論理的思考を身につけたい

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13考える名無しさん
何回かこの板でもとりあげられましたが、小野田博一という方の
「論理的に考える方法」「論理的に書く方法」「論理的に話す方法」
「論理的に説得する方法」(日本実業出版社)がおすすめです。
1に書かれた目的を満たすには、十分な本です。
さらに、上の本を読んだあとに(!)香西秀信「議論術速成法−新しいトピカ」を
読めば、議論についての一通りの認識は得られると思います(ただし、この本の
中にある論法は、見破るために覚えてください。実行してはいけません。はな丸さんが
議論に勝ちたいだけなら、使ってしまうでしょうが・・・)。

あとは、議論をする際の根拠を身につけておく(要するに勉強する)ことと、
議論をしているときに、議論の内容を構成している要素をできるだけ意識の上で
分析的に捉えなおす習慣を身につけることが、大切です。

>>12
「説明しようの無い事実」というものは、ありません。
「今(まで)の私たちに説明できない事実があり、それに対して説明が出来る見通しも、
 立ちそうにない場合がある(と考えている)」が正しいです。
なぜなら、説明することと、説明されるべき事実との関連性は、低いからです。
すなわち、説明するということ、それを支える能力自体が、ひとつの事実であり、
その説明をする能力自体には、説明されるべき事柄と関係無しに個人差・時代差が
働くからです。また、説明できる可能性は、未来のある人間に常に開かれているからです。

世界が理解を超えた存在なのではありません。世界は理解されようがされまいが、
単にあると認識されている、のです。そして、説明できない場合にも、世界は
「影響してくる」ため、
「理解を超えていると「説明」できる場合があり、それを念頭において世界を
「説明」してしまう人がおり、そうした人の言い分を認める人もまた多い。
 ∵説明し納得したあとの楽よりも、説明を放棄して説明できないと納得するほうが
  ずっと楽だし、権力的な立場にとって都合が良い(→社会的な支持を得やすい)
  からでしょう。
すると、説明を通用させることを好まない通念が人々の間で形成されるため、
そうした人たちの中では、余計に世界が「理解を超えたものになる」」のです。

いやらしいつっこみのように思われる方も多いでしょうが、こういう視点は、
論理的に議論しようと思っているなら、絶対に必要です。