【東日本】〓SoftBank 新スパボ一括購入専用スレ 4

このエントリーをはてなブックマークに追加
836非通知さん
檜木《ひのき》、椹《さわら》、明檜《あすひ》、高野槇《こうやまき》、※[#「木+臘のつくり」、10-17]《ねずこ》――これを木曾では五木《ごぼく》という。
そういう樹木の生長する森林の方はことに山も深い。この地方には巣山《すやま》、留山《とめやま》、明山《あきやま》の区別があって、
巣山と留山とは絶対に村民の立ち入ることを許されない森林地帯であり、明山のみが自由林とされていた。
その明山でも、五木ばかりは許可なしに伐採することを禁じられていた。
これは森林保護の精神より出たことは明らかで、木曾山を管理する尾張藩がそれほどこの地方から生まれて来る良い材木を重く視《み》ていたのである。
取り締まりはやかましい。すこしの怠りでもあると、木曾谷中三十三か村の庄屋《しょうや》は上松《あげまつ》の陣屋へ呼び出される。
吉左衛門の家は代々本陣庄屋問屋の三役を兼ねたから、そのたびに庄屋として、背伐《せぎ》りの厳禁を犯した村民のため言い開きをしなければならなかった。
どうして檜木《ひのき》一本でもばかにならない。陣屋の役人の目には、どうかすると人間の生命《いのち》よりも重かった。
「昔はこの木曾山の木一本伐ると、首一つなかったものだぞ。」
 陣屋の役人の威《おど》し文句だ。