【コテハン談話室】懐かしむスレ【実況〜エロ会話〜難民】
「……えっと、三浦さ」
静かな場所とは心地が良いときと、すこぶる悪い場合がある。無論、現在は後者だ。
会話がつづかない為に出来る静かな空間は、いち早くここから逃げたい気持ちを生み出すが、生まれた結果予想外の育ち方をすることもある。
いきなり三浦は「まってろ。小田」という言葉とスポーツバッグを残して、わたしと小田の住む棟へと駆け出した。
世話焼き人間はある限度に達すると、自分のことなどどうでもよくなるのだろうか。
満々とコップに満ちた水が溢れ帰るように。
三浦のスポーツバッグをわたしが拾い上げると、半開きのチャックがさらに開ききれいな紙袋に包まれた手のひら大のものが入っていることに気付いた。
男子のバッグには不釣合いの可愛らしい紙袋は、少々わたしの興味を引いた。
「……」
目の前のアスファルトに大きな影が伸びる。しかも長細い影がおまけについている。
「ぶんちゃん、そう遠くに逃げてないって」
「え……」
虫取り網片手に、背の高い三浦の立つ姿はわたしには心苦しいものだった。
世話焼きに、ウソツキに、うるさ型。
インコから見れば、人間たちは彩り豊かに見えるのだろう。そんな人間たちを見てれば、いつしか自分が人間だと勘違いしてくる。
ただ、人間と違うことは『ウソをつかないこと』ということだけ。
たかがインコのことを考えているうちに、自分が恥ずかしくなってきた。ぶんたにも会いたい。
「おーい!ぶんちゃーん」
三浦の叫び声が団地じゅうに響く。風に乗って、林を抜けて、雲まで届け。ひしひしと三浦の純情がウソツキを焦がす。
虫取り網を肩に掛けて、わたしを手招きしていっしょに飼い鳥の名前を呼ぶことを誘う三浦はバカなぐらい世話焼きだ。
いつしかわたしも必死にインコが居もしない林の中で、インコの名前を呼び続けていた。
捜索を諦めない三浦は、少し弱音を吐く。
「せっかく買ってきたのになあ」
「え?何?」
「ブランコ。プラスチックの造花が付いていて、ぶんちゃんにぴったりと思ったのに」
多分、あの紙袋の中身はブランコだ。インコ用のブランコだ。
鳥かごからぶら下げるブランコ。三浦がぶんたの鳥かごを見て「寂しい」と言っていたことを思い出した。
世話焼きってば!
「ぶんちゃんに花ブランコ、乗ってもらおうよ」
「う、うん」
出来ることなら、ウソツキより世話焼きになりたかった。世話焼きならうるさ型でも器用に立ち回れるだろうし。
もしかしたら、三浦といっしょならウチに帰る口実が出来るかも。勝手に出て行ったわたしを許してくれるかもと。
青い鳥を追い駆けて、チルチルは青い鳥を探し続け、ミチルは現実に帰る。魔女の住む団地の棟へと戻る決心。
「三浦。もしかして、ぶんたはウチに帰っているかも。ほら、ウチの子……。自分を人間と思っているから」
「人間って……。面白いな、小田は」
「もしかして、ウソついてるって思ってるでしょ」
三浦は少し呆れながら虫取り網を林で振り回していた。三浦の興味はもはやぶんたにしかない。
そしてわたしは、また一つウソをついて、花ブランコに乗ったインコを思い浮かべながら三浦の裾を引っ張る。
この町を出て都会に行く。ぼくがそう言った時の、彼女の驚いた表情と反応は大袈裟すぎて胡散臭いぐらいだった
何故? どうして? 考え直さないかな? この町が嫌い? 嘘だよね? 冗談だよね?
彼女は今の年齢の半分くらいの時から読者が好きでよく感想を聞かせてくれた。幼い頃は無邪気で他愛もない感想を、年齢を重ねるにつれ、知的で落ち着いた感想を楽しそうに話してくれる
そんな彼女からは信じられない狼狽っぷりに動揺したぼくはその場から逃げ出してしまった。
謝らなくちゃ。彼女を傷つけてしまったのだから。そして町をでる理由を、叶えたい夢があることを、キチンと話そう。きっと分かってくれる。
そう思っているけれど、心臓は早鐘のように鳴り、体は動いてくれない。しかし、心臓の音にあわせるように、玄関のチャイムが鳴った。彼女が追いかけてきたのだ。
扉を開ける。彼女がいた。彼女は、腕を後ろに組んで穏やかに微笑しながら優しく言った。
「さっきはごめんね。いきなりの事で驚いちゃったんだ。大丈夫。落ち着いた。そして君が町を出る理由を考えたんだ。大方、夢を叶えたい! だとかその辺でしょ? それについて私なりに意見があるの。いつもみたいに聞いてくれる?
人はね、よりよく生きたい、もっと幸せになりたい、から夢をみるの。不幸になりたい、なんて願ってる人いないよね。君の夢もそうでしょ?
でもね文明は人類が夢を叶えてた結果なんだよ。
つまり、今、君がいるこの世界は遠い昔に誰かが夢みた理想郷なんだ。
それを否定するの? 『もっと』ってまだ思うの? いつまで続くの? 1万人がそれぞれに夢を目指して、たった1人だけが叶えて、残りのみんな不幸になって犠牲になって、そうやって何度も繰り返して、それでもまだ幸せにはなれないの?
『生きる』ってそういう事だよ。よりよく。今よりももっとよく。決して今に満足できない。してはいけない。満足したなら他の者より先に死ぬ。そうやって『生きた』のが人間なんだ。だから、人間は幸せにはなれない。
ねえ、もう頑張らなくてもいいんだよ。もしかしたら幸せになれるかも、だなんて勘違いして、自ら苦しみに飛び込まなくてもいいんだよ。だからさ、
一緒に死のうよ。 今に満足しようよ。人間止めようよ。この下らない生存競争から手を引こうよ。そして、幸せになろうよ。」
彼女は、後ろに隠していた包丁で、ぼくを、刺した。
「かあさんっ!かあさんっ!」
尾崎少年は、そう叫びながら階段を駆け下りた。顔には満面の笑み。そう、今日から夏休みなのだ。
うれしさのあまり自分を抑えることのできない尾崎豊少年。
まさか彼がこれより十数年の後、あのような最期を迎えるとは、今の彼を見ても誰も想像できまい。
窓から差し込む初夏の陽射しが、尾崎少年の頬を刺す。
「かあさんっ! ・・・ねえ、かあさんってば!」
尾崎少年はもう一度母を呼ぶ。母の返事が無いことにもどかしさを感じた。
そのまま階段を大きな足音を立てながら降りきった尾崎は、母のいる台所の扉を勢いよく開ける。
そして彼は、予想だにしなかった光景を目にしてしまったのだ。
「…か、母さん?」
尾崎少年の笑顔は凍りついた。目の前の光景が信じられなかった。
尾崎少年はそのまま立ち竦んでしまった。
台所の採光窓から差し込む朝日の中に母は居た。普段通り尾崎少年に優しく微笑みかけている。
しかし何かが違った。いつもの母とは、決定的に何かが。
「・・・勇太。やっと起きたの、遅いでしょ?」
母の言葉も、いつもと変わらず柔和だった。そこまではいつもの母であった…しかし!
逆光の中で立つ母は全裸であった。
さらに驚くべきことに、母の股間には、黒々とした巨大なペニバンが巻き付けられていた。
20センチは優に超える巨大なシリコンラバーコーティングのディルド。
それは不気味に起立し、なめらかでかつ鈍い輝きを放っている。
爽やかな初夏の陽射しの中で、その存在感は明らかに異様だった。
母は食卓の椅子から立ち上がるとゆっくりと尾崎少年に歩み寄った。
歩みを進めるたびに母さんの股間に装着されたディルドが大きく揺れる。
「駄目じゃない、勇太。もっと早く起きなきゃ。学校に遅刻するでしょ…」
母はいつもと変わらない笑顔で語りかけてくる。
しかし、笑顔で細くなった目から漏れる輝き…尾崎少年をおびえさせる何かがちらつく。
「で、でも母さん、今日から学校は…学校は夏休みだよ」
立ち竦んだまま尾崎少年は答えた。その声は震えている。
額にはうっすらと汗がにじみ出る。明らかに自分が緊張しているのがわかった。
気づくと自分の心臓が激しく動悸を打っている。
口の中に唾がたまり、尾崎少年は気になった。おそるおそるたまった唾液を飲み下す。
母はさらに歩み続ける。台所の床板がぎしっと軋む音が、ことさら大きく響く。
台所は無音だった。その無音の部屋の中で、母の歩む足音だけが、不気味に響き渡る。
母は尾崎少年の目の前で立ち止まった。
全裸の母は中年太りしていた。弛んでだらしなく下に垂れた乳房、ドス黒く大きい乳輪、丸々と迫り出した太鼓腹。
くたびれた中年女特有のくすんだシミだらけ肌は、どこか脂っぽい。
母の吐く息が、尾崎少年の頬を掠める。タバコのヤニのにおいが混じった生臭い匂いが、尾崎少年の鼻腔を刺激する。
「そ〜う、今日は学校は夏休みなの…」
母はそう呟くと、もう一度大きく微笑んだ。尾崎少年の数センチの所で母の双眸が止まる。
尾崎の緊張を読み取ったのか、母はそこで一瞬真顔になり、直後に歯をむき出して笑った。
「ひいっ!」
尾崎は思わず悲鳴を上げた。母の、不気味に赤く染まった唇の間から、黄色く濁った前歯がギラリと光った。
犬歯はまるで猛獣のそれのように巨大に伸び、その先端は残酷なほどに尖っている。
そして尾崎少年をまっすぐ見つめる目。その目の輝きに尾崎少年は震えた。
母の双眸…それは赤く不気味に輝く魔物の目そのものだった。
「うっ、うわああーっ!」
尾崎少年は絶叫した。
同時に失禁してズボンとブリーフを汚す。膝がガクガクして全身が震える。
もはや立っていられなかった。崩れるように膝から床に倒れた。
いつの間にか大便まで漏らしていた。床には短パンの裾から漏れ出た大便が散らばった。
ついには尾崎少年は泣き出した。
そんな尾崎少年を、母は嘲るような目付きでを見下ろしていた。
そこには、あの優しかった母の姿は何処にもいなかった。
尾崎少年を、まるでくだらないものを見てるかのようにジッと凝視していた。
沈黙が支配する。その空気が重い。尾崎少年のすすり泣く声だけが、虚しく響き渡る。
突然、母は尾崎少年のシャツの胸倉を掴んだ。
「勇太!貴様なにをしでかしたっ!このボケナスが!」
母は尾崎少年の胸倉をつかみ、引き上げると、思い切り床に叩きつけた。
その顔は赤銅色に染まり、怒気が溢れていた。
目は大きく見開かれ、殺気に満ちた視線が尾崎少年を睨みつける。
「…か、かあさんゴ、ゴメンなさいっ!ボ、ボク…あの」
尾崎は泣きながら謝る。しかし恐怖と恥辱で上手く言葉にならない。
すると母の握りこぶしが、尾崎少年の頬を殴りつける。
鈍い音とともに、尾崎少年は自分の前歯が砕けるのを感じた。
頬の内側が大きく裂け、塩っ辛い血が口の中に広がっていく。
その感触を確認する間もなく、再び母の拳が尾崎少年のこめかみを打ち据えた。
(殺される!)
尾崎少年はそう直感した。
母は尾崎少年の目の前で立ち止まった。
全裸の母は中年太りしていた。弛んでだらしなく下に垂れた乳房、ドス黒く大きい乳輪、丸々と迫り出した太鼓腹。
くたびれた中年女特有のくすんだシミだらけ肌は、どこか脂っぽい。
母の吐く息が、尾崎少年の頬を掠める。タバコのヤニのにおいが混じった生臭い匂いが、尾崎少年の鼻腔を刺激する。
「そ〜う、今日は学校は夏休みなの…」
母はそう呟くと、もう一度大きく微笑んだ。尾崎少年の数センチの所で母の双眸が止まる。
尾崎の緊張を読み取ったのか、母はそこで一瞬真顔になり、直後に歯をむき出して笑った。
「ひいっ!」
尾崎は思わず悲鳴を上げた。母の、不気味に赤く染まった唇の間から、黄色く濁った前歯がギラリと光った。
犬歯はまるで猛獣のそれのように巨大に伸び、その先端は残酷なほどに尖っている。
そして尾崎少年をまっすぐ見つめる目。その目の輝きに尾崎少年は震えた。
母の双眸…それは赤く不気味に輝く魔物の目そのものだった。
「うっ、うわああーっ!」
尾崎少年は絶叫した。
同時に失禁してズボンとブリーフを汚す。膝がガクガクして全身が震える。
もはや立っていられなかった。崩れるように膝から床に倒れた。
いつの間にか大便まで漏らしていた。床には短パンの裾から漏れ出た大便が散らばった。
ついには尾崎少年は泣き出した。
そんな尾崎少年を、母は嘲るような目付きでを見下ろしていた。
そこには、あの優しかった母の姿は何処にもいなかった。
尾崎少年を、まるでくだらないものを見てるかのようにジッと凝視していた。
沈黙が支配する。その空気が重い。尾崎少年のすすり泣く声だけが、虚しく響き渡る。
突然、母は尾崎少年のシャツの胸倉を掴んだ。
「勇太!貴様なにをしでかしたっ!このボケナスが!」
母は尾崎少年の胸倉をつかみ、引き上げると、思い切り床に叩きつけた。
その顔は赤銅色に染まり、怒気が溢れていた。
目は大きく見開かれ、殺気に満ちた視線が尾崎少年を睨みつける。
「…か、かあさんゴ、ゴメンなさいっ!ボ、ボク…あの」
尾崎は泣きながら謝る。しかし恐怖と恥辱で上手く言葉にならない。
すると母の握りこぶしが、尾崎少年の頬を殴りつける。
鈍い音とともに、尾崎少年は自分の前歯が砕けるのを感じた。
頬の内側が大きく裂け、塩っ辛い血が口の中に広がっていく。
その感触を確認する間もなく、再び母の拳が尾崎少年のこめかみを打ち据えた。
(殺される!)
尾崎少年はそう直感した。
するとどうしたことか、突然母の表情が変わった。今まで赤銅色に染まった表情が、スッっと平静に戻る。
尾崎少年から目線を外すと、そのまま虚空を仰ぎ見、何かを考えている。
(…な、何考えているの?母さん!)
尾崎は何か嫌な予感がし、不安げに母の表情を見上げる。
この沈黙そのものが、尾崎少年を恐怖に陥れた。
激しい痛みが尾崎少年を襲う。鼻からは鼻血が垂れ、口の中も唾液混じりの血で満ちてゆく。
痛みは激しくなる動悸とともに繰り返し尾崎を苛め、さらに痛みが増してゆく。
だが、だがそんな痛みなどもうどうでもよかった。
目の前に立ちすくむ母の存在そのものが、尾崎少年の幼き心を打ち砕いてゆく。
しばらくの沈黙の後、突然母は何かを思いついたらしく、ゆっくりと尾崎に目線を向けた。
「…床を掃除しなきゃね、勇太。あなたが、こんなに汚しちゃったんだから」
全く抑揚の無い声で、母は言った・・・。
・・・尾崎少年は母の命令通り跪くと床に口を近づけた。
四つん這いの格好のまま大きく口を開けて舌を突き出す。
目の前には、先程自分が垂れ流した糞便が散らばっている。
尾崎少年は目をつぶった。悪臭を我慢しながら、口の中から舌を突き出す。ゆっくりと己の大便に、舌先を伸ばす。
背後から強圧的な母の視線を感じた。決して躊躇は許されない、そう尾崎少年は悟った。
意を決した尾崎少年は、舌先で大便を掬い取り、そのまま食べた。凄まじい悪臭で吐き気がした。
「オラッ!もっとちゃんと食べるんだよっ!モタモタすんじゃねえっ!」
母さんはそう叫ぶと、手にした革鞭で尾崎の丸出しの尻を思いっきりしばいた。
「あうっ!」
尾崎は悲鳴を上げた。尻の肉に鋭い痛みが走る。皮膚は裂け、その傷口から血が滲み出す。
そこを狙い再び母は鞭をたたきつけ、泣き出す尾崎の様を見ながら高笑いを繰り返す。
そんな痛みに身体を震わせながら、尾崎少年はもう一度床に口を付けた。
舌で己の糞便を掬い上げ、泣きながら嚥下した。
「…アハハハッ!この豚野郎、自分のウンコ食ってやがるぜ!アハハハハッ!」
母さんはなおも笑った。同時に右手で自分の股間に仕込んだペニバンの茎をシゴきだした。
「待ってなよ勇太!全部掃除し終わったら、貴様の汚いケツを犯してやっからよっ!アハハハハッ!」
その間も尾崎少年は延々と床に散らばる自分の糞便を食べ続けた。
泣きながら、そして少し喜びながら。
「…少尉、あんたも変態だったけど、良い人だな!」
伍長は言った。息も絶え絶えに。
敵軍の放つ重砲の音が山間をこだまする。
時折、私達の傍らで砲弾が炸裂し、飛び散った榴散弾の破片が兵士や辺りに生える灌木を引き裂く。
「伍長、死ぬな、死ぬなよっ!」
私は伍長の体を抱えながら、大声で励ました。
伍長は死ぬ。間もなく死ぬのは、もはや明らかだ。それほど伍長の負ったの傷は深かった。
だが、こんなところで伍長を死なすなんて、私は耐えがたかった。
…突然、丘の向こうから小銃弾の放たれる音がした。
それと共に、けたたましい軍馬の嘶きが山間に響き渡った。
敵軍の騎兵大隊だ。それが大きく旋回し、我らを包囲すべく戦線を突破してきたのだ。
同時に谷の向こうから、山麓の我らの砦に向けて機関砲が猛攻撃を開始された。
重量のかさむあの機関砲……ついに敵はこの決戦火器を運び上げてきたのだ。
遠方から重砲の轟音が響いてくる。前線の砦が落とされ、重砲射撃の視認ができるようになったのだろう。
私の眼下に広がる斜面のあちらこちらで、重砲の炸裂による爆発が起きている。
そのたびに、今日まで共に戦ってきた友軍兵士達が粉々に吹き飛び、斃れてゆく。
もはや敵軍の優位は決定的なものとなった。
騎兵大隊の旋回行動と、正面の機関砲。重砲による絨毯爆撃。
敵軍は我々に対し止めを刺しに来たのだ。
爆破され土煙が上がる砦からは、戦友たちの悲鳴と怒号が響いてくる。
塹壕が吹き飛び、共に戦い抜いた戦友たちの肉体が引き千切られてゆく。
今日まで必死に支えてきた戦線が、今ここで遂に崩壊してゆく。
それはまるで幻を見るようだった。あれほどまで、あれほどまで耐えてきたのだから。
受け入れがたい現実を前に、私は伍長の体を抱きかかえながら、ただ唖然としてそれを見つめることしかできなかった。
…友軍部隊が退却を始めた。
いや、もはやそれは敗走と言ってよい。
正面戦線が完全に崩壊すると共に、敵軍の主力部隊が文字通り殺到した。それはまさに怒涛のごときであった。
榴散弾が炸裂するたびに、逃げ惑う友軍兵士たちが吹き飛ぶのが見える。
もはや戦いではなく、一方的な虐殺であった。
今までこの戦線を共に維持してきた戦友たちが、敵兵の銃火の前で次々と斃れてゆく…。
「…しょ、少尉。逃げてください。お、俺になんかに構わないで。」
伍長は咳き込みながら私に言った。
「しゃ、喋るな伍長! 俺たちは絶対に生きて帰るんだっ! 俺も、お前も、そしてみんなもっ!」
私そう叫びながらは伍長の手を握り返した。
大量に失血したせいなのだろうか、伍長の手はまるで死人のそれのように冷たい。
伍長は少し微笑むと、私の手を握り返した。
伍長の握り返す手の力の弱さに、私は思わず唸った。
ふと見ると、この砦の中隊長である先任大尉が、騎馬に跨り戦線から逃げ去る姿があった。
総崩れになったこの戦線に踏みとどまり、まだ必死に戦っている兵士たちがいるにも関わらずにだ。
退却命令も出さず、撤収のための指揮もとろうとしない。
あの先任大尉は戦友たちを見捨てて逃亡したのだ。
こんなクズのために、我々はここで血を流してきたのか…この伍長も!
伍長がこのような無茶な作戦に身を挺することになったのも、そもそもあの大尉の下らない思いつきなのだ。
伍長の性格や嗜好を知り、ならばとその作戦を私に命じたのも、あのクズのような先任大尉なのだ。
許せない!
「…も、もういいですよ少尉。なかなか…悪くない人生だった。」
伍長はそういうと、静かに目を閉じた。
それが伍長の最後の言葉となった…。
―― 数時間後、自軍の砦は完全に崩壊し、敵軍が乗り込んできた。
私は伍長の死体を抱きかかえながらその場にしゃがみこんでいた。
奇跡的にも、私は生き残っていたのだ。
吹き飛んだ土砂に汚れ、戦友たちの生き血を浴びながらも、私は生き残ってしまったのだ。
私の周りには、戦友たちがいた。 共に笑い、共に戦い、共に励ましあった若者達だ。
それが今、無残に引き裂かれた骸となって、私の周りに転がっている。
私の膝の上にも、伍長が眠っていた。
生きていたときと変わらぬ笑顔を浮かべながら、安らかに眠っている。
胸に穿たれた銃創さえなければ、伍長は死人には見えなかっただろう…。
…しばらくすると敵兵たちが砦に乗り込んできた。
既に我々中隊が全滅した、と思い込んでいるのだろうか。
警戒心が薄れた敵兵たちは、足取りが軽い。
まるで散歩でもしているかのように我々の陣地を合歩している。
私はそうした彼らを呆けたような目で見つめていた。
全てが崩壊し、戦友たちや伍長の無益な死を目の当たりにし、私には現実感が失われてしまっていた。
ただ、無限無窮の諦観が、私の心の中に満ちていた…。
…敵兵の一人が私に気づいたようだ。
新任少尉である私は、おそらく占領されたこの陣地で生き残っている唯一の士官であろう。
敵兵たちが群がり、私に立つように言う。
異国の言葉であるが、彼らが何を言っているのかくらいは判る。
既に武器を手にしていない私に対し、明らかに警戒心は薄い。
彼らが士官である私に寄せる関心は、私の持っているであろうわが軍の機密情報であろう。
もっとも、任官僅か二年程度の少尉に、一体どれほどの情報価値があるかは疑問だが。
銃を向けられても、私は動かなかった。ただそこにしゃがみこんだまま虚空を見上げていた。
敵兵たちが何かを叫ぶ。だが私は動かなかった。
伍長の死体を抱いたままの私に、敵兵たちは異様な空気を察したのだろうか?
兵たちは私を囲み、銃を向けつつも、何もしないでいる。
引き金を引けば、私は戦友や伍長たちと同じくヴァルハラの地へ赴くことが出来るというのに。
もはや抜け殻となってしまったこの私に、まだ何かせねばならぬ使命でもあるというのだろうか?
そう、私には何か為さねばならない使命が・・・?
…しばらくすると、敵の将官たちがやって来た。
敵軍東部方面軍司令官及び方面軍の高級将校たちであった。
この砦の戦略的価値を彼らも知っていたのであろう、数個師団を投入して、この地域の制圧に望んでいた。
たった一連隊の戦力で、我々は三ヶ月も戦い抜いていたのだ。
敵軍の最高指揮官である中将は豊かな白髭をたたえた、長身痩躯の哲学者のような容貌をしていた。
その周囲に連なる参謀連中が並んでいた。軍司令部付き作戦参謀らしく、みな切れ者という感じだ。
数週間に渡って膠着したこの戦線に、火砲集中と騎兵による一気に撃滅する作戦を立案したのは、彼らであろう。
少なくとも敵は本気であったのだ、本気で我らに戦いを挑んできていたのだ。
何故だろう、それが私にとって少し嬉しかった。
戦友たちの死も、僅かだが報われたのではないか、と思った。
奇妙な考えであることはわかっている。
だが本気で挑んできた相手と精一杯戦って死んだのだから、それは戦士として幸せなのではないか?
私は少し微笑んだ。
そのまま声を出して笑い出した。
なぜか笑いが止まらなかった。
伍長の冷たい骸を抱えたまま、私は狂ったように笑い出した…。
…敵の高級参謀たちが、奇妙な目で私を見つめているのがわかる。
おそらく私を戦闘で気がふれてしまった経験未熟な若手士官とでも思ったのだろうか?
確かにその見方も間違いではないであろう、既に私は狂気に踏み込んでいると、どこかで自覚している。
敵将校らが浮かべた表情には、どこか私に対する憐れみすら浮かんでいる。
ところが私は、そんな彼らの姿すらおかしかった。喩えようもなくおかしかった。
私は笑い続けた。ただ笑い続けた。
すると、敵方面軍司令官の中将は、私に無防備に歩み寄ってきた。
まるで敵同士であることを忘れ、普通に会話を交わしにきたような、そんな何気ない様子で。
数多くの戦友を目の前で失い、精神の平衡を失ってしまった哀れな若者への憐憫なのだろうか?
敗軍の兵である私に対して、銃火を交えた相手に対する敬意でも表するつもりなのだろうか?
…私はこの敵軍の将官を憎んでいるわけではない。
ここが戦場なのは百も承知なのだ。互いに殺しあう敵同士であることも。
この私もまた敵の兵士たちの生命と人生を奪ってきたのだから。
このような場で、このような私に、かくのごとく接するこの敵軍の指揮官は、実に立派な軍人だと思う。
だが、まだ我々は白旗を揚げては居ないのだ!
そう、この砦だけはまだ、敵軍に降伏を表明したわけではないのだ。
私は、いや、正確には「我々」は、まだ負けていない。
先任大尉が卑怯にも逃亡してしまった今、ここの砦の最高指揮官は、唯一生き残った士官であるこの私だ。
この私が降伏を正式に表明しない限り、ここの戦闘は終わっていない。
「…あんたも変態だったけど、良い人だな!」
伍長の声が聞こえた。あの言葉。
伍長とこの私が、命がけで取り組んだ、特攻挺身作戦…。
そうだ、私と伍長の戦いは、まだ終わっちゃいないんだっ!
敵軍中将が私の目の前でしゃがんだ。
少し憂いを帯びた優しげな微笑みで、私に何かを語りかけようとする。
その瞬間、私は伍長の死体のズボンをずり下ろした。
その異様な行動に、周囲の兵士たちが虚を突かれた。
我に返った参謀の一人が何かを察し、中将の肩に手を掛け、引き戻そうとする。
敵兵たちが、何かを叫びながら慌てて小銃を私に向ける。
その全ての動きがスローモーション映像の如く、私には見えた。
絶叫しながら、小銃の銃口を私に向ける敵兵たち。
参謀たちに強引に引っ張られ、そのまま地べたに崩れる中将。
何かの命令を叫びながら、慌て取り乱す参謀たちの表情。
下半身丸出しになった伍長の死体を、うつ伏せにひっくり返す私。
その瞬間、数発の銃声が響いた。
同時に、私は笑った。
体の方々に熱い衝撃が突き刺さった。
不思議と苦痛はなかった。
「…あんたも変態だったけど、良い人だな!」
伍長の無邪気な笑顔。
それがおそらく私の見た最後の記憶だ。
同時に、私は伍長の肛門にねじ込んでおいた爆弾の起爆ピンを引き抜いた。
伍長の肛門の中に突っ込んであった、実に5キロもの強化爆薬が砦の中で炸裂した…。
「本当にこれでいいのね?」
真由美は呟くように言った。
世界の果てのこの場所で。 吹き荒ぶ寒風が真由美の髪を煽る。
私は煙草をくわえると、風をよけるようにして手を覆った。
私は煙草の煙をゆっくりと吸い込んだ。
焼け付くような刺激が喉元を通過する。一瞬、軽い目眩のような感覚に襲われた。
真由美は私の傍らに寄り添い、そっと私の手を握った。
私はその手を握り返すこともせず、ただ煙草の煙を吸いながら暮れゆく空を見つめていた。
真由美もまた無言であった。それが当たり前であるかのように。
それはかつての我々の姿でもあった。
「…日下部くん、本当にすまない。」
高原は私に近づき、そう言った。そして苦渋の表情を浮かべて顔を背けた。
既に老境に入ったその顔は、消え行く夕日を浴び、刻まれた深い皺を一層引き立たせる。
私は無言でうなづき、少し笑顔を見せた。
この地で生まれ、この地を拠り所に生きてきた我々は、今日、この地を捨てねばならない。
誰もがそうだ、誰もが全てを失うのだ。
高原もまた、この地で数十年に渡って築き上げた全てを失うのだ。
それは彼にとって人生の全てであったはずだ。
それを捨てることは、同時に人生を捨てることでもある。
だが、我々はそれでも、最後の希望にすがらなければならない。
高原は私に向き直った。元老院議員であったときのような、厳粛な表情を浮かべて。
その真摯な表情を浮かべたまま、私に無言で手を差し出した。
私は煙草を加えながら、その手を握り返した。
ごわついたその肌の感触は、事のほか冷たかった。その冷たい手が、私の手を強く握り返す。
かつては私と敵対していた高原という男の、熱き思いをそこから感じとれた気がした。
高原は海原を見遣り、そのまま振り返ることなくゆっくりした歩調で丘を下っていった。
私はその高原の背中を見た。
老人のか細い背中が、この荒れ果てた荒野の果ての中で、この上なく頼りなげに見える。
だがその歩みは、残された最後の希望へとつながっているのだ。ここにいる全ての人と同じく。
高原は少しよろめきながら、海岸に屯す人々の群れを目指して進んでいった。
煙草の煙が風にたなびき、火の粉の欠片が空に舞い上がる。
時折、弱々しい陽射しが雲の切れ間から差し込む。
それはまるで光の柱であるかのように。
ここは最後の場所。最後の希望の場所だ。
滅び行く世界で、最後の希望がもたらされる世界の尽きる場所だ。
「本当、あなた、よくやるよね…」
真由美は海原を見ながら、再び口を開く。
少し笑っているようだ。出会ったあのころのように。
私たちはこの地で出会い、この地で愛し合った。
そして真由美は今日、この地を捨てて希望へと旅立つ。
ここに最後に生き残った我々の、最後の希望へと。
我々の目の前にいるこれだけの人数だけが、この世界に残る最後の人間たちだ。
もはや我らの後ろには、誰も存在しない。
ただ空虚な、死と沈黙のみが支配する、無限の荒野でしかない。
僅かにたどり着いたこの人間たちだけが、来たるべき最後の希望を得られるのだ。
そう信じて、我らはここまでやってきたのだ。
「いや…俺は別に構わないよ」
確かに私は構わなかった。私だけは自ら望んでこの滅亡の地に残ることを決断したのだ。
そう、自ら望んだのだ。この絶望の世界にただ一人残ることを。
いやそれだけではない、彼らの希望を叶えるためにも、私がここに残らねばならないのだ。
最後の希望を見届け、ここにいる人たち全てが救われるのを見届ける。
それは安っぽい自己犠牲に殉じるのではない。そうするのが私の務めでもあるのだ。
その後、私は再び荒野に戻るのだ。 絶望と、虚無のみが広がる無限の荒野に。
今、我々が来た道を引き返して。
砂浜の焚火の炎が、一際大きく燃え上がる。
その火の粉が高く舞い上がり、風に煽られて踊る。
間もなくだろう、最後の希望が訪れるのは。
私はもう一度煙草の煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「ねえ、やっぱり何とかならないの? 考えれば何か手立てはあるんじゃないの?」
真由美は私の方に向き直った。珍しく感情的な声だった。
もっとも少し詰問調の口調は相変わらずだ。短かった私との結婚生活の時から真由美は変わらない。
私は真由美の視線を頬に感じた。だがあえて振り返らなかった。
見なくても分かるのだ、今、真由美がどのような表情をしているのかを。
私がかつて愛した女なのだから。
私は無言のまま、浜辺て焚かれる焚火の炎を見つめ続けた。
この世界で最後に燃え上がる、文明の輝きであろう。
全てが最後、全てが終わり…ただひたすら無限の掟が、この世界の全てを統べる。
たった一人、私だけを残して。
私は吸殻を砂の上に放った。小さな火の粉を散らしながら、乾いた砂の上に落ちる。
ブーツの裏でそれを踏みつけ、焔を消す。
「もう一度、何か…」
真由美はそう言いかけて、そのまま沈黙した。
真由美は今、何を思っているのだろうか? 短かった結婚生活か? 死んでしまった我々の娘のこと?
すれ違いの末、もはや修正不可能なほどに広がってしまった互いの距離?
肌をすり合わせたあの頃は、もはや過去だ。
かつて愛し合ったという事実だけが、私と真由美には存在する。
決して彼女を嫌っているわけではない。だが、我々二人の関係は、あの時全て終わっているのだ。
そう、それだけなのだ。だから真由美が私のことを気にかける必要など、もう無い。
本当は真由美もわかっているはずだ。
…夕日の明るさが失せてゆく。
風はいよいよ鋭さを増し、まるで乾いた大地に突き刺さるかのように、吹き荒ぶ。
砂浜に拠立する巨大な鉄の塔の窓から、電燈の明かりが漏れ始めた。
同時に反重力ジェネレーターエンジンの独特な振動が、辺りの空気をふるわせる。あと少しだ。
東の空に赤い月が満月となって昇り、鍵十字の星座が南天を通過するその日。すなわち今日のことだ。
その今日、最後の天使が、我らの世界を訪れる。
それが我々に残された、たった一度の、それでいて最後のチャンス。
数千年前に失われた文明の作り上げた恒星間宇宙船が、惑星軌道上のその位置に留まる最後のタイミング。
いま目の前にある地上発射ロケットが、その軌道までたどり着けるのは、この時しかないのだ。
そう、目指すはマイクロブラックホール駆動炉12基を搭載した、超空間航法が可能な『空の船』、アルゴ号。
我らの先祖がこの地に降り立ち、その後惑星の軌道上に打ち捨てられた、八千年前の恒星間移民船。
その方舟が我らの星の軌道上に留まる、最後の時なのだ。
徐々に衛星軌道上から離脱し、そして今日を逃せば、このアルゴ号は閉曲線軌道を離れ、永遠に失われる。
これを逃せば、我らは永遠にこの地に取り残される。
滅びの運命のみが待つ、絶望の世界に。
希望の世界…それは星の海が広がる果て、天極星の右方二時の方角に輝く、仄かな五等星のことだ。
あの地にたどり着くことこそが、我らの最後の希望なのだ。
かの星の名は ”太陽”という。
その第三惑星、その名は”地球”。
そこは八千年もの昔、我らの祖先たちが旅立った星だ。
八千年前の祖先たちは、この星の海にどのような思いを抱いて乗り出したのだろうか?
八千年前の祖先たちは、この我らの星に、どのような希望を抱いて降り立ったのだろうか?
そして海岸沿いの崖に横たわるようにして佇む船の名は、ミケネ号という。
八千年前、アルゴ号を軌道上に捨てた我らの先祖が、この星に降り立った際に乗り込んでいた箱舟だ。
八千年前、我らの先祖たちは、この船からこの地に降り立ち、初めてこの星の大地を踏みしめたのだ。
その船が、今、我々の希望へと旅立つ礎となっている。
この星を捨てるという、彼らの取った行動とは逆の形で。
その船のメインエンジンが八千年ぶりに息を吹き返した。
焚火を囲んでいた人たちから歓声が上がる。希望は繋がれたのだ。
この滅び行く世界の中での唯一つの光明が、今、確かな輝きとして人々の心を照らす。
抱き合い、手と手を取り合い喜ぶ群集たち。 若き者も、老いたる者も、すべて等しくこの希望の光に縋っている。
最後の光、最後の希望。
「さあ真由美、君も行けよ…。」
私は遂に真由美を見た。真由美もまた、私を真っ直ぐに見返した。
その顔には一切の表情がなかった。まるで怜悧な大理石の彫像のような、そんな顔だ。
私はそのまま真由美の顔を見つめ続けた。
真由美もまた、私の目をじっと見つめていた。
遠くから聞こえる歓声と、海原を吹きすさぶ風の音だけがする。
我ら二人の沈黙は、百万の言葉よりも雄弁だった…。
夕闇が辺りを支配し、既に暗くなっている。
海岸に灯されたミケネ号の窓明かりと、消えかけた焚火の炎だけが煌々と辺りを照らす。
これが消えた瞬間に、おそらくこの世界はすべて絶望の場所となるであろう。
その僅かな明かりを受けた真由美の表情は、なおも動かなかった。
かつて私が愛した女、私の妻であった女。私の一人娘の母だった女。
人々がミケネ号に乗り込んでゆく。みな、嬉々とした表情を浮かべて。
希望の光に満ちた船内に、吸い込まれるように消えてゆく。
「さよなら…」
真由美の最後の言葉は、少し潤いを帯びていたように思えた。
吸い込まれそうなほどに美しい瞳だった。死んでしまった娘、香奈子に受け継がれた瞳の色だった。
その瞳を私は見続けた。しばし見とれるように。
私は微笑んだ。真由美もまた私に微笑み返した。
真由美は歩き始めた。丘を下り、ミケネ号に向かってゆっくりと。
私はその後姿を眺め続けた。寒風の中を進む彼女の背中をずっと。
砂浜を下る彼女の足取りは確かだった。
意を決し、未来へとつながる道を、迷うことなく歩いている。私にはそう思えた。
真由美は私を振り返ることなく、ミケネ号にたどり着いた。
脚立を昇り、開け放たれたハッチの光に消えてゆく真由美の姿を、私はただ黙って見送った…。
…ミケネ号のハッチがゆっくりと閉じてゆくのが見える。
いよいよ出立の時だ。それは同時に、私が為す最後の仕事の合図でもある。
アルゴ号はマイクロブラックホール駆動炉を12基備えた恒星間宇宙船である。
だが超時空航法が可能なアルゴ号ですら、太陽系第三惑星”地球”にたどり着くまでに約720年もかかるのだ。
我らの希望は光を超越してもなお、これだけの天文学的時間を必要とする。
その間、乗組員たちは眠り続ける。
この地に残された96名の乗務員たちは、棺桶の中で、希望の地にたどり着くのを夢見ながら。
アルゴ号へとたどり着くために必要なミケネ号。
その打ち上げのためには、どうしても管制塔からの軌道修正制御が必要となる。
地上から、ミケネ号の軌道を修正し、プラズマ推進の制御を行う誰かが必要なのだ。
その操作が出来るのは、生き残った97名の人間たちの中で、私一人。
航空管制官でもあった私ただ一人だ。私は迷うことなく、ここに残ることを決断した。
絶望の中で、唯一つ残された希望の火を消さないために。
そして娘、香奈子の眠るこの大地で、共に最後の時を迎えるために。
寂しさの中、たった一人で死んでいってしまった香奈子。
私も真由美も傍にいてやれなかったために、死んでしまった香奈子。
もはや香奈子をひとりぼっちにしたくはなかった。
この大地に眠る香奈子の傍にいてやることが、私の最後の希望だ。
私もまた歩き出した。
管制塔…今回の脱出のために急ごしらえで作られたそれが、暗い荒野の中で静かに起立している。
無数のアンテナで飾り立てられたそれは、まるで骸骨のオブジェのようだ。
私はその塔にたどり着くと、階段を登った。
風が止み、いつの間にか星空が広がっている。
香奈子が好きだった星空は、今や生き残った96名の希望の海だ。
いや、この星空を見つめながら最後の時を迎える私にとっても、希望だ。
管制塔の各装置は、急場凌ぎで組み立てたせいか、どこか不恰好だ。
しかしこの不恰好な電子制御装置のみが、希望へ連なる細い蜘蛛の糸でもある。
私は各装置の電源を入れ、装置のチェックを始めた。
すべて順調…その旨を、無線でミケネ号に伝える。
ミケネ号からの返信は、犠牲となってここに残る私への感謝と謝罪の弁で満ちていた。
私は苦笑いしながら、その返信を受け取った。
真由美からは、何もメッセージがなかった。
それでいい、と思った。あの真由美の見せた最後の笑顔がすべてを物語っていた。
それ以降、私の中から真由美という女の存在は完全に消え去った。
発射台の船体固定器具が外れ、ミケネ号は凄まじいプラズマの炎を上げて浮き上がる。
まるで地上に太陽が現れたような輝きが、この管制塔の管制室の窓から差し込む。
私は偏光フィルターを掛け、ミケネ号の各データを示すモニタを確認する。
幾つかのデータ修正を加え、ミケネ号の船体をアルゴ号に向ける。
あとはモニターをチェックすれば、問題はない。
この失われる世界の、最後の希望の方舟へ、アルゴ号へとたどり着けるだろう。
まもなくミケネ号の輝きは漆黒の闇の中で小さな光点となり、星に紛れた。
予定では今より2時間15分後にアルゴ号に到着し、無事アルゴ号と接続するはずだ。
私は胸のポケットから煙草を一本取り出した。
急ごしらえのはずの管制室にも関わらず、何故か壁には「禁煙」とかかれた張り紙が貼られている。
その丁寧に手書きされた文字に敬意を表し、私は苦笑いを浮かべながら煙草を元に戻した。
アルゴ号との接続が成功し、太陽系へ向けてアルゴ号が旅立ったという通信が入った。
私は手荷物の中からコニャックのボトルを取り出し、紙コップに注いだ。
少し無粋だな、と思ったが、私はその紙コップを手にとり、夜空に向かって乾杯した。
願わくば、彼ら96名の仲間達が無事に地球のたどり着けますように。
願わくば、彼ら96名の仲間達を、暖かく迎えてやってほしい。
そう祈りながら、私はコップに並々と注いだコニャックをすべて空けた。
喉が焼けるような刺激が心地よかった。
すべてが終わった。
私は管制室から外に出、荒野を見渡す。見事なまでの荒れ野だ。
既に黄昏を向かえ、ただ滅びの瞬間を待つだけの荒涼とした大地だ。
だが私は、この世界を愛していた。
娘が眠る、この大地のことを。
私は再びコニャックのボトルを取り上げると、それをそのままラッパ飲みした。
この滅び行く世界に向かって、乾杯した。
ついでに管制塔の階段の手すりの上に仁王立ちし、そこから大地に向かって思い切り立小便をしてやったわ。
「ダメだダメだダメだ!これじゃあ、ダメだ!」
ハードファンタジー作家志望のAは、薄くなった髪の毛をかきむしりながら絶叫した。
「これではノーベル文学賞に送ったところで、誰も俺の高尚かつ気高い思想を理解してもらえない!」
Aの目は不気味なほどに見開かれ、血走っていた。完全に狂人の目そのものだ。
言葉にならない唸り声をひとしきり上げた後、Aは立ち上がった。
そして机上の原稿用紙をグシャグシャに鷲掴むとゴミ箱へぶん投げる。
「くそっ! また最初から書き直しだ!」
有りもしない才能を有ると勘違いし、決して見つからない才能を追い求めるA。
実は彼のような存在こそ現代社会におけるファンタジーなのではないか?
ところが数分後、Aはおもむろにパンツを下ろし、貧弱なちんぽを掴んだ。
「とりあえず溢れ出る才気を発散させないと、ボクの内部で核融合爆発を起こしちゃうからな…」
訳のわからないことを呟きながら、Aは本棚の隠し引き出しから、彼の座右の書を取り出した。
それは幼女ロリ専門写真誌だった。Aはお気に入りの小学五年生の少女・絵梨ちゃんのページを開く。
まだ未成熟なその肉体の瑞々しさに、Aは溜まらぬ欲情を覚える。
完全に児童ポルノ規制に引っかかるご禁制を後生大事に抱えるA…そう、彼は童貞にしてロリなのだ。
「むう、た、堪らないナリ!」
亀頭の被った包皮を丁寧にむきながら、Aは自分のちんちんをしごき始めた。
頭の中で彼は、写真の中の絵梨ちゃんをひん剥いて裸にしていた…もちろん脳内の想像の世界で。
まだ僅かな隆起しか見せない絵梨ちゃんの両乳房を荒々しく掴み、乳首を舌でペロペロと舐める…妄想の中で。
恥じらいと不安な表情を見せる絵梨ちゃんを見下ろしながら、Aは嗜虐的に微笑んだ。
そう、絵梨ちゃんは、俺が開発してやるんだ。
この小娘を性奴隷にして、まだ見ぬ快楽の坩堝の中で甘美なリビドーの溺れるのだっ!
Aの右手はさらに激しく上下する。
カビ臭い四畳半の中で、Aの生臭い吐息が満ちてゆく。
快楽に顔を歪めながら、Aは笑った。その口元から覗く乱杭歯は黄ばんで虫歯だらけだ。
くすんだ素肌、緩みきった肉体、不潔さ漂うその容貌…そんな一人の醜男が今、オナニーに浸っている。
それが作家志望のクズ人間、Aの現在の姿だった。
数分後、Aは華々しく果てた。
赤黒くひん曲がった貧弱なちんぽの先端から、生臭い精液が飛び散る。
精液は勢い余って幼女の写真誌にまで飛び散り、恥ずかしそうな笑顔を見せる少女の写真に降り注いだ。
「ああっ!」
Aは慌てた。
彼にとって女神であり天使である絵梨ちゃんの御真影に、
汚らわしい精液が粘着してしまったのだ。
大急ぎでティッシュを引き出すと、絵梨ちゃんの写真にへばりつく精液を拭う。
ゴシゴシとこするが、粘ってへばりつく精液は、絵梨ちゃんの写真に染みこんでしまっており、中々落ちない。
一瞬、Aの脳裏に「もしかして俺、絵梨ちゃんに生で顔射しちゃったのかも!」という戯言が浮かぶ。
そのイメージに酔いしれ、萎びかけた自分のペニスが少し反応したのがわかった。
「そんなことより、早くザーメンを拭わないと、絵梨ちゃんの写真がヨレヨレになっちゃうよ!」
と、少し唾液で濡らしたティッシュでこすってみるが、印刷が少し剥げただけであった。
仕方なくAは雑誌を持ち上げた。そのまま絵梨ちゃんの写真を、舌でぺロリと舐め上げた。
自分の口の中に、自分の精液の生臭い臭いが充満し、Aは思わずむせ返る。
「もう、この際だから絵梨ちゃんを食べてしまおう」
そう思ったAは雑誌のページを破りとると、自分の精液の降りかかったそのページを丸め、口の中に放り込んだ。
良く咀嚼する…すると自分の精液の味に混じって、憧れの小学五年生・絵梨ちゃんの甘い味がしたような気がした。
そのページを丸呑みしたころ、Aは呆けたような笑顔でケタケタと笑いだした。
Aの苦渋の日々は続く…。
ついに失業保険を打ち切られたAは、盛岡にある関東自動車工場のトヨタ車組み立てラインにつっ立っていた。
今はクレーンに吊るされ流れてくる未完成の車体に、よくわからない謎の部品を取り付ける作業をしている。
「あれ、ボクは確か、ノーベル文学賞を受賞してベストセラー作家の仲間入りをしているはずだったような?」
Aは首をかしげながら、手に取った謎の部品を車体に取り付けた。
まあ、記憶違いかな?と、醜い顔で少し笑ったAは、手にした部品をチラリと眺めた。
その部品は縦20センチ、横15センチ、高さ15センチほどの直方体をしている。
つや消しの色が塗られたその表面には「危険 取り扱い注意」という文字が書かれたラベルが貼られていた。
またそのラベルには髑髏のマークと、放射性物質を示すマークが描かれていた。
「ふーん、なんだか危なそうだなあ…」
そのラベルに書かれている内容をロクに理解できないまま、Aは嬉々として作業に没頭した。
何故って?他のラインの仕事よりも時給がよかったからだ。
通常のライン作業であれば、時給は僅か1000円ほどで、日研総業による中間搾取分を抜くと僅か時給550円。
しかし現在Aが就いたラインでの仕事は、時給で実に3400円と高額だ。
悪名高い日研総業の中間搾取分を差し引いても1800円。
これはAの人生の中でも最も高額であった。
週末、給与明細を見て大喜びをするA。
既に作家として印税生活することなど、忘れてしまったかのように。
もっともそんな夢など忘れてしまうほうがいいんだが。
各種手当ての欄に書かれた、「重度危険作業特別手当て」という文字の意味もわからぬまま、
Aはいつもより少し重めの給与袋を大事そうに懐にしまった。
しかもAにとって、もっと嬉しかったことがある。
給料が出るたびにAのところに毟りに来るヤンキー上がりの同僚が近寄らなくなったことだ。
それどころか廊下ですれ違っても、怯えたような表情をしてAに道を空ける。
ロッカールームも別室で、出入り口もまた別。
工場内の作業工程も完全に隔離され、最近では彼らに出会うことすら稀だった。
「いやあ、やっぱり幸せって誰にでも巡ってくるんだなあ…」
そう呟きながらAは、皮膚のアチコチにできた紫色の腫瘍をぽりぽりと爪で掻きながら笑った。
最近目眩が増えてきたのも、血便が良く出るようになったのも、今のAにとっては大して問題ではなかった。
目の上に出来た赤黒い腫れ物からの出血や、あごの端のリンパ節の肥大も大して気にならない。
「もしかしてボク、大金持ちになっちゃうかも!うふっ!」
不治の病に冒された病人を見るような周囲の目線も、今のAにとっては羨望の眼差しにしか感じられなかった。
結局、資本主義というのは、「馬鹿と鋏は使いよう」だということだ。
Aには未来はあるのか? そしていつかベストセラー作家になるという夢は叶うのか?
2年後桝子が結婚した。しかし少し前に姉妹の父が亡くなったので結婚式は地味だった。
温子「なんか随分地味だね。」
博子「そりゃあ父さんが死んだからでしょ」
孝子「いや、こんなに桝子の結婚式が地味なのはあの女が池袋家(桝子の嫁ぎ先)に圧力をかけているからなの」
祐子「あんまりいいたくないけどあの家お母様が亡くなったでしょう。それで愛人が後妻になってお父様はすっかり尻に敷かれているらしいの。」
「うーん、池袋家って、お父様は養子と養女の息子で池袋家の直系の血を引くお母様のほうが血筋的に正統な後継者なのにどこの馬の骨かわからぬ女を後妻にするとは・・・」
博子「えっ!あのお方(桝子夫の祖父)って養子なの?」
孝子「そう。池袋家って今じゃ信じられないけど息子がなかなか生まれなくて養子が続いていたの。それで先代(桝子夫の祖父)が聖徳家から婿養子になったんだけどその養父もまた養子だったの。
でも何年かして奥様が亡くなって先々代は姪を養女にして先代の後妻にして池袋さんが生まれたの。それで何代か前に池袋家から養子に出た人の子孫である奥様を妻に迎えて桝子と結婚する方が生まれたの。」
桝子「何であんなに詳しいの?」
孝子「うちの恵美子(孝子の長女)が宮瀬家に嫁いだでしょう。それで宮瀬のお母様のお母様は聖徳家の出で池袋の先代様の妹になるから池袋家のことは恵美子経由で大体わかるの。」
温子「なんか家系図を書いたら真っ黒になりそう・・・」
博子「何を今さら。」
五人が談笑する中斐子の顔が暗い。
孝子「斐子、何があったの?」
斐子「・・・しばらくお姉ちゃんたちの誰かのところに泊まっていい?」
祐子「私は大歓迎だけど何があったn」
といいかけたところで祐子は理由がわかってしまった。
祐子「母さんも父さんもいない家なんて我が家じゃない!斐子、なるべく早く準備してうちに来なさい。うちなら転校しないですむでしその子や和子たちもいるから安心だわ。」
温子「そう。善は急げね。結婚式が終わったら斐子の部屋に行きましょう。」
斐子が家から離れたい理由を5人は聞かなくても当然のようにわかった。が、これが単なる悪あがきにしか過ぎないことを6人は知る由がなかった。
その後祐子は部屋の外に出た。すると喫煙所に祐子の弟たちが集まっていた。
祐子「すっかりあいつらのこと忘れていた・・・」
祐子は斐子を引き取るなら弟たちも引き取らなきゃいけないのだろうかと思ってしまった。すると弟の義尊は
「なあ、集尊(祐子たちの一番上の兄)の奴、俺と聡尊を引き取ること拒否したんだ!母さんも父さんも死んだ俺たちを孤児にする気か?」
「だって今の家、11人家族(集尊は9人子供がいる)でぎゅうぎゅうなんでしょ。そこにあんたたちが転がり込んだらたまったもんじゃないわよ。ちなみに私の家は斐子が予約済みでもう枠がありません」
「斐子の奴、手が早いな」
「樹尊(祐子の弟)のところはどう?あそこには重尊(弟)もいるし二人とも寝るだけのために家に帰る生活を送っているから大丈夫」「それじゃあまともな食事が食えない」
「は?そんなの自分で作ればいいだけでしょ。こう見えて私毎日料理しているのよ」
「三十路専業主婦と男子中学生を一緒にするな!」
「私はまだ29歳よ!」
「しかし父さんが死んだ瞬間全員解雇されるなんて・・・」
「兄上(集尊)のところにいる人は無事だけど負担が・・・」
「というか兄貴たちが家に戻れないのをどうにかしないといけない」
「そう。あの家は父さんが死んだら兄上のものになるんだったからそれをあんな女に奪われるなんて・・・」
「それであの女父さんが死んで昼夜問わず息子たちにセックスの相手をさせているんだよ。」
「母子相姦・・・おぞましすぎる・・・」
「それで今は妊娠中」
「どんな子供が出きるか想像するだけで恐ろしい・・・」
古めいた巨大な洋館に延びる薄暗い廊下を忙しなく歩いているのは、持てるだけの缶コーヒーを両手に抱え込んだ、特徴に乏しい青年である。
彼、倉刀作は、この屋敷の主人の私室へと入室するなり、非難がましい声を上げた。
「師匠、何をしてるんですか?」
ピアノなどの楽器類や画材道具に埋め尽くされている、いかにもアンティークめいた家具で統一された部屋の中央。
優雅に足を組みながら椅子に掛けているのは、ゴスロリファッションに身を包んだ銀髪の少女である。
「コーヒーブレイクだ」
浮かない顔つきでそう答えたその少女こそ、この創発世界の魔王と恐れられている芸術家、ハルトシュラーである。
傍らのテーブルに置かれた、コーヒー牛乳のような液体で満たされたグラスを手に取り、魔王は嘆息する。
「どうも最近スランプでな」
「呑気に創作活動なんてしてる場合じゃありませんよ」
テーブルに近づき、彼女の注文した黄色いラベルの缶コーヒーを置いた倉刀は、原稿用紙と羽ペンが机上にあることに気付く。どうやら魔王は、今まで執筆をしていたらしい。
「この世界に人を喰う身重の鬼が侵略してきたって、巷じゃ大騒ぎになってるんですよ」
「ほう」
心ここにあらず、といった表情の魔王は、グラスの中で揺れる濁った飲料をぼんやりと見つめている。
「人づてに聞いた話なんですけども、手下に巨大な鶏と鰯と犬の怪物を従えていて、文章創作をしている者を次々嬲り殺しにしては捕食しているそうなんです」
「そうか」
「このまま放置してたら、この世界の物書きが絶滅するかもしれませんよ」
「……それは言い過ぎだろう」
それまで反応に乏しかった魔王が初めて顔の筋肉を動かし、冷ややかな微笑を浮かべた。
「やり方の違うよそ者が紛れ込んだ程度で、大げさな」
「大げさなんかじゃありませんよ。現に諸手を挙げて歓迎していった物書き連中は、全員鬼の腹の中に収まってしまったんですから」
「なら今後は近づかないことだな」
まるで他人事のように考えている主人に、倉刀は苛立つ。
「このまま放っておくつもりですか? 既に何人もの犠牲者が出てるんですよ。それに近々、子供も産み落とす」
「所詮その鬼とやらは流れ者だろう。こちらの流儀や信条を無理に押し付けても仕方あるまい」
「郷に入っては郷に従え、という言葉だってあります」
「やけに好戦的だな。お前にしては珍しい」
「正直言って……僕は許せませんよ」
それを聞いた倉刀は、苦々しい思いで胸中を吐露する。
「個人の範疇で行う創作活動に、貴賎や優劣なんて存在しません。少なくとも僕はそう信じています。なのにあの鬼は、物書きは家畜かそれ以下だと言わんばかりです」
暗闇に閉ざされた窓の向こうから、室内に稲光が飛び込んできた。やがて夜の空からは、大粒の雨が降り始める。
「ほぼ立体造形専門の癖に、随分と物書きの肩を持ちたがるじゃないか」
「僕が肩を持ちたいのは物書きでも絵描きでもなく、創作活動を行っている人間全てです」
普段なら滅多にないことだが、彼は主人の好物である缶コーヒーに手を伸ばし、許可なく飲み始めた。
「おい、それは私のだぞ」
「一本くらい下さいよ。僕のポケットマネーで買ってきたんですから」
不平そうに唇を尖らせている魔王に構わず、倉刀は甘ったるい飲料を一気に飲み干した。
主の前を横切り、窓辺に立つ。再び白い雷光が室内を貫き、一拍遅れて轟音が響いた。
この夜、この瞬間にも、どこかの誰かがあの鬼の犠牲になっているのだろう。そんな想像をする度に自分の心が沈んでいくのを、倉刀は否応なく自覚してしまう。
「せっかくの機会だ。お前も文筆活動を始めてみたらどうだ? 適性はあると思うが」
背後からの魔王の声に、倉刀はゆるゆると首を振った。
「僕には――」
彼の返答は、突然始まったピアノの音に遮られた。美しく、それでいてどこか物悲しい旋律が室内に流れ出す。
振り返った彼の目に入ったのは、いつの間にかピアノの椅子へと移動し、鍵盤の上に乗せた手を優雅に動かしている魔王の姿であった。
「いきなりどうしたんですか」
退屈そうに演奏を続ける主に、倉刀は尋ねた。
「鎮魂曲だ。鬼をどうこうするつもりはないが、死者の弔い程度はしてやる」
「聴いたことのないメロディですね」
「即興だからな」
もう一度、外に目を向ける。窓硝子にぶつかる雨粒は先程より大きさを増していた。本格的に降ってくる前に買い出しが終わって良かった、などと平和なことを思う。
「そういえば」
夜闇に視線を投げながら、ぽつりと倉刀が呟いた。
「例の鬼、子供の名前をもう決めてるそうですよ。小日本だったかな」
ピアノを弾きながら、魔王は淡々と返す。
「せいぜい親に似ないことを祈るんだな」
「ええ。そうします」
いつの間にか、耳に入ってくるのは雨の音だけになっていた。
「慰めは終わりだ。私は執筆に戻る。さっさと帰れ」
言われるがまま、部屋を退室しようとした倉刀だったが、テーブルの上にあった白紙の原稿用紙が目に留まり、一つ尋ねる。
「どんな話を書くんですか、これから」
「いや、もうほとんど完成している」
魔王の言葉の直後、白い升目に無数の文字が浮かび上がってきた。
「……これは」
直接手に取り、視線を走らせる。そこに記されていたのは、彼がここに来てから現在に至るまでの過程を事細かに記述した文章であった。
「これじゃあ創作というより、ドキュメンタリーですよ」
鍵盤の上でまだ手を滑らせて遊んでいた魔王は、嘆息する。
「お前にとってはな。だが私にとってはれっきとした創作活動だ」
雷光と轟音の中、魔王は倉刀を正面から見据えた。
「ここは私の心象風景。さっさとその原稿用紙の中に還ってもらおうか。お前は実在する倉刀などではない。単なる一夜限りの虚構だ」
雨音の中、彼は十数秒を要して状況を理解する。
「……なら僕は、貴方の創作活動の為だけに造られた虚像ですか」
「そうなるな。お前の人格も感情も、私の脳内で構築された物に過ぎない」
雨の音さえ止まってしまった。
「貴方に造られた僕は、永遠にこの紙切れの中に魂を閉じ込められるんですか」
魔王は斬って捨てるように一言告げた。
「お前に魂などない」
今度は倉刀が嘆息した。救いのない作品内に産み落とされた、救いのない自分。なんと哀れな存在だろう。
「ならせめて、救いのある物語にしてほしいですね」
「ある程度の要求なら呑んでやろう。そこの紙に書いてみろ」
羽ペンを握った彼は何枚か原稿をめくり、現在に辿り着いた。そして彼は物語の最初の一文を綴り始めた。
796 :
3...:2011/09/04(日) 23:50:45.15 ID:Zw6CQ3QM0
ははは、事態がよく飲み込めないぜw
少なくとも全部読むのは無理。
リレー小説みたいなものですかね?
解説を求めます。
――彼女がこの作品を、墓まで持って行ってくれることを願う。
「ばっちゃーん! タクシー来たよー!」
扉の外から、妹弟子の美作創の大声が飛んできた。
「よし」
いつにも増して豪奢なドレスを纏った僕の師匠、魔王ハルトシュラーは、ハイヒールを履いて立ち上がった。
「行くぞ、倉刀。そこの出産祝いを忘れるなよ」
師匠はマックスコーヒー三十本入りの段ボールを一瞥して、傍らの僕に命じた。
「出産祝いなんですから、もっと赤ん坊の役に立つような物を贈った方が……」
「何を言っている。赤ん坊に昼夜叩き起こされる新妻を気遣って、眠気のばっちり覚める飲み物をチョイスしたのだぞ。これで夜泣き対策も万全だ!」
「思いっきり自分の好みが前面に出てる気がしてならないんですけど」
「貴様……さては『この重い箱僕が運ぶのマジで嫌だな〜。何とかしてタオルにできないかな〜』とか考えてるんだろう!」
「まあ確かに運ぶのは嫌ですけど……」
表から長いクラクションの音がやってきた。多分美作だろう。いくら何でもこんなに短気なタクシー運転手はいないはずだ。
「もしかしたらこうしている間にも料金メーターが動いているかもしれん、さっさと動け!」
こうして僕は、マッ缶がぎっしり入った箱を抱えながら外に出た。前庭の向こうに巡る門の脇には、一台のタクシーが停車していた。
案の定、美作は運転席に身体を押し込んでクラクションを連打している。
「二人とも遅い!」
「すまない美作。倉刀がコーヒーなんて運びたくないと駄々をこねてな」
「おいおい……」
とりあえず狼狽している運転手さんに声を掛けて、トランクを開けてもらう。そこにマッ缶を放り込む頃には、もう師匠と美作は車に乗り込んでいた。
「きびきび動け倉刀! 急がんと鬼子たちの出産の感動が薄れるぞ!」
助手席に美作がいたので、後部座席の師匠の隣に乗り込む。
「病院までお願いします!」
美作の叫びを受けて、運転手が車を出す。
日本鬼子さん一家が近所に引っ越してきたのは、つい最近のことだ。とても人当たりの良い穏やかな人たちなので、僕や美作はとても好意的に思っている。
人見知りの激しい師匠はまだ打ち解けられずにいるようだが、それも時間が経てば解決するだろう。
そして先程、臨月を迎えていた鬼子さんが女の子を出産したという電話が入ってきた。電話をくれた弟さんの話によると、母子ともに経過は良好らしい。
「運転手さん、もっとスピード出せないの!?」
そわそわしていた美作が運転手に絡んでいるのを尻目に、僕は師匠に念を押す。
「師匠、ちゃんとお祝いの言葉とか言ってあげないと駄目ですよ。いくら鬼子さんたちがいい人でも、あんまりつんけんしてると最後には嫌われますからね」
「心配せずとも、親愛の念はトランクのマックス缶にきちんと詰まってる」
呆れて物も言えなかったが、めでたい日なので小言は控えた。
街には柔らかい日差しが降り注いでおり、木々は紅葉し始めている。穏やかな秋の日だ。世界は幸福に満ちている。そんな錯覚すらしてしまいそうだった。
「緊張するな」
僕の独り言を、師匠は聞き逃さなかった。
「何がだ?」
「鬼子さん凄い美人だから、たまに何と言うか、ドキッとします」
師匠はそこで深々と溜息をつく。
「情けない……人妻に欲情するような汚らわしい男を弟子にした覚えはないぞ。あのイケメン旦那に少しお灸を据えられた方がいいのかもしれんな」
「別に欲情はしてませんけど……師匠も少しは、鬼子さんを見習った方がいいかもしれませんよ」
「魔王が平凡な人妻に教えてもらうことなど何もない」
師匠がそっぽを向いてしまったので、僕も窓の外を眺めることにする。
良き隣人。良き師匠。良き妹弟子。
彼ら彼女らと送る、幸福な毎日。
――永遠に続けばいい。
フロントガラスの向こうに、鬼子さんたちのいる病院が見えてきたのは、それからすぐのことだった。
|∧∧
|・ω・) ダレモイナイ...
|⊂ バルタン スルナラ イマノウチ...
|
(V)∧_∧(V)
ヽ(・ω・)ノ フォッフォッフォッ
/ /
ノ ̄ゝ
(V)∧_∧(V)
ヽ( )ノ フォッフォッフォッフォッフォッ
/ /
.......... ノ ̄ゝ
799 :
ましゃ:2011/09/06(火) 18:16:07.27 ID:0pj7hIgW0
809 :ほのぼのえっちさん:2011/07/20(水) 01:05:10.91 ID:8hJexSGj0
台風に乗って出張行ったなら仕方ない
そのままじっと待つべし(-。-)y-゜゜゜
810 :ほのぼのえっちさん:2011/07/20(水) 01:12:08.54 ID:8hJexSGj0
>>808 ,,,.
,;'"'゙';,/
ヽ、ノ
┴
811 :ほのぼのえっちさん:2011/07/20(水) 01:13:13.55 ID:8hJexSGj0
∧∧
( ,,゚∀゚),,,. 暑いね
/つ-o,;'"'゙';,/
〜O つヽ、ノ
┴
812 :ほのぼのえっちさん:2011/07/20(水) 01:52:38.78 ID:LdunGbbJO
>>809-811 依存症クリオネ死ねよ
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
ギラギラッ 容赦ない太陽が
強火で照りつけるon the beach
自惚れ温度は急上昇
落ち着かないのは真夏の性(さが)だね
2人 目が合えば
なぜか逸らすのに
僕を またすぐ見る
君って もしかしてもしかして
フライングゲット
僕は一足先に
君の気持ち
今すぐ手に入れようか
フライングゲット
何か言われる前に
心の内 ビビッと
感じるままに
誰といても(誰といても)
微笑み方で(微笑み方で)
君が僕に恋を恋をしてるのは鉄板
フライングゲット
だから 誰より早く
君のハートのすべて 僕のもの
好きだからラブ・フラゲ!
クラクラッ 動揺した純情で
砂浜 チラ見してたビキニ
告白ウェルカムさ おいで!
素直にならなきゃ楽しくないぜ!
その目 誘ってる
僕に来てくれと
それが妄想としても
声を掛けてみなきゃ始まらない
フライングゲット
君に空振りしても
当たってくだけろ
あるある 男じゃないか?
フライングゲット
いつも やるだけやるさ
黙ってみてても 恋は売り切れるよ
勇み足でも(勇み足でも)
一番乗りで(一番乗りで)
僕が君にゾッコンゾッコンなのは無双
フライングゲット
予約 待ってるような
まわりの男たちを出し抜いて
得意げにラブ・フラゲ!
フライングゲット
僕は一足先に
君の気持ち
今すぐ手に入れようか
フライングゲット
何か言われる前に
心の内 ビビッと
感じるままに
誰といても(誰といても)
微笑み方で(微笑み方で)
君が僕に恋を恋をしてるのは鉄板
フライングゲット
だから 誰より早く
君のハートのすべて 僕のもの
好きだからラブ・フラゲ!
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
Na Na Na Na Na Na Na Na Na
ここ数年、ゲーム音楽を"演奏してみた"系の動画がYouTubeやニコニコ動画に多数アップされ、人気を集めている。
その大半は鍵盤などありふれた楽器で演奏されたものだが、ここ数日、"ファミコン本体"を楽器として使った演奏動画が話題になっている。
演奏者の「NES BAND」は、昔遊んだあのファミコンをMIDIケーブルでキーボードにつなぎ、『ドラゴンクエストV』や『スーパーマリオブラザーズ』などを4人で合奏しているのだ。
9月7日の時点で、「NES BAND」の動画<
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15398102>はニコニコ動画の"演奏してみた"カテゴリでデイリーランキングトップ3を独占。
実は、「NES BAND」リーダーの松澤健さんは、2007〜08年頃にJRの発車メロディをピアノで弾いた動画で、「発車メロディの人」「スタインウェイの人」として一躍人気を集め、発車メロディ楽譜集『鉄のバイエル』(ダイヤモンド社)を出版もしている。
"演奏してみた動画"の中で最古と言われている松澤さんの発車メロディ動画は、その細部に至るまでの再現度が魅力。その原曲重視の姿勢は、「NES BAND」の演奏でも最も重視していることのひとつなのだそう。
例えば、上記の『ドラクエV』演奏では、ファミコンを立ち上げて、「セーブデータが失われたときの曲」に始まり、「城」 〜「 フィールドに出るときのザッザッザというSE」 〜 「フィールド」〜「村に入るSE」〜「村」〜......といった具合に、
細かい部分までゲームの音楽&SEをそのまま演奏している。村の音楽が演奏されている時には、同時に村の人との会話の"ピピピ ピピピピ ピピ"というSEや、「はい」「いいえ」のコマンド入力音、
その後宿屋に泊まった音まで弾いているため、実際にファミコンで自分がプレーしているかの錯覚に陥る。
(略)
http://www.cyzo.com/2011/09/post_8461.html
カオス
809 :
3...:2011/09/19(月) 01:18:05.32 ID:xBGhmbtK0
ほんとにねw
FAS飽きてきたので、放置。
太陽光線。ギラギラ光るアスファルト。
音。蝉の大合唱。
遥か彼方。にょきにょき伸びるでっかい入道雲。
夏でした。ただ生きるのも辛い程の気温の高さ。アイスクリームは買った側から液状化。冷たいジュースは駆け足で生温く。
夏真っ盛り。そして、青春ど真ん中の少年少女がわくわくする季節。
屋上。人っ気無し。否。二人組だけ。
一人は額に絆創膏。顔は青アザ。敗れ去った後。
もう一人は珍しいリボンの結び方した女の子。
「……元気だせよ」
「……」
「なんか言え」
「……。ひ〜ほえほえ」
「言うに事欠いて何言ってんだ」
懐とととろは相変わらずのデバガメ行為の真っ最中だった。
約一名が珍しく大人しいのでいつも通りとは行かないが、オペラグラスは変わらず幼い愛をロックオン。他人の秘め事を覗くミサイルの如きととろの熱視線は今日も発射されている。
そしてととろの横でごろごろしている懐。痛々しい絆創膏が額にべったり張り付いて居る。いつもならこちらもミサイル発射台と化してデバガメ行為を嗜むが、今日は何やら違ったようで。
「あんたが大人しいと気味が悪いよ」
「俺だって落ち込む事くらいあるだよ」
「そんなタマかいな」
「ほら、俺ってデリケートじゃん」
「どの口が言ってんだ」
何があったかはととろの知る由も無し。しかしその額の絆創膏を見れば大方の予想は付くって物である。
懐は誰かと喧嘩して負けたのだ。このバカが落ち込むといったらそれくらいしか無いはずである。うん。そうだ。バカだから。
「ったく、よく先生達に何も言われないで済んでるよ」
「忍術で逃げてるから」
「冗談言う余裕はあんだね」
「いやいや、マジで。これで演劇部の襲撃とか回避してるし」
「そんな忍者の末裔じゃあるまいし……」
「あれ? 言ってなかったっけ? その通りなんだけど?」
「……なんだと?」
懐のルーツはともかく、このバカが借りてきた猫のように大人しいのはととろにとっては不気味であるのだ。
これは大地震の前触れか。巨大隕石の接近か。はたまた第三次世界大戦でも始まるのか。
そんな大袈裟で的外れな予想がととろの頭の中を埋め尽くす。
大戦を引き起こす訳にも行かないのでなんとかいつもの懐に戻って頂きたいと切に願った。
が、この男は意外と頑固者。
「……はぁ」
「元気だせよ」
「僕は……今日も……元気です」
「さっき落ち込んでるとか言ってたでしょ」
「ほら、ととろちゃん。蟻さんが健気にポテチのかけらを運んでいるよ」
「何見てんの?」
だめだこりゃ。そう結論付けたととろ。
これでは気分が乗らないので今日はもうさっさと帰ろう。そう言って屋上を後にする。
相変わらず懐は大人しい。ま、一日二日すりゃ元に戻るだろう。そう楽観視していたのも相俟って、意外と厳しいととろさん。
「ほらさっさと歩く!」
「はいはい」
「男の子だろ。ビシっとしろよ」
「ぅん」
「ほんと不気味だなぁ。何か起きなきゃいいけど……」
この時、実は本当に第三次世界大戦級の、少なくとも懐にとってはそれほどの大事件が迫っていた。当然ながら、彼らはまだ知らないのだが。
そしてその目撃者の一人になるであろうととろは、一体その時何を思うのか。きっと、驚くだろう。もしかしたら懐についての印象ががらりと変わるかも知れない。
それほどの大事件が迫っていたのだ。
ぽっかり開いた罠の入口に、二人はこれから向かっていくのだが……?
※ ※ ※
『いらっしゃいませ』
「こんにちは」
昇降口付近の自販機でいつもの缶コーヒーを買う。喋る自販機に律儀に挨拶し、冷えた缶のプルを引く。
下駄箱周辺は綺麗に掃除されていた。夏休みが近いので、大掃除でピッカピカにされていたのだ。ここだけではなく、学校全体がこざっぱりと変化し、しばしの眠りにつく準備をしている。
目覚めた時、季節は変わって居るはずである。
「なぜ多次元空間に逃れた重力と電磁波は三次元空間に現れず、強い力と弱い力のみ三次元の粒子間に働くのか?
もし多次元に逃げているとしたらその力の総量は絶大になり、重力と電磁波とのエネルギーの総量との不和で統一エネルギーの可能性が薄れ……」
「……どうしちゃったのよホントに」
突然の独り言は懐のキャラクターからはほど遠い内容である。それに重力と電磁波の総量はたぶんもの凄い量なので、統一理論に影響はないはずである。多分。
とにかく、ととろがガチで心配そうな表情をしていたのはお分かり頂けるだろう。
「大丈夫なの……。色んな意味で」
「色んな意味でやばい」
「あたし先帰るよ?」
「さようなら……。さようならととろ……」
「んな今生の別れじゃあるまいし……」
いつもここでお別れしている。一緒に帰る事は滅多に無い。というよりいつも懐は消え失せてしまう。
なので今日もいつも通りに外へ飛び出し、さっさと帰ってオペラグラスのチューンでもしようかと考えていた矢先。
「きゃっ!」
誰かとぶつかり転んでしまった。まるで壁にでも衝突したかのような衝撃は小さなととろを難無く吹き飛ばす。
「いたた」と言いながら、ぶつかった相手を見上げる。
そこに居たのは、有名人犇めく仁科でも、トップクラスの有名人達――!
「やっぱりこの娘と居たか。一人だとどこ行っても見つからないし」
「こっち尾行して正解だったな」
「あ……あんた等は……!」
その頃の懐は、外から迫る危機に気付く訳も無く、いまだ下駄箱相手にグチグチ喋っていた。そして、ついに最初の罠が襲いかかる。
「あの〜?」
「ふぇ?」
背後から声。振り返ると、見事な長身に見事なプロポーションの女性。日本人っぽくは無い。
「あー。あんた知ってるー」
「えー。知ってるの?」
「うんうん。ロニコちゃんっしょ。目立つもん。で、何?」
その女性の目線は懐と同じレベルにある。女性としてはかなりの長身。さらには超高校級のマッシブエロボディは目立つなというほうが無理な話だ。
女の子に話し掛けられてテンション上がるのは男の性である。多少なりとも元気になって速攻でバカ話に持ち込んで行く。
じゃあ、さっきまで一緒のととろじゃテンション上がらんのかというと、それは単なる馴れという物である。美人は三日で何とやらと言うだろう。
ととろへのフォローが入りつつ、ついついお喋りに夢中になっている懐は周りへの集中を欠いている。そして、それこそが罠である。いかにこのバカを引き止めるかが彼らの狙いだったのだ。
「あの〜ところで?」
「え? 何何何なに?」
「後ろ見て?」
「うしろ?」
振り向く。視界に入ったのはぬりかべ、では無く肉の壁。
真っ黒なタンクトップの恐らく鳩尾から上あたりが見える。少し上を見たらば、高校生とは思えぬ超巨体。仁科運動部系の超人達の一人。重量挙げ部、重利挙!
「こいつは――」
「ようやく捕まえたぞ。まったく神出鬼没にも程があるって物だ」
「捕まえる?」
「ちょっと頼まれてな。何かは知らんが、大人しくお縄に付け。黒鉄懐」
「んだとぉ〜!?」
そこでがばっと振り返る。ロニコが「ゴメンね〜」と言って手を振っていた。「騙された!」そう思っても時既に遅し。
こうなればたいがいの人間は腹が立つだろう。
もちろん懐も同様であり、あまつさえ先日激しくバトルしたばかりである。燻っていた物が再び燃え上がる。
ちょうどいい鬱憤晴らしだ! そう思い、さらに振り返りつつアゲルの鳩尾に自慢の腕力を活かしたスウィングブローをぶち込む! が、今回は相手が悪すぎた模様です。
「……。え〜っと、アゲル君? お腹にタイヤでも入れてるのかナ……?」
「えい」
ビンタ一発。
「ぶぼぁあ!」
ティッシュのように吹き飛ぶ懐。パワーが違いすぎる。「あ、殺すなって言われてた」そう言ったように聞こえた。つまりその気なら殺せたって事かい。吹き飛びながら懐は考える。
そして吹き飛んだ懐を受け止めたのは、これまた肉の塊。彼の顔は懐もよく知っていた。同じクラスの人物だったのだ。
「てめぇ……。ノビル!」
「すまんな懐。俺達のサプリ代の為、犠牲になって貰うぞ」
「何!? まさかお前等……! 黒幕は誰だ!」
「迫先輩だよ。どうしても会いたいそうだ」
「やっぱりか! この野郎、モノで釣られるとは情けな……うわぁああ!」
バスケットボールの如く懐をアゲルへとチェストパス。キャッチしたアゲルは背後から羽交い締めにし、動きを殺す。
「こ……この野郎! 二人がかりとはスポーツマンシップのかけらも無い!」
「大変なんだよ俺達も。プロテインだけならまだしも、BCAAにEAA、グルタミンにクレアチンにコンドロイチンに……」
「……なんだその物質は……?」
「まぁそういう訳だ。覚悟しろ懐」
「ノビル……。それは、ホームセンター等でお馴染みのトレ用品、セ○バンド(青)!」
「そうだ。このセラ○ンド(青)で縛りあげてやろう」
「やめろ! 強度高めの○ラバンド(青)で俺を拘束するな! うわゴム臭ぇ!」
「はっはっは。往生際の悪い奴め」
「や……やめてぇ!!!」
※ ※ ※
「あ〜あ。捕まっちゃった」
「こんな事しなくても普通に呼べばいいと思うんですけどね」
「まぁバカが三人集まるとこうなると」
懐が蹂躙されている様子を見つめていた乙女二人。ととろとロニコ。
アゲルと衝突し、懐捕獲作戦を少し聞いたととろはひょこひょことアゲルについて行き、その様子を一部始終みていた。
が、その様子はもはや滑稽。助ける気にもなれない。仮になったとしても肉塊二つが相手ならば最初からどうにもならないのだが。
「あのバカがこうも簡単にやられるとは」
「正直ここまで簡単に引っ掛かるとも思いませんでしたけど……」
「で、どうするのアレ」
「演劇部の部室に拉致するとか」
「あちゃー。よりによって天敵の所か。まぁ、面白そうだからついて行くけど」
「意外と薄情ですね」
「そうかな?」
二人が話している間に、懐はセラバン○(青)によって青いミイラのようになっていた――。
※ ※ ※
「おやぁ〜? 懐君、キミは珍しい体型だねぇ」
「肩から腕が発達しやすいようだねぇ。アームレスリングとかやらないかね?」
「ボディビルでも有利だぞう。デカイ腕は審査員の目を引くぞう」
「パワーには向かないねぇ。体幹が少し細いねぇ」
「腕は割と長いからデッドは有利かもねぇ」
「もがもが……(何を言っているんだコイツ等は……?)」
青ミイラと化した懐はアゲルとノビルの二人に担がれ運搬されていた。
さすが肉体を追求する連中だけあり、懐の身体的特徴を見抜いたが、知識が偏っている為に懐には何を言っているかよく解らない。
その後ろではととろとロニコがとことこ付いていた。
ととろはついでに仲良しの葱に会いに行こうと思っていたのだ。
そして、部室の前に到着。成す術なく拉致された懐の心境は察するに余りあるが、現実は冷たく。「演劇部」とかかれた標札が堂々そこにある。
「もがもがもが……!」
「もう諦めろって。迫先輩〜。ご注文の品でぇ〜す!」
ドアが開く。出迎えたのは当然、迫である。
「よくやった。そして、ようやく捕まえたぞ……懐」
「ぐもももも……!」
「ああもう。そんな嫌がるなよ……」
「あの、俺とノビルはどうすれば?」
「ああ、あとはこっちに任せてくれ。例のモノは後日改めて届けよう……」
「了解。まいどあり。撤収!」
走り去る重量挙げ部の面々。取り残された青ミイラ。それと珍しいリボンの女の子。
見下ろすは眼鏡をかけた男子生徒一人。
「ぐるるるる〜……」
「唸るなよ。別に捕って食うわけじゃ無いんだし……」
そう言いながら、ずるずると奥へと懐を引きずる。中に居るのは当然演劇部の皆さん。あと客が一人。ととろはそれに見覚えがある。
「あ、亮太さんだ」
「おや、久しぶりだね」
身長二メートルの大男再び。
寝そべる懐が見たのは、宿敵、迫先輩に葱とあかねの演劇部。そして、薄情にも付いて来たととろと、最近復学したばかりという空知亮太という男。
一体何事か? そう思ったがぐるぐる巻きにされて身動き出来ない懐には何も出来ない。
「わーい葱ちゃ〜ん」
「わーい近森先輩」
実は葱もカップルウォッチングのメンバーである事実を知る者は少ない。が、それ故か二人は仲がいい。
あかねも加え、さっそくお喋り開始。
「このおバカを捕まえてどうするの?」
「さぁ? 私もよくわかりません。それより酷いんですよッ! 懐先輩は私を見る度にネギネギネギネギって……!」
「いつも捨て台詞はそれなんです」
「なにそれ酷い! 謝んなさいよこのバカ!」
「もがもが……(今どうしろと……)」
迫はそのやり取りを尻目に懐へと歩み寄り、硬く縛られたセラバン○(青)を解く。バチンと音を出して弾けるようにそれは解かれ、懐はようやく自由になる。鬱血していた。みんなはセラバ○ドを正しく使おう。
解き放たれし懐はそれでも警戒を緩めず。隙あらば逃走しようとすら考えていた。
迫は眼鏡をクイっと上げてため息一つ。そしてようやく、この拉致作戦の目的を語る。
「……。ようやく捕まえた。ホント手間かかった……」
「何が目的なんだお前は……」
「いや、まぁ普通に会って話せれば一番よかったんだが……。驚くほど避けられてるし、こうするしか無かったんだ。許せ」
「許せるか! また三人で洗脳しようと企ててんだろ!?」
「まさか。もう諦めてるさ」
「じゃ、何の用だよ?」
「お前の力を見せてくれ」
「は?」
迫は奥へと目をやる。そこに居るのは噂の大男、空知亮太。懐は一目で解る。この男もメタラーである。
臭いがするのだ。同類の臭いだ。
「あいつがどうしてもお前の実力を見たいそうだ。……ついでに、葱とあかねにも見せてやって欲しい」
「何をだよ」
「簡単だよ。いつもやってる発声練習見せてくれ。ロングトーン一発でいい。葱とあかねに、本物の発声練習って奴を見せてやってくれないか?」
「そんな事の為に拉致したの?」
「こうでもしないと会えないだろ。それにあの二人もお前が何出来るか疑問視してるし。この際だからレベルの違いを見せてやれ」
「お前等は演劇でしょ? 種類が違うし」
「グダグダ言うなよ。ほら、さっさと頼む」
「えぇ〜」
「なんで嫌がるんだよ。そこまで嫌われたか俺達……」
「いや、そうじゃなくて……」
「なんだよ?」
「……。練習見られるの恥ずかしい……。ポッ」
「さっさと立て」
半ば無理矢理立たされる。お喋りしていたととろと葱とあかね状況の変化を察知し、静観していた亮太もじっとその時を待っている。
「……。そんな見るなよ」
「変な所で恥ずかしがるなお前は。いつもやってるだろ」
「集中出来ないから……。ちょっと待って……」
懐は部屋の隅へと移動し、一人で何やらあーあー言って居た。軽く高低を付け、裏声を出し、喉の準備運動を行いながらコンセントレーションをする。
じっくりと、少しずつ。普段のバカさを消して行く。
「……。ま……まだなんだからね! もう少し待って」
あーあーという声に少しずつビブラートが入る。緩い揺れから細かな揺れまで、意図してコントロールして行く。変わって行く。歌う為に。
壁に頭を付ける。大きく深呼吸し、腹筋の動きを確認する。限界まで息を吐き出す為だ。
首をコキコキ鳴らす。集中してきた証。
振り向くと、普段の脳天気な表情は消えうせている。目つきは鋭い。懐が普段、滅多に見せる事のない、本当に本気の表情。
「……音は要るか?」
「要らない。ロングトーン一発なら音域全部出す」
「後は?」
「特にないけど」
ふう、と一息付き、懐は天上を見上げる。
思い切り息を吸い込み、もう一度深呼吸。今度は体を丸め、体内の空気を全て吐き出そうという程に深い。
顔を上げ、もう一度首をコキコキ鳴らす。
「じゃ、やるか」
また息を吸い込む。肩をリラックスさせ、そして。
低音から静かにそれは始まった。まだそれはほんの触り程度。少しだけそれが有り、遂に本領が発揮され始める。
解き放たれる、メタルシンガー、懐の能力。
黒が世界を覆い、地上の光が黒を浸食する。時は24時を過ぎている。
多くの人が寝静まる時間帯。
ビルが立ち並ぶ繁華街。その一つのビルの屋上に一人の男が立っている。
年齢は30位だろうか。特に特徴のない男はただ、黙って屋上から下を眺めている。
いや、男の唇は動きだした。
「……あれか? 今回の標的は」
「うん、そうだね。結構数がいるから大変だけど大丈夫?」
「大丈夫だ。問題ない。……と言いたいが、実際大変だろうな」
一人のはずの男の呟きに答える声があった。
男のそばにはイタチが立っていた。いや、それをイタチとは言えないだろう。
なぜならその背には白い羽が生えていたのだから。
その生き物は日本語を話し、男と意思疎通を測っている。
常識という物があるのなら、それは確実に非常識に当てはまる光景。
だが、そんな光景を男は受け入れていた。
――なぜなら。
「じゃ、それじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
瞬間、男はビルから飛び降りた。
時間にして10程度で地面に激突する。
その程度の時間の中、空中で男は光に包まれる。
その一瞬で男の姿は大きく変わった。
年の頃は16才。腰まで届く黒髪をポニーテールにし、
白とピンクを基調とした、レオタードのような素材ででき、
スカートのようなヒラヒラのついた衣装をまとった姿があった。
上服はまるで高校生が着るような制服タイプ。
しかし要所が発達した体のラインをはっきり際立たせている。
そんな少女の姿がそこにあった。
そう、彼は魔法少女だったのです――。
魔法少女となった男は、狩りの対象の魔物たちに落ちながら目を向ける。
魔物たちはすでに少女に気付いているようだった。
少女は、両手にH&K MP7を出現させながら、狙いをつける。
同時、サブマシンガンがピンク色の光を纏う。
それは銃の形をしてはるが、立派な魔法だった。
ゆえに、そのサブマシンガンの弾丸は魔法であり、
「マジカルチャージショット!!!」
少女の声に反応するかのように発射された、無数の弾丸は、曲線を描き、
そこにいた全ての魔物に降り注いだ。
まさにピンク色の光の雨が降り注ぎ、少女が地面に着地するころには
全ての魔物たちが消滅していることになる。
しばらく周囲を警戒していた魔法少女はやがて銃を降ろし、息を吐きだした。
「ふう。終わったぞ。リンベル」
「お疲れ、零君。案外簡単に終わったね」
「まあ、不意をついたからな。こんなもんだろ」
リンベルと呼ばれたイタチ型の使い魔はゆっくり零と呼ばれた魔法少女の肩に捕まると、
顔を零へと向けた。
「それじゃ、今回のお仕事はお終いだね」
「おー。そうかそうか。早く寝たいぜ。明日の仕事に響くからな」
そうして二人は歩き去る。
そこには今までなにも起きていないかのような静寂しか存在しなかった。
ただし、二人は気付かない。
「……あの人は……?」
一人の少女の視線がそこにあったことに――
「くああ。魔法少女の後に普通の仕事は堪えるなぁ」
時は次の日の夕方、仕事帰りにビールを買いながら家のアパートに帰る男は
独り言をつぶやいている。
スーツの上着を脱ぎ、肩に掛けながら歩き、家まではもうすぐ。
その後一歩の所で、妙な光景を見つけてしまった。
「……あ? なんで俺のアパートの前に女子高生がいるんだ?」
そこにはアパートの入口の前に立っている女子高生が一人いた。
女子高生だと分かったのは彼女が近所の高校の制服を来ていたからだった。
髪を薄く茶色に染め、肩口まで切りそろえた髪型。
目は比較的ぱっちりとした、まあ可愛いと表現すれば間違いない。
体つきは全体的に細く、胸元も割と残念な感じの幼さが強調されている。
その少女は俺を見つけると、ぱっと花が咲いたように笑い、こちらに向かってくる。
(……なんだ? 俺なにかしたか? まさか痴漢とか言われて冤罪で捕まってしまうとか?)
一瞬そんな考えが浮かび、踵を返そうと足を止める。
だが、すでに時遅く、その少女は目の前までやって来ていた。
そして、男は少女の発言で今度こそ体を硬直させられる。
「始めまして。今は男の格好をしているお姉様!」
その様子をアパートの中で聞いていた使い魔ことリンベルは、
尻尾を使い器用に夜ご飯を作りつつため息交じりに言葉を零すことになった。
「うわぁ。また厄介なことになりそうだなぁ」
と――。
ついに失業保険を打ち切られたAは、盛岡にある関東自動車工場のトヨタ車組み立てラインにつっ立っていた。
今はクレーンに吊るされ流れてくる未完成の車体に、よくわからない謎の部品を取り付ける作業をしている。
「あれ、ボクは確か、ノーベル文学賞を受賞してベストセラー作家の仲間入りをしているはずだったような?」
Aは首をかしげながら、手に取った謎の部品を車体に取り付けた。
まあ、記憶違いかな?と、醜い顔で少し笑ったAは、手にした部品をチラリと眺めた。
その部品は縦20センチ、横15センチ、高さ15センチほどの直方体をしている。
つや消しの色が塗られたその表面には「危険 取り扱い注意」という文字が書かれたラベルが貼られていた。
またそのラベルには髑髏のマークと、放射性物質を示すマークが描かれていた。
「ふーん、なんだか危なそうだなあ…」
そのラベルに書かれている内容をロクに理解できないまま、Aは嬉々として作業に没頭した。
何故って?他のラインの仕事よりも時給がよかったからだ。
通常のライン作業であれば、時給は僅か1000円ほどで、日研総業による中間搾取分を抜くと僅か時給550円。
しかし現在Aが就いたラインでの仕事は、時給で実に3400円と高額だ。
悪名高い日研総業の中間搾取分を差し引いても1800円。
これはAの人生の中でも最も高額であった。
週末、給与明細を見て大喜びをするA。
既に作家として印税生活することなど、忘れてしまったかのように。
もっともそんな夢など忘れてしまうほうがいいんだが。
各種手当ての欄に書かれた、「重度危険作業特別手当て」という文字の意味もわからぬまま、
Aはいつもより少し重めの給与袋を大事そうに懐にしまった。
しかもAにとって、もっと嬉しかったことがある。
給料が出るたびにAのところに毟りに来るヤンキー上がりの同僚が近寄らなくなったことだ。
それどころか廊下ですれ違っても、怯えたような表情をしてAに道を空ける。
ロッカールームも別室で、出入り口もまた別。
工場内の作業工程も完全に隔離され、最近では彼らに出会うことすら稀だった。
「いやあ、やっぱり幸せって誰にでも巡ってくるんだなあ…」
そう呟きながらAは、皮膚のアチコチにできた紫色の腫瘍をぽりぽりと爪で掻きながら笑った。
最近目眩が増えてきたのも、血便が良く出るようになったのも、今のAにとっては大して問題ではなかった。
目の上に出来た赤黒い腫れ物からの出血や、あごの端のリンパ節の肥大も大して気にならない。
「もしかしてボク、大金持ちになっちゃうかも!うふっ!」
不治の病に冒された病人を見るような周囲の目線も、今のAにとっては羨望の眼差しにしか感じられなかった。
結局、資本主義というのは、「馬鹿と鋏は使いよう」だということだ。
Aには未来はあるのか? そしていつかベストセラー作家になるという夢は叶うのか?