【東日本】〓SoftBank 新スパボ一括購入専用スレ 4

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805非通知さん
東ざかいの桜沢から、西の十曲峠《じっきょくとうげ》まで、木曾十一|宿《しゅく》はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷《けいこく》の間に散在していた。
道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間《やまあい》に埋《うず》もれた。
名高い桟《かけはし》も、蔦《つた》のかずらを頼みにしたような危《あぶな》い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。
新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降《くだ》って来た。道の狭いところには、木を伐《き》って並べ、藤《ふじ》づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。
長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨《けんそ》な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫《はんらん》が旅行を困難にする。
そのたびに旅人は最寄《もよ》り最寄りの宿場に逗留《とうりゅう》して、道路の開通を待つこともめずらしくない。