●●● 名古屋撮影会情報交換スレ10 ●●●

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14(`・ω・´)シャシーン
ネットイナゴの暴力性

関連性はとりあえず置いておくとしても、ネット上ではこの件に関しても、相変わらず信じられない悪意の声が無数に集まっていました。
きっと昔から、この手の人たちは存在していたのでしょう。で、テレビのワイドショーで見て「は?何この人、死ね」とつぶやいていた。
ツイッターを手にした人々は、そのノリでデジタル空間にも呪詛を吐き出しているのです。
その呪詛は虚空に消えることがなく、書き込まれることで、むしろ増幅していきます。
「死ね」という書き込みを見た人は、同じように「死ね」とつぶやき、それを見た人がまた「死ね」とつぶやく。
みんなが言っているから、自分も言っていいと思った。呪詛はそうして連鎖していき、凶暴性を増していきます。
凶暴性と相反するように、呪詛を放つ心理的障壁は、ますます下がっていきます。彼らのように、いとも気軽に「死ね」という言葉を吐けるようになってしまう。
連中には覚悟がないので、いくら「一対一で掛かってこい」と言っても無駄なんですね。
あら探しをされつづけている状態になるので、何か少しでも不手際をすれば、全力で食い掛かってくる。
消費しきったら、また次の獲物に飛来する。彼らはあまりに動物的なので、自分が誰かを食い荒らしたことすら、忘れていきます。
彼らは」自分が半月前に「死ね」と発言したことを、ほとんど忘れているのではないでしょうか。
そして彼らはそのことに気づいたとき、発言をしれっと削除するでしょう。これではいくら真摯に対話をしようとしても、お話になりません。
問題は、自分が犯している罪悪に気づかず、実に動物的な気分で「死ね」だの「消えろ」だのをつぶやく輩です。

もしも遺族が彼らの罪悪を追及しようものなら、彼らは真っ青な顔で「そんなつもりはなかったんです。
気軽につぶやいてしまいました。反省しています」と語るのでしょう。
あぁ、彼らには理性が欠けているとしか思えません。
失敗する前に、学べないのでしょうか。

責任を取る覚悟なしに「死ね」と発信してはいけない、なんてものは理性があれば誰でもわかる話です。
幼児だってわかります。

人間は進化していく動物です。インターネットが浸透して20年近く経っているわけですし、いい加減に理性を身につけましょう。
一刻も早く、この種の動物的な暴力を消していかなければ、犠牲者は増えつづけていきます。

これをお読みのあなたは、自分のことばに責任と覚悟を持ってください。
完全に発言の責任を取ることはできませんが、それを取ろうという覚悟くらいは、誰でも持てるはずです