論点は
>>221 の池沼君の発言
>リディクロを駆使したマイルス・デイヴィスのKind of Blue
我々の主張
(1)マイルス・デイヴィスのKind of Blueでリディクロが駆使された実例はない。
あるのならどこで使われているのか説明してみろ
池沼君の反論→ 反論不能。未回答w
(2)そもそもあのアルバムの曲に於いては使い所がない
池沼君→
>>252 反論不能。理由も書けずショッパい一行煽りのみw
>>258 検索して必死にショボい反論
↓
>259-261で 知障君、速攻で論破されるwww
↓
にも関わらず知障君、的外れな反論w↓
>>262 > おまえらアホ?parent scale しか使えないと思ってるの?
ペアレントスケールとはあるコードシンボルに対して協和するとされるリディアンのことであり
論点とは全く関係ございません。
このバカは、「リディクロを知ってるよ面」をするために、リディクロで使われる用語を
披露してみただけと推測されますw
一応言っておきますが、リディクロにおいて、あるコードシンボルに対して協和するとされる
スケールは”parent scale ”以外にもあります。
なぜこの池沼の発言が的外れかというとまず(1)(2)の通り。
さらに「マイルス・デイヴィスのKind of Blue」で実践されたモードでは
本来の旋法に基づき、アドリブする、ラインで旋法を示唆することに主眼が置かれており、
ポリモードとかドミナントモーションを持ち込んではいないから。
>>260や
>>261に「当時」や「今だったら」と但し書きがついているのは
現在はポリモードとかドミナントモーションやコンバーション、様々なリハモを導入し
モード、モーダルチューンに於いてもいろいろな手法のアプローチが施されるのが常識だから
リディクロの概念を持ち込むことも可能であるということを示唆しているわけです。
しかしながら前述の通り、「マイルス・デイヴィスのKind of Blue」に於いては
その次元まで到達していないわけですね。
>何処の馬鹿が今時、 一つのmodeだけでやってるんだよ。
やってませんw
>>260や
>>261に「当時」や「今だったら」と但し書き(ry
既に回答済みですね。 こいつは文盲なのか、天然で読解力がないのか、それとも真性のバカなのかw
> 昔からみんなやっとるわ、今時アベイラブルノートスケールだってよ精白w
だから「マイルス・デイヴィスのKind of Blue」当時は、なのだよw
ジャズ屋でアベイラブルノートスケールを信じ込み、忠実にそれだけに頼って
プレイする人間はいませんが、何か?(w
これだけ完璧に論破されてもまだ楯突きたいのなら、再三申し上げているように
「マイルス・デイヴィスのKind of Blueでリディクロが駆使された実例」を挙げればよいだけの話なのですが、
このバカは、挙げられません(wwww
さらに補足すると
> おまえらアホ?parent scale しか使えないと思ってるの?
仮に「parent scale しか使えない」と思っていたとしても
(思ってないのは>265に書いたとおりw)
「マイルス・デイヴィスのKind of Blueに収録されている
『旋法で書かれた曲:2曲』ではリディクロが駆使された実例もないし
リディクロを使いようがないのですから、全然話の流れとは関係ありません。
さらにさらに具体的に書くと、
「マイルス・デイヴィスのKind of Blueに収録されている曲
so what、flamenco sketchの二曲。
この旋法で書かれた曲にコード進行の概念を持ち込み、それに対して
ペアレントスケールを用いた実例はありません。
例:so whatのAの部分、DドリアンをDmと解釈し、Fリディアンでプレイ
ここはFリディアンに聞こえるよ、という後付けはできますが
時代背景やマイルスのインタビューや各人のアドリブソロを分析すれば
>265に記したとおり「本来の旋法に基づき、アドリブする、ラインで旋法を
示唆することに主眼が置かれていた」そしてそれだけをこなすのが精一杯であった。
と判断するのが妥当でしょう。
むしろキャノンボールなどはそれすらできていなかったのですがw
私にここまで細かく解説される前、せめて
>>252の時点で
「so whatのAの部分、DドリアンをDmと解釈し、Fリディアンでプレイした実例」等を
出すか、ここまでの解説をこなせたのなら、君を認めてあげてもよかったけど
所詮は後出しじゃんけん、しかもこちらがパーを出しているのに、グーを出すような為体さでは
お話になりません。
クビを吊って死ぬべきかと思います。一生ヘビメタやっててくださいねw