【東日本】〓SoftBank 新スパボ一括購入専用スレ 5
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非通知さん:
もう寝たふりをして置こうと、夜着をかぶり、聴(き)きたくもない話なので、耳を塞いでいると、そのうち、また眠(ねむ)ってしまったようです。
あの頃は、よく眠りました。練習休みの日なぞ、家に帰って、食べるだけ食べると、あとは、丸一日、眠ったものです。
それ程、心身共に、疲れ果てていたのでしょう。ところが、やがて、
「やア、坊主(ぼうず)、ねてるな」という兄の親しい笑い声と、同時に、夜着をひッぱがれました。
二十歳にもなっているぼくを、坊主なぞ呼ぶのは、可笑しいのですが、早くから、父を失い、いちばん末ッ子であったぼくは、
家族中で、いつでも猫(ねこ)ッ可愛(かわい)がりに愛されていて、身体こそ、六尺、十九貫もありましたが、ベビイ・フェイスの、
未(ま)だ、ほんとに子供でした。
ぼくの蒲団をまくった兄は、母から事情をきいたとみえ、叱言(こごと)一ついわず、
「馬鹿、それ位のことでくよくよする奴(やつ)があるかい。さア、一緒に、洋服を作りに行ってやるから、起きろ、起きろ」
とせかしたてるのです。ぼくは途端に、「ほんと」と飛び起きました。兄は会社関係から、日本毛織の販売所に、親しいひとがいて、
特に、二日で間に合うように頼んでやる、というので、ぼくは大慌(おおあわ)てに、支度(したく)を始めました。
あとになって、判(わか)ったのですが、この朝、老いた母は、六時頃に起きて、合宿まで行ってくれ、また合宿では、
清さんがひとり、明方に帰って来ていて、母から話をきくと、一緒に、家まで様子を見にきてくれたとのことでした。
清さんは、ぼくを落着くまで、静かにほって置いたほうが好いだろう。背広のことは、コオチャアや監督に、よく話をしておきます。
災難だから、仕方がない。明朝、出発のときは、ブレザァコオトをきて颯爽(さっそう)と出て来るように言って下さい。
なアに、学生服で、あちらに行ったって、差支(さしつか)えないでしょう、と言い置いてくれた由(よし)。
兄は、その頃、すでに、共産党のシンパサイザァだったらしいのですから、ぼくや母の杞憂(きゆう)は、
てんで茶化していたようでしたが、さすがに、一人の弟の晴衣(はれぎ)とて心配してくれたとみえます。
母といい、兄といい肉親の愛情のまえでは、ひとことの文句も言えません。