「犬」1/2
おれは火のついたタバコを深く吸い、くちびるをつきだすようにして
煙を
赤ん坊の顔にふきかける
赤ん坊はむずがるが もはや
泣き声を上げる元気はないらしい
なあ、おまえさあ、これもう捨ててこいよ。死んじゃうよ?
あるじゃん、教会の前とかにさあ、この子をよろしくお願いします、とかってさあ
すると女はうつむいたまま、ごめんなさい、としか言わない
女はおれの部屋に赤ん坊を連れてきてからずっと同じことしか言わない
だから、なんだよ、ごめんてさあ、おれがなんかわるいことしたみたいじゃんさあ、
これ、おれの子じゃないんでしょ、ぶっちゃけさあ。なんにも言わずに生んどいてさあ
なんだよ、ごめんって? 似てないじゃん、ぜんぜん。なんだよ、もう、
自分で捨てたりするのいやだから、おれんところにきてるんでしょ? それをさあ、
ごめんってさあ、なんだよ、それ。ねえ、ちょっとあんたさあ、ちょっとおかしいんじゃない?
いいけどさあ、じゃあ、おれが捨ててきますよ? ねえ、それでいいんでしょ?
ちょっとさあ、もういいけどさあ
おれは油性ペンのふたを外し、赤ん坊の頬に このこをよろしくおねがいします と書く
空いているほうの頬に念のために捨て子と書く ついでに額に肉と書いた
破れないように二枚重ねたコンビニの袋に赤ん坊を入れる
じゃあ、行ってきますからねと言って、アパートを出る
夕暮れ、川沿いの道。小学生たちの列とすれ違う。黄色い帽子なんてかぶっちゃってさあ
たしかここらへんだと思っていた場所に教会はなく、赤ん坊はけっこう重くて
ビニール袋のひもが指の関節に食い込んで痛い。左右持ち替えつつ歩き、陽は落ちて暗くなり、
腹が減ったので住宅地の一軒の玄関前に買い物袋を下ろし、ピンポンダッシュして逃げる
底の薄いゴムぞうりがぺたぺた鳴って、われながらかっこわりいなあと苦笑いする
吉野家で並に卵とみそ汁をつけて注文する
熱すぎるみそ汁をわりばしでかき混ぜて冷ましながら、女はもう部屋にいねえんだろうなあと思う