現代詩フォーラム その2

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9060qyUcHXl:2006/01/17(火) 00:10:48 ID:cyMp8o2c
>>899
何も調べずに言うけど多分ワイルドには革命なんて発想が
なかったんじゃないかな……(笑)

そうこう言い出すと、例えばツバメは自分が死んだあと
王子がすごく悲しむとわかってたと思うけどそうすることでしか
王子のためにすることがなかった
王子についても同じで、ツバメを殺すことでしか
何か、自分とツバメと貧乏人のためにすることを思いつかなかった
というロマンチックな話にも

だから王子もツバメも偉大ではないし、どちらかといえば愚かかも
しれないけどそうした愚かさが俺を泣かす
ふたりとも偉大なことをしたかったんじゃなくて愚かな脳みそから
ひねりだしたできることがああいうことだったので
そうしたところが俺を泣かすという
90715  ◆SnNgRJH4FU :2006/01/17(火) 00:12:05 ID:CRThH2/r
>>904

フットワーク軽いな。
例のまずさ(認めないけど)を指摘しても議論の中心を忘れるだけだろ。

まあ要するに、無駄にラディカルである必要はないよ。
合理的・合目的的なラディカリズムならまだしもね。
90815  ◆SnNgRJH4FU :2006/01/17(火) 00:14:09 ID:CRThH2/r
(時間なので、またね、みなさん)
909名前はいらない:2006/01/17(火) 01:25:58 ID:xPdJBNEA
>>907
そもそもが詩の表現ということに関してという前提があるわけで
まさに適切か正確かというところがスタート地点だったはず
結局最高の詩かいたるぞという破綻した狂信で突っ走るのが
詩人だとしか思えないんだがな。

そういうことでは決して無駄なラディカリズムだとは一切思わないんだけど。
文字通り駄作になりさがればそれだけのハナシだし。
文字通り自粛せず正確に書いたものが劣等だというんなら
とっとと淘汰されてしかるべき人間だってだけの話だ。
910名前はいらない:2006/01/17(火) 01:35:56 ID:/8aRlcud
>>909
それだと、単純なる結果主義に陥る。そして、こうもいえる。
個人の私的利益をただただ追求するものとして「場」を捉えていることになり、
とにかく良い作品さえ作ればいいと、そうなる場合、それは、他の倫理的視点、
場というもの秩序を揺らがす可能性もある。
場というのは、人と人が織り成すものであり、テクストは場によって承認されてこそ、成立する。
投稿されてはじめて、テクストはテクストとしての位置を明確にする。
単純なラディカリズムに陥らないためには、高い倫理的視点に立脚しているという前提がいるか、
テクスト自体が、それを保持しているというものがなければいけない。
つまり、マナーによる要請によって自粛させられるということに対して、反発するのであれば、その
マナーを乗り越える高い倫理的視座に立っておかねばいかない。
つまり、私的利益と公的利益が交わる一点において、ラディカリズムは正当性を持つ。
もちろんこれは、他から見れば、といっても、その他の理解力や、高い倫理的視座に立脚している
ということが読み取ることができなければ、単純な狂信に見えるであろう。しかし、この狂信は単純な
狂信ではなく、より高い倫理的視座に立脚している場合、その時点では認められなくとも、場を巻き込み
、人をより高い倫理的視座にコミットさせることで、狂信は、マナーという権威を揺らがせ、より良い、マナー
を成立させることが可能になるであると思う。

貴方の視座では単純なラディカリズムに陥ってしまう。
911ボルカ ◆TcCutL/5sw :2006/01/17(火) 01:38:30 ID:vghEpYhV
>906
確かにサロメの作者が革命とか言わないかもな(笑。
つーか、そう言われてみれば、王子っていい奴だったような気もする。
後日、もう一度読み直すよん。

ただちっとコメント。
その<偉大でないが、愚かな脳みそからひねり出す>、て感じは無声
(だっけ?)の文章のほうに、ケムリさんの批判文より多く含まれて
いたと僕は感じたよ。

ま、論戦を読んでいる僕らにも、結構主観もあるんじゃないかな。
912名前はいらない:2006/01/17(火) 01:41:02 ID:xPdJBNEA
>>910
そもそもが、詩を投稿する場においても、詩の質の高さという倫理性よりも
場の秩序という倫理性を重んじる場も多いわけだ。そういう場においては
場の秩序を重んじるべきだということかな?

それよりは狂信的に詩を重んじるほか無いだろ。詩人という倫理に従うならね。
913名前はいらない:2006/01/17(火) 01:53:57 ID:/8aRlcud
>>912

質の高さが求められて当然だと思うが、ただ、その質というものが、なんでもありという捉え方
であるならば、それは質が高いとは言わない。また、場の秩序よりも、詩の質が先行している
という理解はあやまりだ。詩の質の高さは、場によって支えられる。貴方の詩が質が高いと承
認されうるには、その場の承認が必要になる。場の秩序ばかりが重んじられ、質の高さが求め
られないというのは、間違っている。秩序があるからこそ、質は、質として成立させられる。
また、ここで問題が出てくる。では、場の秩序が良くない、また、質に対する理解が、悪い、場合
、どうすればよいかという問題になるが、それは、より高い倫理性に立脚し、場の秩序を乗り越え
る必要性がある。

詩人という倫理というものが、それこそ主観的に、据え返されるのは正しくないと私は思う。
なぜなら、詩を投稿し、詩が公表されるのは、場であるからだ。つまり、場と、作品は、切り離せない。
そうなると、場と詩という関係の間に倫理は設定されてこなければいけない。
例えば、単に、徳というものだけが個人にあると考えた場合、それは結局、功利的な形にならざるをえない。
徳が徳として成立しうるのは、個人と他者との関係の間に設定されて始めて成立する。
倫理とは、常に、自分と他者、自分と絶対者というように、何かしらの関係の間に設定されているものだ。
914名前はいらない:2006/01/17(火) 02:03:17 ID:xPdJBNEA
うーんなるほど。だとしてそれは時系列の問題を全く考慮してないね。
段階として理解者が出るまでに時間がかかる場合が多いわけだ。
文字通りケインズの言葉を借りれば、"長期的には誰でも死んでいる"
ということになるわけでね。加えて詩の投稿というジャンルで考えれば
秩序が乱れる、というのがそれこそどういう場の狭さだということにも
なる、これは場の批判にあたるがな。で、そのうえでも場の倫理に
従うかということだな。
915ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 02:21:30 ID:/8aRlcud
>>914

"長期的に死んでいる"からといって、積極的にコミットすることを放棄することは
果たしてよいのかという問題になる。そして、それでもなおコミットしようとする場合
それは、"狂信"としてうつるかもしれないが、意味が無いとは言えない。
私の選択肢は、"もし、世界の終わりが明日だとしても、私は今日、林檎の種を蒔くだろう"だ。

秩序とは、前提として、誰しもがある程度、不快感無く投稿できるような場というものを想定している。
これは、公共施設などが想定しているであろうマナー、ルールからわかる。
つまり、あまりにも表現に自由というものを拡大しすぎて、私的追及のために位置づけ、差別用語や、
卑猥な用語や、他者への誹謗中傷を行うような詩がある場合、それらは、いくら、技巧的にすぐれていよう
とも、倫理的な視座に立っていない時点で、質としては高くない。なぜならば、倫理的視座にも立脚し、
同時に、技巧、発想、それらすべての点で優れている詩の方が、質が高いからだ。
場の倫理を守ることは、自らの詩の質を成立させる役目であり、テクストの位置を明確するためにも必要
であるが、先ほど述べたように、秩序が悪く、質に対する理解も悪い場合、より高い倫理性を掲げて、自らの
テクストを構築する場合、私的利益と公共的利益が重なり合う。これは、自らの利益が、そのまま公共的利益
と重なり合うもので、この場合は、場の倫理には従っていない、よりよい公共的な利益というものを見据えている。
場の倫理に従わず、また、公共的利益にも従わないとするならば、やはりそれは、単純なラディカルに陥ると思う。
恐らく、私が思うに、場の倫理が腐敗している場合、個人はそれを乗り越えようとするだろう、そして、同じように考える
ものがたくさんいるはずだ。いかにして、場に実践的にコミットメントしていくかが鍵になると思う。その時は、論戦になり
対立するかもしれないが、それはしかたがないことだ。それでも乗り越えなければいけない地平を見ることには意味が
ある。

916元構造 ◆/Cej999/v6 :2006/01/17(火) 02:36:38 ID:xPdJBNEA
そもそも倫理性を用語やら表現に求めようとする態度自体受け入れられないね。
もっとも世界がきわめて理想的世界なら差別用語も罵声も一切つかわないで
詩作も言論も必要なくまったりと暮らしていますよ誰も彼も。
世界を理想化したうえでそれにコミットすることを呼びかけたところで
世界が理想的であるという前提をクリアしなければどうしようもない。

マスコミさんの"不適切な言葉でした”なんてそれの典型だろうに。
917ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 02:47:30 ID:/8aRlcud
>>916

逆に、世界を荒廃だとみなすのも誤りだと思う。
実際問題、既存のルールに反発して、運動が起こり、ルールの変革が行われてきたのは歴史が示している。
また、貴方が想定する理想的世界は、本当に、理想だと思う。そんな理想的な世界は、見ていない。
コミットすることで、現状よりは良い現状へと、繋げられる可能性があるから、そうすべきだ。

マスコミの 不適切な言葉でした というのは、それ自体が、権威と切り離せない位置にいるからじゃないから。
マスコミ側も利益追求型の論理に乗ってるから、実際、公共的な利益なんてものにコミットしているかどうか疑問
であるし、疑問であるからこそ、マスコミ自体の精神を変革させるために、私たちがコミットしていく必要があるんだ
と思う。
918ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 03:04:06 ID:/8aRlcud
今日は寝ます・・・・
919元構造 ◆/Cej999/v6 :2006/01/17(火) 03:15:18 ID:xPdJBNEA
どうもなぁ、公共的利益など幻想としか思えないんだがな。
結局社会というものに眼点を置いた上で、個人を救済する術、とか考え出すと
誰もキズつかない社会、ということになるんだろうけど、
その公共的利益とやらを信じている大多数を俯瞰してみると
あーら不思議なことに好き勝手やってる連中ばかりなわけで。
結局その多元的なベクトルを公共的利益への欲求というある種の
ベクトルを放出しているという行為だけで統括しようとすることは、
マズ無理だね。結局は"ぼんやりとした善"に駆られた多数が
これまた多数のベクトルにむけて乱反射する電子がぶつかるように
ぶつかるだけのハナシだ。で、そもそも詩の現状の問題はそれに
かろうじて対処する善として誰もキヅつけない、をもってきてるという
破滅的な状況ですよそりゃ誰も傷つけないがだれも身動きがとれない。
920ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 12:41:10 ID:/8aRlcud
>>919

公共的利益は存在するよー。誰もキズつかない社会なんていうのは、はっきりって無理。
それよりかは、キズついても、何かしらのそれこそセーフティネットにひっかかることが可能である
とか、きちんと違った選択おいて、キズが癒されるというような社会像かな。
いや公共的利益の捉え方を誤っている大多数がいるわけで、例えば、ネットで詩を書いている
大多数の人ですらも誤っているよ。公共的な利益と、私的利益が重なる場は、はっきりいって
難しいよ。個人主義的言説だと、どうしても、社会や、場を、個人が私的利益を追求する場とし
てとらえていて、つまり、社会や、場よりも個人が先行しているという見方をするのね。
そうなると、彼らの理解では、まさに、公共的利益とは、個人が利益を上げることで可能だと
言う、資本主義の初期にあった精神性とかぶってくるんだけど、はっきりいえば、これは間違った
捉え方だと思う。こういう捉え方が可能なのは、社会で言うと、まだ、農村であるとか、グローバル
だとか、国際市場に飲み込まれていない段階では、正しいとされた捉え方だと思う。

そいで、再度、ネット詩という世界において考えると、"そもそも詩の現状の問題はそれに
かろうじて対処する善として誰もキヅつけない、をもってきてるという
破滅的な状況ですよそりゃ誰も傷つけないがだれも身動きがとれない。 "
ここが一番の問題なんだけど、つまり、隣人が何をしていようが、自分に被害が及ばない限り
、変革へのコミットメントを求めないというのは、まさに憂慮する市民(concened sitizen)像その
もの。
921名前はいらない:2006/01/17(火) 12:52:57 ID:/8aRlcud
いい説明文があるから引用します。

「彼らにとって、政治参加とは、市民としての義務の日常的実践ではなくて、
むしろ英雄的な企てである。彼らの政治との関わりは、しばしば怯えから始
まる。公の場で話す恐ろしさ。市役所にいる偉そうで我が物顔の人たちから
恥をかかされる恐ろしさ。それゆえに、彼らにとって政治参加は一種の自己
犠牲であり、家族や近隣の人々、友人たちと平和に過ごす真に楽しい生活を
断念することなのだ。彼らは、しばしば自分たちのことを憂慮する市民と呼ん
でいる。こういった名づけ方に暗黙に示されているのは、人々は受動的に法律
に従って暮らしてさえいればもう十分に善き市民であり、公共的世界への能動
的参加というのは、自分の利益や自分の住んでいる地域共同体の利益に対す
る脅威を憂慮せざるをえなくなってはじめてやることだ、という考え方である」

つまり、この捉え方では、私的利益が始めて脅かされて、という動機から、実践
的なコミットメント移行するがゆえに、どこまでいっても、私的利益の追求になる
し、公共的なものへの参加や政治参加がト自体が、私的利益の追求になってしまう。
この視点からでは、様々な異なった人格、背景を背負った集団や人という多様性を
受け入れ公共的な制度を作り上げていくための原理は何も含まれていないわけ。
つまり、そのような場は、血がかよっていない。
922名前はいらない:2006/01/17(火) 13:12:04 ID:E/okOZLA
いま繰り広げられている議論の、
どこが現代詩フォーラムと関係あるのか
さっぱりわからんぞいw
923ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 13:17:23 ID:/8aRlcud
>>922

ダイナミックに展開しないと、見えない問題もあるんだよ。
924名前はいらない:2006/01/17(火) 13:39:58 ID:/8aRlcud
"そもそも詩の現状の問題はそれに かろうじて対処する善として誰もキヅつけない、をもってきてるという
破滅的な状況ですよそりゃ誰も傷つけないがだれも身動きがとれない。 "

というのに対しての前提問題は、拡大しすぎた個人の権利というもの。そしてなおかつ、道徳や倫理が
主観的であるということで、それらが、外部的な規範であるという認識がないこと。また、個人が場よりも
先行しているという想定と、場は、個人の私的利益を追求する場として捉えているのがあって、はじめて
成立する。道徳や倫理は、個人と他者の間や、個人と場などの間にあるものだと気づけいてない人は
ここに陥る。
925名前はいらない:2006/01/17(火) 13:46:32 ID:KSacMbKp
詩の言葉の意味づけは相対的で無限だから
個別具体的に評価していくしかないんだと思うんですよ、
作品あるいは詩人を…。
自分の言語感覚と社会の言語感覚との「ズレ」を認識しておくことは
詩人として必要なことだとは思いますけどね。
書いた言葉の「責任」は詩人自身がとればいい。
926ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 15:03:41 ID:/8aRlcud
そしてまた、ここで、障害となるのが「見えない複雑さ」という問題。
多くの人は、社会像、または、場というものに「見えない複雑さ」を
感じ、「リーダーシップ」が取れる人を求める。まさに、今の日本だよね。
小泉なんかが選ばれた理由もここにあると思うよ。
これははっきりいって、奴隷制度みたいなものを形成させる。トクヴィルと
言う人の文を引用すると、「秩序だった、穏和にして平和的なる奴隷制度」
というものになる。大抵の人は自らが、奴隷であるということに気づいていな
いわけだけど、「人々の意思を打ち砕いたりはせず、和らげ、曲げ、そして
誘導する。それは行動を強制することは滅多にないが、しばしば行動をやめ
させる。それは何ものも破壊したりはせず、むしろ事が生じるのを未然に防ぐ。
それが暴虐的にふるまうことはけっしってない。むしろ事を妨げ、おさえこみ、
弱らせ、息をつまらせて、無力化してしまうである。」まさにこういうシステムは、
投票制度を廃止したりはしないが、「このシステムのもとで、市民は自分たちの
主人(マスター)を選んでいる間だけ依存状態から離れ、選挙が終わるとすぐに
また元に戻る。」

そして、市民は、多くの責任を、知的専門職に受け渡す。ところが、大方は、私たち
を管理しようとしてるわけ。なぜならば、「成果」というペイオフさえ上げれば、私たち
の社会の富や権力の不均衡なんかに目を向けなくてすむ。現に、麻なんとかなんか
いう大臣は企業買収奨励しとるでしょう。小泉なんか違憲行政審査会に呼んでもら
いたいぐらいですね。
927ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 15:18:35 ID:/8aRlcud
で、まとめ、私が生活しているということは、皆互いに依存しあって生存しているということだ。
そして、これは、否定しようとしても否定しきれない。このような依存の関係を支えているのが
システムやルールやマナーである。社会であると、政府なども入ってくるが。
詩のサイトあれば、マナーやルールによって、依存関係は支えられ、調整されている。
マナーやルールを否定することはできないとして、それらに対して、実践的にコミットしていく
ことで、つまり、公共的なマナー、ルールという形で、多様性を見つめた視点で、責任を受け入れる
とは、このような共同的な場において、存在しているということが、すでに責任を受け入れなければい
けないわけで、ネットのサイトで責任なんてどこにあるの?なんていう奴は、ひどく周りが見えていない
としかいいようがない。個人個人が責任を受け入れ、レスポンシブルレスポンシヴつまり、責任ある血の
通った場を選ぶか、または、管理的専制を選択しなければいけないわけ。
もちろん、管理的専制は、「その享楽を保証し、その運命を監視する責任をただ一人負う巨大な後見的
権力」と呼ばれるものだから、自分が奴隷的であるということすらも自覚できないかもしれない。
また、私たちは同時にシステムやルールやマナーの威信を潰すわけではなく、より良く威信を高めて
いかなければいけないわけ。しかし、この威信を高めるというのも実践的コミットメントによってなされな
ければいけない。つーか、才能ある書き手や、注目あびてる奴どもが、もっと明確なスタンスを打ち出せ
ってことだよまずは、誰も動けないのなら、まずは、注目を浴びてる奴ら、信用あるもの、影響力ある者
が何かやるしかなくなるわけ。期待されているものたちがやらなければいけないのよ。
絶えずルールやマナーは検討されて、より高い倫理的視座に立脚した視点でやる必要性があるのよ。
てめぇらは、すでに責任を問われる側にいるんだよ。他人に干渉しないが、私も干渉しないというのは
誤った理解だぜ。拡大しすぎた個人の権利の馬鹿げた風潮だっての!

あぁ、まさに俺は今狂信じみてるがかまわんよ。
928ikaika ◆YffIGX9Bno :2006/01/17(火) 15:31:18 ID:/8aRlcud
テクストが生れ落ちる場、それは、私たちが産み落とされる社会と同じだよ。
私たちは場に支えられており、場によって承認され、認められる。あらゆる資格は
公的機関を通すことで認められるように、それはつまり、我々は、社会に生れ落ちる
と同時に、場というものに対して、公共的利益について考えなければいけないんだよ。
サイトで詩を投稿することそれ自体が、すでに公共的利益を見据えなければいけない
という責任を受け入れなければならないんだよ。私的利益の追求の場として、みなす限り
繋がりなんて成立しないぜ。そこにはあるのは、どこまでいって孤独の牢獄だ。そういう
破壊的帰結はもうやめにしようじゃないか。フォーラムや詩の世界という小さな場ならまだ
まだ、簡単に行えるはずだ。それこそ、社会という複雑で、多様なものよりは、マシだ、そん
なものに対しても、何も行えないということ自体が、致命的なんだよ。

なまぬるいいい子ちゃんはいらねぇ。なまぬるいやさしさもいらねーよ。だからいつまでたっても、
ポイント制がどうだとか、馴れ合いだとか、嘆くしかなくなるんだよ。嘆き上げる暇があったら、一度
でも、立ち向かえよお前らよ。フォーラムでテクスト構築して、ぶちこめばいいだろうが。ポイント制
自体が変わらなくても、ポイント制に対する理解は、変えられるはずだし、馴れ合いに対しての形態
も変えれるでしょう。まぁ、どうせ、こんなこといっても、趣味ですからとかいって終わるんだろうけど、
そこが結局、個人主義的言説で、欝になったり、神経過敏になったりして、ストレスにさいなまれる
原因になるんだけどね、破壊的帰結の中で溺れて、あぼんするぐらいだったら、違う選択を選べよ。
いつまでも、ウジウジいってんじゃねーよ。ナルシスティックに、馬鹿げた宴は、もう飽きてんだろ。
疲弊して、どこまでいっても表面的な付き合いにも飽きてんだろが、それで憂鬱ですとか欝ですとか、
てめーらが招いた結果だろうが。
929名前はいらない:2006/01/17(火) 16:47:10 ID:KSacMbKp
14行くらいにまとめてくれないかな。
930名前はいらない:2006/01/17(火) 16:48:49 ID:KSacMbKp
現代詩フォーラムは卒業しろと言いたい。
931名前はいらない:2006/01/17(火) 18:01:05 ID:CGFnkJQe
要約すると、
「みんなボクの思うとおりに動かないんでクソだ」ってことですか?
932名前はいらない:2006/01/17(火) 18:06:31 ID:E/okOZLA
アホくさ。
933名前はいらない:2006/01/17(火) 19:14:37 ID:w2iIcS/K
フォーラムに長くいると馬鹿になるからな。
934名前はいらない:2006/01/17(火) 19:36:44 ID:qaBeRPVe
批評・散文のカテゴリーに投げ捨てられた屑みたいな文章をなんとかしてくれ。
そろいもそろって詩のことばっかりで吐き気がする。
もっと他に書くことないのか。
935名前はいらない:2006/01/17(火) 22:08:05 ID:BVLhf1Gn
>934
八百屋で肉を買おうとするバカはっけそ
936名前はいらない:2006/01/17(火) 23:28:12 ID:z1MxsGsE
批評・散文のカテゴリーに投げ捨てられた屑みたいな文章をなんとかしてくれ。

って、読まなきゃいいじゃん。
937名前はいらない:2006/01/18(水) 00:16:59 ID:htivyinq
イカとかもういいわ。
938名前はいらない:2006/01/18(水) 00:22:44 ID:bvttSWgm
RTにて「自称ねらー」が2人で会話してて痛くてたまらん。
ここも見てるんですか?
939名前はいらない:2006/01/18(水) 01:19:15 ID:biaeI7BB
>>933
それ名言かも。。

人間に私的利益の追求以外の行為をすることができるんかいな。。。
940名前はいらない:2006/01/18(水) 01:21:03 ID:R1dU3WeU
>>939

公民権運動、ベトナム反戦運動、その他もろもろ。
941名前はいらない:2006/01/18(水) 03:04:24 ID:F02XpsBo
>>938
ああ、ありゃかなり痛かったな。
つか、
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=2621
詩としてダメダメな上にこんな力説されても。
詩極に愛想尽かして流れてきたらしいが、こりゃあ。。。
942名前はいらない:2006/01/18(水) 03:47:45 ID:dVoVYHDg
>>941
ロールケーキとかひどいな。寒いっつの。
943名前はいらない:2006/01/18(水) 06:51:05 ID:0LhQjOLv
人とネズミと…っていう詩のコメント怖い
944名前はいらない:2006/01/18(水) 08:24:03 ID:biaeI7BB
>>940

そないな運動も差別やら戦争やらのない社会に
住みたいなあいう個人的な欲求から始まる
945名前はいらない:2006/01/18(水) 08:36:18 ID:R1dU3WeU
>>944

マズローの話知ってるかな。夜と霧だったっけこの話はたしか。
収容所で、一日一個だけ収容されている人々にパンが配られるのだけど、元気なものは
そのパンを病人の枕元においていく。そう自分のパンをね。もちろん、収容所であるから
過酷な労働を迫られているし、本人たちも腹減ってるけど、おいていくわけ。
まぁ、マズローはこういう体験から、自らの心理学をぶちあげていったんだけどね。

これは、私的利益の語彙では、語れないよねぇ。
946名前はいらない:2006/01/18(水) 13:48:05 ID:1dc+qzN1
「個人主義→私的利益の追求」と括るikaikaの発想がよくわからない
「個人主義=自分の利益しか考えない主義」とでも思っているのだろうか
まさかそんな短絡的な発想をあの博識なikaikaさんがするわけないので
やはり俺の読み違いなのだろう
947名前はいらない:2006/01/18(水) 16:48:40 ID:Sil/A8Hs
>>944
色んな人が欲求の理論を出してるけど
基本は生理的(下位)の欲求が満たされるとより上位の社会的欲求
所属とか愛とか真・善・美などを満たしたいと思ってくるというヤツだよねニーズ論とかね
948名前はいらない:2006/01/18(水) 17:00:08 ID:fDhbUen2
>941
いろんな意味でイタイ。
てか最近RTで詩極から流れて来た云々言ってるのは
たいてい見ていてどうかと思う内容の会話。
つか詩極仲間で話したいのならメッセ使えよ。
949名前はいらない:2006/01/18(水) 19:48:13 ID:7ZU17jMZ
サイトの日記を見ている限りでは、ここも見ているらしいっすね。
主張の内容も文章の幼さもRTでの振舞いもかなり痛いんですが、
まず何より基本的に、つか根本的に、
詩が酷く出来が悪い。。。

頑張ってね36歳。
よく地方紙の「10代ポエム」みたいなコーナーにこういうのあるよね。
950名前はいらない:2006/01/18(水) 23:17:54 ID:0PS3fpTD
雑談スレの佐々と古島も、相当イタいぞ。
951名前はいらない:2006/01/18(水) 23:34:04 ID:58HUYiMe
佐々のイタイところは
自分自身がどこにでもいるよくあるタイプだと気づいていないところだな
952 ◆Pnkji6mAMc :2006/01/19(木) 10:59:54 ID:t7hkwVJm
現代詩フォーラム その3
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/poem/1137635938/

次スレたてておいた。ちとはやいかな
953名前はいらない:2006/01/20(金) 03:47:05 ID:eEvVawty
>他人に干渉しないが、私も干渉しないというのは
>誤った理解だぜ。拡大しすぎた個人の権利の馬鹿げた風潮だっての!

じゃあ言ってみるか。イカ君は脳が可哀想なことになってる気の毒な人で
何の疑問もなく不幸だから。みんな彼に優しい社会にするために、色々考えてみよう。
と俺は提案するよ。不幸じゃないとイカ君が言うなら、彼の語彙の理解が足りない。
954名前はいらない:2006/01/20(金) 04:09:29 ID:eEvVawty
ところで、イカ君は語彙にこだわるようだから、ちょっと解説しとく。長文失礼。
「個人主義」ってのは、individualismとprivatismがあるんだよ。
individualismってのは、規律を己の内に持つということ。
国家の倫理と個人の倫理が食い違った時、それに抗うのも個人主義。
徴兵拒否やベトナム反戦、あるいは差別への反抗なんかもね。
その行動が個人のものでなかったとしても。
privatismってのは、もっと広義。生き方のスタイルや個人的性向を貫き、
主張すること。こっちは、例えば老子なんかが近い。レイシズムにも近い。
こっちがイカ君の言う個人主義者像に近いかな。でも、これはケムリ君には当てはまらないぞ。
彼が、君の主張に反論した時点で、それはこの個人主義者像から離れることになるから。
とするならば、individualismに対する批判になるが、これだと色々な物を同時に批判することになる。
「個人主義」って言葉を好き勝手に使い過ぎじゃないか?それはそれで大事なものでもあるんだよ。
955名前はいらない
ちょっと言葉が足りないかな。
ケムリ君はイカ君の「不幸」と自分を決定付ける倫理観に異を唱えたわけだから
これは倫理観の衝突になる。こういう主張はprivatismのものではない。
そもそも、privatismの信奉者は反論などしない。一方的に生き方のスタイルを提示するだけに留まる。
価値観の相違に対して異を唱えるのはindividualism。
「黒人は劣等人種ではない」とか「ベトナム戦争は間違っている」とかね。
「タクシードライバーや学費の自己負担者を一概に不幸と括るべきではない」っていう
ケムリ君の主張はほぼindividualism。