207 :
264:
一晩来なかっただけで大変な量、追いつくのが…
ぶつ切り羅列で分かりにくいだろうけれど、急ぎレスするので容赦の程を
>多くの国際コンクールが時間を決めてのリサイタル予選になりつつあるなかで
子供のコンクールも時間だけ決めて全部自由曲にすればいいのに
そういうコンクールはないのか?
>子供のコンクールが間違った方向に行っているのは、あたかもそれで
上手くいけばプロの道がひらけるような錯覚を与えてしまうことで…
そこまで楽観しているのはほとんどいないのでは?クラシック市場を見ると絶望的じゃないか
きちんとやっている人ほど、把握していると思うが…現実を直視するのを避けているケースは
多そうだが
「木枯らしを弾く小学生」だが、
>>290は非常に否定的に捉えているな(フムフム)
そこで次の点について問いたい
1)技術は十代半ば頃までが勝負(シューマンの言っていることとは逆だが)、音楽性は生涯伸びると
聞くが、なら子供のうちに技術を伸ばしてやるのはあながち間違いではないのでは?
曲が簡単だからといって表現が十分できるわけではないだろう
(例えばトロイメライを本当に美しく弾けるためはかなり人生経験が必要)
2)「全てのピアニストは神童だった」と言われるが、ピアノの場合、ごくごくわずかの例外を除いて
子供のときから「特別」じゃなければ大成しない、それなら、そういうサーカス的な子供の中に
本物がいる可能性は大
3)技術のみ育てて「音楽」を教えなければ問題だが、「音楽」が育つには時間がかかるし、実年齢も
必要、だから現時点で技術先行になってもそれはしかたないのでは
4)表現すべきものを持たない、単なる技術屋は問題外だが、表現すべきものを持ちながらも、
その手段としての技術がなければどうにもならない
(よく前者がアジア人で後者が欧米人だと言われているね)
後者についてはどう思う?
208 :
264:2011/01/22(土) 05:05:37 ID:sgTm826J
木枯らしやヴォロドス編トルコを弾く子供が、「芸術性」を身につけられるかどうかは
待ってみなければわからないじゃないか、できたら最強だろう!
今の時点で「理解していないからダメ」というのは時期尚早、おそらく指導者も分かっていて
やっているのでは?
第一、よく理解できるもののみを弾けと言われたら、子供にはどの曲が残るんだろうか、
簡単なショパンのワルツだって弾けはしまい
>>203の言うように、子供の時には訳もわからず弾いていた曲を、大人になって正しく
理解するようになればいいのではないかと思うのだが
実際、どんな曲であっても大人になってみるともっとよく分かるじゃないか
(モーツァルトは子供の方がうまく弾けて考えすぎる大人には難しいとも言われるが、
これはまた別問題なのでここでは立ち入らない)
ルービンシュタインのセリフ、彼がどういう意図でそう言ったのかはわからない
しかし、それは曲芸をさせるだけで満足する大人、曲芸で儲けようとする大人、
無責任に一時期だけ誉めそやす大人への警告であって、「その子供には将来性はない」
と断罪しているのではないと思う(ホロヴィッツのセリフなら断罪だろうが)
こう書いてくると、まるで自分(
>>264)が技術至上主義、子供に難曲を弾かせるのに
大賛成であると思われるだろうが、そういうわけではない、どうなんだろうと疑問に
思っていることを書いてみた
(つまり、
>>290が間違っていると断定して反論しているのではない)
自分は木枯らしを弾く子供を見れば驚嘆するし、そのまま伸びていって欲しいと思う一方、
潰れてしまうのではと危惧もする(それだけの能力がある子供を、どうか正しく
育て上げてもらいたいものだ…巨匠が少なくなってしまったこの時代…なんとか次世代を!)
209 :
264:2011/01/22(土) 05:06:32 ID:sgTm826J
>私としては、審査基準のなかからミスタッチなどのメカニックを全て除いてもらいたいです。
ミスや弾きなおしがあっても、他にも審査すべきもっと重要なことがあるでしょうに
これには全面的に同意!なぜ今のような状況になっているんだろう?
そのたくさんの子供たちの中にいる、将来音大を目指す子供のために、入試と同じ基準で
審査することになっている?(そもそもなぜ入試がその基準なのか?)
少数の例外を除けば審査員だってミスのカウントしかできないわけじゃないだろうに
それよりも「芸術性」こそを問うてもらいたい
そうであってこそ、子供のコンクールにも意義があるんじゃないかと思うし、
次世代が育つのではないのか(演奏者としても良い聴衆としても)
>>199 >恩師が重視していた点
まさに、1,2,4!(3,6についてはまだまだだ…)
2については「装飾音じゃないんだから!」と言われたことも…
つい軽く早く「大切じゃなさそうに(先生評)」やってしまう
ペダルも「左を音を小さくするために使うんじゃない!それは指でやれ、
左ペダルは音色のために使うもんだ」とか(低レベルで申し訳ないw)
>ペダルを使っても指で繋ぐことをこっぴどく言う先生と指は重要ではなく耳でコントロールしろと
いう先生の2パターンがありますね
これもその通り、2パターンある…指で繋ぐ派の先生は「指で繋ぐのとペダルで伸ばすのは違う!
音も違うし(ホント?)、フレーズ感も違うし、見た目から聴衆が受ける感じも違う」と言い、
別の先生は「結果的に同じなのだから楽に弾いてその分神経を別のところに使え」と言う…
>>290自身はどうしている?
自分は「無理のない範囲で指で繋ぐよう努め、それ以外はすっぱりあきらめる」
(潔くあきらめすぎてスタッカートのようなタッチになってしまって注意されることもw)
210 :
264:2011/01/22(土) 05:07:15 ID:sgTm826J
>特徴的なのは、飛躍のときに一瞬飛躍先に手を置いて準備するやり方
え、跳躍のときに準備するのが普通じゃない?標準だと思っていたのだが…
ところで、「ある有名なピアニストの逸話」だが、探しているのだが見つからない…
誰か情報を!(ブレンデルだったような気もする…)
それから疑惑のw音楽院は「ジュリアード」じゃないよ
(何となくあたりはついた、勝手な推測だが)
感性の教育というのは可能なのだろうか…これも面白いテーマだ
技術「しか」ない子供ばかりが取り立てられて、感性はあるが技術はイマイチな子供を
駆逐してしまうから、技術のみの子供が多く残って目に付くのかと今ふと思った
感性が乏しいが技術がある人が専門の道を行けるなら、本来逆パターン(技術は劣るが感性が
すばらしい)も採ればいい…なぜ無理?(やはり入学時にきちんと基礎ができていないと、
取り戻すのはもうほぼ不可能ということか)