【ボッタ】スーパーボーナスPart2【softbank】

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144非通知さん
【評論】24時間テレビは傲慢である 偽善ですらない“醜善”

私は、いまや恒例となった夏の定番、日本テレビの24時間番組「愛は地球を救う」を垣間見て、
いささか不愉快である。なにが「絆(きずな)」だ。
もはやだれも、その存在意義の是非を問おうとすらしない。それをいいことに、どの角度から見ても
文句のあろうはずがないという国民的イベントみたいな顔をして、いつしか29年もの長寿番組となった。
あれはいったいなんなのか。

婚約者を特攻で失った女性の60年、という秀逸なドキュメンタリーを作りながら、扱いはただの埋め草でしかない。
障害者が挑むトライアスロンにしても、ダウン症の少年少女たちによるダンスにしても、終われば「はい、次」で、
もう関心がないのだ。彼らに司会者が「カッコいい!」と声をかけるが、無論その場かぎりの無意味なお囃子である。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/17878/

「人工」と「無理」と「ほったらかし」の感動祭り。偽善は一概に否定されるべきではない。
が、これは偽善ですらない。“醜善”である。「だれもがテレビに出たがっている、だったら彼らを使って
番組を作ろうじゃないか」という傲慢(ごうまん)と、「なんの文句がある、これは福祉という
善に繋(つな)がっているのだ」という傲慢が醜いのだ。

 やるならもっと丁寧に、真面目にやることである。福祉や弱者のために役立っているんだぞ、
というのなら、まず日本テレビが1億円くらいを出して基金を積み立てるがいい。あんな司会陣も
いらない。動機も内容もチープすぎるのである。海賊キッドの財宝が眠る日本の宝島などという
「伝説」をでっちあげておきながら、寛永通宝を見つけてどうするのだ。(評論家・勢古浩爾)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/17878/