はなまるのレスを受けて、基準を示す為に
芸術論をぶっ放さないといけないらしい。
そもそも芸術とは何か?
それは「意識を破壊し社会を変えうる力を持つもの」である。
誰かに「何らかの感動、共感を与えなければ」芸術ではない。
(方法、表現も様々だし、その伝え方の上手下手もあるだろう。
レトリックとか、書き方の手法は それを支えるものであって根本的なものではない。
>オマエの言ってる展開の妙)
前述の社会と言っても世界、国といったマクロなものから
会社、仲間、サークルなどの帰属組織、
1個人と1個人の関わり合いというミクロなものまで様々である。
そしてそれには人と人が関わるという共通項によって括られている。
しかし、
ここ十数年で個の中にも社会が存在すると考える人が次第に多くなってきた。
自分の中のもう一人の自分と取引をする。
今までも「葛藤」という概念はあったが、
それ程複雑なものとしての捕らえ方でなく
複雑なものは試験的に小説の上で語られるようなものであった。
しかし、日本では高度成長及びバブル経済の上で
多くの人がその問い自体を物的な欲望に置き換えることにより
看過してきたのである。それから目を背ける為にね。
しかし、それの破錠と共に、新興の危険な宗教に走る人が出てきたり
多数の自殺者、引き籠り等 様々な現象が見られる様になった。
自分を見失う人が多くなり、
結局は個の精神性とは何だったか?という辺りに最終的に戻って来た。
エバンゲリオンがなぜヒットしたか?その時流に乗ったからだ。
火星探査機による地表調査があり、
地球というのは本等に宇宙の中で
孤立した大海の離れ小島だという事が判った。
それは全人類に「絶対的な空虚感」をもたらし
一つの大きなバックグラウンドになった。
個を追求するうちに、カオルの中に理想の個を見出したシンジは
彼に共感を覚えるが、それも幻であった。そして意識の暴走。
そして皆を一つの大きな個で括ってしまえ。
と考えた。しかしそれはエゴに過ぎず
不自然に対する自然の制裁を受けるというのがエバのストーリだったけな。
さてなんだか話が曲がってしまったが、
要するに誰かに「伝えよ」と
そして「共感を呼べよ」と叫びたい。
今の時代はどうなのか?よくよく見つめて言葉を紡いで欲しい。
以上の理由により、俺が選考する際にはそこに
現実が、真実が、主題が、伝えたいことが、熱が、ぞっとするような恐怖が
煮えくり返る恋が…etc 見えるかということである。
どちらにしろそれは自分が震えるほどの霊感を持って伝えないと
相手を感動させるなど絶対に出来ない。
そして風景の情景描写などはよほど上手くやらない限り、
なかなか認められないだろうと思う。
もう、随分とそれらは過去に遣り尽くされてしまった感があり
今さらながらという感が拭えないからだ。
(トライする人はしてくれてもいいがね。良い物には良い点数をつける。)
心象の情景描写はまだまだ未開拓でやり残されてる事が多いと思う。
さあ 言葉ビトよ 今を叫べ! そして 心を解放せよ!
その言葉が世界を変えてしまうかもしれない。
…あと信用しないことを信用した方がいいよ。ククク
これをもって質問の回答とする。