第三回葉鍵板最萌トーナメント支援スレ Round1!!

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529名無しさん@ビンキー
 トントントン。
 キッチンから、包丁の音が聞こえてくる。
「もう少しですから、待っていて下さい」
 その、包丁を使っている主は天野美汐。俺より年下の割に、おばさんくさい、と評判の娘だ。
 いや、そう言っているのは主に俺だけなのだが、やはり、どう考えてもおばさんくさい。
 「物腰が上品と言って下さい」と本人は言っていたが、どうもしっくり来ない。
 今日も、俺の家(と言っても、居候している水瀬家なのだが)に来ては、そつ無く料理をこなしている。
「やっぱり、おばさんくさい……」
 天野には聞こえない様に、そっと呟いてみる。その表現以外、彼女を上手く言い表す言葉が見つからなかったからだ。
「出来ました」
 不意に彼女が、お盆を持って現れる。そのお盆の上には、湯気がたったご飯と味噌汁、そして、水瀬家の昨夜の夕食の残りが献立てられていた。
530名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:09:35 0
「さすが天野だな」
 何でも器用にこなす、その年下の少女を見ていると、やはり、俺の表現は的を射ている気がした。
「相沢さん。何か変な事、考えていませんか?」
「どうしてそうなる?」
「……いえ、何となく。違うならいいです」
 上手く誤魔化した俺にそう言うと、表情を変えずにこちらを見つめる。
「よし、いただきます」
「はい」
 そう短い言葉を交わすと、黙々と料理を口に運ぶ。
「うん、美味い」
「ご飯とお味噌汁、お代わりありますから」
 何だか、所帯じみた会話をしている気がするが、気にしない事にする。
「ごちそうさま」
「お粗末さまです」
531名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:12:05 0
 一通り食べ終え、ゆったりとしている俺。横では彼女が、空になった茶碗を片付けている。
 で、どうして天野が、水瀬家に来て、俺の食事を作っているかと言うと……
 話すと長いが、俺と天野は定期的に会う関係になっていた。
 理由は、真琴が消えたあの日に遡る。
 真琴がものみの丘でいなくなって以来、俺と天野は近況を報告しあう仲になった。
 天野にとっては、二度目の辛い別れのはずだが、案外にも二人共、それをしっかりと受け止めていた。
 理由は、真琴が帰って来る予感がありありとしていたからだ。
 それは彼女も同じらしく、「いつか、真琴が帰って来る気がするんです」と以前言っていた。
 それで、いつ真琴が帰って来ても良い様、定期的に会っては、お互い、近況などを報告する事になったという訳だ。
 心無いクラスメートからは、後輩の女の子と付き合っているなどとからかわれもしたが、名雪や秋子さんなど、事情を知っている人が側にいてくれるおかげで、特に問題無くいっている。
532名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:13:25 0
 今では、天野も水瀬家の面々と顔なじみとなり、いつの間にやら帰ってきていた、あのピロまでもが懐いてしまっているという有様だ。
 そして今日は、名雪、秋子さん両名とピロは買い出しに出て行き(ピロは単なる散歩の様だが)、俺のみが留守番をしていた所に、天野から電話があり、水瀬家に来た彼女が、何故か俺の食事まで作っていたという訳だ。
 正直、そこまでしてもらうのは気が引けたが、「ご飯を炊いて、お味噌汁を作るだけですから」との申し出に、断るのも気が引けた、という具合。
 今天野は、キッチンで洗い物をしている。
 少し彼女に甘え過ぎかとも思ったが、言葉を交わす間もなく、てきぱきと家事をこなしていく姿を見ていると、つい言いそびれてしまう。
「やっぱり、おばさんくさい……」
 一つ年下の女の子でありながら、恐ろしいまでに家庭的な少女を眺めていると、自然と何度も口にした言葉が無意識に出てくる。
「結婚したら、いいお嫁さんになるだろうな」
 彼女のまだ見ぬ将来を想像しながら、そう呟く。
533名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:15:34 0
「何か言いましたか?」
「いや、何も」
 こちらを振り返る事なく、洗い物に没頭しているかと思ったら、ちゃんと聞こえていた様だ。
「何か、手伝うことはないか?」
 さすがに、彼女一人に全てを押し付ける訳にも行かず、手伝いを申し出てみる。
「もう、終わりますから……」
 そんな、俺の気持ちを知ってか知らずか、そっけ無い答えが返ってくる。
 手持ち無沙汰のまま、洗い物の片づけをする彼女の後姿を眺めつつ、俺は立ち上がる。
「せめて、食器の後片づけくらいはやるよ」
 食器棚は、小さな彼女の背では届かない場所もあるだろう、そっと驚かせない様に後ろから近付き、作業をしている彼女の横にある、水切り台に近付く。
 そしてその時……
「きゃっ」
 手にコップを持ちながら、急に振り返った彼女と激突する。
 パリーン!
「うわっ」
 持っていたコップを落とした天野が、躓きながらこちらに倒れてくる。
 もつれ合い、倒れ込みながらも、何とか彼女だけは怪我させまいと、必死に庇う様に抱きしめる。
 バタン!
534名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:16:33 0
 どうにか天野を庇う事に成功した様だ。俺は下敷きになりながらも、その小さな体を何とか受け止めている。
「だ、大丈夫ですかっ?」
 天野の取り乱す様を、初めて見た気がする。
「大丈夫だ」
 彼女を心配させまいと、あえてはっきりと言う。
 天野が持っていたコップは割れてしまった様だが、幸いにもその破片は周囲に散らばっただけで、二人を傷つける様な事は無かった。
「良かった……」
 安心したのか、安堵の表情をこちらに向ける天野。
「……」
 そんな、普段の彼女があまり見せない、感情豊かな表情を見ていると、急に彼女との距離を意識してしまう。
535名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:18:30 0
 二人だけの家で、年下の女の子と、倒れ込みながら抱き合う光景。もし、この場面だけを他人が目撃したら、明らかに誤解してしまうだろう。
「た、立てるか?」
「は、はいっ」
 天野も何か意識している様だ、顔を上気させながら、すぐさま立ち上がろうとする。
「あっ、ちょっと待て」
 急に立ち上がろうとした天野の腕を強く掴む。
 天野は一瞬、ビクンッと体を震わせ、その後硬直する。
「コップが割れているから、怪我しない様に気をつけて立ってくれ」
「はっ、はいっ」
 俺の言う事が理解出来た様だ、ゆっくりと上半身を起き上がらせる。
 と、不意に彼女の動きが止まる。
「相沢さん……」
 途中まで上半身を持ち上げた格好で、ピタリと静止する。
「ど、どうした?天野」
 急に、微動だにしなくなった彼女が心配になる。
「い、いえ。その……」
 天野は何か口篭ると、上気した表情のまま、身じろぐ事無く、体を硬直させる。
「……」
「……」
 不意の沈黙。
 お互い、何か喋ろうとしても、言葉が出ない。



536名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:20:09 0
 何か、喋らないと……
 そう、焦れば焦るほど、余計に言葉が出なくなる。
 天野の小さな体が、少し震え出した気がした。
 どれくらい時間が経っただろう。
「そっ、その。相沢さん……」
 長い沈黙を破って、天野が口を開く。
「な、何だ」
「相沢さん、私、その……」
 何か言いたそうな、懇願するような目でこちらを見つめてくる。
 ゴクッ。
 思わず緊張し、息を飲み込んでしまう。
「わ、私、その……」
 極度の緊張が、辺り一帯を包み込む。
537名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:21:27 0
「ただいまー。あれ?誰か来てるよ」
 その、張りつめた緊張を突如突き破る、場違いな声が玄関から聞こえてくる。
 買い出しから帰ってきた名雪だ。
 まずい!
 何がまずいのか、自分でも良く分からなかったが、とにかく何とかしなければという思いが頭の中を過ぎる。
「天野、立てるか?って急に立つと危ないんだった。ゆっくりと立てるか?」
「は、はいっ」
「祐一。誰か来てるの?」
 焦る俺たちを尻目に、まるで緊張感のない声がこちらに近付いてくる。
 とにかく、今の状況を名雪に見られると、かなりまずい気がする。
「名雪っ!来るなっ!来たら死ぬ」
 どう考えても、割れたコップの破片程度では死なないのだが、怪我をする可能性はあるのは間違いない。とっさにそう言って、名雪をこちらに近付けない様にする。
「わっ。死ぬのは嫌だよ〜」
 また、緊張感のない声で返事が返ってくる。だが、状況が上手く飲み込めないまでも、危機感は伝わった様だ。キッチンの手前の廊下のドアの前で、立ち止まってくれている様だ。
538名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:23:58 0
「名雪。どうかしたの?」
 少し遅れて玄関から入ってきたであろう秋子さんの声が、ドア越しに聞こえてくる。
「うん。何だか大変な事になってるみたいなんだよ」
「……祐一さん、いますか?」
 慌てている俺たちとは対照的に、落ち着いた声で、秋子さんがこちらに尋ねてくる。
 その声に安心したのか、少し、頭が冷静になってくる。
 それは天野も同じだったのだろう、努めて冷静に、秋子さんに返事をする。
「すいません、私がコップを割ってしまったせいで……今その破片が散らばっているんです」
539名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:25:23 0
 慎重に立ち上がりながら彼女は、こちらの状況を説明する。
「分かりました」
 そう言うと秋子さんは、ゆっくりとドアを開け、床と俺たちを交互に見る。
「名雪。ほうきとちり取り、掃除機を持って来て」
「うん、分かったよ」
 名雪が秋子さんの言に従って、てきぱきと掃除道具を取りに行く。
 …
 ……
 ………
「すいませんでした」
 深々と天野が、頭を下げる。
「いいんですよ、コップの一つくらい。それより、怪我が無くて良かったわ」
 秋子さんが、いつもの微笑みで彼女を気遣う。
「誰も怪我しなくて、本当、良かったよ〜」
 名雪が、落ち込んだ天野を元気付けるように、秋子さんに続いて言う。
540名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:26:10 0
「今度、その……割れたコップを、弁償しますから」
 それでも天野は、申し訳無さそうに謝罪する。
「いいんですよ本当。コップの一つくらい」
「そうだよ。ぶつかった祐一も悪いんだし」
 秋子さんも名雪も、まるで気にしていないという風に明るく話す。
「でも……」
 まだ、事態を気にしている天野の言葉を遮る様に、秋子さんが口を挟む。
「また今度、ウチに遊びに来て下さいね。その時は、こちらからごちそうしますから」
「うん。お母さんのジャム、おいしいんだよ。今度食べに来てね」
 甘い方のジャムは、本当においしいからな。
「あら?もうこんな時間。良かったら夕ご飯、一緒に食べていきませんか?」
 秋子さんが時計の方をちらりと見て言う。いつの間にか時刻はもう、夕方の様だ。
「すいません。今日はもう帰ります。そして今日の事は、いつか必ずお返ししますので」
 未だに恐縮している天野が、そそくさと帰り支度を始める。
541名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:26:59 0
「……祐一さん。もうすぐ暗くなりますし、送って行ってあげたらどうですか?」
「そうだよ、祐一」
 二人にそう促され、俺は天野を送る事にした。彼女は遠慮したが、途中の賑やかな所まで、と言う事で納得してくれた様だ。
「……」
「……」
 夕焼けに染まった帰り道、無言の二人がとぼとぼと道を歩く。長くなった影は、重なり合いながら動いている。
「なぁ、天野?」
 思い切って沈黙を破り、彼女に問いかける。
「何ですか?相沢さん」
 天野はこちらを見ずに、俯きがちに歩きながら返事をする。
「さっき倒れて立ち上がろうとした時、何を言おうとしたんだ?」
 さっきから引っかかっていた事を訊ねてみる。天野があの時、何か言いたげにしている様が、どうしても気になったからだ。
542名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:27:51 0
「……いえ」
 一言そう言うと、彼女は押し黙ってしまう。俺の問いに答える事無く、俯きがちなまま歩を進める。
 どれくらい歩いただろう。不意に彼女が、ある場所で立ち止まる。
「相沢さん。ここ、覚えていますか」
 そこは、少し寂しげな空き地。
「ああ。覚えてるよ」
 そしてそこは、天野と真琴が初めて出会った場所だ。
「もし真琴が……無事に帰って来たら。……その時に話します」
 途切れ途切れに言葉を発しながら、彼女はそう呟く。
「そうか……」
 何か、話し辛い事情があるのだろう、俺もそれ以上、問い詰める事を止めた。
「今日は申し訳ありませんでした。必ずいつか、お詫びをしますから。そう、伝えておいて下さい」
 俺に深く頭を下げる天野。
「いや。ぶつかった俺も悪いから。今度秋子さんの手料理、食べに来てくれよ」
「……はい」
543名無しさん@ビンキー:2010/11/18(木) 01:28:38 0
 夕焼けの赤に染まった世界で、ぽつんと一人、小さな体でいる彼女を見ていると、「おばさんくさい」という俺の評は、訂正しないといけない様だ。
「では」
 もう一度ぺこりと頭を下げて、彼女は静かにこの場から去っていく。いつしか真琴が帰ってきたら、この場所でも彼女は、笑顔でいられるのだろう。
 いつかその日が来る事を信じて……

 後日。
「相沢さん」
 不意に、学校の廊下で呼び止められる。
「よぉ天野」
 振り返りながら、俺は答える。
「相沢さん。今度そちらに……水瀬さんのご自宅に、行かせて頂いても宜しいでしょうか?」
「ああ。いつでも来てくれ。秋子さんも名雪も、歓迎だ」
 いつものクールな表情で尋ねる天野に、俺はそう、気軽に返事をする。
「はい、ありがとうございます。先日、割ってしまったコップの代わりに、急須と湯飲みのセットを持って行きます。自宅に仕舞ってあった物で悪いんですが……」
 うーん訂正。やっぱり彼女は、おばさんくさかった……。