>>692 角
1連目、「まるで流れ星のような一直線」
2連目、「まるで山手線のような等間隔」
これらが一体何を指しているのか。何も指していない。
言葉が内包される意味だけによって、自立して存在している。
つまりここにある言葉は一切の叙景を拒否しているのだ。
1連目、「何の脈略もなく(感覚的にはあまりにも不自然だ!)
その特異な点は現れた」
2連目、「ローカルな不思議は(顕微鏡で覗いてご覧よ!)
グローバルの中に埋没していく」
特異な点は特異な点としてのみ現れたのであり、
それはどのような特異な点でもない。ただ「特異な点」なのだが、
それがどのように「流れ星のような一直線」に現れるのかというと、
やはりその如何には問えない。ただ「何の脈絡もなく」「現れた」のだ。
言葉は自身に内包されたあらゆる意味を利用して、
次の言葉を召喚する。山の手線という語の円形のイメージ、
ローカルという言葉の音韻、それらによってグローバル
という語新たな語が飛んでくる。
言葉の連鎖反応だ。視像や概念などの明滅する
諸表象は、「一直線」「グローバル」「特異な点」「ローカルな不思議」
という骨格をなす言葉に導かれ、最終行に現れる純粋な言葉の結晶。
「それは正多角形の単純な美しさ」だ。
問題は二つ、ます言葉は情景からきれいに分離されているか。
叙景の拒否を志向する言葉は実は半分は情景に足を掴まれていろうであり、
(この詩の場合は夜空の情景)纏わり付くノイズが邪魔をしてないか。
最終行の求心力は十分か。正多角形の単純な美しさを謳えるほどの
純粋さは獲得されていないのではないか。