無 音 独 奏 第2楽章

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397名前はいらない
『302号室の詩人』


詩人は聾唖であった。
他人と会話するときはにも持ち歩いている手帖に「筆談願います」とねがいでるのであった。
詩人は其れが情けなく恥ずかしくて極力人との会話を拒むようになってしまった。
詩人の病室は孤独であった。恋人は勿論、、家族、友人、親類などが訪れると言うことはなかった。 
マァ、肺炎を拗らせただけであったのですぐに退院が出来るのだろうという思いもあったのだろう。

詩人は部屋一面をみわたして深く溜息をついた。
(俺みたいな人間は詩の道を選んではいけなかったのかも知れない…)

感傷に浸ってしばらくすると部屋の様子の可笑しいことに気がついた。
空気の温度が違う。湿度が違う。埃の舞い上がり方さえも・・・。

何かが、何かがこの部屋にいるのだ。

然し詩人は聾唖だったためじっとその様子を感じているばかりであった。
ひっそりとした沈黙がつづく。
ひっどりといっても完全なる静寂ではない。

誰かが居るのだ。誰か。誰か。誰かが・・・!
398名前はいらない:2005/08/10(水) 19:35:01 ID:iE/sEt0i
ベットの下で音がした。
詩人はベット下をすぐさま覗き込みその正体を掴んだ。

まだ4,5才ほどの子供であった。
パジャマを着ているところを見ると入院患者のひとりであろう。

詩人は手帖に大きく「此処は遊び場ではないよ」と書いて少年に突きつけた。
すると少年はベットしたから這いずりだしたかと思うと詩人のベットの隣の椅子に腰掛けた。
そうしていった
「いつもそうなんだ、ちゃんと座って食べなきゃいけない。寝っ転がりながらの方がテレビも見れるしいいのに。」少年は子供用のスリッパををパタパタさせながら意見した。
其れを聞いた詩人は何か言いたかったが言葉を生まない口を噤んだ。

少年はおおきな水色の瞳で詩人を見上げた
「おじさん、ここでなにしてるの?」詩人は仕方なくペンとメモ帳をとり「肺炎」と大きく書いた。
「はいえんって死んでしまうの?」少年はすぐさま質問してきた。
詩人は解りやすいように大きな字で返答した。
「いや、わたしの病気はもう間もなく治るところだよ。」
「外に出れるの?僕ずっとここで暮してるんだよ。おじさんいいなぁ。」
少年はウットリした表情でスリッパをぱたぱたさせた
399名前はいらない:2005/08/10(水) 19:36:15 ID:iE/sEt0i
「おじさんはふつうはなにをしてるひと?」つ聞かれたが詩人は敢えて答えなかった。
そうして詩人は逆に聞き返した「きみはなぜここにいるのかい。」
少年は何の躊躇いもなく答えた。「よくわからないけど植物人間になるためだよ!」
詩人は酷く驚いた。
「植物人間は腕が伸びて悪者のクビを締めるんだ!きっと強いさ!」

詩人は手帖と、ペン、それから少年の手を引いて少年の病室に向かった。
ベットの傍らで椅子に腰掛け疲労した母親らしき女性が眠っていた。

「かぁさん!かぁさん!僕のあたらしい仲間なんだ。」
少年は母親を揺り動かし母を疲労の眠りから連れ戻した。
母親ははっとしたように詩人に頭を下げ「どうも、すみません。退屈ばかりしていたものですから…」
とそれなりの侘びを入れた。
詩人は片手で母親を静止させメモ帳に「全く構いませんよ。楽しい時を過しました。」と書いた。
「あなた口が…」そこまで言いかけて母親は口を噤んだ。
「大変失礼を存じながらお聞きしますが息子さんはどういった病気で?」メモは続いた。
母親は病名こそ明かさないものの「ひどいものです、もう、手当ての打ち所はないのです…おお、神よ!」母親はそう言ったきり啼き崩れた。
400名前はいらない:2005/08/10(水) 19:37:36 ID:iE/sEt0i
翌朝の診断で詩人の退院日が決定した。
詩人はその診断から一昼夜掛けて詩を綴った。

背広を着て荷物を纏めている詩人を見つけて少年は酷く哀しい表情になった。
詩人はメモ帳を少年に手渡して手を振って去っていった。
少年はしばらくその場に突っ立っていたが、詩人の部屋へ向かった。

「ぼくのびょうしつをのぞいてごらん。」

扉を開くと其処は一面、空が広がり花も競って美しく咲いていた。
絵の具のニオイのする部屋を少年はぐるりと見て回っていった。
「あっ」と気付くと少年はそっと壁に近づき咲き誇る花をよぉく見た。
おおきな花の花弁には詩が書いていた。
空の雲にも、動物にも、優しく柔らかな詩達が書かれていた。

少年はいつも笑っていたし泣くのも体の痛みによってのものだったが
生まれて初めて心からの幸福で涙を零した。

母親が捜しに来るまで、少年は詩人のいた部屋で過した。