俺はアトピー持ちで、大学入学後ひどくなって休学→退学して
自宅療法してた。(約2年引きこもり状態)
その後大分ましになったので働かなくてはと思い就職したが
慣れぬ職場のストレスも相まってか、またアトピーがひどくなった。
根性無しだったのと、被害妄想入ったのもあって3ヶ月で辞めた。
でも親には辞めたことは言えなかった。
俺が引きこもってた時、母親が心筋梗塞で倒れた。
大分ストレスが溜まってたらしい。俺のせいだ。
母親が倒れてるのを発見したのは俺だった。
自分で母親を苦しめて、救急車呼んで病院につきそう。
自作自演もいいところだ。
幸い初期の心筋梗塞だったのと、血栓が流れてくれたので、大事には至らなかったが
ストレスは掛けないよう医者から強く言われた。
俺が人生2度目の大逃亡をはかったのはそんな時だった。
母親が知ったらどう思うだろう。辞めた時一番初めにそう思った。
言える筈がなかった。実際言わなかった。
それから偽リーマン生活が始まった。
会社に行く振りをして、公園で就職雑誌を見てた。
折りしも就職難の時代、中退・スキルなし・人見知りする
こんな人間を雇ってくれる所はなかった。
半年ほどそんな生活をした。
この変わり映えのない生活にも2つほど変化があった。
母親が携帯を持った。俺のためだろう。
毎日メールを送ってきた。
俺への気遣いに溢れたメールだった。意味もない苛立ちが募った。
もう一つの変化は、目標が軌道修正されたことだった。
就職することから自殺することへの。
この頃になると毎日図書館に通ってた俺は、ある日突然死のうと思った。
今でもなぜ突然そう思ったのかわからない。まともな思考もできなくなってたのだろう。
追い詰められた人間の常として、理性的な判断ができなくなる。
一つの解決案を見つけると、それが絶対無二の方法に思えてくるのだ。
その必然、考えれば考えるほど、死の誘惑に魅せられた。
それからは今までが嘘のように行動が速かった。
まず部屋の整理をした。サッカーが唯一の趣味だった俺は
宝物だったコレクションをすべて捨てた。
とにかく自分の生きた痕跡をすべて捨てたかった。
遺書も書いた。書く前はワープロか手書きか迷った。
これから死のうという人間がそんなことで迷うなんてと思うと
少しおかしかった。
書いてる途中涙が出てとまらなくなった。死にたいのにどうしてだろう。
自殺する予定地はすぐ見つかった。
中学の頃学校行事の一環でいった山に決めた。
人生で一番楽しかった時だ。最後はそこで死のうと思った。
その日がやってきた。
その日は朝から家族サービスをした。
父親にネクタイをプレゼントし、母親には血圧計をプレゼントした。
妹は新しい携帯を欲しがってたので、現金を上げた。
夕飯を食べ終わるまでの時間は、久しぶりに楽しかった。
予定通り、友人の家に泊まりにいくといって家を出た。
目的地まで車で3時間。人生最後のドライブ。
目的地についた俺は服を脱ぎ、その場に寝た。
これで死ねるんだ。不思議に怖くはなかった。とにかくこれで終わりにできる。
死ななかった。いや、死ねなかった。
人間は弱いようでなかなかしぶとい。寒さに耐えれなかった。
死ぬことにさえ努力が必要だった。
朝まで車の中にいた。
自己嫌悪でいっぱいだった。自分は生きていくこも死ぬこともできないと思った。
どちらにも所属できない人間は俺だけじゃないかと思った。
そんな時携帯が鳴った。
携帯を処分することを忘れてた。相変わらずの間抜けさに笑いたくなった。
母親からだった。鍵を持っていったかどうか心配するメールだった。
母親に返信を済ませると、履歴を辿って見ていった。
履歴には母親からのメールしかない。
友達と呼べる人間は、大学時代以来いなかった。
母親のメールは顔文字がやけに多かった。それもすべて笑った顔の
顔文字だった。妹に教えてもらったのだろうか。
涙が出てきた。いつからだろう、こんなに涙もろくなったのは。
朝まで泣きに泣いた。
結局に死ねずに家に帰った。
車の中で生きようと思った。良く分からないけどそう思えた。
もう一度就職活動を始めようと思った。
その前に、母親に本当のことを話そうと思った。
その晩母親にすべてを話した。話してる途中また泣きそうになった。
母親はすべて知っていた。俺が会社を辞めたこと。
会社に行く振りをしてたこと。
メールで話を合わせてくれたの?なぜ?当然の疑問を聞いた。
母親はニコニコ笑ってるだけだった。
「あんたが生きてるんやったらそれでええ」それだけ母親は言った。
死ななくて良かった。そう思ったら途端また泣いた。
あれから2年たったけど、今は東京で元気でやってる。
死ぬ気でやればなんでもできる。何回失敗してもまたチャレンジできる。
そんな簡単なことに気づいたのも母親のおかげ。
あのころの携帯はもう使ってないけど、ずっと残してる。
俺の宝物だ。