【東日本】〓SoftBank 新スパボ一括購入専用スレ 4

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825非通知さん
五十余年の生涯《しょうがい》の中で、この吉左衛門らが記憶に残る大通行と言えば
、尾張藩主の遺骸《いがい》がこの街道を通った時のことにとどめをさす。
藩主は江戸で亡《な》くなって、その領地にあたる木曾谷を輿《こし》で運ばれて行った。
福島の代官、山村氏から言えば、木曾谷中の行政上の支配権だけをこの名古屋の大領主から託されているわけだ。
吉左衛門らは二人《ふたり》の主人をいただいていることになるので、名古屋城の藩主を尾州《びしゅう》の殿と呼び、
その配下にある山村氏を福島の旦那《だんな》様と呼んで、「殿様」と「旦那様」で区別していた。
「あれは天保《てんぽう》十年のことでした。全く、あの時の御通行は前代未聞《ぜんだいみもん》でしたわい。」

連投規制すっかり忘れてました。サンクスです。