宮崎駿ってどう?

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146考える名無しさん
自然と神の結合について語るのは日本では宮崎一人。
自然崇拝を説く神社は無いし、自然の聖性について語る環境団体も無い。
といってもこれが宮崎の独特の味というわけでもない。

一昔前ならば西欧人の描写の一つに食前の祈りやミサへの参加などが
あったであろうが、今ではそれらは描かれない。
昔の西欧人は祈りを捧げるべしとは言わなかっただろう。
何故ならそれらはやって当たり前の事だから。
現代の西欧人も祈りを捧げるべしとは言わない。
それらは生きる上で不要なものだから。

昔の日本人がしてきたこと、危機に際して念仏を唱えたり、
旅先の社や寺に詣でることなどは今では語られない。
既にそのような習慣が失われて久しいからである。
しかし、宮崎一人がその必要を語る。
何故なら宮崎は旧い習慣が完全に失われたことに気付きながらも、
それらが我々の生活に必要であると思っているから。
この微妙な回帰主義こそが、独特な宮崎テイストの本質である。