〜〜詩で遊ぼう! 投稿梁山泊 11th edition 〜〜

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749園川@代行お願いしてます
>>686-687 負け試合
試合に勝って勝負に負けた。闘牛の喩えからは
意地悪に見れば便利な女を孕ませてしまい結婚したという
構図を連想するが語り口から判断するに、
まあ幸せなのだろう。
ただ試合と勝負という言葉にそれぞれ対応する意味が
はっきりしないという部分が少し気になる。

>>708 「僕の世界」
例えばこの作中の子供が実体験を書いたとして
(そのような構造の作品だが)こんな作品になるか。
本当に苦しんでいる子供がこんな風に書くか。
これが作者の実体験だと仮定しても、
こういう工夫のない書き方ではなにも伝わってこない。
実体験を書くという行為自体に作家にとってのドラマはあるだろうが、
それが作品の表現として現れてこないと読者にはなんの感興も湧かない。
ただ実際は切実な経験の記述というのは工夫の意識なんてなくても
自ずと生々しさは伝わるという気はするが。
伝わらなければ本当は切実ではなかったということだ。
なんにせよ甘いのである。

>>710 王の手
隠喩や音韻の使い方が中途半端。
スペクタクルとしても面白くない。

>>712
人生訓話をずらすこと。
それだけなのだがそれがそんなに面白いことだろうか。
ただ、ラスト2行で多少は読み手の心を開く。