恋人の名だと思って! その次の姦通は、眼が開いて、鎧戸ごしに日の光を仰ぐ時よ。
       三度目は、私の足が浴槽の水に触れる時、私がその中に身を沈める時よ。私は、指と一緒に、眼と一緒に、足の裏と一緒になってあなたを騙しているのよ。
       私があなたを見るとき、私は騙しているのよ。あなたの言葉に耳を傾け、あなたの裁判に感心するふりをしている時、
       私はあなたを騙しているのよ。オリーヴを殺しなさい、鳩を殺しなさい、五歳の子供も、女の子も、男の子も、
       水も、土も、火も! この乞食も殺しなさい、あなたはみんなに騙されているのよ。
乞食  かたじけない。
裁判所長  それに昨夜はまだ、この女は私に煎じ薬をついでくれていた。ぬるいといって、また沸かしてもくれた! 
        あなたにはこれが面白いのですか、あなたには! 大きな事件の中の些細な醜聞など、あなたにはつまらなくはないのですか?
乞食  いや。それは大きな車の中のリスなのだ。その真の動きを与えるものだ。
裁判所長  王妃の御前でこの醜態だ、それをかまわぬといわれるのか!
エレクトル  王妃はアガートを羨んでいるわ。アガートが今日しでかしたようなことを、一度でも出来たなら、王妃はそのために命でも投げ出したでしょう。誰なの? お母様!
乞食  全くだ。ぼんやりしていてはいけない、裁判所長。もうかれこれ一分近くも、あなたは恋人が誰かを聞かないでいる。
裁判所長  それは誰だ?
アガート  もう言ったわ。あらゆる人。あらゆる物。
135名前なし:2009/06/02(火) 15:49:49 ID:MgRWL2+d
裁判所長  これは自殺ものだ! 壁に頭を打ち付けてもいいくらいのものだ!
アガート  私のためなら遠慮しなくていいわ。ミュケナイの壁は固くてよ。
裁判所長  そいつは若いのか? 年とっているのか?
アガート  恋人の年よ。十六から八十まで。
裁判所長  この女は侮辱さえすれば、私の値打ちが下がるものと思っている! あなたの悪口雑言は自分の身にふりかかるのだぞ、売女!
アガート  分かってるわ。分かってるわ。辱めは尊厳のもと。町で一番威厳のあるのは、馬糞の上で転んだ時の人たちよ。
裁判所長  私がどんな人間か見せてやる! その恋人たちがどんな奴だろうと、ここで最初に出会った奴を殺してやる。
アガート  ここで最初に出会った恋人ですって? 場所が悪いわ。きっとまともには見られない人よ。
裁判所長  ひざまずかせてやる。床に接吻させ、床をなめさせてやる。
アガート  どういう風に床に接吻するか、今に分かってよ、その人がこの内庭へ来て、その玉座にかければね。
裁判所長  なんだと、この人でなし!
アガート  つまり、今の私には恋人が二人あるのよ、その一人はエジストよ。
クリテムネストル  嘘吐き!
アガート  あら、あの方もやっぱり!
エレクトル  あなたもなの? お母様。
乞食  これは奇妙だ。私は、もしエジストにその気があるとすれば、それはむしろエレクトルに対してだと思っていたが。
楯持ち  (到着を告げる)エジスト!
エレクトル  やっと!
ユーメニードたち  エジスト!

エジストが現れる。第一幕よりも遥かに威厳があり晴々としている。
遥か高く彼の頭上を一羽の鳥が舞っている。
136名前なし:2009/06/05(金) 00:22:06 ID:AAmKswmW
第七場  同じ人物。エジスト。隊長。兵士たち。
137名前なし:2009/06/05(金) 00:23:42 ID:AAmKswmW
エジスト  エレクトルはいるな……ありがとう、エレクトル! 隊長、私はここにいる、司令部はここだ。
クリテムネストル  私も、おります。
エジスト  よくいて下さった。御機嫌よう、王妃。
裁判所長  私もおります、エジスト!
エジスト  よし、裁判所長。私は今こそあなたの尽力を必要としているのだ。
裁判所長  この上、我々を侮辱するのか!
エジスト  どうかしたのか、諸君は? 私をそのような眼で見るとは。
乞食  つまりこうだ、王妃は誓いに背いた者を待ち受けていたのだ、エレクトルは不忠者を、アガートは不実な恋人を。
     この人はもっと慎ましい、彼は自分の妻を愛撫する男を待ち受けていたのだ……
     皆あなたを待っていた、というわけだ! だが来たのはあなたじゃなかった!
エジスト  なるほど、当てが外れたのだな? 乞食。
乞食  そう、当てが外れた、ろくでなしばかりを待ち受けていたのに、入ってきたのは一人の王だった! 
     他の連中はどうでもいいのだが。エレクトルとなると、事は面倒だ。
エジスト  そうかな? 私はそうは思わぬ。
乞食  私にはこうなることと分かっていた。昨日言っておいた筈だ。王があなたの中で正体を現すだろうと、私は感じていたのだ! 
     力も備わっているし、年もふさわしい。機会もあった。傍にはエレクトルもいた。或いは卒中を起こしていたかもしれぬのだ。そうだ……だが、あなたは正体を現した! 
     ギリシャのためには結構なことだ。家族にとっては、卒中同様、愉快なことではないが。
クリテムネストル  その謎は何? 何の話?
乞食  我々にとっても誠に結構! ここで一つ噛み合わせがあっていい筈だからな。卑劣との噛み合わせ同様、エレクトルと高貴の噛み合わせだ! 
     それはどういうふうに起こったのかな? エジスト。
エジスト  (エレクトルを凝視して)エレクトルはそこにいる! 思った通りのエレクトルだ。その頭は石像の如く、目は瞼を閉じた時にしか見ず、
       人間の言葉は一向耳に入らぬ様子!
クリテムネストル  私の話を聞いてください、エジスト!
裁判所長  大した恋人を選ぶものだな、アガート! 何という厚かましさだ!
隊長  エジスト、時は迫っております。
138名前なし:2009/06/05(金) 00:25:43 ID:AAmKswmW
エジスト  それは飾りなのだな、エレクトル、あなたの耳は? ただの飾りだ……神々は考えられたのだ。何物にも触れぬよう手を与えた、
       人から見られるよう眼を与えた。そのエレクトルの顔を、耳なしで放っておくわけにもゆくまい! 
       我々の言葉にしか耳を傾けぬとは、あまりにも分かりきったことだろうが、とな! 
       だが、教えてくれ、その耳に耳を寄せると何が聞こえるのだ! どんなざわめきが! また、それはどこから来るのだ!
クリテムネストル  あなたは気違いです! お気をつけなさい! 聞こえていますよ、エレクトルの耳には。
裁判所長  それで赤くなったのだ!
エジスト  聞こえている。それは確かだ。先刻、アルゴスの見渡せる森のはずれで、私に起こったあのこと以来、、私の言葉は、私をこえた彼方から来るのだ。
       私には分かっている、この女もまた私を見ている。この女だけが私を見ているのだ。あの瞬間から、私が何者になったかを、この女だけが見抜いているのだ。
クリテムネストル  あなたが話していらっしゃる相手は、あなたにとって一番危険な敵なのですよ、エジスト。
エジスト  園山から何故、突然、私が町を目指して、馬に拍車をくれたかを、この女は知っている! 
       まるで、馬にも分かっているようだったのだ、エレクトル。
       背後には、騎兵隊のとどろきをひびかせ、エレクトルめがけて突進する明るい栗毛は見事だった。
       そしてラッパ手の白い種馬から、しんがりの白黒ぶちの牝馬へかけて、エレクトルを目がける心は次第に薄れていった。
       立ち並ぶ柱の影から、私の馬が頭をのぞかせ、あなたに向かっていななこうとも、それに驚いてはいけない! 馬は知っていたのだ、私が息を詰まらせていたことを、
       黄金の詰め物のように、あなたの名を口に含ませていたことを。私はその名を叫ばねばならなかった、あなたに向かって……叫ぼうか、エレクトル?
クリテムネストル  恥さらしは止めてください、エジスト!
隊長  エジスト、町は危険に瀕しております!
エジスト  そうだ。許してくれ! 敵軍はどこまで来ている? 隊長?
139名前なし:2009/06/05(金) 00:27:21 ID:AAmKswmW
隊長  奴らの槍が、丘の上に湧き出てくるのが見えます。麦もあれほど早くのびたことはありません。あれほど密生して。数千に上ります。
エジスト  騎兵隊には手が下せなかったのか?
隊長  騎兵隊は捕虜を率いて退却しました。
クリテムネストル  何事が起こっているのです? エジスト。
隊長  コリントスの軍勢が侵略してきたのです、宣戦布告もせず、理由もなしに。敵は夜陰に乗じ、群れをなして我々の領土に侵入してきました。既に城外は燃えております。
エジスト  捕虜は何と申しておる?
隊長  アルゴスを瓦礫の町と化すよう命を受けているとのこと。
クリテムネストル  あなたが姿をお見せなさい、エジスト、そうすれば敵は逃げます!
エジスト  もはやそれでは追いつかぬのではないかな、王妃。
隊長  町の中にも廻し者がおります。予備の松脂の樽が盗まれました。市街に火をつけるためです。
     乞食の群れが略奪にかかろうと、市場の周囲に寄り集っております。
クリテムネストル  近衛兵が忠実なら、恐れることはないではありませんか?
隊長  近衛兵は戦いの準備が整っております。しかし、不平をいっております。ご存知のように、近衛兵は決して心からご婦人に従ったことはありません。
     実は、町もそうなのですが。もし、軍隊が軍隊と称し、町が町と称するならば、こう言わねばなりません。つまり、それらは女性名詞なのであります。
     両者とも男性を求めているのです、即ち一人の男、一人の王を。
エジスト  尤もだ。いずれ王が与えられよう。
裁判所長  アルゴスの王とならんとすれば、まずクリテムネストルを殺さねばなりますまい、エジスト。
乞食  或いは、ただ、結婚しさえすればいい。
裁判所長  駄目だ!
エジスト  何故駄目だ? それがアルゴスを救う唯一の方法だということは、王妃も否定はすまい。その同意は疑いない。
       隊長、近衛兵に告げたまえ、今すぐにでも結婚式は行われよう。経過を刻々私に報告するように、私はここで伝令を待つ。
       あなたは、裁判所長、暴徒の前へ走って行け。そしてあなたの最も熱のこもった声で、彼らに知らせるのだ。
140名前なし:2009/06/05(金) 00:29:06 ID:AAmKswmW
裁判所長  駄目だ! 私はまずあなたに話がある、男同士の話だ。一切は後回しだ。
エジスト  アルゴスの問題も後回し、戦争も後回しか? 血迷うな!
裁判所長  私の名誉に関したことだ、ギリシャの裁判官全体の名誉だ。
乞食  ギリシャの裁判所がもし、その名誉をアガートの足の間におくべきだと信ずるなら、それが分相応だ。こんな場合に、我々の邪魔をするんじゃない! 
     見ろ、アガートを。鼻の穴を上へ向けて、あの子の方はあれでギリシャの裁判官の名誉を気にかけているのかな!
裁判所長  鼻の穴を! あなたは、こんな場合に鼻の穴など上に向けて、アガート!
アガート  鼻くらい上を向くわ。私は、エジストの上を飛んでいる、あの鳥を見ているんですもの。
裁判所長  下へ向けろ。
エジスト  私はあなたの返事を待っているのだ、王妃。
クリテムネストル  鳥? あれは何の鳥? あの鳥の下からお退きなさい、エジスト!
エジスト  何故だ? あれは日の出から私に付きまとっている。あれにはあれの理由がある筈だ。私の馬が最初に気付いた。
       理由もなく後ろ足で地を蹴った。私は四方を見回し、そして上を見た。馬はあの一千尺もののところにいる鳥に向かって地を蹴っていたのだ。
       丁度私の真上だ、そうだな、乞食?
乞食  丁度真上だ。あなたが1千尺あれば、丁度あなたの頭に当たる所だ。
エジスト  まるで目印の点のようだ。
乞食  そうだ。あなたは今、このギリシャで、最も大きな目印をつけられている男だ。問題はその目印が《《人間》》という言葉の上についているか、
     《《死すべきもの》》という言葉の上についているかを知ることだ。
クリテムネストル  私はあのように空に舞う鳥は嫌いです。何ですか? 鳶? 鷲?
乞食  高すぎる。影で分かるのだが。あんなに高くては、影もここまで届かない、消えてしまう。
隊長  (戻って来て)近衛兵は喜び勇んでおります。エジスト。嬉々として戦いに備えております。
     そしてあなたが、王妃と御一緒に露台に出てこられるのを、待ち受けております。歓呼をもってお迎えしようと。
エジスト  まず誓いの言葉だ。終えればすぐ行く。
141名前なし:2009/06/05(金) 01:16:18 ID:AAmKswmW
裁判所長  エレクトル、力を貸してください! 
        あの放蕩者が我々に勇気についての教訓を垂れようなどとは、一体どんな権利があってのことだ!
乞食  どんな権利か。聞くがよい!
エジスト  おお、この世の諸々の力よ、この結婚と、この戦いの朝に当り、私はあなた方の加護を祈らねばならぬ。
       それゆえ、宣告、アルゴスにそびえる丘の上で、霧の消えうせたその刹那、私に授けてくださったあの贈物に対して、礼を言おう。
       私は夜の巡邏に疲れ、馬から下り、斜面に背をもたせかけていた。そのとき、あなた方は、私にアルゴスを見せてくれたのだ。
       かつて見たことのない、私のために作られた真新しいアルゴス、それを私に与えてくださった。アルゴスの一切を。
       その塔、その橋、農家のむろから立ち上る煙も、それはアルゴスの大地の吐く最初の息吹だった。
       飛び立つ鳩も、それはアルゴスの最初の身振りだった。水門の軋みも、それはアルゴスの最初の叫びだった。
       そしてこの贈物の中ではあらゆるものが一人い価いを持っていたのだ、エレクトル、アルゴスの日の出とアルゴスの最後のともし火、
       神殿とあばら屋、湖となめし皮工場とが。それも永遠にだ……私は永遠に私の街を得たのだ、母親が子供を得るように。
       私はその贈物が、もっと大きいのではないかと心配した。アルゴス以上のものではないのかと。神は、朝には、その贈物を惜しまぬ。
       全世界を与えてしまったかもしれぬ。すれば恐ろしいことだ。誕生日にダイヤモンドを欲しがっていた者が、
       太陽をもらってしまった時の絶望にも等しかったろう。私の不安が分かるね、エレクトル!
142名前なし:2009/06/05(金) 01:17:33 ID:AAmKswmW
       私は恐々、アルゴスの彼方に足を踏み出し、思いをはせてみた。よかった! 東洋はまだ与えられていなかった。
       東洋のペスト、東洋の地震、東洋の飢餓も。私はそれを知って微笑んだ。私の喉の渇きは、
       緑の唇の挟まれて砂漠を流れる生ぬるい大河に癒される渇きではなかった。氷のような泉の一滴に、私はそれを試してみたのだ。
       アフリカもそうではなかった! アフリカの何ものも私のものではなかった。黒人の女たちが小屋の戸口で粟をひこうと、
       豹が鰐のわき腹に爪を食い入らせようと、その粥の一粒も、その血の一滴も私のものではなかった。
       それで私は、与えられたアルゴスの贈物同様、与えられなかった数々の贈物を喜ばしく思ったのだ。
       アテネも、オリンピアもミュケナイも気前よく与えてしまうようなことは、神はなさらなかったのだ。何と喜ばしいことだ! 
       私に与えてくれたのは、アルゴスの家畜市場だ、コリントスの宝物庫ではない。アルゴスの娘の短い鼻だ、パラス女神の鼻ではない。
       アルゴスの萎びた乾季だ、テーベの黄金の無花果ではない! それこそ今朝、この私に与えられたものだ。
       遊び人、食客、ペテン師であるこの私にだ。それは一つの国だ、そこでは私は自分が清らかで、強く、全き者であるのを感ずる。
       それは一つの祖国だ。その奴隷として私は身を捧げる覚悟だった。今や私はその王なのだ。私はそのために生き、死ぬことを誓う
       ---よいか、裁判官---そして、祖国を救うことを誓うのだ。
143名前なし:2009/06/05(金) 01:18:55 ID:AAmKswmW
裁判所長  私のたよりにするのはもうあなただけだ、エレクトル!
エレクトル  たよりになさい。清らかな手でなければ祖国を救う権利はないわ。
乞食  戴冠式は全てを清らかにするのだ。
エレクトル  あなたは誰に戴冠式をあげてもらったのです? 証人はどこにいるのです?
乞食  察しがつかないのか? それをあなたに求めに来たのだ。この男は始めてあなたを、あなたの真実と力の中に見ているのだ。
     彼がその山から町をめがけて殺到したのは、そのアルゴスの贈物の中にはエレクトルが入っているという考えが閃いたからだ!
エジスト  私の通ってきた道筋のあらゆるものが私を王にしたのだ、エレクトル! 馬を馳っている間、私は聞いた。木々も、子供たちも、水の流れもが、
       私が王だと叫んでいた。ただ聖油の式のみが欠けていたのだ。戴冠の贈り物の一つ一つは、
       最もそれとは縁のなさそうなこの男からさえも差し出された。昨日の私は臆病者だった。
       先刻、一匹の兎が、溝からのぞいたそのおののく耳で、私に勇気を与えてくれた。私は偽善者だった。
       だが一匹の狐がうらはらな眼をして道をよぎり、そして私は誠実さを得た。
       一つがいのかささぎが私に孤立を、蟻塚が寛大さを与えてくれた。私があなたに向かって急いだのは、エレクトル、あなたこそ、
       私にその真髄を与えることの出来る唯一のものだったからだ。
エレクトル  どんな?
エジスト  私には、何か義務のようなものの気がするのだ。
エレクトル  私の義務はあなたの義務の仇敵です。クリテムネストルと結婚してはいけません。
裁判所長  結婚してはいけない!
144名前なし:2009/06/05(金) 01:20:47 ID:AAmKswmW
クリテムネストル  何故結婚してはいけないのです! どうして、恩知らずの子供たちのために、私たちの生涯を犠牲にするのです! 
            そうです、私はエジストを愛しています。十年前からエジストを愛しているのです。
            十年この方、私は、あなたに対する思いやりから、この結婚を延ばしてきたのですよ、エレクトル、
            それにあなたのお父様の思い出のためにも。それなのに、あなたはかえって押し付けるようなことばかりするのね、
            ありがとう……ただあの鳥の下では。あれがいるといらいらします。鳥さえ行ってしまえば、私は承知します。
エジスト  そう心を悩ませることはない、王妃。私は新たな嘘を積み重ねるために、あなたと結婚をするのではない。
       私が今も尚あなたを愛しているか、私には分からぬ。それに町全体も、あなたがかつて私を愛したなどとは信じていない。
       十年以来、私たちは無関心と忘却の中に投げ出されていたのだ。だがこの結婚は過ぎ去った虚偽の中に、
       僅かながらも真実を投げ入れる唯一の手立てだ。しかもアルゴスの生命を握っている。今すぐにも式は行われよう。
エレクトル  私は行われるとは思いません。
裁判所長  その通り!
エジスト  黙らないか! あなたは一体アルゴスの何だ? 騙された夫か、裁判所長か!
裁判所長  両方だ、間違いない。
エジスト  では選べ。私はどちらでもよい、義務と牢獄のどちらかを選べ。時は迫っている。
裁判所長  あなたはアガートを私から奪った!
エジスト  私はもはやアガートを奪った者ではない。
裁判所長  アルゴスの騙された夫たちは、今朝の贈物の中にはいなかったのか?
乞食  それはあった。だが彼はもはや騙した人間ではない。
裁判所長  分かった。新王は摂政として加えた侮辱を忘れたと見える。
145名前なし:2009/06/05(金) 01:23:15 ID:AAmKswmW
乞食  楽しそうだな、アガートは。とにかく、それは楽しい侮辱だ!
エジスト  昨日、放蕩者が働いた無礼を今日、王がわびるのだ。それでよかろう。では命令を聞け。裁判所へ急げ、そして暴徒を裁け。仮借なくするよう。
アガート  仮借なくね。その中には私の可愛い恋人が一人いてよ。
裁判所長  鳥を見るのを止めろ、いらいらする。
アガート  つまらないわ。この世で面白いものといったらあれだけですもの。
裁判所長  馬鹿、あれがいなくなったら、どうするつもりだ!
アガート  今考えているところよ。
エジスト  あなたは私をからかうつもりか、裁判所長! あの囂々たるざわめきが聞こえぬか?
裁判所長  私は行かぬ。エレクトルを助けてあなたの結婚をやめさせるのだ!
エレクトル  もうあなたの助けは要りません、裁判所長。アガートが全てを開く鍵を渡してくれたわ。あなたの役目は終わったのよ。
クリテムネストル  何の鍵です?
エジスト  来るのだ、王妃。
クリテムネストル  何の鍵を渡したのです? 今度はまた何の喧嘩をふきかけるおつもり?
エレクトル  あなたはお父様を憎んでいたのよ! ああ、アガートの怒りのおかげで、何もかも、こんなにはっきりしたわ。
クリテムネストル  この子はまた始める、エジスト! 私を守ってください。
エレクトル  あなたはさっきアガートを羨んでいたわ! 憎む夫にありったけの憎しみを投げつけることが出来るなんて、何という喜び! 
        あなたには禁ぜられていたことね、お母様。一生涯、そんなことはないでしょうね。
        亡くなる日まで、お父様は信じていらしたわ、あなたに敬われ、愛されていたと。
        よく、宴会や式典の最中に、あなたの顔がこわばり、唇が言葉もなく引き攣るのを見たわ。
        それは、あなたが、お父様を憎んでいると、声をあげて叫びたい気持ちにかられた時なのね。
        そうでしょう、通行人にも、お客様たちにも、葡萄酒をついでくれる侍女にも、食器泥棒を見張る警官にまでも。
        可哀想なお母様、一人で野原へ行き、葦に向かって叫ぶことも出来なかった。どの葦も、あなたが夫を愛していると語っているもの!
クリテムネストル  お聞き、エレクトル!
146名前なし:2009/06/05(金) 02:22:29 ID:AAmKswmW
エレクトル  そう、私に叫ぶといいわ! お父様はもういないのだから、私が代わりよ。
        私にお叫びなさい! 面と向かって叫ぶように、気持ちがよくってよ。とにかく、憎んでいたことを黙ったまま死なずにすむわ!
クリテムネストル  いらっしゃい、エジスト……鳥は仕方がありません……
エレクトル  一歩でも動いたら、呼ぶわ。
エジスト  誰を呼ぶのだ、エレクトル! 我々から、この町を救う権利を奪う者が、この世にいるのか?
エレクトル  偽善の町、腐敗の町をね! いくらでもいるわ。
        誰よりも純粋な人、誰よりも美しい人、誰よりも若い人がここにいるわ、この宮廷に。もしクリテムネストルが一歩でも動けば、私は呼んでよ。
クリテムネストル  いらっしゃい、エジスト!
エレクトル  オレスト! オレスト!

ユーメニードたちが現れて、エレクトルの行く手をさえぎる。

第一のユーメニード  可哀想に! あなたは単純ね! オレストが剣を手にして、この辺りをうろつくのを、私たちが放っておくと思って。
              この宮殿では、すぐ事件が起こるんだから。私たち、あの人を鎖でつないで、猿ぐつわをはめておいたわ。
エレクトル  そんなことはないわ。オレスト! オレスト!
第二のユーメニード  あなたも同じ目に逢ってよ。
エジスト  エレクトル、聞いてくれ、エレクトル! あなたには納得してもらいたいのだ。
クリテムネストル  大事な時間を無駄にするのですか、エジスト。
エジスト  すぐ行く! エレクトル、私が今日、誰であるかが分かっているのは、あなただけなのだ。私を助けてくれ! 
       何故私を助けねばならぬのか、せめて話だけはさせてくれ!
クリテムネストル  一体どうしたというのです、みんな夢中になって弁解をしたり喧嘩をしたり。
            この宮廷には人間はいません、牡鶏ばかりです。
            お互いに眼をえぐりあい、血が出るまで、弁解し合わなければならないのですか!
147名前なし:2009/06/05(金) 02:23:50 ID:AAmKswmW
裁判所長  それが唯一の方法だと信じます、王妃!
隊長  お願いです、エジスト! お急ぎを!
乞食  君は聞いていないのか! エジストはただ、この事件、つまりアガメムノン−エレクトル−クリテムネストルの事件を後世のために解決するだけなのだ。そうすれば行く。
隊長  五分たてば、もう間に合いません。
乞食  お互いが譲歩するだろう。五分たてば片がつく。
エジスト  この男を連れて行け。

衛兵たちが裁判所長を連れて出る。全ての列席者は姿を消す。沈黙。

エジスト  さあ、エレクトル、あなたはどうしたいのだ?
148名前なし:2009/06/05(金) 02:26:11 ID:AAmKswmW
第八場  エレクトル。クリテムネストル。エジスト。乞食。
149名前なし:2009/06/05(金) 02:27:42 ID:AAmKswmW
エレクトル  来るのが遅れているわけではないわ、エジスト。こないのよ。
エジスト  誰の話だ?
エレクトル  あなたが心にもなく待ちわびている人。神々の使者よ。町への愛に免じて罪を許されたエジスト、嘘を嘘と思わず、
        市民の城郭を救うためにクリテムネストルと結婚するエジスト、それが神の掟なら、今こそあなた方の前に現れていい筈だわ。
        神の許しと棕櫚の枝を捧げてね。来やしなくてよ。
エジスト  来たではないか。私の頭上にふりそそいだ今朝の光、あれがそうだ。
エレクトル  あれは朝の光にすぎないわ。どんな瘡頭の子供でも、朝の光に当たれば王になったような気がするものよ。
エジスト  私の誠実さを疑っているのか!
エレクトル  疑っていないわ! あなたの誠実さのおかげで、神々の偽善も、悪意も、私には見分けがつくのよ。神々は、厄介者を正義の人に、姦夫を夫に、
        簒奪者を王にお変えになった! 神々は、私の務めの苦しさがまだ足りないとお思いになったのね。
        私が軽蔑したあなたを、神々はとうとう名誉の塊にしておしまいになったのよ、でも神々の手の中で失敗した生まれ変わりが一つあるわ。
        罪人を無実の者に生まれ変わらせることよ。それだけは私にひけをとったわ。
エジスト  何のことか私には分からぬ。
エレクトル  それでもほんの少しは分かっているわ。あなたの高貴な魂の蔭で、耳を傾けてごらんなさい、聞こえてよ。
エジスト  一体、何の話をしているというのだ?
クリテムネストル  この子に誰のことが話せます? 今までに、何の話をしたことがあります! あの子の知らないことばかり。知りもしない父親のことだけです。
エレクトル  私がお父様を知らない?
クリテムネストル  五つの時から見たこともさわったこともない父親のこと!
エレクトル  私が、お父様にさわったことがない?
クリテムネストル  あなたがさわったのは死骸、かつて父親だった氷のかけらです。父親ではありません!
エジスト  お願いだ、クリテムネストル。こんな場合に何の議論をしようというのだ!
クリテムネストル  めいめいが議論をするのです。今度は私の番です。
150名前なし:2009/06/05(金) 02:29:30 ID:AAmKswmW
エレクトル  それだけは尤もだわ。それこそ本当の議論をいうもの。もし私が生きているお父様にさわったことがないというなら、私の力は誰が? 
        私の真実は誰がもたらしたというの?
クリテムネストル  そう。あなたはそうやって戯言を言う。あなたが父親に接吻したかどうかもあやしい。
            私はあの人が子供たちをなめ回さないように見張っていたのですからね。
エレクトル  私が、お父様に接吻したこともない?
クリテムネストル  父親の冷たくなったむくろならいざ知らず。父親にではありません。
エジスト  お願いだ!
エレクトル  ああ、あなたが何故、私の前でそれほど自信があるのか分かったわ。
        私には武器がないと思っていたのね、お父様にさわったこともないと、思っていたのね。とんだ間違いだわ。
クリテムネストル  嘘です。
エレクトル  お父様のご帰還の日、宮殿の階段の上で、あなた方二人は、一分だけ余計に待っていたわね?
クリテムネストル  何故知っています、いなかったのに?
エレクトル  私がお父様をひきとめたのよ。私がお父様の腕に抱かれていたからよ。
エジスト  聞いてくれ、エレクトル。
エレクトル  私は群集に紛れ込んで待っていたわ。私は駆け寄った。行列は慌てふためいていたわ。何か危害が加えられるかと思って。
        でもお父様は、すぐ私に気がついて、微笑みかけて下さった。それはエレクトルの陰謀だとお分かりになったのよ。
        勇敢なお父様、お父様は全身をその陰謀の前におさらしになった! それで私はさわったのよ!
クリテムネストル  あなたのさわったのは臑当です、馬です! 皮と毛です!
エレクトル  お父様は馬からお下りになったのよ、お母様。私はこの指でお父様の両手にさわったわ、この唇でお父様の唇にさわったわ。
        あなたがさわらなかったその肌にさわったわ、十年のお留守で、あなたから清められた肌に。
エジスト  もうよい! それで母上は信ずる!
151名前なし:2009/06/05(金) 14:46:18 ID:iPo+Vblj
エレクトル  頬と頬をおしあて、私はお父様の温か味を知ったわ。よく夏になると、世界全体が丁度お父様のように生温かいことがある。
        私は、すると、気が遠くなる思いがするわ。私はこの腕でお父様を抱きしめた。私は自分の愛の重みを測っているつもりだったけれど、
        復讐の重みでもあったのね。それからお父様は身体をお離しになって、また馬にお乗りになった。前よりももっとしなやかに、もっと光り輝いて。
        エレクトルの陰謀は終わったのよ。お父様は前よりも生き生きと、金色に輝いていらした! 
        私はそれから宮殿の方へ駈け戻った、またお逢いしようと。でも私が駆けつけたのはお父様の方へではなかった、あなた方のほうへ、人殺しの方へだった。
エジスト  気は確かか、エレクトル。
エレクトル  息切れくらいしているかもしれない。やっと行き着いたところよ。
クリテムネストル  この子を追い出してください、エジスト。庭師にやっておしまいなさい! 弟のところへ追い返せばいい!
エジスト  やめなさい、エレクトル! 今、私はあなたを見、あなたを愛している。今の私は、あなたの理解し合えるものになった。
       侮辱も恐れず、勇気もあり、無私無欲でもある。その今になって、あなたはあくまで戦いを交えようとするのか?
エレクトル  私には今しかないわ。
エジスト  アルゴスが危険に瀕しているのは認めるな?
エレクトル  私たちの危険は同じじゃないわ。
エジスト  私がクリテムネストルと結婚すれば、町は平静に戻り、アトレウス家は救われる、それは認めるな? さもなければ暴動と火災が起こるのだ。
エレクトル  そうかもしれないわ。
エジスト  コリントスの軍勢は、既に町の門まで押し寄せている。それからアルゴスを守ることの出来るのは、この私だけだ、これは認めるな? 
       さもなければ、略奪と虐殺が始まるのだ。
エレクトル  ええ。あなたは勝利者になるでしょう。
エジスト  それでもまだ意地を張るのか! 務めを果たせぬままに、私を破滅させようというのか!
       わけも分からぬ夢物語に、あなたの家とあなたの祖国を、犠牲にしようというのか?
152名前なし:2009/06/05(金) 14:48:36 ID:iPo+Vblj
エレクトル  私を馬鹿にするの、エジスト! 私を知っているというあなたが、私をそんな人間だと思うの? 嘘をついたりつかせたりしさえしていれば、
        あなたの祖国は栄えるだろう、罪を押し隠してさえいれば、あなたの祖国は勝つだろう、
        私がそんなことをいわれるような血筋の人間だと思って? 真実と私たちの間に、あなたが突然滑り込ませたその哀れな祖国とは一体何?
エジスト  あなたの祖国、アルゴスだ。
エレクトル  見当違いだわ、エジスト。今朝、あなたがアルゴスを与えられた時、私にも贈物があったわ。私はそれを待っていたのよ。
        約束は出来ていたわ、でもそれが何であるかは、まだはっきりしていなかった。
        それまでにも沢山の贈物をもらってはいたわ、でも皆ばらばらに思えて、それが似ているのに気がついていなかった。
        でも昨夜、眠ったオレストの傍で、私はそれが同じ贈物だということが分かったのよ。
        私がもらっていたのは、小舟を曳く一人の船引の背中。眼を川面に向けて、急に仕事の手を止めた洗濯女の微笑みもあった。
        母親や近所の女たちの叫び声を背に、走って道を横切る、丸々とした小さな裸の子も。放してやった鳥の鳴き声。
        ある日、足場から足を開いて落ちてきた左官屋の叫び。それに、流れに逆らって、戦い、根尽きて倒れる水藻も、咳をし、微笑み、
        そしてまた咳き込む病気の青年も、それに私の小間使いの頬、冬の朝、火を起こそうと大きく膨らみ、真っ赤になったあの頬も、私はもらっていたわ。
        それで、私はアルゴスをもらったつもりになっていた。慎ましく、優しく、美しくも哀れなアルゴスの全てを。
        でもさっき、それが間違いだったことが分かったのよ。私がもらったのは、薪の火や炭を吹くあらゆる小間使いたちの頬骨だった。
        丸かろうが切れ長だろうが、あらゆる洗濯女たちの眼だった。空飛ぶ全ての小鳥たち、足を踏み外す全ての左官屋、そして、
        葦の間や海の中で身を沈め、また浮き上がる全ての水藻だった。アルゴスはこの宇宙の一点にすぎなかった。
153名前なし:2009/06/05(金) 14:50:16 ID:iPo+Vblj
         アルゴスはこの宇宙の一点にすぎなかった。私の祖国はその祖国の一部落にすぎなかったのよ。
         愁わしげな顔にさす、あらゆる光やきらめき、楽しげな顔に刻まれる全ての皺や暗い陰、冷ややかな顔に浮かぶ欲望や絶望、
         それこそが、私の新しい国なのです。そして今朝、夜明けに、あなたがアルゴスというその狭い国境を与えられた時、
         私はその国を目の当たりに見、その名を聞いたのです、口では言えない名を。でもそれは同時に愛情であり、正義でもあるのです。
クリテムネストル  それがエレクトルのお題目なのね、愛情ですって! もう沢山! 行きましょう!
エジスト  あなたに、町を焼き払わせ、あなたの血族を罪におとす正義、あなたはそれを神の正義というつもりか?
エレクトル  そうはいわないわ。この私の国では、正義のことは、神々にまかせたりしないのよ。神々は芸術家にすぎないわ。
        火事に美しい光を、戦場に見事な芝生を、それが、神々にとっての正義よ。
        罪の上に見事な悔い改めを、神々があなたに下した判決はそれよ。私は受け入れないわ。
エジスト  エレクトルの正義とは、いかなる過ちをも洗い立て、いかなる行為も償えぬものにすることなのか?
エレクトル  違うわ! 霜が樹にとって正義である年もあるわ、そうでない年もあるわ。愛される徒刑囚もあれば、大切にされる人殺しもあるわ。
        でも罪が人間の品位を傷つけ、民衆の中にはびこり、その誠実さを堕落させる時には、容赦はしないものです。
エジスト  民衆とはどんなものか、あなたは知っているのか? エレクトル!
エレクトル  大きな顔が、地平線一杯にひろがって、大胆な澄んだ眼であなたをまともに見つめるとき、それが民衆です。
エジスト  娘の言い草だ、王のではない。民衆とは統治すべき、育むべき巨大な肉体なのだ。
エレクトル  私は女として言うのです。それは見る者にしみとおり、それを金色に彩るきらめく眼差しなのです。
        でもそこにあるただ一つの燐光こそ、それが真実なのです。この世の本当の民衆に思いを馳せるとき、
        その大きな真実の瞳はこんなにも美しいものなのです。
154名前なし:2009/06/05(金) 14:52:00 ID:iPo+Vblj
エジスト  民衆を殺すような真実もあるものだ、エレクトル。
エレクトル  永遠に輝く、死んだ民衆の眼差しもあるわ。どうかそれがアルゴスの運命でありますように! 
        でも、お父様が亡くなり、この町の幸福が不正と罪の上に築かれ、町の誰もが、卑怯にも人殺しと嘘吐きの味方になってからというもの、町は栄え、
        歌い、踊り、そして戦いにも勝ったかもしれません。天がその上に輝くかもしれないのです。でも、それは、
        眼も役に立たない穴倉です。生まれる子が、手探りで、乳を吸うのです。
エジスト  醜聞は、それに止めをさすだけだ。
エレクトル  そうかもしれない。でも私はもう、その眼の中に、どんよりとした気力のない眼差しを見るのはいやです。
エジスト  だが、それは数千の凍った眼、光の消えた瞳を作ることになるのだ。
エレクトル  時によるわ。その犠牲は高すぎはしません。
エジスト  私には今日という日が必要なのだ。今日は私に任せてくれ。
       あなたの真実はそれが真実であるならいつでも、もっとふさわしい日に輝く手立ても見つかろう。
エレクトル  暴動こそ、それにふさわしい日です。
エジスト  お願いだ。明日まで待ってくれ。
エレクトル  いやです。今日がその日なのです。一秒遅れたために真実が色褪せるのを、私はもう見すぎています。
        私は知っています、醜いもの、いやしいものに、いやだ、とふと言いそびれた娘たちを。
        もうその次からは何でもはいはいと受け入れることしか出来なくなった娘たちを。
        真実の美しいのもそれよ、厳しいのもそれよ。真実は永遠のもの、でも、それは一瞬のひらめきにすぎないわ。
エジスト  私は町を、ギリシャを救わねばならぬのだ。
エレクトル  小さな義務だわ。私はその眼差しを救うのよ……あなたはお父様を殺したのね?
クリテムネストル  何を言い出すのです! あなたのお父様は鋪石の上で足を滑らせた、皆知っています。
エレクトル  皆知っているわ、あなたがそう言いふらしたのだから。
155名前なし:2009/06/05(金) 14:53:55 ID:iPo+Vblj
クリテムネストル  馬鹿な! つまずいたからすべったのです。
エレクトル  すべりやしなかったわ。はっきりした確かな証拠があるわ。お父様が足をすべらせたことなんか決してなかったわ。そうでしょう?
クリテムネストル  そんなこと、どうして分かります!
エレクトル  八年前から、私は尋ね回っているのよ、楯持ちにも、侍女にも、雨や霰の日にお供をした人たちにも。すべったことなんて一度だってないわ。
クリテムネストル  いくら身軽でも、戦争から戻られたばかりだったのですよ。
エレクトル  戦友たちにも尋ねてみたわ。お父様はスカマンドロスの河も足を滑らせずに飛び越えられた。
        足をすべらすこともなく、いくつもの城砦を攻め落とされた。水の中でも、血の中でも、足をすべらせたことなんてなかったわ。
クリテムネストル  あの日は急いでいたのです。あなたが遅らせたのだから。
エレクトル  私に罪があるのね? くりてむねすとるに言わせれば、それが真実。エジスト、あなたの考えも同じ? アガメムノンの暗殺犯人はエレクトル?
クリテムネストル  女中が鋪石を磨きすぎていたのです。知っています。私もすべりそうになった。
エレクトル  そう? あなたも浴室にいらしたの? 誰が支えてくれたの?
クリテムネストル  何故いてはいけないのです?
エレクトル  エジストと一緒だったのね、キット?
クリテムネストル  エジストと一緒です。私たちだけではない。私の相談役のレオンもいました。そうですね、エジスト?
エレクトル  その翌日に死んだレオン?
クリテムネストル  翌日に死にましたか?
エレクトル  ええ。レオンもすべったのだわ。レオンはベッドに横になっていた、そして朝、死んでいたわ。
        眠りながら死の中へすべり込んでしまったのだわ、身動きもせず、足をすべらせもせず。あなたが殺させたのね?
クリテムネストル  助けてください、エジスト! 私は救いを求めているのですよ!
エレクトル  この人は何も出来なくてよ。もうここまできたら、自分で助けるよりほかないわ。
156名前なし:2009/06/05(金) 16:13:26 ID:iPo+Vblj
クリテムネストル  ああ、こんな羽目におちるなどと。母親ともあろうもの、王妃ともあろうものが!
エレクトル  こんな羽目とはどんな? 教えて頂戴、どんな羽目におちたの?
クリテムネストル  それもこの石のような心の、喜びも知らない娘のお陰です! ああ、クリソテミスは花が好きで仕合せだった!
エレクトル  私は花が嫌いかしら?
クリテムネストル  こんなことになるなどと! 人生という愚かな路を通ってきて、その挙句がこんなことになる! 
            私が娘のころ愛したのは、静けさだけだった。家畜の世話を焼いたり、食事の時に笑い転げたり、縫い物をしたり……
            私はおとなしかったのです、エジスト! 本当に誰よりもおとなしかった。
            私の生まれた町には、おとなしいといえばクリテムネストルのことだと思う年寄りたちがいます!
エレクトル  その年寄りたちも今日死ねば、その象徴を変えずにすむわ。今朝のうちに死ねば。
クリテムネストル  それがこんな羽目になるとは! 何と間違ったこと! 私は毎日を、宮殿の裏手の牧場ですごしたのです、エジスト。
            あまり沢山の花があったものだから、私はそれを摘むのに、身をかがめたりはしなかった。座り込んでしまったものだった。
            私の犬は足元に寝そべっていたけれど、アガメムノンが私を抱きにくると、きっと吠えたものだった。私は花で犬をじゃらした。
            犬は私に気に入ろうと、その花を食べた。ああ、せめてあの犬さえいてくれたら! 
            どこでもいい、ここ以外のところにいたなら、私は今きっと、優しくて、のんきで、快活な女になっていたに違いない! 
            夫がペルシャ人だろうとエジプト人だろうと! 若い頃の私は声がよかった。私は小鳥を飼っていた! 
            今頃はのんきなエジプトの王妃になって、歌を歌っていたかもしれない。エジプト風の鳥篭を持っていたかもしれない。
            それがこんなことになってしまった! 一体この家は、この壁は、私たちを何にしてしまったのだろう!
エレクトル  人殺しによ……たちの悪い壁なのよ!
157名前なし:2009/06/05(金) 16:15:17 ID:iPo+Vblj
伝令  閣下、敵は水路を突破しました! 間道は敵の手に渡りました。
エレクトル  喜びなさい。その壁も崩れるわ。
エジスト  エレクトル、私の最後の言葉だ。私は全てを許す、あなたの空想も、あなたの侮辱も。だが、あなたの祖国が滅びようとしているのが分からぬか?
エレクトル  私は花が嫌い? お父様のお墓に供える花を、座ったままで摘めると思うの?
クリテムネストル  帰って来さえすればいいのです、その父親が! 死んだふりをやめればいいのです! 
            いないのも、黙っているのも、これではまるで脅迫です! 帰ってくればいいのです、その見栄も、ひげも一緒に。
            さぞかしお墓の中でのびてるでしょうよ、そのひげは。でもそのほうがまだましです。
エレクトル  何ですって?
エジスト  エレクトル、約束しよう、明日、アルゴスが救われた暁には、罪あるものは、もしいるとすれば、姿を消すであろう、しかも永遠に。
       だから意地を張らないでくれ! あなたは優しい、エレクトル。心の奥底では、あなたは優しい人なのだ。自分の心に聞いてごらん。
       町は滅びようとしているのだ。
エレクトル  滅びたらいいわ。アルゴスへの私の愛は、もう焼き尽くされ、崩れ去ってしまったわ! いやです! 
        お母様はお父様を侮辱なさろうとしているのよ、最後まで言わせなさい!
クリテムネストル  罪人とは何のことです! 何を言ってらっしゃるの、エジスト!
エレクトル  あなたが否定なさった全てを、一言で言ってしまっただけです!
クリテムネストル  何を否定しました?
エレクトル  あの人は言ったのよ、あなたはオレストを落とした、私は花が好き、お父様はすべったりはなさらなかった、って。
クリテムネストル  すべりました! 誓ってすべりました。この世に一つでも真実があるものなら、稲妻が天上に映し出してくれればいい。
            甲冑に身を固めたまま、どうと倒れたその姿が、あなたにも見えるでしょう!
158名前なし:2009/06/05(金) 16:16:47 ID:iPo+Vblj
エジスト  エレクトル、私はあなたをどうにでも出来るのだ。あなたの弟も。二人を殺すことも出来る。昨日なら殺していただろう。
       私は反対に約束する、敵が撃退されれば直ちに、玉座を退いて、オレストの権利を回復しよう!
エレクトル  それはもうどうでもいいことです、エジスト。もし神々が、今度だけは、やり方を変えて、あなた方の身を滅ぼすために、
        あなた方を賢く正しい者にしたとしても、それは神々だけの知ったことです。
        大切なのは、お母様が、お父様を憎んでいたわけを、ご自分の口から言えるかどうかです!
クリテムネストル  ああ、あなたはそれが知りたいの?
エレクトル  でも言えないでしょう?
エジスト  エレクトル、明日、勝利を祝う祝壇の前に、その罪人は姿を現すだろう、罪人は一人しかいないのだ。しかも国王殺しの衣をまとって。
       彼は公衆の面前で罪を告白するだろう。そして自らその刑を決定するだろう。だが、今は私に町を救わせてくれ。
エレクトル  エジスト、あなたは今日、あなた自身から身をかわしたわ、私からも。それで沢山です。私はいやです。この人に最後まで言わせたいのです!
クリテムネストル  ああ、私に最後まで言わせたいのね!
エレクトル  それが出来て!
伝令  敵は内庭まで侵入しております、エジスト!
エジスト  行こう、王妃!
159名前なし:2009/06/05(金) 16:22:58 ID:iPo+Vblj
クリテムネストル  ええ、私はあの人を憎んでいました。では、その立派な父親がどんなだったか、教えてあげましょう! 
            そう、私は二十年後にやっと、アガートの味わった喜びを味わおうとしているのです! 
            女というものはみんなのもの。でもこの男のものにだけはなりたくないという男が、
            必ず一人はいるのです。私にとってのその唯一の男、それは王の中の王、父親の中の父親、それこそがあの人だったのです。
            ちぢれた口ひげをたくわえ、そのいつも小指を立てた手で、私を生まれた家からもぎ取ろうとやってきた日、その日から、
            私はあの人を憎みました。あの人は小指を立てて盃を傾けました、馬が道をはずれて駆け出した時にも、小指を立てて馬を御しました、
            王杖を握ったときにも……そして、私を抱いた時には、私は背中に四本の指しか感じられなかったのです。私はかっとしました。
            そしてあの明け方、あなたの姉のイフィジェニイを生贄台に送った時、恐ろしいこと! その両手の小指が太陽の中に
            くっきりと浮かび上がったのを見たのです! 王の中の王が、何という馬鹿げたこと! 
            あの人は大袈裟で、優柔不断で、愚か者だった。うぬぼれ一方で、見境もなく人を信じた。
            王の中の王といっても、つまるところはあの小指と、どうしてもちぢれの直らないひげ以上の何ものでもありません。
            頭を浴槽の水にもぐらせてやっても無駄でした。偽りの愛の夜に、ひげを引っ張り、からませてみても無駄でした。
            舞姫たちの髪が馬の尾のようになびくデルフの嵐も無駄でした。
            ひげは、水からも、臥所からも、雷雨からも、時の流れからも、金色に輝き、ちぢれたままで出てくるのです。
            そしてその小指を立てた手で、私に近寄るよう合図をし、私は微笑みながら傍へ行くのです。何故? 
            そしてそのちぢれ毛に囲まれた口に接吻を求め、私は駆け寄って接吻をするのです。何故? 
160名前なし:2009/06/05(金) 16:24:42 ID:iPo+Vblj
            また、目が覚めた時、私はあの人を騙しました、アガートのように、寝床の木とぐるで。
            もちろんもっと高尚な木です、王妃にふさわしいアンボイナの木です。あの人は、私に話をしてくれといいました。
            私にはあの人が見栄坊で、頭も空っぽで、月並みだということは分かっていました。
            けれど私はそういう時、あなたは慎ましい、変わっている、素敵だとさえ言ったのです。何故? 
            そしてあの人が、哀れっぽい調子で、どもりどもり、少しでも我を張ることでもあれば、私は、あなたは神だと断言したものです。
            王の中の王という呼び名も、それが憎しみの中の憎しみを明かし立てるからこそです。
            あの人が戦いに出発した日、まだその船が見えているうちに私が何をしたと思います? エレクトル。
            私は、どれよりもちぢれ毛の、牡羊を生贄に捧げたのです。
            そして真夜中に、私は玉座のある部屋へただ一人忍び込み、王杖を両手にしっかりと握ったのです! さあこれで全部知ったわけ。
            あなたは真実への賛歌を望んだ。これがその最も美しい賛歌です!
エレクトル  お父様、許して!
エジスト  来るのだ、王妃。
クリテムネストル  先にこの娘を押さえて下さい。鎖でつないでください。
エレクトル  お父様、このような話に耳を傾けた私を、許してくださるでしょうか! エジスト、この人は、これでも死んではいけないのですか!
エジスト  さらばだ、エレクトル。
エレクトル  この人を殺して、エジスト。そうすればあなたを許します。
クリテムネストル  この子をあのままにしておかないでください、エジスト。あの子達はあなたの背中に短刀を突き立てます。
エジスト  いずれ分かる……エレクトルは放っておけ……オレストの縄を解け。

(エジストとクリテムネストル退場)

エレクトル  鳥が舞い下りてくるわ、乞食、鳥が舞い下りて。
乞食  や、あれは禿鷹だ。
161名前なし:2009/06/05(金) 22:49:38 ID:ZkbWvUIM
第九場  エレクトル。ナルセスのかみさん。乞食。次いでオレスト。
162名前なし:2009/06/05(金) 22:51:34 ID:ZkbWvUIM
乞食  これは、ナルセスのかみさんだな?
ナルセスのかみさん  私たち乞食はみんな参りました、エレクトルと弟さんをお助けするために、病気の人も、盲も、びっこも。
乞食  正義、というわけだな。
ナルセスのかみさん  今みんなでオレストの縄を解いております……

乞食の群が少しずつ入ってくる。
163名前なし:2009/06/05(金) 22:53:17 ID:ZkbWvUIM
乞食  あの二人がどういうように殺したのか、ナルセスのかみさん、お聞き。実はこうなのだ、私は決して話をでっち上げたりはしない。
     浴室に下りる階段を磨こうと思いついたのは、それは王妃だ。それを二人でやったのだ。
     侍女たちみんなが、アガメムノンの帰還のために、その敷居を磨いていた時、王妃とその恋人は、彼のために死の敷居を磨いていたのだ。
     アガメムノンが入ってきた時、二人がどれほど綺麗な手を差し出したかは想像できる。
     そこでだ、エレクトル、あなたのお父さんは、王妃のほうへ腕を差し伸べようとしたとき、足をすべらせたのだ。
     この点を除けば、あなたは正しい。彼は、鋪石の中央まですべっていった。そして甲冑のため地響きをたてて倒れた。
     それは確かに王の倒れた音だ、全てが黄金だったからだ。駆け寄ったのは王妃だ。それは助け起こすため、と彼は考えた、が実は押さえつけるためだった。
     彼には分からなかった。愛する妻が自分を大地に押さえつけるとは不可解だった。愛情にかられてのことかと考えた、が、それならエジストは何故とどまっている? 
     この若いエジストは慎みもなければ、気もきかぬ。昇進はおぼつかぬぞ。この世の支配者も腹を立てていたろう、我が家へ帰るなり転んでしまうとは。
     トロイを侵略し、観艦式に望み、騎兵隊や歩兵隊を閲兵したあとで、皿のような音をたててひっくり返ったのだ。愛する妻と若い旗手の面前で、
     どうやらそのひげだけは無疵に、ちぢれたまま助けはしたが。それに悪い前兆かもしれぬのだ。
     この躓きは一年後、五年後の死を意味しているかもしれぬ。だが、変だと思ったのは、最愛の妻が彼の手頸を捉え、
     仰向けに釘付けにしようと全身の重みをかけてきたことだ。丁度、漁師が陸に乗り上げた大きな亀を押さえつけるように。
164名前なし:2009/06/05(金) 22:56:36 ID:ZkbWvUIM
      あの海峡を通ってくる奴だ。王妃のやり方はまずかった。そうしてかがみこみ、血が頭にのぼり、頸に皺がよっては、美しくなりようがない。
      若いエジストのようにはいかぬ。エジストは王の剣を引き抜こうとしていた。もちろん怪我をさせないためだが。
      そしてエジストは刻一刻と美しく、いやがうえにも美しくなっていった。不思議なことには、二人とも黙りこくっていた。
      彼は二人に言葉をかけた。妻よ、あなたは何と力があるのだ! 若者よ、剣は鍔をもってはずしてくれ! ところが二人は黙ったままだ。
      では人は言うのを忘れていたのだ、自分の十年の留守の間に王妃は唖になったのだ、楯持ちたちも唖になったのだ。
      黙りこくっている二人は、丁度出発を急いで荷造りをしているようだった。何かをしなければならない、だが早く、誰も入って来ぬ間に。
      そんなにあわてて、どんな荷物をつくるというのだ! しかし突然、エジストは彼の冑に足蹴の一撃をくれた。それで全てが飲み込めたのだ、
      丁度、死にかけた男が自分の犬を足蹴にされた時のように。そこで彼は叫んだ、妻よ、放してくれ! 妻よ、何をするのだ! 
      だがその妻は、自分のしていることを、口には出さなかった。あなたを殺すのです、あなたを暗殺するのです、とは言えなかったのだ。
      だが自分自身には低く言いきかせていたのだ。私は殺す、このひげには白い毛一本混じっていないから。
      私は暗殺する、それがこの小指を抹殺する唯一の方法だから。そして歯で鎧の紐を解き、黄金の唇は既に開かれていた。
      一方エジストは、---ああ、エジストが美しいのはこのためだったのだ! アガメムノンは見たことがある。
      エクトールを殺すアキレス、ドロンを殺すユリースにみなぎっていたこの美しさを---エジストは剣をかえして近づいていった。
      そこで、王の中の王はクリテムネストルの背に強い足蹴をくれた、蹴るたびに、クリテムネストルは飛び上がった、物言わぬ頭が飛び上がり、ひきつった。
      彼は叫んだ。その叫び声をかき消そうと、エジストは厳しい顔つきで、大声に笑った。そして剣を突き刺した。
165名前なし:2009/06/05(金) 22:58:20 ID:ZkbWvUIM
     王の中の王は、彼が考えていたような青銅と鉄の塊ではなかった。それは柔らかい肉であり、子羊のように苦もなく突き通った。
     力を入れすぎたので剣は鋪石を傷つけた。大理石を傷つけるとは、人殺したちもまずいことをしたものだ。
     大理石に恨みがこもった。その切り傷で、私が罪を見破ってしまったのだ。そこで彼は抗らうのをやめた。
     次第に醜くなっていくこの女と、次第に美しくなっていくこの男に挟まれて、彼はされるがままになった。
     死には、すっかり身をまかせきれるという良い所がある。死は、その罠の中における唯一の友だった。
     それは何か気のおけない、馴染みのある様子をしていた。彼は子供たちを呼んだ、まず男の子、オレスト、いつの日か復讐をとげてくれることに感謝をするためだ。
     次いで女の子、エレクトル、あのように一分間、その顔を両手を死に借したことを感謝するためだ。
     だがクリテムネストルは手を放さなかった、一抹の泡を唇に浮かべたまま。そこで、アガメムノンは死んでもよいと思った。
     ただ、この女から、その顔に、そのひげに唾を吐きかけられるのはいやだった。しかし、女は唾を吐きかけなかった。
     サンダルを血に汚すまいと、彼の体の周りを廻るのに気をとられていたのだ。女は赤い服を翻して廻っていた、が、彼はすでに死の苦しみを味わっていたのだ。
     そして自分の周りを太陽が廻っているのだと思った。次いで闇が訪れた。二人が急に片方ずつの腕をとって、彼をうつぶせに転がしたのだ。
     右手の四本の指はもう動かなかった。次に、エジストは思わず剣を引き抜いてしまっていたので、
     二人は再び彼をひっくり返し、傷口の中へ、ゆっくりと、落ち着いて、それを刺し通した。二度目にはこれほど静かに殺されるままになった死者にたいして、
     この若いエジストは感謝の念を抱いた。これが殺人というものなら、王の中の王も、何ダースとなく殺せるだろう。
166名前なし:2009/06/05(金) 23:56:57 ID:ZkbWvUIM
      しかし、あのように荒々しく、あのように愚かしくじたばたした者に対する、クリテムネストルの憎しみは、次第に大きくなっていった。
      何故なら、これからは夜ごと、この虐殺を悪夢の裡に見るであろうことが分かっていたのだ。
      正にその通りだった。正にそれこそが犯した罪の報いなのだ。彼を殺してから七年、もう三千回殺したのだ。

物語っている間にオレストが登場する。

ナルセスのかみさん  ほら、若い方が! 美しいかただこと!
乞食  若いエジストそっくりの美しさだ。
オレスト  二人はどこにいる? エレクトル。
エレクトル  オレスト!
ナルセスのかみさん  南の内庭に。
オレスト  あとで、エレクトル、それからはもう永遠にだ!
エレクトル  さ、行って頂戴!
オレスト  乞食、何故話をとめる。その先を! クリテムネストルとエジストの死を語ってくれ!

彼は剣を手に退場。
167名前なし:2009/06/05(金) 23:58:46 ID:ZkbWvUIM
ナルセスのかみさん  お話なさい、乞食。
乞食  二分待て。行きつくまでの時間を与えるのだ。
エレクトル  剣は持っていったかしら?
ナルセスのかみさん  ええ、娘や。
乞食  王女を娘だなどと、気でも狂ったのか?
ナルセスのかみさん  娘と呼んでいるのです。娘だと言っているのではありません。でも、この方のお父様はよくお見かけしたものです。
              ああ、なんと美しい方でしたでしょう!
エレクトル  ひげを生やしていたのでしょう?
ナルセスのかみさん  ひげではありません。太陽でした。巻毛の波打つ太陽でした。海の干潮に洗われた太陽でした。
              あの方はよくそこへ手をおやりになりました。私はあのような美しい手は見たことがありません……
エレクトル  娘と呼んでね、ナルセスのおかみさん、私はあなたの娘よ……叫び声がしたわね!
ナルセスのかみさん  いいえ娘や!
エレクトル  確かに剣を持っていたかしら? まさかあの人たちの前で剣がないなんて?
ナルセスのかみさん  ごらんになったでしょう! 千の剣をもっていらっしゃいました! 落ち着きになって! 落ち着きになって!
エレクトル  どんなに長かったことでしょうね、お母様、浴室の入り口でお待ちになったあの一分間が!
ナルセスのかみさん  話してくれればいいのに! 何も分からないうちに、何もかもおしまいになってしまいますよ。
乞食  もう少しだ。いま探しているところだ。そら見つかった!
ナルセスのかみさん  私は待ってもいいんですよ。エレクトルにさわっているのが楽しいのです。
              私には男の子ばかり、本当にしようのない子ばかり。女の子のある母親は幸せです……
エレクトル  ええ……幸せね……今度こそ叫んだわ!
ナルセスのかみさん  ええ、娘や。
168名前なし:2009/06/06(土) 00:02:09 ID:ZkbWvUIM
乞食  さあ、これでおしまいだ。ナルセスのかみさんと乞食たちは、オレストの縄を解いた。オレストは内庭をよぎって急いだ。エレクトルには触れもせず、接吻もしなかった。
     オレストは間違っていた。もう決してエレクトルに触れることはないだろうからな。彼は、人殺しが暴徒と休戦の談判をしている所へ、大理石の壁龕から襲いかかった。
     そしてエジストが暴徒の首謀者たちの上へかがみこみ、全てはうまくいっている、これからは何もかもうまく運ぶだろう、と言ったその時に、背後に、
     血祭りに上げられた獣の叫びを聞いたのだ。叫んだのは獣ではなかった。それはクリテムネストルだった。クリテムネストルが血祭りにあげられたのだ。
     息子が血祭りにあげたのだ。オレストは眼をつむって、二人の上へ闇雲に剣を振り下ろしたのだ。たとえその名に相応しくなくとも、
     母親の中では全てが傷つき易く、命とりになるのだ。クリテムネストルは、エレクトルの名も、オレストの名も呼ばなかった、
     呼んだのは末娘のクリソテミスの名だった。だからオレストは、自分が殺したのは他人の母、罪のない母だったような気がしたのだ。
     クリテムネストルはエジストの右手にしがみついた。尤もなことだ、もうそれが、この世で、少しでも立っていることの出来る唯一の機会だったのだから。
     ところがエジストはそれが邪魔になって剣を抜くことが出来ない。それを振り払って、腕の自由を取り戻そうとしたが、手の下しようもない。
     楯にしようにもクリテムネストルは重すぎる。それにあの鳥が、翼で彼の頬を打ち、くちばしで襲いかかってくるのだ。彼は戦った。
     左手のみで、武器もなく、首飾りや下げ飾りをつけたままの死せる王妃を右腕に抱えて。自分の全ては清められ聖なるものになったのに、今、自分は罪人として死なねばならぬ。
     もはや自分のものではない罪のために、誠実と無実の裡に戦い、しかもこの親殺しの面前で、恥知らずとして死なねばならぬ。
     彼はそれを思い、絶望しつつ片手で戦ったのだ。その手は次第に剣に切り刻まれていった。
169名前なし:2009/06/06(土) 00:03:13 ID:r2hupdu9
     そのとき、彼の鎧の編紐がクリテムネストルの留金に引っかかった、そして鎧は口を開いた。そこで彼はもはや抗うのをやめたのだ。
     ただ右手を振っただけだった。王妃の手を振りほどきたいと思ったのかもしれない。
     だがそれはもう身軽になって一人で戦うためではない、一人で死ぬため、クリテムネストルから遠くはなれて死の床に横たわるためだったのだろう。
     しかし、それもかなわなかった。そしてクリテムネストルとエジストの組み合わせは永遠に残ったのだ。しかし彼は一つの名を呼びながら死んだ。その名は言わずにおこう。
エジストの声  (外で)エレクトル……
乞食  私はしゃべりすぎたようだな。彼の方で追いついた。
170名前なし:2009/06/07(日) 02:15:42 ID:DC4htSbU
第十場  エレクトル。乞食。ナルセスのかみさん。ユーメニードたち。

ユーメニードたちはエレクトルと同じ年、同じ身の丈になっている。
171名前なし:2009/06/07(日) 02:17:27 ID:DC4htSbU
従僕  皆様、お逃げください、宮殿に火が廻りました!
第一のユーメニード  エレクトルになかった光ね。太陽と真実、それに火事で三つそろったわ。
第二のユーメニード  これで満足ね、エレクトル! 町は死んでいくわ!
エレクトル  満足だわ。一分前から私には分かっているの。町は生まれ変わるわ。
第三のユーメニード  通りで殺しあっている人たち、あの人たちは生まれ変わって? コリントスの軍隊は突撃してきて、虐殺を始めているわ。
エレクトル  その人たちに罪がなければ、生まれ変わるわ。
第一のユーメニード  これが傲慢の報いよ、エレクトル! あなたはもう何者でもないわ! 何も持っていないわ!
エレクトル  私には良心が残っているわ、オレストがあるわ、正義があるわ、何もかもあってよ。
第二のユーメニード  あなたの良心ですって! これからあなたを訪れる夜明け夜明けに、その良心に耳を傾けるといいわ。
              あなたは七年間、他人の犯した罪のために眠れなかった。これからはあなた自身が罪人なのよ。
エレクトル  私にはオレストがいるわ。正義があるわ。何もかもあるわ。
第三のユーメニード  オレストですって! もう決してオレストには逢えないことよ。私たちはあなたと別れて、これからオレストをつけまわしてやるのよ。
              あなたの年と姿になってオレストにつきまとってやるのよ。さよなら。もうオレストを放しはしなくってよ、姉さんを呪って気が狂い、自殺するまでね。
エレクトル  私には正義があるわ。何もかもあるわ。
ナルセスのかみさん  あの子達は何を言っているのです? 意地悪な子達だこと! 
              これはどういうことになっているのでしょう、ね、エレクトル、どういうことに?
172名前なし:2009/06/07(日) 02:18:52 ID:DC4htSbU
エレクトル  どういうこと?
ナルセスのかみさん  ええ、それを教えてください! 私はどうも飲み込みが悪くて。確かに何かが起こっているのは分かるのですけれど、
              でも、どうもよく飲み込めません。今日のように、日がのぼり、何もかもが台無しになり、
              何もかも荒れ放題、それなのに空気はすがすがしい、何もかも失われ、町は燃えさかっている、罪のない人たちは殺し合い、
              一方では、罪人たちがのぼっていく太陽の片隅で、死の苦しみに喘いでいる、一体これは何といったらよいのでしょう?
エレクトル  乞食に聞いてごらんなさい。この人なら知っているわ。
乞食  それにはとても美しい名がついているのだ、ナルセスのかみさん。その名は黎明というのだ。


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173名前はいらない
髪は長い友達