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175nanasix
もともと柄谷は断章的に文章を書くひとなので、
いまさらその特異性を指摘するまでもないでしょう。
あえて説明性を省いて、論理的な階段をニ三段すっとばしてしまう。
そのため論理と論理の間に大きく「隙間」があき、読むものは飛躍をしいられる。
しかし、だからといって、論理間につながりがないというわけではなく、
本来あったはずの(書き手の)内的プロセスが意図的に(あるときは意図を欠いて)
隠蔽されているだけである。
それによって、読者はその「隙間」にむかって、思い思いの「読み」、解釈を
挟みこむ余地ができる。
したがって、それは、一種の文体的戦略であり、
予言的というよりは、むしろ「俳句的」なのです。