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もともとはクラシックを聞くのに勉強は必要ではなかった
作曲家や演奏家はともかく、聴衆には…
作品もまだ少なかったし、基本的にその時代のものに限定されていたから、
当時の人々が持っていた「常識」で十分理解に間に合った
もちろん教養のある社会層の話だが
しかし、今となっては時代は変わり、当時の共通理解としての常識は失われ、
「決まりごと」は新たに学ばなければならないものになった
古文を読むのと同じ
話し言葉と書き言葉の乖離はあったが、同時代人にとっては教養の裏打ちがあれば
問題なく読めた古典作品を、今となっては外国語のように語彙や文法を新たに
学ばなければ読めなくなったのと同じで、「遠くなってしまった過去の」
語法や和声、形式などを学習する必要がある
ましてやクラシック音楽は我々日本人にとってはそ系統的に縁もゆかりも
ない音楽なのだから
翻って日本の伝統音楽、歌舞曲を聴かないのはなぜか
雅楽を聞く人は交響曲を聞く人よりあきらかに少ない
西洋への憧れ、自国への無関心というお決まりの理由だけではないと思う
まず、全く知らないこと
耳にする機会は日常生活ではまずない
そして、調(音律)どころか楽器すら全く知らない
聞いただけで未知の音楽に魅せられ、引き込まれる感受性の鋭い人間もいるが、
普通の人には全く理解のとっかかりのない物は受け入れがたい
勉強しなければ、自国の音楽でもわからない
ということは、つまり洋の東西を問わず「伝統的な音楽」には勉強が必要だということ
外国のものであっても、ほぼ全世界共通理解となっている商業音楽は勉強はいらない
我々の常識で十分間に合う
しかし、いわゆる「現代音楽」は別
これには勉強と…特殊な感性が必要な気がする
(勉強してもわからん人にはわからんというか)