海賊船の臨時停泊地です
2 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/02/28(日) 22:03:47 ID:NccEznZi0
ネ申谷ちゃん、ここだよ
新スレおめでとうございます^^
オラもちょくちょくお邪魔させて頂きます
名前欄ミスりましたw
シ酉はん、いらっしゃい
ありがと
6 :
ブラ瓶:2010/02/28(日) 22:11:21 ID:AcRghjpqO
(∩´∀`)∩ワーイ
7 :
psoralen:2010/02/28(日) 22:11:28 ID:3ZQJ1eAu0
誘導ありがとうございます。
8 :
グビグビ:2010/02/28(日) 22:14:34 ID:vhi9qcRRO
\(^O^)/ヤター
これで安心して寝れる。
9 :
psoralen:2010/02/28(日) 22:16:17 ID:3ZQJ1eAu0
10 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/02/28(日) 22:36:58 ID:NccEznZi0
皆来てくれてありがとうw
12 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/01(月) 00:05:27 ID:NccEznZi0
13 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/01(月) 00:08:00 ID:GcWOyufj0
最近陽水の氷の世界を寝る前に聞くのが日課になってる
BOSEのヘッドフォンでガンガンに音出して
気持ちいいぞ
おはようございますぱろうさんは起きてましたか
おはよ
すでに仕事についてます
ただ今スレ巡回中
おはようございます。
初めてお目にかかります。
氷の世界いいですね。
俺は夜のバスがいいです。
17 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/01(月) 09:54:50 ID:AQxf6M4q0
ほのぼのえっちさん、お初w
こんな糞スレにようこそ歓迎します
二色の独楽もいいね
桃色海賊船、
\ \./■ヽ/■ヽ/■\ / /
\ ( ´∀( ´∀( ´∀`/ / バンザイ〜
19 :
キャベツ勇者:2010/03/01(月) 17:47:22 ID:ro9MEPgOO
ところでキャプテンの懸賞金はいくらなんだ??
20 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/01(月) 19:19:19 ID:AQxf6M4q0
俺の首取って誰得w
21 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/01(月) 19:25:45 ID:AQxf6M4q0
PINKは軽いんだ
こんばんは
キャプテン、師匠、そして私のスレが開きません
ページが表示できません、と出るのです。どうしたのかなあ?
23 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/01(月) 19:45:56 ID:AQxf6M4q0
2ちゃんねるの方はサーバーダウン中だと思います
PINKは書き込めるみたいですが
PINKバンザイ?(笑)
立てててよかった。
まるでセブンイレブン(笑)
今日はここでおしゃべりだね。
まっぴーさん、
今晩は酷いです。見られない、書き込めない・・・
ここも途中で見られなくなりました。
>>27 今は書き込めます。19時半以降、ここもエラーの連続でした。
酒板はじめ全部アウトでした。いつまで続くことやら・・orz
桃色海賊船臨時停泊していて助かった・・。
韓国、ぶっ殺す!
30 :
綾波レイちゃん:2010/03/01(月) 20:32:13 ID:Is6km1vB0
キャップ、まっぴ=さん、psoralenさんこんばんわ
2ちゃんねる閉鎖になっちゃうの?
不安だよ(・〜・:)
なにがあったんだろう((*'д'*))
32 :
綾波レイちゃん:2010/03/01(月) 20:34:54 ID:Is6km1vB0
(*´О`*)ホッ!
まっぴ=さんありがと
韓国ってなにかな?
キャプテン、まっぴーさん、師匠、私の店は仮設店舗で営業中です。
よろしければお越しください
まっぴーさん
本スレと同じ名前です。仮設店舗として営業中。
勿論会員制です。お待ちしていますよ。
@掲示板に戻る、をクリックして
A会員制すなっく・おじさん(仮設店舗)に入ってください
規制解除時には仮設営業も終了です
38 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 18:50:43 ID:zTt0huwZ0
復活キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!
24時間は長かったな
39 :
ブラ:2010/03/02(火) 19:30:21 ID:KX+BRwNfO
↑なげぇなげぇw
現在、シルクエビスを・・・
肴は無し・・・
こういうなんでもない書き込みすら愛おしい・・・
40 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 19:35:07 ID:zTt0huwZ0
ネ申谷ちゃんの規制も解除になったしやれやれだね
41 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 19:38:39 ID:9plB0/mv0
まだこの板以外行けないよ
困ったな^^
42 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 19:39:54 ID:9plB0/mv0
43 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 19:46:56 ID:zTt0huwZ0
華麗なレイタン来てた
44 :
ブラ:2010/03/02(火) 19:50:05 ID:KX+BRwNfO
やっと神さんとこも解除なのかァ。(∩´∀`)∩ワーイ
・・・晩飯報告。
ちらし寿司、白身カレイの竜田揚げ(骨が酷い)、蛤の吸い物等・・・
フライングひな祭り♪
45 :
ブラ:2010/03/02(火) 19:52:32 ID:KX+BRwNfO
ホン海賊船はまだのようね。
46 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 19:53:35 ID:zTt0huwZ0
どういう順番に解除してるのかな自己板は3番目だった
みんな、こっちに集まってたのね。
教えてよ〜
48 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 19:56:23 ID:9plB0/mv0
一番はどこだったの?
最後は最悪板かな〜^^
49 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 19:58:20 ID:zTt0huwZ0
一番はもちろん運営
最悪板なんていくんだ
50 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 20:01:23 ID:9plB0/mv0
私ね、昔最悪板にスレ立てするぞ(・〜・:)って脅されたの(´・・`
それで怖いからときどき見に行くの
最悪板ってどこにあるんだ?
52 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 20:17:35 ID:zTt0huwZ0
こんばんは
昨夜は驚きました
54 :
グビクビ:2010/03/02(火) 21:22:09 ID:oE8+6T/q0
まさにここが、皆さんの臨時停泊所だね^^
55 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 21:24:36 ID:9plB0/mv0
グビグビさんこんばんわ
56 :
グビクビ:2010/03/02(火) 21:25:52 ID:oDkalOhE0
あっ、レイちゃん。
はじめましてだね。こんばんは^^
まっぴーさん、キャプテン
馬鹿に対して無視無視・・・
58 :
グビクビ:2010/03/02(火) 21:30:18 ID:oDkalOhE0
まさかレイちゃんって・・・・
騙された!!!
59 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 21:30:29 ID:9plB0/mv0
>>56 グビグビさんの趣味はなんですか?
私はこれからの季節はサイクリングが好きです(^□^)゛゛
>>59 俺は車を磨き倒すことです。
聞いてないよな…
62 :
グビクビ:2010/03/02(火) 21:33:03 ID:oDkalOhE0
僕の趣味は、内緒です^^
63 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 21:38:41 ID:9plB0/mv0
>>60 まっぴ=さんは車を大事にするんだね(^v^)V
ピカピカの車今度乗せてね(○・н・)v
グビグビさんはわ〜るい趣味なんだね
でもどんな趣味でも気晴らしは必要だよ
65 :
グビクビ:2010/03/02(火) 21:47:47 ID:oE8+6T/q0
私はどちらかというと、ブリーフタイプ!
66 :
グビクビ:2010/03/02(火) 21:48:58 ID:oE8+6T/q0
ドコモ解除ってほんと?
67 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 21:50:21 ID:9plB0/mv0
>>61 ちょっと、ブスとか馬鹿とかひどすぎるんじゃないですか?
固定叩きしてると最悪板へ行けって言われるみたいだよ(*・ο・)=з
68 :
グビクビ:2010/03/02(火) 22:08:05 ID:oE8+6T/q0
レイプちゃんが居るから寝ます^^
>> 68
貴方は賢明です
ノシシ
70 :
綾波レイちゃん:2010/03/02(火) 22:20:44 ID:9plB0/mv0
キャップゴメンなさい。また船を降ります。
みなさん迷惑かけましたo(*・_・)○”ぐっ♪
71 :
グビグビ:2010/03/02(火) 22:28:16 ID:0aqGvWU6O
アホが船降りたから、ただいま\(^O^)/
>グビグビ
綾波レイちゃん=のっち?
74 :
グビグビ:2010/03/02(火) 22:33:31 ID:0aqGvWU6O
まっぴ〜
よく分からんけど、おじさんのリアクション見てるとビンゴ!かな\(^O^)/
すぱろう、飲みに行ってるのかな?
>>74 だよね・・・
みんな仲良くできればいいのに。
76 :
グビグビ:2010/03/02(火) 22:44:34 ID:0aqGvWU6O
お二人が仲良くする事は、絶対に無理だよ\(^O^)/
マンコ\(^o^)/タベタイ
80 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 22:59:50 ID:eEwrVcTn0
>>77 カンコがマイイw
ネ申谷ちゃんはどうした
奥様とよろしくやってるんでしょう〜♪
マ…………ン…………
コ………………
ハッ!
俺は何時間寝てた!?
83 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/02(火) 23:32:07 ID:eEwrVcTn0
>>83 でも多分明日には規制になるんだよ
((((゜д゜;))))
もうイヤだw
>>84 まぴ
てめえ!よくも神谷バー
の1000を!w
>>85 酒さん
ヤダ!やらしい!
ボーボーのマングローブww
>>86 大変申しあけありません。
返却いたします。
ネ申ちゃん怖いんだも〜ん(泣)
あぁ〜
餃子&(ニセ)ビール美味しかった〜
やっぱ、12個は食べ過ぎかな?
>>89 旨い、と思って食べる事は健康のヒケツでしょうwww
おはようございマスクが甘いのは玉木宏か福山氏か
92 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/03(水) 15:57:33 ID:arp46QIy0
本船の鯖がまだ復帰しない
困ったもんだ乳もんだ
>>92 いいなぁ〜 乳もんだの?
さわり心地は?
94 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/03(水) 16:59:09 ID:arp46QIy0
乳みたいだったw
おっぱいパブって乳だけ延々揉んでるんだろ
握力が強くなるな
>>94 そんな知らないふりしなくていいってば(笑)
96 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/03(水) 17:06:54 ID:arp46QIy0
>>95 マジ知らん
行ったこと無い
風俗はヘルスかピンク
福岡のデリは基盤だった
>>96 博多に来たときは案内しまっせ♪
物たりんだろうけど・・・
98 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/03(水) 17:20:38 ID:arp46QIy0
>>97 中州の案内所のおにいちゃんがすごく親切でここがいいよって
値段は他より高いけどサービスが濃厚って
その通りだったよ
>>98 不思議なんだけど案内所のお兄ちゃんって体験して紹介してるのかな?
そんな訳ないよな(笑)
100 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/03(水) 17:28:42 ID:arp46QIy0
>>99 その店はそのおにいちゃんのダチが行った事あるらしかった
やたらとサービスの内容が他の店と違うってススメてきた
101 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/03(水) 18:39:28 ID:arp46QIy0
本船復旧!
すぱろう殿より すてきな酉をいただいたので
変更します。
今回からこの酉でよろしく〜
105 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/04(木) 14:54:35 ID:4wQHUf440
チョコレートディスコ♪
パフュームならのっちは超アリ派です♪
107 :
デンデン(≧д≦) ◆dendenDXFw :2010/03/05(金) 20:03:18 ID:nSMZdLLt0
|◇≦)<これは酷い。
108 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/05(金) 20:22:37 ID:1BM/3RTb0
最近あーちゃんがよく見えてきた
109 :
ブラボ:2010/03/05(金) 21:42:13 ID:wtzQtDhNO
あーちゃんは危険やねぇ。俺モダー。
恋したら離されなさそうで。
かしゆかも忘れずに!!
111 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/08(月) 17:50:16 ID:755ANB/20
あれ直ってる?
桃色海賊船、
開いててよかった…(笑)
114 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/08(月) 18:01:35 ID:755ANB/20
115 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/08(月) 18:03:47 ID:755ANB/20
まっぴーさん
私も見ました。なかなか良いオトコの画像ですなあ
ノシ
おはよ宇治金時が旨い氷屋さんに行きたい
122 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/09(火) 09:40:21 ID:LGN8BrGg0
おはよう
ネ申谷ちゃん規制大丈夫かな?
バーさんはおらんかぇ〜?
124 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/13(土) 21:40:57 ID:CANV0E3H0
ネ申谷ちゃんはどーしてる?
規制どころか携帯焼かれちゃったか?
>>125 ERROR!!
ユーザー設定が消失しています
>>126 マジですね・・^^;
オラも同じ表示で書込み出来んかったです・・
128 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/13(土) 23:10:30 ID:CANV0E3H0
129 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 19:21:09 ID:nueNgNEJ0
まったくキモイ粘着だな
スルーにも限度があるぞ
130 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 19:55:39 ID:nueNgNEJ0
コピペするくらいならこっちに来ればいいのにw
キャプテン
今日はどないなってんでしょうか?
気持ち悪い。それに下品な差別用語連発。かかわると
こちらまで変になりそうです
奴は一人演技。10代後半の引きこもりってとこでしょう
キムチ君、会いたかったよwww
>>132 Personality disorder
【コヒ】【西】赤い青春18きっぷ31枚目【四】【九】
857 psoralen [age] 2010/03/09(火) 20:32:07 ID:WRywZgNX0 Be:
>>854 どうしてわかったの?
おまえ鉄ヲタかよ
気持ち悪いwww
ちょっとここに書込み^^
皆様、今日から酉変えてますので宜しくお願いします〜
>>136 Personality disorder
138 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 23:14:49 ID:07MZt1Yv0
一人ぼっちじゃ心細くないか?
仲間呼んできたら
140 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 23:19:04 ID:07MZt1Yv0
何で誰も来てくれないのかな?
一人だからID真っ赤だぞ
一杯飲んでくか?
141 :
おじ:2010/03/14(日) 23:19:58 ID:Bl8yu9yj0
私は
>>133を持って「ソラレン」での書き込み終了。
以下はすべて偽者です
142 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 23:21:18 ID:07MZt1Yv0
143 :
おじ:2010/03/14(日) 23:26:00 ID:G/GxOKoWO
キムチ君(49歳童貞)本当に了解したの?www
君のせいで炎上だね
144 :
おじ:2010/03/14(日) 23:29:31 ID:Bl8yu9yj0
>>143=偽者。
私は酉の無い書き込みは控えます。
明日から挨拶も含めて酉無しの書き込みは当分行いません
145 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 23:30:09 ID:07MZt1Yv0
こんな程度は炎上とは言わないの
本当の炎上って見たことないだろ?
スレ一枚10分もかからずに終わっちゃうんだぜ
146 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/14(日) 23:31:16 ID:07MZt1Yv0
>>144 おじさん、このスレはID出るから大丈夫w
しばらくはこっちを本船にするよ
147 :
おじ:2010/03/14(日) 23:33:43 ID:G/GxOKoWO
キムチ君よりおっさんの暴走で荒れたな
おっさん弱すぎwww
キャプテン
早くも偽物出たよ
コテは日替わりにします
149 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 00:23:54 ID:N3SCxKzM0
キムチ君って今は韓流だから人気者ってことかな?
いっそコテを変えるかな
女固定がどっと寄ってきたりして
おやしみ
ノシシ
150 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 00:26:27 ID:N3SCxKzM0
打ちのめされてってw
めだかの「今日はこの辺で勘弁してやる」ってギャグかよ
本当に面白い粘着だな
しばらくは退屈しないですみそうだ
151 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 00:29:55 ID:N3SCxKzM0
724 名前:夢見る名無しさん[] 投稿日:2010/03/15(月) 00:27:41 0
149 :キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 00:23:54 ID:N3SCxKzM0
キムチ君って今は韓流だから人気者ってことかな?
いっそコテを変えるかな
女固定がどっと寄ってきたりして
マジ勘違いかwww
ヤケクソ自虐かwww
こっちに直接レスすればいいのに・・・別に怒らないから
それともレスできない理由があるのかな?
152 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 00:31:50 ID:N3SCxKzM0
727 名前:psoralen [] 投稿日:2010/03/15(月) 00:29:57 0
>>723 ハイお馴染みオウム返し出た!!!
学歴の低さバレバレですよwww
ん-----
小学4年
怒りで手震えて、趣味のジェンガができないぜ(`´)
154 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 09:15:37 ID:H89nyA+o0
156 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 10:29:46 ID:H89nyA+o0
ワンパターン君こそな
童貞キムチ君の十八番おまえこそが出たぁwww
ムキになってる証拠っすwww
158 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 10:47:08 ID:H89nyA+o0
wwwごときにはムキになれんし使い古された煽りじゃつまらんよ
160 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 11:04:12 ID:H89nyA+o0
どこ血相変えて見える?老眼か?
童貞キムチ君そんなカリカリすんなって
短気は損だぞウフッ
162 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 11:34:03 ID:H89nyA+o0
(・∀・)ニヤニヤ
私はDAIGO似!
老眼かぁ!だって
キムチ君古臭いなぁwww
ねえカクテキかぁってキレろよボケが
165 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 11:42:09 ID:H89nyA+o0
166 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 11:42:48 ID:H89nyA+o0
だんだん煽りがお囃子か合いの手に見えてきたw
コピペなら変換ミスないから低学歴のキムチ君にお勧めだね(・∀・)ニヤニヤ
168 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 11:57:47 ID:H89nyA+o0
(・∀・)モットヤレ
169 :
ジャングルα:2010/03/15(月) 12:28:56 ID:R7eo1W1zO
嵐のタコス\(^O^)/
怒りが増す度にコテが変わるぜ(`´)
ヤレヤレ
(=^._ .^=)ニャァ
もう終わってたのかな…?
ニャァ ニャァ
(=^._ .^=)ニャァ
ニャァ ニャァ
172 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/15(月) 17:35:38 ID:H89nyA+o0
ぬこだ
173 :
ブラ:2010/03/16(火) 10:35:38 ID:fesgsEyUO
ここが新スレになるの?
174 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/16(火) 10:50:20 ID:Q5jiijHU0
ここは避難所本船は夢にあり
176 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/16(火) 11:45:18 ID:Q5jiijHU0
粘着名無しがPC起動させたw
本当にわかりやすいな
177 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/16(火) 11:58:26 ID:Q5jiijHU0
脳なしって能無しとは違う意味で言われてるのがわからん粘着
ヘタレやの〜
ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
178 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/16(火) 13:08:20 ID:Q5jiijHU0
粘着はこっちに来ないでログだけコピペか
めんどいからこっちに来ればいいのに
180 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/16(火) 21:52:47 ID:QARrjAaU0
182 :
グビグビ:2010/03/19(金) 20:44:55 ID:p2wwZnJ2O
LANケーブル断線してパソコンできないお( ;ω;)
>>182 ごめん、違うスレの人かと思った(汗)
って、なんで断線したの?
どこかに余ってない?
俺の家、腐るほどあるけどな。
さすがにコンビニにはないよね…
どこかまだお店開いてるでしょ?
ヨドバシとか。
185 :
グビグビ:2010/03/19(金) 23:41:14 ID:p2wwZnJ2O
まっぴ〜優しいな(T_T)
飲んでるから車出せなかった。
ふて寝してた\(^O^)/
ほす
187 :
(=^._ .^=)ニャァ:2010/03/22(月) 17:43:30 ID:CF/AXSGCO
キャプテンと聞くと
ウソップが頭に浮かぶのは
σ(=^._ .^=)ニャァ
だけかな?
189 :
(=^._ .^=)ニャァ:2010/03/24(水) 06:33:17 ID:Zp3xUyj0O
んpinkしか
書き出来ないの
(=^._ .^=)ニャァ
なんもしてないのにさ
190 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/24(水) 10:04:13 ID:dgGMM6640
規制中ってことだな
今回の規制は長引いてるな
灰雑にも顔出してるんだw
アウトロたまにいってた
(=^._ .^=)ニャァ
盛り上がってる板に
いきたいな
192 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/25(木) 17:00:23 ID:qpD73Cv10
盛り上げればいいんじゃないか
193 :
(=^._ .^=)ニャァ:2010/03/26(金) 08:14:58 ID:/y+dRajTO
難しいよ
2ちゃんの人は決まったスレにしかいかない傾向があるし………
(=^._ .^=)ニャァ
194 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/03/26(金) 08:20:47 ID:ZU6T4YOn0
おはよ
灰雑は盛り上がってるだろ
昔から賑やかなスレだからな
195 :
ほのぼのえっちさん:2010/05/08(土) 12:08:49 ID:uswj5uL50
保守 age
196 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/08/01(日) 22:45:36 ID:ucTRdGqi0
hage
197 :
ほのぼのえっちさん:2010/10/13(水) 14:44:24 ID:OFOTxXnG0
PINK〜
198 :
ほのぼのえっちさん:2010/11/30(火) 18:13:41 ID:5pgJSpld0
えっち
199 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 20:24:14 ID:5pgJSpld0
せっかく立てたスレ。
廃墟になっているのでちょっと活用しようかと。
ここで間借りして自スレ作成(笑)
よろしくね〜
200 :
大和 ◆xguMh6al2k :2010/11/30(火) 20:33:19 ID:xhwmPjk70
>>199 スレ主就任おめでとう。
エロ全開で行きますか?
201 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 20:37:28 ID:5pgJSpld0
>>200 いらっしゃいませ!
ちゅーか早っ!
エロ全開でもおしとやかでもご自由に(^-^)
大和殿はエロ全開がいいかも(笑)
202 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/11/30(火) 20:43:35 ID:9QulIywU0
俺もエロ全開でいくかな
新しいスレ主まっぴ〜よろ!
203 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 20:44:13 ID:5pgJSpld0
>>202 よろよろ〜
ここ、PINKスレだし暴れてくんさい♪
204 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/11/30(火) 20:45:57 ID:9QulIywU0
日頃抑えてる分を発散するか
205 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/11/30(火) 20:47:00 ID:9QulIywU0
キャプテンすぱろう、PINKに復帰!
帰ってきたぞー!
206 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/11/30(火) 20:47:54 ID:9QulIywU0
後は?スレ主さんおまかせ!
207 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 20:57:32 ID:5pgJSpld0
PINK復帰おめでとう〜
押さえてるもんね。
ベルちゃんもいなくなっちゃったし。
一応、呼んでおいたけど(笑)
208 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 21:21:15 ID:5pgJSpld0
待機中〜
呼ばれたので来てみました。
お久しぶりです。
皆さん、元気ですかぁ〜?
少し顔を出しにきただけなので…
じゃぁ、またね〜♪
210 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 21:25:53 ID:5pgJSpld0
ベルちゃんキタ━━━━(´∀`)━━━━ !!!!!
お元気そうで何よりです。
顔出しだけと言わずまた来てね〜
211 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 22:30:21 ID:5pgJSpld0
おじさん待機♪
212 :
ほのぼのえっちさん:2010/11/30(火) 22:31:27 ID:S1IO5L9z0
こんばんは
お気に入り登録しておきます
まっぴ〜さん、おおきに。
213 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 22:32:14 ID:5pgJSpld0
>>212 有り難うございますm(__)m
お暇な時にぶらっと来て下さいね。
214 :
ほのぼのえっちさん:2010/11/30(火) 22:32:32 ID:S1IO5L9z0
>>212 おじさんです
何故かコテ表示が無いようです
215 :
ほのぼのえっちさん:2010/11/30(火) 22:33:42 ID:S1IO5L9z0
216 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 22:57:02 ID:5pgJSpld0
>>215 ではいつでも(笑)
おじさんだって言うのは分かってましたよ〜
217 :
もんじゃ:2010/11/30(火) 23:30:57 ID:5prsgJTG0
呼ばれたので来てみた。
218 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 23:38:48 ID:5pgJSpld0
メールチェックしてたか。
えらいぞぉ〜
219 :
もんじゃ:2010/11/30(火) 23:45:06 ID:5prsgJTG0
220 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 23:46:16 ID:5pgJSpld0
>>219 それはそれで仕方ない。
迷惑かもしれないし
って言うかID、かなり似てない?
221 :
もんじゃ:2010/11/30(火) 23:50:01 ID:5prsgJTG0
222 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/11/30(火) 23:55:03 ID:5pgJSpld0
今日は閉店です。
また明日よろしく〜
(ミ´ー`)ノミ こちらにも、おじゃましてみますたん♪
ご挨拶ありがとんですた。
お隣さん、よろしこですの(ペコリ
224 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/01(水) 10:13:22 ID:5ApO+wzE0
>>224 (ミ´ー`) お初ですた、お隣に住むものですん。
よろしくどぞ、です♪
226 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/01(水) 16:04:20 ID:NGPtBOYs0
>>225 お初でしたよね。
こちらこそよろしくです〜♪
227 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/01(水) 19:27:24 ID:7eKMDklq0
>>213先生お久しぶりです
もうお会いできないのかと寂しく思っていただけに嬉しいです
228 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/01(水) 20:28:28 ID:NGPtBOYs0
229 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/01(水) 20:46:38 ID:7eKMDklq0
>>228 いやだわ。
まっぴ〜さんったら。
私よ。わ・た・し。
230 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/01(水) 21:37:53 ID:NGPtBOYs0
わからん…
231 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/01(水) 21:46:24 ID:0GjI6/+J0
蕾じゃねーの
232 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/01(水) 21:51:50 ID:7eKMDklq0
まっぴ〜さん
驚かせゴメンなさい
おじさんですよ。お・じ・さ・ん。
233 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/01(水) 22:23:45 ID:NGPtBOYs0
おじさん!!!
ビックリしたじゃないですかぁ〜(汗)
234 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/02(木) 18:44:50 ID:07an15l50
今日はチキンカツ!
いやぁ〜鶏肉が安いもんで…
旨い魚が食いたい
235 :
大和 ◆xguMh6al2k :2010/12/02(木) 19:44:56 ID:8DNBWZ/10
俺は八宝菜とシャウエッセン。
チキンカツはタルタルソースで食べたいな。
宮崎で食べたチキン南蛮を思い出す。
236 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/02(木) 20:14:10 ID:07an15l50
>>235 八宝菜とシャウエッセン!!
その組み合わせは食べたことないですけど…
美味?
237 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/03(金) 13:33:56 ID:bMB+Hm+90
その映像で注目されているのが、麻央のファッションと振る舞い。
「これまではスーツや着物などカッチリとした格好が多い印象の麻央だったが、
海老蔵とおそろいのニット帽にマスク、スウェット風のパジャマという
田舎のヤンキーがコンビニに行くような格好をしていた。
俺、こんな女大嫌い。
238 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/03(金) 13:40:19 ID:DlmU05/60
俺も昨日の麻央はいやだな
いくら病院内とはいえ屋上に出るのにあんな服で平気で出てくるってどうよ?
239 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 21:18:22 ID:DQQ3I8Hu0
さぁ〜て、一杯飲むかな。
残り酒ばっかりしかないけど種類は多いぜ(笑)
240 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 22:03:10 ID:DQQ3I8Hu0
牛乳があるからカルーアミルクでも飲もう
241 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 22:33:58 ID:avUmE7Bl0
お子ちゃまでっか
242 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 22:36:01 ID:DQQ3I8Hu0
おこちゃまはアルコールは飲んだら逮捕です
243 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 22:36:43 ID:DQQ3I8Hu0
カルーアミルクは飲みやすい割にあるコール度が高いので
オキニを酔わせるにはもってこい♪
244 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 22:40:04 ID:avUmE7Bl0
ちょっとカルアミルク買ってくる
245 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 22:48:06 ID:DQQ3I8Hu0
246 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 22:50:51 ID:avUmE7Bl0
カルーアミルクのカルーって何だ?
247 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 22:55:43 ID:DQQ3I8Hu0
248 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 22:58:20 ID:avUmE7Bl0
なるほど
カルーとはカルーアの元なんだな
249 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:04:57 ID:DQQ3I8Hu0
250 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 23:06:15 ID:avUmE7Bl0
カルーから作ったカルーアと牛乳を混ぜるとカルーアミルクになる
251 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:09:42 ID:DQQ3I8Hu0
252 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 23:17:37 ID:avUmE7Bl0
カルーアの中に入ってるやつ
253 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:21:47 ID:DQQ3I8Hu0
まだ入ってなかったのか
そりゃ重傷だ!
医者開いてるか?
なければERだな。
255 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:26:16 ID:DQQ3I8Hu0
256 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 23:28:09 ID:avUmE7Bl0
たまたま通りかかった糞スレから
257 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:31:03 ID:DQQ3I8Hu0
258 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 23:32:25 ID:avUmE7Bl0
糞スレの誤爆からw
259 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:45:20 ID:DQQ3I8Hu0
え?誤爆?
260 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 23:47:55 ID:avUmE7Bl0
こまけぇこたあーいいんだよ
261 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:49:54 ID:DQQ3I8Hu0
/)
///)
/,.=゙''"/
/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
262 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/04(土) 23:51:02 ID:avUmE7Bl0
さてと
カルーが切れたんで寝る
263 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/04(土) 23:51:27 ID:DQQ3I8Hu0
(ミ´ー`) カルー、ワロタw
てか、みんなさんおはよん♪
265 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/05(日) 07:00:22 ID:BQq8dBxo0
カルー愛好者は多いんだな
おはよ
266 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 12:44:17 ID:gRuoiMfr0
え?
267 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 13:39:25 ID:gRuoiMfr0
今日はここで独り言でも書くかな。
268 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 14:20:39 ID:gRuoiMfr0
さみぃ〜
茶でも飲むか…
今日のおやつは朝食べなかったサンドイッチ@手作り
269 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 14:36:15 ID:gRuoiMfr0
270 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 15:03:49 ID:gRuoiMfr0
271 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/07(火) 16:09:59 ID:++tbPCQA0
魯山人は納豆を200回かき混ぜたらしい
272 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 16:14:16 ID:UOa5V2jM0
273 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/07(火) 16:21:03 ID:++tbPCQA0
ほとんどペースト状になるのか
274 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/07(火) 16:26:27 ID:UOa5V2jM0
まるでピーナツバターだね
275 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/10(金) 15:07:33 ID:ZPzLZ4pm0
3日も放置してた(笑)
276 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/10(金) 15:09:21 ID:ZPzLZ4pm0
仙谷のせいで徳島が不買運動の標的にされてるみたいだけど
何かちょっと違うような気がする。
確かに仙谷には失脚して欲しいが…
どこから沸いてくるんだろう?あの自信
277 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/11(土) 14:30:31 ID:PXDi0mNE0
俺は今、家でカウチポテト
いや、ただのカウチ(笑)
前見たドラマを見直してる。
278 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/11(土) 15:29:36 ID:nBDdPskHi
カウチのカウってなんの略?
279 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/11(土) 16:28:30 ID:PXDi0mNE0
280 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/11(土) 16:30:57 ID:nBDdPskHi
カウチと河内の違いがよくわからない
281 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/11(土) 16:39:26 ID:PXDi0mNE0
282 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/11(土) 16:43:23 ID:kSZYm7Tw0
カウチと河内の違いはカレチとの違いほどあるのか?
283 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/11(土) 16:45:46 ID:kSZYm7Tw0
カウチ、河内、カレチ、カバチ
一番早いのはどれだろう?
284 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/11(土) 23:42:02 ID:xJjWVCui0
待機中〜
285 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/12(日) 11:11:38 ID:bpp56Jk40
@レレチ=車掌長
Aカレチ=乗客専務車掌
Bレチ=車掌
特別急行、急行に乗務でできるのは@とA
グリーン車には専属のAを配置
車内と鉄道営業施設構内でのみ司法権をもつのが@とA
いずれも国鉄時代のはなしでした
286 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/12(日) 11:14:01 ID:ZkH8hZa/0
287 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/12(日) 11:26:09 ID:bpp56Jk40
現在も慣用的にレチを用いる
しかし列車長=レチと解釈しての使い方
正式には車掌に階級無し。
一部特急には子会社委託車掌が乗務している事もあり
国鉄時代とは隔世の感があります。
288 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/12(日) 12:56:02 ID:SYCnzyD60
289 :
ほのぼのえっちさん:2010/12/12(日) 14:02:21 ID:xiD5rnBD0
>>288 ご指摘ありがとうございます
2chってスゴイところ。鉄板でもないのに
ニレチをご存知の方がおられるなんて。
2chの奥深さを垣間見た
290 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/12(日) 15:47:35 ID:1ASJ8Unf0
ひえ〜
俺には何の話か全く分からん…
鉄道の話だと言うくらいしか(泣)
291 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/12(日) 16:08:14 ID:ZkH8hZa/0
>>290 >>282で言ったカレチとは鉄道業界用語で長距離列車に乗務する客扱専務車掌のことなんだ
>>285は他にもある鉄道業界用語を教えてくれている
292 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/17(金) 23:32:13 ID:JGVSVscf0
ここ、面白いAAが逢ったら張っていくことにする(笑)
293 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/17(金) 23:33:19 ID:JGVSVscf0
── ∧_∧ めんそーれー♪
── ( ・∀・) .∧_∧
─ = ○_ ⊂)_ _ \ ∧/ r( )
── > __ ノ ))< > 〉菅 つ
─ ( / /VV\ ⊂ 、 /
── .= ( ノ し'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|
|
| 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
| 漫 湖
294 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/17(金) 23:38:21 ID:z9iHK0AE0
まっぴ〜
そんなのすぐに埋まっちゃうぞw
295 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/18(土) 09:55:05 ID:KeZrvjX40
296 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/18(土) 20:26:17 ID:7lbasJVl0
298 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/20(月) 22:47:04 ID:6TlRoLWj0
ほのぼの
∩ .∩
.い_cノ / ̄>O
.c/・ ・っ (ニニニ)△△
.("●" ) .(・ω・`)[‖] ここも悪い子ばかりだな
O┳Oノ)=[ ̄てノ ̄ ̄] ルドルフ!次行こう!
◎┻し◎ ◎――◎=3
/ラジャー\
299 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/21(火) 11:55:08 ID:eOszpv1O0
300 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2010/12/21(火) 12:01:26 ID:KfydJYhk0
クソワロタw
301 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/21(火) 12:21:47 ID:eOszpv1O0
302 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/21(火) 16:23:57 ID:eOszpv1O0
ワロタ
_,,:-ー''" ̄ ̄ ̄ `ヽ、 :..
,r'" .. .. : : ::ノし )(::: :.`ヽ. ビキ . : :
__,,::r'7" ::. ノ( ⌒j(⌒) (:::::::...ヽ_ ビキ : .
゙l | :: ⌒. .::: ::: :: .. . .⌒:: :... ゙) 7 ::.
| ヽ`l ,/\,,_::..、,;_、_...:::_,,,ノ\ /ノ ) , : ;
.| ヾミ,l _;;: ::: ."''=:))il((=''" . . . ::` .ヒ-彡| : .
〉"l,_l "-ー:ェェヮ;::);;;;;f';;_-ェェ-ニ,, ゙レr-{ . ::
| ヽ"::::''_;:'" ̄´.::;i;;;;;;i,..`'' ̄`:;_ .::r';' } . : :
. ゙N l ::. .....:::;イ;:';;;;;;;;l;;;i、::... . . ...::,l,フ ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. |_i"ヽ;:...::::::/::.゙'''=-='''´`ヽ::.....:/i l" < クリスマスは去年やっただろう!!
.|:.:.::゙l :::i ,-==' '==::、..:i .::,il".::|'" \__________
.{::...::|:::.、 ::(┼┼┼┼} :::...:il::. .:| : . .
/ト、:. :|::..゙l;: `======='".:,i' .:,l'.::ノト、 : : . ..
/ .|::..\ゝ、゙l;:: : : : ⌒ :: :,,/;;,ノ;r'" :| \ :: : . .
'" |:: : ..`''-、`'ー--─'";;-'''"... : : :| :: : . .
303 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/22(水) 17:01:52 ID:vC3ILbrA0
これ、みんな言いたいんじゃね?
i三i
〃 ヾ、
〃 ヾ、
〃 ヾ、
〃 ____ ヾ、
〃 / \ ヾ、
|| / _ノ ヽ、_ \ ||
|| / o゚⌒ ⌒゚o \ || 日本人にもっと優しくしろ!お前たちはどこの国の政党だ?
ヾ,| (__人__) |//
(⌒)、_ ` ⌒´ _,(⌒)
/ i `ー=======一'i ヽ
l___ノ,、 ,、ヽ___i
l l
304 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/22(水) 17:51:21 ID:vC3ILbrA0
これはワロタ
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:::::::::::::::::...... ....:::::::゜::::::::::..::::::::: ::::::::::::::: ::::。::::::::::::::::: ゜.::::::::::::
:. .:::::。:::........ . .::::::::::::::::: ∧_∧ ::::::::::::::::::::。::::::::::: . . . ..::::
:::: :::::::::.....:☆彡:::: ::::::::::: ( ´・ω・) :::::::::::::::::::゜:::::::::: ...:: :::::
:::::::::::::::::: . . . ..: :::: ::::::: ( つ旦O ::::::::::::::::::.... .... .. .::::::::::::::
::::::...゜ . .::::::::: ::::::: と_)__) :::::::....... . .::::::::::::........ ..::::
:.... .... .. ..:.:.:. :.: .: .:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: .:.:.:. :.:.:.:.:. :.:.:.: .:.: :.... .... .. .:.
:.... .... ..:.... .... ..... .... .. .:.... .... .. ..... .... .. ..... ............. .. . ........ ......
:.... . ∧∧ ∧∧ ∧∧ ∧∧ .... .... .. .:.... .... ..... .... .. .
... ..:( )ゝ ( )ゝ( )ゝ( )ゝお茶しやがって… ..........
.... i⌒ / i⌒ / i⌒ / i⌒ / .. ..... ................... .. . ...
.. 三 | 三 | 三 | 三 | ... ............. ........... . .....
... ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ............. ............. .. ........ ...
三三 三三 三三 三三
三三 三三 三三 三三
305 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/22(水) 20:41:33 ID:vC3ILbrA0
今の季節はこれ
/ 。 ○
。∠_________/
< \ |
/ \ \ ○ 。 γ⌒丶
゚/ / \ \ 丶_ノ
/ /∧∧\ \ |
\/(・ω・) >。o ○ |
\\∪⊂/ \. \. |
\\/ ○ \ \ |
\ \\ o _\ γ⌒丶
○\ \\二○__丶_ノ
\ \\/>
゚ ○ 。\ \/ o ○
。 o  ̄ ̄ ゚
九州もホワイトクリスマスになる予感
306 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2010/12/24(金) 18:13:31 ID:TRHUUBfN0
と、無職の売春ババアはほざいております。
308 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2010/12/31(金) 17:44:28 ID:0V3nToTv0
まっぴ〜来年もよろしくな
いい年を迎えてくれよ
あけました おめこ キャプテンスパロー!!
310 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2011/01/01(土) 14:19:39 ID:J6Z3MJBL0
あけたらつっこむ Mr.クロ
311 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2011/01/05(水) 22:51:13 ID:z0sryO/n0
恒例(笑)
313 :
はな ◆U16ZxwxOYE :2011/01/13(木) 00:12:12 ID:AFyFRwJYO
て〜すと♪
ここなら書き込めるのね。って、ネタどうしよ。
ミニスカ好きのスレ主さん、今晩は♪。
314 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2011/01/13(木) 09:57:52 ID:dsoZRzIt0
>>313 ぎょぎょ!
教えたのにかきこまねーなと思ってたら
忘れた頃に(笑)
いらっしょーい!
ネタ?
ネタはなんでもいいんだぞ〜
愚痴でも質問でもなーんでも!
315 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2011/01/13(木) 10:08:49 ID:dsoZRzIt0
しまむらくんの季節だね〜
(~)
γ´⌒`ヽ
{i:i:i:i:i:i:i:i:} このセーター
( ´・ω・) しまむらで買ったんだ。
(:::::::::::::)
し─J
316 :
はな ◆DK84rDs0eM :2011/01/13(木) 16:00:29 ID:AFyFRwJYO
ω-)…】チラーン♪。
グフフ…。
317 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2011/01/13(木) 16:24:41 ID:VTX0TL8G0
! l ! r
i l l i
! 从 l i i (~)
l / ゝ人 /. γ´⌒`ヽ
∧,,∧ ; ! __ ヽ r. {i:i:i:i:i:i:i:i:} 誰か覗いてる…
(´・ω・) 丿 ヾ/;;/ ヽ.. (・ω・` )
∧,,∧ /つ_ _O (二;;;;二二;二;;二) O::::と:::ヽ ∧,,∧
( ´・ω) ゝノu.u ((;;;;;;/;;/;;;;@) u'u'、ソ (ω・` )
/ つ (二二;;二;;;二二) と ヽ
ゝ_人) ∧,,∧ (@);;;;;;;;;;(@) ∧,,∧ (人_ノ
( ´・) (・` )
/ ) ( ヽ
ゝ_ ) ( _ノ
318 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2011/01/15(土) 13:12:03 ID:IiEHMoOg0
ト、 ______) 総 こ
「::::\┐ _,,. --──- 、..,,_ `ヽ. 最 理 ..ん
r-‐'へ::::::::!_'´ __,,,,......,,,,,__ `ヽ、 ', 大 大 ..な
>:、:;::::::>''"´ `"'' 、 ':, i. 不 .臣 .ク
└─ァ''" / `':., ',. ! 幸 だ ズ
,:' / / ,' / ,' i. ', ':, i ',! i. | 社 な ...が
/ ,' .,'`メ、!,_,/ ./! 、i__,,!イ .|. i ,ゝ | | 会 ん ..日
,' i ,!/,.-ァー;' / !/ァ;ー'-r'、 ! /__」 | l .で . て .本
i ! ハ!イ i `ハ i `'ハ Y/ i/ i | |. す .の
└'^iー! ,iヘ ':,_ン ':,__ン ノ!' | i. i ,' .!
,:' .!.7,.,., ' .,.,., ,'! .! | | ∠_ ___ __ __
o ゜/ ,:'. ト、 r‐,-‐ ''"´`ヽ. / ; | ! ! `Y´ `Y´ `Y´ `
,' .// i. `i:.、.,!/ ,.イ,:' ,' | ,'i .| _,..,_,.-ー-.,_
レヘ_/ヽ. !ァ''"´ `ヾi、ー=''"/ヨ___,/、___!へr┘ /::::::::::::::::::"ヘヽ
/ ヾ!二へ/:::::ト,.-'‐'^ヽ, ./::::::::::::::::::::ノ ヽヽ
,' ',l>く}:::7 rノ /::::::;;;;...-‐'""´´ |;;|
K_ _,r-イYン/ムi:::::/ ,ノ´ |::::::::| 。 |:|
/Y>ベ´ '';:::::io:/ ,イ |::::::/ 〜 ^ヽ || バラマキの財源はお前らの財布だお
,.:':::::ヽ、ン':, ヽ/ ,イ /゙,ー、 ,ヘ;;| ,-・‐ ‐・-,. |
/:::/:::::::::::::::::ヽ. ' ,.;'ヾ/、/_/ |6 -ー' 'ー . | 基地拒否なら沖縄振興策取り上げるお
,く:::::::/::::::::::::::::::::::::`ヽ、___,.,.イi `'ー'^''‐' ヽ,,,, (__人__) /
´::ヽ`'::、::::::::::::::::::::::::::::::::/!::::::::::! \ `ー'U/ 尖閣は那覇地検と海保の責任だお
まさにその通りですな。
い
320 :
megu:2011/01/28(金) 22:21:10 ID:sObKutPP0
・・・はなちゃん・・・?
なぜピンクに?
321 :
キャプテン ◆Sparrow7XM :2011/02/06(日) 10:13:46 ID:YSvV7JMq0
寒い
すぱ 呟き DM
323 :
まっぴ〜 ◆MR2GT/qlhU :2011/02/13(日) 09:54:31 ID:vpjVytQI0
待機中〜
325 :
ゆ :2011/02/14(月) 10:40:37 ID:t9YvFG7JP
ほいさっさノ
カメラのことで聞きたいんだけど
327 :
ゆ :2011/02/14(月) 10:43:14 ID:t9YvFG7JP
何でしょう?
>>327 縦で撮る時に俺とゆでは方向が違うみたいなんだけど
どっちがいいとかあるの?
329 :
ゆ :2011/02/14(月) 10:47:14 ID:t9YvFG7JP
どっちでもおけですよ(^^)
そうなんだ〜
ありがとう〜
331 :
ゆ :2011/02/14(月) 10:51:58 ID:t9YvFG7JP
利き目の問題とか色々と;
ちなみにゆは左
333 :
ゆ :2011/02/14(月) 10:57:27 ID:t9YvFG7JP
意識せず覗き穴を覗く目ですネ
イシシ
マジレスだと片目で見て物が真っ直ぐ
見える方です(^^)
>>333 なるほど〜
参考になります(`・ω・´)ゞビシィ!
335 :
ゆ :2011/02/14(月) 11:35:59 ID:t9YvFG7JP
どいたまヽ(^^)三(^^)ノどいたま
どいたまってなんだ?
337 :
ゆ :2011/02/14(月) 11:50:07 ID:t9YvFG7JP
どういたしまして
d(*・ω・*)bゴメンネ
おい、分からない略語は使うな(汗)
339 :
ゆ :2011/02/14(月) 11:58:15 ID:t9YvFG7JP
( ´ 艸 ` )フヒヒ サーセン
(ミ´ー`) まず、両手を前に伸ばします。
人差し指どうし・親指どうしをくっつけて、目の前に小さな窓を作ります。
前方少し遠くにあるナニかを目標物として見つめます。
なんでもイイんだけど、例えば外にいたと仮定して、向こうに停めてある自転車を見てみたとしましょうか。
窓の中に自転車がおさまってる状態で、片目を順番につぶってみる。
ほら、あなたの効き目が判明♪
てか、通りすがりに長々と失礼しますたw
>>340 ご来場、有り難うございます。
しかし凄い通りがかりだな(笑)
いえ
343 :
ほのぼのえっちさん:2011/02/24(木) 17:20:54 ID:9rdkA1vv0
sage
保守
346 :
ゆ :2011/03/19(土) 19:11:57.01 ID:nBvdut0VP
♪(´ε` )
347 :
ゆ :2011/03/20(日) 12:35:20.14 ID:BUf3BJg3P
べろんべろんにされて
外泊許可証だサインしろと
傭兵契約書にサインさせられたら嫌だよ
♪(´ε` )
テスト
ここだけ規制解除
誰か来てくれ〜(笑)
350 :
ゆ :2011/03/23(水) 20:17:26.57 ID:QVC9rrBDP
三ヘ(*・ω・)ノ のろまったかー
351 :
キャプテン ◆SPARROWhrs :2011/03/23(水) 20:22:09.91 ID:bsjNLVzG0
まっぴ〜こんなとこに漂流しとったんかw
救助艇いるか?
>>351 救助艇が来るのを今か今かと待ってるけどいっこうに来ない…
何でフェチ板には書き込めるんだ〜!
354 :
ゆ :2011/03/24(木) 07:45:58.84 ID:dmAQz2gYP
三ヘ(*・ω・)ノ おはよー
おはよぉ〜
今起きた。
356 :
ゆ :2011/03/24(木) 10:38:26.67 ID:dmAQz2gYP
そんな日もイイさー
357 :
ゆ :2011/03/24(木) 18:06:53.79 ID:dmAQz2gYP
たでま
ゆでたまかとオモタ(笑)
359 :
ゆ :2011/03/24(木) 18:30:01.66 ID:dmAQz2gYP
でたま
つO
361 :
ゆ :2011/03/24(木) 18:55:05.56 ID:dmAQz2gYP
野菜を盛り合わせてサラダ!
じゃぁ、作ってくれ。
よろしく〜
363 :
ゆ :2011/03/24(木) 19:42:31.20 ID:dmAQz2gYP
ブブー
365 :
ゆ :2011/03/24(木) 21:39:08.79 ID:dmAQz2gYP
今テレQで「日本を支えるスゴい機械」
特集がやってる
がんばれ!機械!作る人もね(^з^)-☆
367 :
ゆ :2011/03/24(木) 22:21:05.15 ID:dmAQz2gYP
一般的にね(^з^)-☆
お?
規制解除?
おあよぉ〜
今日は寒いよぉ〜><
370 :
ゆ :2011/03/25(金) 14:13:35.30 ID:wRzqYMwXP
寒い寒い(>_<)
371 :
ゆ :2011/03/27(日) 12:12:15.35 ID:kOTHBaE7P
ヾn ・ω・n コンニチワン
すべてをあなたに
ホイットニー・ヒューストン
よかっ!&ナツカシス
373 :
ゆ :2011/03/27(日) 23:08:53.93 ID:kOTHBaE7P
シブいねd(^_^o)
いたのかい?
375 :
ゆ :2011/03/27(日) 23:42:45.39 ID:kOTHBaE7P
なんとなく(^。^)
suiton
0
376 :
ゆ :2011/03/28(月) 00:44:33.57 ID:NKPaDPXPP
(^。^)もう寝たかな?お疲れ様!
一回寝たけど起きて寝れん…
いま、ロールケーキ出してコーヒー準備中(汗)
378 :
ゆ :2011/03/28(月) 08:43:25.97 ID:NKPaDPXPP
あらすれちがいf^_^;)
380 :
ゆ :2011/03/28(月) 09:03:58.73 ID:NKPaDPXPP
( ´ ▽ ` )ノ おはお
痔はあったかくしてねd(^_^o)
382 :
ゆ :2011/03/28(月) 09:08:01.58 ID:NKPaDPXPP
お尻ポケットにイン♪(´ε` )
384 :
ゆ :2011/03/28(月) 09:49:56.45 ID:NKPaDPXPP
f^_^;) 多少はね…
385 :
ゆ :2011/03/28(月) 16:37:37.39 ID:NKPaDPXPP
ω・`) チラリ
とノ
386 :
ゆ :2011/03/28(月) 19:35:08.77 ID:NKPaDPXPP
((´・ω・`)) 何でこんーなに寒いの
>386
ただいま
身体動かさないから寒い
388 :
ゆ :2011/03/28(月) 21:20:20.68 ID:NKPaDPXPP
お!(`・ω・´)9言うねえ言うねえ!
(´・ω・`)確かにその通りなんだけど
>>388 その前にケツがいてぇ〜
昨日よりひどくなってる(涙)
390 :
ゆ :2011/03/28(月) 21:45:18.18 ID:NKPaDPXPP
風呂で温めよう♪(´ε` )
391 :
ブ:2011/03/29(火) 00:32:31.22 ID:BSL9naZsO
あっぴー^^
392 :
ゆ :2011/03/29(火) 10:52:53.01 ID:bQor0+9jP
〜(っ´-ω-)っ仕事なんやろうな
今日は6時までの予定だったけど雨が降ってきたので3時までで
追い出された…
おかげで昼寝できたけど
394 :
ゆ :2011/03/29(火) 18:50:43.62 ID:bQor0+9jP
395 :
ゆ :2011/03/30(水) 00:11:48.19 ID:CJXQjQF7P
ω・`) チラリ もう寝た?
とノ
396 :
ゆ :2011/03/30(水) 08:12:56.43 ID:CJXQjQF7P
三ヘ(*・ω・)ノ おっはよー
397 :
ゆ :2011/03/30(水) 18:11:52.24 ID:CJXQjQF7P
ω・`) チラリ お疲れ様
とノ
398 :
ゆ :2011/03/31(木) 08:39:58.37 ID:YPKkebrXP
(´・ω・`)疲れてんのかな〜
今日はお休み
今は実家だよ〜
400 :
ゆ :2011/03/31(木) 21:29:31.27 ID:YPKkebrXP
写真見たで(σ・ω・)σ ピカピカ
401 :
ゆ :2011/04/01(金) 12:03:22.27 ID:L1eZl3bmP
〜(っ´-ω-)っ 天気良すぎ〜忙しいやろ?
久しぶり歩いて天神博多なう
403 :
ゆ :2011/04/01(金) 13:43:17.53 ID:L1eZl3bmP
〜(っ´-ω-)ノシシ
明日は忙しいぞ〜
405 :
ゆ :2011/04/02(土) 05:51:40.00 ID:g2oZn0V7P
〜(っ´-ω-)っ ファイトーオー!
今日は気が滅入る…
407 :
ゆ :2011/04/02(土) 12:17:39.24 ID:g2oZn0V7P
予約一杯?
408 :
き:2011/04/04(月) 23:41:47.74 ID:qSSifl37O
ヨロシク
>>408 よろしこ〜
>ゆ
きょうはさんきゅね〜
410 :
ゆ :2011/04/05(火) 06:23:04.60 ID:zqmLHC9bP
〜(っ´-ω-)っ おはよ 帰ったら即寝だた…
おはよぉ〜
疲れてたんだね
おつかれん!
何かあったらすぐ連絡くださいな(^-^)
412 :
ゆ :2011/04/05(火) 09:31:21.00 ID:zqmLHC9bP
(・ω・)ノ おはお
ハイハイ
おはよぉ〜
今日は台数が多そうだ。
金曜日は空いてるので何かあったら教えてね〜
414 :
ゆ :2011/04/06(水) 14:37:40.05 ID:ILd5lmOoP
のろまった汗
>>414 ごめん、金曜日は用事が出来ましたm(__)m
416 :
ゆ :2011/04/07(木) 08:17:49.23 ID:R6CS1i3KP
よいよーd(^_^o)
仕事が平日休みになってから曜日の感覚がなくなって困った(汗)
418 :
ゆ :2011/04/11(月) 11:20:04.47 ID:z5mAwoXXP
d(^_^o)あるある
ただいも〜
長々とお世話になりました〜
ただいも〜
帰ったよ。
今日は楽しかったです。
ごちそうさん〜♪
421 :
ゆ :2011/04/13(水) 17:31:29.73 ID:dg1Ps6aPP
昨日は速攻で寝てしまったよ(>_<)
おはよぉ〜
あと1時間半暇だ
テスト
このまま落ちるん?
アリス
426 :
ほのぼのえっちさん:2011/07/01(金) 06:19:09.83 ID:553DZotU0
ほしゅ・・
427 :
ほのぼのえっちさん:2011/07/16(土) 05:56:04.04 ID:HPRZKnag0
ほしゅ・・
だれだ、こんな所保守してる奴は(笑)
429 :
このスレ活用術:2011/09/01(木) 18:53:49.39 ID:SOX7Rnqq0
あ
このスレ、死んでるので勝手に使わせてもらいますデス。
このスレのテーマは何にしようかのぉ〜
ぐREEを退会してしまったらZREEにぜひ来てください。
せんだズリお
↑↑検索してください。お待ちしております。
ZREEへようこそ
糸冬了
糸冬了
糸冬了
糸冬了
暇人がいるな。
>>438 朝5時から書き込むオマエは余ほど暇人だな
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
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辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
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「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
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「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
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「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。
「芸術的・思想的価値のある文書であつても、これを猥褻性を有するものとすることはなんらさしつかえのないものと解せられる。
もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、
刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、
芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない」
この判決には1人の補足意見、1人の意見、5人の反対意見がついた。
その中で注目されたのが裁判官田中二郎の反対意見である。
田中は、相対的わいせつ概念の観点から本書がわいせつ文書には当たらないとの判断を下した。
「この作品が仮りにいくらかの猥褻の要素をもつているとしても、刑法一七五条にいう猥褻文書に該当するかどうかは、
その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものであるとする前叙の私の考え方からすれば、
これを否定的に解しなければならない。
すなわち、この作品は、芸術性・思想性をもつた社会的に価値の高い作品であることは、一般に承認されるところであり、
原著者については述べるまでもないが、訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、
本件抄訳をなしたものと推認され、そこに好色心をそそることに焦点をあわせて抄訳を試みたとみるべき証跡はなく、
また、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない」
また、裁判官色川幸太郎の反対意見は、知る権利を打ち出したことで注目された。
「憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、知る自由をも含むことについては恐らく異論がないであろう。
辞句のみに即していえば、同条は、人権に関する世界宣言一九条やドイツ連邦共和国基本法五条などと異なり、知る自由について何らふれるところがないのであるが、
それであるからといつて、知る自由が憲法上保障されていないと解すべきでないことはもちろんである。
けだし、表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となるからである。
情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。
ひとり表現の自由の見地からばかりでなく、国民の有する幸福追求の権利(憲法13条)からいつてもそうであるが、要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、
出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない」
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、
文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、
主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、
それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)
といえるか否かを決すべきである。」
クリフォードは帰還し命は取り留めたが、戦傷により下半身不随となり、2人の間に性の関係は望めなくなった。
もともと労働者階級に理解がなく、村人との接触を絶っていたクリフォードだったが、さらに自己の威厳(プライド)を保つため、
コニーに対しても一線を引くようになる。
クリフォードは跡継ぎのため、コニーに恋人を持つよう勧める。
その男性の条件は、同じ階級で、跡継ぎができたらすぐに身を引くことができる人物であることだった。
コニーは、自分はチャタレイ家を存続させる為だけの物でしかないと嘆く。
そんな彼女が、恋に落ち男女の仲になったのは労働者階級出身で、妻に裏切られ別れ、かつて陸軍では中尉にまで上り詰めたが、
上流中流階級の周りになじめず、退役しチャタレイの領地で森番をしている男、オリバー・メラーズであった。