【新宿】私の詩集を買ってください

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64名前はいらない
夜の街頭に ひっそり立っている女
 予期せぬ出会いってもんがある。昔つきあってた女とバッタリとか、見ず知らずの人と瞬時に仲良くなるとか。
逆に通りすがりにインネンつけられてブチのめされるパターンもあって、これはちょっと出会いたくなかったり
する。
 その夜、ぼくが経験したのは長い間探していた人に偶然出会うってヤツだった。夜10時すぎ、友人と別れてS駅
に向かう途中に、その女が立っていたのだ。
「私の志集」売りである。
 東京在住の人なら、一度くらいは「私の志集」と書かれたボードを首からぶら下げて、駅の構内などに立ち、何
かを売っている人を目にしたことがあるかもしれない。
「志集」というからには詩を売っているのだろうと想像できるが、買ったことのある人は少ないはずだ。雰囲気的
に近づきがたいものがあるし、宗教だったら困る。わずか数百円とはいえ、わけのわからないものに金など使いた
くないってのが人情。かつてよく見かけたころは、ぼくもそう思っていた。好奇心にかられることはあったけれど、
買おうと思ったことはない。

 でも、見かけなくなってみると気になる。なにしろ、あれがいったい何なのか、どんな人の作品なのか、誰に聞
いても知らないのだ。だから、今度会ったら買ってみようと密かに決めていたのである。
 で、ずっと気に留めてはいたのだが、この日まで何年も会えずにいた。もうやめてしまったのだろうと、ほとん
どあきらめていた。
 それが、いきなり登場するんだから驚く。あんまり驚いたので戸惑って、通りすぎてしまったではないか。いか
ん、Uターンだ。
 でもまた通りすぎてしまった。う〜ん、買ってみたいとは思っていても相手は「私の志集」。どこかに警戒心が
働く。ここはいったん様子を見よう。
65名前はいらない:01/12/28 13:01 ID:IT/doZMR
2
 近くの歩道橋からそれとなく観察する。売っているのは女性。白いブラウスとグレーのスカートを身につけ、通
りの真ん中にある柱の前にひっそり佇んでいる。位置取りは悪くないと思うのだが、道行く人は彼女に気づくとギ
ョッとしたような顔でサッと左右に別れ、一瞥もせず歩いてゆく。たまに興味を示すサラリーマンもいるが「おい
おい、よせよ」って感じで同僚が笑い、近寄ってはこない。
 この反応は昔と一緒だ。路上で歌うヤツやパフォーマンスを繰り広げるヤツがいくら増えても「私の志集」売り
が持つ独特のインパクトは薄れていないし、つきまとうマイナーなイメージも変わっていないらしい。
 30分ほどたったところで、酔っぱらいオヤジがやっと一冊買った。ひとりポツンと立っている彼女に同情して購
入したようだ。オヤジは「がんばれよ」と手を振ると、スーツのポケットに「志集」を突っ込んで千鳥足で去って
いった。

 よし、ぼくも買うとするか。
「志集というのは、詩ですか」
 思い切って声を掛けると、彼女は小さく「はい」と答えた。30代前半だろうか、清楚な感じの人である。ぼくは
一部購入し、さらに尋ねた。
「あなたが書いた詩ですか」
 バックに宗教団体か何かの組織が絡んでいる可能性もあるから、まずはそこんとこをチェックしなければ。ま、
自作だと言うだろうけど、信用できるかどうかは表情などから察しがつく。
 だが、彼女は表情ひとつ変えず、自分と夫とで書いた詩だと答えた。
「もともとは夫が始めたのですが、いまは私の詩も載せています」
 なるほど、夫婦で詩人なのか。『真紅の津波』と題された冊子には第28号と書かれており、昔から立っているこ
との説明はつく。発行人は個人名で、連絡先の住所も銘記。宗教絡みではなさそうだし、とくにアヤシイ点は見当
たらない。少々物足りない感じもするが、なんだか胸のつかえがとれたような気分だ……と思っていた。電車で中
身を読むまでは。
66名前はいらない:01/12/28 13:01 ID:IT/doZMR
3何が彼女をそうさせる?
 ぼくが買った「志集」は、なんと73歳の夫と37歳の妻による作品だった。そして、第1号のタイトルは「題名未
定-妻の死-」となっている。妻とは、夫の前妻。さっきの彼女は、何らかの事情で妻を亡くした夫の再婚相手なのだ。
ぼくの記憶では10年以上前から姿を見かけている。
 どれほど売れるのかは知らないが、人を雇って割に合うとも思えないし、やはり売っていたのは彼女だろう。と
なると、彼女は20代からああやってコツコツ売っていた計算。でも、なぜ立ちっぱなしで肉体的にもキツイ方法をと
るのか。目的は何だ。金か、売名か。う〜ん、どちらとも思えない。謎だ。他の目的があるのかもしれない。このま
までは、またモヤモヤした気分になってしまいそうだ。

 数日後、午後6時半から2時間待ったが、彼女は現れなかった。場所を変えたのかと駅周辺を歩きまくったが発見
できずである。ほとんど毎日きてると言っていたのにどうしたんだ。まさかダンナが病気なんじゃないだろうな。
 翌日は7時半から待機。また空振りかと思った午後9時3分、先日と同じ恰好の彼女がスタスタと歩いてきた。バ
ッグから例のボードを出して首から下げ、スクッと立てば準備完了である。何のためらいも照れもない。到着後10秒
で、彼女は「私の志集」売りへと変身していた。バイトではこうはいかない。ボランティアでも、ここまではできない
と思う。
67名前はいらない:01/12/28 13:02 ID:IT/doZMR
 ジロジロ見るのは悪い気がして、ぼくは歩道橋へ移動して観察を続行した。平日のこの時間帯は、勤め帰りのビジ
ネスマンが怒とうのごとく駅に突進。彼女は人波に向かって姿勢正しく立ち、静かに虚空を見つめている。物売りの
ように声をかけることもなく、愛想笑いを振りまくこともない。動と静のギャップはものすごく、彼女の周辺だけが
エアポケットのように空いている。数えると、駅に向かう人は1分間にざっと100人以上。1時間で4千人は下らない
だろう。端から見ているだけでも、そのプレッシャーは相当だと想像できる。まるで、暴風雨にひとりで立ち向かっ
ているかのようだ。

 ホンモノだ。本当に自分の作品を売るから、こんなに堂々とできるのだ。ぼくにはとてもできそうにない。いや、誰
だってここまでできやしない。ミュージシャンには楽器があるし、大道芸人には言葉や動きがある。しかし、彼女はひ
たすら立つのみ。さらし者状態。男たちの好奇の対象になったり酔っぱらいに絡まれることもあるだろう。実際、この
日は一度、ヘンな男に絡まれて近くで雑誌を売っているオッチャンのところに一時避難していた。それでも彼女はすぐ
に柱に戻り、また売り始める。

 単なるヤジ馬として様子を見ていたぼくは、いつしか彼女にただならぬ迫力を感じ、目が離せなくなってしまった。
発見されてはマズイので、ショーウインドウに写る姿を頼りに見続ける。たまに現れる客(たいてい酔っている)が
「志集」を買うたびにうれしくなってしまったほどだ。
4
 この日は12時ジャストまでかかって、1万人を越す通行人のなかから7人が買っていった。1冊300円だから2100円
の売上。案外売れたという気もする。少なくても生活の足しにはなる額だが、ぼくには生活のためだけに彼女が「志
集」を売っているとは思えなかった。まだわからないが何かがある。彼女が路上に立たなければならない理由がきっと
ある。
68名前はいらない:01/12/28 13:03 ID:IT/doZMR
5
「これが私の仕事 なんです」
その秘密を解くカギは「志集」のなかにあるのではないか。そう考えたぼくは、バックナンバーの購入を思いついた。
翌日はまた空振りだったけど、その次の日は、きっちり登場。手持ちのバックナンバー4冊を買い、なぜ立つのか尋
ねてみた。
「夫は街頭詩人なんです。50年ほど前に街頭に立ち始めたそうです。いまも元気なんですが、私が意志を継ぎ、こうし
て立っています」
 50年といえば半世紀前。昭和20年代半ばからやっていることになる。
「でも、あまり売れないんじゃないですか」
「これが仕事ですから」
「え、でもこれだけでは……」
「これが私の仕事なんです」
 そういうと、彼女は口を閉ざした。こういうのは、いつも聞かれることなのだろう。わかってくれる人だけに伝われ
ばいいという態度だ。そうか、ところで彼女自身はどのくらいの期間、街頭に立っているのだろう。
「17年になりますね」
 え、そんなに。20歳そこそこからやってるってことではないか。
「疲れませんか。虚しいなとか、もうやめてしまおうかとか思わないですか」
 いくら作品のため、夫の意志を継ぐためといっても、17年は長い。長すぎる。
「いいえ。信念をもってやっていますから」
 作品は、あくまで街頭に立ち、手渡しで売らなければならない。もちろん徒党を組むことなど許されず、孤独に群衆
と対峙しなければならない。ガンコ一徹。いくらメディアが発達しようがインターネットの時代になろうが、そんなも
のは関係ないのである。
 ひょっとすると、彼女とその夫にとっては「志集」を売ることより、街頭詩人であり続けるという志を貫くほうが大切
なのかもしれない。
69名前はいらない:01/12/28 13:07 ID:IT/doZMR
以上「私の志集」の巻 北尾トロ 氏のHPより抜粋