哲学者に問う!学問の自由とはなんだ?

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121ソフィスト
>>116

私の答えを言おう。もちろん暫定的なモノだ。

結論は、「学問の自由」など妄言だということだ。
但し、このことは学問選択の幅を限りなく広く取ることとは矛盾しない。だが、「選択の幅」なるものが「学問の自由」を保証する合理的根拠はどこにもない。
ヨーロッパの学問が、その昔神学を中心に体系づけられ、その意味で「選択の幅」が十分広かったことを見ても分かるように、「幅」自体の選択の仕方が偏ったモノであることはあり得ることである。

だが、我々はこの幅を広く取ること以外に、学問に於ける何らかの自由度を保証する手だては存在しない。
人間の認知には限界があり、予算や物理的能力も限界があるからだ。
そうすると、この「学問の自由」なるものは、所詮「制約条件の中で可能な限りいろんなモノを取り入れる」という実践以上のことは意味しないということになる。
そして、この実践を認める以上、それ以降の作業は>116などが主張していたような「評価システム」だとか「情報公開」だとかいうことにならざるを得ないだろう。
そしてまた、そのような実践をする限りにおいて、そこに於ける「選択の内容」
は時代や社会の趨勢や流行の影響からは逃れられないということだ。
更に、一人の研究者が何もかもを包摂して解説できることがほぼ不可能である現代の学問状況から言えば、スーパースターを雇うことよりも、各専門家を可能な限り多く配置する以外にはないことになる。バランス問題だ。
このバランスには当然模範解答はない。ゆえに、これもまた時代によって大きく左右されることは覚悟せねばならない。

以上のことは「学問の自由」というより不自由であることの言明でもある。
よって、「学問の自由」は妄言に過ぎない。
そして、この不自由さを自覚し、その中でその都度バランスをチェックする実践のみが重要なのではないか、ということだ。