「不眠症の男」
何もしないよりも良い
なんて
所詮恨み言で
しないで済む事はたくさんあって
ごめんで済まない事もたくさんあって
切り刻んだ後悔に唇を当て
産毛の生えないつるつるの盛り上がりに舌を這わし
今夜は不眠症の男を思い出して眠ろうとしようか
不眠症の男は優しかった
理由無く困惑して腹が立って顔が熱くなって私の何が解るのか!
と顎を震わせてぎりぎりと袖のボタンを噛んでいた私に
よく判らないけどよく判りたいと絞るように囁いて泣いた男
男はよく判らない話ぶりで頻繁に私を混乱させた
そのよく判らない話ぶりを男は自分で詩的な表現と嘯いた
頑固な不眠症に悩んで睡眠薬に依存している男は
煙草を吸う私に煙草に依存しないで僕に依存してくれと度々懇願した
初めて二人きりで会った時は汚い映画館で怖くないホラー映画を見た
二回目に会った時は大きなパフェが有名な喫茶店で珈琲を飲みながら
男の眠れない理由や仕事場での不当な扱いや私への過剰な賛辞や
政治家の汚さを男曰く詩的な表現を用いてとめどなく話す男に頷く私だった
三回目に会った時は男は唇にキスをして興奮する私をなだめてもう一度キスをして
そして唇以外にキスはせずに地下街を二人同じ歩幅で歩いて肩が当たり合う毎に私に謝っていた
四回目に会った時にはひどい雨降りの日で虫の居所の悪かった私が
雨音にイライラして一方的に男への不満をまくしたてて
男は頷く事も無く悲しい顔をして折り畳んだ傘を振り回して雨に濡れていた
五回目に会った時は男はこの世の人ではなくなっていた
男の顔は青白くて本当に青白くて
ぽろぽろと涙を流す私に死んでしまった男が微笑んで囁いた
泣かないで 僕は死にたい生き物だったのだよ
おやすみなさい あなた
骨になったあなたは安らかに眠っているのだろうか
おやすみなさい
私はやっぱり私が判らない
判る必要は無いとあなたは言うかもしれない
だけど判らないと言う事は苦しく
いっそ狂って美しくなってしまいたい
狂うと美しくなるなんて馬鹿げている
なんと浅はかな無いものねだりだ
とあなたは骸骨のまま笑うのだろう
でも多くの美しい人を見てきたのだ
私には美しく見えたのだ
あなたも例外無く美しかった
多くの人が先に狂ってしまった
ぎりぎりと歯軋りをして醜い自分を呪った しょうがない
そもそもあちらの世界の許容量は決まっているのでしょう
どちらに行っても世知辛い世の中であなた
おやすみなさい