「なぜモームスに頼まなかったのか?」
すえた匂いのする店の奥でニット帽をかぶった髭剃り跡の青い男がこちらを見据え
モーニング娘?といぶかしげな声を挙げ、なおも何か言いつのろうとするのを私は
手を挙げて押し留め、とにかく資料が欲しいんだ、いくらかかってもいいと小声で言った。
妻と息子の運命はそれに、モーニング娘の正体を知ることにかかっているのだと
叫びだしたい衝動を抑えて黙り込む私を眺め回した後、古書店の主人は一冊の
黄ばんだ雑誌を取り出し丸めて私のコートのポケットにねじこんだのだった。
雑誌に挟まれていたメモを頼りに千葉松戸の一軒家を訪れた私を待っていたのは
古いスパンコールのガウンを着た小柄な老人で、それから身動きするたび
ガウンから薄片が飛び散る彼を看護する日々が始まったわけだが、私の焦燥は
並たいていのものではなかった。七年前、家に届けられた一枚の招待葉書、
それを持ったまま妻と息子は行方をくらませ、私に残されたのはモーニング娘という
言葉だけだったのだから。会話さえままならず、鼻歌を歌う時だけ異様な凄みを発揮する
その老人の下の世話をしつつ過ごした三年間。四年目の春に老人は死に、墓標を見て
私ははじめて、老人の名が美川憲一ということを知ったのだった。そして遺言として残された
メモには(またしてもメモだ!)、モーニング娘、またの名をモームス、とだけ記されてあった。
長い長い探索。
モームスとは古代英国の名探偵の従姉妹であるということをつきとめた私は英国に渡り
そこで魔術師マーリンの変名であるという噂を聞いてアイルランドへ旅し
パブで詩人マラルメの印度読みがモームスであると主張する篤学の士と意気投合し
マルセイユであり金をすって漁師として五年を過ごし、宋の英雄徐英九のモンゴル名こそ
モームスであるという証拠を得て中国の奥地へ分け入り
そして、そこで一枚の招待葉書を見た。それこそが私の人生を変えた一枚の厚紙と
同じものであり、風雪にさらされほとんどが消えた印刷のなかで
公開録画、という文字のみがかろうじて読み取れたのだった。
(つづき)
長い長い探索。
その果てに、私は東京お台場にある廃墟にいた。
球体がビルの中程に取り付いた奇怪なその巨大建造物に人影はなく
あらゆる用途不明な道具類が廊下に転がり、あるいは傾き
床はキラキラする紙吹雪に溢れるかコールタールでじっとりと濡れていた。
かすかな息遣い。私はいきなりその気配の持ち主のほうへ駆け寄り腕をひっつかむ。
ブルブルと震えるその腕の持ち主はかつての古書店の主人であり
髭剃りで青い頬をひきつらせつつ、モーニング娘はいまこの建物にいる、と語った。
第七スタジオ。そこに私を欺いたこの男が守ってきた秘密、モーニング娘という古代の謎がいる。
私は男を引きずりながら、暗くがらんとしたスタジオへ足を踏み入れ…
………そして、照明がついた。
ぎっしりと詰まった、上気した観客たち。彼らはただ、ステージの方を一心に見つめている。
そして、ステージには、舞い踊る何人も何人もの娘たちがいたが、その顔はどうしても見えなかった。
さあ、これが俺たちの秘密、この廃墟の秘密だよ、と古書店主人はささやき、かるくと私の肩を押す。
観客たちはなぜか私の方をいっせいに見て号砲のような歓声を挙げている。
ステージへ歩き出す私の中に、ひとつの答え、最終的な答えが湧き上がってくるのを私は感じていた。
私が、モーニング娘だったのだ。
いや、違うだろ、と古書店が言った気がしたがもうどうでもよかった。
ステージに上がった私の体に、顔の見えない娘たちが熱く柔らかい手で優しく触れてくる。
二十年に渡って着続けた饐えたコートを脱いだ私は、その下がステージ衣装であることに驚いた。
日本の未来ハー!と音楽が鳴り、エイエイエイエイと不思議な合いの手が身体の底から湧き上がる。
踊りながら観客席に妻と息子の姿を認めて私の目はみるみる涙で潤んできたが
それも次々に流れる音楽のうちに乾いていったのだ。