【東日本】〓SoftBank 新スパボ一括購入専用スレ 4

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814非通知さん
西の領地よりする参覲交代《さんきんこうたい》の大小の諸大名、日光への例幣使《れいへいし》、
大坂の奉行《ぶぎょう》や御加番衆《おかばんしゅう》などはここを通行した。
吉左衛門なり金兵衛なりは他の宿役人を誘い合わせ、羽織《はおり》に無刀、扇子《せんす》をさして、
西の宿境《しゅくざかい》までそれらの一行をうやうやしく出迎える。
そして東は陣場《じんば》か、峠の上まで見送る。宿から宿への継立《つぎた》てと言えば、
人足《にんそく》や馬の世話から荷物の扱いまで、一通行あるごとに宿役人としての心づかいもかなり多い。
多人数の宿泊、もしくはお小休《こやす》みの用意も忘れてはならなかった。
水戸《みと》の御茶壺《おちゃつぼ》、公儀の御鷹方《おたかかた》をも、こんなふうにして迎える。
しかしそれらは普通の場合である。村方の財政や山林田地のことなぞに干渉されないで済む通行である。
福島勘定所の奉行を迎えるとか、木曾山一帯を支配する尾張藩《おわりはん》の材木方を迎えるとかいう日になると、
ただの送り迎えや継立てだけではなかなか済まされなかった。