たまたまスレで目に付いただけなのだが、そのうp人のファイルが存在するだけで許せなくなった。
自分があぼーん設定して落とさなければ幸せになれるのに、URLが貼られるたびにスレにはこう書き綴った。
「mofuとかイラネ。マジでカンベン」
他に需要があることも分かってはいたが、そんな他人の事情などどうでも良かった。
文句をスレに書き続ける内に、自分が何をされたわけでもないのに、そのmofuを段々と憎み始めた。
一ヶ月後には、最早、自分はmofuの被害者だと思うようにまでなった。
コメント、職人選択、使用ロダ、うp速度、なんでも難癖を付けて罵倒を昼夜問わずスレに書き殴った。
話をしたこともないのに、mofuの架空の人格を設定して叩いてみた。
エンコの知識もないのに適当に検索したサイトの文字をコピペして、言葉の意味は分からないが画質批評をしてみた。
糞コテ一覧表も作った。もちろんmofuは最低ランクだ。
自分がベテランエンコ評論家みたいな気分になった。
見えない敵と常に戦う自分の姿は端から見ても酷く滑稽なものだったが、別に気にもならなかった。
なによりも溜まっていたストレスの解消になった。
自分の粘着行為を諫める擁護のカキコもたまにはあったが、mofuの自演乙とレスを付けた。
ついでにスレを荒らしているのはmofuで、他のうp人も叩いていると書き加えるのも忘れなかった。
良心の呵責も無かったとは言えないが、そんなときは俺がmofuを叩いて鍛えてやっているんだと自分に言い聞かせた。
自分のしていることは、全てが犯罪者への正義の鉄槌だった。
しめたことに、自分の働きに影響されてか、暫くしてスレ全体がmofuを悪く叩く大きな流れになった。
先に叩き始めた自分が誇らしかった。自分は偉大な先駆者だ。
思い切ってmofu専用中傷スレを建ててみた。
難民板で個人スレを建てるのはローカルルール違反だが、何故だか絶対に削除はされない。
大歓迎された。自分以外にも連日たくさんの書き込みがあった。
特に多くレスを付けた日は、串を刺し業者さん達いつも乙ですと書いて自分への批判の矛先をかわした。
いつもこの世界の中心には自分がいた。
自分の人生で初めて訪れた、本当に楽しい日々だった。
やがて、mofuの新作ファイルは全く流れなくなった。
ある日、スレにmofuの流したと思われるテキストの内容が貼られた。
「引退します」
なんという、かつて味わったことのない達成感なのだろう。
自分が巨悪を退治してやったのだ。
仕上げにmofuの引退記念葬儀スレをそっと建てとどめを刺しておいた。
その日の晩、母親が部屋まで運んできてくれた飯は、いつもより確実に旨かった。
突然、とある一部上場の大企業から自分をスカウトしたいという電話があった。
mofuを引退させたことが目に留まり大きく評価されたのだ。
二つ返事で引き受けた。その企業の役員として迎えられた。
大勢の部下を引き連れ、経験を活かして難しい仕事を次々とこなしていく自分。
年収は手取りで五千万円を超えた。
可愛い超有名若手アイドル声優(あーや)の彼女も出来た。
その年のクリスマスイブの晩、ライブを抜け出した彼女の処女を戴いたのは勿論、自分で100人目だった。
ふと、目が覚めた。夜中だ。
ああ、全部夢だったのか……
何故か中学生の頃を思い出した。
自分が自室に引き籠もる原因になった、二十数年前の忌まわしい事件を。
あの日の自習時間中、DQN共に殴られ脅されて、女子達も見ている前で教室で泣きながら全裸ストリップショーをやらされた。
「チンコ手で隠すな、白ブタ!」「もっと尻を振れ!」「ケツ穴見せろ、キモデブ!」
片思いのあの娘が、半ば肉に埋没した自分の小さな男性器を、気持ち悪そうな表情でじっと見つめていた。
最後はオナニーすることまで命じられて、大勢のクラスメイトの軽蔑の視線と嘲笑の中で惨めに射精した。
忘れたかった過去……自分がmofuに行ったことは、あのときのDQNと同じだったのではないか。
それに気が付くと、止めどなく反省の涙が流れてきた。
自分のしたことが堪らなく恥ずかしくなった。
明日こそは医者へ行こう。年金暮らしなのに自分を養ってくれる両親に感謝しよう。
そう誓って再び眠りについた。
翌朝、目が覚めたら、そんなことは忘れていた。
母親が運んできた朝飯を食い終えると、専ブラを立ち上げいつものスレを開いて、次のターゲットを探し始めた。