サグラダファミリア

このエントリーをはてなブックマークに追加
198名前はいらない
何かを創るときに使うエネルギーというのはどうもかなり種類が似ている。

詩がいったい何を記述するかといえば、どんな種類であれ、エネルギーなのだとすると、創る行為そのものがすでに詩である。

垂直方向のエネルギーを記述しようとした田村の言っていたことはなんとなく、そういうことに近い気がする。
深度を得るということは、創作の精度を高めて、高めて、さらに次の何かに手を伸ばそうとする行為に似ている。

そして詩は、さらにその手を超えて飛び出していく瞬間に、色濃く立ち昇る。
199名前はいらない:2007/07/20(金) 10:39:04 ID:4h1kWsC7
金曜日の青ピーマン
尖らない鉛筆の先っちょで
膨らんだ水風船の腹を押す

明日からはお休みで
学校は眠りについて
笑い声の記憶にまどろんでいく

廊下の本棚の辞書が流す涙は画数の多すぎる漢字
期限が切れたポスターの色あせた写真に
キスをしてまわって
上靴がかたっぽう
ロッカーに

運動場のたつまき

200名前はいらない:2007/07/20(金) 10:40:13 ID:4h1kWsC7
「エンドルフィン」

イルカ
海で
コドモ
きゅうきゅうと
赤子が
腹の下の乳首を吸い付いた

きゅう

きゅう

きゅうきゅう

海が鳴いて、乳がとろけて、産褥の血が青く染まった

201名前はいらない:2007/07/20(金) 10:41:31 ID:4h1kWsC7
「月影」

煌々と照らし出す砂原に濃い月影を造りだし
一人の老人が杖を突いて歩む
影は彼の足元から、斜め後方に延びて
砂原の起伏に翻弄されてダンスを踊る
ざくっ、ざくっ と歩む老人の足元で
彼が踊っているのは
生きられることがなかったひとつの人生の歌だった