1 :
雨里:
少し疲れたのかな・・じゃあいつも疲れてるな。
なんのやる気もでない。なんの音もきこえない。
なにも見たくない
なにも聞きたくない
なにも信じたくない
なにも知りたくない
なにもみえなくなっちゃえばいいのに
なに聞こえなくなっちゃえばいいのに
みんな私を通さなければいいのに
嘘も、欲望も、悲しみも、苦しみも、悲しい音色も、光景も、
人も、私も、
そんなこと考えてたら、突然眠くなった。
2 :
名前はいらない:2005/05/28(土) 15:41:05 ID:flMMyIsy
2getなんてしたくなかった…
3 :
名前はいらない:2005/05/28(土) 16:01:10 ID:o+Smr+Sm
いいんだよ。
4 :
雨里:2005/05/28(土) 16:49:12 ID:AeDo5yQh
こんにちは!5月ボケ最中・・・学校いるときなんて結局こうしか思えないんだよね。
5 :
名前はいらない:2005/05/28(土) 17:05:09 ID:cIz88E+K
まだ学校行ってるの?
えらいね・・・
6 :
名前はいらない:2005/05/29(日) 00:03:03 ID:BHzX1qg4
ネ〜
7 :
名前はいらない:2005/05/29(日) 17:22:37 ID:6w084lSb
幸せって何?
8 :
名前はいらない:2005/05/30(月) 13:38:41 ID:Yim+MTFl
何にも感じないこと
9 :
名前はいらない:2005/05/30(月) 16:01:38 ID:gkaHD66J
生きるって何?
10 :
名前はいらない:2005/05/30(月) 17:43:31 ID:KRIebrdE
自分自身 自分のために
11 :
名前はいらない:2005/05/30(月) 23:10:31 ID:KRIebrdE
私達は生きてる
12 :
名前はいらない:2005/05/30(月) 23:29:33 ID:d8pBoHub
詩人はおのれの体験に対して無恥である。
彼はそれを絞れるだけ搾り取る。
13 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 16:02:00 ID:wgf5f6ol
そしてガリガリなり不幸なまま死んでいくのか
14 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 22:29:27 ID:qJHVuRuU
死をどれだけ美しく飾れるか。
それが生きる事ですよ。
15 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:00:00 ID:HlFN8Srg
死はじぶんの消滅。自分が他者へ変貌する橋。死を飾ろうとすることは他者を飾ろうとしていることに近い。
なので顔を愛することは死を愛することに似てる。鏡を覗くと死んだ自分がみえる。
16 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:08:52 ID:HlFN8Srg
醜い顔を覗き込む。顔への執着が鏡から僕をはなさないのか、死への憧れが僕を鏡のまえに立たせるのかはわからない。
17 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:11:35 ID:qJHVuRuU
消滅など出来ないから。
美しくなろうとするんです。
死は愛でしか飾れない。
18 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:11:36 ID:HlFN8Srg
愛する人を愛するのはたいへんだ。自分を愛さなければ愛情はないものとおなじだから。
19 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:15:10 ID:HlFN8Srg
どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない。だったっけ。
20 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:16:30 ID:qJHVuRuU
自分への愛は誰もが持っています。
忘れているだけで。
生で愛を重ね。死で返還されるのです。
それが死を飾る事です。
21 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:17:17 ID:HlFN8Srg
おなじように考えるとどんな真実も疑いよりも高くとぶことはできない。
22 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:19:41 ID:HlFN8Srg
無関心を決め込む世界。それを演じさせるのが命。
23 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:22:14 ID:qJHVuRuU
>>21
人は飛ぶ為のものでは無いです。
高い疑いよりも真実の近くを歩めばいいだけです。
そして疑いよりも高い許しが愛なんです。
24 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:23:14 ID:HlFN8Srg
寂さんは幸せになれるだろうか。
そのためなら百万遍炎に焼かれたってかまわない。
25 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:25:38 ID:HlFN8Srg
半分嘘半分本当。よく彼が言う言葉。
疑いばかりに囲まれてるのか。
偽者ばかりだ。よく彼が言う言葉。
本物がいないという疑いは悲しいですね。
26 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:27:01 ID:HlFN8Srg
僕がいう言葉も半分嘘ぐらいにおもう。
27 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:28:09 ID:HlFN8Srg
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
ブヒ。
28 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:29:57 ID:HlFN8Srg
>>23 そうですか。
ろくな受け答えができなくてすいません。
29 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:33:38 ID:qJHVuRuU
>>28 御気になさらないでください。
私もお節介が過ぎた気もしていましたので。
30 :
名前はいらない:2005/05/31(火) 23:34:18 ID:HlFN8Srg
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
隠ぺい工作
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
隠ぺい工作
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
隠ぺい工作
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
にゃーにゃー
隠ぺい工作
あがれ あがれ
>>29 ごめんなさい。
31 :
名前はいらない:2005/06/01(水) 05:07:40 ID:i9cSpzqM
どこにもぶつけられない程の自己愛は苦しい
鏡を見てるとそこに穴が空いてそのうちどんどん何かが抜けてく
虚ろな目の女が居て、鏡を叩き割りたくなるそれだけが生きる意思で
自身でなければ抱き締めてあげられたのに
あなたの見る死の形にも私は似ているのかも
32 :
名前はいらない:2005/06/01(水) 05:23:12 ID:i9cSpzqM
服も顔も取っ払ってしまった時
それでもあなたかあなたでないかだけを気にする私は
何を求めているのだろう
33 :
名前はいらない:2005/06/01(水) 05:38:15 ID:i9cSpzqM
あちらこちら行き過ぎて、間違えて よく解らなくなったけれど
服ごっこ辞めても、皆同じで消えてしまう訳ではないんです
私にとってあなたは宇宙 生そのもの
34 :
名前はいらない:2005/06/01(水) 06:19:40 ID:i9cSpzqM
生と呼ぶのも変だけれど
35 :
名前はいらない:2005/07/08(金) 20:10:58 ID:HhfkvlyQ
停留所
一つだけ認めて欲しい
私は本当に最後まであなたを諦めなかったこと
だからこそ壊れたこと
気持ちを疑われるくらいなら殺されたほうがいい
それくらい待ってたんだよ
36 :
名前はいらない:2005/07/11(月) 21:37:04 ID:QkzROG9X
もうほんの少し、決定打があれば潔く死ねるのに・・・
37 :
名前はいらない:2005/12/03(土) 22:10:04 ID:XC01ii7A
死んだらダメよ。
38 :
名前はいらない:2006/01/11(水) 00:34:34 ID:4PapRnIx
もっと下衆にならないとたぶん潰れる
39 :
名前はいらない:2006/01/14(土) 02:33:44 ID:ol0ppxwI
すべてを見通す目がないと下衆になることを避けられそうにない。
でもいい。どうせ下衆は下衆。しかたがない。そうおもう。そうおもえない。
40 :
名前はいらない:2006/02/12(日) 13:42:38 ID:XC5x/p12
深く怠惰な瞬間は、最高の幸福。
深すぎるなあ、と思うときは、遠方を見ると良い。
川の向こう側とか、海の果てとか。
「どーにでもなればいいのよ」そう言って
あいつは消えた、人ごみのなか。
42 :
名前はいらない:2006/03/10(金) 23:18:35 ID:3aEnDLgX
どうにでもなれば良いと言いながら
自分を守ってしまう自分が。。。。ここに居る。
43 :
Mana魔名:2006/03/11(土) 13:45:47 ID:+V/qK5gQ
たどたどしい言葉で幸福を語る男が居る
もうじき迎えが来るからと空を仰いで
君にも見えるかと薄ら笑いを浮かべている
何でも深く考え過ぎるのが悪い癖だと
昼も夜も説く男の姿に絶望の奥底を見た
君ならわかるだろうと何度も呟く男は
離れ離れになった魂を集めているのだと
はばかることなく方々に放言していて
白い闇の果てに世界は呑みこまれると
苦い表情で今日も幸福を語る男が居る
44 :
名前はいらない:2006/03/31(金) 00:23:02 ID:Daj0JuqD
45 :
名前はいらない:2006/04/02(日) 00:03:02 ID:u4Ia8VKC
46 :
名前はいらない:2006/04/02(日) 21:52:01 ID:Lc6Rotph
いつもながら、面白いな、タテ詠み。
48 :
hana太:2006/04/07(金) 14:45:54 ID:BFdnILxX
たてたてよこよこまるかいて ふたりはしあわせ南〜無
だって
あなたのすべてを
いっぱい
しりたくて
てみじかにいうゎ
ルックスよりも心なの
。
49 :
名前はいらない:2006/04/09(日) 22:51:34 ID:IeH/HOZ6
50 :
名前はいらない:2006/05/05(金) 14:47:49 ID:a2xDELCG
自己主張が
自己主張を
自己主張ばかりしているよ
どーにでもなればいい
そんなもの
51 :
名前はいらない:2006/07/11(火) 02:31:52 ID:99Hur+jx
自分について敏感になることと
誰かにとって鈍感になることとは
同じくらいに たやすい
あるいはそれは、物事を見る角度を変えただけの
同一の現象に対する、違った表現なだけだと言えるかもしれない
私たちは常に 安易な方向に流れやすいものだ
自分について鈍感になり
誰かにとっての敏感さを身につけることは
そうそうできることではない
それができたと思った瞬間が
まさに自意識の美化であるという 落とし穴が
必ずと言ってよいほど存在するからだ
それでも
私は どうにでもなればいいと
思っていられるだろうか
52 :
名前はいらない:2006/09/22(金) 23:46:23 ID:xSd9nWk3
それコピペ荒らしだと思うよ。
どーにでもなればいいのよ
後で取り戻したくなるくせに
季節の変わり目の風邪の様に
時折どうしようもなく捨てたくなるのよね、
場所とか、名前とか、自分とか、楔を打ってる色々を。
後で必死になって回収して、
しかし一部を取りこぼして、
失いきってしまったものは何だったのかも思い出せない。
忘却ゆえ痛みが伴われないなら
どーにでもなればいいのよ
54 :
名前はいらない:2006/12/02(土) 00:15:46 ID:E6rT1mxn
イラっときて反射的に返答したのは失敗だった
しかもよりによって陰謀と策略渦巻くあのスレに
これから事件が起きる度に犯人だと疑われる可能性が高くなった
見ざる聞かざる言わざるがここで平穏に暮らす一番の方法なのだろう
ああ、本当にメンドクサイ板だこと
もうどーにでもなればいいのよ
55 :
名前はいらない:2006/12/04(月) 18:17:50 ID:NLhGR20c
約束
それがないと不安だと言う
約束で心を縛っておかなければ
信じられないと言う
君は何を望んでいる?
君は私の何を見てきた?
そんな約束
どーにでもなればいい
どーにでもなればいい Zch
57 :
名前はいらない:2007/07/07(土) 02:09:13 ID:GdV+9PBF
あげ
58 :
idiot29:2007/07/09(月) 22:19:17 ID:6LpkbFfc
後ろ手で貴女を殴る
歪むのは
顔じゃない
中じゃない
もっと違うこんな空気
選んだのは私じゃない
望んだのは私じゃない
それでも歪むのは
こんな空気
59 :
名前はいらない:2007/08/22(水) 21:31:26 ID:55zGfT1g
60 :
名前はいらない:2007/09/03(月) 23:22:23 ID:74Dz8M0i
どーにでもなればいいのよ
って面白い
まったくこの世界にも飽きたので
どーにでもなればいいのよ
とか
よろしくいいかえるなら
もう生きてなくても良いかな
どーにでもなればいいのよ
ってな感じに
青竹のごとくつぶやくなら
すかさず
これまた退屈
直球勝負のひとが
じゃ死ねよ 今すぐ死ね
氏ねじゃなく まごうこなく
リアリんこに死んじまえ
とか応えてくれるのかなあ
反応に反応が応え
生はひたすらに生を求める
では死とは?
もう君の返事を待たないということ
この言葉のゆくえをぼくは追わない
61 :
名前なし:2009/10/08(木) 22:00:06 ID:buIQB4WE
第二帝政式サロン。マントルピースの上にブロンズ像。
第一幕 ガルサン、客室ボーイ
ガルサン (入ってきて辺りを見回す)じゃこれだね。
ボーイ これでございます。
ガルサン こんな所か……
ボーイ こんな所で。
ガルサン こう……こういう家具類にも、そのうちには慣れるだろうね。
ボーイ お人によります。
ガルサン どの部屋もみな同じなんだね。
ボーイ どういたしまして。当地へは中国の方もインドの方もいらっしゃいます。第二帝政式の椅子なんか、そういう方に、何のお役に立ちましょう。
ガルサン 俺だってそんなものどうするもんか。俺が何者だったか知ってるかい。いや、そんなことはどうだっていい。
つまり俺は好きでもない家具の中で、変な立場に立っていつも暮らしていたんだ。
ルイ・フィリップ式の食堂で変な立場に立っているってこと、君、何とも思わんかね。
ボーイ まあ見ていてごらんなさいまし。第二帝政式サロンも悪くはございませんよ。
ガルサン そうかね、うむ、まあいいさ。(辺りを見回す)それにしても、まさかこんな所とは思わなかった……
君だって知っているだろう、娑婆ではどんな風に言っているか。
ボーイ 何をでございます?
ガルサン だって……(辺りを大まかに示して)ここのことをさ。
ボーイ あんな馬鹿馬鹿しいことを、どうして信用できますものか。
ここへいっぺんだって足を入れたことのない人間です……つまり、ここへ来たが最後……
ガルサン そうだな。
(二人笑う)
ガルサン (また急に真面目になって)どこにあるんだ、焼き串は?
ボーイ は?
ガルサン 焼き串に焼き網に革のじょうごは?
ボーイ ご冗談でございましょう。
ガルサン (相手をじっと見て)ああ、そうか。いや、俺は冗談を言ってるんじゃない。
(沈黙。歩き回る)姿見もないし窓もないな。ごもっともだ。こわれものは一切なしか。
(急に激しく)なぜ俺の歯ブラシを取り上げたんだ。
ボーイ そら来た。また体裁が気になり出しましたね。大したことでございますよ。
62 :
名前なし:2009/10/08(木) 22:02:09 ID:buIQB4WE
ガルサン (怒って肘掛け椅子の肘を叩きながら)ずけずけ言うのはよしてくれ。
俺は自分の立場をよく知っているが、我慢ならんよ、君がそんな……
ボーイ どうも失礼申し上げました。でも、お客様は皆さんと同じことをお聞きになります。
おいでになるとすぐ「焼き串はどこにある」。その時は、身だしなみのことなんか、無論考えてはいらっしゃいません。
ところが、いったん安心なさいますと、すぐ歯ブラシ、でございます。
しかし、よく考えてはいただけませんか。結局、何のために歯をお磨きになりますんで?
ガルサン うむ、なるほど、何のために? (辺りを見回し)何のために鏡に姿をうつすのか。ところがあのブロンズ、うまく考えたもんだ。
……俺には今に精いっぱい見つめる時が来る。精いっぱいだよ。おいおおい。何も隠すことなんかありゃしない。
俺は自分の立場を何から何まで知っているんだぞ。どういう風に事が運ぶか言ってやろうか。
大将、息がつまる、沈んでいく、溺れそうだ。大将の目だけが水の上にある。ところで一体何が見える?
模造のブロンズ。物凄い! おい、君はきっと返答することを止められたんだな。じゃあもう言わない。
ただ、俺は嘘を吐かれたりはしないってことを忘れずにいてくれ。俺は状況を直視しているんだ。
(再び歩き出す)じゃ、歯ブラシはなし。ベッドもなし。決して眠ることがないからだね、無論?
ボーイ はあ。
ガルサン そうだろうと思っていた。どうして眠れるもんか。頭の後ろへ、じんと眠気が襲ってくる。
目の塞ぐのが感じられる。だがどうして眠れるもんか。長椅子の上に横になると、ふーっと眠気がなくなってしまうんだ。
そこで目をこすって、また起き上がらなきゃならない。そしてまた全てが始まるんだ。
ボーイ なかなか空想家でいらっしゃいますね!
63 :
名前なし:2009/10/08(木) 22:03:25 ID:buIQB4WE
ガルサン 黙りたまえ。俺は喚きもしない、泣きもしない。ただ状況を直視したいんだ。
俺がその正体を見届けないうちに、後ろから不意に襲い掛かられたくないんだ。これでも空想家か?
じゃ、眠る必要さえないというんだな。眠くなければどうして眠る必要がある? まさにしかりさ。
しかしちょっと待ってくれ。眠らないことはなぜ苦しいんだ? なぜ苦しいと決まっているんだ?
ああ、分かった。それは切れ目のない生活だからだ。
ボーイ どういう切れ目でございます?
ガルサン (鸚鵡返しに)どういう切れ目? (胡散臭そうに)こっちを見たまえ。きっとそうだと思っていた。
君の目つきのぶしつけな、我慢ならない無作法さがそれで分かったよ。いや、確かに退化している。
ボーイ 何のことを言ってらっしゃいます?
ガルサン 君のまぶたのことさ。俺たちは、まぶたを動かしていた。まばたきという奴さ。ちかっと黒い稲妻が走る。
幕がおりて、またあがる。それで切れ目ができるんだ。目が潤む。そして世界が消えてしまう。
それがどんなに気持ちのいいことだったか、君には分かるまい。一時間に四千回の休息。四千回の短い逃避さ。
しかし四千回といっても……じゃ、これから俺はまばたきなしで暮らしていくのか。
君、とぼけちゃいけないぜ。まぶたのないのも、眠りのないのも同じだ。俺はもう眠らない……
しかし、どうして我慢できるだろう。分かってくれ、分かろうと努めてくれ。俺はこの通りものに逆らうたちだ、で俺は……
俺はいつも自分に逆らってばかりいる。でも俺は……その別に自分に逆らっちゃいられない。
娑婆には夜というものがあった。俺は眠ったんだ。俺の眠りは安らかだった。昼間の代償さ。
俺は単純な夢を見た。牧場があった……牧場が、それだけさ。俺はその牧場の中を散歩している夢を見たんだ。今は昼間か?
ボーイ お分かりでしょう。電灯がついております。
64 :
名前なし:2009/10/08(木) 22:04:18 ID:buIQB4WE
ガルサン 驚いた。これが君の方の昼なのか。では外は?
ボーイ (仰天して)外と申しますと?
ガルサン 外さ! この壁の向こうさ。
ボーイ 廊下が一つございます。
ガルサン 廊下の端には?
ボーイ 他の部屋に他の廊下、それに階段がございます。
ガルサン それから?
ボーイ それだけでございます。
ガルサン 君、休暇の日はあるだろう。どこへ行くんだ。
ボーイ ボーイ長をしております四階の伯父の所へ参ります。
ガルサン なるほど、それに気がつくべきだったな。電灯のスイッチはどこ?
ボーイ スイッチはございません。
ガルサン じゃあ何か、明かりを消すことはできないのか。
ボーイ 帳場の方で切ることもできますが、このフロアでは、ついぞ消したことがないように存じます。電気は使いたい放題で。
ガルサン なるほど。じゃ、目を開けて生きてるんだな。
ボーイ (皮肉に)生きると仰いますと……
ガルサン そういちいち言葉尻をつかまえるもんじゃない。目を開けて、いつまでも、俺の眼の中は真昼間なんだな。そして頭の中も。
(間)あのブロンズを電灯にぶつけたら消えるだろうか。
ボーイ あれは重すぎます。
ガルサン (ブロンズ像を両手に握り、持ち上げようとして)君の言う通りだ。こいつは重すぎる。(沈黙)
ボーイ では、もうご用がございませんでしたら、あちらへ参りますが。
ガルサン (飛び上がり)行ってしまうのか。じゃあ行きたまえ。(ボーイ戸口へ行く)ちょっと待って。
(ボーイ向き直る)ベルか、これは? (ボーイ頷く)じゃ、用のある時ベルをならせば、君は来ることになってるんだね。
ボーイ 規則ではそうでございます。でもこのベルは気紛れで、機械のどこかがつかえております。
(ガルサンはベルの所へ行きボタンを押す。ベルの音)
65 :
名前なし:2009/10/08(木) 22:05:02 ID:buIQB4WE
ガルサン 鳴るじゃないか!
ボーイ (驚き)鳴りますか。(自分も鳴らす)しかし、そうむきにおなりにならなくても、すぐまた駄目になってしまいます。では失礼いたします。
ガルサン (呼び止めるような身振りをして)俺は……
ボーイ は?
ガルサン いや、何でもない。(マントルピースの方へ行きペーパー・ナイフを取る)これは何だ。
ボーイ ごらんの通り、ペーパー・ナイフでございます。
ガルサン 本があるのか、ここに?
ボーイ いえ、ございません。
ガルサン じゃ何の役に立つんだ。(ボーイ肩をそびやかす)もういい。行きたまえ。
(ボーイ退場)
66 :
名前なし:2009/10/09(金) 02:49:38 ID:jxHY5L+2
第二景 ガルサン一人
(ガルサン一人。ブロンズ像の方へ行き、撫で回す。腰掛ける。また立ち上がる。ベルの所へ行きボタンを押す。
ベル鳴らず。二、三度試みるが駄目。そこでドアの方へ行き開けようとする。びくともせず。呼ぶ)
ガルサン ボーイ! ボーイ!
(返答なし。ガルサン、ボーイを呼びつつドアを叩き続ける。やがて急に静まり、また腰掛ける。
この時ドアは開き、イネスがボーイを従えて登場)
67 :
名前なし:2009/10/09(金) 02:50:35 ID:jxHY5L+2
第三景 ガルサン、イネス、ボーイ
ボーイ (ガルサンに)お呼びでございましたか。
(ガルサンは答えようとするが、イネスの方をちらりと見て)
ガルサン いいや。
ボーイ (イネスの方を向き)奥様、この部屋でございます。(イネス沈黙)何かお尋ねになることがございましたら……
(イネス黙っている)
ボーイ (意外な顔で)たいていなら、お客様はいろいろとお尋ねになるのでございますが……
いえ、たってとは申し上げません。もっとも、歯ブラシとベルとブロンズ像の置物につきましては、
こちら様がよくご存知で。私と同じくらい、ちゃんとお答えなさいます。
(ボーイ退場。ガルサンはイネスの方を見ない。イネスは辺りを見回し、それからいきなりガルサンの方へ向って行く)
イネス フロランスはどこにいます? (ガルサン沈黙)フロランスはどこですと聞いているじゃありませんか。
ガルサン 知りませんよ。
イネス あなたが考え出した手はそれっきり? 誰かを行方不明にして私を苦しめようってのね。
おあいにくさま。フロランスは馬鹿な子だから、いなくなったってあたしはへいちゃらだわ。
ガルサン 失礼ですが、あなたは僕を誰だと思ってらっしゃるんです。
イネス あんたを? あんたは地獄の鬼よ。
ガルサン (はっとし、やがて笑い出す)そいつは愉快な人違いだ! 鬼ですって!
あなたは、入ってきて、僕を見て、こいつが鬼だ、とそう思ったんですね。途方もない!
あのボーイは馬鹿ですよ。お互いに紹介してくれるのが当たり前だ。地獄の鬼!
僕はジョゼフ・ガルサンといって、政治評論家、文筆家です。
本当のところは、あなたと僕は相宿なんですよ。奥さん、お名前は……
イネス (無愛想に)イネス・セラノ、未婚です。
68 :
名前なし:2009/10/09(金) 02:51:41 ID:jxHY5L+2
ガルサン いや、よく分かりました。これで隔てはとれたわけです。じゃ、なんですか、
僕の顔は鬼のように見えますか、鬼というのは、どういう所で分かるんです?
イネス 何だかびくびくしてますわ。
ガルサン びくびく? これはおかしい。誰にびくびくするんです。罪人にですか。
イネス あたしには分かってるんですよ、自分の言うことが。あたしは鏡に自分の姿を写してみたんですからね。
ガルサン 鏡に? (辺りを見回す)忌々しい。あいつらは、鏡らしいものは全部取っていきやがった。
(間)とにかく、僕は断じてびくついてなんかいませんよ。
今の立場を軽々しく考えているわけじゃない。重大なことはよく分かってるんだが、恐くはないんだ。
イネス (肩をそびやかして)そりゃあんたのご勝手よ。(間)あんた、時々外へ散歩へ出かけることってある?
ガルサン ドアには閂がかかっています。
イネス じゃしょうがない。
ガルサン 僕のいるのがお邪魔になることくらい、よく分かってますよ。僕にしたって一人でいた方がいいんだ。
僕は自分の生活にきまりをつけなくちゃならない。僕は静かに考えたいんだ。
だが、僕たちはきっとお互いうまくやっていける。僕は無口だし、あんまり動かないし、騒ぎもしない。
ただ、差し出がましいことを言うなら、お互いどこまでも礼儀をつくす必要がありますね。それが僕たちにとって一番いい自衛策ですよ。
イネス あたし、お行儀よくはありませんのよ。
ガルサン じゃあ僕が、二人分お行儀よくしよう。
(沈黙。ガルサンは長椅子に腰掛けている。イネスは歩き回る)
イネス (彼を見て)あんたの口。
ガルサン (夢から覚めたように)え?
イネス あんた、口を動かすのをよしたらどう? 鼻の下で口がこまのように回ってるわ。
ガルサン どうもすみません。気がつかなかった。
イネス それがいけないのよ。(ガルサンまた癖を出す)また! お行儀よくするなんて言ってて、顔の方はお留守なのね。
ここは、あんた一人じゃないんですよ。だから、恐がっているところを、あたしに見せ付ける権利はないわ。
(ガルサン立ち上がり女の方へ行く)
69 :
名前なし:2009/10/09(金) 02:52:32 ID:jxHY5L+2
ガルサン 恐くはないんですか。あんたは。
イネス 今更しょうがないわ。以前、まだ望みを持っていた時分なら、恐がるのもよかったけれど。
ガルサン (静かに)もう希望はない。けれども、僕たちはやっぱり以前なんだ。僕たちはまだ苦しみ始めちゃいないんだ。
イネス 分かってますよ。(間)じゃ、これからどんなことが起こるの?
ガルサン 僕は知らない。待ってるんですよ。
(沈黙。ガルサンまた腰を掛けに行く。イネスはまた歩き出す。
ガルサンは口をぴくつかせ、イネスをちらっと見て顔を両手にうずめる。エステルとボーイ登場)
70 :
名前なし:2009/10/09(金) 03:44:10 ID:jxHY5L+2
第四景 イネス、ガルサン、エステル、ボーイ
(エステルは面を伏せたままのガルサンを見る)
エステル (ガルサンに)いや、いや、いや、顔を上げちゃいや。あんたが、手で何を隠しているのか知ってるわ。
あんたの顔が、めちゃめちゃになっていること、知ってるわ、あたし。
(ガルサン手をはなす)あら! (間。驚いて)知らない方。
ガルサン 僕は鬼じゃありませんよ。
エステル 鬼だと思ったんじゃありません。誰かが、あたしをからかおうとしてるんだと思って。(ボーイに)まだ誰か待ってるの?
ボーイ もう誰も参りません。
エステル (ほっとして)そう! じゃあたしたち三人きりになるのね、この方と奥さんとあたしと? (笑い出す)
ガルサン (ぶっきらぼうに)笑うわけはないですよ。
エステル (笑い続けて)でも、この長椅子ったら随分汚いこと。それにこの並べ方ったら、
まるで元日に、マリー伯母さんの所へご年始に行ったみたいだわ。めいめい一脚ずつらしいわね。
これがあたしの? (ボーイに)でも、こんな椅子にあたし掛けられないわよ、
台無しになるじゃないの。あたしの服はあさぎなのにこれは緑だから。
イネス あたしのを差し上げましょうか。
エステル えんじの長椅子? せっかくですけど、大してかわりばえもしませんから。
でも仕方のないことだわ。あたしは緑が当たったんだからそうしておきますわ。
(間)でも、どうにかうつるのは、この方のだけね。
(沈黙)
71 :
名前なし:2009/10/09(金) 09:50:07 ID:nFUVBrQ/
イネス 聞えてますの、ガルサン。
ガルサン (はっとして)長……長椅子。いや、これは失礼しました。(立ち上がり)お譲りしましょう。
エステル ありがとう。(マントを脱いで長椅子の上に掛ける。間)
これから、みんな一緒に暮らすんですから、お近づきになりましょう。あたしエステル・リゴー。
(ガルサン一礼して名乗ろうとするが、イネスが先を越す)
イネス イネス・セラノ。よろしくね。
(ガルサン再び一礼する)
ガルサン ジョゼフ・ガルサンです。
ボーイ まだご用がございますか。
エステル いいえ、行ってちょうだい。ベルを鳴らしますから。
(ボーイ一礼して退場)
72 :
名前なし:2009/10/09(金) 09:51:13 ID:nFUVBrQ/
第五景 イネス、ガルサン、エステル
イネス あんた美しいわね。歓迎のしるしに花でもあげるといいのに。
エステル 花ですって? そう。あたし花が大好きでしたわ。でもここじゃ枯れるかもしれない。暑すぎるから。
でも、そんなことより、一番大切なのは朗らかでいることね。あなたがあれなさったのは……
イネス 先週。あんたは?
エステル あたし? あたしは昨日。式もまだすっかり済んじゃいませんの。
(きわめて自然に話すが、言う通りのことを様々と見ている体)風が妹のヴェールをあおっている。
一生懸命、泣こうとしているわ。さあ、さあ、もう一頑張り。そう、黒いヴェールの影に、涙が二つ、ちっぽけな涙が二つ光ったわ。
オルガ・ジャルデは今朝は随分無器量に見える。あの人、私の妹の腕を支えている。
アイシャドーがはげるから、泣きはしない。あれがもしあたしだったら……あの人は、あたしの一番の親友だったのに。
イネス あんた、随分苦しんだの?
エステル いいえ、何だかぼーっとした気持ち。
イネス 何だったの。
エステル 肺炎。(先ほどと同じ仕草)ほら、済んだ。みんな帰って行くわ。さようなら。さようなら。
盛んに握手しているわよ。私の夫は、すっかり弱って家にいる。(イネスに)で、あなたは?
イネス ガス中毒。
エステル あなたは?
ガルサン 弾丸を十二発食らったんですよ。(エステル色を変える)これは失礼、僕のはお上品な往生じゃないんでね。
73 :
名前なし:2009/10/09(金) 09:52:32 ID:nFUVBrQ/
エステル いいえ、ただそんな露骨な言葉さえ使ってくださらなきゃ、いいんですのよ。不……不愉快ですもの。
それに、煎じ詰めれば、それ、何の意味があるでしょう。あたしたち、今ほど生き生きしていることはなかったかもしれませんわ。
どうしてもこういう……こういう状態に名前をつけなきゃならないなら、あたしたち、
いない人って呼んでもらったらどうでしょう。その方が上品ですわ。であなた、いらっしゃらなくなって随分になりますの?
ガルサン 一月ほど前。
エステル どこにいらしたの。
ガルサン リオ・デ・ジャネイロ。
エステル あたしはパリ。向こうには、まだどなたか残ってらっしゃいますの。
ガルサン 女房がいます。(エステルと同じ仕草)あいつは、いつもと同じように兵営へやって来た。
ところが入れてもらえない。鉄柵の間からのぞいている。僕のいなくなったことはまだ知らないが、どうやら気はついている。
女房の奴、今帰って行くな。黒ずくめの衣裳だぞ。ちょうどいい、着替えする必要がないからな。
あいつ、泣いてはいない。ついぞ泣いたことのない女だった。いい天気だな。
あいつ、脅えたような大きな目をして、人通りのない道を真っ黒な姿で歩いていく。ああ、じれったい奴だ。
(沈黙。ガルサンは真ん中の長椅子に腰掛け、両手で頭を抱える)
イネス エステルさん!
エステル ねえ、ガルサンさん!
ガルサン え?
エステル あなた、それはあたしの長椅子ですわよ。
74 :
名前なし:2009/10/09(金) 09:54:07 ID:nFUVBrQ/
ガルサン これは失礼。(立ち上がる)
エステル 馬鹿に考え込んでらっしゃいますのねえ。
ガルサン 僕は生活の段取りをつけているんです。(イネス笑い出す)笑っている人も僕の真似をしたほうがいいよ。
イネス あたしの生活なんか、段取りができているわ、ちゃあんと。
娑婆にいる時、自然に段取りができちゃって、今更そんなことを考えなくていいのさ。
ガルサン 本当ですか。あなたは、そんな簡単なことだと思ってるんですね。
(額を手で拭って)何という暑さだ! ちょっと失礼。(背広の上衣を脱ごうとする)
エステル あら、いけません! (もっと静かに)いけません。あたし、シャツ一枚の男の方、大嫌い。
ガルサン (上衣を着直し)そうですか。(間)僕なんざ、新聞の編集室で夜明かしをしたが、
いつもうだるような暑さでしたよ。(間。先ほどと同じ仕草で)今も、うだるような暑さだ。夜だな。
エステル あら、そうだった、もう夜ね。オルガは服を脱いでいる。地上では時がたつのが随分早いのね。
イネス 夜だ。みんなが、あたしの部屋に封印をしてしまったわ。部屋は闇の中にがらんとしている。
ガルサン あいつらは、椅子の背に上衣を掛けて、ワイシャツの腕を捲り上げた。男の臭いと煙草の香りがする。
(間)僕はシャツ一枚で男たちの中で生活するのが好きだった。
エステル (冷淡に)つまり、あたしたちは好みが違うのね。そのことが、それで分かるわ。
(イネスに向かい)あなたはお好き、上衣なしの男の方が。
イネス 上衣があろうとなかろうと、あたし男はあんまり好きじゃないわ。
エステル (茫然と二人を見て)でも、なぜ、なぜあたしたちは一緒にされたんでしょう。
イネス (怒りを押さえ)何言ってるの、あんたは。
エステル あたし、お二人を見て、これから一緒に暮らすんだな、と考えてますの……あたし、友達や家の者に会えるつもりだったんです。
イネス 顔の真ん中に穴のあいたいいお友達とね。
エステル その人ともね。まるでプロみたいにタンゴを踊る人だったわ。でも、あたしたち、あたしたちはなぜ一緒にされたんでしょう。
75 :
名前なし:2009/10/09(金) 09:55:15 ID:nFUVBrQ/
ガルサン そりゃ偶然ですよ。あいつらは、到着順にどこへでもぶち込むんですからね。(イネスに)なぜ笑うんです。
イネス 偶然がおかしいからよ。あんた、そんなに安心していたいの。あいつらは、何一つ偶然にまかせてなんかいないのよ。
エステル (おずおずと)でも、あたしたち、以前どこかでお会いしていたのかもしれませんね。
イネス 会うもんですか。会ったらあたし、あんたを忘れやしない。
エステル それとも、共通の知り合いがあるのかしら。あなた、デュボア・セームールさんとこ、ご存知?
イネス 知るもんですか。
エステル 随分出入りの多い家ですわ。
イネス 何してんの、その家?
エステル (驚き)何もしてません。コレーズに別荘があって……
イネス あたしは郵便局につとめてたの。
エステル (ちょっと後退りして)そう、じゃやっぱり……(間)ガルサンさん、あなたは。
ガルサン 僕はリオの町を離れたことがない。
エステル とすると、全くあなたの仰る通り、あたしたちは偶然一緒にされたんですわね。
イネス 偶然? じゃ、この家具類も偶然そこにあるわけね。右の長椅子が緑色で、左の長椅子がえんじなのも偶然ね。
偶然、そうでしょう。じゃ、一つ長椅子の場所を変えてごらんなさい。どうなるか。
それからあのブロンズ。あれも偶然ね。それからこの暑さは? この暑さは?
(沈黙)あいつらは、何から何まで計画してるのよ。細かい所まで念を入れて。この部屋はあたしたちを待ち構えていたのよ。
エステル でも困るわ。この部屋は何もかも汚くって、感じが固くって、凹凸が多いんですもの。あたし凹凸のあるのは嫌いだったわ。
イネス (肩をすくめて)あんた、あたしが第二帝政式サロンに暮らしていたなんて思うの?
(間)
76 :
名前なし:2009/10/09(金) 18:00:07 ID:o5VGXQXP
エステル じゃ、みんな計画的なのね?
イネス そうよ、みんな。あたしたちは似合いなのさ。
エステル あなたがあたしの前にいらっしゃるのは、じゃあ偶然ではないわけね。(間)あの連中は何を待ち構えているんでしょう。
イネス 知らない。でもあいつらは待ち構えているのよ。
エステル 何か期待されるなんて、あたし我慢ならない。期待されると、あたしすぐ反対のことがしたくなるの。
イネス じゃそうすればいいじゃないの。そうなさいよ。あいつらが、何を待っているか知りもしないくせに。
エステル (地団太を踏んで)たまらない。あなた方二人のために、あたしに何が起こるっていうの?
(二人を見る)あなた方二人のために。見て、すぐ感じを受ける顔ってあるもんだけど、あなた方の顔、見てもあたしは何も感じないわ。
ガルサン (突然イネスに)さあ、なぜ僕たちは一緒になったんです。あそこまで言ったんだから最後まで言ってください。
イネス (驚き)だって、あたしにはまるで分からない。
ガルサン どうしても知らなきゃ。
(しばらく考える)
イネス せめてあたしたちに、言っちまう勇気があったら……
ガルサン 何を?
イネス エステルさん!
エステル え?
イネス あんたは何をしたの。どうしてここへやられたの。
エステル (咳き込んで)あたしには分からない、全然分からない。間違いじゃないかとさえ思うくらい。
(イネスに)笑っちゃ嫌。ねえ、毎日何千という人が……いなくなるでしょう。
そういう人が、何千となくここへやってきて、しかし相手をしてくれるのは下っ端の連中、教育のない雇い人ばかりでしょう。
だから間違いだっておこりますわよ。笑わないでちょうだい。
(ガルサンに)あなたも仰ってよ、何か。あの連中が、あたしの時にも間違いをしたかもしれませんわ。
(イネスに)あなたの時だって。いっそ、あたしたちは間違ってここに来たんだと思ったほうがよくありません?
イネス あんたの言いたいこと、それだけ?
77 :
名前なし:2009/10/09(金) 18:02:01 ID:o5VGXQXP
エステル この上、何を知ろうと仰るの。あたし、何も隠すことなんかありませんわ。あたしは孤児で、貧乏でした。そして弟を養っていました。
ところが、父さんの古い友達があたしに結婚を申し込んできましたの。お金持ちで、親切な方。
あたしは承知しました。あなただってそうなさったでしょう? あたしの弟は病気でした。
身体のために随分世話がかかるのです。あたしは六年間、喧嘩一つせずに夫と暮らしました。
ところが二年前、あたしは彼に会って、それから彼を愛するようになったのです。
あたしたちは、すぐこの人こそと思うようになりました。あの人は一緒に逃げてくれと言ったんですけど、あたしは断りました。
その後で、あたしは肺炎になったんです。ただそれだけ。年寄りのために若さを犠牲にしたことが、
ある考え方からすると、いけなかったのかもしれませんわね。(ガルサンに)あなた、それを悪いことだとお思いになる?
ガルサン 無論悪いことじゃない。(間)ところであなたは、人間が、自分の主義通りに生きていくのを、悪いことだと思いますか?
エステル 誰が悪いなんて言えるでしょう。
ガルサン 僕はある平和主義の新聞をやっていました。ところが戦争になった、さあどうする。
みんなは僕のやることを見守っていました。「あいつ、やるかな?」とね。ところが僕はやったんです。
僕は徴兵を忌避しました。そこで銃殺されました。どこが悪いんです。どこが悪いんです。
エステル (男の腕に手をかけ)悪いことなんかありませんわ。あなたは……
イネス (皮肉にあとを付け足して)英雄ね。で、奥さんは、ガルサン。
ガルサン それがどうだというんです。僕はあいつを、いやしい稼業から救ってやったんだ。
エステル (イネスに)そら、ごらんなさい。そうでしょう?
イネス なるほどね。(間)どうしてあんたたちはお芝居するの。あたしたち、水入らずよ。
エステル (傲然と)水入らず?
イネス 人殺し仲間なのよ。ねえ、あんた。あたしたちは地獄にいるのよ。
決して間違いなんてありゃしない。わけもないのに地獄へ落とされるもんですか。
エステル 黙ってちょうだい。
78 :
名前なし:2009/10/09(金) 18:03:03 ID:o5VGXQXP
イネス 地獄よ! 落ちたのさ! 落ちたのさ!
エステル 黙って。黙ってちょうだい。下品な言葉づかいするのは真っ平。
イネス 落ちたのよ、聖人みたいなあんたも。落ちたのよ、完全無欠な英雄さんも。あたしたちだって、結構楽しい目を見たんだわ。
あたしたちのために死ぬほど苦しんだ人がいて、それがあたしたちには愉快だったのよ。今はそれの償いさ。
ガルサン (拳をあげ)黙らんのか。
イネス (恐れず、ただ呆れて彼を見)あら! (間)待ってちょうだい。分かったわ、なぜあいつらが、あたしたちを一緒にしたかということが。
ガルサン うかつなことは言わない方がいいよ。
イネス 随分馬鹿げた話ですよ。ここには、体の拷問はないでしょう。でも、ここは地獄に違いない。
そして、もう誰も来る者はない。誰一人も。あたしたちは、最後まで一緒にいるんだ、
そうでしょう? つまり、ここには、誰か一人が欠けている、それが鬼なのよ。
ガルサン (低声で)よく分かっている。
イネス つまり人員整理をやったのね。それだけのことよ。つまりお客がセルフ・サーヴィスをするのね。消費組合の食堂みたいに。
エステル それどういう意味?
イネス あたしたちの一人一人が、後の二人にとっての鬼なのさ。
(間。二人はこの話に考え込む)
79 :
名前なし:2009/10/09(金) 18:04:12 ID:o5VGXQXP
ガルサン (静かな声で)僕たちはあなたたちの鬼にはならない。あなたたちを苦しめようとは思ってないし、
また僕は、あなたたちに何の関係もない。何もない。実に簡単な話ですよ。
つまり、めいめいが自分の席に控えている。活人画ですね。あなたはここ、あなたはここ、僕はそこ。
そして黙るんですよ。めいめい自分のことで精いっぱいなんだから。僕たちは一万年でも無言でいられそうな気がする。
エステル 黙らなきゃなりませんの?
ガルサン そうすればみんな……みんな救われるんだ。口をつぐんで……自分の心を見つめて、決して顔を上げないこと。いいですか。
イネス いいわ。
エステル (ためらった後)いいわ。
ガルサン じゃ、さよなら。
(自分の長椅子に帰り頭を抱える。沈黙。イネスは一人で鼻歌を歌いだす)
ブランマントの通りでは、
四脚台を組み上げて、
桶に粉糠を詰め込んだ。
これぞすなわち首切り台、
ブランマントの通りでは。
ブランマントの通りでは、
首切り爺さん早起きだ。
とってもさっても忙しい、
将軍、僧正、提督の
首を斬るのだ、忙しい、
ブランマントの通りでは。
ブランマントの通りでは、
立派な奥方おめかしで、
しゃなりしゃなりと集まった。
ところがどっこい首がない。
首は帽子ともろともに、
ばっさり落ちて転がった、
ブランマントの通りでは。
(その間、エステルは白粉と紅を直す。白粉をつけながら不安げに鏡はないかと見回す。ハンドバッグの中を探し、それからガルサンの方を向く)
80 :
名前なし:2009/10/09(金) 18:05:26 ID:o5VGXQXP
エステル あなた、鏡持っていらっしゃる? (ガルサン答えず)手鏡でも、懐中鏡でも?
(ガルサン答えず)あたしを一人ぼっちになさるんなら、せめて鏡くらいちょうだいな。
(ガルサン頭を抱えたまま答えず)
イネス (いそいそと)あたし、ハンドバッグに鏡持ってるわよ。
(ハンドバッグの中を探す。忌々しげに)なくなっちゃった。事務所で取られたかな。
エステル いやになっちゃうわ。
(間。目を閉じてよろめく。イネス駆け寄って支える)
イネス どうしたの?
エステル (目を開けて微笑む)変な気分がしますの。(自分の身体にさわり)あなた、そんなことありません?
あたし、自分の顔が見えないと、いくら身体に触ってみても、本当に自分がいるのかどうか、分からなくなりますの。
イネス あんたはいいわ。あたしなんか、いつも内側から自分というものを感じるのよ。
エステル ああ、そう、内側からね……でも、頭の中に起こることなんか、みんなぼーっとしていて、考えていると眠くなってしまいますわ。
(間)あたしの寝室には、大きな姿見が六つありますの。見えるわ。見えるわ。でも姿見にはあたしは見えない。
姿身は椅子や敷物や窓を映している……なんて空っぽなんだろう、あたしのいない姿見なんて。
あたし、お喋りをする時には、自分の姿がどれか一つの鏡に映るようにしたものだった。
あたしは、喋りながら、自分の喋るのを見ていたんだ。みんながあたしを見ているように、あたしは自分を見ていたんだ。
すると、頭がいつまでもはっきりしていた。(絶望して)私の口紅!
きっと歪んでついている。いつまでも、いつまでも鏡なしでなんか、いられやしない。
イネス あたしが鏡になってあげましょうか。いらっしゃい。ここへご招待するわ。あたしの長椅子にお掛けなさいな。
エステル (ガルサンを指して)でも……
イネス あの人のことなんか構わないで。
81 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:11:08 ID:jC2uQ0uq
エステル 二人で苦しめ合うことになりますわ。あなたそう仰ったでしょう?
イネス あたし、あんたを苦しめそうに見えて?
エステル そりゃ何とも言えないわ。
イネス あんたよ、あたしを苦しめるのは。でもそんなこと平気さ。どうせ苦しむんだもの、あんたに苦しめられたって同じことよ。
さあ、お掛け。身体を寄せて。もっとさあ。あたしの目の中をごらん。うつってる?
エステル 小さくね。とても見えにくいわ。
イネス あたしにはあんたが見えるよ。すっかりね。あたしに聞いてごらん。これほどよくうつる鏡ってないわよ。
(エステル、困って、助けを求めるようにガルサンの方を向く)
エステル あなた! あなた! こんなにお喋りして、うるさくありません?
(ガルサン答えず)
イネス 放っときなさいよ。あんな人、数に入らないわ。私たち二人きりよ。さあ、聞いてごらん。
エステル あたし口紅がちゃんとついてますかしら。
イネス 見せてごらん。あんまりよくないわね。
エステル そう思ってましたわ。幸い(ガルサンの方をちらっと見て)誰にも見られなかったからいいけれど。やり直しましょう。
イネス それがいいわ。いけない、唇の線に沿って。手を貸してあげよう。こうして、こうして、これでいい。
エステル さっきみたいに、ちゃんとなってます? さっき入ってきた時みたいに?
イネス もっといいわ。さっきより重々しくなって、凄みがあって。地獄の唇ね。
エステル あら! これでよござんすか。でもいやになっちゃう。自分で分からないんですもの。本当にこれでいいとお思いになって?
イネス よそ行きの言葉はおよしなさいよ。
エステル これでいいと思う?
イネス 美しいわ、あんた。
82 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:12:11 ID:jC2uQ0uq
エステル でも、あなた、いい趣味もってらっしゃるの? あたしの趣味をもってらっしゃるの? ああ、じれったい、じれったい!
イネス あんたが好きだもの、あんたの趣味分かるわ。さあ、よくあたしを見てごらん。笑ってごらん。あたしだって綺麗よ。鏡なんかよりいいでしょう?
エステル さあどうかしら。あたし、あなたが恐いわ。鏡にうつったあたしの影はあたしになついていたわ。十分馴染みがあるんですもの……
でもあたしが笑ったら、その笑いがあなたの瞳の奥に入っていって、それから一体どうなるのか分からない。
イネス あたしを手なずけりゃいいじゃないの。(二人見つめあう。エステルやや魅せられて微笑む)あんた、どうしても打ち解けたものの言い方しないの。
エステル 女同士で打ち解けた言い方するの、あたし困りますわ。
イネス とりわけ郵便局員とは、って言うんだろう? あんた、どうしたの、頬の下の所。赤あざ?
エステル (飛び上がり)赤あざ? まあ、いやだ。どこに。
イネス 嘘、嘘、あたしはひばりを捕まえるおとりの鏡よ! ひばりちゃん。赤あざなんかありゃしないのよ。
これっぽっちもないのよ。どう? 鏡が嘘を吐きだしたら? それともあたしが目を塞いで、
あんたを見るのを嫌だと言ったら、あんた、その美しい顔をどうするの。さあ、恐がらないで。
あたしはあんたを見なけりゃならない。あたしの目は大きく開いてるのよ。
そしてあたし、優しくしてあげるわ。本当に優しく。でも打ち解けてね。
(間)
エステル あたしが好き?
イネス 大好きさ!
(間)
83 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:13:20 ID:jC2uQ0uq
エステル (ガルサンの方へ頭を振って)あたし、あの人にも見てほしいわ。
イネス ふん、あれは男だからね。(ガルサンに)あんたの勝ちよ。(ガルサン答えず)見ておやりなさいよ!
(ガルサン答えず)そんなお芝居なんかおよしなさい。あたしたちの言っていること、一言ももらさず聞いていたくせに。
ガルサン (急に顔を上げ)一言ももらさず、まさにその通りだ。いくら耳に蓋をしても、君たちは僕の頭の中でぺちゃくちゃやっていたんだ。
さあ、もう僕に構わないでくれたまえ。僕は君たちに用はないんだ。
イネス じゃ、この子には用があるの? そんなにすましてるのはこのこの気をひくためでしょう?
ガルサン 構うなといったら。今新聞社で誰かが僕の噂をしている。僕はそれが聞きたいんだ。僕はその子なんかどうでもいい、それで君の気がすむなら。
エステル ありがとう。
ガルサン 僕は何も失礼なことを言うつもりは……
エステル 礼儀知らず!
(間。三人は互いに向き合って立ちはだかる)
ガルサン これだ! (間)だから黙ってくださいと頼んだじゃありませんか。
エステル この人から始めたんですわ。あたしに鏡を見せてあげようなんて。何も頼んでやしないのに。
イネス 何もね。ただお前さんは、その人に身体を擦り付けて、見てもらおうとしなを作っていたじゃないの。
エステル それがどうなの。
ガルサン 馬鹿はおよしなさい。この調子じゃ、我々がどうなるか分からんのですか。黙ってください!
(間)みんなおとなしく腰をかけて、目を塞いで、めいめい、他人のいることを忘れましょう。
(間。腰掛ける。女二人はためらいつつ席に帰ろうとする。イネス突然振り返り)
84 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:14:37 ID:jC2uQ0uq
イネス ああ、忘れる? なんて馬鹿馬鹿しい! あたしは、あんたというものを骨の髄まで感じているんですよ。
あんたの黙っているのが、あたしの耳にがんがん聞こえるんですよ。
口に閂を差して、舌を切ったって、あんたはやっぱりそこにいるんでしょう。
たとえあんたが考えることをやめたって、あたしにはあんたの考えていることが聞えるのよ。
目覚まし時計みたいにかちかち鳴っている。あんたにもあたしの考えていることが聞えるのよ。
いくら長椅子の上に小さくなっていたって、あんたはどこにでもいる。
物音だって、あんたが途中で聞くから、汚れてあたしに聞えてくる。あんたはあたしの顔まで盗んじまったんだ。
あんたはあたしの顔を知っているのに、あたしは自分の顔を知らないんだ。そしてこの子、この子?
あんたはあたしからこの子を取ったのよ。もしこのこと二人きりだったら、この子はあたしにあんな当たり方、するもんですか。
嫌、嫌! 手を顔から取ってちょうだい。あたし、あんたを放ってはおかない。そりゃあんまり勝手すぎるわ。
あんたは、平気な顔をして、仏像みたいに考え込んでそこにじっとしている。
あたしは目を塞いで、この子があんたに、生活の音を、衣擦れの音までも捧げるのを感じ、
あんたには見えない表情を、あんたの方へ送るのを感じるんだわ……
そんなこと真っ平よ! あたしはあたしの地獄を選びたいの。
あたしは眼を皿のようにして、あんたを見て、しらふのままで戦いたいの。
ガルサン よかろう。どうせそうなるべきだったんだ。あいつらは、僕たちをまるで子供みたいに扱いやがった。もし男の中へ入れられたら……
男はじっと黙っていられる。だがあんまり欲はいうまい。
(エステルに近寄り、顎に手をかけて)どうだ? 僕が好きかい? さっき僕にウィンクしてたじゃないか。
エステル 触らないで。
85 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:15:57 ID:jC2uQ0uq
ガルサン 何だい、もう他人行儀はよそうよ。僕は随分女好きだったんだよ。女にも随分もてた。
だから堅くなるのはよしてさ。僕たちは、これ以上、何も失うものはないんだ。
礼儀が何だ。作法が何だ。僕らだけじゃないか。今に僕たちは虫けらみたいにすっかり裸になってしまうんだよ。
エステル 嫌!
ガルサン 虫けらみたいにね。ああ! さっきから言っておいたろう。僕は平和と少しの沈黙と、ただそれだけを君たちに求めたんだ。
僕は耳に栓をしていた。ゴメスの奴が、テーブルの間に立って喋っていた。新聞社の連中がみんな聞いていた。上衣なしで。
僕は、みんなが何を言っているか、分かろうと思った。だが分かりにくかった。娑婆の出来事はどんどん遠ざかっていくんだ。
君たちは、黙っているわけにはいかなかったのか。もうお終いだ。あいつはもう喋らない。
僕についてあいつの考えていることは、あいつの頭の中に引っ込んでしまった。
こうなったら、僕たちは徹底的にやらなきゃならん。赤はだかになるんだ。僕は相手の君たちを知りたいんだ。
イネス 知ってるでしょう。もう知ってるでしょう。
ガルサン めいめいが、なぜ地獄に落とされたかそのわけを白状しない限り、僕たちは何も知りはしない。
金髪の姉さん、始めるがいい。なぜなんだ。そのわけを言うがいい。君が思い切って言えば、
悲劇が起こらずにすむかもしれない。互いに魔物の招待を見極めたら……さあ、なぜなんだ?
エステル 知らないと言ってるじゃありませんか。あの人たちは教えてくれなかったんです。
ガルサン 知ってる。しかし僕は自分自身のことは分かっている。君は一番に話すのが恐いのか。よし。じゃ僕から始めよう。(間)僕は相当な悪者だ。
イネス 分かってますよ。あんたは脱走したんでしょう?
86 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:51:16 ID:jC2uQ0uq
ガルサン よしてくれ。そのことは決して言わないでくれ。僕は女房を苦しめたからここへ来たんだ。
それだけだ。五年間。無論女房は今も苦しんでいる。ああ、いた。女房のことを言うとすぐ見えてくる。
気になるのはゴメスの奴なのに、見えてくるのは女房だ。ゴメスはどこにいるんだろう。
五年前。おや、奴らは俺の持ち物を女房に渡したな。女房は窓のそばに座って、俺の上衣を膝の上にのせた。
穴が十二個あいた上衣を。血だ。まるで錆がついたようだ。穴のふちが赤茶けている。
ふん、これは博物館行きだ。記念の背広だ。俺があれを着ていたんだなあ!
お前、泣くのかい? 泣いちまうのかい? 俺はいつも虎になって帰ってきたな。
酒と女の匂いをぷんぷんさせていた。だが女房は泣かなかった。無論小言なんか一言も言わない。
ただ目なんだ。あの大きな目なんだ。俺は後悔しない。償いはするが後悔はしない。
外は雪だな。でもお前、泣くのか。あれは苦労を天職にしたような女だ。
イネス (ほとんど優しい調子で)なぜ奥さんを苦しめたの。
ガルサン 苦しめやすかったからさ。立った一言で顔色を変える。敏感なんだな。ふん、小言一つ言わない。
僕はとっても意地悪だ。僕は待っていた。どこまでも待っていた。ところが涙一つ流さず、小言一つ言わない。
僕はあの女を堕落から救ってやったんだからな。分かる? 女房は上衣を撫でている、目をやらずに、指が盲滅法に穴を探っている。
お前、何を待っているんだ。どうなると思ってるんだ。俺は何も後悔してはいないんだぞ。
結局あれなんだ。女房は俺に参りすぎていたんだ。分かる?
イネス 分かんないわ。参られたことなんかないもの。
87 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:52:36 ID:jC2uQ0uq
ガルサン 幸せさ。君のためには結構幸せさ。こんなことを言っても、
君には宙に浮いた話に聞えるかもしれないが、うん、こんなことがあった。
僕は黒人と白人の混血の女を家に連れ込んでいた。素晴らしい夜だった!
女房は二階に寝ているから、よく聞えたに違いない。女房は一番に起きた。
そして僕たちが朝寝していると、朝食を寝床に運んできた。
イネス 下衆な人!
ガルサン そうだよ、そうだよ、愛されたる下衆さ。(他へ気を取られた様子)いや、何でもない。
あれはゴメスだ。しかし俺のことは言っていない。君、下衆だったと言ったね。その通り。
でなけりゃ、ここへ何しに来るもんか。で君は?
イネス そうね、あたしは娑婆で言う淪落の女さ。とっくに落ちてたのね。だから大して驚きもしなかったわ。
ガルサン それだけ?
イネス いいえ、それからあのフロランスとの事件があるわ。でもそれは人の死ぬ話よ。三人死ぬの。
先に男、それからフロランスとあたし。車馬にはもう誰も残っちゃいないから安心、あるのはただ部屋だけよ。
あたし、その時々その部屋が見えるの、がらんとして、雨戸を立てて。あら! あら!
とうとう封印を取っちまった。貸間……あれ貸すらしいわ。ドアに札が貼ってある。馬鹿にしてるわ。
ガルサン 三人。三人と言ったね。
イネス 三人よ。
ガルサン 男一人に女二人?
イネス そう。
ガルサン そうか。(沈黙)男は自殺したの。
イネス 男? そんなことできるもんですか。もっとも、苦しみ足りなかったわけじゃないの。
いいえ、電車に轢かれたのよ。馬鹿馬鹿しい! あたし、その二人の家に同居していたの、男はあたしのいとこだったの。
ガルサン フロランスって女は金髪?
イネス 金髪? (エステルを少し見て)ねえ、あたし何も後悔してないけれど、でもこんな話をするの、あんまり面白くないわ。
ガルサン いいじゃないか! でも君は男が嫌になったんだね。
88 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:53:59 ID:jC2uQ0uq
イネス だんだんにね。ちょくちょく聞く一言。たとえばあの人、葡萄酒を飲む時音をたてるのよ。
コップの中で鼻を鳴らすの。何でもないことなんだけど。そりゃ気の毒な、弱い人だったわ。あんた、なぜ笑うの。
ガルサン だって僕は弱くないからね。
イネス さあ、どうだか。で、あたしはそのフロランスって女の中に入り込んじまったの。
するとその女は、男をあたしの目で見るようになったの……
そして結局、その女はあたしのものになったの。あたしとその女は町の反対のはずれに部屋を借りたのよ。
ガルサン それで?
イネス それで電車の一件がおこったのよ。あたし毎日のようにその女に言ったわ。
ねえ、あたしたちがあの人を殺したんだよって。(沈黙)あたし、悪い女よ。
ガルサン そうだ。僕も悪い男さ。
イネス いいえ、あんたは悪い人じゃない。別のものよ。
ガルサン 別って何?
イネス それは後で言うわ。あたしは悪い女。つまり他人を苦しめなけりゃ生きていけないの。
たいまつね。人の心の中のたいまつね。一人ぼっちでいるとあたしは消えてしまう。
六ヶ月の間、あたしはその女の心の中で燃えたのよ。何もかも焼き尽くしたのよ。
するとある晩、その女が起き上がって、あたしの知らない間にガスのコックを開けちまったの。
そして、あたしのそばへ着てまた寝たの。
ガルサン ふむ。
イネス 何。
ガルサン なんでもない。ただ、あんまり綺麗な話じゃないね。
イネス そうよ、綺麗じゃないわ。それがどうしたの。
ガルサン いや、それでいいんだ。(エステルに)今度は君だ。何をしたの、君は。
エステル あたし、何も知らないって言ったでしょう。いくら自分の胸に聞いてみても……
ガルサン よし、じゃ助太刀してあげよう。顔がめちゃめちゃになった男ってのは、あれは誰?
エステル どんな男?
イネス よく知っているくせに。入って来る時あんたの恐がった男さ。
エステル あれはお友達よ。
ガルサン なぜ恐がったの。
エステル そんなことを聞く権利、あなたにはないわ。
イネス その人、あんたのために自殺したんだろう?
89 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:54:53 ID:jC2uQ0uq
エステル そんなこと、とんでもない。
ガルサン じゃ君はなぜ恐がったんだい。その人は自分の顔に弾をぶち込んだんだろう? そのために顔が飛んじまったんだろう?
エステル もう言わないで! 言わないで!
ガルサン 君のせいで! 君のせいで!
イネス あんたのせいでズドンとね。
エステル あっちへ行って。あたし、あなたたちが恐い。あたし、行くわ。行ってしまうわ。
(ドアに駆け寄りゆする)
ガルサン 行くがいい、願ったりかなったりさ。ただ、そのドアは外側から閉まっている。
(エステルはベルを押す。鳴らない。イネスとガルサン笑う。エステル戸にもたれて二人の方へ向き直る)
エステル (しゃがれた緩やかな声)ろくでなし!
イネス その通り。ろくでなしよ。それがどうしたのさ。で、つまり男はあんたのせいで自殺したのね。恋人だったの?
ガルサン 無論恋人さ。この子を独占したかったのさ。そうじゃないのか。
イネス タンゴはプロのように踊れても、どうやら貧乏だったらしいわね。
(沈黙)
ガルサン 貧乏だったかと聞いているんだよ。
エステル ええ、貧乏だったわ。
ガルサン それに君は世間の評判を落としたくなかった。ある日、男がやってきて君に哀願した。ところが君は笑って相手にしなかった。
イネス どう? どう? 相手にしなかったんだろう? そのために男は自殺したんだろう?
エステル あんた、そんな目をしていつもフロランスを見ていたんでしょう?
イネス そうよ。
(間。エステル笑い出す)
90 :
名前なし:2009/10/10(土) 00:56:57 ID:jC2uQ0uq
エステル あなたたちの言うこと、全然違うわ。(立ち直り、依然ドアにもたれたまま二人を見る。冷ややかに挑むような調子で)
あの人はあたしに子供を生ませたがったの。さあ、もうこれでいいでしょう?
ガルサン で、君は生みたくなかった。
エステル そう。でもとうとう子供が出来ちゃったの。それで、スイスへ行って五ヶ月すごしたわ。
だから誰も何も知らなかったの。できてみると女の子。
生まれた時、ロジェはあたしのそばにいたわ。女の子ができて喜んでいたけど、あたしはちっとも。
ガルサン それから?
エステル 湖水の上にバルコニーがあったの。あたし、大きな石を持っていたの。
ロジェは「エステル、後生だ、お願いだ」と叫んでいたわ。あたし、ロジェが憎らしかった。
あの人、何もかも見てしまったの。バルコニーから見下ろして、湖水の面に波紋を見たんだわ。
ガルサン それから?
エステル それだけよ。あたしはパリへ帰るし、あの人はあの人で、好きなようにしてしまったの。
ガルサン 頭をぶち抜いたんだね。
エステル そう。でもそんなことするには及ばなかったのよ。
あたしの夫は何も気付いちゃいなかったんですもの。(間)あたし、あなたたちが憎い。
(突然むせび泣く)
ガルサン 駄目。ここじゃ涙は出ないんだ。
エステル あたしは卑怯者! あたしは卑怯者! (間)本当にあたし、あなたたちが憎い!
イネス (エステルを抱きかかえ)可哀想に! (ガルサンに)訊問は終わりよ。もうそんな鬼の面するのはおよしなさいな。
ガルサン 鬼の……(辺りを見回す)ああ何でもいいから鏡が見たい。(間)暑いなあ! (機械的に上衣を脱ぐ)失礼。
(着直そうとする)
91 :
名前なし:2009/10/11(日) 02:47:44 ID:3VR80NOa
エステル シャツのままでいらしていいわ。今となっちゃ……
ガルサン うむ。(上衣を長椅子に投げかける)恨まないでおくれ、エステル。
エステル 恨みなんかしないわ。
イネス じゃ、あたしは? あんた、あたしを恨んでる?
エステル ええ。
(間)
イネス ねえガルサン。あたしたち、こうして丸裸になったけれど、前よりはっきりした?
ガルサン さあ。少しははっきりしたかもしれない。(おずおずと)一つ、みんなで助け合ってみたらどうだろうかな。
イネス あたし、助けなんか要らないわよ。
ガルサン イネス、あいつらは、すっかり糸をもつれさせてしまったんだよ。
君がちょっとした身振りをする、風を入れようと手を上げる。
すると、エステルと僕はその震動を感じるのだ。僕たちは、一人ではどうしても救われっこない。
三人一緒に破滅するか、それとも三人一緒に切り抜けるかだ。選びたまえ。
(間)どうしたの?
イネス 借り手がついたわ。窓が大きく開いている。男が一人、あたしのベッドに腰掛けている。
借りたんだ! 借りたんだ! お入り! お入り! 遠慮しないで。女だ。男の方へ行って男の肩に手を掛ける……
なぜ早く電灯をつけないんだろう? もう暗くて見えやしない。あの二人、キスするだろうか。
あの部屋はあたしのだ! あたしのだ! なぜ明かりをつけないのかしら。もう見えやしない。
あの二人、何をひそひそ言ってるんだろう。あの人、あたしのベッドで女を可愛がるのかしら。
あの女は言っている。ちょうど正午で日差しが明るいって。じゃあたし、目が見えなくなったのかしら。
(間)お終いだ。もう何もない。どうやらこれで娑婆ともお別れらしい。もう逃げ道はない。
(戦慄する)何だか、体の中が空っぽになってしまった。これですっかり死んじまったんだ。
ここの人間になりきったんだ。(間)あんた、何言ってたの、あたしを助けるって話だったわね。確か?
ガルサン そう。
イネス 何するのに?
ガルサン 奴らの計略の裏をかくのさ。
イネス であたしは、そのかわりにどうするの。
92 :
名前なし:2009/10/11(日) 02:49:20 ID:3VR80NOa
ガルサン 僕を助けてくれるのさ。僅かのことでいいんだよ、イネス。ほんのちょっぴり、その気になってくれればいいんだ。
イネス その気になるって……どこからそんな気持ちが出てくるの。あたしもう腐っちまった人間よ。
ガルサン ぼくらだってそうじゃないか。(間)でもやってみたら?
イネス あたしかさかさよ。もらうことも、あげることもできやしない。
どうしてあんたを助けることなんかできるもんですか。あたし枯れ枝よ。今に火がつくわ。
(間。頭を抱えたエステルを見る)フロランスも金髪だった。
ガルサン 君は、この子が君の鬼になることを知ってる?
イネス 何だかそんな気がするわ。
ガルサン 奴らは、このこの力を借りて君をやっつけるんだ。僕は、僕は……この子のことなんか、ちっとも気にはしない。もし君の方で……
イネス なあに?
ガルサン あれは罠だ。奴らは、君がその罠にかかるかどうか待ち構えているのだ。
イネス 知っているわ。そして、そういうあんたもやっぱり罠よ。あんたは、奴らがあんたの言葉を初めから見抜いているとは思わない?
そして、あたしたちの目には見えない落とし穴が隠してあるんだと。何もかも罠よ。
でもあたし、そんなこと平気。あたしだってやっぱり罠だわ。あの子にとっての罠。
あたしの方があの子をとっちめるかもしれない。
ガルサン 君には何にもとっちめられやしない。僕たちはメリー・ゴーランドみたいに追いかけっこをしているが、決して追いつくことはないんだ。
奴らは全てをちゃんと仕組んでいるんだよ。イネス、捨てるんだ。手を開いて放すんだ。でないと君は、僕たち三人を不幸にしてしまう。
93 :
名前なし:2009/10/11(日) 02:50:49 ID:3VR80NOa
イネス あたし、手放すような人間に見えて? あたしは、何があたしを待っているか知っているわ。
でもあたしは焼き尽くすのよ。焼くわ。果てしのないことくらいよく知ってる。
あたし、何もかも知ってるの。あたしが手放すなんて、あんた思う?
あたしはあの子をものにするわ。あの子はあんたを、あたしの目で見るようになる。
ちょうどフロランスがあの男を見たように。あんたの不幸だなんて、何を仰るの。
あたしは何もかも知っているのよ。あたしは自分自身さえ可哀想とは思えない。
罠! ふん、罠。無論、あたしは罠にかかるのよ。そしてそれから? 奴らが満足すればそれでいいのよ。
ガルサン (イネスの肩を抱き)僕には君を憐れむことができる。僕を見てごらん。僕たちは裸なんだ。
骨の髄まで裸なんだ。僕は君の胸の底まで知り抜いている。それが結びの糸なんだよ。
君は、僕が君を苦しめようとしているのだと思っているのか。僕は何も後悔しちゃいない。
自分を哀れとも思っちゃいない。僕だって心が枯れてしまっている。けれど、君をなら、僕は憐れむことができるんだ。
イネス (彼の語っている間、じっと身を委ねていたが、ここで気を取り直し)
触るな。あたし、人に触られるの大嫌い。そして、あんたの憐れみなんか返上するわ。
ねえガルサン、この部屋には、あんたにだってたくさんの罠があるのよ。あんたのために。
あんたのために仕掛けた罠が。あんたは自分のことにかかっていた方がいいのよ。
(間)この子とあたしに一切構ってくださらなければ、あたし、あんたを苦しめないようにするわ。
ガルサン (彼女を少し見て肩をそびやかす)よし。
エステル (頭を上げて)ガルサン、助けてちょうだい。
ガルサン どうしたの?
エステル (立ち上がって彼に近づき)あたしをなら、助けてくださることができるのよ。
ガルサン あの人に頼むがいい。
94 :
名前なし:2009/10/11(日) 02:52:56 ID:3VR80NOa
(イネス近寄り、エステルのすぐ後ろに、触れぬ程度に寄り添う。次の対話中、イネスはエステルの耳元でほとんどささやくように語る。
しかしエステルは、黙って自分を見ているガルサンの方を向き、まるでガルサンに問われているもののように、もっぱらガルサンにのみ答えをする)
エステル お願いです。あなた約束してくださったでしょう、ガルサン、約束してくださったでしょう。
早く、早く、あたし、一人じゃいられないのよ。オルガがあの人をダンスホールに連れ出したわ。
イネス 誰を連れ出したの。
エステル ピエールを。今二人は一緒に踊っている。
イネス 誰、ピエールって?
エステル うぶな少年。あの子は、あたしのことを僕の泉だと言ってたわ。あたしを愛してたわ。それにあの女が、あの子をホールへ連れ出しちまった。
イネス 好きなんだろう、その子を。
エステル 二人はまた腰を掛けた。女は息を切らしている。なぜ踊るんだろう、あの女。痩せるためだとしか思えないわ。
もちろんそんなことはない。もちろん、あたし愛してなんかいない。あの子は十八だもの。あたしは若いツバメを作るような女じゃないもの。
イネス じゃ二人のことなんか放っておおき、そんなこと平気じゃないの。
エステル あの子はあたしのものだった。
イネス 娑婆じゃ、もう何一つあんたのものなんかないのよ。
エステル あの子はあたしのものだった。
イネス そう、だったのよ……あの子をつかまえてごらん。あの子に触ってごらん。
オルガにはあの子が触れるんだよ。そうだろう? そうだろう? オルガにはあのこの手も握れるし、膝にも触れるんだよ。
エステル オルガは大きな胸を押し付けて、あの子の顔に息を吹きかけている。可哀想に、早くオルガに鼻でも引っ掛けてやればいいのに。
ああ、あたしがひとにらみ睨んでやりさえしたら、オルガはとてもあんなことを……本当にあたし、もう何の力もなくなったんでしょうか。
95 :
名前なし:2009/10/11(日) 03:41:02 ID:3VR80NOa
イネス もう何も。そして地上には、あんたのものはもう何も残ってやしない。
あんたのものは全部ここにあるのよ。あんたペーパー・ナイフがほしい? ブロンズは?
この青い長椅子はあんたのものよ。そして、ねえ、このあたしは永久にあなたのものなのよ。
エステル へえ? あたしのもの? じゃ、あなたたちのうち、誰があたしのことを泉って言えるの。
あなたたちは誤魔化せない。あなたたちは、あたしが汚れた女だってことを知ってるんですもの。
ピエール、あたしのことを考えて。あたしのことだけ考えて。
あんたが「僕の泉、なつかしい泉」って考えてくれる間は、あたしは半分だけしかここにいないの、半分だけしか罪人じゃないのよ。
あたしは地上のあんたのそばで、やっぱり泉なのよ。あの女、トマトみたいに真っ赤になってる。
あら、そんなこと。あたしたち二人は、何度あの女を笑ったかしれないのに。
あの曲、何かしら、そうそう、あれはセント・ルイス・ブルース……さあ、踊りなさい。
ガルサン、もしあなたにも見えたら面白いわよ。あの女、あたしの見てること絶対分からないのね。
見える、見える。髪を振り乱して、顔をしかめて、ほら、あの人の足を踏んじゃったじゃないの。
おかしいったらありゃしない。さあ、もっと速く! もっと速く、もっと速く!
あの子、女を引っ張った。押した。露骨よ、それは。あの子、よくあたしに言ったわ。
「あなたは本当に軽やかだ」って。さあ! さあ! (言いながら踊る)あたし、あんたが見えるのよ。
でもあの女、平気で、あたしの見ている前を踊り抜けて行く。なつかしいエステルちゃん!
何だって、なつかしいエステルだって? お黙り。あんたは、あたしの葬式の時、涙一つこぼさなかったじゃないか。
あの女、あの子に「なつかしいエステルちゃん」なんて言ったわ。あたしのことを言うなんて厚かましい。
さあ! 拍手を取って。あの女に、踊りながら喋るなんてこと出来るもんか。あら、何を……
96 :
名前なし:2009/10/11(日) 05:06:07 ID:3VR80NOa
いや、いや、あの子に言っちゃいや。あの子はあんたに上げる。連れてお行き。あんたのものにおし。
でもあれだけは言っちゃいけない……(踊りを止める)いいわ。こうなったらあんたのものにおし。
あの女は何もかも喋ってしまったのよ、ガルサン。ロジェのことも、スイス旅行のことも、子供のことも、みんなあの子に言っちまったのよ。
「エステルちゃんは猫かぶりだった……」そうよ、そうよ。あたしは猫かぶりか……
あの子、悲しそうに首を振っているわ。でも本当のことを聞いてびっくりしたようにも見えない。
さあ、その子をあんたのものにおし。その子の長い睫毛や、女の子みたいな様子なんか、もうあんたと取り合いする気はないわ。
ふん! その子はあたしのことを、泉だ、水晶だと言っていた。ところがその水晶は粉みじんになっちゃったのよ。
「なつかしいエステルちゃん」か。踊りなさい、さあ、踊りなさい! 拍子をとって。一、二。(踊る)
何としても地上へ帰りたい。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。そして踊りたい。
(踊る。間)よく聞えなくなった。タンゴを踊る時みたいに明かりを消してしまったわ。
なぜ弱く弾くんだろう。もっと強く! ああ、遠い! もう……何も聞えない。
(踊りを止める)もう駄目。地上のものはあたしを去ってしまった。ガルサン、あたしを見て。あたしを抱いて。
(イネスはエステルの後ろから、ガルサンに遠ざかれと合図する)
イネス (命令的に)ガルサン!
ガルサン (一歩退き、エステルにイネスを指し)この人に頼むがいい。
97 :
名前なし:2009/10/11(日) 05:07:13 ID:3VR80NOa
エステル (彼をつかまえ)行っちゃいけません。ねえ、あなた男でしょう。
さあ、あたしをじっと見てちょうだい。目をそらさないで。見るのがそんなにお辛いの。
あたし金髪よ。そして、何といったって、男に自殺させたほどの女よ。
お願い、何かをじっと見てちょうだい。あたしでなければ、あのブロンズでもテーブルでも長椅子でも。
だけど同じ見るならあたしを見た方が楽しいはずよ。ねえ、あたしはあの人たちの心の中から、
小鳥が巣から落ちるみたいに落ちてしまったの。だからあたしを拾ってちょうだい。
抱き上げてちょうだい、あなたの胸に。あたしきっと優しくするわ。
ガルサン (努力して押し返し)あの人に頼めと言ってるじゃないか。
エステル あの人に? だってあの人なんか別よ。女ですもの。
イネス あたしは別? でも小鳥さん、ひばりさん、あんたは、もうずっと前からあたしの胸に隠れているのよ。
恐がっちゃいけない。あたしはあんたをじっと見ていてあげるわ、瞬きもしないで。
あんたは、あたしの目の中に生きて行くのよ、日の光に照らされた金のきらきらのように。
エステル 日の光ですって? へ、よしてちょうだい。さっきもあなたはあたしに突っかかってきたわね。そして失敗したわね。
イネス エステル! 泉さん、あたしの水晶さん!
エステル あなたの水晶? 笑わせるわ。そんなことを言って、あなた誰を騙すつもり?
ねえ、みんな知ってるわ、あたしが子供を窓から放ったこと。水晶は地上で粉々に砕けてしまったのよ。
でも平気。あたしはもう肉体だけ---そしてあたしの肉体はあなたのものじゃない。
イネス さあいらっしゃい! あんたは望み通りのものになれるのよ。泉にだって、水晶にだって、
あんたはあたしの目の底で、なりたい通りの姿になれるのよ。
エステル 放して! あなたに目なんかありはしない! どうしたら放すの! さあ!
(イネスの顔に唾を吐きかける。イネスいきなり放す)
イネス ガルサン! 覚えてらっしゃい!
(間。ガルサン肩をそびやかしエステルの方へ行く)
98 :
名前なし:2009/10/11(日) 05:08:48 ID:3VR80NOa
ガルサン じゃ、君には男が必要なのかい。
エステル 男じゃないの。あなたがよ。
ガルサン 巧いことを言うなよ。誰だってお役はつとまるのさ。僕がここにいたから僕なんだろう。よし。
(肩を抱く)僕は君に好かれる所なんか何もない。うぶな少年でもないしタンゴも踊らない。
エステル そのままのあなたでいいわ。あたし、あなたというものを変えてしまうかもしれない。
ガルサン どうだか。それに僕は……気が散るかもしれない。他のことを考えてるから。
エステル 他のことって何?
ガルサン それは君の知ったことじゃない。
エステル あたし、あなたの長椅子に腰掛けるわ。そしてあなたが構ってくださるまで待っているわ。
イネス (大声で笑い出し)ふん、この牝犬! 追っかけてる、追っかけてる! 美男子でもないのに!
エステル (ガルサンに)こんな人の言うこと聞かないで。目も耳もないのよ、この人は。問題じゃないわ。
ガルサン 僕は君に、出来るだけのことはしよう。だがそれも大したことじゃない。僕は君を愛したりしないよ。君を知りすぎているから。
エステル あなた、あたしの体がほしい?
ガルサン うむ。
エステル それだけで十分よ。
ガルサン じゃ……
(彼女にのしかかる)
イネス エステル! ガルサン! 気が違ったの! ここにいるわよ、あたしが!
ガルサン 分かってるよ、それがどうした?
イネス あたしの前で? そ、そんなことできるもんか!
エステル どうして? あたし、女中の前で着物を脱いだことあるわよ。
イネス (ガルサンにしがみつき)触っちゃいけない! 男の汚い手でこの子に触っちゃいけない!
ガルサン (激しく押しやり)よし。俺は紳士じゃない。女を殴るくらい平気だぞ。
イネス 約束したじゃないの、ガルサン、約束したじゃないの。お願い、約束したじゃないの!
ガルサン 君の方だよ、約束を破ったのは。
(イネス離れて部屋の奥へ行く)
99 :
名前なし:2009/10/11(日) 05:10:52 ID:3VR80NOa
イネス どうでも好きなようになさい、あんたたちの方が強いんだから。でも忘れないようにね。
あたしはここにいて、ちゃんと見てるのよ。ガルサン、あたしはあんたから目を離さない。
あんたはあたしの目の前でその子を抱くのよ。ああ、なんて憎たらしいんだろう、この二人!
さんざんおふざけ! ここは地獄さ。今にあたしの番が来る。
(次の場面の間、彼女は無言でそのまま二人を見ている)
ガルサン (エステルの方へ戻ってその肩を抱く)さあ、唇を。
(間。彼はエステルの方にのしかかるが急に立ち上がる)
エステル (忌々しそうに)ふん……(間)あの人なんか気にしないようにって言ったじゃないの。
ガルサン あの女のことじゃない。(間)ゴメスの奴が新聞社にいるんだ。窓を閉めた。じゃ冬なんだな。
六ヶ月。六ヶ月になるかな、奴らが俺を……君、さっき言ったろう、僕はよく気が散るって。
みんな震えている。上衣を着たままだ。おかしいな、向こうがそんなに寒いなんて。
俺はこんなに暑いのに。さあ、いよいよ俺の噂だぞ。
エステル 長くかかるの? (間)せめて、何を言ってるのか言ってちょうだい。
ガルサン 何も。あいつは何も言ってやしない。ただ、あいつは人間のかすだよ。
(聞き耳を立てる)見事なかすだよ。ちぇっ! (またエステルにより)さあ、今度は僕たち二人のことだ。君、僕が好きかい。
エステル (にっこりして)さあ、どうだか。
ガルサン 僕を信用するかい。
エステル 変なことを聞くのねえ。あなたはあたしの目の前にいるんですもの。イネスと浮気できるはずがないじゃないの。
ガルサン もちろんそうさ。(間。エステルの肩を放す)僕はそれとは別の信用を言ってたんだ。
(聞く)いいよ、いいよ、何とでも言いたまえ。俺はそこへ行って弁護するわけにはいかないんだ。
(エステルに)エステル、君はどうしても僕を信用する必要がある。
100 :
名前なし:2009/10/12(月) 00:47:12 ID:7KtU1HrA
エステル もったいつけるのねえ! でも、あたしの唇も腕も、体全体あなたのものでしょう。
だからわけないことなのよ……あたしの信用ですって? でもあたし、信用するもしないもないわ。
あなたって、とても面倒な方。そんなに信用しろしろって、よくよく悪いことをなさったらしいわね。
ガルサン 僕は銃殺されたんだ。
エステル 知ってるわ。出征を拒んだんでしょう。そして?
ガルサン 僕……僕は別に、拒んだ、というわけでもない。
(見えない者に向かって)あいつは雄弁だよ。うまく非難するよ。でも、言うべきことを言っていない。
俺が司令官の所へ入って行って「閣下、私は出発しません」なんて言うものか。そんな馬鹿なことを!
奴らは俺を営倉へぶち込んだに違いない。俺は俺の意見を公表したかったんだ、俺の意見を!
俺の声を抑えつけられたくなかったんだ。
(エステルに)で俺は……汽車に乗って逃げた。そして国境でとっつかまったんだ。
エステル どこへ行くおつもりだったの。
ガルサン メキシコさ。僕はそこで平和主義の新聞を出すつもりだった。(沈黙)さあ、何とか言ってくれ。
エステル 何を言えばいいの? あなたは戦争をしたくなかったんだから、あなたのしたことはいいことだわ。
(ガルサン苛々した身振り)ああ、あたし、どう答えていいのか分からない。
イネス ねえあんた、その人には「あんたはライオンみたいに逃げたのね」って言ってやればいいのよ。そのことがその人には辛いのさ。
ガルサン 逃げたとでも、発ったとでも、勝手に言うがいい。
エステル あなたは逃げなきゃならなかったんだわ。じっとしていたら、奴らにとっつかまるんだもの。
ガルサン 無論さ。(間)エステル、僕は卑怯かい。
エステル 分からないわ。あたし、あなたじゃないんだもの。それはあなたが決めることよ。
ガルサン (ぐったりした身振りで)決められない。
エステル だって自分におぼえがあるんでしょう。そういう風にするためには、きっとそれだけのわけがあったはずだわ。
ガルサン そりゃそうさ。
エステル ではどう?
ガルサン それが本当の理由だろうか?
101 :
名前なし:2009/10/12(月) 00:49:07 ID:7KtU1HrA
エステル (忌々しげに)あなた、随分複雑ね。
ガルサン 僕は意見を公表したかった……僕は長い間考え抜いた……それが本当の理由だろうか。
イネス そうよ、そこが問題よ。「それが本当の理由だろうか」あんたはいろいろ理屈をつけ、軽々しく行動しようとはしなかったのね。
でも、怖れとか憎しみとか、人には言えない醜いことだってやっぱりみんな理由なのよ。
さあ、考えてごらんなさい、自分の胸に聞いてごらんなさい。
ガルサン 黙れ! 俺は何も君の忠告なんか待ってはいなかったよ。俺は独房の中を昼も夜も歩き回った。
窓から入り口へ、入り口から窓へ。俺は俺自身をつけねらった。俺のあとを尾行しようとした。
何だか一生涯、自分を訊問し続けたような気がする。だが、確かに俺のやったことはやったことだ。
俺は……俺は汽車で逃げた。これは確実だ。しかしそれはなぜなんだ。なぜなんだ。
結局俺はこう考えた。俺の死が決めてくれる。もし俺が綺麗に死ねば、俺が卑怯者でない証拠になるとな……
イネス で、あんたはどんな死に方をしたの、ガルサン。
ガルサン まずかった。(イネスが大声で笑う)もっとも、体ががっくりしただけのことで、
別にそれを恥とも思っちゃいない。ただ、全てが永遠に宙ぶらりんのままになってしまったんだ。
(エステルに)さあ、おいで。俺をじっと見るんだ。奴らが地上で俺の噂をしている間、
俺は誰かにじっと見てもらいたいんだ。俺は緑色の瞳が好きなんだ。
イネス 緑色の瞳? 呆れたわ! エステル、あんた卑怯者が好き?
エステル そんなこと、どっちだっていいのよ。卑怯であろうとなかろうと、可愛がってもらえたら。
102 :
名前なし:2009/10/12(月) 00:50:18 ID:7KtU1HrA
ガルサン 奴らは、葉巻をくゆらしながら首を振っている。退屈なんだ。奴らは、ガルサンは卑怯者だと考えている。
無気力に、ぼんやりそう考えている。とにかく何かを考えていたいからだ。ガルサンは卑怯者!
俺の仲間の決めたことはそれだ。半年もしたら、奴らは「ガルサン流の卑怯者」なんて形容詞を作るだろう。
君たち二人は幸せだ。地上では、もう誰も君たちのことを考えていやしない。俺はもっとしぶといのだ。
イネス 時に奥さんはどうなったの、ガルサン。
ガルサン 何、女房? 女房は死んでしまった。
イネス 死んだ?
ガルサン 言うのを忘れていたらしいが、さっき……二ヶ月ほど前に死んだ。
イネス 悲しんで?
ガルサン 無論悲しんでさ。それ以外にどうして死ぬものか。さあ、これで万事よし。戦争はすんだし、女房は死んだし、俺は過去の人物になったし。
(むせび泣き、顔を撫でる。エステル彼にしがみつく)
エステル あなた、ねえ、あなた! あたしを見て! あたしに触って!
(彼の手を取り、自分の胸に当てる)手をあたしの胸にお当てなさい。
(ガルサン放そうというこなし)手をそのままに。ね、そのままにして動いちゃいけない。
あの人たち、今に一人一人死んでいくわ。あの人たちが何を考えたって平気よ。お忘れなさい。今はもうあたしだけがいるのよ。
ガルサン (手を引いて)奴らは俺を忘れやしない。奴らが死んでも、また他の奴らが来てあの合言葉を引き継ぐんだ。俺は一生を奴らの手にまかしたんだ。
エステル あなた、あんまり思い過ごしよ。
ガルサン 思い過ごすよりほか、ないじゃないか。昔、俺は行動した……ああ、一日でいいから、みんなの所へ帰りたい……
立派に反対してやるんだがなあ。でも俺はのけものだ。奴らは、俺のことなぞお構いなしに決算している。
それも当たり前だ。俺は死んだんだから。鼠みたいにやられたんだ。(笑う)俺はみんなのさらし者だ。
(間)
103 :
名前なし:2009/10/12(月) 00:52:05 ID:7KtU1HrA
エステル (優しく)ガルサン!
ガルサン いたのか。ねえ、君、一つ俺の力になってくれ。いや、逃げなくていい。分かっている。
人に助けを乞われるなんて、君にはおかしく思えるだろう。君には慣れないことだからな。
しかし、もし君がその気になって努力してくれたら、二人は本当に愛し合えるかもしれないんだよ。
いいかい。あいつらは、千人も寄って俺を卑怯者だと言っている。だが千人が何だ。
もし、この人は逃げたんじゃない、逃げようはずはない、勇気のある人だ、立派な人だと、
一人の人が、たった一人の人が力の限り言い切ってくれたら……きっと俺は救われるんだ!
俺を信用してくれるかい。そうしたら、俺以上に君を大事にするよ。
エステル お馬鹿さん! あたしが卑怯者を好きになるなんて思ってるの。
ガルサン だってさっき君は言っただろう……
エステル あれは冗談よ。あたしは、ガルサン、男が好き、男らしい男、がっしりした、力の強い男が好き。
あなたは卑怯者の顎なんかしてやしない。卑怯者の口なんかしてやしない。卑怯者の声なんかしてやしない。
あなたの髪の毛は卑怯者の髪の毛じゃない。あたしがあなたを好きなのは、あなたの口のためよ。声のためよ、髪の毛のためよ。
ガルサン 本当かい。きっとかい。
エステル 誓えって言うの。
ガルサン じゃ、向こうの奴らもここの奴らも束になってかかって来いだ。エステル、この地獄から抜け出そう。
(イネス笑い出す。彼は言葉を切って彼女を見る)どうしたんだ。
イネス (笑いながら)だってこの子は、一言だって本気で言ってやしないのよ。どうしてあんたはそんなにお人がいいの。
「エステル、俺は卑怯者か」だなんて。この子には、そんなことどうでもいいってこと、あんた分からないの?
エステル イネス! (ガルサンに)この人の言うことなんか聞いちゃいけない。もしあたしに信用してほしければ、まずあたしを信用してちょうだい。
104 :
名前なし:2009/10/12(月) 00:53:48 ID:7KtU1HrA
イネス その通り、その通り、うんと信用しておあげなさい。この子は男がほしいのよ。いいこと?
腰の周りに男の腕が。そして男の匂いが、男の目の中に男の欲望が。それ以外のことは……
ふん! あんたを喜ばせるためなら、あんたを神様とさえ言うわよ。
ガルサン エステル! それは本当か。返答しろ。それは本当か。
エステル あたし、どう言ったらいいの。そんなこと、てんで分からないわ。(地団太を踏む)本当に苛々する!
たとえあなたが卑怯者でも、あたしはあなたを好きになるわ! それじゃいけないの?
(間)
ガルサン (二人の女に)君たち大嫌いだ!
(扉の方へ行く)
エステル どうなさるの。
ガルサン 俺は行くんだ。
イネス (早口に)遠くへは行けやしないわ、戸は閉まってるのよ。
ガルサン どうしたって開けさせるんだ。
(ベルのボタンを押す。ベル鳴らず)
エステル ガルサン!
イネス (エステルに)心配しないで。ベルは壊れている。
ガルサン 開けさせるんだよ。(扉をどんどん叩く)もう君たちには我慢がならん。もう我慢ならんよ。
(エステル駆け寄る。彼は押し返す)あっちへ行け! 君の方がもっと嫌いだ。
君の目の中にうずもれるのは真っ平だ。君はじめじめしている。ふやけている。君は蛸だ、泥沼だ。
(扉を叩く)開けないか。
エステル ガルサン、後生だから行かないで。もうお喋りはしません。あなたをそっとしておくから行かないで。
イネスが爪をむき出したんですもの。あの人と二人きりでいるのはもう嫌。
ガルサン 自分で何とかするさ。俺が君に来てくれと頼んだわけじゃない。
エステル 卑怯者! 卑怯者! 違いないわ、卑怯者に!
イネス (エステルに近付き)ねえ、ひばりさん、これで気が済んだでしょう?
あんたは、あの人のご機嫌をとろうと思って、あたしの顔に唾を引っ掛けたわね。
そして二人はあの人のために喧嘩してしまったわね。でもあの邪魔者は行ってしまうのよ、女二人にしてくれるのよ。
エステル そうは問屋がおろしませんよ。あの戸が開いたら、あたし逃げて行く。
105 :
名前なし:2009/10/13(火) 05:28:09 ID:gcTIsVfn
イネス どこへ?
エステル どこだっていい、あんたから出来るだけ遠い所へ。
(ガルサン、相変わらず扉を叩き続けている)
ガルサン 開けろ! 開けろ。足枷でも釘抜きでも鉛の溶けたのでも、火箸でも、締め木でも、焼くものでも引き裂くものでも何でも来い。
俺は本当に苦しみたいのだ。そっとかすめて、撫でていって、十分苦しませてくれない頭の中の苦しみ、
影のような苦しみよりは、うんとかまれたほうがましだ。鞭や硫酸の方がましなんだ。
(扉のハンドルを取ってゆする)開けないか。(扉、突如として開き、急に倒れそうになる)あっ!
(長い沈黙)
イネス どうなのガルサン、行ったらどう?
ガルサン (ゆっくり)なぜこの戸は開いたんだろう。
イネス 何をぐずぐずしてるの。さあ、早く、早く!
ガルサン いや、行かない。
イネス エステル、あんたは? (エステル動かず。イネス笑い出す)じゃ誰が行くの? 三人のうち誰が?
道は開いてるのよ。なぜ行けないの。ふん、大笑いさ! あたしたち三人は離れられない仲なのね。
(エステル、後ろからイネスに飛び掛る)
106 :
名前なし:2009/10/13(火) 05:29:30 ID:gcTIsVfn
エステル 離れられないって? ガルサン! 手を貸して、早く手を貸して。
この人を外へ引きずって締め出してしまいましょう。今に見ろ!
イネス (もがきつつ)エステル! エステル! 後生だからこのままにして。廊下は嫌。あたしを廊下に放り出しちゃ嫌。
ガルサン 放してやれ。
エステル そんな馬鹿な、この人はあんたを憎んでるのよ。
ガルサン 俺が踏み止まったのはこの人のためだ。
(エステルはイネスを放し、愕然としてガルサンを見る)
イネス あたしのためって? (間)いいわ。じゃ扉を閉めてちょうだい。戸が開いてから十層倍も暑くなったわ。(ガルサン扉の方へ行き閉める)あたしのため?
ガルサン そうだよ。卑怯者とは何か、君は知っている。
イネス ええ、知ってるわ。
ガルサン 君は悪とは何か、恥辱とは何か、怖れとは何かを知っている。
自分の心の底まで見抜いたことがあっただろう---そして手の力も足の力も抜けるような思いがしただろう。
ところが、そのあくる日には、もうどう考えていいか分からない。前の日に分かったことがもう分からない。
そうだ、君は悪の価値を知っている。だから、君が僕を卑怯者だというのは、十分わけを知った上でのことなんだ。そうだろう?
イネス そうよ。
ガルサン 僕は君をこそ説得しなければならないんだ。君は僕の同類だ。君は僕が行ってしまいうとでも思っていたのか。
僕は、そういう考えを、僕に関係したそういう考えを頭にもって、得意になっている君を、ここに残しておくことはできなかったんだ。
イネス あんた、本当にあたしを説得するつもり?
107 :
名前なし:2009/10/13(火) 05:30:56 ID:gcTIsVfn
ガルサン もうそれ以外に望みはない。もう地上の奴らの声は聞こえないんだ。
きっと僕のことは打ち切りにしたんだろう。打ち切り。事件は片付いて、僕はもう地上では何者でもない。
卑怯者でさえないのだ。イネス、僕たちは三人きりだ。僕のことを考えるのは君たち二人しかいない。
だがあの子は論外だ。しかし君は、僕を憎んでいる君こそは、僕を信じてくれたら僕を救える人なんだ。
イネス 難しいでしょう? こっちを見てちょうだい。あたしがんこな女だから。
ガルサン 僕は必要なだけの時間をかける。
イネス そうね。時間は十分あるわ。いつまでもね。
ガルサン (イネスの肩を抱いて)お聞き、人はめいめい目的を持っている、そうだろう。
僕は金や恋愛には目もくれなかった。僕は男になりたかったんだ。骨のある男に。
僕は同じ馬に全部を賭けた。一番危険な道を選んだ人間が、卑怯者だなんてそんなことがあるだろうか。
たった一つの行為によって、人の一生を裁くことが出来るだろうか。
イネス どうして? あんたは三十年の間、自分は勇敢だと夢に思っていたのよ。
そして、勇士は何をしてもいいからというんで、自分のいろんな弱みを大目に見てきたんでしょう。
都合のいい話ね。さていよいよ危険な時が来て土壇場に追い込められると……
あんたはメキシコ行きの汽車に乗って逃げたのね。
ガルサン 僕は勇士であることを夢見たんじゃない。僕はそうなることを選んだんだ。人間は自分のなろうと思うものになるんだ。
イネス じゃその証拠を見せてごらんなさい。それが夢ではなかった証拠を。人間の望んだことを決めるのはただ行いだけよ。
ガルサン 僕は早く死にすぎた。僕の行為をやり遂げる暇がなかったんだ。
イネス 人間の死ぬのはいつも早すぎるか---遅すぎるかよ。でも、一生は、ちゃんとけりがついてそこにあるのよ。
一本、線が引かれたからには総決算をしなけりゃ。あんたは、あんたの一生以外の何でもないのよ。
ガルサン 畜生! 何でもうまく答える奴だ。
108 :
名前なし:2009/10/13(火) 05:32:15 ID:gcTIsVfn
イネス さあ! 気を落とさないで。あたしを説き伏せるくらい、あんたには何でもないでしょう。さあ、何か理屈を考えてごらんなさい。一奮発。
(ガルサン肩をそびやかす)どう? あたし、さっきあんたは弱い人だと言ったわね。
ああ、これからあんたは償いをするのよ。ガルサン、あんたは、あたしがそう望んでいるからこそ卑怯者なのよ。
あたしはそう望んでいる、分かった? なのに、あたしはこんなに弱い女よ、かすかな風よ。
あたしはただ、あんたを見ている視線、あんたを考える無色の考え、それだけのものよ。
(彼は両手を開いて彼女に進みよる)ふん、開いたわね、男の大きな手が。
でもあんた、どうするつもり。頭の中の考えは、手でつかめっこないわよ。
さあ、あなたの選ぶ道はたった一つよ。それはあたしを説き伏せること。さあ、あなたの急所をつかんだわよ。
エステル ガルサン!
ガルサン 何だ?
エステル 復讐なさい!
ガルサン どうして?
エステル あたしを抱いて。そうしたらあの人、喚き立てるわ。
ガルサン でもそれは本当だ、イネス。君は僕の急所をつかんでいる。だが、僕も君の急所をつかんでいるのだ。
(彼はエステルにのしかかる。イネスは叫び声をあげる)
イネス ふん、卑怯者! 卑怯者! 女に慰めてもらうがいいわ。
エステル 喚くがいいわ、イネス、うんと喚くがいい。
イネス 似合いだわ! あの人の大きな手が、あんたの背中にべったりとくっついて、肌も着物もしわくちゃにしているのがあんたに見えたら。
あの人の手はねばねばよ。汗びっしょりよ。あんたの衣裳に青いしみがつくわ。
エステル いいだけほざくがいい! ガルサン、もっとしっかり抱きしめて。あの人、それを見て死んじまうから。
イネス そうそう、もっと強く抱きしめるがいいわ。二人の温かさを一つにして。恋っていいもんでしょう、ねえガルサン。
眠りみたいに、温かくって、しみじみして。でもあたし、あんたを眠らせやしないわよ。
(ガルサン気色ばむ)
109 :
名前なし:2009/10/13(火) 05:51:53 ID:gcTIsVfn
エステル 聞かないで。あたしの唇を。あたしの全部はあなたのものよ。
イネス 何をぐずぐずしてるのよ。言われる通りにすればいいじゃないの。
卑怯者のガルサンが嬰児殺しのエステルを抱いてる。賭けの始まり。卑怯者のガルサンはあの子にキスするかどうか。
見てるわよ、見てるわよ。あたしは、たった一人で群集なのよ。分かった?
(つぶやく)卑怯者! 卑怯者! 卑怯者! いくらあたしから逃げようったって逃がしはしない。
あんたはそのこの唇に何を求めているの? 何もかも忘れること? でもあたしはあんたを忘れやしない。
あたしを説き伏せなきゃならないのよ。あたしを。さあ、いらっしゃい! 待ってるわ。
ほら、エステル、その人、手を緩めたろう。その人は犬みたいに素直なの……
あんたにはその人、ものに出来ない!
ガルサン 暗くならんのかな、どうあっても。
イネス ええ、どうあっても。
ガルサン 君はいつまでも見ているのか。
イネス いつまでも。
(ガルサンはエステルを放し、部屋を数歩歩く。ブロンズに近付く)
110 :
名前なし:2009/10/13(火) 07:10:29 ID:gcTIsVfn
ガルサン ブロンズだ……(撫でる)さあ、時が来た。ブロンズがここにある。
僕はそれを見て地獄にいるのだと知る。何もかも計画してあったんだ。奴らは見抜いていたんだ。
僕がこの暖炉の前に立って、このブロンズを撫でて、みんなの視線を浴びるんだということを。
僕を食い尽くすみんなの視線……(急に振り返り)ふん、二人きりか。もっとたくさんだと思っていた。
(笑う)じゃ、これが地獄なのか。こうだとは思わなかった……二人とも覚えているだろう。
硫黄の匂い、火炙り台、焼き網……とんだお笑い草だ。焼き網なんかいるものか。地獄とは他人のことだ。
エステル あなた!
ガルサン (押しやって)うるさい。あの女が中にいる。あの女の見ているところでそんな真似はできない。
エステル ふん、じゃもう見られないようにしてやる。
(卓上のペーパー・ナイフを取り、イネスに飛び掛って何度も突く)
イネス (もがき、笑いながら)何をするのさ、何をするのさ、お馬鹿さん。分かってるだろう、あたしはもう死んでるのよ。
エステル 死んでる?
(ナイフを落とす。間。イネスはナイフを拾って激しく我が身を突く)
イネス 死んでる! 死んでる! 死んでるのさ! 分かった? あたしたちは一緒にいるのよ、いつまでも。(笑う)
エステル (急に笑い出し)いつまでも、おかしい! いつまでも!
ガルサン いつまでも!
ガルサン (二人を見て笑う)いつまでも!
(三人はめいめいの長椅子にぐったり腰掛ける。長い沈黙。三人は笑うのを止めて互いに見交わす。ガルサン立ち上がる)
ガルサン よし、続けるんだ。
---幕---
111 :
名前はいらない:
明日のことは自分にもわからない