宮崎駿ってどう?

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71milk
まずフィクションの定義と意義が分からない。
フィクションは単なる夢物語の娯楽に過ぎないとは、思わない。
例えば「A.I」(まだ観てないけど)など、未来の社会問題予測系は、
社会への警告という意味で、ただの娯楽とは呼べないのではないのか。
また、「2001年宇宙の旅」なども、SFフィクションとはいえ、
強烈な思想を持っているし、同時に未来予測でもある。
フィクションは、未来予測という、学問の重大な使命を
メディアにして人々に訴える、ただ一つ手段とも言えるのではないか。
もちろん哲学書にでも、いくらでも未来予測は書けるのだけど、
ストーリーが必要であるという点で異なる。
この未来予想フィクションの場合、リアリティの追求は絶対必要になってくる。
つまり、単純にSF映画だけにしぼったら、
娯楽として観客を楽しませるためストーリーがあるのか、
作者の未来のイメージを映像化する時、
ストーリーがあったほうがいい、というだけの話か。
後者には思想を追求しても良いと思うが、
問題はその見分け方か。