>>719 んー、まず彼らの文を読んでると、感情的な陶酔が見えて、
彼らの言う意味についても、どうもそれ以上の"特別な事柄"
としか考えてない部分が数多くあるように思えるわけですな。
静葉氏との議論を見てて、そうおもいました。
まー例えばですが、彼らが自由てものを特別な物のように思っている
かもしれないけど別にこちらとしては特別なものとも何とも
思っておらず、ある特定の場合において行使できる可能性が
ある権利の一環、もしくはある特定の力を持たなければ行使
できない力の一つとしか思っていないとする。だとすると
彼らのベースに乗っていくとたとえば自由に対する議論というのは
明らかに感情的な論戦にしかならないわけですよね。
むしろそちらのほうになるとこちらが言いたいことの一つも表現できん。
こちらとしてはそれを排除したうえで冷徹に議論を進めていきたいわけで。
彼らの論理展開にしろ(まあこれはあらゆる人間に共通すること
だと思いますが)その陶酔である部分ある部分が埋まってるわけで
たとえばこの時点で直接的に"自由を否定したり"するとこれは完全に
感情的非難の応酬になります。しかも相手は非常に乗り気なわけで(w
それはこちらとしても避けたいわけですよ。
だとするとこちらとしても、彼らの概念の幅が狭まってるならそれなりに
ある程度別な表現を用いていかなければならないわけで、その点
第三者的視点でいえばこれほどわかりにくい議論もないかもしれません。
俺は第一者なんでその辺は想定不可能ですがね。